季節は初春。花の蕾が綻び始める頃。もうすぐ、『その日』はやってくる。  
誕生日より、クリスマスより、正月よりも尊い日。  
――三月三日。桃の節句まで、あとほんの、幾分。  
「まだ起きていらしたのですか? 」  
カタリ、と、襖が開けられ、長身の男が姿を現した。  
肩の先まである金の髪が、すっかり高く昇った月の光を背後に輝く。  
男の言葉に、部屋の主たる小柄な少女は、ああ、と答える。普段の男装を寝間着に着替え、一つに纏めていた長い黒髪も、下ろしてしまっていた。  
「……入れ」  
部屋の前で立ち尽くしたままの男に、少女はややぶっきらぼうに告げる。失礼いたします、言葉と共に男は室内に入ると、静かに襖を閉めた。  
「これから寝るところだったのか? 随分と遅いな」  
「ええ。それはもう、今まで明日の準備をしておりましたから」  
言った男の声には疲れよりも寧ろ、楽しさの方が色濃い。  
「江戸に二つとない、立派な雛飾りを用意致しました。きっと明日ご覧になったら驚かれますよ」  
「随分と、楽しそうだな」  
「ふふ……何せ今まで、こんなにも表立って盛大にお祝いできる事はありませんでしたからね。明日という日を。気合も入るというものです」  
「……」  
男はあふれんばかりの嬉しさを、隠さずに語る。  
対して押し黙っては、冷めた目を伏せた少女――この柳生家の令嬢、九兵衛はこれまで、『男』として育てられてきた。  
極一部の者を除いては、九兵衛が本当は少女であることすら知らなかったのだ。当然、女子の祝いなど出来るはずもなかった。  
そう――あの事件が起こり、その秘密が他の門下生達に露見してしまうまでは。  
当然柳生の中で一悶着あり、それがついに裏柳生との死闘にまで発展してしまったりもしたのだが、取り立てて触れるべきことでもないのでここでは省略する。  
兎に角、今では大分鎮静されていて、男の言うようにこれまでで初めて、明日という日が盛大に祝われることとなった。  
三月三日。桃の節句。女子の祭り。  
見たところ当の九兵衛よりも寧ろ、一番それを喜んでいるのは、この男、九兵衛の側仕えである東城歩のようであるが。  
正直なところ、九兵衛はそれほど、華美な催しなどに興味はなかった。  
「……僕は別に、今までの雛祭りだって嫌いじゃなかったがな」  
「若……」  
今までの、低い声で呟いた主の言葉に、それまではしゃぐ子供のようであった東城の表情が変わる。  
そう。これまでその日は、九兵衛にとって特別な日だった。  
――"今日は女子の祭りですから。"  
初めはいつだったか。九兵衛がまだほんの子供だった頃。女子としての生き方に憧れながらも、己に架せられた運命の前にどうしようも出来ず、ただ毎日泣き濡れるばかりだった彼女に、見かねた東城がこっそりと、可愛らしい簪をくれたのだ。  
当時まだ少年だった東城に自由になる金が多い筈もなく、それはごくシンプルな作りの、ほんの小さなものだったが、しかし嬉しかった。喩え様もなく嬉しくて、その余りに九兵衛はまた泣いてしまった。  
以来毎年、三月三日に決まって東城は九兵衛に女子らしい物を贈った。或いは彼女の好きなソフトクリームの飾りのついた髪留めであったり、或いはリボンのあしらわれた足袋であったり、  
蝶々の模様の入った美しい帯であったり、大輪の花の柄の浴衣であったり――勿論、それらを身に着けたところを他の者に見られるわけには行かなかったから、部屋の中でこっそりと着るに留まったが。  
いつしかその日は、九兵衛と東城、二人だけの秘密の行事になっていた。  
 
――十四の時の事だ。  
その年の東城のプレゼントは、レースがふんだんに使われた、これ以上ないほどに女の子らしい着物の一式だった。  
まるで伝え聞いた、異国の姫君のような豪奢なその衣装。何と言ったろうか、魔法使いによって灰被りから素敵なお姫様に変身させてもらった少女の話の、主人公になったような気持ちで九兵衛は袖を通した。  
あのまま時間が止まってしまっていればよかったのに。……けれど所詮、魔法は魔法。十二時の鐘が鳴った時、すべては元に戻る。  
そして十五の雛祭りは、訪れることはなかった。  
「……懐かしゅう御座いますね。若が修行の旅に行かれるまで、ずっと……」  
「……ああ」  
「そういえば、最後にお贈りした着物。とてもお気に召していたようにお見受け致しましたが、何処になされたのです? お部屋の何処にも見当たらなかったのですが」  
「……お前」  
また勝手に僕の部屋を探っていたのか。半ば呆れた様に抗議しようとして、しかし九兵衛は止めた。  
「……あれなら捨てた」  
その代わりにと、九兵衛は静かに言い放つ。その言葉に東城は表情を凍りつかせ、え、と漏らした。  
「一片残らず灰にして、空に放った」  
「そんな……! 」  
凍えそうな程に冷たい九兵衛の口調に東城は焦り出す。  
「……そうでもしなければ、決心が鈍りそうだったからな」  
「……え? 」  
けれど、続けられた言葉に、それまでお給金の一か月分を叩いたのに、などとぼやいていた東城は改めて九兵衛の方に顔を向けた。  
「あの頃の僕は、男として生きねばならなかった。……あんな服が傍にあったのでは迷ってしまう。だから消し炭にした。跡形もなく、な」  
「若……」  
「……だが、最早そんな必要もなくなってしまったな。あの一件以来、お前は雛祭りでなくても年中僕の部屋に女物の服を仕込むようになったし」  
「そ、そうですよ! 」  
ふ、と九兵衛が漏らした笑みに、これまで戸惑いを見せていた東城は少し緊張が和らいだ様子だった。  
「今や若が男として生きねばならぬ理由はありますまい。なのに如何して私が用意した服をいつもいつもいつも焼いてしまわれになるのですか? 」  
「……。やり方が気に食わないんだ! あんな、僕の部屋に勝手に忍び込んで、こっそり置いておくなんて! これじゃあまるでストーカーってやつみたいじゃないか! 言っておくが僕はストーカーとやらが大っ嫌いなんだぞ!  
 妙ちゃんが困っているらしいからな。妙ちゃんの敵は僕の敵だ!! 」  
「では若、正面から堂々と渡せば、お召しになっていただけるのですか!? 」  
「……う。それは……」  
一気にまくし立てた九兵衛の語気を物ともせずに、期待の溢れる眼差しで東城が言い返すと、九兵衛は言葉が詰まってしまった。  
「そうすれば、若もまたゴスロリを……」  
「……」  
にじり寄る東城に、九兵衛は一歩退く。そしてふと、思う。  
十四の時に貰った、今は既にないあの服が気に入っていたのは本当だ。だがこの男の方も、ゴスロリというらしいその衣装に大分執着しているようだ。時折部屋に仕込まれた服の大半があのような系統の着物だった。  
――否、考えてみればそれは当然のことだろう。  
あの時自分がそれを気に入ったのは。極めて女子らしいそのデザインは無論のこと、何より東城が、お似合いです若、本当によくお似合いです、と、陶然として繰り返していたことが嬉しかったからだ。  
仕込まれた服の大半は彼女の好みであったが、東城が九兵衛の趣味をよく理解しているというよりは、九兵衛の趣味は東城によって形成されたと言える。  
それでも、それらも燃やした。  
――まだ、自信がなかった。  
女でも男でもない、中途半端な己が、それを纏って女子として生きる自信が。  
わかってはいる。東城が自分に、女子らしく生きることを望んでいることも――否、正確にいえば、九兵衛自身が本当は誰よりもそれを求めていることも。  
それでも、前に進む勇気がなかった。その生き方を選ぶということは、これまで己が苦しみながらも何とか生き抜いてきた、十八年の歳月を全て否定することのようで。  
だから燃やすしかなかった。東城がその衣装に、どれ程の想いを籠めているか知っていても。――たまに、ゴスロリだけでなく、何を思って仕込んだのか看護師やら女中やらの制服も混じっていたが、こちらも意図がよくわからなかったのでとりあえず燃やした。  
 
