二章 『岐路』
・・・無音・・・・・
地上の賑わいなど微塵も想像できない重い空間の中を
進んでいく。
・・今までとはうってかわった真逆の異質・・
だが、それはくノ一であるヤエの五感を
徐々に落ち着かせつつあった。
(何か・・変だわ・・・漠然とした違和感じゃない・・
・・・これって・・どこかで・・?)
ヤエの感性は元々秀でていた。
今までも的確な判断でゴエモン達の危機を
救ったこともある。
だんだんといつもの感覚を取り戻しつつある。
(そう・・どこかで、じゃないわ・・・どこもそうだった・・
見通しが効いて、特徴や目印を無くすことで相手の方向感覚を鈍らせる・・
相手の動作を制限する為の狭い空間・・・
・・考えすぎなの・・・?で、でも・・・)
ヤエは先ほどよりも半歩だけ男と距離を取り、
黙々と闇を進んでいく背中を見つめる。
(・・・でも・・この人から私に声をかけて来た
わけじゃないわ・・・ここに来たのは私の方から・・)
(!!・・・何故もっと早く気付かなかったの!?・・
状況の把握も充分にしてないのに・・
いえ、それよりもゴエモンさん達に連絡もせずに
こんな所に来たら・・何かあった時に・・・)
そっと忍服の腰に手をやり通信機を取り出す。
(ダメ・・やっぱりここからじゃ繋がらないわ・・けど、
戻ろうにも・・ここまで複雑だとは思わなかったから
道を記憶してなかったわ・・そ、それに
もし勝手に帰ったりしたらお仕事も無くなっちゃうし・・
どうしよう・・・・・)
不測の事態への対処をとるか。
調査の為の任務を続行するか。
・・そのどちらを選択するにしても、大きなリスクが
伴うのは間違いなかった。いつものヤエであれば
リスクを伴う事態には未然に対処するのが常であったが、
それ故に今、慣じみの無い事態にヤエの判断は両者をさまよっていた。
それでも、ヤエは常識的、且つ的確な対処ができたであろう。
・・・・・そう、その判断に至る『時間』さえあれば。
「うむ!ここだ。早速仕事の準備をしてもらうぞ。」
「え?あ・・は、はい!」
急に太い声を発した男に思わず思考が停止し、
ビクンと反応するヤエ。
ヤエの運命を決める過ちだった。
「これは・・・扉・・?
先はやはり薄暗いがよく見ると
今までは無かった物・・・通路を遮る扉があった。
鉄だろうか・・・もう少し距離があれば
ただの行き止まりに見えそうな飾り気も何も無い無骨な扉だ。
やや遠くの松明の赤黒い揺らめきと、空間全体を照らす
薄い光がその冷たい雰囲気を一層かもしだしている。
「ああ。なんといっても
すきやき屋だからな。材料を定期的に上へ持っていくのだが
一人で運ぶのは大変なのだ。」
「そ、そうですか・・でもそれならこんなところに
保管しなくても・・」
「うーむ。・・ほら。やはりアレだ。湿気が多いと・・
何かと問題がな・・・通路に置いておくのも見栄えが悪いし・・」
「・・み、見栄え・・・うーん・・」
ヤエは困惑するものの、緊張感の無い
会話により、精神はまた警戒心を
鈍らせ始めていた。
そんなヤエをよそに、扉をあけにかかる店主。
腕にはまった木製の腕輪を扉にかざすと、
驚くほど滑らかに扉が上へと上がっていく。
あらためて見ると、扉というよりはシャッターに近くも見える。
「さ、中へ入れ。」
扉が上がりきると、腕輪のあたりをいじりながら
男はヤエに促した。
中、という言葉通り、扉の先は通路今までのような
通路ではなく、部屋であった。
通路側と違い、乾燥した空気が満ち、
部屋の方々には何かが積まれている。
(確かに、乾燥してるけど・・なんでここも薄暗いのかしら・・
向こう側にも一つだけ扉があるけど、奥にも倉庫が続いてるのかな・・
ここも20畳くらいしかないみたいだし・・・・)
(・・えっ!?)
微かな稼動音に目を背後にやると、
入ってきた扉が閉まっていた。
「あ、あの・・なんで閉めるんですか?」
「ん?そりゃ湿気が入ってくるからな。それよりも、
ここにある物を運んで貰うわけだが、
・・・ちょっと在庫を確認してくる。
待っててくれ・・・」
そう言い残すと、男は奥にあるもう一つの扉に入っていく。
再び顔を出す無音の空間。
「・・・なるべく早く終わらせなきゃ・・・
私がここにいることは誰も・・・」
自分で呟いた言葉に改めて悪寒を覚えるヤエ。
もしここで何かがあっても、誰にも分からないのだ。
「と、とにかく・・・」
知らず知らずのうちに無音の空間から逃れようとしているのだろうか。
男が入っていった扉に近づいていくヤエ。
だが、扉の向こうに誰かがいる気配はない。
「あ、あの・・すいませ・・・」
不意にヤエの動きが鈍る。
「あ・・・れ・・?」
ゆっくりとヤエの体がバランスを失っていく。
「え・・?ど、どうし・・て・・」
そのまま引き付けられるように体が床に着く。
「!」
立ち上がろうと視線を床に落とした時、
ヤエは部屋の異変に気付いた。
所々の床から薄い煙が噴出している。
それだけではなく、壁や天井からも
噴出しているが、今のヤエにそれを把握する
ことは叶わなかった。
「わ・・・罠・・なの・・?そんな・・どう・・し・・」
そこでヤエの意識は考えるのを休止した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・うずくまるように倒れるヤエ。
視界に、まるで濃い霧がたちこめているようだ。
だが、傍に何かがいる。何かが息づいている。
「・・・ん・・・ぅ・・」
うっすらと意識を取り戻しながら、辺りを確認しようとするヤエ。
だが、不意に気配が一気に近づき、ヤエの両手を掴む。
「ん・・・んぅ・・」
ジャラリという音とともに、両手首に冷たい感触が走ったかと思うと、
ゆっくりと体が上へ引っ張られていく。
やがて地面の感覚が無くなったところで、
ヤエはようやく意識がうっすらと目覚めはじめ、状況を把握できるようになった。
ヤエの両手は天井から鎖で吊るされ、足先は地面から10センチほどのところで
微かに揺れている。
そして、目の前には一人の男・・・・先ほどの男とは違い、
体系はかなり太めで、背丈もそれほど高くはない。
年は25〜6といったところか。
ニヤニヤとあからさまに頬を歪めながら、
自分が手にした獲物の回りを歩き、ヤエの胸元からスパンデクス生地のレオタード部分まで、
ネットリとした視線で見つめる。
「・・ぅ・・・あな・・た・は・・」
「んー・・・まだ上手くしゃべれないよねぇ。うん。さすがは素晴らしき
僕の迷宮と僕の策だねぇ。んふふ・・・なんたって
僕が捕獲の為に使うくらいなんだから完璧でないと・・ねぇ。うん。」
まるで自分自身にでも話しかけているような男の声が、
『巣』の一室に響く。
「あなたは・・・鬼頭・・亨・・!?」
「僕の名前には 様、を付けないと・・ね?ヤエちゃん。」
ヤエはその男の名を知っていた。
今回の騒動が起き、幕府の命で一旦中断された彼女の任務・・・
その任務における調査対象の一人は、この男だった。
二章・終
第三章『鬼頭と亀頭は無関係で候』に続く