「この…ドジっ!あれ程背後に注意しろっつったじゃない!」  
「すんまへ〜ん、すんまへ〜ん!仕方なかったんやぁ〜!」  
 
新しい事務所も手に入れた美神さんは、珍しく最近張り切っている。  
本人の口からは相変わらず  
「雨の日はキライなの、濡れるから!」だの、  
「この私に長距離歩けって言うの?冗談じゃないわ!」だのと、  
我侭で高慢ちきで女王様っぷりな言葉は飛び出すが、それでも最後には了解し、仕事をこなすのだ。  
正直、珍しいなぁと思っていた。  
俺が知っている今までの美神さんなら、そのまま自分の言った事を貫き通して、  
仕事をキャンセルしただろう。  
張り切っているんだな、その事が伺える。そう思うと、初めて彼女が可愛らしく見える。  
いつもは大人の女の色気やらフェロモンやら振り撒いて俺を挑発するくせに。  
そして挑発しては、セクハラだなんだの騒いで俺を殴り飛ばすくせに。  
俺だって男なんだ、仕方ないんやぁ、勘弁してくれよ!  
目が痛いと思ったら、血の涙まで垂れている。そんな日常。  
それは、新しい事務所を手に入れてから、少しだけ変化を見せた。  
美神さんが張り切っているんだ、珍しく。  
 
「もういいっ!しばらくあんたの顔なんか見たくない!出ていけー!」  
「そんな美神さん、まるで俺が駄目な亭主みたいじゃないですかそんな言い方!  
 あ、もしかして俺の事本当に亭主にしてくれてもいいですよ?  
 むしろ結婚してください、そして初夜、初夜をへぶッ!!」  
 
美神さんのハイヒール・キックが、俺の鼻に直撃する。  
俺はその勢いで、そのまま床を転げ、向かいの壁にぶつかり止まった。  
バタン!!と閉まる扉の音が涙を誘う。事実、俺は床に突っ伏して泣いた。  
美神さんは張り切っているんだ。  
普段はお金お金としか口にしないけど、張り切っているんだ、新しい生活に。  
新しい事務所、新しい一歩、新しい門出。美神さんは張り切っている。  
俺はそんな美神さんの下で、「使えないアシスタント」としてバイトをしている。  
与えられる仕事と言ったら荷物持ち。言われるままに従って武器を投げる。  
たまに囮役なんかもさせられたりして。  
今日、美神さんを激怒させてしまった原因も、その囮役を失敗したからだった。  
 
都会の片隅に取り残されたように佇む、朽ち果てた洋館。  
美神さんの説明を聞けば、なんとその洋館はまだ築10年にもなってないとかなんとか。  
もう100年200年は建っているんじゃないか、と思わせる程の廃墟っぷりなのに。  
ホテルとして建てられたその洋館は、バブルが弾けたせいで、使われる事無く  
取り壊され、転売されるはずだった。  
だが、その事を苦に自殺した洋館の持ち主が、悪霊と化して、そこに棲み憑いてしまったらしい。  
そして、下見に来た転売業者や取り壊し作業員に攻撃してくる、との事。  
美神さんに除霊依頼が来たのは、彼らの痺れが切れた頃だった。  
 
「ちょぉっとおおお〜!無理ですよ、無茶ですよ!やめてー!おうち帰るー!」  
「うるっさいわね!あんた男のコでしょう!?黙ってジッとしてなさい!」  
 
館について早々、俺は工事作業員の服に着替えさせられ、縄で縛られて床に座らされた。  
甘い期待も虚しく、美神さんは俺の姿に満足そうに溜息をついた後、早速とばかりに  
床に難しそうな結界呪文を描いていく。  
見るだけで頭の痛くなりそうな、難しい呪文をソラでさっさと描いていく美神さん。  
俺はその横顔を見るのが密かに好きだった。  
いつもは金だなんだ、としか言わない美神さんの、『仕事』時の横顔。  
真剣な眼差しと、きゅっ、と結ばれた唇。身体を動かすたびに揺れる髪。  
普段、見惚れている乳や尻も、この時ばかりは目に入らない。そりゃまぁ意識すれば目に入るが…。  
やっぱり美神さんって美人だよなぁ、と、改めて思う。  
いや、そんな事考えてる場合じゃなかった!  
 
