軍事用の早馬を走らせて、ほぼ一日。コムスプリングスの馬場に駆け込むと、急ぎ馬番にその綱を渡す。  
 
「お疲れ様です。あの方なら、もう街の反対側の入り口でお待ちですよ。」  
「そ、そうか……。」  
ばれている。その気恥ずかしさにやや照れながら、そそくさとその場を後にする。  
その様子では相当待たせてしまっているに違いない。  
主君を待たせるなど、臣下の風上にも置けない行為。もっと早く来れなかったのだろうか。  
馬より降ろした荷物のなかにある、王母アンジェラ様より下賜されたいつものドレスを着ている時間がない。  
愛しい男性の前で美しく装いたい気持ちと、これ以上待たせてはいけないと思う気持ちがぶつかり合った。  
一瞬悩んだ後駆け出した。  
 
頭のなかを壊れた計画がぐるぐると回っている。  
 
本当は先にお待ちする予定だったのに。  
待ち合わせの湯気が立ち上る川の手すりにたたずんで、きちんとお待ちする予定だったのに。  
カーマインが来たら、振り返って微笑んで「お待ちしておりました。マイロード。」って言うはずだったのに。  
ああ。化粧もして、まわりの女の子たちよりも目立ってみせて、彼を喜ばせてみせるつもりだったのに!  
彼の優しい微笑を見ながら、ちょっと照れつつ私は少しは女性らしい振舞ってみせる。そして――  
 
「どうですか? ちゃんと女の子に見えるでしょ?」  
この言葉を言ってみたかったのだ!  
なのにこの無様な失態はなんなのだ!?  
どうかまだ彼が来ていませんように。  
 
大陸一の観光地。温泉街をのんびりと流れる旅行客をかいくぐって、約束した場所に近づく。  
しかしキャーなどと女性達の甲高い悲鳴や軽いざわめきを感じ取って、やはり……と心が乱れた。  
見ればその先に少し大きめな輪ができていて、カーマインの見慣れた紅いジャケットがちらりと見えた。  
足が速まる。  
 
「遅くなりまして申し訳ありません!」  
わざと大きめな声で到着を告げれば、女性達が残念そうに垣根を解いた。  
彼が顔をあげて私を見ては、優しく微笑みを浮かべてくれた。  
 
「俺も今来たところだから。」  
「まずは一緒にお食事でもいかがですか? マイロード好みの、良い店を見つけておきました。」  
「食事か。」  
「……それとも先に温泉で疲れを癒しますか? でしたら、私がお背中を流して差し上げます。」  
彼が苦笑した。二人してその場を離れる。あわせて取れた休暇は一泊二日。  
 
「あの……ここしばらくは、お互い任務で会うことができませんでしたが、お体の方は大丈夫でしょうか?」  
「ああ。心配かけたな。もう大丈夫だが……ジュリア、埃まみれだぞ?」  
とその指で、乱れた髪に触れられれば、あまりの恥ずかしさに慌てて振り払い礼を述べる。  
今は情けないことに軍服……いつもの紫のIK(インペリアルナイト)服である。色気のある話などとても出来ない。  
 
「申し訳ありません。」  
「先に宿に行って一度身奇麗にしたほうがいいだろう。」  
「はい。」  
 
カーマインの見立ては確かだ。  
彼よりも慣れていると思っていたここの地理も、ぐちゃぐちゃと入り組んだ裏通りに入れば方向を見失う。  
彼が何度も地図を見直す様を見ながら、小さな路地をひたすら進み、やがて小さな門をくぐると見慣れぬ植物がうっそうと茂ったな森に出る。  
その先の案内板をみて初めてこれが宿だと知った。それぞれ独立した棟の一つが今日の泊まるところらしい。  
彼から離れて奥の控えの間に入る。  
 
例のボディラインを強調するドレスとは別にもう一枚。  
用意してきた紺色の膝下まであるツインドレスを見る。実は試着していない。  
シュッツベルグの実家から強引に送られてきた衣装のひとつに紛れ込んであったものを、とっさに選び取ってきたものだ。  
据付けられていた大鏡で、自分の体と見合わせてみる。  
似合うだろうか。彼に気にいってもらえるだろうか。  
そう考えながら体を後ろに捻ったところで、がくりと腰が沈んだ。  
 
「うわ……!」  
その情けない声に彼が走りこんできた。  
 
「どうした?」  
言葉が出ない。打ちつけたばかりの尻が痛い。  
周囲には脱いだばかりの制服や手袋やその他諸々が、脱衣籠から一緒に落ちたまま散乱している。  
ああ。今朝から失敗続きで自分が本当に嫌になる。  
本当はもっと上手に振舞って、彼を喜ばせて見せたいのに。  
どうしてこんな、彼の前で失態ばかりしてしまうのだろう。  
 
「着替えさせてやろうか?」  
視界が涙でにじむ。  
彼が戸口に体を預けて笑いを堪えている様を感じ取り、恥ずかしさのあまりこの身が消えてなくなってしまえばいいと呪った。  
そんな私に気を使ってくれたのか、カーマインが優しく言い続ける。  
 
「いいんだよ。いつも近寄りがたすぎるくらいだから、たまには弱みも見せてほしい。」  
「……そんなに近寄りにくい……ですか?」  
「まあ、一般的にはそうだろうな。女性だけど大陸最強と呼ばれたIKだ。隙がないし、実際怖い。」  
カーマインにもそう見られていた。悲しさで胸が苦しくなる。  
当然だ。やはり女性らしさの欠片もない男勝りの私では、彼の愛など得られるはずもない。  
 