「……明日なら、お召しになっていただけますか? 」  
東城が尋ねる。  
「今までも、三月三日だけはお召しになっていただけたではありませんか。ですから、今年も……それに今年は、今までのようにこっそりと着て私だけが見るのではなく、堂々と着て皆に見て貰えるのですから」  
「……っ! 別に、見られたくなんてない……」  
九兵衛は俯く。  
「僕は女子ではない! 今までそう言われ続けて、そう自分に言い聞かせ続けて生きてきた! 今更、なれる筈がないだろう! 女子になど……出来る筈がないだろう、皆の前で、女子の振る舞いをするなど……」  
「若」  
叫ぶように言い放ち、しかしその語気がだんだんに弱くなっていく九兵衛に、嗜めるように東城はその名を呼ぶ。  
「貴女の境遇はさぞお辛いものだったでしょう。それは側に仕えてずっと若を見てきた私もよくわかっております。輿矩様も敏木斎様も若のお好きなように生きよと仰られました。しかし……いつまでも今のままではおられないことは、若が一番ご存知のはずではありませぬか? 」  
「……! 」  
穏やかに、諭すようでありながらも、はっきりと告げた東城の言葉に、九兵衛ははっ、と目を見開く。  
そうだ。九兵衛の秘密が知られてしまったあの一件以来、今はとりあえず落ち着いたとはいえ、柳生一門内の空気は確かに険悪なものとなっている。  
九兵衛が女であることが問題なのではない。一部の古い考えの者は異を唱えてはいるが、大半は九兵衛が柳生家の次期当主になること自体に関しては賛成であった。三年の厳しい修行を経て、柳生家を守護する四天王達すら凌駕する実力を身につけた九兵衛だ。  
今やこの柳生家で九兵衛を超える剣術の腕前を持つ者など、彼女の師範であり祖父でもある前当主柳生敏木斎をおいて他にない。異論の唱えようがなかった。  
この点においては、父や祖父の教育指針は間違っていなかったのかもしれない。  
だがしかし、問題はその次だ。幼馴染の娘を、半ば拉致するように連れてきては、嫁にすると言って、その弟達と柳生家を巻き込んで大乱闘を繰り広げたあの事件。あれが柳生の中での溝を決定的にした。女子でありながら、女しか愛せない。  
そんな人間が柳生家の家督を継ぐことは、即ち柳生家の終焉を意味するのではないか。そのような不安を持つ者達がいる。  
これまでの半生を思えば仕方のないことと、理解を示してくれる者もいるが、しかしその溝は埋まらない。  
実際のところ九兵衛は気づいていた。確かに妙のことは誰よりも深く愛している。あれ程に美しく、強く、そして優しい女子を他に知らない。  
けれども自分が彼女を強引に嫁にしたところで、彼女を幸せには出来ない。九兵衛の一番の望みでもある、彼女に心からの笑顔を浮かべていて貰うことは出来ない。  
それに、九兵衛は妙との事は、今のままで十分すぎる程だった。  
あのような事をしてしまったにも関わらず、昔のように親友として接してくれている彼女。彼女と買い物に出かけたり、お泊りをしたり、合コンとやらに参加したり、ゲームをしたり……そんな、女子同士の友情を育む事が、何よりも幸せだった。  
だからこそ。今こそ終止符を打たねばならない。自分はどうあっても男にはなれない。女にならねばなるまい。女となり、男を愛せ、やがては柳生家の跡継ぎを産めることを示さねば、この問題は解決しない。また裏柳生が台頭するような事態にすらなりかねない。  
「……東城」  
酷く静かな声で、九兵衛は世話役の名を呼んだ。  
「頼みがある」  
何でしょう、尋ねる東城に、しかし返事はなかなか返らなかった。不審に思った彼が、何なりとお申し付けください。若のお願いでしたら、何でもお聞きいたします、と再度念を押す。  
それでも九兵衛は、中々その続きを告げる勇気がわかなかった。  
――しっかりしろ。それでも侍か。ここまでは思惑通りではないか。あと一押しだ。  
そんな風に、心のうちで己に言い聞かせる。  
そう。これまでの事は九兵衛の計画通りに運んでいた。深夜の今こうして東城と思い出話に花を咲かせたりなどしているのは、決して偶然ではない。待っていたのだ。この男が夜、必ず九兵衛の寝顔を確認してから自身も寝に入ることを日課にしているのを知っていた。  
だからその時間に部屋にまだあかりが灯っていれば、心配性なこの男のこと、様子を覗き込むであろうことは容易に想像がつく。  
「僕を……」  
声が、震える。――もう少し、もう少しだ。  
「僕を、女にしてくれ」  
そして漸くにしてそれを伝えきってしまったとき。九兵衛は思わず硬く目を瞑った。しかし暫くしても何の反応もなく静かなのを不安に思い、恐る恐る瞳を開くと。  
そこには言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くす従者の姿があった。  
 
「な、ななななな」  
やがて九兵衛の言葉がやっとその意識に届いたのか、やたら『な』を連呼して東城は取り乱す。  
「な、何を……何を仰っているのですか、若! 若は立派に女子では御座いませぬかっ……この間とて女子の装いがよう似合っておりました。あのような装いを、そして願わくばゴスロリなどお召しになって頂ければそれはもう」  
「……そのような意味ではないっ! 」  
そして何を思っているのか、何処か必死な様子でそんなことを語り始める東城の言葉を、九兵衛はぴしゃりと遮る。  
「……お前が女郎屋で買った女子にしている事を、この僕にもしろと、そう言っているんだ」  
「若……! 」  
追い詰められたような表情で、東城は一歩退き、口の端を歪める。その頬を一筋の汗が伝った。  
「……なりませんっ! なりませんぞ若、年頃の女子がそのようなはしたないことを……そのようなことは、若が心から愛した殿方と、夫婦になった暁になすべきことであって、一時の肉欲のままに、私のような従者風情の身体を求めるなど、あってはならぬことですぞ、若! 」  
「……どの口がそのような戯言をッ! 夢想めいた話はいらん!」  
九兵衛は声を荒げた。何故お前がそれをいう。己とて名家の令嬢として、何も知らず清らかに育てられてきたならば、そのような考えも持てただろう。  
だが世の中とは、男女の仲とはそんな、お姫様と王子様は永遠の愛を誓って一生幸せに暮らしました、などという、御伽噺の世界の様な単純で何処までもただ美しいものではないのだと教えたのは、他ならぬお前ではないか。  
あろうことか、己の世話係として十八年仕えてきた、お前自身ではないか。  
――東城が女子を買っていると知ったとき、九兵衛は驚愕し、そして侮蔑や嫌悪の情が沸くよりも先に、計り知れない絶望を覚えた。  
『若は女の子なのですから』、そう言って一年に一度だけ、己に魔法をかけてくれた東城。男として生きねばならなかった自分の苦悩を理解し、常に心配してくれた。  
あの、泣いてばかりだった少女時代の中で、東城は確かに自分を女の子として扱ってくれた。ただ、憧れるばかりだった女の子として。それなのに。  
そんな、自分にとっては夢見る対象だった美しく華やかな女子達を、東城は金で買ってはその身体を己のそれと重ねているのだと知ったとき、九兵衛はそれは己に対する酷い裏切りのようにすら感じられた。  
それ以来だ。男というものが理解出来なくなり、触れられるだけで虫唾が走るほど、汚らわしく感じるようになったのは。側近の一人が、女にだらしがなかったのも一層に九兵衛の中で悪い想像をかきたてた。  
あちらこちらの女を追いかけるその男の、締りのない表情を見て、東城も女子の前ではああなのかと、不安に駆られた。否、その男の方がまだマシに思えた。  
やれ何処かの女に冷たくされたと言っては稽古に身が入らなくなり、別の女に夢中になったと言っては稽古をサボってその女の所に行く、その様にはまだ情が感じられた。  
だが東城はその男と違って、九兵衛達の前で彼が関係を持っている女子の事など一切持ち出しはしなかった。それは一層不気味でもあった。まるで彼にとってその女子は、正に単なる性欲処理の道具なのだという事実の表れのようで。  
これが東城でなければ、恐らく九兵衛はその男を下種の一言で片付けて、さして気に止めることもなかっただろう。ここまで男に対する不信を募らせることもなかっただろう。だがそれは、幼い頃から辛い境遇にあった九兵衛を支えてくれた彼だったのだ。  
『若は女の子なのですから』、彼はそう言って九兵衛を励ましてくれた。だが、彼にとって『女の子』とは一体何なのだろうか。そして自分とは何なのだろうか。東城のその行為は九兵衛の心に、癒え難い深い傷を負わせた。  
自分は生涯男など到底愛せぬのではないかと、悩みぬいた末に何度か妙に相談したことすらある。  
 
「……申し訳ありません、若。口が過ぎました。私とて将来を誓った女子などおりませんし、それでも……その、若が仰る様に女子と関係を持ちました」  
九兵衛がそんな思いを巡らせていると、東城が重々しく口を開いた。その言葉に、九兵衛は何処か安堵を覚える。その不安が、自分の思い過ごしであったことに。  
そして思う。何を安心している。一人の女子に対して一途であったなら、その方が男として、否、人間としては余程まともではないか。  
「ですが若、やはり若を抱くことは出来ません。勝手な願いだとは重々承知の上ですが、矢張り若にだけは、若が真に心に定めた殿方と結ばれるその日まで、清らかな身体であって欲しいのです」  
「フン……貴様の願望など知ったことか。別にかまわんだろう? 操を立てた女子がいるわけでもないのなら、僕を抱くことくらい」  
続けられたそれに、九兵衛はそんな心の内とは裏腹に、冷たく言い捨てる。――本当に勝手な話だ。そんなことを言うならば、僕とてお前に女子を買うなどして欲しくはなかったのに!  
「……駄目なんだ。今日でなければ、決心が鈍ってしまう……分かっているんだ。お前の言うように、もうこれからは女子として生きていかなければならないこと位……これ以上好き勝手をして、妙ちゃんや、お前達に迷惑をかけるわけにはいかない……  
柳生の次期当主として、僕が起こした一件が原因で出来た溝を自ら埋めねばならない。そう決めたのに……」  
「若……」  
不意に、九兵衛の語気が弱くなる。  
「お前なら……お前なら僕を女にしてくれると思ったんだ。男として育てられたあの頃から、僕を女子として扱ってくれたお前なら」  
「……っ! それは……」  
「お前は毎年、雛祭りに僕に女子の服を贈ってくれた。父上の教えに反して、僕は女の子なのだと言ってくれた。だから……東城、頼む……日付が変わった。今日は雛祭りだ。今日は女子の日なのだろう……? 」  
「……若……」  
「……それとも、矢張り無理か……? 」  
主人である九兵衛がここまで重ねて頼んでも、戸惑うばかりの東城の態度に、彼女は徐々に不安を覚え始める。  
「子供の頃から、お前だけは僕を女子と言ってくれたが、僕は到底、妙ちゃんの様に女子らしくない……背だって低いし、それに、何より女子の命ともいうべき顔には大きな傷がある。  
この歳まで男として生きてきたんだ。幾ら綺麗な服を着たって、僕が女子としての魅力など持ち得ない事など分かっている」  
「そんなことは御座いませんっ! 」  
伏し目がちに告げた言葉を、しかし東城はきっぱりと否定した。  
「若に魅力がないなど……男物の服を着ていようと、化粧をせずとも、若よりも美しい女子を私は他に知りません」  
「と、東城……」  
フォローにしては褒め過ぎではないか。思いもかけぬ東城のその発言に、九兵衛は少し、赤くなる。  
「……では東城、僕を抱けるか? 」  
「……」  
続けた言葉に、矢張り東城は黙り込む。だが。  
「……お気持ちは、変わらぬのですね? 」  
何か決意した面持ちで、そう尋ねた。  
「全てが露見した今、柳生家の次期当主としての責務を果たすためには、これからは女子として生きねばならない。だからこそ、今日、三月三日という日に生まれ変わろうと。そう決心された、と」  
「……ああ。頼む。こんなこと、お前にしか頼めないんだ」  
やや遅れて、九兵衛がそれに答える。  
「……分かりました。それが、若の選ばれた道なら。この東城、どこまでもついて参りましょう。……しかし」  
「? しかし、なんだ」  
「二つほど、先に忠告しておきます」  
 
