授業が終わってすぐのことだった。  
「おう、弟。お前石田に何か言ったか?」  
「……は?」  
思わず間の抜けた声が出る。  
唐突な上に話が見えないよ、兄さん。  
そんな俺の様子を見て何らかの結論を得たのだろうか、兄さんは俺に背を向ける。  
「解らんならいいさ。俺はこれから職員会議があるんでな」  
出席簿を頭上でひらひらと振りながら兄さんは去っていった。  
俺のほうは何がなんだかさっぱり解らないよ。  
一体なんだって言うんだ……。  
 
「って事があったんだが……石田さん、何か心当たりは無いか?」  
最近の戦闘の激化に伴い隊長一人の手には余る量となってきた書類、その処理を手伝いつつ俺は口を開いた。  
「…さあ、なんのことだかわかんないけど?そんなことより聞いてよ、小島。今日さぁ………」  
上田君がどうしたとか、菅原さんとこんな話をしたとか、村田さんと何をしただとか、そんな話が次々に出てくる。  
彼女と周囲の人間関係は相変わらずのようでいて、  
それでも少しづつ、本当に少しづつだが改善しつつあると、言葉の端々から感じられた。  
が、それとは別に俺は一つの確信を得る。やはり兄さんと何かあったのだと。  
成体クローンとして、生産された彼女は指揮官としては優秀だ。  
しかし、常識的なところがどこか抜けている。  
皆が知っていることを、常識を、自分が知らない。それを彼女は嫌う、というより恐れている。  
そんな時彼女は早口で喋りだす、話を逸らそうとする。ちょうど今みたいに。  
「ちょっと、ちゃんと聞いてんの?」  
何を避けているのか、気にならないといえば嘘になる。  
「ああ、聞いてるよ。」  
けれどそれは聞くべきではない、そう思った。  
書類を『処理済』に放り込み、席を立つ。  
「さて、もう遅いし今日はもう終わろう。」  
彼女自身が話してくれる気になる、それまでは。  
「そうだね、そうしよっか。ね、一緒に帰らない? いいでしょ、別に」  
 
帰り道でも彼女は喋り続けた。そうなると当然俺は専ら聞き役に回ることとなった。  
既に話のネタは尽き、訓練メニューがどうだとか、補給がどうだとか、そんな話になっていた。  
そうこうするうちに二人の道は別れる。  
「じゃ、また明日。」  
別れを告げ、歩を進めようとすると、ツイとコートの袖をひっぱられた。  
「話の続きがしたいの、ちょっとよってもいいでしょ?いいよね?」  
……駄目だ。絶対に駄目だ。  
俺は彼女に特別な感情を抱きつつある。その程度の事が自覚できないほどガキじゃない。  
けれど、彼女のほうはどうだ?    
確かに彼女は俺に懐いてくれている。けれどそれは子犬が構ってくれた者に対するような、そんなものだろう。  
好意ではあるかもしれない、だが恋ではないのだ。  
彼女は知らない、俺の気持ちを。  
ここで承諾してしまえば、部屋に上げてしまえば、俺は自分の感情を抑えられる自信が無い。  
きっと彼女を大きく傷つけるだろう。今までの関係も失い、後に残るのは後悔だけだ。  
ここで断る事でも、多少ぎこちなさは残るのかもしれない。それでも酷くて2,3日のことだろう。  
断るんだ、絶対に断るのだと、そう思った。そう……思っていた。  
振り返ってしまうまでは。  
振り返り彼女の眼を見るまでは。  
彼女の目に、期待と、不安と、一種の決意めいたものを見るまでは………。  
 
 
彼女が玄関に一歩踏み入ったその時には俺は既に後悔していた。  
あの時の彼女の眼に宿っていた、あの気持ちを踏みにじる事になっても、拒否すべきだったのだと。  
今はまだ理性が勝っているがそれがいつまで続くものだろう。  
彼女の、あの決意のようなものがどういった類のものなのか、俺には解らない。  
けれどもし彼女が自身の俺に対する感情を、単なる好意以上のものだと勘違いしていたら、  
まかり間違ってそれを口に出してしまったら……俺の理性など水を掛けられたトイレットペーパーだ。  
それを思うと今度は俺が必死だった。彼女に不用意な発言をさせるわけにはいかない。  
ならば俺が話し続けるか、もしくは……  
「食事どうしようか? 有り合わせで何か作ろうと思うんだけど、かまわないかな?」  
石田さんの返事を待つことなくキッチンへ向かう。  
とりあえず何らかの作業に集中し、話しかける隙を見せない方法を俺は選んだ。  
 
