雨が降っている。  
濡れたアスファルトの匂いは好きだが、それを感じるのは降り始めだけ。  
それ以後は鬱陶しい。早く止めばいい。  
「悪い知らせがある。昨日尚敬校の生徒が一人戦死した」  
本田は教壇に立つなり不機嫌な声で言った。  
「今日だけでいいから、気を遣ってやれ。いいな」  
その生徒が誰なのか、大部分の人は既に知っている。整備士上がりの戦車兵で、  
結構かわいい子だった。人望もそこそこあり……惜しい人ほど簡単に死んでしまう。  
「お前らの中からは死人は今のところ出ていないが、気を引き締めろ。  
 連勝してるからって調子に乗ってると痛い目見るぞ」  
ちらと速水に視線を向ける。芝村の姫と同棲するようになってからこの男は変貌を遂げた。  
少しだけ普通より武器を使い分け、少しだけ普通より移動して、少しだけ普通より作戦会議をする。  
いつか俺が言った通りの、絢爛舞踏に近付いた。速水がいる限りこの隊からは戦死者など  
ありえないだろう。歓迎するべきことだが、やはり前のままでいて欲しかった。  
「それと、通り魔の犠牲者がまた出た。こっちの方も気を付けろよ」  
少し前からこの近辺でとんでもない馬鹿が出没するようになった。男女問わず襲い掛かり、  
徹底的に暴力を振るい逃げる。全身黒尽くめの格好らしいが、これ以上の特徴もないらしい。  
全く金品を奪わない点が犯人の異常さを物語っているように思える。  
何度も犯行を重ねながら決定的な証拠を一つも残さないのは頭が良いからだろうが、馬鹿は馬鹿だ。  
捕まるのはそう遠くはないだろう。その時に何をされようが同情の余地はない。  
この事は割りとどうでもいい話だ。今現在、俺にとって最大の懸案は速水の二つ隣に座っている  
壬生屋だ。想像するまでもなく、美しい黒髪の向こうでは真剣な表情だろう。  
数日前の教室で会った時と同じように。  
 
『お慕いしております』  
見た事がない程思い詰めた表情で、その言葉を俺に突き刺す。  
いつもの防御壁が全く意味を成さない。彼女に向き合わざるを得ない。受け流す事が出来ない。  
『瀬戸口さんは、私をどう想っているのですか?』  
傍観者。それが俺の立ち位置だ。確執も固執も捨てている筈なのに、何故こんなにも迷っているのか。  
どの様な理屈で即答を避けようとしているのか、解らない。  
『なんで、俺なんだ?』  
卑怯だ。疑問に疑問で答えるとは。はぐらかすつもりはないのに、そうしてしまう。  
『瀬戸口さんは何度も何度も助けてくださいました。だから、……いえ、違います。そんな理由では  
 ありません。そんな、理由なんて思いつきません。好きになってしまったから、ではいけませんか』  
感情に理屈なんてない。そんなのは当たり前だ。  
その当たり前から理屈で逃げようとしている俺は何なのか。  
『瀬戸口さん……』  
壬生屋の声に落胆が混じる。視線が下がる。ああ、違うんだ、壬生屋。  
『今、答えを言わないと、駄目か?』  
本気の気持ちには同じく本気で答えなければならない。その踏ん切りがまだつかない。  
今の俺には答える資格はない。…資格を得たいのか、瀬戸口。  
『……お待ちしておりますから』  
壬生屋は静かな声で告げると、教室を去る。俺は動けない。  
さあ、考えろ。  
 
授業を終えて、さてどうするか。  
すぐにでも片付けなければならない仕事はない。しかし遊ぶ気にもなれない。  
壬生屋に対する気持ちを明確にしなければならないのは解っているのだが……  
「瀬戸口君、ちょっといいですか?」  
階段を降りきった所で善行に呼び止められた。  
「今日は加藤さんがお休みでして、書類の整理を手伝って貰いたいのですが」  
断ったとしても命令に変わるだけ。頼み事の段階で了承した方が精神的負担は軽くて済むか。  
何かに集中して心を休めたい、というのもある。  
「俺で良ければ手伝いますよ」  
善行は軽く頷いて言った。  
「ではよろしく」  
 
 
「瀬戸口君の考えは解りますが、既に決定した事です。明日、正式な告知と面通しをします」  
──事の顛末はこうだ。  
戦闘地域からは民間人は徹底的に締め出される。報道関係者ももちろん含まれるのだが、  
何の間違いかこの隊の一番機を至近距離から撮り続けた映像がテレビを賑わせた。  
幻獣を一方的に倒せる兵器。人類が勝てる希望。  
巨大な人型戦車が幻獣を薙ぎ倒す様は衝撃的で、反響も大きい。各局で次々と放映され、  
いずれも高い視聴率を叩き出した。  
隊の知名度は飛躍的に高まったが、そういった映像を欲しがる人間が群がるようになってしまった。  
出撃時には大掛かりな人払いが付き物となり、政府の人員を借りても戦場に民間人が紛れ込んでしまう。  
戦闘での犠牲者が出ない様にする為、政府は報道関係者に伝えた。  
『報道関係者の戦闘地域での活動を一層制限する』  
流石に飯の種を潰されるのは困るとマスコミ連中もやりかえす。  
『人型戦車の映像を政府広報が提供するべきだ』  
かくして新たな護衛対象、余計なお荷物が増えるという事になった。  
これ以上の策はなく、選択の余地がないのは認めなければならないのだが……。  
「護衛として岩田君を付けます。それと撮影中の映像は士魂号と同じく常に  
 指揮車でチェック出来るようにもします」  
無職なのはそいつだけ。これも仕方なしだが。  
「岩田に勤まりますかね」  
あの変人に期待するのは正直どうかと思う。ひたすら自分を撮らせる、というのもありうる。  
……興味が無きにしも非ず、という感じか。  
ふ、と軽く笑って善行は続ける。  
「そんなに不満そうな顔をしないで下さいよ。ああ見えても結構やれる人なんですよ」  
決まった事に今更文句を言う気にはなれないが、疑問はある。  
「……らしくないですね。やけにあっさりと受け入れたみたいですけど」  
何かと慎重に進めるのがこの男だ。最終的な判断は司令の意思を尊重するともなれば、  
小難しい表情でしばらく悩むのが当然だろう。  
裏がある、としか思えない。  
「やましい事は何もありません。来年には似たような状況になっていた筈ですし。  
 予定が前倒しになっただけですからね」  
 
「どうしてこんな面倒な事を画策してたんですか?」  
ない方が良いに決まっている。士魂号の行動を制限するのは不利益しか生まない筈だ。  
「軍の上層部では未だに士魂号の能力を疑っている方々がいらっしゃいます。偏見を正す為には  
 数字より映像で、という簡単な理屈です」  
「そして士魂号の増産化へのはずみを着けよう、ですか?そう上手くいきますかね」  
とりあえずは壬生屋の腕前に感謝すべきだろう。もしあの映像が負けを表すものであったら、  
この隊への評価は最低になっていたか。  
……士魂号の増産。あの噂、本当だったのだろうか。  
「司令、少し前に士魂号だけで編成された隊が出来たって話、本当ですか?」  
スカウトすらも排除した純粋な士魂号のみの隊。  
当時は幻獣の襲撃が相次ぎ確かめる暇すらなかったが、実際はどうなのか。  
「あれは……ええ、事実です」  
「本当だったんですか!」  
驚かずにいられない。5121小隊以外で士魂号をまともに動かせたところがあったとは。  
「彼……その隊の司令は私の士官学校時代の後輩なのですが、ある財閥の御坊っちゃんだったのですよ。  
 その辺りの環境やら力を利用して、強引ながらも見事に編成まで漕ぎ着けました」  
遠い目でつらつらと善行は続ける。  
「大変な自信家でしてね……まあ、それなりの能力もありましたが」  
それきり沈黙してしまった。話したくないのかもしれないが、もう少し聞きたいものだ。  
「士魂号だけ、って事は何体で運営してたんですか?」  
「重装三体に軽装一体で、全てが単座です。基本の兵装は前衛の重装三機はジャイアントアサルトと  
 超硬度大太刀、後衛の軽装機には93mmライフルとバズーカ。  
 今年に入ってからはミノタウロスの増加が目立ってますから、妥当な判断だと言えるでしょう」  
合計四体。無理をしたものだ。  
金と物は食うだろうが、うまく行けば相当な戦果を挙げているだろう。  
しかし、続報はない。  
 
「……訓練もしっかりこなして初陣に向かい、そして戻らない。  
 友軍が確認したのは潰された指揮車のみ。相手も馬鹿ではない。そう思い知らされました」  
知能が低いとされる幻獣だが、驚く程鮮やかな不意討ちもある。  
単純な力任せだけならここまで人類が劣勢に立たされる事もなかっただろう。  
四体か……勿体無い。オペレーターの俺ですらこう思うのだから、そうか。  
この間の原の荒れようはこれだったのか。  
と、待てよ。  
「士魂号は見つからなかった?」  
「そうです。恐らくは幻獣に持ち帰られて分解され、弱点を探られているのでしょう。  
 我が隊の勝利もいつまで続くか……」  
戦況は厳しくなる一方か。全く、楽じゃない。  
「ま、そういう士魂号に対する悪い印象を払拭するためにも、政府広報に良い絵を撮ってもらうしか  
 ないのですよ」  
「……そうですね」  
運が良かったと言えなくもない。仕事は増えるが、それ以上の効果も望める。  
帳尻を合わせることが出来る。これだけでも間違いなく恵まれている方だ。  
「今後の展望としては……」  
夕日で光る眼鏡を僅かにあげて善行は言った。  
「今年中に政府と民間での士魂号の評価を上げ、我々の支援者を増やします。  
 来年の自然休戦期が終わる前には、5121小隊とほぼ同じ構成の新しい隊が作られるでしょう」  
にやり、と意地の悪い笑み。こんなところは原とよく似ている。  
「そして、ここの司令をあなたに譲ってから私は別の隊へ移動、になると思います」  
まだ諦めていないのか、この男は。  
「そんな柄じゃないですよ、俺は。何故俺なんですか?」  
腕を組んだままこちらを向いた。戦闘中の冷酷な眼光が灯る。  
「視野が広い。常に冷静な思考が働いている。何に対しても主観よりも客観が勝っている。  
 発想に幅がある。正確には全ての方向に発想が出来る。  
 ……そうですね、問題があるとすれば本気になっていない位ですか」  
知ったような口を利く。  
 