「言ってみろ」  
「まずひとつ。途中で若がやはりお嫌になられても、私は止めません」  
「そんなことか。知っている。男とはそういうことをすると、止まらなくなるものだと聞いた」  
「……。どなたからお聞きになられたのですか、そのようなこと」  
「誰だったか、すまいるの女子からな。皆酒が入っているせいか、そんな話はしょっちゅう出てくる」  
九兵衛は妙に会うために、彼女が勤めるキャバクラに度々出入りしていた。その店で同じく働く彼女の同僚達に、初めのうちは『ボク、歳は幾つ? 』などとからかわれたものだが、  
妙から九兵衛は幼少からの親友で、そして男の身形をしているが本当は女であることを紹介されると、彼女達からは益々可愛がられた。曰くこんな商売をしていると、男の汚らわしい部分ばかり見えてくるのだとか。  
それゆえ女の客というのが珍しいのもあって、そんな彼女達は九兵衛に色々なことを教えてくれたり、妙の友人ということで特別に巫女服だの中華服だのを着せてくれたりした。  
妙は度々、もう、九ちゃんに余り変なコトおしえないでと嗜めたが、実はそんな彼女が一番九兵衛にあらゆる方面の妙な知識を吹き込んだりもしている。  
「そ、そうでしたか……」  
「見縊るな。僕を誰だと思っている。侍に二言はないっ! 」  
「失礼致しました。では、もう一つ」  
腕を組んで睨み上げる九兵衛に、東城は恐ろしいほど穏やかに言葉を紡ぐ。  
「……きっと、後悔なさいますよ」  
「?」  
それは一つ目の忠告と如何違うのか、尋ねようとしてしかしそれは言葉にならなかった。  
「! っん……」  
九兵衛の返事も待たずに、東城は性急に彼女の唇に己のそれを重ねた。  
「……っ!! 」  
間髪与えず、半ば強引に東城の舌が九兵衛の口腔内に割り入ってくる。  
歯列をなぞり、歯の裏側まで舐めまわしたそれはやがて九兵衛の舌を探り当てると、貪る様に絡まった。ちゅう、と吸われる度に、柔らかな粘膜の感触が残る。  
「……っく……ぅ……っ」  
ようやく状況を理解した九兵衛は、東城の舌に激しく蹂躙されながらも、懸命に己の舌先でそれを撫ぜる。  
そのうちに東城は九兵衛の唾液腺を巧みに刺激しては、漏れ出たそれをじゅる、と大きな音を立てて吸った。ほどなくして、ごくり、と嚥下の音が九兵衛の耳元に届く。  
――飲んだ、のか? この男……僕の唾液を……。  
九兵衛の頭が混乱する。柳生の御曹司として厳しい躾を受けてきた彼女にとって、その液体は汚らわしく、他人に見られるなど恥ずべきものだった。  
断食道場で唾を吐き捨てて飛ばせと言われた時も、そんなことをしたことなど一度もない九兵衛はどうすればいいのか、やり方すらわからなかった。それを、この男、あろうことか他人のそれを飲み込んだというのか。  
否、そんな事実がなくとも、呼吸ひとつまともに出来ないこの状況の中で、既に九兵衛の意識はぼうっとし始めていた。まるで絡みつく舌に、それを徐々に奪われていくかのように。  
どれほどの間そうしていただろうか。九兵衛には酷く長い時間に感じられたそれに漸く終わりが訪れ、互いの唇が離れた。その瞬間東城は九兵衛の薄い唇を舐めまわす。九兵衛は唾液塗れになった己の唇がなんとなく落ち着かず、思わず袖の端で拭った。  
 
「おや、接吻はお嫌いでしたか? 」  
「……! 」  
これが……接吻、なのか?  
東城の言葉が、遠くなっていた意識に辛うじて届くと、九兵衛の頭がそんなことを考え出す。かつて己が妙に施したものとはまるで違うその行為。九兵衛は衝撃に震えた。  
「まあ、私も余り経験がないもので、勝手がよくわかりませんが」  
「……な………に……………? 」  
荒い呼吸を整えながら、九兵衛は息も絶え絶えに尋ねた。どういうつもりだ、何故東城はそんな、見え透いた嘘を吐く? じっと見据えながら男の真意を探った。これがこの男の手なのだろうか。そんなことを言えば少しはこの僕が安心するとでも?  
「ああ、でも他は慣れていますから、安心してくださいね」  
「……! 」  
そんな事を考えていた矢先、続けられた言葉に、九兵衛の心は酷く揺さぶられた。――とうに知っていた筈だ。この男が何度も女子を買っている事など。それなのに、改めて当人の口から告げられたその台詞に、胸が締め付けられる。  
その時だった。若、と不意に名を呼ばれたかと思った時、顔に違和感を覚えた。気がつくといつも左目に当てていた、黒い眼帯が外されていた。  
急に九兵衛は恥ずかしさを覚えた。鏡に映るのを見たとき、思わず目を背けたくなった、醜い傷跡の残った左目。十五のあの日に、傷を負うような事をしたのを後悔などしていない。あの時己の弱さを自覚することが出来たからこそ、今の己がある。  
傷は男の勲章だと、そう自分に言い聞かせた。だが結局、九兵衛は男にはなれぬのだ。そして女子になりたいと願う部分の己が、その醜悪な姿に悲鳴をあげた。  
それをこんな至近距離で見られるのを堪らなく感じ、九兵衛は顔を逸らそうとした。だがそれは、顎先を掴んだ東城の手によって阻まれた。そして次の瞬間。  
「……っ!? 」  
その場所に唇が落とされた。かと思うと、深い傷口に沿って愛しげに舌が伝う。  
これは何のつもりなのだろうか。九兵衛には東城の考えが分からなかった。何故彼は自分の傷跡を態々晒して、こんなことを。下種でデリカシーの欠片もない男だが、それでも他人の欠点を指差してあざ笑うような真似をする人間では、決してなかった筈だ。  
「若はこの傷をひどく気にされていたようですが」  
そんなことを考えていると、東城が声をかけた。  
「私は美しいとさえ思いますよ」  
「!? 」  
「この傷は、若が懸命に生き抜いた証ではありませぬか」  
「そ、それは……」  
「若。私はあなたのそのひたむきで真っ直ぐな、生き方そのものを美しいと思っております」  
「東城……」  
――これは何だ。一体如何して、こんなにも胸がドキドキする?  
九兵衛は自らの心の変化に戸惑う。しかし次の瞬間、惑わされるな、と自分に強く言い聞かせた。情事の時には少なからず、恋人同士の様な気分になるという。  
きっとこの男は、他の女子を抱くときにもこんな風に何かしらの手で、相手を翻弄して楽しんでいるのだ。底なしの馬鹿で手の施しようの無い阿呆だが、北大路などよりずっと頭のキレる男だ。きっとそうに違いない。  
 
「……どうなされたのですか? 難しい顔をして」  
「……! な、何でもない……。ただ、その……お前が変なことするから、顔がお前の唾でべたべたして気持ち悪いし、こんな間近で傷跡を見られてちょっと恥ずかしいんだ! 」  
苦し紛れにそう告げた九兵衛に、東城ははあ、と間の抜けたため息を漏らすと、程なくしてクスクスと笑い出す。  
「な、何だ! 何がおかしい!? 」  
「すみません……だって若、これからもっとべたべたして恥ずかしい事をするのに、まさかこの程度でそのような事を仰るとは思いませんでしたから」  
「……っ! 」  
「ああ、何のかんのと言っても若は矢張り、汚れを知らぬお嬢様なのですねえ」  
「なっ……!? 」  
東城の言葉に、九兵衛はいよいよ顔を真っ赤にした。  
「ばッ、馬鹿にするなっ! 僕はこの柳生家の次期当主だ! この程度のこと、なんでもないわ!! 」  
「そうでしたか。でも、大丈夫ですか? 若、これから何をするのか、本当にわかってらっしゃるのですか? 」  
「それ位知っている! 」  
「ほう? 」  
「そっ……その……要するに、だ。ぼ、僕の股に、お前の……お前の、その、お、オチンポ、を、いれれば良いんだろう!? 」  
しどろもどろになりながら、殆ど自暴自棄に叫ぶと、東城は再び、ふ、と笑みを零した。  
「……な、なんだ!? 何か間違っていたか?! 」  
「いえ。その通りですよ。全く何処でお知りになったのか、よくご存知で。ただ、若……若のその美しいお口から、そのような下品な言葉が聞けるとは、とつい……」  
「うっ……」  
九兵衛は益々恥ずかしくなって目を逸らす。  
「つい……興奮してしまいました」  
「え……」  
興奮、ってなんだ。まさか、こいつも、僕の様にドキドキしてる……のか?   
九兵衛がそんなことを考えていると、不意に抱き寄せられた。突然肩にまわされた手に、近くで感じられた体温に、驚き彼女は硬直する。  
「……そう、硬くならないでくだされ。もっと身体を楽に、私に委ねて……」  
耳元で囁かれたその言葉は、ただ優しいだけのものである筈なのに、聞きなれた東城のその、少し高めの甘い声が、酷く淫靡に聞こえて、九兵衛は言葉に反してびくん、と身体を震わせる。そして次の刹那。  
「……やッ!? 」  
吐息がかかるほど近い距離にあった東城の唇から九兵衛の耳の中へと、舌が差し込まれた。その感触に九兵衛は、背筋がゾクリ、とする。  
「……んンッ……! 」  
耳元で水音が響く。初めて味わうその強烈な感覚に、九兵衛の意識が再び遠のいていく。そうして九兵衛の耳の中を攻め尽くして、やがて抜かれた舌は耳朶を甘噛みした後、ゆっくりと降りていき、首筋を丹念に舐め上げていく。  
「ふ……ぁ……」  
次々に襲ってくるそれに翻弄されて、九兵衛の口から甘い吐息が漏れた。  
 