とりあえずはコンロに鍋を置き、湯を沸かす。  
冷蔵庫を開けてみる、野菜がいくらかと、肉は……ない。  
隊長石田咲良の指揮の下、部隊は武勲を挙げ、皆がそろって昇進、給料も少しだが上がっている。  
が、それでもおいそれと食卓に肉が上る事はない。一部隊の活躍でひっくり返るほど戦争は甘くない。  
それでも何か、もう少しいいものあればと思うのは見栄だろうか。あ、イカがあった。  
ふと見ると、石田さんがキッチンを覗き込もうとしていた。それを遮る。  
「私も何か手伝「今日はお客さんなんだから、おとなしく寛いでて」  
彼女をキッチンに立たせる危険性はいくぶんマシになったと山口さんから聞いている。  
今問題なのは俺のそばにいる危険性のほうだ。  
不満げな表情をする石田さんをリビングに送り出し、俺はまな板に向かう。  
 
イカの胴から足とワタ、軟骨を引っこ抜き、薄皮をむく。  
格子状に浅い切れ目を入れたイカの胴を短冊切りに、足は先端を切り落としてぶつ切りに。  
片栗粉、胡麻油、塩コショウ、酒を揉み込んで下味をつける。  
人参はいちょう切り、ブロッコリーを一口大に、ネギをみじん切りに、生姜を薄切りに。  
ブロッコリーを軽く湯通し、その湯で今度はイカを湯通しする。  
フライパンにサラダ油を熱し、ネギと生姜を放り込み、弱火で炒める。  
炒め物はスピードが命、ここからだ、ここからが勝負だ。  
ネギと生姜の香りが立ったら強火にし、イカとブロッコリー、人参を炒め合わせる。  
鶏がらスープの素、酒、水溶き片栗粉、塩を混ぜ合わせ加える。  
とろみが付いてきたところで器に盛り付ける。  
我ながらうまくでっち上げられたと思う。  
あともう一品ぐらい欲しいところだが冷蔵庫には碌な食材が残っていない。  
仕方ない、こんなところで我慢してもらおう。  
目の前の作業に集中するうち、精神的な余裕がいくらか戻ってきたように感じる。  
これなら大丈夫だろう。  
食事を終えたら頃合いを見計らって家まで送っていこう。何事も、無かったように。  
 
二人ほとんど無言で食卓をはさむ。  
やっつけの塩炒めを口に運びながら、俺は何か考える振りをしていた。  
なんだか居心地悪そうにしている石田さんには悪いけど、話しかけにくい状況を作る為に。  
 
……そういえば、いつ、どこで聞いた話だったろうか。  
誰に対しても平等に優しく接することができる奴は2種類いるそうだ。  
誰でも平等にどうでも良く思っている奴か、ホンモノの聖人かだという。  
かつての俺は前者だったろう。どこか歪んでいる。  
そんな俺が変わった、大事な人が出来てしまった。  
今俺の目の前にいる少女、石田咲良。  
初めて会ったときから放っておけないとは思ってはいたけど、その気持ちが特別なものだと自覚したのは、しばらくしてから。  
彼女と出会う以前にも友人と呼べる人間がいなかったわけじゃない。彼らを人間として尊敬も信頼もしていた。  
けど俺は彼らが必ずしも必要だとは思わなかった。彼らも俺を必ずしも必要としてはいないだろう。  
彼らは自分自身の生き方を持っていたから。  
極端な話、俺に出合うことがなくても彼らは彼らだったろうし、今俺が死んだとしても彼らの生き方は変わらないだろう。  
けど、石田咲良は違った。真っ白だった。  
俺を必要としてくれた。いや、実際は俺でなくとも良かったのだろう。  
近くにいれば、助けを差し伸べてくれるなら、誰でも良かったのかもしれない。  
たまたま近くにいたのが俺だったにすぎない。  
けど俺の方は、俺の事をを必要としてくれる人を、俺を求めてくれる人を必要としていた。  
俺が、俺のほうこそが彼女を必要としていたのだと、気付いてしまったのだった。  
 
視線をテレビから時計に移す。『ごちそうさま』から既に40分近くが互い無言のまま過ぎていた。  
俺は焦り始めていた。さっき取り戻したと思った余裕はどこへ行ったのか、それとも錯覚だったのか。  
俺はコートを取り、立ち上がる。  
「石田さん、そろそろ帰らないともう遅いよ? 家まで送るから…」  
「……なんで?」  
不機嫌そうにも聞こえる声。  
発言の意図をはかりかね、問い直すべく俺は彼女に向き直る…ことは出来なかった。  
どっ、と暖かなものが、背中にぶつかる。俺より一回り小さな腕が回りこんでくる。  
背中から抱きつかれている、そう理解したとき俺は自分でも意外なほど落ち着いていられた。  
「なんで私を避けてるの? 小島…さっきから態度が変だ…。私が何かしたの? なんで妙な扱いをするのよっ?」  
なんでなんて…言える訳が無い。  
君に欲情してるなんて、俺の欲望が君を傷つけるかもしれないなんて、言える訳が無い。  
そのくせ、君を傷付けるのが怖いなんて、君を失うのが怖いなんて、あまりに勝手すぎて絶対に言えない。  
俺はただ沈黙する。破局を一秒でも先送りするために。  
「小島は私が嫌いなの? 嫌いになったの?」  
 
