草木も眠る丑三つ時。辺りは静まり、木の葉が風にざわめく音だけが響いていた。
今日はもう野宿だな、と言ったのは義手義眼の戦士だったか。夜も更け街も遠い。魔法を使う気力も残っておらず、年長者である彼の意見に反発する者は居なかった。
火を焚き、交代で番をしながら、少しずつ仮眠を取る。
金銀妖瞳の少年は、最初に見張りについた妹を早々に自分と交代させ、炎の前へ座りこんだ。
木の枝を放り込んでは爆ぜるのをぼうっと眺める。長い間それを繰り返すのを、彼の肩の上で小さなホムンクルスは退屈そうに見ていた。
暫くは欠伸を噛み殺して少年の話し相手をしていた彼女だったが、どうにも瞼の重さには勝てなかった。
少年の通る声が心地良く耳元に響く。ああ、コイツの声って小さいし低いし、妙に眠気を誘うのよねぇ、と思っていると、意識が遠のいていった。
「……ティピ?」
何度呼び掛けても返事が無いので、少年は肩の上のホムンクルスを見返った。
小さな少女は彼の首筋に頭を凭れさせ、長い睫毛を閉じすうすうと可愛らしく寝息を立てていた。
暫く後―――。
冷たい空気にぶるりと震え、思わずティピは目を覚ました。
いつの間にか掛けられていた布が腰までずれ落ちている。寝相の良くない自分に軽く息をつき、ハンカチと思われる白いそれを手繰り寄せた。
さあまた寝直そう、と寝返りを打ちかけ、ぼんやりと思い出す。そういえばこの清潔そうな布は少年の所有していたものに似ている。彼が被せてくれたのだろうか。
彼は、どうしたのだろう。
自分の周辺を軽く見回しても、眠っている仲間達の中に少年の姿は無かった。
まだ火の番をしているのかと思い炎の照る方を振り返れば、長い金髪と薪をくべる義手が見えた。見張りはウォレスに代わっているらしい。
眠気を払うように頭を振り、ハンカチを折りたたんでその場に置くと、はたりはたりと半透明の羽を動かして火の側まで飛んだ。
それに気づいたウォレスが此方を仰ぐ。ティピは彼の目線に合わせるため高度を落とした。
「どうした」
「ウォレスさん、カーマイン、何処に行ったか知らない?」
「カーマイン?」
左手を顎に添え、ウォレスは少し間を置く。
「寝つけないからその辺をぶらぶらしてくる、とか言っていたな。そんなに遠くには行っていねぇと思うが…そういや帰りが遅いな」
「その辺、って?」
「さあ、そっちの林の方へ歩いていったように見えたがな」
彼は硬質な右手を木々の茂る奥まった方へ向けた。疎らな木の隙間から月光がほのかに照る道が続く。
暗闇に包まれた道の行方が気になり、ティピはとん、とウォレスの腕をついて勢い良く羽をはためかせた。
「アタシ、探してくる」
「あ、おい!」
言うが早いか、くるりと方向を変え、小さなホムンクルスは飛び立った。ウォレスは呼び止めようと立ち上がりかけたが、あっと言う間に暗闇の中へ姿を見失った。
上げた腰をもう一度下ろし、ウォレスは溜息を吐いた。もう暫くして二人共帰って来なけりゃ探しに行くか、と枝を割りながら考えた。
もしかしたら面倒なことに巻き込まれていたりして、などと不穏なことを思いつつ、ティピは林を散策していた。
少年は何らかのトラブルが起きる度、その中心に近い位置に居ることが多かった。また、原因であることもしばしばある。
そして彼は世間知らずだ。自分がしっかりし、守ってやらなきゃ、と思うのだ。
―――あいつは、アタシが居なきゃダメなんだから。
ティピがそう、ぎゅっと拳を握り締めた。あいつって本当、人を心配させるのが得意だ。
全く、苛々する。
自分は少年が傍に居ないだけでこんなにも不安になるのに―――。
そんなもやもやする思いを振り払うように強く羽をはばたかせた。