「……っ!? 」  
同時に胸元に手を差し入れられ、きちんと締めていた筈なのにえらくあっさりと入ったことを不思議に思った時、九兵衛は初めて気づく。いつの間にか腰帯を解かれていたことに。  
九兵衛の身体から唇が離れ、暫く胸を優しく撫でていた手は、彼女の身体にきつく巻かれていたさらしを外しにかかった。白い布がするすると解けていき、やがて押さえつけられていた乳房がこぼれる。  
己が架した枷が外れた九兵衛は大きな開放感を得て、しかし同時に、どうしようもない羞恥心を覚える。  
いつもこうだ。さらしを外す瞬間、肉体的には苦しさから解き放たれるのにも関わらず、九兵衛の心はその度に沈んだ。その瞬間に九兵衛は、『男』である己を保てなくなる。  
東城の動きが一瞬止まり、視線がそこに釘付けになっていたことが嫌でもわかった。己とても恥ずかしくて仕方がないのだ、彼も戸惑っているのだろう。  
小柄な身体にも関わらず、九兵衛の乳房は確かに年相応――否、それ以上のふくらみを持っており、下着など身に着けずともはっきりと谷間が出来る。  
それを自覚する度九兵衛は恐怖すら覚えていた。いずれ周囲に全てが露見していまうのではないか、と。  
息が詰まりそうな程にきつくさらしを締め付けて、それでもその恐怖は何処かに残っていた。長年悩まされてきたせいもあって、その必要がなくなった今となっても、九兵衛には己の胸に対するコンプレックスが残っていた。  
確かに大きめの乳は女子らしさの象徴とも言えようが、しかしたとえば、ことあるごとに度々鉢合わせになるあの忍者・猿飛あやめのようなすらりとした長身の女子ならば、正しくくの一の武器とも言える威力を発揮出来るだろうが、  
度々子供に見間違えられる己には不釣合いなだけだ。  
大人の色香すら漂う妙と年は変わらないのに、とうに成長が止まってしまった身長だけでなく、顔立ちにもまだあどけなさが残る己では。どうしたら彼女達のような女子らしい雰囲気を纏うことが出来るのだろうか。  
そんなことを考えているうちに、九兵衛は着ていた服を脱がされて、殆ど全裸に近い姿にされた。白い肌が部屋の明かりに晒されて浮かび上がる。  
「若……」  
優しく名を呼ばれて、まるで壊れ物を扱うように丁寧に、九兵衛は布団の上に横たえられた。九兵衛は東城のその態度を意外に思った。  
いつも事あるごとに何か気持ち悪いことを言っては息を荒げているこの男のこと、もっと荒々しく押し倒されるのではないかと想像していたから。  
それとも自分がもっと魅力的な女子であったなら、東城も余裕が無くなって獣のように襲い掛かっていたのだろうか。  
「……何をお考えですか? 寂しそうなお顔をされて」  
「……っ! 」  
頭上で東城の声がしたのに気づき、思わず九兵衛は見上げた。  
「何でもないっ! ただ、そうだ、僕ばかり勝手に脱がされて、不公平だろう。お前もさっさと脱げっ! 」  
「ああ……そうですね」  
照れ隠しに大胆な事を告げてしまった九兵衛の言葉を受けて、東城は立ち上がると、優雅な所作で身につけているものを脱いだ。  
 
「……」  
あらわになった東城の裸身を、九兵衛は思わずまじまじと見つめる。  
広い肩幅。厚い胸板。日々の鍛錬で程よく筋肉のついたその身体は、己のものとは全く違う、大人の男のそれだ。自分もいずれああなるのかと、思っていたのはいつだったろうか。そしてそれが誤りだと知ったのは。  
胸をきつくさらしで押さえつけて、男物の着物を着て、どうにか見た目だけは男を演じてきた筈の自分が、酷く滑稽なものに思えた。  
「おや、見惚れて頂けましたか? 」  
黙って彼の身体を見て思案していた九兵衛に、東城はそんな言葉をかけた。  
「……馬鹿かお前は。南戸の自意識過剰でもうつったか? 」  
その呑気な物言いに、九兵衛は心底呆れる。  
「ハハ、冗談ですよ。でも」  
そんな彼女の言葉を笑い飛ばすと、東城は再び、九兵衛の上に覆い被さる。  
「分かっていただけましたか? 若。これが男の身体です。ほら、若のものとは大分違うでしょう? 」  
「あ……」  
肌と肌とが直接触れ合う感触に、九兵衛は声をあげた。近い。東城が、こんなにも。  
何故だろう。男など、この男のことなど、触れられただけで虫唾が走るほどに嫌っている筈なのに。今は嫌悪感よりも寧ろ、もっとこうして触れ合っていたいとすら感じられる。  
先ほどから妙なことばかりをされて、すっかり力が抜けてしまったのだろうか。  
「……ひっ!?」  
東城が少し、身体を浮かせたかと思うと、その隙間に手を差し入れてきた。  
「は……」  
ゆっくりと、東城の掌に包まれた九兵衛の乳房が揉みしだかれていく。  
九兵衛はちらり、と、己の胸元に目を見やった。部屋で筆をとって、何やらこまめに記しているのを見たときは、実に繊細そうに見えたその手は、こうして間近で見てみると骨ばった男のそれで、丸みを帯びた、柔らかそうな感じの己の乳房とは実に対照的だった。  
九兵衛はそっ、と東城の手に己の物を重ねてみる。長年剣を振るい続けてきた筈のそれは、東城のものと比べてひどく儚く、頼りなげなものに見えた。  
「……ひぁっ!? 」  
突如九兵衛は小さく叫んだ。その原因は自分でもわからなかった。ただ、東城の指の腹が九兵衛の乳房のある一点を擦った時、電撃が流れるような刺激が彼女の身体を駆け巡り、思わずそんな声が出てしまったのだ。  
「っは…ぁっ…やぁァんッ!! 」  
そこを攻める指に力が入り、九兵衛は益々身悶えた。  
――なんだ、これは……!?  
胸を触られること自体は、実は初めてではない。すまいるで妙の同僚に戯れに揉まれたり、  
或いは着せられたやたら露出度が高い、水着のような服と兎の耳とをつけて妙達と一緒にいたときに、客の一人に触られた(無論その男は九兵衛に背負い投げで床に叩きつけられた後、妙の跳び膝蹴りの餌食になったが)。  
だがそんなおふざけとは根本的に違う、激しく痺れる様な感覚。それは初めて味わう感覚で、九兵衛は戸惑いを覚える。  
「あっは! ふゃぁッ! 」  
そして東城の指が動くその度に、零れるその声が何よりも、九兵衛を困惑させ、そして一層興奮させた。  
これが本当に己の声、なのだろうか。普段の低く澄ましたそれとは全く異なる、蕩けてしまいそうな程に甘く媚びて、か細い――まごうことなき女の声、だ。  
己の口からこんな声が出せたというのか。自身の変化に、九兵衛は戸惑いつつも、確かな期待を抱き始める。変われる気がする。このままこうしていたら、本当に女子に――。  
「……感じやすくていらっしゃるのですね。ほら、乳首がこんなに勃って参りましたよ」  
「ひあンッ! 」  
乳房の先端の、先ほどから執拗に攻められていたそこをきゅっ、と摘まれて、九兵衛は身体を仰け反らせた。  
「若……」  
囁くように呟くと、東城は静かに九兵衛の胸に顔を埋める。  
「あ……あ……」  
 