「だから俺以外の男を寄せ付けさせないと、信用している。」  
その意味は……! 期待していいものだろうか、と顔を上げて彼を見る。  
いつもの強気な笑みがそこにあった。  
 
「あれから浮気、してみたか?」  
そんなことするわけがない。私は彼一筋だ。  
全身で否定しては彼の笑みがこぼれたのを見て、また泣きそうになるのを必死に押さえて笑顔を作ってみせる。  
彼のたくましい腕が伸び、私の手をすくっては抱き起こしてくれた。  
簡易椅子にすわらせてくれたところで、部屋の方へ戻っていった。  
 
手間取りながらもドレスを着て身づくろいも済ませた後、恐る恐る彼の待つメインルームへ行く。  
彼は私に気がつくとベッドから上半身を起こした。  
そのまま無表情でじっとこちらを凝視している。  
そ、そんなに似合わなかったのだろうか?  
怖くなって咳払いしてみる。彼が苦笑した。立ち上がるとやさしく抱き寄せてくれた。  
 
「今回は俺がおごる。」  
「ですが……。」  
「俺はジュリアにとって主なんだろ。なら面倒を見るのは当たり前。」  
「……は……い。お任せします。」  
主――  
その言葉に改めてその現実を思い出してしまって、高揚していた気分が一気に醒める。  
そうだった。私は彼の剣にすぎない。  
 
わかっていたはずなのに……  
 
グランシルで気がついたではないか。彼の腕に抱かれているのは私だけではないと。  
やはり彼にはきっと別の、心から愛する女性がいるに違いない。  
私は所詮仮初の女に過ぎないと……  
この行為もきっと臣下である私を労ってくれているだけだと……  
 
わかっていたはずなのに!  
 
己の立場をわきまえず愚かな私。  
体が急激にこわばり、心には絶望と孤独の雨が降り注ぐ。  
気づかれたくなくて先に外に出て、彼が鍵を閉めるのを見守った。  
彼がいつもの紅いジャケットを脱ぎ置いてきたせいか、しなやかに動く腕に目が奪われる。  
そのまま立ちすくんでいると、先に歩き出した彼が不思議そうに振り返った。  
促されて私もとぼとぼと歩き出しては、彼が所在なさげにズボンに手を突っ込むんだのを寂しく見つめた。  
 
彼から予約していると聞いたレストランは南側の繁華街の奥にある。  
気がつけば無言で二人やや距離を置いて歩いているのが耐えられず、一刻も早く辿り着きたくて足が速まっていた。  
後もう少しでこの苦痛な時間が終わる。  
そう急きすぎたのか、階段を降りかけたところでまた体が沈みかけよろめいてしまった。  
私が手すりに捕まるよりも早く彼が動き、私を抱きかかえるように引き寄せる。  
そのまま強く抱きしめられた。  
 
「!」  
「大丈夫か?」  
「……マイロード……。」  
息がとまる。彼の柔らかい黒髪が、暖かい吐息が、耳元にかかるのを感じうつむく。  
心は切なさで凍えているのに、体が彼のぬくもりを感じて熱くなる。  
今はこの静まらない心臓を彼に聞かれたくない。  
 
「急がなくていい。飯は逃げない。」  
「……往来で抱き合うのは、恥ずかしいものですね。」  
飯は逃げない……カーマインにそんなことを言わせてしまうなんて。  
あまりの情けなさと惨めさに打ちひしがれた。  
 
やっと束縛を解いてくれた彼の腕が、私の背をまわり腰を支えてくれた。  
歩き出す。彼がさっき以上に私の歩幅に合わせてくれているのがわかる。  
こんな風に体を寄せ合って歩くなんて、まるで恋人同士のよう。  
行きかう人々にもそう見えるのだろうか。  
だけど彼にはもっと熱く抱きしめあう女性がいて、とても似合いな一対をなしているに違いない。  
 
どうしよう。  
これは心理的に危険な兆候だと理解しているのに、どんどん落ち込んでいくのがわかる。  
彼はいつも優しいから。誰にでもしている当たり前の態度だから。勘違いするのは愚かなことだから。  
期待するだけ無駄だから……今はこの態度が辛すぎて泣きたくなる。  
 
彼が選んだ店の扉が開いた瞬間、耳に飛び込んできた喧騒にあっけにとられる。  
最近オープンしたばかりの海鮮バイキングの店らしいが、この観光地にあっていない気がする。時代の流れか。  
案内されて席に着くと、カーマインはさっさと料理を取りに言ってしまった。  
戻ってきたカーマインは私の皿にも強引に盛り付けてゆく。  
私はためらった。  
私の育ったシュッツベルグもバーンシュタイン王都も、海が近くになかったせいであまりこういった料理に慣れていない。  
 
「嫌いなものがあったのか?」  
「いえ。……その、マイロードの御前で、見苦しい食べ方になるかもしれません。」  
「俺もだ。今更そんなところに気を使う関係じゃないだろう? その場にあわせて愉しめばいいんだよ。」  
その言葉にはっとして彼を見る。  
せっかく彼がこれだけお膳立てしてくれているのに、何を一人落ち込んでいたのだろう。  
カーマインの言うとおり今は余計な事を考えないで、楽しめればいいではないか。  
一緒になって手づかみで挑戦する。彼がそれを見て苦笑した。  
 