心で舌を打ちながら反撃した。  
「速水では駄目なんですか。あいつの方が能力なら上でしょう」  
「そうですね……速水厚君も悪くはないですが、彼は芝村舞さんに拘り過ぎる。彼女が係わると  
 見境がなくなってしまう。  
 指揮官としては問題です。それに、彼自身も幻獣を直接倒すのが望みのようですし」  
人を物として分析している。全く善行らしい言葉だ。  
俺はここまで人間味が欠けている筈がない。  
「……司令と俺は違います。同類扱いしないでくれますか」  
「そう思いたいだけでは?まあ、そうでないとしても今の私と同じ位の判断や思考は出来るでしょう」  
「…………」  
否定は出来ない。オペレーターをこなしながら俺はそれに気付かされた。  
思考の根の部分は恐らくは殆ど同じ。たまたま枝分かれした方向が違うだけだと。  
さて、と善行は机の上のファイルを片付けて席を立つ。  
「今日の仕事は終わりですね。おかげ様で早く済みました」  
「そりゃどうも」  
結構時間はかかったが貸しだと思ってくれれば儲けもの。  
しかし相手が善行ならそれも怪しいが。  
「善行居るー?」  
どこか気の抜けた原が小隊長室に入ってきた。俺に見向きもせずにずかずかと善行の側に回りこみ、  
腕をがっちりと捕まえた。  
「ほら、帰るんだから送りなさい」  
こいつらは最近やたらと仲が良い。善行の言う『別の隊への移動』には原を連れて行くのだろう。  
行った先でまた離縁して復縁するというお決まりのパターンか。  
「ではお先に」  
微妙に頬を緩めた善行と何やら楽しそうな原が通る。  
手伝わせた理由はこれだ。確信出来る。  
原は顔だけをこちらに向けて言った。  
「校門で未央ちゃん待ってるからね」  
だから?と訊き返せる心理的状況ではなく、黙っているしかない。  
……くそ。何だってこうあいつの事には慎重なんだ、俺は。  
 
雲の隙間から夕日が覗いている。  
原の言った通りに壬生屋は校門でうろうろしていた。  
赤い傘をぶらぶらと揺らし、その心情も同じく揺れ動いているのか。…俺も似たようなものだが。  
「途中まで送りましょうか、箱入り娘さん?」  
俺の声で我に返ったようだ。ぴたりと動きを止め、ゆっくりと俺に身体を向ける。  
不自然な硬い表情だ。期待と不安でごちゃ混ぜになったのを強引に塗り固めている感じだ。  
「……はい。宜しくお願いします」  
「ああ、任せろ」  
我ながら重い返事だと思う。軽い口調で尋ねておいて、それはないだろうと言いたくなる。  
多分顔もひどいものだろう。  
「傘、ないんですか?」  
「近いからな」  
それきり何も言えないまま歩き出し、壬生屋もすぐ横に居るが沈黙している。  
綺麗な虹を見ながら、それでも適当な言葉が思いつかない。  
解ってはいる。俺が本気になって相手にしているは壬生屋だけだと。  
今まで散々からかってきただけに言いにくい。……こんな時だが、言ってしまうか──  
「瀬戸口さん、ではまた明日」  
T字路の突き当たりで壬生屋が言う。  
言いそびれた。決意しかけたところに水を差されてしまった。  
彼女の家はここを右に折れ、公園前を過ぎて大分歩かなければならない。  
俺は左に曲がってすぐだ。  
「ん、じゃあな、壬生屋」  
全力で普通の声と表情で応える。  
壬生屋は責めるような視線で一瞬だけ俺を見詰め、小さく頭を下げて背中を向けた。  
呼び止めて言ったとしても信じて貰えないだろう。『言った』よりも『言わされた』感が  
どうしても勝ってしまう。出来る事ならしっかりと向き合って言いたいが。  
離れていく長髪。俺も爪先を翻す。明日なら話せる機会がある筈だ。  
 
少し歩き、ふと何か聞こえる。話声、か?  
「…──…、─…、」  
周囲に人の気配はない。民家の中には当然いるが、今聞こえたのは屋外での会話だ。  
突然にみしり、と圧縮された雰囲気。静寂が降り積もる感覚。  
…何かヤバい。この感じは、戦場のものではないのか。  
より具体的な表現をするなら、幻獣に直接睨まれているような──  
「    」  
!聞こえた。人が倒れる音が、後ろから。  
走る。電柱や生垣が後ろに流れ、公園の入り口から組み伏せられた壬生屋が見えた。  
「──っ!」  
問答無用。黒い男を追い払う。  
「離れろ!」  
走り寄りながら壬生屋の様子を観察した。  
雨上がりの泥に上半身を押し付けられ、失神しているらしく抵抗はない。  
白い胴衣にじわりと汚れが染み込んでいる。右腕で首の後ろを押さえつけられ、  
左腕は、あろうことか紅い袴を脱がせようとしている!  
この野郎は、許さん。この場で始末してやる。  
服装と同じく真っ黒なフェイスヘルメットがこちらを向く。頭部への打撃は効果が薄いだろうが、  
思いっきり捻ってやる。生死など知った事か。  
「離れろと、言ったぞ!」  
蹴った。的確に首を捻じ切る前蹴りは確実にヘルメットが在った空間を蹴り飛ばした。  
音もなく男は退いていた。足が水溜りに着地した筈なのに、殆ど音を立てない。  
素人ではない。かなり、できる。  
「……っ!」  
本能が警告している。その強さだけではない。この気配はとてもじゃないが人間と呼べるものではない。  
冗談ではなく、幻獣のそれと同じだ。背丈はそれほどではないのに、凄まじい巨体に見えてしまう。  
何なんだこいつは。人か。幻獣か。  
力みのない立ち姿に隙はない。得物は持ってないようだが、下手に飛び込めばこちらがやられる。  
だが見過ごせと言うのか。  
沸騰する本能と凍結する理性が俺の中でせめぎあう。  
さあ、どうする。  
 
いつ反撃が来ても良い様に腰を落として構える。黒い男は半歩だけ下がり、一瞬で振り返って逃亡した。  
逃がすものか。必ず捕らえてやる。  
「ぅ、………」  
微かな呻き声に足が止まる。こいつを放って行くのか。……それは、出来ない。  
僅かな躊躇の間に男は見えなくなっていた。  
「おい、壬生屋!しっかりしろ!」  
抱き起こしながら声をかけるが、意識はまだ戻っていない。  
身体から流血はないようだ。泥でひどく汚れてはいるが、他は何ともないように見える。  
「はぁ……、無事らしいな、壬生屋」  
心底ほっとした。やはり玄関前まで送ってやるべきだったか。  
しかし、この壬生屋を屈服させる相手とは誰だ?それこそ唯の暴行魔には不可能な芸当だ。  
ぽつり、ぽつり。  
いかんな、雨が降ってきたか。そう思った頃には土砂降りになった。  
ざあざあと不快な雨音。傘は、くそ。持ち主の業に耐えられなかったらしく、折れ曲がって開かない。  
まずは俺の部屋に連れて行くのがベストか。壬生屋の家に送ったとしても、こいつの身体は  
冷え切ってしまうだろう。  
「後でいくらでも怒っていいからな」  
誤解されても仕方なし。決意し、さして重くない身体を背負う。  
……本当にこの身体で幻獣と戦っているのか。あまりにも軽く、柔らかい。  
「何を馬鹿な。やることやれよ、瀬戸口」  
そうだ。やるべき事をやれ。一刻も早くこいつを介抱する。  
足元の水溜りを踏み散らし、靴先から水滴が飛ぶ。吐き出す息が白くずぶ濡れ服が重い。  
どれもがどうでもいい瑣末事だ。  
壬生屋が寒そうに震え出した。早く暖めてやらなければ。  
 
ようやく到着。  
ソファに座らせ、間髪いれずにバスタオルで顔と髪を拭いてやる。  
泥は雨で流されてしまったらしく、意外なほどに汚れはない。  
さて、本題はここからだ。  
「壬生屋、起きろよ、おい」  
「…………」  
反応なし。起きてくれれば最善なのだが、無理に起こすのも良くない気がする。  
しかし濡れた胴着を着せておく訳にはいかない。  
「頼むから、終わるまでそうしていてくれよ」  
俺が脱がすしかないようだ。女性の服を脱がすという場面は初めてではないが、  
相手が壬生屋で、それに加えて同意を得ての行為ではない。  
正直、緊張している。迷いもある……この阿呆が。こいつの身体を壊してもいいのか。  
壬生屋の表情を窺う。よし、まだ起きていない。  
ソファに横にして手早く腰の結び目を解く。袴を膝まで下げて俺は動けなくなった。  
「……くそ、反則だろ、そりゃ……」  
無駄のないほっそりとした太股、汚れのない白い下着。  
短気で古風な印象を完璧に打ち砕く破壊力がこの光景にある。  
「ったく、見惚れてる場合かよ」  
強引に感情を抑え付け、出来るだけ「物」として壬生屋を脱がせ始める。  
タンスからズボンを出して穿かせる。サイズが合う訳が無いが、何も無いよりはましだろう。  
続いて上を脱がせる。発育は良好。凝視したい欲求を無視し、長袖を着させた。  
寝室まで抱き上げてベッドに寝かせ、止まる事なく胴着を洗濯機に放り込んだ。  
間違っているのかもしれないが、とりあえずはこれ以外の手段はない。  
壬生屋は穏やかに眠っている。着替えさせる段階では皮膚や骨格に異常はなかったと思う。  
しかし改めて検査を受けさせる必要はあるだろうか。  
傍に座る。すうすうと静かな寝息。  
──壬生屋を傷つけることなく昏倒させる男。  
幻獣と同じ気配で、人間と同じ姿。ありえない話だが、事実だ。  
「ぅ……ん……」  
微かな呻きに思考は断たれ、俺は壬生屋に声をかける。  
「壬生屋、解るか?壬生屋?」  
部屋の明かりで眩しそうに瞼が歪み、そろそろと開く。  
 
「瀬戸口、……さん?」  
戸惑いながらも俺を確認してくれた。心底安堵し、確かなものにしようと言葉をかける。  
「よし、どうだ?身体や意識におかしい所はないか?」  
壬生屋は目を閉じ、数秒してから言った。  
「……はい、大丈夫みたいです」  
壬生屋ほどの剣術家ならどんな身体の異常も察知できるだろう。この報告については信頼して良い。  
目を開けた壬生屋はきょろきょろと周囲に視線を送り、動揺を増大させたようだった。  
「あの、ここって、……」  
まぁ、当然の問いではあるか。  
「俺の部屋だ。お前さんの家は遠いからな、勝手に連れ込んだって訳だ」  
「つ、つれこんだ……っ!」  
羞恥と興奮で紅い顔。だが、これで良い。  
少しでも倒されたという事実から遠ざけるべきだろう。精神的なショックを受け止めるだけの  
姿勢を作らせる時間が必要だ。  
意識してからかう表情を作って、軽薄そうな声で言ってやる。  
「思ってたよりもいい身体だったぞ。ご馳走様、壬生屋」  
「〜〜〜〜〜っ!!」  
そうだ、怒れ。  
今日だけ、というのは無理だろうが、あと十分でもさっきの事を忘れていろ。  
お前の強さが戻るまで。  
「目が覚めたなら何も出来ないか。ま、後は好きにしたらいい」  
俺は返事を聞かずに部屋から出ようと立ち上がる。  
「……ありがとうございます」  
見れば、俺の思惑は見抜かれていたらしい。壬生屋はやや沈んだ表情で感謝の言葉を述べていた。  
やはりそう簡単にはいかないか。  
俺は壬生屋の傍に座り直し、努めて事務的にこれからの事を訊いた。  
先ほどの事も訊きたいが、壬生屋が言い出すまで待つべきだろう。  
「胴着なら今洗ってるところだ。乾燥機なんてないからな、その服で帰るか?嫌なら学校のお前さん  
 のロッカーから制服を持ってくるが?」  
流石に濡れきった胴着で帰るとは言い出さないだろう。  
 
壬生屋は数秒だけ考え、少しは力強くなった声で答える。  
「では、制服を持ってきてもらえますか?」  
「解った。一応鍵をかけていくからな」  
壬生屋の精神状態は決して十全ではない。その顔の翳りは深く、一方的に倒されたという事実が  
首をもたげ始めたに違いない。  
……ゆっくり行ってくるか。俺が出た後、相応の揺り返しがやってきても不思議ではない。  
 