そして赤子が母親のそれにしゃぶりつくように、東城は九兵衛のぷっくりと立った桃色のそれを咥えた。敏感な部分が、生温かい粘膜に包まれて、指とは違う刺激が九兵衛を襲う。  
「やあんっ……だっ……あッ……らめぇぇっ!! 」  
舌先でそこを転がされて、九兵衛はいよいよ叫び声をあげる。強い刺激に頭が如何にかなってしまいそうだった。  
「っふぅ……お胸だけでそんな風にお悦びになって頂けるとは……。先が楽しみですね」  
唇を離すと、東城は何処か嬉しげに語る。  
「う……胸以外にもこんな、その……なんというか、よくわからん感覚になるところがあるのか? 」  
「さあ、如何でしょう。試してみますか? 」  
言って東城は九兵衛の手を取る。  
「……美しいお手をしていらっしゃいますね。白くて細くて……剣を握るよりも、花でも活けてらっしゃる方が似合いそうな」  
そしてその甲に、まるで異国の姫君に傅く騎士がそうするように、静かに唇を落とした。  
「東城……。……っ!」  
思わず九兵衛がぼうっとしていると、しかしそのまま指をしゃぶられて、彼女は小さく呻く。  
「う……っ……」  
先ほどのような激しい刺激ではなかったが、人差し指、中指と口腔内に入れられる本数が増えていくうちに、まるで指先が溶けて東城の口の中と一体化してしまいそうな感覚に陥る。  
指の股まで丁寧に舐められてから、東城の舌はそのまま上へ上へと伝っていった。時折肘の裏や脇の下だとかで止まっては、入念にそこを攻める。  
「それにこの細い腰。これでよくもあんなに、日々の稽古に耐えられるものですな」  
するすると下りた手が、ウエストのくびれを確かめるように撫でまわした。  
臍に舌を差し入れられては、ぞくぞくとした感覚にまた喘ぎ声が漏れる。  
「ああ、そしてこのおみ足。剥きたての卵のようにすべすべとして、本当に、お綺麗です……」  
片方の脚を掲げると、脹脛から足首、足の裏や指にいたるまでもに、東城は熱い接吻を落とす。  
「そっ……そんなところまで舐めるのか……? 」  
自然顔を踏みつけるような形となったその体勢に、そんなことは慣れている筈なのだが、九兵衛は何だか気恥ずかしさを覚える。  
「ええ。若の身体は何処も素敵なところばかりですから。……全部見せてください。この私に」  
「あ……」  
言って東城は九兵衛の脚を離すと、宣言通りに、その華奢な身体の至るところに、余すところ無く愛撫を加えた。  
東城は九兵衛の従僕だ。この全身が素敵などと、単なる世辞であるかもしれない。けれど九兵衛はそれでも嬉しく、どこか誇らしかった。うなじに口付けられ、背を何度も撫でられ、尻を入念に揉まれ、彼の執拗な攻めを受ける度に、体中が震え上がる。  
「……おやおや」  
ふと、東城が呟く。  
「いけませんね、若。こんなに下着を濡らしてしまわれて……」  
その手は九兵衛の、髪と同じ黒色の陰毛が透けて見える程にぐっしょりと濡れた、白い下着にかかっていた。  
 
「……やっ!? 」  
そしてそのままするすると、それを下ろされる。  
「み、見るな……そんなに見るな……」  
最後の衣服を脱がされて、九兵衛の、最も秘められた部分があらわになった。  
「見るな、と仰られましても」  
「う……。……と、東城。本当に、……そこに、お前の……」  
「フフ、早急なお方ですね。でも、その前に慣らしておきませんと」  
「ひャンッ!? 」  
突如、与えられたあまりに強い刺激に、九兵衛は飛び上がりそうになる。  
「あぁっ! ……やッ、やだッ! ば、馬鹿東城! お前、なんてところを舐めてッ……! 」  
そこに触れた、指にしてはあまりに柔らかく、生温かいそれが舌だと気づいた時、九兵衛はこの上ない羞恥心を覚える。  
「やァああぁァアァッ! 」  
だが同時に、その絶妙な刺激が九兵衛に与える快楽もこの上ないもので、九兵衛はひときわ高い声をあげた。  
「ひぅううううッッ!! 」  
己の声と、ぴちゃぴちゃと、猫がミルクを舐めるような水音とが頭の中に響き渡る。涙で滲む瞳をうっすらと開き、九兵衛は下腹部に目を向けた。そこには己の股の間に頭を埋める、長年仕えてきた従者の姿があった。  
「ああ……はぁあぁぁんっ! 」  
震えて思うように動かせない右手をそこに伸ばす。長い金の髪がさらさらと、九兵衛の小さな掌の間を零れた。熱くてぼうっとする頭の中、その髪が部屋の明かりに反射されてきらきらと光る姿だけが、やけにゆっくりと九兵衛の意識に届いていた。  
「ふッ……ぅああああっ! 」  
肉芽を吸い、弄んでいた舌先が、とめどなく蜜を零し続ける膣口に差し入れられた時、九兵衛は思わず、ぐっ、と手にしていた東城の頭を掴んだ。その反射で、より深くに舌を入れられても、九兵衛はその手を離さなかった。  
――おかしい。おかしい。  
こんなところを見られて、あまつさえ舌で舐められて。恥ずかしい、すごく恥ずかしい筈なのに。  
もっと……して欲しいなんて。  
「んんんんンぅッ! ぅああっ! 」  
東城に舐められているその部分が、頭が、全身が、どこもかしこも熱くて、このまま焼かれてしまいそうになる。  
「とうじょぉっ……あふゥッ! もう……もぉ……あぁッ、だめだッ……とぉじょぉおおッ!! 」  
尚も激しく己を蹂躙する男の名を叫びながら、九兵衛は意識を手放した。  
 
――それから、どれ程時は経ったのだろう。  
若、と優しく呼ぶ、聞きなれた声で九兵衛は気づく。  
「ああ……東城、僕は……」  
ぐったりとした身を僅かに起こすと、いつの間にか九兵衛の陰部から唇を離していた東城が、細い目をさらに細めて嬉しそうに笑っていた。  
「……とても素敵でしたよ、若」  
「う……お、お前……」  
その言葉に、先ほどまでの己の痴態を思い出し、汗ばむ顔がさらに火照る。  
「ああ、それにしても若。達する瞬間に私の名を呼んで頂けるなんて、身に余る光栄です」  
「ばッ……! 」  
涼しい顔でさらりとそんな事を言われて、九兵衛はいよいよ言葉を失った。  
「この場にいるのはお前だけだ、他に誰の名を呼ぶというのだ!? 」  
「え? ああ、それはそうですが……」  
「だ、大体お前、どうかしてるんじゃないか!? いきなりあんな、あんなところを舐めるなんて……」  
「ああ、ここのことですか? 」  
「きぁぁッ!? 」  
言って東城は再び、九兵衛の最も敏感な部分を指で擦る。  
「申し訳ありません。あまりに美味しそうでいらしたので、つい貪りついてしまいました」  
「ば……馬鹿じゃないのか!? そんな……あはァッ! そんなところ、う、美味いはずがないだろうッ!!」  
「いえ、中々のお味でしたぞ」  
「っ! 馬鹿ッ!! あッ……飽きもせず卵かけご飯ばかり食ってるから、味覚まで馬鹿になったんじゃないか!? あっ……いやッ!」  
「酷いですね、人を北大路みたいに仰らないでくだされ」  
冗談のような会話をしながらも、東城は九兵衛のそこを、今度は指で攻め続けた。  
「ふぁあぁぁぁぁッ……」  
気だるかった九兵衛の身体に、再び火がつき始める。  
「くっ……んああッ! 」  
蜜壷に指が抜き差しされるたびに、じゅぷ、ぬぷっ、と、濡れた音がした。舐められていた時とは違い、その音の原因が完全に己のそこから溢れる液体のみなのだと思い知らされると、それは酷く卑猥なものに感じられ、益々九兵衛の頭は熱くなる。  
「やっ……いやだ東城っっ! そこ、だめぇっ……! 」  
男の指は実に巧みに動いた。こうして交わるのは初めてだというのに、まるで九兵衛本人よりもその身体を知り尽くしているとでも言うかの如く。それは己とこの男との圧倒的な経験の差のあらわれのように思えて、九兵衛はとたんに悔しく感じる。  
「ふふ……若、泣くほど気持ちがよろしいのですか? 」  
そんな胸のうちも知らず、男は声をかけた。  
気持ちがいい――そうだ、この感覚。  
「ぃいっ……すごく、きもちぃっ……!」  
東城に言われて初めて気がつく。先ほどからの喩えようも無いこの甘く痺れる様な感覚を、ぴったりと形容できる言葉に。  
「ああ、若……腰が、動いてらっしゃいますぞ」  
「ふあ……? 」  
「若……普段はあんなにも気高く凛々しいお方であられますのに、中々淫らでいらっしゃる」  
「……ッ!! 」  
囁かれた言葉に、九兵衛は背筋が凍りつく。  
失望されたのだろうか。快楽に酔いしれ、自らそれを求めるような淫乱な主人の姿に。  
「らっ……だって……! なんか、おかしくなりそぉでッ……! 」  
否定のしようも無い。それは紛れも無く今の己だ。  
「とっ……とうじょおっ……! んっ……お願いぃッ! 」  
それでも。それでもどうか。  
「嫌いに……きらいにならないでっ……! ぼっ……ぼくのことぉっ……! 」  
思わず漏れた言葉に、九兵衛はほんの一瞬、理性を取り戻す。  
――何を、何を言っているんだ。僕は。  
嫌ってる筈ではなかったか。この男のことなど。己を女子扱いしてくれた一方で、今も尚女子を買い漁っている男など。  
だが、それでも。東城のその一言を耳にした瞬間、えもいわれぬ悲しさがこみあげたのは確かだ。勝手な話だが、この男に嫌われると想像しただけで、耐え切れぬ苦痛が心を襲う。  
「まさか……嫌いになど、と……」  
「ふっ……うッ?! 」  
「こんなに……こんなに素敵でいらっしゃいますのに、若……」  
陶然とした声が、耳に届いた。  
「……愛しいお方……」  
「ふっ……あっ! 東城っ! とうじょっ……!! 」  
息も絶え絶えに、九兵衛はただ、男の名を呼んだ。呼吸がどんどん、速くなる。  
 