景気よく、周囲の音に負けんばかりに彼が蟹の脚を引きちぎる。  
バーンシュタイン城の晩餐会で見た、騎士としての上品な振る舞いは演技だったらしい。  
次々に皿の獲物を平らげてゆく。  
あの生気を失った頃の食の細さが嘘のようだ。  
その様をまじまじと見守っていると、ちろりとこちらを見て苦笑した。また皿に熱中しはじめる。  
可愛い。ああ、もう手も口回りも、食べ粕やら貝汁やらで、べとべとじゃないか。  
ずいぶんと彼と行動を共にしてきたが、こんな様は他の女性には見せてはいまい。  
あえて魅せているのか。それとも本性を現したのか? 想像するだけで楽しい。  
 
食後は見慣れた大通りを二人してぶらぶらと歩く。  
欲しいものがあるかと聞かれ、思い切って彼の腕にからむ。  
見た目以上に艶のある滑りのいい彼の腕が、とても気持ちいい。  
欲しいのはマイロード。貴方のすべてだと言えたらいいのに……  
 
夕暮れ近くになって宿に戻ると、いつの間にか明かりが燈された籠があちらこちらに置かれていた。  
露天風呂に先に入ったカーマインを追いかけるような形で私も入る。  
大判のタオルで体を包み戸口にたつと、見つけた彼が苦笑した。  
軽く体を洗ってそそそと温泉に入ると、さりげなく、そう、あくまでもさりげなく彼の側に近寄った。  
湯船に流れ込んでくるお湯の音が、やたら響いては心をどうしようもなく波立たせる。  
あのグランシルの夜に肉体関係を結んでいなかったら、とてもできるはずもない大胆な行動だと思う。  
しかし湯気の合間から彼の金と銀の瞳がこちらを見ているのには、さすがに耐えられず顔を反対に向けた。  
彼がまたふっと苦笑したのを背中越しに感じた。  
 
程よく温まったところで彼の背中を洗わせてもらう。  
泡立ちのよい石鹸の香りが鼻をくすぐる。彼の背中もよく見れば傷跡がところどころ残っている。  
一年以上前、出会った頃は傷ひとつなかっただろうに。それは大切な人を護りきった歴戦の証。  
そしてあの夜痛みに耐えかねてつけてしまった傷跡を探す。  
が、思ったより浅かったらしくその形跡は見当たらなかった。ちょっとほっとして、少しがっかりしてしまう。  
 
やがて風呂をあがると、ベランダに立っていた彼に寄る。  
優しい笑みを浮かべて彼が抱き寄せてくれた。  
そのまま熱い彼の肌を感じながら、いつまでもこのままいられればいいのに、と思った。  
月が私たちを照らし出した頃、カーマインと部屋に入る。  
彼はもう一度強く抱きしめた後、私を手離した。無言でベッドに入り込む。  
 
「マイロード?」  
彼からの返事はない。自分に背を向けてぴくりとも動かなくなった彼をみて、不安が押し寄せる。  
 
私は……  
 
俯いて自分を見る。胸の谷間がのぞく。  
彼が望むかもしれない。そう思ってガウンの下には肌着は着けてはいなかった。  
先程までの高揚感は再び絶望に変わる。  
飽きられていたのだ。  
 
 
眠れない。  
寝返りを打って彼を見る。  
相変わらず暗い闇のなか、やっと少し差し込んできた月明かりで彼の背の線が見えるだけ。  
暗闇が本当に怖いと感じているのは、彼が……  
私の前からいなくなること。消えてしまうこと。永遠に失われてしまうこと。  
 
パワーストーンのおかげで一命は取り留めているとはいえ、その効力はどれほどのものなのだろうか。  
人と同じならやがて寿命と共に命は費える。だけど彼が人と同じ年月を生きるとは限らない。  
明日にも、今日にも、突然死を迎えてしまうかもしれないのだ。  
死に方だって、かつての彼の同胞と同じように泥のように崩れて溶けるとは限らない。  
眠るようにある日冷たくなって、静かに逝ってしまわないだろうか。  
 
怖い。  
耳を澄ます。  
彼に舞い降りる死神の気配を探る。  
息遣いが聞こえない。  
怖い。  
ベッドを抜けて彼の傍らに寄る。  
それでも息遣いを感じ取ることが出来ない。  
戸惑う腕でそっとカーマインの頬に触れる。  
暖かい、生きている。ほっとした瞬間その腕を掴まれた。  
 
「……分かっているのか? 俺は……俺が生まれたのは!」  
それ以上言葉はない。  
突き放されたときに感じ取った、腕を通して伝わったかすかな震え。  
影だけが揺れ動く。  
戦場で鍛え上げた私の直感は、彼が何かに脅えていると告げる。  
取り除いてあげたい。  
彼を悩ませる影を。そう思い手を再び伸ばせば、あっけなく彼はその身を委ねてきた。  
 
