『契約』  
 
全身の筋肉が弛緩した状態で、俺は今、かぶき町のクラブの殺風景な地下室に置かれた  
鉄のベッドに転がされている。  
シーツも敷かれていないマットレスと、頭を支えるいくつかの埃っぽい枕が不快だ。  
ベッド脇のスツールに座っているのはこの店のオーナー、際どいスリットの入った赤いチャイナドレス姿の  
神楽さん。どう見ても俺より年下だが、可愛い顔を厚い化粧で誤魔化して、チャイニーズ・マフィアの大ボスを  
やっている、おっかない女だ。  
俺は捜査のために従業員としてここに潜入していたが、この女に正体がばれ、こんなザマになってるわけだ。  
 
「一体何を注射しやがったんだよ…このアマ…」  
「内緒アル。『鬼の土方』はたいした男だけど、その部下はどうしようもない雑魚アルナ」  
ひでぇ女だ。業績も役職も超えることの出来ない男の名を出して、俺のコンプレックスを刺激しやがる。  
「でも、雑魚には雑魚の使い道がちゃんとあるネ。お前はこれから私のために働くヨロシ。ここで捜査を  
続けるフリをして、警察の情報を私にちょっぴりリークする、どなたでも出来る簡単なお仕事アル」  
「…二重スパイか…」  
 
ざけんじゃねぇ。土方のバカはどうでもいいが、俺は局長の近藤さんを裏切らねぇ。そう続けたかったが、  
打たれた薬物の影響で、上手く舌も回らない。  
 
「ふーん、案外頭いいアルナ。いい子いい子」  
愛玩犬を撫でる手つきで、女は俺の頭を撫でる。人を思い切りバカにしたふざけた態度にムカついて、  
唾を吐きかけようとするが、動きの悪い舌のおかげで空しく自分の口元を汚すだけだった。  
「やっぱりお前はバカだナ。でも面白い男アル」  
女は俺の唇を指でぬぐうと、赤い口紅が塗られた唇の隙間から小さく舌を出して、指先に付いた唾液を  
ぺろりと舐める。唇に触れられた感触がやけに鈍かった。本当にこいつ、何を打ちやがったんだ。  
件の薬は、隣の小さなテーブルに満載された、あらゆるタイプの薬瓶に埋もれてどれかはわからない。  
 
「その提案…断ると言ったら、どうするんでぃ…」  
「そうだナ…あっさり殺すのはつまらないから、薬中になって、一生病院暮らしはどうアルカ?  
薬は好きなのを選ぶヨロシ。あ、ポケットにドラッグを入れて、このまま道端に転がしておくのも悪くないアル。  
親切などこかの誰かが警察とマスコミに通報してくれるネ」女は純真な少女の顔で微笑む。  
「そうすればお前は破滅アル。職場のお仲間にじっくりと尋問室で嬲られて、社会的に抹殺されるがいいネ。  
でも、殺人の冤罪も捨てがたいナ…」  
 
この顔だけを見れば、嬉しいデートの予定を数え上げる若い女にしか見えないが、出てくるのはエグい話  
ばかりだ。残念だねェ神楽さん、ちょっとだけタイプだったんですけどねえ。  
「それだけかィ?…つまんねぇなぁ」  
俺は顔面の筋肉をどうにか引きつらせる。皮肉な笑顔に見える事を祈りながら。  
 
「じゃあ、もっと面白い話をしてやるヨ」  
女は立ち上がり、部屋の隅にあるスチール棚から小さなダンボール箱を持って戻ってくる。  
箱の中身をかき回して何枚もの写真を取り出すと、その一枚一枚を俺の目の前にゆっくりとかざしては、  
はらはらと落としてゆく。  
「お前、この人たちの事知ってるよナ?沖田総悟」  
女が知らないはずの本当の名で俺を呼ぶ。  
 
近藤さんの婚約者である志村の姐さん、世話になった親戚、昔の彼女、古くからの友人たち、姉さん。  
皆の子供時代の写真、何かの記念のスナップ、隠し撮りされたと思しき物。  
親しい人々の姿が時と場所を変えて、何枚も何枚も俺の上に降り注ぐ。  
 