そうして林の中を飛んでいると、十数本の木を通り過ぎたところで、少し開けた草むらに出た。入口からそう離れてはいない所でそこは広がっていた。
そして。
―――見覚えのある黒髪が、月明かりのその下で光っていた。
「…!」
不意に見つけられた人影に、ティピは桃色の瞳を瞬かせる。
視線の先では、整った造りの横顔が何処か遠くを見ていた。片膝を抱え、木を背に彼のシルエットは座っていた。
意外なほど早くに、障害も無く見つかり、少年が無事だったことに小さく安堵する。そして、ぱたぱたと羽音を響かせ、ティピは彼に近づいた。
人間の歩幅にしてあと四、五歩くらいの距離というところで、漸くカーマインが彼女の存在に気がついたらしく金銀の色違いの目を此方に向けた。
小さなホムンクルスを確認すると、今度は彼が驚いたように瞬きをしてみせた。
「…ティピ」
「アンタ!こんな所で何やって……」
駆け寄り、ティピがきゃんきゃんと甲高い怒り声を上げようとする。
―――と、カーマインは素早い動きで、何故か小さな身体を自分の手の中へ掴み入れた。
「っんぐぅ!」
御丁寧に親指をティピの口元にあてがえて声を出させないようにする。
いきなりの苦しさに訳も解らず、むぐむぐと抗議らしきものを叫ぼうとしている彼女に、カーマインが息を潜めてそっと囁いた。
「静かに」
顔が、近い。
見慣れているし今更珍しくもないと思っていたそれだが、月光に照らされたこの場所で、こうも至近距離にあれば、その美しい面立ちに嫌でも胸が高鳴ってしまう。
どくどくと鼓動に気を取られ、惚けてカーマインに見入っていると、不意に手の力が弱まった。片手で緩くティピを包み、もう一方の手は自分の口元に運ぶ。
そして見せつけるように、しぃ、と人差し指を唇へ立ててみせた。
「……静かにするな?」
子供に言い聞かせるような柔らかい囁きに、普段なら腹を立てるところだったが、この時ばかりはティピも大人しく頷いてみせた。
こくりと頭が縦に振られると、カーマインも表情を和らげ手のひらを開いた。ふわ、と小さな身体が彼の膝上に下ろされる。
カーマインがティピの顔を窺うよう覗き込んだ。が、機嫌を悪くしたらしい彼女は、向かい合った顔をぷいと背けてしまった。
「…アンタ、こんなところで何してたの」
そのまま、つっけんどんな態度で問う。心配してたんだから、とも付け足した。じろりと横目に少年を睨むと、彼は少し困ったように笑んでみせた。
カーマインは黙ったまま、答える代わりにヘテロクロミアの瞳を細め、目線を草むらの奥へ流した。
釣られてティピも其方へ振り向く。
「……」
―――茂みの先には、一組の男女が居た。
林の奥地にひっそりと、軽鎧に身を包み腰に剣を携えている戦士らしき男と、長いローブを纏う髪の長い魔術師らしい女。
暗がりではっきりとは見えないが、二人の距離はやたらと近い。
そう思いよく見てみれば、何故か戦士が魔術師の衣服に付いた装飾品に手を掛けている最中だった。
もう少し観察すると、留め具やら何やらを外してローブを捲り、女の下着を脱がそうとしている。
いや、もう既に大方は脱がされ、ローブの下は殆どまともに布地を身につけていなかった。
剥き出しの皮膚の上に男の手が置かれる。魔術師は艶めいた喘ぎを一つ上げると背を反らせていた。
これは、もしかしなくても―――。
ティピが暫し呆然とし、そしてみるみると顔を赤らめる後ろで、少年はいつものような淡々とした調子で口を開いた。
「その辺りでぼうっとしていたら、さっき彼等が来たんだ」
桃色の瞳を瞠らせ、思わずその光景を凝視する彼女に、そっと耳打つ。カーマインは声を潜めて続けた。
「場所を移しても良かったんだけど、物音が立ちそうでさ」
「…う、ん」
「邪魔をするのも悪いと思ってね」
「………」
「ま、こういうのも社会勉強になるし、いいかなと」