「もちろんわかっています。マイロード。」  
彼の腕が私を求め、強く抱きしめ返される。  
あがった息で空気を求めるかのように、顔を空に向けたカーマイン。  
瞳が潤み、糸を引いて月の光を帯びた玉が零れ落ちてゆく。  
それを胸でぬぐい受け止める。  
声を上げて泣いてしまえば楽だろうに、そうせずに耐え忍ぶところが、切なくて……  
ラシェルの保養所で義妹ルイセのために涙したという時も、こんな感じだったのだろうかと想像する。  
と、突然我に返ったように、弱々しく私の腕を払いのけようともがき始めた。  
 
「俺は……ゲヴェルなんだぞ。」  
「ゲヴェルだからどうだというのです?」  
彼が倒れたとき、ローザリアの実家で義母のサンドラ様からおおよその事情は伺っている。  
私も彼と同行してからは一緒にその衝撃的な事実を受け止めてきた。  
彼が旧時代の怪物ゲヴェルの腹から生み出された私兵で、彼の国の撹乱のために送り込まれたスパイであったことも。  
しかし実際には義妹ルイセが最強のグローシアンであったため、思念は閉ざされ真実を知らずにごく普通の人として生きてきたことも。  
ゲヴェルの脅しに「何のためらいもない」と即答する程、何よりも深く家族を愛していることも。  
 
「俺のなかに闇がある。それがどんどん俺を蝕んでいる。」  
「誰もが闇を持っています。貴方はそれに負ける方ではありません。」  
彼のなかの闇……初めて聞かされる言葉に、心がざわめく。  
 
「俺が狂ったらどうなると思っているんだ!? お前を殺してしまうかもしれないんだ!」  
「命など惜しくはありません。正気に戻させます。」  
「ゲヴェルの力を引き出したヴェンツェルを、お前は醜いと言っていたよな。あの姿になるんだ。」  
「どのような姿をとろうとマイロードはマイロードです。貴方の心が気高く清らかであることは変わりありません。」  
彼がくくくっと哂いを洩らす。  
やがて腹を抱えて大きな声をたててのた打ち回るように哂いだした。  
その切なく遠くを見るような瞳に、歪んだ笑みに、彼が今まで自分の事をどのように思ってきていたのか、思い知らされ愕然とする。  
誰よりも純粋な生き様を、誰よりも激しく誇り高くひたむきに歩み続けてきた軌跡を……彼自身は知らないのだ。  
彼がもしゲヴェルになったとしても、私は醜いと思わないだろう。  
どのような姿を借りようとも、彼の魂まで醜くなるなんて思えないから。  
 
「俺が清らかだって!? お前に俺の何がわかる!?」  
「誰も自分自身が一番見えていないものです。貴方は私が見込んだ素晴らしい方です。」  
「俺は闇の命じるまま、今すぐにでもお前を引き裂いて食い殺してみたくてたまらないんだ!」  
「マイロード……!」  
私をにらみつけている左右異なる瞳は妖しくぎらついている。  
彼の闇の片鱗を見た気がして背筋が凍る。  
でもここで絶対に怯んではいけない。  
私は彼の剣。彼の心を闇に染めさせはしない。  
真っ直ぐ見つめ返して受け止め返す。  
 
「わからないのか!? 俺の言いたいことが――!」  
「マイロード、落ち着いて。」  
「俺は……いずれ化け物になって、欲望のままこの世を滅ぼすって言ってるんだ!!」  
「そんなことはさせません。あなたの望みでない以上、全力で防いでみせましょう!」  
 
それが彼を悩ませ苦しめ続けている悪夢――  
彼が命がけで守ったはずの世界を、人々を、彼自身で壊してしまうなんて何よりも耐えられるわけがない。  
 
彼が私を払いのけようとする力が高まるのを感じ、必死に離すまいと抱きしめる腕に力を込める。  
私の女の感は、彼をこのまま手放せばすぐにでも命を無駄に散らしかねない、と教えてくれる。  
ベッドのなかで激しく攻防を繰り広げた後、彼を覆っていたブランケットが床におちた。  
 
「もし……! もし俺がこのままお前を犯して、ゲヴェルの……子が生まれたらどうする気……だ!?」  
「大切に育てます。」  
「!!!」  
動きがとまった。  
薄く指す月明かりの中、信じられないといった顔つきで、彼の揺れる瞳が私を見つめている。  
そんな彼の頭を胸元に抱き寄せ、優しく何度も撫でる。  
観念したかのように、この腕に込められていた力が徐々に抜けてゆくのを感じた。  
 
もう一人で悩まなくていいのです……  
貴方が闇に墜ちるなら、私も一緒に逝かせてください……  
 
「マイロード。私の決意を軽く見ないでください。」  
「……。」  
「貴方のすべてを護りたいのです。あなたの剣になるときにそう誓ったのです。」  
「……。」  
「貴方自身の闇からも、あなたの心を護りきってみせましょう。」  
「俺は……っ。俺は――――――!!」  
彼が動いて私をベッドに押し倒した。  
ガウンを引きちぎるような勢いで私から取り去るとそのまま覆いかぶさってきた。  
荒々しく私の体を獣のように這い回る彼の手や唇。  
激しい息遣いと、今にも泣き出すのではないかと思えるようなか細い声が漏れ、そのまま熱い塊が私の体に押し込まれた。二度目の交わり。  
 
が、その瞬間息ができないほどの激痛が走りぬけ、私は体をこわばらせた。  
彼が動くたびに、下半身が切り裂かれていくようだ。  
信じられない。同じ行為のはずなのに。快楽とはとても呼べるものではない。  
あまりの辛さに、悲鳴をあげそうになるのを、持ち前の忍耐力で押さえ込んだ。  
彼に気づかれてはいけない。彼の思うままにさせてあげたい。  
 