いつの間に、ここまで俺の身元を調べ上げたのか。自分のみならず、周囲にまで危機が広がっている。  
そのことに、恐怖をひしひしと感じる。  
 
「この人たちの身にこれから起こる、面白い話を聞かせてやろうカ?」  
「よせ…止めろ…」  
声が弱まるのは薬のせいだけじゃない。  
「お前が私の言う事を聞くいい子でいるなら、この人たちには何も起きないヨ。お前が死ぬまで、私は  
神様みたいにみんなを温かく見守るだけアル。優しいダロ」  
そう言いながら、ベッドの上に最後の写真を落とす。わざとらしい天使の笑みは、俺の神経を逆なでする。  
 
「もちろん、お前が仕事を引き受ければ、見返りはバッチリネ」  
女がスツールでなく俺が横たわるベッドに腰掛けると、引き締まった形の良い脚がスリットから見え隠れする。  
「チンケな警官がお目にかかれないようなギャラと、お前の昇進に役立ちそうな他の組織の連中の情報。  
それに…」ちらりと自分の豊かな胸元に目をやると、女は横目で俺を見て、尊大に言い放つ。  
「月に一度だけ、この私を好きにしてもいいアル。したいこと、なんでもさせてやるヨ。だってお前、  
私のこと大好きで大嫌いダロ?」  
 
体を俺の方にひねれば、大胆な腰のくびれがより強調される。身体に沿ったチャイナドレスの布地がすれて、  
乳首がくっきりと浮き上がる。どんな下着を着けているのか知らねえが、腰までのスリットが割れて  
白い尻の一部が覗き、太腿と赤いガーターにストッキングが露になる。  
薄いドレスをひん剥いたら、その中身はさぞや旨そうだろう。男なら誰もがむしゃぶりつきたくなるような、  
そそられる身体つきだ。けれども、今の俺には嫌悪しかない。  
 
ここで負けてはならない。飲み込まれてはいけない。己の矜持と大事な人たちのために例えこの場で  
命を落としたとしても、その前にせめて一度、こいつのプライドをへし折ってやらないことにゃ  
気が済まねェ。  
 
「その条件じゃお断りでェ…特に最後のヤツがいただけねェや…」  
俺は視線に軽蔑をこめて女を見据える。  
「…あんたみてェなお子様とヤるくらいなら…旦那とケツアゴに掘られた方がまだマシでさァ」  
これまで泰然と構えていた女が豹変する。空色の瞳は瞳孔が開いて暗くなり、口元が引き結ばれる。  
女とは思えない力で音を立てて頬を張られ、その勢いで反対側の頬が枕にめり込んだ。  
乱暴に前髪を掴まれ、頭を後ろに引き倒されると、暗い瞳がぐんと近くなる。  
 
「二人だけなんてセコイ事言うなヨ、うちの野郎ども全員でマワしてやるネ。せいぜい楽しみにしてナ。  
…それと、私を若いからってあんまり甘くみるなヨ」  
俺をにらみつけて憎まれ口を叩くが、女の声はわずかに震えていた。  
 
自分にも覚えがある。人の上に立つ者は、時として若さが足かせとなり、それをうっとうしくさえ思う。  
同時に、未熟であればあるほど、欠点を指摘されるとムキになり、プライドを傷つけられたと逆上する。  
俺は思わず笑い出しそうになる。こいつ案外ガキだ、面白れェ。  
だが、ガキは何をしでかすか解らない。  
 
女は手荒に俺のベルトのバックルを外して下着ごとズボンを脚から引き抜く。  
薬瓶の載ったテーブルから無造作に一つ選び出し、蓋を開けて乳白色の軟膏を指にたっぷりと掬い取る。  
「…何をする気でェ」  
内心の動揺を押し殺すが、それを見透かしたように女が鼻で笑う。  
「これから銀ちゃんなんか目じゃないほど、キモチイイ思いさせてやるヨ」  
「もう忘れたのかィ、あんたが打ってくれた薬のせいで…今の俺は全身ふにゃふにゃでィ…」  
今度は俺が自嘲気味に鼻で笑う番だ。先ほど平手を受けた頬ですら、痛みにもならない違和感しか  
ないというのに。  
 