「あぁぁっ! やぁぁぁッ!! 」  
先ほど達したばかりだと言うのに、またも意識はおぼろげになっていく。切なく、どこか苦しいこの感覚――何かに似ている、そう、何かに……。  
「あふぅっ! とっ、とうじょぉっ! 」  
「またイッてしまいそうなのですか? いいですよ、何度でも……」  
「ちっ……ちがっ! ちがうんっ……!」  
それに思い当たることに気づいた九兵衛は、激しく首を横に振った。  
「あっ……あのっ、す、すまん……がッ! 」  
「? 何でしょう? 」  
「その……かっ、厠に……ッ! 」  
「……ああ」  
こんな最中にそんな申し出をするのは相手に悪いかとも思ったが、言わぬ訳にもいかず、九兵衛が用を足したくなったことを告げると、  
「構いませんよ」  
きわめて穏やかに、東城は返した。さして気にしてなさそうなその様子に、九兵衛がほっ、としたのもつかの間。  
「ここでなさってくださって」  
続けられた、とんでもない言葉に、九兵衛は我が耳を疑った。  
「私が、受け止めて差し上げますから」  
「なっ……! 」  
だが東城は本気でそんなことを言っているらしい。九兵衛が尿意を告げても尚、一向に開放する様子はなかった。それどころか一層、指の動きが激しくなる。  
「やっ……だッ、だめぇぇっ!! 」  
その様に絶望が九兵衛を襲った。ただでさえ崩壊している理性では、その刺激に耐えるにはとても足りそうにない。  
「やだよぉっ! そんなっ! あっ! 」  
他人の前で、それも、男の顔に放尿するなど、これまでの生活では考えられぬことだった。否、そもそも人前での放尿をかたく禁じたのはこの男ではないか。今となっては無論、その理由はわかるが、しかしこの男は知るまい。  
これまで大便用の個室に閉じこもりながら、外で門下生達が用を足す傍ら何やら楽しげに話しているのを、何度羨ましく思ったことか。……いや、今はそんなことは如何でもいい。  
「やあああっ! でちゃうぅぅぅっ! おしっこ、でちゃうよぉぉぉっ!! 」  
言葉にすれば益々激しくなる混乱の前に、最早九兵衛には何の手立ても無かった。  
「ふぁあぁぁぁっ! でるぅぅぅぅッ!! 」  
その絶叫と、そして己から確かに何かが染み出ていく感覚に、九兵衛は身体の力を失って果てた。  
「……ぅっ……ううっ……」  
九兵衛の目から、涙が零れてきた。まさかこの歳になって、尿意のひとつ堪えられずお漏らしをしてしまうなんて。それも……従者の顔に向けて。  
「若……泣いていらっしゃるのですか? 」  
「うっ……! うるさいっ……! 誰のせいだと思ってっ……!! 」  
「申し訳御座いません……」  
覗き込もうとする気配に、九兵衛はぷいと背を向けて、溢れる涙を毟り取ったちり紙で拭った。  
「それと、若、申し訳ないついでにもうひとつ……私にも鼻紙を貸していただけませんか? このままでは、目も開けられませぬ故」  
「ん? ああ……」  
もともと開いてないようなものだろう、とツッコむ気力も無く、九兵衛はティッシュの箱を投げつけた。そこで初めて気がつく。  
「東城……」  
ありがとうございます、と礼を告げた男の顔が、汗という言葉では片付かぬ大量の液体に塗れていることに。  
だが、何故だろうか。  
それを申し訳ないとか、汚らわしいとか、恥ずかしいとか、そういった感情が沸き起こるよりも先に。  
東城のその、何処か品のある端正な顔が己の排泄物によって汚されている様に、長い金の髪がその先から水滴が垂れ落ちるほどに濡れている様に、なんとも言いがたい征服欲が満たされ、背筋がぞくぞくとする思いを感じたのは。  
「ああ、やはり勢いに任せて行動するものではありませんねえ」  
そんな己の中にこみ上げた暗い感情など露知らず、受け取ったちり紙で顔と髪を拭うと、何処かのんきな様子で東城は言った。  
「本来ならば私の方が、若に鼻紙を差し出さねばならぬ立場というのに……とんだ失態を」  
「東城……っく……僕の方こそ、すまない……お前の顔に、その……」  
「え? 」  
伏し目がちに告げた九兵衛の言葉に、東城は一瞬、きょとん、としたが、やがてその意図を察すると、  
「そんな、気を落とさないでくだされ。私が強要した事ですし……それに、これはお小水では御座いませんし」  
「……? どういう事だ? 」  
「これはですね、若。女子がとても気持ちよくなると、出てしまう液体なのですよ」  
「え……」  
「……まあ、私としては、若のでしたらお小水でも良かったのですけどね」  
「ばッ……! 」  
九兵衛は茹で上がったタコのように顔を赤くして、そんなことをけろりと言ってのけた東城に殴りかかった。  
 
「……っと」  
平常なら男の顎に見事に決まっていた筈のそれは、しかしうまく力が入らずに、あっさりと受け止められる。その勢いのまま、九兵衛の身体は東城の腕のなかに崩れ落ちた。  
「あ……」  
東城の胸に己の顔が触れて、九兵衛の心臓がとくん、と高鳴る。その温もりに、九兵衛は大きな安心感を覚えた。何処か懐かしいその感覚。そうだ、いつかもこうして――。  
「ああ……それにしても、若の泣き顔など久しぶりに見ましたぞ。……ふふ、もともと若は、泣き虫でいらっしゃいましたからねえ……」  
「うっ……! うるさい……! 」  
「いつのことだったか、若が夜中に泣きながら私の部屋にいらっしゃったことが御座いましたね……寝小便をしてしまったと、大層青ざめておろおろとなさって……」  
「本当にいつの話だ! 昨日のことのように話すな!! 」  
人がせっかく感傷に浸っていたというのに、何と言う話題だ。九兵衛はこの男のデリカシーのなさに、改めて苛立つ。  
「もうそんなに時が経つのですね……あの時の子供が、こんなにも素敵な、お美しい女子に成長なさるなんて……」  
「……っ! 見え透いた世辞はいい」  
「世辞などではございませんよ。若は本当にお綺麗になられました」  
「うっ……嘘を吐くなッ! 」  
九兵衛は殆ど泣き叫ぶような感じで東城にあたる。  
「素敵とか……綺麗とか、そういう言葉は、妙ちゃんみたいな女の子のためにあるような言葉だろう? 僕なんて、背は低いし、今まで女の子らしい振る舞いなど何ひとつ知らずに育ってきたんだ。そんな僕に……」  
正直に言ったら如何なんだ。僕なんかより、お前が買っているような女子の方が魅力的だ、と。花のように、蝶のように美しく着飾った夜の女達。髪を結い、紅をひき、白粉を塗って、自分には到底着こなせない、鮮やかな衣服をすらりとした肢体に纏った女子達。  
そんな女達と何度も夜を共にした男にいかに褒め称えられようと、如何してそこに説得力があろうか。この男とてついこの間まで寝小便を垂らしていた子供のように思っている、こんなにも女子らしさに欠けた己に対して。  
「そうですねえ……確かに若は妙殿より背は低くていらっしゃいますが、でも、お胸は妙殿よりあるのでは? 」  
少し困ったような声でフォローをしながら、東城は九兵衛の乳房をふにふにと揉んだ。その指摘に九兵衛の顔が、かあっと赤くなる。  
「……胸など無くても、妙ちゃんは江戸に並ぶ者のない美人じゃないか。というかお前、妙ちゃんの何処を見ているんだ。妙ちゃんを汚らわしい目で見たら殺すぞ」  
「いやそんな、いろんな意味で恐ろしいことしませんよ」  
「大体胸があったら何だというのだ。こんなの、邪魔なだけだ。さらしを巻くのにきつくてたまらん」  
「そうですね、あんなに潰してしまっては、お胸も可哀想ですよ」  
労わるように優しく、東城は九兵衛の胸を撫でる。いままでさぞ苦しかったでしょう、と付け加えながら。  
「ああそれにしても、若のお胸は大きさだけでなく弾力も柔らかさも程よくて気持ちが良いですねえ。ずっとこうしていたいくらいです」  
「……おかしいだろう。僕みたいな背の低くて顔も子供っぽい女が、胸だけ大きいのは」  
「そんなことはありませんよ。倒錯的で何ともいえない色香を感じます」  
「そんな無理のある褒め方をしなくていい。それに近藤殿も言っていたぞ。貧乳は希少価値です、ステータスです、と妙ちゃんに。妙ちゃん自身胸なんて飾りだわ、エロい人にはそれがわからないのよ、と言っていたし」  
 
「まあ、近藤殿は心底妙殿に惚れこんでますからねえ。少々小ぶりな胸も含めて妙殿の全てが愛おしいのでしょう。恥ずかしい話ながら、私もあの男にはとても勝てる気がしません。侍としても、男としても」  
勝てる気がしない、とはどういう意味なのだろうか。やはりこの男も妙に惚れていて、しかし近藤のあの形振り構わぬ愛の前に身をひいているのか。――何故だろう、そう思うと胸が酷く痛んだ。  
妙は見目麗しいだけでなく、芯が強く武術にも長けた、そして誰にでも優しい、まさに理想の女子だ。唯一料理の腕は破滅的だが、それは他の点での完璧さを一層引き立てる愛嬌といえよう。東城が好きになってもそれは当然の事だろうに。  
大事な親友をとられるようで辛いのだろうか。否、それも違う。妙にあれ程夢中な近藤の姿を何度目にしても、こんな想いは抱かなかった。  
「若。若は随分と妙殿を引き合いに出されますが、若とて妙殿にはない魅力をたくさんお持ちでしょう」  
「何を言っている。そんなもの……」  
「いいえ、若。……若や近藤殿にとって妙殿が最高の女性であるように、私には、若。あなたを超える女子はいないのです」  
「東城……? 」  
「言ったではありませんか。若、私は若より美しい女子を他に知らない、と」  
「……東城……」  
いつになく真剣な面差しで告げられた言葉に、九兵衛は目頭が熱くなる。  
ああ、なんて――なんて、安い言葉なのだろうか。  
熱を帯びた頭の中でそんなことを思う九兵衛の心にこみ上げてきたのは、愛の告白にすら似た男の甘い囁きに対する歓喜などという、少女らしい単純明快で小奇麗な感情ではなかった。  
近藤のような一途な男に言われたのなら、まだ心も揺れ動こう。だがこの男の言葉など、どうして信じられるだろうか。女を抱くためならどんな大金でも積める男の言う言葉など。  
南戸のように、他のどの女にも同じ言葉を言っている様が容易に想像できる。そんなことを考えると、九兵衛の中に黒い感情が生まれた。  
「若……私は、」  
「……ぃだ」  
続けて東城が何か口にしようとするよりも早く。九兵衛は言葉を紡ぐ。聞きたくない。これ以上、何も。  
「嫌いだ……お前など、大嫌いだ……」  
悔しい。何故自分はこんな男などに、こんなにも翻弄されねばならぬのだろうか。  
身体のあちこちを弄ばれて、勝手に熱くされる一方で、汗だくではあったが、囁く男の相変わらず涼しそうな声が憎い。こちらの感情など知らず、思いやりのない言葉ばかりぶつけて、一喜一憂させるこの男が憎い。  
「……ずるいぞ、僕ばっかり」  
せめて、何かひとつ。この男を出し抜くことは出来ないだろうか。  
「……若? 」  
そう思って九兵衛は、するすると東城の下着の紐を引いた。だがそうして剥がした下着の下からあらわれたものを見て、絶句する。  
「な、何……何だこれは」  
東城を出し抜いてやろうととった大胆な行動も空しく、九兵衛は己の前に現れた、赤黒く起立したそれにただ目を丸くする。  
「はあ、何と聞かれましても……ナニですが」  
「そ、それはそうだが……いや、その、なんか変じゃないか? これ……何でこんな、腫れあがって……」  
己にはない男のそれを見るのは何も初めてではない。とはいえ無論、こんな眼前でまじまじと見ることはなかったが。見てはいけないと思っていたが、厠にいけば嫌でも目に入るし、  
以前何故か、現征夷大将軍にあられるお方がすまいるに来たとき、色々あって全裸にされてしまったその人のそれを、恐れ多いことながらも目にしてしまった。  
「あれ、若は初めてでしたっけ? 勃起した男性器をご覧になるのは」  
「ぼっ……」  
言われて漸く理解する。なんとなく話に聞いていたそのことを。――そうか、そういうことなのか。  
 