「美神さん、やめてよして触らないでお願いティーチャー!?  
 危ないですよ危ないですよー俺が!俺が危ないのー!  
 悪霊でしょ!?何人も怪我してるんでしょ!?そいつを誘い出す餌が俺だなんてー!  
 無理だー!殺されるー!おうち帰るー帰してー!!」  
「うるっさい!!」  
美神さんのハイヒール・キックが俺の脳天に直撃する。  
「いい?この方円から出なければ大丈夫だからね?  
 報告書によれば、相手は背後から襲ってくるらしいの。業者や作業員だけを狙ってね。  
 私はあそこの影から見てるから、絶っ…対動いちゃ駄目よ!後ろを見ても駄目!」  
 
そう言って、美神さんは無情にも、さっさと姿を消してしまった。  
残された俺一人、暗い洋館で、幽霊が、それも悪霊が出る洋館で、ただ一人。  
 
「ああ…もうおしまいだ…短い人生だった…。昨日借りてきたビデオ、まだ見てなかったのに…」  
 
死ぬかもしれない瀬戸際で、どうでも良い事ばかり思い浮かぶ。  
今は姿が見えないけど、美神さんが近くに居る。そう思う事で出てくる余裕。  
『仕事』時の美神さんが傍に居る。俺はそれだけで安心できるんだ。  
 
「大丈夫ですよ、横島さん。方円から出なければ良いんですから」  
「ッわぁっ!?驚かせるなよ、おキヌちゃん!」  
 
唐突に背後から聞こえた声に、俺は縛られた姿のまま重力を無視して飛び上がった。  
危うく方円から踏み出てしまいそうになり、慌てて中へと戻る。  
愛らしい声の主は、俺と同じく薄給で美神さんの傍で働く、おキヌ、という女の子だった。  
彼女は幽霊だ。今もふわふわと宙に浮かんでいる。  
巫女さんの着物を着ていて、長い髪の毛を先で纏めただけの古風な姿。  
「私はこの方円の中に入れませんけど…入ったら私も危ないですし、幽霊ですから…。  
 でも、横島さんの傍に居ますから、安心してくださいね。何も出来ませんけど…」  
彼女なりに一生懸命俺を励ましててくれてるんだな、それがわかった。  
自分の言う事にひとつひとつ落ち込んでは明るい表情を見せ、笑ってくれる。  
俺はまたひとつ安心感を覚えた。  
 
「だッ…大丈夫だよおキヌちゃん、俺だってなんにも出来ないけど、ホラこんなに元気!  
 だから、危ないから…美神さんの傍に戻りなよ、な?」  
 
本当は腕を振り回してアピールしたかったが、縄で縛られているために、それができない。  
仕方なく身体をぐにぐにと動かすだけ。端から見りゃー気持ち悪い動きだ。  
それでもおキヌちゃんは笑ってくれた。  
その笑顔を見て、今まで浮かんでいた安心とはまた違う、別の安心が生まれる。  
おキヌちゃんが俺の言葉を受け取って、美神さんの傍に戻ろうとした時。  
 
ジャリッ…。と、嫌な音が聞こえた。  
あちこちが朽ち果てた洋館。  
窓ガラスも、台風とかで割れたのか、幽霊が暴れたせいで割れたのか、  
破片はほとんど床に散らばっている。  
ここに来るまでに何度も踏み潰した、その音が聞こえた。  
ガラスの破片を踏んだ主…美神さんじゃない…瞬時に悟る。  
大体おかしいだろー、幽霊って足が無いもんじゃないか!何でガラス踏めるんだよ!  
 
「よっ…横島さん…!」  
「横島クン、ヤツが現れたわ!動いちゃ駄目よ!いいわね!」  
 
今まで息を潜めていた美神さんの声が聞こえる。  
んな事言ったってそりゃ無理ってもんだろマイハニー!?  
ヤツ、悪霊が現れた。顔なんかどろどろに溶けちゃって、人の形をしていない。  
耳がだらりと垂れ下がって、服もぼろぼろ。少しだけ残った皮と肉もすっかり剥けて骨なんか見えて。  
来る前に美神さんが説明してくれた。  
ここの悪霊は、何日も飲まず食わずで館に立て篭もって、しまいにゃ発狂して自分に火をつけて自殺したって。  
それだけでも俺、おなかいっぱいだったのにー!!おかわりなんかいらねーよ本当に結構ですから!  
 
