ガンパレードマーチ  

              あしきゆめみし  

 狩谷夏樹が戦闘小隊第5121部隊に配属されたと聞いて、加藤祭が最初に思ったこと  
は『きっと同姓同名の赤の他人だろう』だった。  
 それは期待と不安がないまぜになった心の動揺だ。祭は中学の頃、狩谷夏樹に思いを寄  
せていた。バスケットボールの練習を体育館の二階から眺めたし、試合がある時には必ず  
応援に駆けつけた。でも、いま思えば、あのころの自分は単なるミーハーでしかなかった  
と祭は思う。結局、気持ちを告げることもないまま、夏樹は少女の前から姿を消した。家  
族全員で事故に巻き込まれ、夏樹自身は下半身に障害が残る怪我を負ったという。最後ま  
で詳細は分からぬままであった。  
 時が過ぎ、祭は軍の徴兵に応じて事務官となる。指揮車両運転資格を手に入れ、実戦部  
隊への転属を受けた。祭は自分自身が部隊の中で特に清廉潔白であろうなどとは考えてい  
ない。日々、書類と格闘し、部隊各員が申請した数字と実際の配備数を調整し、時には自  
分自身でちょろまかした。人にはそれぞれ生き方がある。適当に生きてきた自分には他人  
のために奔走することなどまるで似合わないし、最初からそんなつもりもなかった。  
 ところが、その日を境に運命が変わる。5121部隊にやってきた『狩谷夏樹』は、ま  
さしく祭が憧れ、思いを抱いた当人であった。夏樹は車椅子に乗り、彼女の記憶そのまま  
の高貴さで自己紹介をした。  
「僕の名前は、狩谷 夏樹(かりや なつき)です! 足はこうだけど、みんなのお役に立て  
るよう、がんばります!」  
 変わらないな。思い出の『なっちゃん』を目の当たりにして祭の心が奮えた。  
 艱難辛苦を乗り越えて、祭は夏樹に近づいていく。いつか、彼を呼ぶ声が『なっちゃん』  
に変わった。  
「狩谷くんってワキガなんじゃねえの? お前、嗅いでみな」  
 滝川陽平からそう聞かされたのは、土曜の授業が終わったあとだ。  
 滝川はガキンチョで、アニメのヒーローに憧れて士魂号の戦車兵になったという愚か者  
だ。そんな愚か者の提案に祭は乗らなかった。代わりに、いまや愛しい存在となった狩谷  
夏樹に小声で訪ねる。  
「なっちゃん、お風呂にいかへん?」  

 祭はここ最近、毎日のように夏樹の家へ行き、彼の生活を介助している。掃除、洗濯、  
食事と、まさにいたせりつくせりだった。それでも、すべてを任せてもらえるわけではな  
い。そのひとつが衛生関係である。もちろん、濡れタオルで体を拭いてあげる程度はして  
あげた。ただ、夏樹の家では祭一人で彼を浴槽に運ぶことができなかった。要介護用バス  
タブは遠くにある軍用のリハビリセンターにしかない。結果として、滝川のよくない噂が  
真実となってしまう。それだけは絶対に絶対に避けなければならなかった。  
 燃える祭の勢いに押され、夏樹は同道を受け入れた。午後の仕事を手早く済ませ、二人  
は施設に到着する。だが、すぐに問題が発生した。施設は稼働しているが、介助士がいな  
いというのだ。使える人間はすべて前線の医療機関に送り込まれたらしい。留守役の受付  
兼事務員兼点検保守要員のおじさんは教えてくれた。諦めようとした夏樹とは裏腹に祭は、  
「うちが手伝うよってに問題あらへん! おっちゃん、はよ案内してんか?」とやる気満々  
だった。こうして二人はおじさんに導かれ、風呂場に着く。スライドアームをもったリク  
ライニングシートに移り、祭に上着をはぎ取られたところで夏樹が苦言を呈した。  
「やっぱり、加藤一人じゃ無理だ。今日はあきらめよう……」  
 相手の表情を見越して祭がそっとつぶやく。  
「なっちゃん、もしかしてはずかしいんか?」  
「な!? そ、そういうことじゃなくて……」  
 不毛な言い争いを続けていくうち、夏樹の顔色が真っ赤になっていくのを見た祭は意を  
決したように提案する。  
「それやったら、うちも裸になったるわ。これなら、なっちゃん一人だけやないから平気  
やろ」  
 告げたときには祭の顔も耳まで赤くなっていた。夏樹はその顔を見て、もう何も言わな  
い。彼女は自分のわがままに文句を言うどころか、つきあってくれているのだ。これ以上、  
くだらない体裁を気にして相手を困らせるのは愚の骨頂だった。夏樹はすべてを任せた。  
腰のタオルだけを残して全裸になる。祭が壁際のパネルを操作してシートを湯船に沈めた。  
何も感じられない下半身に続いて、上半身が暖かい湯の感触に包まれていく。  