「おかしいですね。私の記憶が正しければ、確か――」  
「……いや、僕も思い出した。忘れたくても忘れられるものか、あんな、忌まわしい記憶」  
いつの事だったか、東城の部屋を訪れたときに、ばっちりと目にいれてしまったそれ。まさか部屋で彼がそんなものを露出しているなど、とても予想できるはずもなく、その出来事は九兵衛の心に払拭しがたいトラウマを形成し、九兵衛のきのこ嫌いの原因にもなった。  
そして数年の時が経ち、さまざまな情報が与えられてきた今、漸くにして九兵衛の頭の中でその全てがつながった。そして理解する。あの時、当時はまだ少年だったこの男が何をしていたのか。  
だが、今まで頭の隅に追いやっていたはずのその記憶を呼び起こされたのにも関わらず、全てを理解した今、何故かグロテスクな作りのそれを汚らわしいとは思わなかった。それどころか――。  
「そうでしたか。懐かしい話ですな。あの後随分と塞ぎこんでおられたようなので、心配になりましたが」  
「ああ……まあ、そりゃあ、あんなことがあれば、な」  
「ふ、しかし今にしてみれば、若もやはり女の子、と言ったところでしょうか」  
「……何? 」  
「本当に若は可愛らしい。まさか若御自ら私の下着を脱がしてくださるとは思っておりませんでしたので少々驚きましたが、いざ私のモノを見て戸惑ってしまう様などみると……やはり初心な乙女でいらっしゃる」  
「……なっ! 馬鹿にするな! 別に何でもないわ、今更、お前のものなど見たところで……! 」  
九兵衛の頭に血がのぼる。  
「こんな……こんな、もの……」  
どうやらこの程度では、この男を出し抜くことは出来ないらしい。どうしたら……そうだ。  
「……若?」  
ある考えに至った九兵衛は、東城に悟られる前にと、迅速に動いた。  
「え……ちょ、若!? 何を……」  
いきり立つ男の立派なものに手を伸ばすと、そこに顔を埋める。  
「そ、そんな、若、まさか……! 」  
一瞬躊躇いながらも、小さい口に手で握ったそれを咥えると、あれ程余裕たっぷりだった男が明らかにうろたえる声が聞こえて、九兵衛は少し、気分が良くなる。  
「いけません、若にそのようなことをしていただく訳には……」  
「ん……今更何を言っている。この僕にあれだけやりたい放題しておいて」  
申し訳なさそうな声をする東城に、九兵衛は咥えていたものを離して答える。  
「僕が自らやっていることだ、構うな」  
「し、しかし若……このようなこと、一体何処で覚えてこられたのですか!? 」  
「すまいるの娘とか……ああ、後南戸が前に」  
「南戸!? よりにもよってあの全身男性器ですか!? あの男は若にこのような事を!? ……おのれあの全身男性器め、生かしてはおけん……! 」  
「落ち着け東城、僕にじゃない。誰だったか女中の一人がこういうことが上手いとか何とか、酔った勢いで奴が言ってただけだ」  
「え? ……あ、なんだ、そうですよね。いくら何でも、若があんな全身男性器と……」  
「全く。気持ちの悪いことを言うな。何で僕が南戸に……というかお前、さっきから全身……なんとかとか、幾らなんでも南戸に対して失礼じゃないのか。お前は南戸を何だと思っているんだ」  
「はあ、すみません。つい色々と悪い想像をしてしまったもので……嫉妬してしまいました」  
「……何? 」  
東城の言葉に、ぴくん、と九兵衛は眉を顰めた。  
「嫉妬だと!? ふざけるな、貴様にそんな権利があるとでも思っているのか!? 」  
「ひがァッ!? 」  
南戸がなんだというのだ。自分は女を何人も買った癖に! その度に僕がどんなに苦しんできたかも知らぬ癖に!  
カッ、となった九兵衛の目尻に、涙が溜まっていき、視界がぼやけた。  
「もっ、申し訳ありません、出すぎた事を……! し、しかし若、そんなに強く握らないでくだされ」  
「……ん? 」  
東城の言葉に、思わず握り締めてしまったものを見て、九兵衛は冷静さを取り戻す。――そうだ。今更何を考えている。何度も言い聞かせてきたことではないか。主といえども、この男の交友関係まで文句を言う筋合いなどなく、それを縛ることなど出来ないのだ、と。  
「……フン。まあ、いい……」  
吐き捨てるように言って、九兵衛は再びそそり立つ東城の男根を咥える。  
しかし、程なくして。  
「……っつぅ! 」  
小さな呻き声を耳にして、九兵衛は思わず顔をあげた。  
「ど、どうした? 」  
「いえ……ただ、若。歯を立てないでいただけますか? 」  
「え、あ、ああ……すまない」  
二度も男の大事なところを痛めつけてしまったことに、流石に九兵衛も心が痛んだ。  
 
「……話に聞いてはいたが、こんなことをするのは初めてで……勝手がわからんのだ……。それなのに、本当に……」  
「……若……」  
自分は何を思い上がっていたのだろう。九兵衛の心に、後悔の念が込みあがってくる。  
「……痛かったか? その……本当にすまない。経験もないのに、生意気なことをしたばかりに……」  
「若……」  
項垂れる九兵衛の頭を、東城はそっと撫でた。  
「どうぞお気になさらないでくだされ。それに、私は本当に嬉しいのですよ。不慣れだというのに若が、私にこのようなことをしてくださって……」  
「……本当か? 」  
「ええ。……そうですね。では若、私の言うとおりにしてみてくだされ」  
「……あ、ああ」  
東城に言われるまま、九兵衛は再び、恐る恐る東城の脈打つ男根を手にする。  
「そう……まずは、先端を舐めてくだされ。若のお好きなソフトクリームを舐めるような感じで……」  
「んっ……」  
「そのまま、お口に咥えて……そう、舌を這わせて……」  
そして言われた通りに、九兵衛の大好きな甘く冷たい菓子を頭に思い描きながら、九兵衛は舌を懸命に動かした。或いは舌先で転がすように、或いは舐る様に……。  
「ああ……若、吸ってくだされ。強く……」  
「ふぅっ……! 」  
「そう……そのまま、もっと深く……」  
「んぐぅっ……! 」  
深く、と求められて九兵衛は、喉の奥にまでそれを差し入れるように顔を沈める。先端が喉を突いて、思わず吐き出しそうになるのを、なんとか堪えた。  
「ああ、若ッ……! 」  
「むぅぅぅっ……!! 」  
不意に、それまで優しく九兵衛の頭を撫でていた手に、ぐっと力が篭った。――まずい。九兵衛は反射的に緊張する。今のままでも十分苦しいのに、これ以上無理やり押し込められたら……。  
「ふ……ぅんっ? 」  
しかし九兵衛の予想に反して、次の瞬間、頭が軽くなる。  
「んん……」  
東城が己の頭から手を離したのだと理解したとき、彼のその行動に、九兵衛は思った。何分自分は不慣れだ。直接東城の手で誘った方が、まだ幾分マシだろうに……。  
「ふむ……っ! 」  
そう思うと、己を気遣ってくれたこの男が急に愛しく感じられて、九兵衛は苦痛に耐えながらも、更に深くまで咥え込む。  
「若……! そのまま、お顔を動かして……ッ……はあ、若ッ……! 」  
「ふぅぅぅんっ! 」  
そして言われるままに、九兵衛は頭を前後に揺らした。激しく振った頭がくらくらとしたが、その度に耳に入る男が息を荒げながら己の名を呼ぶ様に、九兵衛は己の心が喩えようも無く満たされるのを感じた。  
「……っは……若、少し身体を浮かせて……そう、そして若のお胸で、私のものを挟んでいただけますか? 」  
「んむっ? …こ、こうふぁ? 」  
「そう……そのままこちらを見上げて……ああ、堪りませんな……」  
 