「い゛っ…いやぁぁぁぁぁー!!美神さぁぁぁーん!!」  
 
残念ながら、この叫びを上げたのはおキヌちゃんじゃないんだな。俺なんだな。  
想像していた以上に気持ちの悪い悪霊の姿に、俺はすっかりビビってしまった。  
何度も注意されてた、聞いてた、頭じゃわかってた、理解したつもりだった。  
それでも恐怖に負けて、俺は方円から出てしまったんだ。  
美神さんの怒鳴り声と、悪霊の気持ち悪い奇声が聞こえたのは、俺が意識を失うちょっと前だった。  
 
 
散々横島が美神に怒鳴られ、事務所から投げ出されたその日の夜。  
 
横島が失敗をやった後の美神は、ここ最近特に機嫌が悪い。だが、それも一時的な物だ。  
使えない、とか、何で雇っちゃったんだろ、とか、色々と文句は口にするのだが…。  
(それでもやっぱり美神さんは横島さんが大事なんだなぁ…)  
美神の表情を見て、おキヌはそう心で呟き、くす、と小さく笑う。  
その笑みですら、射るような美神の視線に刺され、こそこそ部屋を後にするのが最近の日常だ。  
 
女の子なら誰だって、好きな男の子の格好良いトコロ、たまにでもいいから…見たいよね。  
 
<おキヌちゃん編>  
 
「いつも本当に有難うございます、ちゃんと明日お返ししますから…」  
「おう、いいって事よ!おキヌちゃんならそんじょそこらのヤツより信用できらぁ」  
「ごめんなさい、有難うございます…それに、夜遅く尋ねてしまって…」  
「いいっていいって、店じまいはこれからだったしな!」  
 
巫女衣装の古風な姿の美少女。宙に浮いていて、周りには人魂もいくつか飛んでいる。  
彼女はスーパーのビニール袋を手に下げ、ぺこぺこ何度も店主に頭を下げた。  
店主は気さくに話し、細い目を更に細め、彼女に微笑みかける。  
いくら店主の懐が広いとは言え、幽霊の少女がスーパーで買い物をするという非日常的な事を誰が信 
じられるだろうか?  
だが、この町では彼女の存在は最早当たり前の事だった。  
彼女の名前はおキヌ。  
300年程前に人柱としてその命を落とし、様々な事柄を経て、今現在は浮遊霊として存在している。  
彼女も最初は自分の自由のために、他の人間の命を狙う、といった行為を行った事もあった。  
だが、元々備わっている人柄の良さに、周りの人間も彼女自身もすっかり丸くなり、  
我々が『非日常』と感じる出来事も、普通に流されていく。  
 
「それじゃ、私はこれで…」  
「あ、ちょっと待ちな、おキヌちゃん!」  
 
何度も頭を下げながら、店を去ろうとするおキヌを、店主が呼び止めた。  
おキヌは不思議そうに首を傾げ、店主の方へと顔を向ける。すると、彼女の視界の前に映った。  
 
「わぁ!最高級線香!てれびでしーえむ見ました!欲しかったんです…どうしたんですか、これ?」  
 
プレゼントを目の前に、無邪気にはしゃぐ姿は、そこらの少女と変わらない。  
贈られた物はぬいぐるみなどではなく、線香という大きな違いはあるのだが…。  
彼女の嬉しそうな笑顔に、店主の顔もまた嬉しそうに緩む。この笑顔を見たいがために買った線香な 
のだ。  
何度も帽子を被り直して、言葉を選ぶため口をもごもご動かす。店主の、照れを隠す時の癖だった。  
 
「なぁに…おキヌちゃんが喜ぶと思ってよ、買ったんだ。持っていきな!」  
「そんな、有難うございます…いつもお世話になってるの、私なのに…」  
「いいって事よ!まぁ、贈られた相手がこんなオッサンじゃおキヌちゃんも困るよな。  
 おキヌちゃんには彼氏とかいないのか?」  
「えっ…?」  
 
おキヌは深夜、夜空をふわふわと飛び、先を進んでいた。  
その間も尚、考える事は先程の店主との会話内容の事。  
 
「かれし、ってなんですかっ?辛くてオデンには欠かせないものですか?」  
「おキヌちゃん、そりゃカラシだ」  
「じゃあ、お魚ですかっ?」  
「おキヌちゃん、そりゃカレイだ。彼氏ってのは男だ、恋人の事だよ。  
 好きなヤツとかいないのか?俺はね、おキヌちゃんの幸せな姿が見たくて…」  
 
好きな人、かぁ…。おキヌはぼんやりと、その言葉だけを繰り返し、ふわふわ先を進む。  
危うく電柱に激突しそうにー…ならない。おキヌはそのまま電柱をすり抜け、更に先を進んだ。ぼんや 
りしたまま。  
好きな人…横島さん。恋人…横島さん。幸せな姿…横島さん。  
何を考えても最後には、ある少年の姿が思い浮かぶ。人懐こそうな笑みと、めげない姿。  
彼の傍にいるととても楽しい。ぽっかりと開いた部分が塞がっていく感じがする。  
でも、それは何故なんだろう?幽霊のおキヌにはまったく理解が出来なかった。  
 