 
壬生屋の制服を持ったまま、俺は鍵を開ける前に十分ほど時間を潰した。  
揺り返しの最中に出くわすなどという馬鹿は避けたいものだ。  
『こんこん』  
ドアをノックする音。俺ではない。  
「瀬戸口さん、大丈夫ですから、入ってもよろしいですよ?」  
薄いドア越しの声は平時と同じ響きだと思う。壬生屋自身も大丈夫だと言っているなら、  
まず問題はないだろう。  
「……入るぞ」  
俺は声をかけ、鍵を取り出した。  
 
 
「たしかにショックですけど、そんなに落ち込んでられませんから」  
テーブルについてコーヒーを飲みながら、壬生屋は落ち着いた表情で言う。  
明らかに長すぎる袖を持て余しつつも、その所作に鈍さはない。  
体調は元通りのようだ。いつもの元気さには若干届かない感じはあるが。  
 
壬生屋はその時の状況をとつとつと語る。  
「公園前を過ぎようとしたら、僅かですが何か得体の知れない気配を感じて……」  
園内に踏み込むと、奴がいた。黒ずくめの男。  
「例の通り魔だと感じてしまって、声をかけようと思った瞬間に、……人間ではなくなりました」  
幻獣をそれこそ間近で見続けた壬生屋がこう言うのなら、あれは、幻獣なのだ。  
その表情はより硬くなる。  
「答えは返ってこないだろうなって思いながら、誰なのかを訊きました。  
 ……その人、その者は何も言わず手刀を首に当てたんです」  
挑発行為だな。こうして見せろと言ったのだ。  
ごくりと細い喉が鳴る。恐らくはその時も同じ事をしたのだろう。  
「……今でも信じられません。その手が、研ぎ澄まされた名刀のように見えました。  
 振り下ろされて、切り裂かれる私が、頭に浮かびました」  
自らの震えを止めようと身体を抱く壬生屋。  
今日はここで終わらせよう。ここから先は危険だろうと思った。  
「もういい」  
強めの声での命令する俺に、従う事なく言葉を続ける。  
「……怖かったです。だから、間合いを詰めながら持っていた傘を振り上げて、その時に解りました。  
 完全に見切られてるって。予備動作だけで、私がどこを斬ろうとしているのか見切られてるって。  
 何百と繰り出しても絶対に当たらないって解った直後に、意識がなくなりました」  
伏せられる顔。なくなったのは意識だけではないはずだ。  
「明日から、やり直しですね……」  
これまでに築き上げた自信も、元に戻せるといいが。  
そして顔があがる。真剣な目で、俺に感謝の言葉を述べた。  
「ありがとうございました。この恩は、必ず返しますから」  
真摯な眼差し。真っ直ぐな意志。  
「ああ。……いつでもいいぞ」  
出来る事ならもう少しだけ先にして欲しいものだ。今の俺には、それを受け取れるだけの資格はない。  
壬生屋の純真さに触れるような手をもっていない。  
 
「────」  
その瞳に違った色が混じる。  
期待と、興奮。  
この間の続きを聞けるのだと思っているようだ。  
それらが失望に変質するのはそんなに先の事ではない。俺がなにもしなければ、だが。  
ちゃんとしてやりたいから言った。  
「もう少し待ってくれるか?」  
疑問で埋まる視線。  
「お前さんも知っている通り、俺は結構な付き合いがあってな。……全部、断ってからだ。  
 そのほうがいいだろう?」  
俺もそうしたいのだ。こいつの本気を同じくらいの本気で受けたいと考えるほどに、  
俺は惚れこんでいる。  
この言葉も事実上の告白だ。  
壬生屋はそれに気付き、頬を染め始める。  
「出来るだけ早く、そうして下さいね、瀬戸口さん」  
恥じらいが僅かに滲み出す穏やかな表情。  
雨は止んでいる。帰すには丁度いい頃合だ。  
だが、もっと見ていたかった。  
 
 
翌日。  
昼食時間に小隊の全員を会議室に集めた善行が、政府広報の男を皆に紹介する。  
それまでの経緯も説明していた。  
全滅した士魂号小隊の事は言わなかったが、それは正しい事だと思った。  
『プルルルルル』  
善行の傍にある電話が鳴る。  
受話器を取り、すぐに戻す。そして一言。  
「出撃です」  
 
 
今回の敵勢力はとにかく数が多く、しかしスキュラやミノタウロスが含まれず、さらには足の速い  
きたかぜゾンビすらもいない。  
『群れ』としか言いようがない進軍。個々の判別が困難な程に密集した隊列。  
──おかしい。  
幻獣も馬鹿ではない。  
数は確かに力だが、俺達の小隊が相手だと解るとすぐに分散して各個撃破を狙ってくるのが常だ。  
今日はそうしない。固まったままこちらにじりじりと寄ってくる。数頼みの強襲、でもない。  
これならば良い的になるだけだ。なのに、散ろうとしない。  
──おかしい。  
「変ですね」  
俺は口に出し、善行の言葉を促す。  
善行も不審に思っているようだ。  
「……ですが、この一群以外に敵は見当たりません。手早く片付けましょう」  
言葉通りに周囲は全く敵影がない。  
が、それならば迷う必要もないか。  
善行の指示に従って三機の士魂号が走り出す。  
スカウトは念のために後方にいるトレーラー付近で待機させる。  
士魂号から送られるヘッドカメラの映像を眺めながら、これならば全くの無傷での勝利になるだろうと  
確信する。二番機、三番機のジャイアントアサルトの火線が幻獣の群れに吸いこまれていく。  
一番機は着かず離れずの距離を保ち、うまく注意を引きながら突撃の機会を窺っている。  
……やはり、うまく行き過ぎている。胸の不安が高まる。  
「何だ……?」  
突然に全ての幻獣が背中を見せて敗走を始めた。  
驚く前に呆れてしまった。このような行動は初めて見る。これだけの数で来て、数体倒されただけで  
撤退するのか。  
不安が一気に高まった。  
変だ。絶対におかしい。  
士魂号のパイロット達も戸惑っているらしく、追撃は鈍い。  
散り散りになる幻獣。そして、全身に渦巻いていた不安の理由が解った。  
 
「え?」  
東原の声だけが響いた。  
回線を開いているパイロット達も、善行も、俺も、何も言えない。  
平坦な野原には六つの塊があった。  
そのうち三つは小隊の士魂号。残りの三つが敵。  
「え、ええ?たかちゃん?」  
東原は混乱している。無理もない。  
俺達は、なおも言葉を出せない。混乱もあるが、緊張が一番の理由だ。  
正直、スキュラやミノタウロスだけでの編隊のほうが楽に戦えると思う。  
士魂号三機とそのパイロットにはそれだけの強さがあるからだ。  
だが、この相手には通用するのか。  
「瀬戸口君、分析を開始して下さい」  
無言で善行に従った。赤外線等でその相手を照らし出す。  
見慣れた形。当然だ。この小隊になくてはならないものが、写っている。  
『ごくり』  
無意識に唾を飲み込んでいた。  
動力源は、意外にも二つだった。それだけでも脅威的になるだろうか。  
生体装甲が幾つも重ねられているらしく、ごつごつと全体が盛り上がっている。  
黒い大岩のような外見。ミノタウロスに似て、決してそれと同じではない。  
『なぁ、厚志。新型、だよな?』  
通信回線から滝川の声が弱々しく聞こえる。  
『……だったら良かったんだけどね』  
答える速水も緊張を隠そうとしない。  
俺も同意する。全くだ。新型であって欲しかったが、どうやらそうはいかないようだ。  
繭のように固まっていた四肢が解かれ、ゆっくりと立ち上がる敵。  
「こんな手があったとは……私もまだまだ、ですね」  
善行の呟き。誰が予測できただろう。  
士魂号が幻獣に乗っ取られるという事件を。  
 
『アサルトは通じないな、ありゃあ』  
『……だね。バズーカ取ってきてくれる?』  
『近接戦なら、私の出番ですね』  
『待て。連携を怠るな。各個撃破されるぞ』  
パイロット達はいち早く対応策を練っている。善行は止めさせる事なく沈黙し、重い決意を感じさせる声音で  
通達した。  
「既に察しているかと思いますが、目前の敵はあなた達だけを目標にする存在のようです。  
 細かい指示は与えません。各々が適当だと考える行動を取ってください。  
 今回の戦闘ではあらゆる損害も認めます。命令は二つ。  
 敵戦力を完全に殲滅せよ。不可能であれば、可能な限り損傷を与え、戦死せよ。  
 ……我々も撤退しません。安心して戦ってください」  
時は満ちたとばかりに動き出す戦い。  
二番機だけが離脱し、一番機に二匹、三番機に一匹が襲いかかる。  
俺の視線は一番機からの映像に固定され、両手はあらゆる回線を遮断し、  
そして口は大声をあげていた。  
「何言ってるんだ、あんたは!」  
一番機が両手持ちに改良された超硬度大太刀を振り上げ、振り下ろす。  
「戦死しろ、だって!?ふざけるな!」  
黒い装甲に衝突し、激しい火花が散る。  
次の瞬間には砲撃のような突きが炸裂する。  
「どんな理由でそんな命令をするんだ!?言ってみろ!」  
 
しかし、通じない。  
硬い装甲に僅かなへこみを作るのが精一杯だ。  
「士魂号が幻獣に乗っ取られるという事実をもっと深く考えてください」  
太く唸る四本の腕。一本の剣では捌き切れる筈がない。  
「限りなく人間に近い兵器が乗っ取られる。即ち、人間が幻獣がに乗っ取られるという可能性も  
 少なくない、いえ、非常に高いと考えるべきです」  
黒い嵐から必死に逃げながらも剣を突き出すが、効果は無に等しい。  
「見ての通り、相手は近接戦闘に特化されています。肘から先が長く、太い指もあります。  
 間違いなく生け捕りを最優先にした武装です」  
左手首が掴まれ、どこからか飛んできたジャイアントアサルトの弾が直撃してごつい手が離れる。  
安心する暇もなく突き出される腕。  
「もし彼らが捕らえられ、敵として現れた場合、どれだけの脅威になるのか予想が出来ますか。  
 総合的な能力では他を圧倒する三番機、得意分野ではその三番機すら上回る一番機、二番機」  
伸びてくる腕の連携が巧みになっていく。  
二匹交互に、上下左右から。  
「それを操るパイロット。彼らでも倒せない幻獣。  
 ……止めるとしたらどれだけの戦力が必要ですか。私には想像もつきません」  
剣を繰り出す隙さえも殆どない。挽回の可能性さえも摘み取ろうと襲いかかる四つの棒。  
「……死んだ状態なら、乗っ取られる可能性は下がるでしょう。乗っ取られたとしても、  
 生前の能力は完全に発揮出来ないはずです」  
後退に次ぐ後退。相手は元士魂号単座型だ。その追い足は速く、離れるのも難しい。  
「その為の戦死命令です。恐らくは彼らも理解しているでしょう。  
 ……不本意ですが、この命令はしなければならないものなのです」  
止まった。  
二匹の人型幻獣は激しかった追撃を止め、こちらの隙を伺っている。  
「出来る限りの情報を集め、信じて待つしかないのですよ、我々は……」  
剣が下がって見えなくなった。  
一番機は構えを解いてしまったのだ。  
 