「……アンタ」
覗きしてたんでしょ、と彼女も努めて小さく問い掛けた。すると、彼は肩を竦め苦笑いをしてみせる。
「っ、何やってんのよ!」
ティピが再びつぶらな目を見開いて、怒りに声を張り上げた。
「そんなこと許さないからね、さっさと帰……ぅぐぐぐ」
「だから、黙っていろ、って」
先程と全く同じ遣り取りを繰り返し、音を立てないよう注意しながらもばたばたと慌ただしく揉める。
が、女の悩ましい声が一際大きく耳に届くと、それに気づいた二人は、思わず息を呑み動きを止めた。
そのままゆっくり其方に視線を移す。
騒がしい二人を差し置いて、すぐ側での行為は次第に深いものとなっていた。
初めは半裸の女の肌に触れるだけだった男の手が、彼女の足の隙間に潜り込み上下に動かされる。その度にぬちゅりとくぐもった水音が響くのは気の所為ではなかった。
その間も、夜目にも白い乳房を揉みしだいたり先端に噛みついたり、忙しく愛撫は繰り返されていた。幾度かそれを続けた後、男は小声で何事かを女に囁いた。
聞くと女は、男の鎧になよやかな指を掛けた。剣を腰に留めさせていた革帯のバックルも外す。
がしゃん、と音を立て、鎧が剣が脇に落とされた。彼の身体を覆う硬質が無くなると、男は女を強く抱き締める。
そして男がまた何かを呟いた。女が頷いているように見えた。
彼女の腰が屈強な手によって持ち上げられる。男はローブをずらし、白い太腿の間に自分の身体を収めた。
「…あっ」
二人の接触に、魔術師の女ではなく、小さなホムンクルスの声が上がった。
思わずに出てしまっただろうそれを、再びカーマインが指で塞ぐ。んぅ、と息を詰まらせ、ティピは恨みがましげに彼を上目で見た。
カーマインは知らぬ振りをして男女の絡みに目をやった。
程無くしてそこから、ぱしん、ぱしん、と肌のぶつかりあう音が生まれ出した。
何時の間にか魔術師のローブは腹部までずり上がり、女の白い臀部や太腿、秘められた箇所までに月光にさらけ出されていた。
そして愛液を垂らしじゅくりと熟れるそこには、猛った肉棒が突き立てられていた。遠目にも赤黒く暴力的な男の自身に、ティピが思わず目を背ける。
カーマインはそれまで忙しない交わりを表情一つ変えずじっと見ていたが、彼女のその様に隣を見返った。
小さな少女は目元をぱあっと染め、恥ずかしそうに顔を横向けていた。かと思えば、女の喘ぎ声が上がる度、びくりとなりながらも其方を見遣ろうとする。
金銀の目は少しの間落ち着きの無いホムンクルスを見つめていたが、そのうちにふい、と二人の睦み合いにその目線を戻した。
眉根が僅かに寄せられる。彼の頬もほんのりと赤く色づいていた。
「……」
愛してる、愛している。小さく囁きあっている声が聞こえた。
名を呼び、そして愛を謳う。生を確認しあい、互いを慈しみ命を育む行為。
―――時間は過ぎ、そんな男女の情動にも終わりが訪れる。
数度目かに引き抜いた男の肉棒がびくつき、白く濁った液体をどくどくと吐き出す。それが女の尻や脚を汚していくのを、カーマインとティピは目を離さずに見ていた。
少しの間を置いて。
件の男女が余韻を残し立ち去った後も、二人は暫く黙り込んでいた。
どこか、何とはなく、どうしてか、気まずい沈黙が続く。それに焦れて、ティピが何か声を掛けようとカーマインに向き直った。
―――が、そこで彼は、おもむろに立ち上がった。
そのまま何故か、ティピを見返ることなく歩を進めようとするカーマインに、彼女は慌てて背の羽を動かす。
と、引き止めるべく彼の指をぐいと引っ張った。
「ちょっと、何処に行くのよ!」
「…少し独りになりたいんだ」
漸く足を止め、だが彼女を振り返ることはしないで、溜息混じりに彼は言う。ティピはその真意が掴めずに首を傾げた。