今日もツケで買い物を済ませ、向かう先は横島、おキヌが何度も脳裏に浮かべる男の姿だ。  
仕事で失態をやらかした彼を励ますため、食事を作り掃除もやるため、彼のアパートに通うのが日課に 
なっている。  
横島さんの笑顔が見たいから…。おキヌは、そう店主に話した。  
彼はその話を嬉しそうに聞き、更に目を細くして嬉しそうに頷いた。納得しているように。  
幽霊になってから久しく忘れていた感情、今のおキヌにはそれが理解出来ない。  
 
(そういえば、なんでなんだろう?なんで横島さんなんだろう?)  
 
他の人、例えば美神など、彼女らの笑顔を見るのも好きだ。破天荒な人達だけど、自分にとってはとて 
も大切な存在。  
だが、横島だけはおキヌにとって特別な存在だった。彼の笑顔を見ると更に嬉しくなる。  
味見もろくに出来ない自分の料理を、それはもう美味そうに食べてくれる。  
掃除を始めると物凄く慌てだすが、最後には笑って礼を言う。  
彼のために何かしてあげたい。それは何故なんだろう…?  
ふと、おキヌは足を止める。周りを見渡せば、あまり見慣れない風景。ぼんやりしすぎて随分迂回して 
しまったらしい。  
慌てて引き返そうとする彼女の目は、ひとつの屋根に止まった。  
 
「あれは…厄珍堂さんだ」  
 
 
明るく笑うねーちゃん達の声を最後に、TV画面は一転して砂嵐だけを映し始めた。  
面倒なので足を伸ばしてTVのスイッチを切る。  
瞬間、ビキッ!と身体が音を立て、痺れた。あー、筋肉痛だ…。  
 
「くそっ、今日もハードだったからな…」  
 
一人ごちながら、俺は臭い布団に潜りこむ。  
最後におキヌちゃんがうちに来て布団干していったのは何週間前の事だったかな。  
たまには自分で干さないとなぁ。そう思いながら、散らかった部屋を見渡した。  
電気を消して瞼を閉じれば、今日の仕事の光景が思い浮かび、眠れない。  
ぐちゃぐちゃの姿の悪霊、思いきり蹴飛ばされて気を失った痛み、怒った美神さんの顔…。  
いくら何でも、どんなに回数重ねてもどこかしらで慣れないもんなんだ、この仕事は。  
もっと給料が高くて、綺麗なねーちゃんと接する事の出来る他のバイトに移りたい。  
何度もそう思う事はあった、けど、最後には身体も頭も否定する。  
やっぱり自分は芯まであのボディコンねーちゃんの奴隷なんや…。  
一人涙を流す俺。痛々しいなー、俺。  
 
「…駄目だ、眠れん」  
 
半身を起こし、再び電気を点ける。暗闇の中、すぐ煌煌と照る光に一瞬目が眩んだ。  
眠れない時はこれだな!  
俺はティッシュの箱を引き寄せ、山積みになった雑誌の中から適当に一冊エロ本を引っ張り出す。  
軽く深呼吸し、いざ!トランクスを引き下ろそうとすると、タイミング良く玄関を叩く音が聞こえた。  
申し訳なさそうに、小さく、コンコン、と何度も。こんな時間に誰だよ…。  
おキヌちゃんはノックなんかしないし、まさか美神さんが来るとも思えない。  
残された最後の考えに思いきり首を振って、布団奥深くに逃げ込んだ。  
ま、ままままさかあのぐちゃどろの悪霊じゃねーよな!?  
復讐に来るんなら俺のところに来るのはお門違いだろ、美神さんのところに行けよ!!  
 
「…横島さん…横島さん、ごめんなさい、もう、寝ちゃいました…?」  
 
玄関の向こうから聞こえてきた可愛い声。それはすぐにおキヌちゃんの声とわかった。  
のんびりとした可愛い声、普段良く聞いていた、聞き間違う事の無い声だ。  
でも、何故おキヌちゃんが?玄関をノック?普通ならすぐに扉を抜けて姿を見せるのに。  
一向にその気配は無く、間を置いてはノックと呼びかけを繰り返す。  
 
もしやこれは罠か?開けてびっくりあのぐちゃどろ悪霊だったりして!?  
いやまさかそんな、あいつはきっちり美神さんが除霊したはずだし…。  
…開けて、ダッシュで逃げれば大丈夫かな…。  
ごくり、喉が鳴る。俺は恐る恐る、震える身体を押えながら玄関を開けた。  
 