「ほな、ちょっとだけ待っとってや」  
 何かを言う暇も与えず、祭が脱衣所に姿を消す。夏樹は何か言うべきだろうかと考えた。  
けれど、どんな言葉も彼女の決意には到底、及ばない。沈黙を守り通してしばらくすると、  
脱衣所のスライドドアが再び開いた。その向こうから施設に備え付けられたオレンジのバ  
スタオルを体に巻き、加藤祭がもういちど姿を見せる。  
「おまっとーさん。そしたら、なっちゃんの体、ピッカピカに磨き上げたるからな!」  
 スポンジとボディーソープを手に祭が明るくほほえむ。それが精一杯の強がりであるこ  
とは夏樹にも分かっていた。シートを少し立たせて、夏樹の上半身を湯船から出す。泡立  
てたスポンジでまずは背中を流し始めた。  
「どや? 気持ちええか、なっちゃん」  
「ま、まあな……」  
 応える声がかすかに震える。祭がスポンジを前に持ってきたとき、思わず叫んだ。  
「ま、前は自分でやるからいい!」  
 それでも彼女はスポンジを手放さない。  
「えーから、えーから。うちにまかせとき!」  
 いいつつ、スポンジにボディーソープを継ぎ足そうとして、バスタブの反対側においた  
ボトルへ手を伸ばした。無意識であるのだろうが、夏樹の眼前に祭の胸元が迫る。  
「あ!」  
 だが、少女の指先に押され、ボトルは浴槽の向こう側に落ちた。あわてて、それをつか  
もうと祭が身を乗り出す。タイルにこぼれた泡に足を取られ、バランスを崩したのはその  
瞬間だった。祭の体が湯船に落ちる。二人分の重さに耐えかね、シートがわずかに沈んだ。  
「だ、大丈夫か、なっちゃん?」  
 抱きついた形となった夏樹に問いかける。わずかに胸を反らして相手の顔を見た。夏樹  
の表情。視線が自分の顎の下に集中しているのを認め、胸元を確認する。  
「へ!?」  
 そこには倒れ込んだ拍子にタオルがはだけ、露わとなった自分の乳房があった。  
「……加藤」  
「い、いややわ。もう、なっちゃんの助平!」  
 慌ててスポンジを握りしめていた左腕で胸を隠す。  
 空いていた右手で夏樹の目をふさごうとした。それなのに体が言うことを聞かない。視  
線を斜め下に向ける。右の手首をつかんでいる夏樹の腕。  
「な、なっちゃん……?」  

