「お土産いっぱい買ってくるからね、月詠姐!」
「悪いわね、一人きりにしちゃって」
申し訳なさそうに日輪は月詠に両手を合わせた。その膝には、小さめの旅行鞄が乗っている。
「気にするな。いい骨休めになるじゃろう、のんびりしてくるといい」
事の起こりは吉原の商店で一定金額以上の買い物をした客に抽選権を配り行われた福引大会だった。
町興しの一環にと行われた催しではあったが、結局のところ吉原で買い物をする客など限られている。
一等、ペアで行く箱根温泉三泊四日の旅を引き当てたのは、吉原で衣食住を賄い、かつ経済的に余裕が
あるため買い物の機会が多い日輪であった。
当初こそ自分が行くのは申し訳ないと受け取りを拒否した日輪だったが、吉原の復旧を先導した
立役者にこそという周囲の声に半ば押し切られ、しようがなく二人分の旅行券を受け取った。
――でもねぇ。
二人連れで旅行するといっても、日輪は車椅子の身だ。一緒に行く相手へ否応なしに負担をかける
ことになる。
「そうだ、月詠! あんたにこれあげるから、晴太と行ってきといでよ。ここのとこずうっと働き通し
じゃないか。ゆっくり温泉に浸かって日頃の疲れを――」
「わっちが何日も吉原を離れるわけにはいかんじゃろう。紅蜘蛛党の一件もある」
「でもそんなこと言ってちゃ一生この町から出られないじゃないか。私はこんな状態だから、旅行
なんて無理だよ。行ってきなって」
「百華を何人か護衛につければよかろう。わっちよりあやつらのほうが余程働き通しじゃ、丁度
息抜きをさせてやりたいと思っておった。それに」
「それに?」
「この店に住み始めてから、ずっと三人暮らし。たまには親子水入らずで、晴太を甘えさせてやれ」
可愛い晴太を理由にされると、日輪には反論のしようがない。
結局、日輪と晴太、お暇を出された百華数名で箱根の温泉旅館へ向かうことになった。
――さて、どうするかな。
店主である日輪がいない為、というよりは月詠が代わりに茶や菓子を出せばいいという日輪の提案を
客商売などろくにしたことがないという理由で月詠が拒否した為、旅行中は茶屋ひのやは休業することと
なった。
がらんとした夕暮れの店内に立って月詠は何か仕事はないか思案した。
町の見回りは日課とはいえ、朝、昼、晩の三回で事足りるし――日輪に言わせれば吉原中を一日三回も
見回るのは絶対にやりすぎであるらしいが――、百華も尽力してくれているので、月詠の負担は徐々に
減ってきていた。いつもなら夕食後に片づけやら日輪の風呂の手助けやらで忙しいが、その日輪がいない
ので、今日、明日、明後日と夜の見回りが済んだ後の予定がない。
(あんたの頭の中に仕事以外のことはないのかい?)
「……ふっ」
不意に、以前日輪が呆れ気味に言った言葉を思い出し、月詠は苦笑した。
――仕事以外のこと、か。
やることがないとはいえ吉原を離れるわけにはいかない。何か家の中でできることはないだろうか。
――そうだ。
今なら迷惑をかける者もいない。繰り返さないことには耐性もできないと聞く。
うむ、と頷いて月詠は台所へ向かった。
**********************
「……なんだよいねぇのかよ」
日も沈みすっかり暗くなった吉原。
茶屋ひのやの戸口の張り紙を見て、銀時は舌打ちした。
丁度近くを通りかかったので、パチンコに負けて食べれなくなったパフェの代わりに何か食べて帰ろうと
思っていたのに、店自体が閉まっている。
――畜生、今度来たときに文句言ったついでにパフェ代貰ってやる……ん?
空腹から心の中で悪態をつき、帰ろうとして銀時は二階の灯りに気がついた。
配置からして月詠の部屋に違いない。張り紙には旅行で不在の旨が書いてあったが、仕事人間の月詠が
そんな理由で吉原を離れるとは考えにくかった。旅行に行っているのは日輪なのだろう。
(たまには顔見せてあげて。あの子も喜ぶから)
不意にそんな日輪の言葉が浮かぶ。
――どっか飯食えるところにでも誘ってやるか。ぜってー飯だけ、ね。飯だけ。
銀時は軽く戸口を叩いた。
「ひのやさーん、郵便でーす、吉原の救世主様からお届けものでーす」
わざとらしく大きな声で二階に呼びかけると、程なくして月詠が戸口を開けた。
「よお。近くまで寄ったから付き合え。どっか飯のうまい店――」
言いかけて鼻をついた匂いに、銀時は猛然と振り返り逃げ出そうとした。が、まるで肉食獣が獲物を
狩る時のような電光石火の勢いで月詠は銀時の襟首をがっ、と捕まえる。
「久しぶりじゃねえか銀時ぃ」
戸口から顔を出した月詠の手には日本酒の一升瓶が握られている。頬は紅潮し、目が据わり、呂律が
回っていない。
明らかに、絶対に、酔っ払っている。一刻も早くここを離れなければまずい。
月詠の下戸っぷり、そして悪酔いっぷりは銀時の知人のなかでも一、二を争う劣悪さなのだ。
「お、お久しぶりでございます月詠さん。の、飲んでらっしゃるんですか」
「そうだよ。そういやお前と飲みたいと思ってたんだよ。ちょっと上がっていけや」
「いえいえご遠慮しますよ!! ただ近くに寄ったんであいさつしていこうと思っただけですから!!