これは彼の痛み。彼の苦しみ。彼がずっと心に溜め続けて魂の叫び。  
 
ならば何故ここでひるむ必要があるのだろう。  
今にも気絶しそうな痛みの波を受け止めながら、彼の背を抱きしめた。  
悲し過ぎるくらい一途な彼の、隠されていた心の内を受け止められる存在になれたのが嬉しかった。  
 
眼を覚ます。  
まぶしい光のすじが二人のベッドまで差し込んでいる。  
横で眠るカーマインを見る。  
あの頃と違って穏やかな寝顔だ。ほっとしてまた目を閉じた。  
また目を開いたときには、金と銀の瞳が私を見つめていた。  
 
「ジュリア。」  
「よく眠れましたか。マイロード。優しい寝顔をしていらっしゃいましたね。」  
体を起こすと、彼の漆黒の髪を優しく撫でる。  
彼が身を寄せてくる。ふと顔をあげて私を見つめた後、私の乳首にすがりついた。  
 
「あ……。」  
赤ん坊のような仕草に、心地よい快楽がこみ上げてくる。  
サンドラ様ほどには尽くせないだろうけど、それでも彼にすがられるのは嬉しい。  
 
撫でていた頭を離し、ゆっくりと彼の体に自分の指を滑らせる。  
そして下半身でくつろいでいた男性のソレに手をかけた。  
彼が驚きの表情をこちらに向けてくれている。  
私は続ける。  
先端を優しく刺激し続け、裏筋にゆっくりと指を這わせ付け根を撫でまわす。  
カーマインのソレが徐々に硬く大きく熱を帯び始めたのを見て手ごたえを感じた。  
そろそろこのあたりで昨日の失敗続きを挽回したい。  
 
今回逢えることが決まった日のことだ。  
「もう数ヶ月逢っていないんだよね。愛想つかされちゃうかも……」なんてからかわれて、「ならどういう勉強をしたほうがいいか、教えてくれないか?」なんて逆に聞き返し、オスカーを酷く慌てさせた。  
「君も……がんばるねえ。本気なんだ。父君のダグラス卿には黙っておいてよ。」と苦笑しながらその手の、官能純愛小説を数冊貸してくれた。  
オスカーは男だから、卑猥な本くらい持っててもおかしくはないが、深夜寄宿舎の自室で読めば、頬が朱に染まってしまうのは仕方がなかった。  
 
体も動かして、今度は彼のモノをこわごわと観察する。  
舌で彼のモノに恐る恐る触れる。  
……。  
最初は小説の一文どうりに……してみたけど、ちょっと違うみたいな気がした。  
素直な彼のモノはびんと天を目指して突きたってて、フェザーランドの浮かぶ大岩が思い浮かんだ。  
そのうち彼のモノの反応が面白くなり、その反応のままに可愛がってみる。  
どれくらいまで起ち上がるんだろう。舌で促してみる。  
モノの下に隠れていた二つの玉に目を向ける。  
ちょっと邪魔な黒毛を押しのけて、不思議なしわ模様を指先で撫で撫でした後、思い切って口に含んで吸ってみた。  
突然彼が身をよじった。  
びくりとして見上げれば、熱い吐息をはきながら汗をにじませ、眉をひそめ瞳はややおぼろげで快楽に酔いしれているのがわかる。  
 
彼が私の行為に悦んでくれている。  
この彼が心の奥に閉じ込めているあの弱さを他の女には見せたくない。  
昨日のあんな乱れた悲痛な声で怒鳴り散らすカーマインを見たのは、おそらく私が初めて。  
私のなかで独占心が昨日以上に高ぶっているのを感じた。  
 
グランシルで感じたカーマインにまとわりついている女性の影。  
彼の心を掴み取った人。  
今だ心当たりがありすぎて誰が絞れない。  
初めて出会った頃から彼は女性にモテてていたし、女性に対していつも平等で優しかったから、本命が誰なのかつかめない。  
 
戦いの最中常に側に置いて、何よりも大事にしていた、素直で可愛らしい義妹?  
監視役といいながらも、誰よりも彼を理解し、明るく彼を励ましていた羽虫?  
年上の落ち着きと、女性らしい魅力に満ち溢れた、男なら誰もが憧れそうなあの美人な看護婦?  
それとも義妹の学友で、彼に一目惚れしたと堂々と周囲に宣言し、熱烈だった赤毛の少女?  
ああ、誰だろう。  
私が側にいない間にその女性とはどこまで進み、どれほど心を通わせているのだろう。  
 
「ジュリア……。」  
「はい。」  
「その、もう出……そうなんだが、退いてくれないか?」  
体を起こそうとしている彼を、強引に押し沈める。  
困ったような彼の瞳と、意地の悪い笑みでそれを邪魔する自分がいた。  
その女性に対してはこの行為にどう反応しているのだろう。  
 
「嫌です。私の口ではご不満ですか。」  
「……止めておいたほうがいい。」  
「なら、その気になっていただくまで。マイロード。貴方の寵が欲しいのです。」  
「寵?」  
その言葉に彼の瞳が不思議げに私を見つめる。  
それを無視してまた彼のモノを可愛がる。  
彼の喘ぎが増し、モノもより硬くはちきれそうなほど膨れたのを感じた。  
 