「独りにって、皆が心配するじゃない。…一緒に戻ろうよ」
指を掴んだまま揺する。心配そうに上目を使うティピに、カーマインはもう一つだけ息を吐くと、やっと彼女へゆっくりと顔を向けた。
「……抜いてくる、って、はっきり言わせたいのか?」
そうして。
いつもの静かな調子で彼は苦笑した。
―――抜く、って。
ぽかんと呆けた顔でカーマインを仰いでいたティピだったが、暫くして意味を飲み込めたのか頬を真っ赤に染めた。
目尻を思い切り吊り上げて、地面に落ちていた楊枝大の小枝に手をやる。
そして―――。
「サイッテー、この、バカ!」
勢いをつけ、それをぶん、と彼に狙いを定め振り投げる。
カーマインは小枝をひょいと避けると、小さく笑い声を上げて夜の闇へ消えていった。
少年と別れた後、ティピは仲間の元に向かった。
相変わらずウォレスが火の番をしていたので、カーマインはもう少し帰らないことを伝えた。彼はそうか、と一言だけ口にすると、深くは追求しなかった。
それから先程まで眠っていた場所に戻った。
少年の白いハンカチはそのまま置かれていた。
近づいて、布の端を持ち上げる。そっと頬を押し当ててみた。仄かな匂いが鼻に届く。少年の肩に乗っている時に嗅ぎ慣れた、彼のにおい。
―――ああ。
最低なのはアタシの方だ。
思い返されるのは、先刻の映像。記憶のビジョンは生々しく、男と女の絡みを映し出していた。
ティピはごろりと地面に転がり、自分のショートパンツへ手を遣った。
下着の中で絡みつく恥毛はもうしっとりと濡れている。
指先に纏わりつくねっとりとした水分に一瞬ぴくりと躊躇したが、きつく目を閉じて秘唇に指を差し入れる。
先刻、男が女にしていたように秘所を弄る。
この指が。
この指が、彼のものならいいのに。
何故かそう思いながら、浅く突き動かした。
ゆるゆる動かしていると次第に快感が生まれてきた。じんとそこが熱くなり、むず痒さが股間を襲う。ぬるりと愛液が溢れ出した。気持ちいい。
考えることも身体の構造も、こんなにも人間に近いのに、どうしてアタシはこんなに小さな作りモノなんだろう。
アタシが人間なら。
アタシがあいつと同じ、ヒトだったなら。
同じ大きさだったなら。同じ存在だったなら。
あいつを包んだり、抱き締めたり、あいつに抱かれたり出来る、のに。
「……カー、マイン」
彼も女を抱き身体を重ね、あんな切なげな表情をして、快楽に溺れるのだろうか。
白い布地の端を噛み締める。想像すると、胸が苦しくなって、そこが熱を持って、じわじわと快感が増した。
自分が極めて人間に近い情緒を持って造られたことに、生まれて初めて創造主である美しい宮廷魔術師を恨めしく思った。
「…んっ……!」
ひどく熱い秘所に指を差し込み、奥へ奥へと掻き回すように動かす。ひくつき絡むところへ何度も引き抜いては挿送を続けた。
彼女の耳にしか届かないような小さな水音が暫く間くちゅくちゅと響いた後、やがてぴたりと止んで、吐息が大きく漏れた。
「……はぁ…」
何、考えているんだろう、アタシ。
あんなこと考えて、あいつのことを考えて、こんな。
こんなこと、する、なんて―――。
ハンカチに顔を埋めると、ティピはゆるやかに続けていた呼吸を、そっと殺した。
甘く疼くそこには、きっと自分の指以外触れるものはない。
それを思うと、どうにも瞼が熱くなって仕方が無かった。
「………」
少し離れた木の陰ではカーマインが、また背中を木に凭れさせ、ずるりと座り項垂れていた。
金と銀の双眸がぼんやりと上向いて、つい先刻ホムンクルスと別れた場所へ向いている。彼は何度目かの
溜息をつくと、やや乱暴にジーンズの金具へ指を掛けた。
―――唇が、ティピと呼ぶ。そのことを小さな少女は知らない。
END