俺は慌てて回線を繋いだ。  
「おい、なにしてる!剣士が剣をおろしてどうするんだ!」  
動作は止まらず、納刀は完了した。  
好機とばかりに迫る幻獣。  
「壬生屋!構えろ!」  
『……瀬戸口さん』  
落ち着いた声だ。絶対に窮地なのに慌てる素振りを感じさせない。  
──諦めた、のか。  
四つの手が同時に迫る。  
捕らえられ、壬生屋が気を失うか抵抗の意志をなくするまで乱打されるのだろう。  
こんな事なら、昨日はっきりと言っておくべきだった……すまない、壬生屋。  
『私、自分を剣士だと言った覚えなんてありませんよ?』  
腰が沈んだかと思うと、視界を埋めていた幻獣が消えた。  
「な、に……?」  
ずずん。二連続で岩が落下したような音が響いた。  
一番機が振り返ると、起き上がろうとしている幻獣。  
『古くから代々伝わる武術の継承者です。私はそう思っていますが』  
冷静さを保ったまま、二方向からのタックルを視認するようにカメラが動く。  
そして左右に機体が揺れる。  
ずずん。幻獣が、仰向けに倒れた。  
『剣が通じないこの幻獣は確かに脅威ですけれど、人間として扱えるならどうという事は  
 ありません。いくらでも手があります』  
再び起き上がった幻獣が拳を固めて、繰り出す。  
「……っ?」  
不可思議な視界の変化に俺は翻弄された。  
いつもの直線的な機動ではない。流れるような滑らかさ。  
『オペレーター、聞こえますか?』  
不意に聞こえた丁寧な言葉。咄嗟に誰なのか理解出来ず、ようやくその主を思いつく。  
「岩田、か?」  
『あれは、本当に、一番機ですか?』  
政府広報が持つカメラの映像を画面に出し、俺も同じ事を思った。  
超硬度大太刀を振るわない一番機がそこにいたのだ。  
 
次々と飛んでくる幻獣の腕を紙一重で避け、カウンターの打突で牽制し、隙を逃さずに投げる。  
起き上がろうとするところに容赦のない前蹴り。もう一匹が立ち上がらないまま苦し紛れのなぎ払いを  
繰り出すが、その腕すらも掴まれ、投げ飛ばされる。落ちたところには相棒がいて、無様に転げまわる。  
幻獣とて黙ってやられている訳ではない。ないのに、圧倒的に一番機が勝っている。  
二本の腕で一匹の両腕を完全に極め、もう一匹の襲撃をしっかりと見据え、膝を屈めて旋回。  
身体を跳ね上げ、またしても幻獣達が仲良く重なる。  
いや、前とは違う。投げられながらも一番機の手首をふたつともしっかりと掴みやがった。  
しかし一瞬だけだった。電光のように一番機の爪先が幻獣の両肩を抉る。がくりとその指が開き、  
一番機は脚を振り下ろすついでに深く踏み込み、両の双掌で叩く。  
トンにして二桁を超える重さの幻獣が景気よく吹っ飛び、その隙を逃がさないとばかりに  
地に這いつくばっていた幻獣が一番機の両足首を狙う。  
雑草ごと目的を捕らえようとする手が空振り、宙に浮かんでいた一番機が強烈な足刀を幻獣の頭頂部に  
見舞う。反動を利用して十メートル程の距離を後退する一番機。大胆な攻めから一転して、慎重な  
待ちの体勢だ。  
起き上がろうとする幻獣のすぐ横をもう一匹が走り抜ける。一番機は動かない。  
そして幻獣は腕を伸ばして再度捕獲の機会を掴み、  
『馬鹿、ですね』  
一番機は幻獣の肘を掴み返した。  
びくびくと全身を震えさせ、太い指が対象を解放してしまう。  
すう、と自由になった手をあげる一番機。横から襲いかかる幻獣の拳を狙ったように捕らえ、  
指の一本を捻ると、壬生屋の断定の声。  
『人差し指ですね。残りは親指と中指ですか』  
二匹は完全に動けない。がくがくと痙攣するのが精一杯だ。一番機の手が的確に神経のツボを突き、  
あるいは痛みを最大限に引き出す関節技を極めている。  
自分は剣士ではないと壬生屋は言った。正しくその通りだろう。  
急所を突く打突や重量や重力をものともしない投げ。加えて掴むだけで極まってしまう関節技に至っては  
剣士に出来る事ではない。人体に精通する戦い方。代々伝わる武術の継承者との言葉は、正しい。  
 
拘束に飽きたのか、一番機が身体を傾けながら膝を曲げ、伸ばす。二匹の幻獣が宙に浮いて、頭から大地に  
突っ込んだ。  
すぐに跳ね起きる幻獣が捕縛か殴殺を達成すべく行動するが、最早触れる事さえ難しい。  
時間を追う毎に壬生屋は相手の実力を把握し、恐らくは出来る事と出来ない事を細かく言い当てるだろう。  
ふと俺は思った。  
ケンカの素人二人と武道の達人一人ではどちらが強いか。答えは考えるまでもなく決まっている。  
壬生屋は言った。剣が通じない幻獣は脅威だが、人間として扱えるなら問題はない、と。  
全くその通り。その武術は異形を狩る為に創られ、実績を上げ、それを疎ましく思う人間をも排除し続けたのだ。  
両方に勝てるから、今に伝わる。数も質も、道具も罠もはね返す積み重ねなど想像もつかない。  
それほどに壬生屋家の業は強かったのだ。  
『……遅い、ですよ。そんなものが通じると思っているのですか』  
壬生屋は呟きながら幻獣の攻撃を捌く。  
いつもなら感情を押し殺した気迫の声をあげるものだが、恐らくは戦死した兄との稽古を思い出している  
のだろう。その言葉には大量の感情が載せられている。  
『もっと強かった。兄上は、こんなものじゃなかった。兄上を、帰しなさい……っ!』  
今まで溜め込んでいた想いをぶつけるように一撃一撃が重く、鋭い。  
突然の警報に殴られ、俺は事態の確認に移る。  
「二番機、大破だと?」  
パイロットの生死は、  
『こちら滝川!予備の士魂号で掩護に行きます!』  
やたらと元気な報告で確認が取れた。  
「怪我はないか?」  
『平気です!何してたんですか?トレーラー狙われてましたよ!』  
「すまん。ちょっとな」  
滝川の位置を示す光点がトレーラーに向かっていく。  
三番機の点が幻獣のものから遠ざかっている。どうやら何とかしたらしい。  
『よしっ……一番機、やれる?』  
速水のやや落ち着いた声。壬生屋も同じような雰囲気で答えた。  
『一対一ならやれます』  
『もうすぐだ。耐えろ』  
芝村の言葉が終わると同時に広報のカメラが丘を迂回して来た三番機を捉える。  
 
片膝をついて、ジャイアントアサルトから凄まじい速射が始まった。  
遠距離と言っていい間合いであるのに膝の裏や腰に集中して着弾し、幻獣のものではない赤い体液が噴出す。  
……くそ、人間の血で動いてるのか。  
射撃に晒される人型幻獣が振り返り、これ以上撃たせるものかと突進を始める。  
画面手前での均衡も破られた。  
『はっ!』  
壬生屋は気合とともに苛烈な打撃を連続で叩き込む。  
ごん!ご、ごん!  
上半身の装甲の隙間に拳が刺され、幻獣がよろめいた直後に斬撃とも呼べる水面蹴り。  
払われた足が高く上がり、直後に足首を掴む一番機。  
『やぁ!』  
その腕が半円を描き、背中から落ちるはずだった幻獣の身体が反転し、腹から着地する寸前に  
黒い身体を刀が真っ二つにしていた。真っ赤な体液が飛び散り、一番機を染める。  
背の装甲は薄く、前面の装甲も内側から攻撃には弱かったのだ。  
そして三番機の切り札が炸裂した。  
爆風から身を守る為、政府広報と岩田、そして一番機がミサイルを撃ち始めた三番機から離れた。  
『くそ、こんなに……っ!』  
速水の判断は決して間違いではない。確実に損傷を与えるべく出来るだけ引きつけての発射。  
なのに、回避される。腐っても士魂号なのだ。機動力に関してはミノタウロスの数段上だ。  
さらには当たりそうなミサイルに自らの装甲の千切りとって投げつけることで直撃させない。  
数発は当たっている。しかし止まりはしない。  
『チィッ!』  
芝村が舌を打ち、それでも幻獣の装甲は砕けない。  
脚や頭部には大きな亀裂が生まれているようだが、腕と胸はまだ耐えるだろう。  
突進は止まらず、それどころか速度を落とさずに三番機の目前まで迫った。  
続行するミサイル発射と、至近距離からの爆圧が二人のパイロットを激しく揺さぶる。  
機体も確実に損傷を受けている。  
『……っ!止め……ない…か!?』  
『無理……!』  
とうとうミサイルは撃ち止め。三番機は黒焦げで、膝をついた姿勢で指一本動かせない程のダメージ。  
そして幻獣。僅か数メートルの距離で動いている。  
 
豪腕だけが機能している。がっちりと組ませ、高々と振り上げられた黒い塊。  
一番機が止めに入ろうと疾駆するが、間に合う筈がない。  
振り下ろされる黒鎚。  
『「────…………っ!」』  
誰もが言葉を失い、一際大きな音が辺りに響き渡った。  
大きな塊が奇妙に歪み、ぐらりと揺らいで、沈む。  
「……二番機、敵幻獣を撃破」  
安堵を噛み締めながら俺は言った。紙一重で、二番機のバズーカが間に合った。  
「滝川君もやりますね、未調整の士魂号で長距離射撃を成功させるとは、大したものです」  
「……ですね、戻ってからちょっとは褒めてやりましょうか」  
善行も心底ほっとしたようだ。無理もない。  
これほどの危機は初めてだった。一番機だけが無事で、二番機は中破。そして三番機も動けない。  
「お前たち、怪我は?」  
『外傷はない。ひどく気分は悪いがな』  
『僕も大丈夫です。壬生屋さんは?』  
『何ともありません。ハッチは開かないのでしょう?今、助けてあげますから』  
鞘に刀を収めた一番機が歩き出す。壬生屋も相当に疲れているのだ。  
慣れない素手での戦闘に、普段の何倍もの精神力を費やしたのは当然だろう。  
力を抜いた善行が言う。  
「さて、帰ったら準竜師に陳情しなければなりませんね」  
「ま、修理には時間がかかり過ぎるでしょう。それしかないと思いますよ」  
これだけの損傷はまず直せないだろうな。整備班は激怒するかもしれないが、現時点では入手が  
困難とされる士魂号よりも、生きた四人のパイロットの方が数段重要だ。  
盾としてその場しのぎの捨て駒。しかし、なくてはならない剣に成長した。  
『希望』という例えが大げさではないくらいの戦果を挙げている。  
それを続けさせる為にも、すぐに新しい機体は来るだろう。  
 
