――快楽は痛みを水で薄めたようなものである。どこかの誰かの名言らしい。
暗い部屋で響くは苦悶の呻き、鈴が鳴るような嗤い声。
蝋燭の炎にゆらゆら照らされて、蠢く躰に鞭の音。 若い躰を這い回る、紅色をした数多の傷痕。
首輪についた鎖をぎりりと引っ張り、主人は奴隷に問う。
「どうして欲しい?」
奴隷は喉を鳴らし、これからの責め苦への期待を滲ませて答えた。
「も……っと……ッ、ぐ、が」
「聞こえないんだけど」
奴隷の頭を踏みつけてわざとらしく言う主人に、奴隷は情欲の炎を瞳の奥に灯して再度答える。
「……もっと虐めてくだせェ、どうか罰をくだせェ」
お願いです――さっちゃん様。
「坊やにしては良い返事ね」
そう言って、真っ赤なボンテージを身に纏った主人――猿飛あやめは。
全裸で跪く奴隷、真撰組一番隊隊長・沖田総悟の躰に向けて、乗馬鞭を持ったしなやかな腕を振り上げ、思い切り振り下ろした。
自分は生粋の加虐主義者であると、沖田総悟はそう信じ込んでいたクチである。猿飛あやめに出会うまでは、の話だが。
キャバクラで会った時に一目で判った。彼女が迄見た事もない、極上のマゾヒストだと。
一目惚れだった。
純粋に欲しいと思った。
今迄見た誰よりも、美しい彼女を。
もう既に他の誰かのモノである、彼女を。
手段を選ぶつもりも、目的を選ぶつもりもなかった。あらゆる情報網を使い、山崎にあんぱんを与え、彼女について徹底的に調べた。あんぱん代は土方の給料から出るようにした。
計画は万全の筈だった。
江戸一番の始末屋、元お庭番衆のエリートくの一・猿飛あやめ。
くの一の武器はその躰。
監禁して彼女の恋人である坂田銀時に、他の男に抱かれていることを告げると脅した。
心の折れたあやめは、自分の言いなりになる――筈だった。
筈だった、のだ。
縛って押し倒した彼女に、気が付くと総悟は足蹴にされていた。
彼の敗因は一つ、猿飛あやめを甘く見ていたことだ。
相手はくの一。越えた死線も重ねた褥も手にかけた敵も、圧倒的に上。
「この程度で私を縛り上げたつもりだなんて、片腹痛いわね」
縄抜けなんて息をするより簡単なのにとあやめは笑い、良いことを思い付いたと呟いた。
「思い上がった坊やには、お仕置きが必要よね」
斯くして、彼と彼女の奇妙な関係が始まった。
そして現在、沖田はあやめの前で跪きその白い脚に舌を這わせている。
足の指を口に含み、丹念に愛撫する。艶のある爪が乗った左足を、親指から小指まで汚れを取るように一心に舐める。
最初は屈辱的だった奉仕も、今ではひどく甘美な行為に思える。
「ん……」
だって、この美しい顔が嗜虐の快楽に歪むのは俺にしか見られない。
指を舐め終え、脚へと移る。アキレス腱に歯を立ててやろうかと思ったが、この前それをしたらバイブを突っ込まれて何時間も放置された。考え直してくるぶしを甘噛みし、ふくらはぎを恭しく持ち上げる。つつつと脛を舐め上げると、こちらを見下ろす垂れた瞳と視線が合った。
潤んだそれに見とれていると、もう片方の脚で横面をしたたかに蹴られて沖田は倒れる。
「誰がやめていいって言ったのよ」
「はい……申し訳、ありやせん」
這って元の位置に戻り、膝をやわやわと食む。片手はもう片方の脚を伝い、その感触を楽しみながら徐々に脚を開いてゆく。
「ふ、ぅン……」
ぴちゃり、ぺちゃり。
唾液を口にたっぷりと溜めて、内腿を往復する。汗と雌と、甘い匂い。……くらくらする、欲の匂いだ。
「触らせてくだせェ」
無言は了承の合図だ。太股から顔を上げ、ボンテージの隙間から胸に手を伸ばす。
「失礼しまさァ」
「あ、ふ」