「く……っ。」  
「んん!」  
口のなかに彼の精が溢れる。  
これは……苦い。  
あの小説でこの部分の女性側の描写が曖昧だったのはそういうわけだったのか。  
と後悔したが、それ以上にこちらの困惑を悟られて、彼の弱った顔を見せられたのが許せなかった。  
ぐっと我慢して飲み込む。  
やはり不味いし、ねばねばして生っぽい、後味も酷い。とても愉しめる行為ではないと思った。  
 
「……。」  
「だから言っただろ。」  
彼が体を起こして私の腰をつかんで引き寄せる。  
が、恥部を触られかけて、思わず体が引いてしまう。  
昨夜貫かれ続けた痛みは、グランシルの初めてのときより遥かに辛く激しいもので、私は男女の交わりの難しさを思い知らされた。  
彼がまた私の顔をいぶかしげに覗きこんできた。  
 
「も、申し訳ありません。その……。」  
どうしよう。  
彼が求めているのに応じれないなんて。  
やはりさっきの続きをしてごまかせないだろうか。  
しかし彼は異常に感がいい。  
時遅く、もうその理由を読み取ってしまったのか、私を申し訳なさそうな瞳で見つめている。  
 
「昨夜は、その……すまなかった……。」  
「……。」  
「止めておこう……か。」  
彼がうつむいて私を離す。  
息を呑んだ。  
カーマインがはっきりとわかるほど落ち込んでいる様子が伺えた。  
しまった。彼を拒むなんて!  
慌てて彼を抱きしめてその異なる瞳を見つめる。  
 
「私はマイロードの剣です。どうか……お気が済むまでお使いください。」  
彼の戸惑いがありありと見えた。  
私の心を一瞬で見透かし、苦笑して抱きしめてくれた。  
 
彼は座りなおすと、私を膝立ちにさせて優しい愛撫を始めた。  
暖かい腕や彼の体が私の体を包み込んでは這い回るうっとりとした感触。  
彼の唇、彼の舌、彼の指、そして彼の体で、優しく時には熱く刺激されて、私の体全体が性感帯になってしまったかのような錯覚に陥る。  
倒れこみそうになるのを必死に押さえて彼にしがみつく。  
 
指先で私の唇をなぞった後、その唇が下から被さってくる。  
この二度目の彼からの口づけはとても情熱的で、あまりの凄さにすぐに頭のなかがすぐに真っ白になる。  
グランシルのときはかなり手加減をされていたのだと知らされた。  
私も彼に応えようと必死に口を開いては舌を動かして絡めてみる。  
でも彼の方が断然うまい。  
唇の左右の端を舐めすくい、歯列をなぞり、口のなかに進入してきては上を確かめ、そして逃げ込んでいた私の舌を見つけ出して絡ませてくる。  
どこまでも甘い唇の感触とざらついた舌が、絶妙な動きで私を蕩けさせる。  
私は防戦一方で、唾液が吸われて口の中を這い回られるあまりの心地よさに耐えられなくなり声をあげてしまう。  
同時に乳房に与えられる刺激もあの時と同じ、いやそれ以上に丁寧なもみ心地がすごく気持ちいい。  
まるで乳房全体が別の生き物になってしまったみたいに、彼の両手のなかで不思議な動きをしてはその指に吸いつくように跳ね回る。  
今まで邪魔なだけだと思い込んでいたものが、今私と彼を喜ばせる存在になっている。  
その先端に彼の親指が触れた瞬間のけぞった。  
彼のせいであまりにも敏感になりすぎている体。突き抜けるような快楽にもう耐えられない。  
 
彼に触れられるたびに、次々に目覚めては溢れ出す女の欲情。  
自分の体にこれほどの快感が眠っていたことを知らされて戸惑ってしまう。  
だけどその一方で、あのはじめての夜を体験してしまったせいか、すごく物足りないさを感じだす。  
彼の思いを全身で受け止めたいのに、何を躊躇っているのだろうと自分を叱咤した。  
 
「マイロード。私に褒美をいただけませんか。」  
「褒美?」  
「私はその、マイロードに忠誠を誓いましたが、無条件でお従いするつもりはありません。」  
「……。」  
「私を抱いていただきたいのです。」  
大きく見開かれた後、静かに閉じられる左右異なる瞳。  
言った後にどうしようもなく恥ずかしくなり彼から顔を背けた。  
 
彼の手が私の向きを反転させた後、恥部を探りはじめた。  
背後から伸びる彼の指先が私の敏感な部分を探り当てると優しくじらし始める。  
擦ってたり撫で回したり、くすぐったり軽く摘んだり、刺激も全体に渡ったりそこだけを攻めたりと、常にその動きが一定しない。  
彼がとても慎重に、丁寧に私の反応を観察しながら触れているがわかる。  
そのあまりの気持ち良すぎる刺激に体が何度もぞくりとし、脚ががくがくと震えだす。  
この過激しすぎる彼の指から逃れたくて……違う。  
もっと感じたくて、その動きに合わせて腰が尻が勝手に動いてしまう。  
彼も私の動きに反応して弄る感覚を変えてくる。  
このまま絶頂を迎えてしまいそうで怖くなる。  
 