俺の言葉に女は耳を貸さず、くたりとした陰茎を摘み上げ、軟膏を塗りつけ始めた。華奢な指先が陰茎を  
すべり、睾丸を丁寧に撫で回す。指は尻の間にも忍び込み、肛門まで塗り広げる。その様はなかなか  
エロいが、自身はピクリともしない。てめぇをヤり殺せなくって残念でィ。そう言ってやろうとした刹那、  
局部全体をたくさんの小さな虫が這い回るような、ちくちくとしたむず痒さが襲う。  
こってりとした薬が体温と女の手によるマッサージで溶かされると、むず痒さはやがて性的な快感にすり替わり、  
熱を強制的に灯される。  
 
「お前のココ、硬くなってきたヨ。男はみんなスケベアルナ」  
柔らかく陰茎を扱きながら、してやったりとばかりに女がにんまりと笑う。  
薬を塗られた場所以外は力も入らず、知覚も鈍いままなのに、局部だけ鋭敏になる。  
勃起時の感覚がジワジワと俺を蝕む。  
「…おい、何を塗りやがったんだ…!」  
「内緒アル」  
 
意思とは関係なく無理やり身体を反応させられる事に、悔しさのためか生理的なものか涙がにじむ。  
勃ち上がったソレを、女は目一杯突き出した舌先で舐め上げる。  
「…う…やめろ…クソ、いっその事、俺を殺せ!」  
「殺して欲しいなんて嘘ダロ」  
ビー玉のように澄んだ瞳が、俺の目を覗き込む。  
 
「お前、しゃぶって欲しそうな顔してる…唾液でヌルヌルにして欲しがってる。私の頭を押さえつけて、根元まで  
無理やり咥え込ませて、喉の奥に精子をぶちまけたがってる」  
チャイナドレスのジッパーを下ろすと、赤い絹が身体の上を滑り落ちる。一瞬だけ、陶器のような肌の白と、  
絹の赤のコントラストにくらリとする。  
 
「でも、口紅が取れるから今は駄目アル」  
女はドレスの下にガーターとストッキング以外、何も着けてはいなかった。  
 
「死んだマミーが言ってたネ。どんな時でも女は口紅一つ乱さず、綺麗で淑やかであれ、って」  
ベッドに女が上がりこみ、安っぽいマットレスがきしむ。散らかしたままの写真がパラパラと床に落ちる。  
「なあ、淑やかってどういう意味アルカ?」  
履いていた赤いピンヒールを一足ずつ脱ぎ捨て、指一つ上げられない俺の身体にのし掛かる。  
 
「…てめぇのような女から一番遠い言葉でぇ、この、売女が!」  
侮蔑の言葉と、ありったけの憎悪を。  
「ママの言いつけも守れねェクソガキが、調子にのってんじゃねぇよ!野郎のナニを咥えるなんざ  
10年早ェや。早くおうちに帰って死んだ母ちゃんのおっぱいでもしゃぶってな!!」  
女の瞳孔が開く。両手が首にかかる。手入れの行き届いた赤い爪が食い込む。喉がぎりぎりと圧迫され  
息が詰まる。気道が潰れそうなほど苦しい。意識が次第に遠のき、俺は死を覚悟する。  
 
警官殺し。状況証拠は十分揃う。仲間の死に警察は迅速に対応する。近藤さんや土方は  
全力を挙げて捜査するだろう。ザマァミロ、破滅するのはてめぇだ。  
 
しかし待ち望んだ闇は訪れず、首に掛かった力が緩む。意識が戻り、えずきそうになるほど激しく咳き込む。  
「…やっぱりお前、面白い男アルナ。いずれ殺すと思うけど、もう少し先にしといてやるヨ」  
暗い瞳のまま、女は萎えかけた陰茎の裏筋に指で開いた淫唇を押し付け、おもむろに腰を動かす。  
 
支えがなくとも張り出したお椀のような乳房がかすかに揺れる。その先端は濃い化粧に似つかわしくない、  
小さな淡い桃色だ。胸の下あたりからヘソまでの身体の中心を、一本の浅い線が走り、  
さらに下には髪と同じ珊瑚色の繁みが続いている。  
その身体が誘い込むようにうねる。身体と目から受ける刺激に、自身は意に背いて再び反応する。  
淫唇が陰茎をこすってめくりあがり、液状になった薬がくちゅくちゅと厭らしい音を立てる。  
さほど強い摩擦ではないのに、薬で異様に敏感になっている自分のソレは、俺にとんでもない快楽をもたらす。  
 