『一番機、九時だ!』  
芝村の叫びに反応し、抜刀しながら向きを変える一番機。  
広報のカメラも同じ方に向けられ、生き残っていた幻獣を写す。  
『脊椎、外してたか』  
その相手は三番機が迂回した小高い丘に立っている。  
腹には背中から刺された超硬度大太刀が突き出ていて、出血はそれほどでもないか。  
速水の言う通り、急所を外したのだ。先端に土が付着している。一度は大地に縫い付けられたのだろう。  
俺達の目を気にせず、幻獣は刃を掴んで引き抜く。動作には力があった。  
じりじりと周辺の空気が変わるのが解る。  
二番機はまだ遠い。着く前にはやってくるだろう。  
「頼む、壬生屋」  
手負いだからといって油断は出来ないが、それでも壬生屋なら倒せる。  
不安は拭えない。だが、やってくれると信じるしかない。  
『了解』  
短い返答。一番機が数百メートル離れた敵に向かって走りだし、すぐに止まった。  
「……何だ?」  
幻獣はまだ動く。超硬度大太刀だけではなく、脚や腰、背中の装甲も取り除いている。  
限界まで満ちていた緊張が、さらに重さを増す。  
装甲が残っているのは胴体の前半分と肘から先だけ。  
身軽になり、腰を低くした幻獣の両足がありえない太さに膨張する。  
どくどくと赤く脈をうち、倍近くはあるだろう。この戦闘が終われば、間違いなく使い物にならなくなる。  
こちらの士魂号にはやれない事だ。  
 
醜い頭部をかばうように腕が組まれ、爪先を深く地中に食い込ませるように地を踏み締める。  
「そう来るか……」  
奴の策は明確だ。  
あの脚力で一番機に体当たりをして、そのまま馬乗りになって殴る。それだけだ。  
ぶ厚い装甲は剣を通さない。脚を斬っただけでは勢いは止まらない。まず間違いなく奴の狙い通りになる。  
仮に、引きつけてから側面に回りこんでの斬撃を狙ったとしても、あの長い腕が広がってしまえば  
簡単に阻止出来るか。さっきと同じ殴り合いになったら?機動力の差が大きく、不利なのは明白だ。  
二番機が着いても射撃での援護が難しくなるだろう。  
許されるのは正面撃破のみ。  
壬生屋も完全に剣で倒すつもりらしく、中段の構え。  
……やれるのか。あの装甲に剣が通じない事は知っているはずだ。だが、壬生屋が思考し、選んだことだ。  
全てを託せるのはやはり剣なのだと無言で宣言している。  
すう、と一番機が上段構えになった。  
『──っ、すごいな』  
『ふむ、流石だ』  
三番機の二人が何かを確認し合っている。  
「どうした?」  
『……物凄い気合いですよ。邪魔しちゃ駄目ですよ、瀬戸口さん』  
……そうだな。何か言ってやりたい気持ちはあるが、それは帰ってからにすべきだ。  
今は見守るしかない。信じて待つしかないのだ。  
 
 
しん、と全ての動きが止まっている。  
草木も大気も、空間から心までも。  
それほどに固形化した雰囲気が俺達を支配している。  
一番機の持つ大太刀が陽光で輝き、対する幻獣は塗りつぶされたような黒と赤が光を吸い込んでいる。  
鋭い静寂はなおも続き、  
「……来たか」  
破ったのは幻獣だった。  
ごごご、と地鳴りにしか聞こえない走行音を発しながら迫ってくる。  
一番機は動かない。敵が間合いに入るまで待ち、そして斬るつもりか。  
耳に入らないだろうが、それでも言わずにいられなかった。  
「出来るのか、それは」  
連続した大地の打撃音は最初だけだった。  
『ごおっ!』  
暴風という例えでは完全に不足している。下手な竜巻を凌駕する勢いで腕が届かない範囲の草花を弾き飛ばし、  
その数倍も離れた木々すらも纏っている大気で薙ぎ倒す。  
影響を与える領域は時間と共に幅を広げている。一番機に近づく程、速度が増しているのだ。  
赤黒い脚も漆黒の装甲も、最早流れる色でしかない。  
殆ど目視不能な速さ。二番機の全力走行でも不可能な疾走だ。  
恐らくは開発中とされる士翼号をも超えているだろう。  
加えて、  
「……ォォォォオオオオオ!!!!」  
脚がすくむ雄叫び。腹の底から震えあがってしまう威圧感。  
心臓が抉られるようだ。スキュラに睨まれても、これほどの恐怖は感じないだろう。  
──駄目だ。あれに勝てる人間はいない。あれを倒せる兵器は存在しない。  
唇を噛み、無理やりに開きかけた口を閉じる。  
逃げろなどと言ってはいけない。余計な邪魔はするな。  
壬生屋を信じろ、瀬戸口。  
一番機に収まる壬生屋が何事かを呟いていた。  
『あなた、最高です。最高に、綺麗に斬ってあげます……!』  
背筋が凍る。普段の熱さを全否定する声音。……壬生屋も、こんな化け物を飼っていたのか。  
時が止まったように動かない白い輝きと、狂ったように流動する赤と黒が交差する──!  
 
 
瞬間、  
弾けた白が彗星になり、  
赤黒い雪崩が加速され、  
落雷に似た音が炸裂し、  
全ての物音が消え去り、  
俺達の勝利が確定した。  
はあ、と誰かが溜め込んでいた息を吐いて緊張が解けた。  
「大した奴だな、全く……」  
文字通り一撃で斬ってしまった。  
真っ二つになった士魂号幻獣型がぐずぐずと崩れながら重なっていく。  
生命活動が完全に停止しているのか、派手な体液の発散はない。  
ずしずしと滝川の操る予備機が動かない二機に近づいてきた。  
『大丈夫か、みんな!』  
『滝川止まって!』  
何を考えているのか、速水は滝川の接近を止めさせた。  
壬生屋は気絶している。俺が起こしている間に滝川が二人を出すのが適切だと思うのだが。  
少しでも早く戻る為にも、無駄に時間を費やすのは避けたいところだ。  
「速水どうした?」  
『まだ剣気が収まってないんですよ。傍に寄ったら……多分、斬られる』  
速水の声には冗談を思わせる響きが全くない。  
俺は手を動かしながら改めて一番機からの情報を確認する。  
間違いなく気絶しているはずだ。それでも戦える状態なのか。  
文字通り身体の芯から武術家らしい。  
「……よし、戦闘モードを切ったぞ。滝川、三番機のハッチを開けてくれ」  
『了解』  
二番機が三番機に張り付いて焼け付いたハッチをこじ開け始める。  
俺はトレーラーを呼び寄せ、隣の東原が壬生屋に呼びかける。  
「みおちゃん、あさですよー!」  
のん気な口調だが、とりあえずは平時の穏やかさが戻った証拠だ。  
 
一番機の回線からも寝起きを思わせる声が聞こえる。  
『ん、……はい、起きます……から……』  
毎度の事ながら、渾身の一撃を繰り出す毎に失神してしまう壬生屋が少し可哀想だ。  
何も着けていない生身状態やウォードレス姿ではいくらでも動けるのだが、  
士魂号に乗ってしまえばそれだけで脳の揺れは何倍にもなり、簡単に限界を超えてしまう。  
こればかりは対策のしようがない。鍛錬で克服出来る類なのだろうか?俺には解らない。  
三番機の二人が何やら話し合っている。  
『最後の振り下ろしは見事だったな、厚志』  
『だね』  
……最後、の?  
幻獣には一つの断面しかない。よく見れば、腕の装甲は半分ほど裂けて肩から抜け落ちているか。  
壬生屋の剣は組まれた腕に阻まれ、しかし勢いを失わずに幻獣を切り伏せた。  
俺にはそう見えた。一撃で仕留めたはずだが。  
「速水、一発じゃなかったのか?」  
速水は迷いなく答えた。  
『戻ってからスローで見れば解りますよ』  
ごそごそと開いたハッチの隙間から速水と芝村が出てきた。  
二番機が振り返り、滝川が呼びかける。  
『一番機、聞こえる?』  
『……はい、聞こえます、大丈夫です』  
『おっし。三番機、運ぼうぜ』  
『了解です』  
そしてトレーラーのエンジン音が近づいてきた。  
 
 
「ったく、これはこれは」  
俺は会議室で先ほどの戦闘を見直して、納得した。  
巻き戻してもう一度再生する。壬生屋の最後の一撃。  
緩やかな曲線が光を残しながら幻獣に振り下ろされる。  
次のコマ。腕の装甲に激突し、切断まで至らず肩から両腕を千切り落としていく。胴体に剣先は当たらず、無傷だ。  
次。落下する腕が接地すると同時に突きが入っていた。正確に士魂号の心臓部を貫いている。  
次。僅かに間合いが詰まる。幻獣の突進は止まらないが、壬生屋の剣も止まらすに引き抜かれた後だ。  
次。再度の突き。コクピットの中心。もう一つの心臓があったところだ。  
次。剣先が股の下まで通っていた。切断面は頭頂部からだ。刺したまま力で押し斬ったのではない。  
剣が抜かれ、上段に振り上げられて、振り下ろされる動作が撮れていない。  
陽射しが反射する事さえ出来ない速さで、加えて火花すら生ませない技量での斬撃だったのだ。  
ここからは両者とも動かない。暫くしてから腕のない幻獣が崩れる。  
体液を撒き散らさないのも当然。二つになる前に、両方の心臓が止まっていたからだ。  
「いい宣伝になりますね」  
隣にいる善行がまるで他人事のように呟く。  
が、俺も同じ意見だ。  
「抜群ですよ」  
これを見て嘆息しない者はいないだろう。  
人型戦車の真価を発揮している映像だ。これなら俺達の小隊があげている戦果を納得させる事が出来る。  
……善行の読み通りになるな。  
新型が開発され、既存の型も量産に向かう。パイロットだけではなく整備員の育成にも力が入る。  
士魂号は禁忌の塊ではあるが、それの公表にさえ幾つもの策があるに違いない。  
──勿体無いと思う。この策士が関東に戻り中枢を握ったなら、頭の固い連中に出来なかった  
思い切った方向転換をやってくれるだろう。  
この小隊に居る時間は少なければ少ない程、良い結果をもたらすのではないか。  
決して目立たないが速水や芝村の姫にも劣らない善行。その能力を最も生かせるのは、狭い指揮車の椅子などでは  
ない。幸いにもここの仕事の真似くらいなら俺にも出来る。ならば。  
……またしても善行の読みが当たっているな。到底面白いとは感じないが、何十年も続くふざけた戦争が終わる  
なら、俺もやれる事をやるだけだ。  
 
「司令、関東に戻りませんか?」  
やや驚いた顔でこちらを見る善行。しかし一秒後にはいつもの雰囲気に戻る。  
「私は構いませんが、よろしいのですか?」  
最終確認か。まあいいだろう。  
「あんたみたいな腹黒い人は同類を相手にしてるのが一番です。俺達にうつさないようにしてもらいたい  
 んですよ。……爺さん連中とまともにやれるのは、司令だけだ。幻獣は、こっちで何とかしますから」  
眼鏡の向こうで様々な思惑が浮き上がり、混ざり合ってから沈静化する。  
むこうに戻ってからの行動を考えていたはずだ。それを抑えつけ、俺に意識を向きなおした。  
普段の冷たさを感じさせる声で善行は言う。  
「ではよろしく」  
「了解」  
言葉と共に俺は頷いた。  
 
 
報告書やその他雑用をやっつけてからハンガーに出向いてみる。  
左肩と腰部を吹き飛ばされた一番機。全身切り傷だらけの二番機に黒こげの三番機。  
予備だった単座も損傷が激しく、両膝から下がない。  
明日の朝一番に全機とも新調されるそうだが、……どうにも信じられない。  
準竜師自身が新しい機体と他の物資を約束した以上、それについては疑問など持ちようがない。  
信じられない事のひとつが、こうしてここに戻れたという現実。もうひとつの、それを成す事件も  
今だに飲み込めていない。本当に、あれは……  
──いや、考えるのは止めよう。報告書には記されていない出来事なのだ。  
なかった事に思考を割く意味はない。  
目の前ではそれぞれの整備員が使えそうな部品を片っ端から外している。その動きが重いのも無理はない。  
精根込めて整備した機体が、たった一日でこうも破損するのは完全に予想外だったろうな。  
「仕事、終わり?」  
振り返ると、ふてくされた顔の原がいた。  
「一応は。こっちはまだかかるみたいですね」  
 