「ああ! マイ……ロード!」  
「感じるか?」  
「はい。きてください。」  
「……痛いならそう言ってくれ。」  
激しい刺激に酔っている間に、後ろから彼のモノが入ってくるのを感じた。  
昨夜撃ちつけられた痛みがまだ残っていたが、じんわりと快楽を感じ取ることができた。  
 
「本当にいいんだな? 途中で止められる自信はない。」  
「大丈……夫です。とても、気持ちいいです。」  
彼のモノを感じた体が、これから来るであろう快楽に身構える。  
が、動かない。  
まだ動かさないのだろうか。不思議に思って首を後ろにひねって彼の表情を探る。  
カーマインが妙に緊張していることに気がつく。  
どうしたのだろう。  
何か気になることでもあるのだろうか。  
問いかけるべきか悩んでいるうちに、彼が口を開いた。  
 
「愛してる。」  
「……。」  
「お前を愛している。俺の寵が欲しいなら喜んでくれてやる。  
だから今だけは……俺を、恋人と思ってくれないか。」  
嘘でもそんな言葉を言われるなんて思わなかった。  
涙が溢れる。  
その雫を彼は背後から優しくあごから頬をなんども往復してはなめとってくれた。  
 
恋人――  
本当にそうなれたならどんなに嬉しいことだろう。  
こんな夢のようなことをカーマインが言い出したのは、きっと昨夜の行為にばつが悪い思いをしているからに違いない。  
本当の恋人には悪いことをしていると自覚はある。  
申し訳なく思っている。  
こんな形で彼の体をすくねている私はずるいと思う。  
だけど、こうして彼の腕のなかにいるときだけは私のモノにさせて……。  
 
「マイロードのお望みのままに。私もずっとお慕いしていました。」  
「名を呼んでくれないか?」  
「はい。カーマイ……ン様。」  
「呼び捨てでいい。」  
彼が動き始めた。  
私のなかにかすかな痛みを打ち消すような勢いで、快楽の波が打ち寄せてくる。  
私は羞恥心を捨て去って、彼から与えられる快楽に素直に応えてみた。  
背後から耳元に届く、彼の次第に荒くなる息遣い。  
あの夜以上に気持ちがよくて、彼の動きに合わせて体を動かし流されるままに声をあげる。  
 
剣の道を選んで……  
マイロードと忠誠を誓って本当に良かった。  
だから今、彼は私を抱いてくれる。形だけでも愛してくれる。  
あの時愛を口走らなかったのも正解だった。  
 
マイロードと誓った後、ヴェンツェルという旧時代の支配階級だったというグローシアン王が復活した。  
己の野望追及の果てに失ってしまった力を取り戻すため、奴は彼が大切にしていた義妹のグローシュを奪った。  
それだけでも許しがたい行為なのに、ゲヴェルを倒した祝賀会の最中、まるでカーマインが果てるのを狙っていたかのように宣戦布告をしてきたのだ。  
 
彼は立ち上がった。  
残り少なくなった命を削りながら、人々のため、友のため、家族のため、そして大切な……多分恋人のために、最後まで戦うと決意したのだった。  
私も同行を許され奴との戦いに望んだ。  
ユングや魔物を徘徊させて恐怖で支配を迫るヴェンツェルは、狡猾で逃げ足が速く、後一歩のところで逃げられてばかりだった。  
 
しかし彼は屈しなかった。  
惑わされた民衆からどんな責め苦を負わされても怯むことなく、危険性を説き、体を張って民を守り続けた。  
気高く信に溢れた情熱は、人々を絶望から希望へと導いていった。  
 
民衆の応援の声が高まるのと比例して、彼が倒れる回数も増えた。  
戦いに身を置いたものならばすくわかるほど死相が色濃く見え、今にも消え去ってしまいそうだったカーマイン。  
影で泣き濡れたのは私だけではない。  
彼の眠る枕元でしか愛を口走れなかった臆病な私。  
 
誰か救って。彼を助けて。代われるものなら代わりたい。  
なのにラシェルの保養所の前で不意をついたヴェンツェルの攻撃より、彼は私を庇った!   
「私なんかを庇うことなかったのに……!」  
 
「数日間の延命でしかないが、その間は本来の力を発揮できるだろう。」  
数日――。  
それがカーマインの命のタイムリミット。彼がいなくなるまでの猶予。  
そう言い残して彼のオリジナルという男性、ベルガーが最後の望みをかけて彼を死の寸前から救ってくれた。  
 
私たちは必死に駆けずり回った。  
そしてついに奴の本拠である時空制御塔を墜落させ、乗り込むところまで追い詰めることに成功した。  
彼の好意で突入前、ほんのひと時二人きりになる時間を与えられた。  
 
時空が離れ始めたせいか、ラージン砦周辺でも、グローシュが周囲を金色に染めてしまうほど溢れかえっている。  
皆から離れて、森の開けた一角で彼と向きあう。  
もう数日は過ぎてしまっている。  
彼とこうして向き合える次は、ない……そう思った瞬間、臆病が私を支配して飲み込んだ。  
 
体が震える。声もいつもより途切れがちだ。  
彼を激励するつもりだった。  
なのに愚かな私は、怯える心を看破され強く抱きしめられてしまった。  
その誘惑に私の唇は言ってはいけない言葉を紡ぎ始めてしまう。  
 