『私のこと嫌いですか?』  
かつて、戦争が他人事だったころに何度も聞いた、俺の嫌いな台詞。  
例え本当に嫌っていても相手と顔を合わせて嫌いだというのは難しい。  
後々の人間関係に支障をきたしかねない。  
それを避けようと思えば、相手方の望む答えしか残らない。卑怯な台詞。  
けれど、石田さんの言葉は表面だけ見れば似ているようでいて、そんな狡さは感じられなかった。  
そこにあるのは嫌われる事に対する、不安と恐怖。  
俺が抱えているのとなんら変わらない、同じ気持ち。  
何らかの答えを出さなければいけない。けどどんな答えを? どうやって?  
俺は回された腕を解き、なんの答えも無いまま、それでも彼女に向き直る。  
彼女の眼は溢れんばかりに涙を溜め、それでも零すまいとしていた。   
石田さんの視線に捕らえられ、俺は動けなくなる。彼女の唇が動くのがわかった。  
「私は……」  
駄目だ、言っちゃ駄目だ。頼む、言わないでくれ!!  
「私は……私は、アンタが好き。」  
 
一瞬の沈黙、湧き上がる衝動と抗う理性。  
刹那の拮抗を経て、しかし戦線は傾く……  
 
「ちょっ、く、苦しい……」  
その声に引き戻され、理性が陣形の再編を果たしたとき、俺は彼女を抱きしめていた。  
「ご、ごめん」  
理性が残存した火力を総動員して反撃を開始、  
どうにか腕を緩めることには成功するも、それでも彼女を放すには至らなかった。  
離さなきゃいけないと解ってはいる。けど離したくない。  
重苦しい沈黙の中、石田さんの鼓動が、体温が俺の世界を満たしていく。  
ああ、やっぱり俺はこの子が好きなのだ。失いたくないのだ。  
トントンと胸を叩かれ見下ろすと、石田さんの視線とぶつかった。  
腕の中から見上げるその視線がさっきの問いに答えろと促していた。  
「俺、は……」  
好きだ、狂おしいほどに君が好きだ。  
けれど、やっぱり駄目だ、言えない。君は知らない、解ってない。  
俺の好きは君の好きとは違う、君が抱いているような綺麗な想いじゃない。  
俺の好きはどこか歪だ。ところどころ鋭く尖ってもいる。  
俺の気持ちはきっと君を縛る、いつか君を傷つける。  
こんな気持ちを言葉になんて出来ない、したくない。  
「嫌いじゃ、ないよ、けど……ゴメン、これ以上は言えない。」  
どうにか吐き出せた答えは、世にも最低なものだった。  
 
横山さんあたりに言わせれば、男らしくないということになるだろう。  
けれど気持ちを言葉にしてしまえば、俺は自分を抑えられかっただろう。  
それに比べれば……ああ、けれども、それにしたって最低の返事だ。  
やっぱり俺は彼女を傷つける事しか出来ないのだろうか。  
「嘘吐き」  
ぺちり、と頬をはたかれる。  
俺の腕の中から俺よりひとまわり小さな手が、俺の顔に向かって伸びていた。  
「私には理解できないと思ってるのか? それで私を守ってるつもりか?…………馬鹿にするな!!」  
ぺちり、再び小さな手が俺の頬を打つ。  
痛かった。ろくに力は入っていないのに、すごく痛かった。  
 
唐突に理解する。いや、理解させられる。  
何も解っていないのは俺のほうだったのだと。  
彼女の心が幼いと、何も解っていないのだと、勝手に決め付けていた。  
それがかえって彼女を傷付けている事にも気付かず、気付こうともしなかった。  
彼女は解っている。いや、すべては解っていまい、けれど感じ取ってはいたのだろう。  
俺の気持ちを、俺の歪んだ好きを。  
その上で俺に吐き出せというのか、この気持ちを。  
「本で読んだ。好きは綺麗なだけじゃない、人を傷付ける事もある、人を変えてしまうこともあるって」  
ふわり、彼女の両手が俺の頬を包む。  
「けど、それでも、傷ついても私は好きを知りたいんだ。」  
受け入れてくれるというのか、俺を……本当の俺を。  
「変わったっていいんだ。アンタのために変わっていけるなら」  
 
 

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