形の良い眉に皺をよせ、仕方ない事だと表現している。  
「ま、これもこの子達の役目だって解ってるんだけどね。なかなか、そうはいかないのよ」  
並の戦車を遥かに越える手間をかけなければ動かない人型戦車。  
情がうつってしまうのはパイロットだけではなく、整備員もそうなってしまうのは至極当然だ。  
俺にとっては誰が当てはまるのか。  
「………」  
「………」  
不自然な沈黙を破るべく、半ば強引に俺は言う。  
「ま、誰も死なずに済んだのはこいつらのお陰ですよ。誰も悪くなんかないでしょう」  
昨日までは最高の整備具合だった機体。そうでなければ、欠けた人数は二人で済まなかっただろう。  
原を見ると気を持ち直したように「さて」と士魂号に向かって歩き始めた。  
俺も気が緩んだのだろうか、  
「壬生屋は、帰ったんですか?」  
何となく言ってしまった。  
原は振り返り、にっこりと笑いながら答える。  
「保健室で寝てるわよ。……しっかりね、瀬戸口君」  
 
 
ノックし、少し待っても返事がない。  
「入るぞ」  
俺は声をかけてから保健室に入る。  
暗い室内には壬生屋の静かな寝息だけが佇んでいる。他には誰もいない。  
「………」  
明かりを点けて傍に寄り、置いてあったイスに座る。きしりと僅かな音。  
壬生屋は全く反応しない。それだけ眠りが深く、今日の戦闘が激しかった証拠だ。  
それなのにきっちりと胴着に着替えてから眠りこける辺りは流石だと言わざるを得ない。  
穏やかな寝顔。見ている俺の心もつられるように深くなっていく。  
……誰と居ても、こういう気持ちにはなれなかったと思う。  
貴重な時間が身に沁みるようだ。これが喪われる寸前になった、今日の出撃。  
 
「ぅ、……ん……」  
甘えるような声を小さく出しながら、壬生屋が目を細く開く。  
「瀬戸口さん、……今、起きます……から……」  
頭の方は眠ったままだな。どうやら戦闘中に失神したのだと勘違いしているのだろう。  
俺は起き上がろうとする壬生屋の肩を押さえつけて言う。  
「寝てろって。もう終わったんだ。保健室だよ、ここは」  
壬生屋は室内を見渡し、俺の言葉を確認する。  
ふぅ、と小さい溜め息を吐いてから再び目を閉じた。  
疲れは残っているな。間違いなく。  
不意に今日の出来事が思い出され、胸に湧いた言葉をそのまま形にする。  
「よくやった。お前さんは強いな」  
何を思ったのか、苦笑いを浮かべて壬生屋は真っ白な布団から手を伸ばす。  
「握って下さい……お願いします」  
言われるままにか細い手を握ると、その震えが伝わってくる。  
「今更、怖くなってきました。全然強くなんかありません」  
その笑顔も無理やりに作っているのだ。  
時間の経過と共に震えは小さくなる。  
「瀬戸口さん、もう結構ですから」  
怖かったのは敵だけではなかっただろう。自分が世界から切り離されるのも怖かったはずだ。  
喪いたくないものなんて、それこそ無数にある。誰だってそうだ。  
「あの、聞いてますか?」  
理不尽な別れなんて当たり前の時代だ。なら、理不尽なくらいに強い結びつきをさっさと作ってしまえば  
いい。躊躇ってる暇などない。  
「もしもし?」  
今まで広げていた緩い絆。なくなっても、数日後には忘れてしまう繋がり。  
俺にも狂っていた時期があった。それを広げ始めた理由も、昔の事だ。  
「もしもーし。瀬戸口さーん?」  
あってないような不確かなものなど、特別なひとつに敵う道理がない。  
昔は昔だ。どうやっても手が届かない霞と変わらない。  
こうして掴める実体を持たない、幻。  
 
「よいしょ、と。どうかしましたか?」  
現実を見ろ。万人への愛は誰かを救うのか。支えにもならないのを自覚しろ。  
支えたい人がいるのなら、生きて欲しい人がいるのならもう止めろ。  
こいつは──どうしようもないくらいに特別なのだ。他の人と同列にしたくはない。  
「あ──きゃ!」  
抱きしめた。壬生屋は硬直しているが、構わない。今から俺の全てを注ぐと決めた。  
俺は壬生屋の耳元で宣言する。  
「壬生屋、俺の部屋に行くぞ」  
「あ、あの……」  
「お前を抱く。いいな」  
身体を離して正面から見詰める。壬生屋は戸惑い、羞恥を表しながらも小さく頷いた。  
 
 
俺達はほとんど無言で保健室を出て、校門を通る。  
月が明るい。周囲に他の人は居ない。風もなく、自然と繋いだ手に全神経が集中してしまう。  
微かに熱を帯び、一歩ごとに高まっている気がする。  
こいつの事だから、誰かが姿を見せればすぐにでも手を放してしまうだろうな。  
横目で壬生屋を盗み見る。  
既に緊張で表情が硬い。が、濡れた瞳に隠しようがない興奮を読み取れた。  
俺の視線に気が付いたらしく、綺麗な目をこちらに向けて壬生屋は微笑んだ。  
「瀬戸口さんは、あの部屋には誰も入れてないんですよね……?」  
そして珍しく穿ったような事を言う。  
当たってはいるのだが、その言葉を口にした理由を知りたくて俺も訊きかえす。  
「そうだな。その通りだ。……何でそう思うんだ?」  
「だって、瀬戸口さんの匂いだけでしたから」  
しっかりしてるな。壬生屋も女の子、という事か。  
……そうだ。俺は誰も入れなかった。相手の部屋に行くのは何度もあるが、招き入れる事は一度もなかった。  
情を交わす時もそういった施設を利用し、そうでなければ相手の部屋で済ませてきた。  
心を許せる人ではなかったからだ。  
 
それなりの外見をしているのは自覚しているし、やってくる相手には相応の態度を示した。  
誰にも溺れないように距離をおいて、溺れさせないように突き放す。決して悟られないように注意深く。  
選ばない、という偽善。選ばせない、という自己満足。  
今だから解る。  
無意味だ。あまりにも無意味過ぎる行為。何も残らず、残させない行動。  
それなのに止めれば相応のしっぺ返しは確実だ。  
──馬鹿野郎が。本当に、馬鹿だったな。  
「瀬戸口さん?」  
やや困惑の表情で壬生屋が俺を見つめていた。  
「悪い、ちょっとな。……なあ、明日から、格好悪いところを見られると思うけどな、……」  
強引に断ち切るのだから、俺もただでは済まないだろう。  
壬生屋は様々な感情を混ぜた顔で俺を見ている。  
「俺は、お前を選んだ。絶対だ。他のヤツなんてどうでも良いと思ってるからな」  
決めた。もう戻らない。ずっとこいつだけを見ていよう。  
壬生屋足を止め、数秒してから微笑む。  
「……信じてます。私も、覆らないと信じてますから」  
 
 
窓から月光が斜めに差し込んでいる。  
カーテン越しではあるが、電灯を消した室内を十分に照らしてくれている。  
俺は淡い光沢に満ちるベッドに腰掛けている。下着だけの状態だ。  
壬生屋は部屋の中心で同じく下着姿になっていて、俺に背を向けて立ち尽くしていた。  
黒い髪。無駄なものを削ぎ落とし、しかし女性らしい丸みが残っている肢体。  
下半身の下着はぴっちりと張っていて、男ならば誰もが覚える安心感を醸している。  
月の光から逃げるようにその場から動かない。恥ずかしさを抑えつけようと自らの身体を抱いている。  
緊張、してるな……。  
俺は無言で立って、壬生屋のすぐ近くまで行く。  
明るさと暗さの境目が俺達を隔てている。早くこちらに来て欲しいと思うが、急ぐのも馬鹿らしい。  
僅かに俯き、気配を察した壬生屋が躊躇いがちに言った。  
「あの、私っ……その……」  
消えてしまいそうな小さい声だ。  
確かなものにしたくて抱きしめる。  
「──っ!」  
びくりと跳ねる身体。  
緊張するな、などと言葉をかけても逆効果だろうな。ゆっくりと手を動かし、表面を覆う緊張を解そうと  
力を入れずに撫でる。  
「ぁ……っ………」  
張り詰めた肌が心地よい。少しも指を食い込ませないように、ただただ撫でる。  
腕を伸ばしてより抱きしめるように腰に手を伸ばし、もう片方は胸の下着をさする。  
快感を呼ぶに至らない興奮だけを煽る行為だ。なのに、壬生屋の口からは色めいた吐息が何度も溢れる。  
綺麗な髪に寄せた鼻から甘い匂いが沁みこんで来て、  
俺も壬生屋と同じように興奮が高まり、もっと激しくしてやりたくなるが、我慢だ。  
「ん、んん……く、ぅん……」  
声を堪えようとする仕草がたまらない。まだ恥ずかしいのだろうか。  
少しだけ我慢できなくなった俺は壬生屋の肩口に顔を埋め、囁く。  
「そんなに、我慢するな。俺しかいないんだぞ。安心しろよ」  
俺の言葉を聞き届けた壬生屋は意を決したらしく、包む腕から身体を抜いて、振り返る。  
 
震える瞳と唇。高すぎる鼓動を静めるように息を繰り返して、はっきりと言った。  
「瀬戸口さん、……私を、汚してください……」  
そして俺の胸に飛び込む。光が当たり、昂揚で染まる肌がきれいだと思った。  
大きすぎる興奮と不安、そして僅かばかりの羞恥を隠そうと壬生屋は俺の胸に顔を埋めている。  
熱い吐息が何度も鳩尾から臍へ流れ落ちる。  
一体、どんな表情をしているのか。俺は言葉をかけずに細い顎をつまんで、持ち上げた。  
「…………」  
眉間にぴくぴくと皺が現れては消える。この後の行為に不安を抱いているのがよく解る。  
──そういえば、唇を重ねるのも今が初めてだったか。  
俺にしては珍しい、いや初めての事件と言える。それだけ、大事にしたいと意識しているのだろうか。  
顎から手を放さず、もう一方の腕で抱き寄せて唇を重ねた。  
柔らかな感触が口先から全身に届く。温かく、優しい波。  
数秒程度で離して壬生屋を見ると、ほんの少しだけ笑っていた。  
「嬉しい……」  
どくんと脳髄に重く響いた。  
こんな事を言われた記憶はない。……もっとしてやりたい。もっとだ。  
もっと、悦ばせてやろう──  
するりと背中にまわってくる壬生屋の腕。紅い頬がおずおずと寄ってきて、俺達は再び口付けた。  
「ん、………」  
小さな鼻から昂った息が漏れ出す。  
新鮮な反応だ。俺の中の恋情がどうしようもないくらいに熱を帯び、半ば強引に唇を離しては密着させて、  
わざと音を立てながら何度も繰り返す。  
ちゅ、と幼稚にも聞こえる淫靡な濡れ音。  
数度目の音が消えると、壬生屋は体重を俺に預ける。豊かな膨らみが胸に当たって、熱い。  
はぁ、と焼けつくため息を吐く。最初にあった緊張はかなり解けているようだ。  
「壬生屋、こっち」  
肩を抱いてベッドに近づき、一緒に座る。  
惚けた表情で俺に視線を向けて残る感覚を追うのに夢中らしく、完全にされるがままだ。  
腰の逃げ道を両手で塞ぎ、俺はさらに追い打ちをかけるように接吻した。  
 