声を堪える様が堪らなく愛しい。鎖骨の辺りには、自分以外の男が散らした赤い花。嫉妬と怒りと快楽がない交ぜになって沖田の熱を上げていく。印を上書きすることは許されていないため眼鏡のかかった耳に口付けた、その時だった。
「う、ぁっ!やめ、やめてくだせェ……!!痛ァ……っ!」
ぬち、とあやめの脚が沖田の怒張したモノを刺激した。くりゅくりゅと爪先で鈴口を擦られ、先走りが滲む。細い指の片方は沖田の男には不要な胸の飾りを摘み、もう片方は頬を引っ掛いている。
横に真一文字、蚯蚓腫れになるであろうその傷が嬉しい自分はもう末期なのだろうと思った。
「は、踏まれた上に引っ掛かれて大きくしてるの?また腫れてるわよ、あなたのココ。……とんだ変態ね」
ハスキーな声がさっきとは逆に沖田の耳元に寄せられた唇から漏れる。羞恥に目を閉じて仰け反ると、両手で頬を挟まれて強引に目を合わせられた。
「いつ目を閉じていいって言ったかしら?あなたは誰の何なのか、きちんと覚えてるの?」
「は……すいやせん……ッ、俺は、」
「ちゃんと言いなさいな。ほら、言えるでしょう?口がついてるんだから。それとも喋れない程馬鹿になったの?私はそんな犬以下の畜生を虐めてやる程暇じゃあないのよ?」
「痛、あぁッ!すいやせん、すいやせんッ……!!」
ぎちっ、と耳朶を喰い千切られるような強さでかじられる。確実に歯形が付いただろう、身を捩りたくても頬の両手がそれを許さない。自身を刺激していた足の動きも止まる。
「謝罪は聞き飽きたわ。あなたは、誰の、何なのか。言わないと、続き、しないわよ……?」
「俺ァ……っ、」
区切りながら言われて、噛み痕に息がかかる。ひりひりと痺れるような痛みと屈辱で、おかしくなってしまいそうだ。からからに渇いた喉から、幼さの残る声を絞り出す。その声音は確かに、被虐の快楽に染まりきっていた。
「俺ァ、沖田総悟は、猿飛あやめ様の、どうしようもなく惨めで下賤で取るに足らない、奴隷でさァ……っ!!」
「良い子ね」
満足そうに舌なめずりをして、あやめは刺激を再開する。両足を使って、容赦なく。ぐちぐちと粘膜が乱暴に擦られ飾りに爪を立てられて、沖田の息はたちまち乱れた。
「ふ、う、さっちゃん様ッ……!!」
「あら、もうイきそうなの?いいわよ、ちゃんと目を開いてイったらご褒美をあげるわ」
「ご、ほうび……?」
「そう、ご褒美。要らないならいいわよ、このまま止めて坊やが収まるならね?」
「厭、厭でさァ!やめ、ないでくだせェ!なんでも、なんでもしまさァ!だから、だからぁッ!!」
「なら、さっさとイっちゃいなさい!ほら!イくんでしょう?出しなさいよ、足で擦られて興奮する変態」
「ふ、は、ぁ……!さっちゃん様、さっちゃん様ぁ……ッ!」
がくがくと躰を震わせて、沖田はあやめの視線に射抜かれたまま達した。
「はぁ、はぁ……ッ、約束、守りやしたぜィ……っ」
「偉いわね、そんなにご褒美欲しかったの?……目を開きなさい、そう、もっと。動いたら駄目よ、動いたら片目が二度と使い物にならなくなるわ」
閉じようとする瞼を親指と人差し指で開かれ、何をされるのかと思ったら眼球を舐められた。ちゅく、と音がしてキスともフェラとも挿入とも違う粘膜が擦れる快楽が沖田の背筋をぞわぞわと這い上がる。
このまま目を潰されてしまうのだろうかと恐怖を抱いた沖田が叫ぶより前に再びちゅ、と音がして涙とも唾液ともつかぬ液体を垂らす舌が離れていくのが見えた。
「動かなかったわね。偉いわ、特別よ。……好きにしなさい」
腕を首の後ろに回され、今度は唇をてろりと舐められる。キスの合図だと解り、沖田は遠慮なくあやめの躰を抱いて唇を貪った。余裕などない、夢中で舌を差し入れ唾液を啜る。ぢゅるぢゅると厭らしい音が響いて、ん、ん、と断続的に息が漏れる。