それじゃあ!!」
中に引き摺り込まれそうになり、銀時は戸口に必死にしがみついた。
「嘘つけぇ、今飯食えるところにいこうとか言ってたじゃねぇか」
――なんで酔っ払ってんのにそんなとこだけちゃんと聞いてんだァァ!!
「それとも何か? お前私と酒が飲めねぇってのか!?」
「そんなことありませんよォォォ!! でも月詠さん一人で飲んで楽しんでたんでしょ!? 一人で
じゅーーぶん楽しかったんでしょ!? だったらいいじゃないですか僕お邪魔ですって!! いたら
僕も月詠さんも楽しくなくなりますって!! どうぞ一人でごゆっくりッ!!」
「私が誘ってやってるんだぞてめぇ、ごちゃごちゃ言わずに付き合わんかい!!」
直後、銀時の後頭部を一升瓶が襲った。
襟首をつかまれたままずるずると引きずられ、銀時の姿はひのやの二階へと消えた。
**********************
――帰りてえ。
銀時の願いは切実だった。
新八曰く立ち飲み屋のオッサン、神楽曰く銀時を殺しそうな勢いである泥酔状態の月詠に、実際
銀時は一度殺されかけている。
だが部屋の床一面に転がる一升瓶の数を見て、朝まで――最悪の場合、月詠の酔いが醒めるまで
この場を離れることはできそうにないことを悟って、銀時はがっくりと肩を落とした。
基本、月詠は絡み酒である上、酔えば酔うほど性質が悪くなる。
「おい銀時ィ、聞いてんのかてめぇ!!」
「聞いてますッ、反対側に貫通する勢いで耳の穴かっぽじってちゃあああんと聞いてますッ!!」
銀時が自分の話を聞いているようなので満足したらしく、月詠はふやけた笑みを浮かべた。
よしじゃあ注いでやると言って、まだ口をつけてすらいない八分目まで酒の入った銀時のコップに
更に酒を注ぎ足した。
――畜生、たまには愚痴でも聞いてやろうと思った俺がバカだったァァァ!
銀時は数時間前の自分を呪った。
「ってか月詠さん、なんでお酒なんか飲んでたんですか?」
「何だァ、私が酒飲んじゃいけないってのか、えぇ!?」
「そんなこと言ってないじゃないですかァァァ!! もうどんどん飲んでくださいッ!! 思う存分
たまご酒でもわかめ酒でも思う存分飲んでくださいッ!!」
「……そうだ」
銀時の言葉に、はたと月詠の手が止まる。
「そういやお前、こないだ飲みに来た時わかめ酒やりたいとか言ってたそうじゃねぇか」
――誰だァァァ!! 誰だこいつにそんなことチクリやがった奴はァァァ!!
普段の彼女ならばそんな情報を耳にしても空気を読んで素知らぬ振りをしてくれるだろう。
だが今の月詠は張翼徳とジャッ●ー・チェンも真っ青になる天下無双の酔いどれ戦士様である。
余計な情報を一与えたら、n倍して二乗して更に一を足した後ルートが付いて返ってくる。
「ぶへェッ!」
突如、首元を掴まれたと思った次の瞬間には銀時は畳に押し倒されて、否、叩きつけられていた。
衝撃で空気が押し出された胸の上に、妙に柔らかい感触が圧し掛かる。
眼前に上気した月詠の顔のドアップがあった。
「なんならやってみるか……?」
紫色の双眸に自分が映り込んでいるのが見える。
「だ、だれと……?」
――オオカミさんに襲われた赤頭巾ちゃんはこんな気持ちなのだろうか。
風俗のお姉ちゃんに優しく押し倒されてイロイロやるのは大好きだが、今この状況はそういう
雰囲気のかけらもない、と銀時は思う。もしこの状況を赤の他人が見たならば、酔ってくねくねした
美人に組み敷かれてそんなこと思うなど死刑に値すると言うかもしれない。
確かにここしばらく使う機会がなくて、事あるごとに何かと被害にあっている下半身のモノは久々に
感じる女の身体の感触に反応していないこともない。
――でもこれは違うッ、なんか違うッ、やりたい対やりたくないが六割五分と三割五分ぐらいだけど
もっと違う状態で俺はやりたいんだァァァ!!
「つ、月詠さん、ちょっと落ち着きましょうよ。ほら前も言ったじゃないですか、こういうことしたら
後悔するって、ね、だから――」
「……ぷっ」
小さく噴出して肩を震わせていたが、遂に堪え切れなくなって銀時から離れると月詠は大声で笑い
だした。
「本気でうろたえる〜! か〜わい〜、銀時く〜ん!」
――めんどくせェェェ!! しかもその上ウゼェェェ!!!
「てめぇ人が大人しくしてると思ってたら――!?」
「ほーら、可愛い銀時君にお酒飲ませてあげまちゅよー、そぉおおい!!」
怒りに駆られて口を開いたことを銀時は後悔した。
苦内で鍛えられた抜群のコントロールを誇る両腕が、打者直前で急激に球速を上げるスライダーの
投球フォームを描く。
渾身の力が込められた一升瓶が銀時めがけて投げつけられた。
**********************
隔壁の向こうの空が、少しずつ白み始めていた。
極めて静かな、吉原の朝である。
まだいつもの起床時間ではないため、月詠は眠りに落ちている。
横には銀時が、丁度赤ん坊が哺乳瓶を銜えるような恰好で一升瓶を口で受け止めたまま白目を剥いて
眠って――というよりは伸びていた。一升瓶の海の中で眠る二人の様子は、朝寝というには凡そ程遠い。
数刻の後、目を覚ました月詠が当分酒は飲むまいと誓ったのは、言うまでもない。
完