唇で唇をついばみ、ぐんぐんと物足りなさが頭をもたげる。  
深さが足りない。こんな浅いのでは満足のしようがない。  
更にとろける表情を浮かべている壬生屋に俺は言った。  
「口、開いて」  
疑問を一切感じない様子で薄く口が開く。  
がぶり、と音がしそうな勢いで唇を合わせ、舌をねじ込んだ。  
「──っ!ん!……!」  
未知の刺激に離れようとする身体を力づくで密着させ、赤い舌を目一杯伸ばす。  
本来の役目とは全く違う使い方もある事を身をもって教えてやろうと、俺はめちゃくちゃに舌を踊らせた。  
ぐちゅぐちゅと唾液が混ざり、時折生まれる隙間から淫らな呻き。  
「ん、ん……は、ぁぁ……ん」  
ひとつこぼれる度にその音は高くなる。  
気付けばか細い腕が俺の首を固定し、ひっきりなしに壬生屋は口と舌を動かしている。  
恥じらいも忘れ、この行為に泥酔していると言って良い状態だ。  
「は、あ、……っ、くは、んん……」  
酸欠で頭の回転が鈍り、俺も余裕を失い始めてしまい、壬生屋への感情がどうしようもなく膨張してしまう。  
生まれる、ではない。この気持ちが生まれたのはこいつを初めて見た時だった。  
爪先から髪の毛まで衝撃が奔ったのを今でも思い出せる。  
咄嗟に否定はしたが、それでも否定しきれなかった感情だ。抑圧から開放されたそれは勢いよく暴れ出し、  
より深く壬生屋の口内に濡れた舌を侵入させた。  
「……、──っ!はふ、は、はぁ……」  
結合を解いて、酸素補給。  
ぐったりと壬生屋が俺の胸に崩れ落ちる。  
声を掛ける間もなく顔の位置が戻る。目尻が下がった目を俺に向けてくれた。  
「すごい、ですね……」  
「……まだ序盤だぞ、おい」  
どうにか口は動いてくれた。気を抜けば弛緩した表情や溢れ落ちる雫に見惚れてしまい、動けなくなりそうだ。  
 
腕を背中にまわす。ちょっと脊椎に悪戯。ちろちろと指先でつつくように撫でると、  
「ひゃ、っ!」  
可愛らしい反応。それでも止めさせないところを見ると、やはり刺激的なのだろうか。  
「ん、ぁ、……は……」  
目を閉じ、全身を震えさせる壬生屋。  
微弱な電気信号なのに、身を焼くような激しいものだと感じているようだ。  
気付かれないように刺激を繰り返しながら、背中にある下着の繋ぎ目を外す。  
そして、するりと腕から引き抜いた。  
豊かな乳房が外気に触れ、壬生屋はようやく俺のした事に気がついた。  
「ぁ……っ、……」  
恥じらいで仄かに染まっていた顔があっという間に真っ赤になった。  
これも、可愛い。  
こいつの劣情を煽るべく綺麗な丸みに手を添えて、焦らすように揉みあげる。  
弾力に富み、俺の意思によって形を変える壬生屋のそれは非常に官能的だ。  
見ているだけでこちらの気持ちが熱くなる。  
「あ、ぁあ……ん、ふ、はぁ……」  
シーツを握り、かと思えばへその前で指を絡ませて快感を示す壬生屋。  
だんだんと力が強くなっている。シーツの皺はより深くなり、己の指と噛み合う時も白く変色していく。  
はぁー、はぁー、と一回ごとの呼気は大きく、肺の膨らみも尋常ではない。  
胸の変化を見つめる目はとっくに虚ろだ。自慰の経験はあるだろうが、全くの別物としか思えない刺激に  
対応不可能、というところか。  
もっと、感じて欲しい。俺だけを見させてやろう。  
手を放し、押し倒す。  
さらさらと広がる黒髪に沈む月色の身体。俺を受け入れるように広がった腕。  
冗談ではなく、本気で美しいと思った。  
壊れ物を扱うように桜色の唇に口付け、首筋や鎖骨にも続けた。視線は壬生屋の顔に固定し、外さない。  
「ん、……や、ぁぁ……っ!」  
接吻の位置が下がると、それだけで喘ぎは大きくなる。  
期待が膨らんでいるのだろう。その期待を丸ごと快楽に変換させる為に俺は言った。  
「壬生屋、目、開けて」  
 
おずおずと開いて、躊躇いがちに俺に向きなおす。  
「あ……あ、ぁ……」  
「大きいな、お前さんのここ」  
言ってから唇だけで思いっきり愛撫した。  
何度もつまんで、吸って、押し付ける。  
「あ、ぁああ!や、はぁん!」  
息なんてさせない。ただひたすらに柔らかな肉を捏ねる。わざと音をたて、唾液を塗って滑りを良くしてから  
甘い噛み付き。  
「……く、ん!」  
かぷ、と既に勃起している乳首にも同じ事をすると、  
「んくっ!」  
首や脊椎が反った。もっとして欲しいと訴えるように。  
それこそ餓えた犬のように貪った。ぬちゃぬちゃと粘っこい液体とぴんと張った肌、ふるふると痙攣する肉を  
同じものにしようと口に含んで、歯を立て、舌を這いずり回した。  
「ひ、……ぁああん!ん!……あふ、んああ……ん!」  
息も止めて俺は続ける。逃げ出そうとする獲物を抱きしめ、滾りの全てを力に変えて俺は続ける。  
「ふ、く!……ん、ふくああぁあん……っ!」  
一際甘い啼き声がふるえ、俺の頭を抱えたまま全身が硬直し、数秒して弛緩した。  
荒く、淫らな呼吸を聞きながら顔を上げ身体を起こす。  
「………、っ」  
意識せずにごくりと唾を飲み込んでいた。俺の想像を遥かに超える色っぽさがそうさせた。  
燃える欲情に焙られた身体が熱く、猛る本能に背中を押されるように  
きれいな脚が創る三角の空間に手を伸ばし、止まる。  
僅かにもじもじと脚を擦り合わせていた。隠そうとしているようだが、壬生屋の中にも性的な疼きが  
渦巻いているらしい。  
なら、待たせるのは拙いな。  
「………」  
少し迷い、何も言わずに白い下着に指を触れさせた。  
「ん!」  
 
親指以外の四本を這わせ、熱した部分を持ち上げるようにそっと力を入れる。  
「ん、ぁぁあ、……」  
閉じられていた口が恥ずかしげに開き、押し出される掠れた喘ぎが部屋中に染み渡る。  
今にも暴走しそうな感情に蓋をして俺は続けた。  
ゆっくりと静かに指で撫で、時折食い込ませる。  
壬生屋が初めてだから、というのもあるが俺がそうしたいのだ。  
丁寧にしてやりたいから。大事にしてやりたいから。  
薄く開く瞳が俺を捉え、壬生屋が言う。  
「瀬戸口さん、私、脱ぎますから……」  
その表情には羞恥以外の感情も多く読み取れる。……もっとしたかったが、これでもいいか。  
「解った」  
俺は身体を離し、壬生屋は身体を起こして下着に指をかける。  
壬生屋の視線がちらちらと俺と自分の下着を行き来する。『見るな』と言いたいのかもしれないが、  
その言葉が出るまで俺は見つめようと思う。  
目を放したくないから。  
どんな行動も見逃したくはないから。  
「…………」  
暫くして、諦めたように壬生屋は脱ぎ始める。  
顔を真っ赤に染めながら、息を殺すように口を閉ざしたまま。  
するすると滑らかな肌と白い布が擦れる音。それ以外に聞こえるのは心臓の鼓動だけだ。  
揃えられた脚がくの字に曲がり、つま先から下着が外れる。  
一糸纏わぬ姿である事をを自覚した壬生屋はより一層羞恥を感じたようだ。  
下着を無造作に置くと身体を抱き、横になって俺から視線を逸らす。脚は閉じたままなのだが、  
僅かに見える陰唇がどれほど男の本能を昂らせるのか想像も出来ないだろうな。  
「脚、開いて」  
強めの口調で言ってしまう。そろそろ理性が怪しくなってきた証拠だ。  
「……、その、……」  
恥らう壬生屋が俺に行動を促した。  
もう待てない。  
「開けって、壬生屋」  
密着している両膝を遠慮なしに掴んで、ぐいっと広げた。  
 
「ぁ、──っ!」  
弱々しい悲鳴と共に月光に濡れる秘所が露わになった。  
閉じるつぼみからとろとろと液体が零れ、シーツに染みを作っている。  
視線を上げれば両手で顔を隠そうとしている。が、指の隙間から覗く瞳はしっかりと俺に向いていた。  
俺も壬生屋の顔を見つめたまま秘所に口付ける。  
「んあっ!」  
がくんと腰が跳ねた。  
脚が閉じないように膝にある手を太ももの中ほどに移動させ、がっちりと掴んでから舌と唇で  
花弁を撫で、そっと開く。  
「ああ、は、ぁああ……っ!」  
男ならば興奮せずにいられない色だ。俺だけが知っている艶。  
口の溜まっていた唾液を飲み、割れ目の奥に舌を侵入させる。  
「……!あ、ああ!んあっ!」  
短い舌での微かな摩擦にも嬉しいくらいの反応をしてくれる。  
淫水もこんこんと湧き出し、その源泉を追い求めたいという欲求は膨らむ一方だ。  
壬生屋は顔を隠すのを止め、脳髄に奔る快感に耐えるようにシーツを握る。  
悩ましげに眉に皺がよっていて目尻には涙もあるようだ。  
……いかんな。もっと、泣かせたくなってきた。  
気付いてしまえばその気持ちを抑える事は不可能になってしまった。  
「壬生屋、聞いてる?」  
うっすらと開く瞼。  
「何、ですか……?」  
それきり黙ってしまう様子は、明らかに思考力が落ちていると予想出来る。  
赤い頬が可愛い。  
「ここ、凄い熱いぞ」  
言いながら中指を刺し入れた。  
「はぁ、あ、くぅ……」  
指先が進み、深く埋まるほど良く締まる。  
その感触は俺の性器を直撃する。さっさと入れさせろと叫ぶように硬く充血している。  
まだだ。もっと、壬生屋を悦ばせてやってからだ。  
 