「横島さん…。ごめんなさい、寝てましたか?」  
 
スーパーの袋を下げて、ほっ、と安堵の溜息をつく、おキヌちゃんの姿がそこにあった。  
驚いたのはその姿だ。いつもの巫女衣装じゃない。  
シンプルなブラウスと、ふんわり裾の広がるスカートを履いている。  
膝下までの靴下と、足にはスニーカー。玄関先に『立っている』おキヌちゃんがそこに居た。  
 
「お、おキヌちゃん…?どうしたんだよ、一体…?」  
「あ、あの…ええと…」  
 
俺の疑問をよそに、おキヌちゃんは俺の顔を見たまま固まってしまった。  
顔を真っ赤にして、軽く俯き、もじもじ身体を揺らす姿が何か余計に可愛いというか…。  
 
「あ、あの…ご飯と、お掃除…その…寄り道しちゃって、遅くなって…」  
 
やっと、といった感じで、説明を終わらせるおキヌちゃん。  
ふらつく足取り、歩く事に慣れていない…そんな足取りで、玄関に上がってくる。  
 
「きゃ!」  
 
案の定、足をもつれさせて転びそうになった。反射的に俺は彼女を受け止める形になる。  
転ぶおキヌちゃんというのも珍しい、初めて見たが、おキヌちゃんの身体に触るのも初め…  
なっ、何を考えてるんだ俺は!?あのおキヌちゃんに何をする気だ!?  
瞬時に、脳裏に美神さんの怒った顔が浮かんで、興奮する暇も無い。  
いくら生身のおキヌちゃんが柔らかいとは言え………柔らかい!?  
 
「お、おキヌちゃん…いつ人間になったんだ?」  
 
そうだよそうだよ、おキヌちゃんは幽霊のはずだ。  
本人は300年も幽霊をやってる事で、大抵の物には触れるけど、こっちから触る事は無かった。  
それに着替えた姿を見るのもほとんど無いし、普通は宙に浮いているはずなのに。  
 
頭ではずっと美神さんが鬼のような形相で怒鳴り続けてるもんだから、考えて行動できない。  
ただひたすら、頭の中の美神さんに土下座している中身の俺。中の人など…!  
…だから、今、この手の動きは本能なんだろうな…。おキヌちゃんの身体の柔らかさを楽しんでる。  
二の腕も肩も、胸は勿論、全部が全部柔らかい。力を込めたらすぐに潰れてしまいそうだ。  
これが女の子…ねーちゃんの柔らかさなんやなぁ…。感動…!!  
 
「あっ、あのっ!ごめんなさい、離して!」  
 
やっぱり顔を真っ赤にしたまま、信じられない力で振り解かれる。  
壁に凭れ、何とか気分を落ち着かせようとしているのか、おキヌちゃんは何度も深呼吸していた。  
つられて俺も深呼吸する。ふんわりと良い匂いが鼻をくすぐった。  
シャンプーの匂いだ…。おキヌちゃんから来ているのかな、おキヌちゃん、風呂入ったのか…。  
風呂入れるのか!?その疑問はすぐに弾かれ、良い香りに心臓がバクバク鳴り始めた。  
 
「…横島さん…に、何か…私、できること…考えてて…」  
「横島さん、今日も、落ちこんでたから…私…何ができるかなって…」  
「掃除とか…いつもやってる事以外に、何か…でも、私…だから…さっき…」  
 
ぽつぽつ喋り始めるおキヌちゃんだが、俺には何を言ってるのかさっぱりだ。  
 
あんまり小さな声だから、聞き取れないところが沢山ある。  
何とか聞き取ろうと思って、耳を近づけると、おキヌちゃんは肩を震わせ、一歩後ろに下がってしまう。  
まるで俺がおキヌちゃんを襲おうとしているみたいじゃないか。  
 
(このっ、馬鹿横島ぁぁぁ!!)  
「うわぁぁぁすみません美神さんっ!違います違います何もしてませんしませんー!」  
 
襲う、と考え妄想した瞬間、また美神さんの怒鳴り声と、怒った姿が脳内に浮かんだ。  
今度はあまりにもリアルに鮮明だったため、つい腕を振り回して大声を上げてしまう。  
おキヌちゃんは俺の大声に驚き、何度も瞬いて、…小さく笑いを零した。  
 
「…やっぱり、横島さんは美神さんの事しか考えてないんですね」  
 
嬉しそうで、どこかしら悲しそうな笑顔だった。  
何か無性に罪悪感を感じて、胸が痛む。何か、凄くいけない事をやってしまった気がした。  
 

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