 あらためて呼びかけたとき、強い力で抱き寄せられた。背中に回されたのは夏樹の右腕。  
「お前が悪いんだ、加藤」  
 この期に及んで卑怯きわまりない言いぐさだが、夏樹は真剣だった。上半身に押しつけ  
られた祭の胸。柔らかな弾力を伝えるそれは少し固さの残る先端部を中心にして、彼の理  
性を根こそぎ奪い取っていく。回した手を相手の首筋に添え、顔を引き寄せた。膠着した  
祭の意志などまるでお構いなしに唇を奪う。そのままたっぷり30秒近く、少女の心をも  
てあそんだ。  
「ずるいよ、なっちゃん」  
 ようやく解放された祭が文句を言った。でも、その表情に怒りの色はない。いまにも泣  
きそうなのは、驚きが半分に嬉しさが半分だったからだろう。  
 ずるいのは間違いなく夏樹だ。でも、いけないのは祭だった。男の前で無防備に肌をさ  
らせば、こうなることは初めから分かっている。知っていてそれを行ったのなら、罪は男  
も女も同様だった。  
「あ、あかんのやで、こないなとこで……。見つかったら怒られてまう。あのおじさん、  
うちらに興味津々やったみたいやし……」  
「うるさい」  
 すっかり舞い上がり、口が止まらなくなった状態の祭を、夏樹は強引に黙らせた。具体  
的にはふたたび唇を重ねた。舌先を相手の口の中に忍ばせ、生暖かい祭の感触を存分に楽  
しむ。腕をつかんでいた手を離し、彼女の胸を絞るように下から揉みしだいていく。力を  
加えると、少女の体が電流を流したように小さく動いた。  
「う、うん……」  
 塞いだ唇からかすかに声が漏れる。息を継ぐわずかな間だけ祭の顔を離し、息苦しさか  
ら逃げ出そうとする相手の唇を夏樹は何度も何度も奪い続ける。乳房を攻める手の平。そ  
の中の親指と人差し指を使い、まだしこりの残る突端部を激しくつまみ上げる。指の腹で  
転がしたり、はさんで潰すうちにいつしか柔らかくなっていった。指を動かすたびに祭の  
体が震える。神経がまるでそこに集中しているようだった。  
「あ、あかんて。うち、そこ、弱……いん…や…から」  

 言葉がもつれ、吐き出される息にあえぎ声が混じり始める。夏樹のもう片方の手が祭の  
臀部に移動した。そのまま手の平をお尻から体の前に移して、股間に指を滑らせる。薄い  
茂みを分け進み、指先で少女の敏感な部位を探った。包皮から剥き出された小さな突起物。  
そこに触れた途端、祭の全身が大きく跳ねる。  
「くっっ!!」  
 最初の衝動を迎えて、祭は頭の中が空っぽになった。もうここがどこで、自分が何をし  
ているのかも分からない。乱れた息を繰り返し呆然としていると、不意に悲しげな瞳で自  
分を見つめている男の視線を感じた。  
「なに?」  
 問いかけた声に夏樹は小さく口を動かして応じる。  
「加藤、おれのを触ってみろ」  
「お、おれの?」  
「分かるだろ。早くしろ」  
 祭は相手の表情の硬さに一抹の不安を感じながら、いわれるままに夏樹の下腹部を探っ  
た。そして、いまだ柔らかいままの男性器に手を触れる。  
「なっちゃん……」  
 泣き出しそうな祭の顔。堅く強ばる夏樹の形相。どれほど激しく求めても、夏樹の男性  
自身は彼の感情を受け入れようとしない。これが彼自身に課せられた運命であった。  
「加藤、これがおれの現実だ。どんなにお前を求めても、いまのおれは自分の意志で自分  
を動かすことも出来ない。そんな情けない男なんだ」  
 その言葉は祭の耳にどう届いただろうか?  
 考える暇もなしに彼女は頭を横にして、夏樹の胸に抱きついた。  
「あんなあ、なっちゃん」  
 目を伏せ、夏樹の胸に耳をそばだてるようにぴったり張り付く。  
「なっちゃんの胸、こないにドキドキいうとる」  
 鼓動を確認すると祭は顔を上げ、真正面から夏樹を見据えた。  
「うちなあ、それだけで幸せやねん。なっちゃんがうちの裸を見て、心臓をドキドキして  
くれるなら、あとはええの。そんだけでええの」  
 ほほえみながら祭は泣いていた。たぶん、その涙は嬉し泣きなんだろうと夏樹は考える。  
いや、出来るならばそうあって欲しいと願った。二人はもうしばらくの間、互いを慰め続  
けていく。  

 

 帰り道、夏樹はいま自分が幸せなんだろうかと自分自身に問いかけた。後ろには車椅子  
を押す祭がいる。  
 あしきゆめを見るようになったのは、いつ頃からか?  
 自分一人を残して世界中の人がどんどん離れていく。それでも祭だけは最後まで側にい  
てくれるだろう。そう判断したとき、夏樹は恐怖を憶えた。幸せはそれを手にした瞬間か  
ら恐怖に変わる。失うことを何よりも恐れるからだ。  
 それでも不幸よりはマシだと思う。夏樹はあしきゆめを見続けることに決めた。  
 せめて、もう少しの間だけは……。  

                                   了  

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