「お前は私が嫌いだけど、ココはそうじゃないみたいアル」  
女は股座からはみ出ている陰茎の先端に手を伸ばす。  
「…ハァ…糞ったれ…誰が、てめぇなんかに……あ!」  
鈴口を指の腹で抉るように強くこすられれば、身体が動かない分、湧き上がる快感を逃すために  
図らずも声が漏れる。  
ヘドが出るほど嫌な女に蹂躙され屈辱を感じながらも、陰茎はいきり立ち先走りが滲み出る。  
それなのに、畜生、こいつは息一つ荒らげねェ。  
 
「身体は正直って、本当アルナ。なあ沖田、お前も正直になれヨ。素股じゃなくてアソコに入れたいって  
白状しろヨ。私が欲しいって認めろヨ。こんな風に、私に触りたいって言ってみろヨ」  
涼しい顔で腰を揺すりつつ、女は突き出した乳房を自分でやわやわと揉みしだき、その有様を見せ付ける。  
「んんっ…冗談、じゃねえ!……はっ…あぁ!」  
口先で精一杯の抵抗を試みるが、女の細い手に俺の手が重なる像が脳裏に浮かぶ。  
胸に、鳩尾に、内股に無骨な手を這わせる。その想像だけで堪らなくなる。白くなめらかな肌の手触りを  
身体が渇望する。  
 
そんな俺の様子を見て、濃い青の瞳で口の端をゆがめ、薄笑いを浮かべる女はまるで悪魔だ。  
興奮で頬を紅潮させ、瞳をぎらつかせているが、それは性器をなすり付けているからじゃない。  
この目を見れば分かる。俺を辱め、弄び、征服することに愉悦を覚えているのだ。  
 
緩慢な腰の動きは、俺に決定打を与えない。イきたいのにイけない、絶頂の寸前でお預けをくらう。  
その感覚だけが身体を占める。支配する。  
「くっ…あ、あ!…はあ……はあ、あぁ…あうっ!」  
俺は仰け反り、手足の感覚を取り戻したのを知る。だが、女に反撃する気概は既にない。  
マットレスを掴み、みっともなく声を上げ続け、恥辱の中でのた打ち回る。  
 
姉さんや近藤さんたちの幸せを護るためならば、死も厭わないと思っていたはずなのに。  
勝手で情けない俺は、この快楽をもっと味わえるのなら、生きていたいと感じはじめてしまっている。  
この女が喘ぎ、だらしなくよだれを垂らす、淫蕩な姿を見たいと思ってしまっている。  
俺はもう女の手の内にある。プライドをへし折られたのは俺の方だ。  
 
陰茎が暴れて射精を訴えると、女が腰をずらし、情け容赦なく扱き上げる。  
荒い息遣いや唸り声と共に、おびただしい量の白濁を吐き出し、顔にまで飛び散る。  
口の中に落ちた自分の精液は、敗北の味がした。  
 
全身の麻痺は完全になくなり、触覚も戻ってはいるものの、これまでにないほどの虚脱感に身動きが取れない。  
張られた頬がいまさら痛み始め、何かの罰のように俺をさいなむ。  
 
床に落とした服を拾って身に纏う、衣擦れの音がする。  
「ところで、さっきの話の続きだけど、考え直したアルか?私のために働くこと」  
「ええ…そっちこそ報酬の件、忘れねぇで下せェ…」  
そう答える自分の声を、俺は他人の物のように聞く。  
「いい子ネ、坊や」  
女の唇がゆっくりと俺の唇を覆い、赤い裏切り者の印を押す。赤い舌が、ねっとりと俺を絡め取る。  
魂も誇りも何もかも、俺の全てを絡め取る。ああ、俺は悪魔と契約しちまった。もう後戻りはできねぇ。  
「商談成立ネ」  
赤いチャイナドレスの悪魔が、紅の少し剥げた唇でにんまりと笑う。  
 
完  
 
 

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