「まるで自分の体ではないように……。」  
そこでやっと言葉を途切らせることに成功し、しばらく黙り込んだのを覚えている。  
あともう少し問い詰められていたら、私は間違いなく彼に愛を告白してしまっただろう。  
 
あなたが好きだから……。あなたを愛してしまったから……。  
 
そう言おうとする自分の心と懸命に戦った。  
もう二度と足手まといになりたくなかった。  
彼の負担にだけはなりたくなかった。  
好きでもない女の告白なんて、きっと彼を困らせ引かせてしまうだけ。  
踏みとどまった私はそれでも我がままを口にしてしまった。  
 
「お願いがあります。このまま私の手の届かない所に行ってしまわないでください!」  
彼は微笑んで私を見て頷いてくれた。  
無理な願いだと知っていた。彼の命は燃え尽きようとしていた。  
 
でも彼なら……  
不可能を可能にしてきた彼なら……!  
私はその後こう言い続けた。  
 
「あなたは私が守ります、マイロード。だから、絶対に勝ちましょう。」  
 
そして――奇跡は起こった。  
彼を守り続けてきた強運は、彼を見捨てなかった。  
多くの民衆を救った彼はその民によって救われた。  
 
「さぁ。皆の者! 彼のために祈ろうぞ! 勇者を縛る、忌まわしき呪縛を解き放つために!」  
そう言い放ったフェザリアンの女王の手のひらの中から、パワーストーンが輝き、ローランディア王城の王の間を包んだ。  
一瞬眩しさに目を閉じて、それから王座の周囲に植えられていた樹木が朱色の花を咲かせては、はらはらと花びらを散らしていくのを見上げた。  
彼がゆっくりと顔をあげるのを見た。  
羽虫が彼を覗きこんで、顔色を確認し「やった、やったぁ☆」と、大声で叫んでいる。  
 
彼がなんとも言えない表情を浮かべて周囲を見回し、そして私と視線を交えたとき笑みを作った。  
あの橋で、私が投げ捨てた剣をすっと差し出したときに見せた、穏やかなのにすべてを射抜く力強い瞳。  
そのとき開いていた天窓から王の間を風が吹きぬけ、ローザリアの風が再び彼を取りまきはじめたのを私は感じた。  
 
彼は私との約束を守ってくれたのだ。  
 
そして、今――  
こうして私を抱いてくれている。  
激しい彼の息遣いを背中越しに感じる。彼の両手が強く私を抱きしめている。  
 
「ああ、ぁあうう。ん。はあ、あ、あ、カーマイン。あああ!」  
「……っ! ジュリア……!」  
嬉しい。  
彼の心に、その体にまた触れることができたことが。  
彼のすべてが愛しい。  
私は彼にうわごとのようにつぶやく。  
 
ああっ……カーマイン。貴方らしく望みのままに生きていけばいいのです。  
いつも前だけを見ていてください。私が阻むものをすべて切り伏せて見せましょう。  
強気なその瞳ですべてを切り開いていく。そんな貴方だから尊敬しているのです。  
だから……あ、あ、はあ……あ!  
 
そのまま彼のすべてを飲み込み続ける。  
彼のなかで何度か絶頂を迎えては、悲鳴をあげて彼に悦びを伝える。  
彼も同じように幾度も愛を返してくれる。  
私はとても幸せだった。  
 
宿の鍵を、門の隅に据え付けてあった箱に投函する。  
もう彼の表情は見れないほど暗い。  
門の扉をくぐろうとしてカーマインに強く抱きしめられた。  
彼の背中に手を回しぬくもりを確かめる。  
 
「ありがとうございました。よい夢が見れました。」  
「……ジュリア。俺の寵はお前にある。それを忘れないでほしい。」  
その暖かい言葉にまた涙が零れそうになる。  
この熱い腕を手放したくない。  
一時はどうなるのか心配していたけど、結果的に彼の隠していた心の闇を知ることができた。  
彼を慰めてあげることができた。  
この温泉のように私は彼の心の傷を癒してあげることができたかもしれない。  
だけど……  
 
また逢えるのは何時の日になるのだろう。  
出逢った頃は互いに背負うものはなくて自由なはずだったのに。  
今や彼はローランディアの英雄騎士で、私はバーンシュタインのIKだ。  
 
なぜ彼とは同じ国の民でないのだろう。  
このコムスプリングスだって、彼にとっては通行証や理由がなければ行き来することすら難しい。  
私もIKである以上、目的なく身分を隠して、彼の国に入るのはご法度となる。  
 
バーンシュタイン軍の馬場で互いの馬を受け取ると跨る。  
どうしよう。  
考えれば考えるほど、このまま永遠に別れてしまう可能性の方が高い。  
私たちはこんなも離れすぎている。  
今すぐこんな立場も、国も、何もかも捨てて彼の元に走れたら……!  
そう思った時彼が私の側に馬を寄せた。  
 
「次に逢うときは、バーンシュタイン城で……。」  
私の背中に彼が触れるのを感じた。  
 
「それはどういう意味……。」  
すばやく背を向けて馬を駆けていってしまった彼に、この問いは届かなかった。  
私は馬上で呆然とする。  
しかしもうさっきまでの不安が消えていた。  
 
彼とはまた逢える。必ず逢える。  
それもきっと近いうちに……  
 
彼はいつも奇跡を運ぶ人だから―――――――――  
 
fin  
 

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