「は、ぁン……」
再び内腿をなぞり、ボンテージの隙間から今度は下半身に触れる。つぷ、と指があっさりと入った。抗議をさせないように機嫌を損ねないように、既に濡れていたそこを掻き回す。片手で芽を擦り片手で指を抜き差しして、念入りにほぐしていくとそこは物欲しげにひくついた。
「あ、ふァ、ん、ぅ」
「は……入れて、いいですかィ?も、限界でさァ……」
「あ、口のききかたが、……っ、なってない、わよ?」
「……お願いしまさァ、俺のこの汚ェちんぽ、入れさせてくだせェ。犬みてェに腰振って気持ちよくなりてェんでさァ、お願い、さっちゃん様……」
「……まあ、及第点ってところね。横になりなさい、坊や。ゴムを忘れたらその粗末なモノ千切るわよ」
「解ってまさァ……っ」
沖田はコンドームを手早く装着して寝そべる。あやめはボンテージの股の部分をずらすと沖田の怒張とそこを擦り合わせた。にちゅにちゅと見せつけるように焦らしてから、やがて彼女が腰を落とすとそれだけで射精しそうな快感が沖田を襲った。
「ふ、ァっ」
「は、ぁん」
あやめは目を閉じて腰をグラインドさせる。上下に、左右に、前後に。沖田はそれを見上げながら、腰を掴んで突き上げた。
今この瞬間は、どうか俺だけを見て。
「は、ぁ、あぁん、や、ぁッ」
「はッ、やらし……ぅ、最高でさァ、すげ、いい……ッ」
余裕がなくなってきたあやめと指を絡めて、更に腰の動きを速くする。さらさらとした薄紫の髪が顔にかかって心地よかった。
「あ、や、も、イく、やぁっ、あ」
「ふ、はァっ、さっちゃ、さっちゃんッ、俺、も、あやめ、あやめェっ……!」
きゅうとあやめの中が締まるのに伴って、沖田もコンドーム越しに自身の欲を吐き出した。
「は、あやめ、……」
「ん……」
自分に跨がったままのあやめの首を引き寄せ、口付ける。ちゅ、ちゅ、と軽い接吻から舌を入れて、余韻を楽しむように深く唇を重ねた。とろんと細められた瞳が、口付けに応じる舌が、声が、何もかもが愛しくて、躰を反転させようとしたその時だった。
「はーい、そこまでェ」
無遠慮な闖入者が、沖田とあやめを思い切り引き剥がす。心底だるそうな声にだるそうな動作で、ただ瞳だけが鋭利に輝いていた。
「もー、さっちゃん燃えてるんだもん。銀さん妬けちゃう」
心底愛しい女の後ろから手を回して抱きすくめるのは、心底嫌いな男。猿飛あやめの恋人、坂田銀時だった。
「や、もう、銀さんったら……私には銀さんだけよ」
「本当?怪しいなァ」
「本当よ、あ、ん……」
沖田の上に跨がったまま、二人は濃厚な接吻を交わす。沖田は急速に頭が冷えていくのを感じた。
「よー、毎度お疲れ沖田くん。じゃあ後は俺ら二人でしっぽりするから、帰っていーよ。ご苦労様」
「あん、銀さん、まだ見られてるのに……」
「いーじゃんさっきは散々見せ付けてくれたじゃんかよ。……俺に見られながら好きでもない男とスるの、そんなに気持ちよかった?」
「あ、そんな……ぁ」
もうあやめは沖田を見てさえいない。沖田は無言で衣服を整えて、振り向くことなく部屋を出た。扉の向こうでは惚れて惚れて惚れ抜いている女が、違う男に抱かれている。
結局あやめとの情事は、いつもこの結末を迎える。知っている、自分は当て馬に過ぎぬのだと。それでもこの関係から逃れるには、沖田は被虐の快楽と恋の味を知りすぎてしまった。
――快楽は痛みを水で薄めたようなものである。どこかの誰かの名言らしい。
だとしたら、この痛みもいつか快楽に成る程薄まってしまうのだろうか。
沖田は廊下に崩れ落ち、耳を塞いだ。