自由な親指の腹で豆のような突起に触れる。  
「あああ……っ!」  
くりくりと弄び、膣内も大きく変形しようとして俺の指に阻まれて余計に感じている。  
シーツを掴んでいた手が俺の手首に絡まった。  
その力は弱く、しかも固定するだけ。俺の行為を続けさせる意思表示だろう。  
小さな勃起を思いっきり押すと、  
「だ、めぇ!……!──っ!!」  
壬生屋は背を反らせながらびくびくと痙攣する。  
だらしなく垂れた涎が光り、膝も持ち上がる。数瞬してから全身が緩んだ。  
どさりと落ちる脚。目には鈍い輝きだけが灯る。  
惜しげもなく太ももが開かれた光景は、性器による突撃を実行するに十分な条件を揃えている。  
が、もう一度だ。  
今度は親指だけではなく、膣内の中指も使い表と裏から潰す。  
「ひ、ぃ!」  
再び跳ねる身体。声にならない悲鳴をあげて、更には両足でブリッジするように腰が持ち上がった。  
失神に至る程の快感から逃れようとする行為だろう。  
高々と掲げられた秘所は凄まじい蠢動をしている。何度も何度もうねり、搾り、吸い取ろうとする。  
かくかくと揺れる脚が断続的に絶頂を迎えているのを示していた。  
「……!あ、……っ!」  
指から力を抜くと、途端に腰が落ちた。  
恍惚の声が漏れ、ひくひくと四肢が震えている。秘所から溢れた蜜で尻が光っている。  
「ん、ん……」  
……もういい。  
こいつを、ぶち込もう。  
壬生屋と深く繋がろう。  
俺はトランクスを脱ぎ捨て、膝立ちで壬生屋の股に移動する。  
「あ、う……」  
ベッドの軋みに意識を取り戻した瞳が俺のモノを捉えた。  
壬生屋の身体に緊張が戻る。  
……ちょっと、拙いか。  
 
「後ろからするか?」  
「うしろ、……」  
俺の言葉に壬生屋は戸惑い、しかし視線を俺から離さないままで身体を起こして四つん這いになる。  
意外だった。箱入り娘だと思っていたが、こういった知識は普通にあるようだ。  
もっと潔癖に育てられているのかと予想してたのだが。  
まあ、それならば遠慮もいらないだろう。  
突き出された尻。緊張を解すように丸く撫でた。  
「ん、ああ……」  
臨界寸前まで高まった興奮が肌の感度を最高にしている。  
顔を近づけると、壬生屋が発する匂い立つ熱気で肺が一杯になった。  
口付け、  
「あん!」  
腰全体に十本の指を歩かせた。  
「は、ふぁ、ぁ……っ」  
滑らかな背筋から力が抜け、ベッドに頬を寝かせて喘ぐ壬生屋。  
太ももに透明な液体が筋を創る。こんこんと流れ出す壷と同じように、  
俺の性器も先取りの雫で濡れている。  
さて。  
「挿れるぞ」  
燃える本能とは逆の静かな声だった。  
反り返る性器を壬生屋の秘所にあてがう。  
「──っ!」  
揺れる尻をがっちりと掴んで、腰を突き出させた。  
ずぶずぶと硬い棒が熱い肉に埋まっていく。狭い膣内を掻き分け、途中にあった最後の抵抗をも貫いた。  
「……ぅ!は、く、っ……!」  
壬生屋は息を殺して痛みに耐えている。  
ぎちぎちに締まる膣。痛みを訴える反応だが、俺には全く伝わらない。  
快感だけが得られる感触の全てだ。  
体内に留める事が出来ず、吐息になる。  
「あ、……は……」  
 
脳を焼いた官能が再び性器に戻って活力となり、ますます硬くなる性器を引き抜いて、挿入する。  
「っあ……ああ、は、ああ!」  
壬生屋の口から漏れるのは苦痛の声に違いない。  
なのに俺の本能は燃え盛る一方だ。腰を叩きつけ、割れた尻はひと揺れしただけでその衝撃を吸収してしまう。  
もっと、したい。  
ばちんばちんと素肌を衝突させる手加減なしの性交。  
「あ、あ、あ、あっああ!」  
指が食い込む柔らかい臀部。壬生屋を気遣う余裕もないくらいに俺は興奮している。  
こんな気持ち、初めてのような気がする──。  
「ん、ん!はん!ああん!」  
……大事な所は完全に繋がっているのに、満足出来ない。  
物足りない。快感も十分だ。物足りない。甘い鳴き声は耳に届いている。物足りない。  
こんなのじゃ足りない。  
限界まで登りつめようとする本能を必死にねじ伏せ、どくどくと叫ぶ性器を抜いた。  
赤く染まった尻が着地する。  
壬生屋は荒い呼吸を繰り返し、身体に漂う痛みを打ち消している最中のようだ。  
が、俺は待たない。  
「………」  
無言で抱き起こす。  
弛緩した身体が俺に寄りかかる。首も頭部の重さに耐えられずに反り返り、俺の肩から墨色の滝が  
流れ落ちた。  
真っ白なうなじが目前にある。下腹部の行き場のない欲情に押されるように接吻。  
「ん、……」  
はあはあと意図的に息を吹きつけ、壬生屋の本能を煽った。  
「や、んん!はぁ、っ!」  
性器同士の触れ合いと比べれば随分と軽い刺激だが、しかし壬生屋の身体には力が戻ったようだ。  
頭が持ち上がり、その瞳はしっかりと俺を見る。  
緩んだ赤い頬が近づいてくる。いつのまにか伸びていた細い腕が俺の顔を捕まえ、次の瞬間には  
唇が重なった。  
くちゅ、とゆったりと舌が混ざり、唇が絡む。  
 
緊張は完全に解けたようだ。雌としての衝動に抵抗しようという気持ちは消し飛んだらしい。  
「……、……っ、ふは、ぁ……」  
ようやくにして口を離した。  
目尻の下がった壬生屋の眼が愛しく、俺の中にあった炎は燃え広がるばかりだ。  
どさりとやや乱暴に寝かせ、勢いをそのままに股を開かせる。  
期待で埋まる表情。  
応えろ。  
狙い、貫く。  
「ぁああああん!」  
大きな声が響き終えるのを待つ事なく抽送を始めた。  
壬生屋の両脇に手をつき、乗り出すように下に向かって叩きつけた。  
黒い髪が振り回され、形の良い乳房が上下にたわむ。悦声は止まらずに何度でも木霊する。  
「ん!あぁん!……っ!くふぅ!」  
……これだ。この姿が見たかった。  
愛液を垂れ流して俺の逸物を受け止める秘所。  
腰での結合に歓び、よがる顔。  
「ぅ!──っ!ふ、ぁ……!」  
俺の喉も快楽の雄叫びで振動し、ひと突きする度に融ける理性を溢れさせながら、本能が硬く熱していく。  
壬生屋も同じだ。人間らしい感情を液体として飛び散らせ、俺の本能をより感じようと締まり続ける本能。  
どろどろに絡み合う情欲。その奥にある本能よりも原始的な想いが性器の根元に集中し、力を蓄え始めた。  
「い、は!ああぁ……ん!や、ん!ひ、っ!」  
「は、……!ふ、!……んむっ!」  
突然に息が吐けなくなり、混乱を混濁させるように口の中で何かが蠢いていた。  
首にも熱いものが巻きついていて、数秒後には両方から力が抜けた。  
「……は、んふ……」  
口を離すと唾液が糸を引き、壬生屋の唇に繋がっている。  
こいつめ。  
 
「積極的になったな、壬生屋?」  
「……、わたし、あの」  
目が泳ぎ、それきり言葉が出ない。  
自分でも理解出来ない衝動による行動らしい。  
「いや、言わなくてもいい。いいから、……」  
その先は行動として俺は示す。止まっていた性器の律動を再開させた。  
今度は背を反らしてただひたすらに最奥を目指した。  
壬生屋も先ほどを上回る媚態で身体をよじり、俺に貫かれる快感に酔いしれている。  
俺自身も僅かに回復した理性が消えるまで時間を要さなかった。  
全身が一瞬ごとに泡立つ感覚におかしくなりそうだ。ぐつぐつと煮えたぎり、その熱はたったひとつの行動を  
促すように天井知らずに高まっていく。  
「あ、ひ、ああああああんん!!」  
「うう……っ!」  
まだだ。もっと融かせ。もっと融かして、深いところまで届くようにしよう。  
誰も触れた事のない奥底に触りたい。そして俺の想いを焼き付けてやる。  
一生消えない跡を壬生屋に。  
「瀬戸口、さぁん!」  
「は、なんだ?」  
最後の瞬間を先延ばしにするような、途切れ途切れの会話。  
「私、っ、ああ…ん!こんな、ん、あ!ああ!」  
「喋るな。舌、噛むぞ」  
だから喋らせない。  
呼吸が止まるような激しい突き上げ。  
俺の方も凄まじい締め付けに声を出せない。  
「───!……っ!」  
「っ、っ、っ!」  
それでも全ての部分は絶頂寸前の悲鳴をあげている。  
歪む眉、染まりきった頬、開いたまま閉じない唇。  
ぽろりと涙が流れる。  
「ぁ……ぁぁあああああ……っ!」  
肺に残っていた嬌声が搾り出され、同時に巻き起こる膣の胎動が俺の本能を完璧に砕き、  
最後に残っていた『欲しい』という激情が、形となって放出された。  
 
 
「   、──、は、う……っ」  
何度も何度も灼熱を吐き出し、終わったかと思うと身を潜めていた快感が俺を襲う。  
もう一滴も出せないのに精液を撃てと本能が命じる。  
律儀にも性器は脈動し、出ていないのに失神ものの悦楽を発生させて俺を押しつぶそうとしている。  
「あ、ふ……う……」  
情けない弱々しい声だが俺にはどうする事も出来ない。  
こんなにも強烈な官能に晒され、加えて完全燃焼するなどという体験は初めてだ。  
快楽の残滓が重く、それこそ身体が倒れないように支えるだけで精一杯だ。  
その腕も機能を停止する寸前になっている。がくがくと震え、目の前にいる壬生屋に沈んでしまえと口煩い。  
……正直、男としては耐え切った姿を見せたい訳で。  
しかし、俺の背中を優しく抱き寄せる腕が儚い抵抗を簡単に打ち破った。  
「っと……」  
咄嗟に肘をついて壬生屋の身体に全体重が乗らないようにする。  
目の前には満足気に微笑む顔。背がより強く引かれて胸と胸が密着した。  
とくとくと壬生屋の鼓動が伝わってくる。  
俺の心音も届いているに違いない。  
「瀬戸口さん、温かい……」  
鎮まっていた心に波紋が広がる。  
その呟きは俺に聞かせる為のものだろう。  
何も言わずに口付け、身体を起こす。  
「あ、……」  
俺の手を掴む壬生屋。  
離れないで欲しいと訴える目だ。俺もそうしたいが。  
「風邪ひくだろ、このままじゃ」  
軟化した性器を抜いて、秘所と性器に張り付く粘液をティッシュで手早く拭く。  
足元に押し退けられた布団を引っぱりあげ、壬生屋と俺に被せた。  
「ん、いいぞ」  
「……うふっ」  
楽しそうに笑い、胸の飛び込む壬生屋。年頃の少女と同じようなあどけない笑顔だった。  
 
すっぽりと腕に包まる身体はしなやかで温かく、最高の抱き心地だ。  
──心底、愛しいと思う。  
艶のある髪を撫でると、気持ちよさそうに頬を染める壬生屋。  
薄く開いていた瞳が閉じて、慌てるように開いた。  
今日の疲れが一気に出てきたのだろう。  
「寝てもいいんだぞ?」  
んー、と悩んだのは一秒にも満たなかった。  
即座に笑顔で答える。  
「はい、……おやすみなさい」  
言い終えてすぐに寝息が聞こえるようになった。  
無防備な寝顔が可愛い。  
……そう簡単に見れるものじゃないな。  
時間が許す限り見続けたいと思った。  
もっと違う顔もするのだろう。時間をかけて、全部見よう。  
そして見ていられるように守る。その為にはあらゆる手段を講じる。  
これが、俺の一番したい事だ。  
 
終  
 

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