「んっ……」  
東城の指導を受けながら繰り返すうちに、漸く九兵衛も慣れてくる。己の口の中で男の陰茎がどくどくと脈打ち、質量を増すのを感じる余裕も生まれ始めた、その時。  
「ふ……ぅ、若……そのまま、お尻をこちらに向けてくだされ」  
「んん? ……っ!」  
いつの間にか横たわっていた東城の声のする方に、九兵衛が尻を向けると。  
「ぷはぁっ! と、東城、お前何を……」  
突然それを掴まれて沈められたかと思うと、そのまま股間を舐められ、九兵衛は思わず咥えていたものを離して抗議した。  
「このままでは若がつまらないでしょう? 若も気持ちよくさせてあげますよ」  
「やっ……! そんなっ……はぁっ……! 」  
「そのまま、続けてくだされ」  
「やぅぅぅッ! 」  
そんなことを言われてはみても、その部分に与えられる刺激はやはり強烈なもので、九兵衛は手足を立てることすらままならなくなる。東城への奉仕に集中できる筈も無く、ただ、ぎゅっと手の中の肉棒を握った。  
「はあ……若、口でなさるのがお辛いのでしたら、そのまま手で扱いてくだされ」  
「うっ……ふぅぅぅっ……!? 」  
「そう、そうやって手を上下に滑らせて……」  
九兵衛に指導しながらも、東城はせわしなく彼女の急所を攻め続けた。指で弄び、舌先を這わせ……次第に九兵衛は、己が何をしているのかさえ、わからなくなってくる。  
膣口に入れられた骨ばった指は、先ほどよりも深い所にまで侵入していき、九兵衛は少し、痛みを覚える。  
「うくぅっ……んはぁぁぁぁっ!! 」  
「ああ、若……若はやはりまだ、清らかな処女でいらしたのですね……。あまりに感度が良いので少し、心配してしまいましたが……」  
「ひうあぁぁぁぁんっ!! 」  
夢見心地で呟かれたその言葉はしかし彼女には馬鹿にされているようで、九兵衛は悪かったな、と心の内で毒づいたが、それは言葉にならず、ただ、はしたない声があがる。  
「あっ…はぁぁぁぁぁぁっ! 」  
長い指で蹂躙され、九兵衛は背を大きく反る。入れる指の本数を増やされたとき、いよいよその痛みは確かなものとなって、九兵衛を攻め立てた。その時だ。  
「んぅ…ふぁやあっ!? 」  
ぬるりとした粘膜の感触が、ふと九兵衛に触れた。それが舌だと気づいても、初めは何処を舐められているのかわからなかった。それほどまでに九兵衛の意識は揺らいでいた。しかし。  
「やっ……まッ……! あはぁっ!? 」  
ぬぷ、と音を立ててそれが己の内部に侵入するのを感じたとき、漸く九兵衛は理解する。  
「だめぇぇっ! そっ……んはぁぁぁぁぁっ! そんなのらめぇぇぇぇぇっ!! 」  
己の身体の中で、最も汚らわしい筈の部分に、あろう事かこの男は、深々と舌を突き入れているという事実を。  
「やああああっ! だめらよぉぉおぉぉっ! とぉじょおおおッ!!」  
ちゅぱちゅぱと、大きく立てられたそこを吸う音が、一層九兵衛の羞恥を煽った。敏感な粘膜を擦られる感覚、そして己の最も汚い部分を、まるで数日振りに与えられた食事に貪りつくかのごとく、一心不乱にしゃぶりつかれることに対する、えもいわれぬ背徳感。  
そして何よりそれを行っているのがこの、これまでどんな時でも忠犬のように己に尽くしてくれた一方で、今も尚己の心を激しく揺さぶり続ける男なのだという事実が、九兵衛を益々昂ぶらせた。  
「やらあぁぁぁぁぁはぁぁぁぁぁぁぁっ!! 」  
膣口に差し入れられる指が更にもう一本増えていたことにすら気づかぬまま、最早まともに呂律の回らぬ叫びをあげながら、九兵衛は絶頂を迎えた。  
「……はぁ……はぁ……」  
肩で息をしながら、九兵衛は己の中からようやく指が抜かれるのを感じていた。  
「おやおや。お尻の穴を弄られるのはそんなに気持ちがよろしかったのですか? 前も後ろもひくひくとさせながら、イッてしまわれてましたが」  
「……の……馬鹿……っ……なんでお前あんな、ところ……」  
「いえいえ、中々美味でしたぞ。卵と醤油をかけて召し上がってしまいたいくらいです」  
「……お前……変態、なんじゃないか……? 」  
「ハハ、失礼ですね。こんなに紳士的な変態はそうおりませんぞ」  
相変わらずとんでもないことを平気で口にする男に、九兵衛は力なく毒づいたが、東城はさして気にもとめていない様子だった。  
「さて、若。そろそろ若を頂きますね」  
「……! 」  
甘い声で囁かれた言葉の意味を理解すると、九兵衛は一瞬、びくん、と身体を強張らせた。ついに、来た。この瞬間が。  
 
指だけでもあれほどの痛みを覚えたのだ。つい視線を落として見てしまう、東城の雄雄しくそそり立つそれを果たして受け入れられるのか。九兵衛は自信が持てなかったが、ここまできて退くわけにはいかない。  
ここで退けば、一生この男に臆病者と思われよう。それは我慢ならない。  
「……」  
「! 若……」  
意を決して、九兵衛は仰向けに寝ると、自らその白く細い脚を開いて見せた。はしたない姿だが、今更恥ずかしがることもあるまいと、九兵衛は必死にこみ上げる羞恥心を押さえつける。  
「……来い。東城……」  
震える声で、九兵衛はただ、そう命じた。  
「……参ります。若……」  
主の命令に、従者は静かに答える。  
「……っつ!? 」  
そして覚悟はしていたが、秘部にあてがわれたそれは指とは比べ物にならない質量をもっており、快楽など感じる余裕もない苦痛が九兵衛を襲った。みしみしと容赦なく侵入してくる異物の感触に、九兵衛は目を見開く。  
男として剣の道に生きてきた九兵衛は、傷の痛みなど幾らでも味わってきたはずだった。忘れもしない十五のあの日には、左目の光を一生失う大怪我まで負った。しかし身体を引き裂かれるようなその痛みは、今まで経験したどれにも当てはまらぬもので、九兵衛の顔が歪んでいく。  
――怖い。  
九兵衛はその時、なんとも形容しがたい恐怖を覚えた。  
まるでこのまま、己の身体が壊されてしまいそうで。先ほどまでは愛しさすら感じ始めていた男の陽根が、己の身体を切り裂く凶器のようにすら思えて。  
その時だった。  
「若……痛いのですか? 」  
「……っ! 」  
九兵衛の耳に、心配そうな男の声が届いたのは。  
――そうだ。この男はいつもそうだ。僕が何か怪我をするその度に、いつも大袈裟に心配して……。  
意識すら飛びそうな痛みの中で、九兵衛はふとそんなことを思った。  
「……へいき、だッ! 」  
泣き叫びたくなるのを必死に堪えて、九兵衛は吐き捨てた。  
「若……」  
「こっ……このてぃどでッ……! このぼくが……ぁ、根をあげるとでも……っ! 」  
あまりに脆弱な己の本性に反する言葉を、唇は紡ぎ続ける。  
「つ、づけろッ……! ぼくのめいれぃが、き、きけない、のか……!? 」  
「若……くッ」  
「あ゛あ゛ぁ゛あぁぁぁぁッ!! 」  
更に熱い楔を奥へとねじ込まれ、九兵衛は、嬌声と呼ぶにはあまりに痛々しい声をあげた。  
「はぁ……若、耐えてくだされ。まだ、半分です」  
「えぅぅっ……! 」  
まだ半分。その言葉は、九兵衛に更なる恐怖と絶望を与えた。今のままでも十分痛いのに。逃げ出したいくらい痛いのに。  
「かっ……はぁ! はぁ、かまう、なッ……! さ、さいごま、え………っぐぅ!! 」  
「若……! 」  
「ひぎぅぅうぅぅぅぅッ!! 」  
本当に、身体が内部から破壊されてしまうのではないかと思えるような痛みを伴って。ゆっくりと、しかし確実に深く差し込まれたそれは、とうとう九兵衛の最奥にまで達した。  
「若……わかりますか? 全部、入りました、よ」  
「あぅぅ……とぅじょっ……」  
「若……」  
「っっっ! いぐぁあぁぁぁぁぁッッ!! 」  
東城の言葉にささやかな安堵を覚えたのもつかの間。今度はそれを徐々に引き抜く動きをされて、九兵衛は再び絶叫する。  
「若……初めのうちは痛いでしょうが、じきに慣れます故、耐えてくだされ」  
「うっ……うむぅうぅぅぅぅぅぅぅぅッ! 」  
引き抜かれるときの肉が一緒にめくれてしまいそうな感覚。押し入れられたときの圧迫感。そのどちらもが、九兵衛の身体を苛めた。  
「若……大丈夫です。東城がここにおります……」  
「くッあぁぁあぁぁっ!? 」  
だがそんな痛みの中でも、確かに届いたその優しい声が、強張っていた九兵衛の力を緩めた。  
――そうだ。  
いつだってお前は、僕の側にいてくれた。  
子供の時から、ずっと、ずっと……。  
「はぁ……はぁぁあぁぁぁっ!! 」  
嫌な思いも随分とさせられた。酷いこともしてきた。けど、それでもお前は。  
「やあぁぁはぁぁぁぁッ! 」  
――東城。  
――東城。  
焼け付くような痛みの中、九兵衛は心の内で、己の従者の名を繰り返していた。  
「うんッッふぅうぅぅぅぅぅぅっ!! 」  
どれ程経ったのだろうか。やがて九兵衛の絶え間なく続いていた叫び声の中に、徐々に艶やかな色が混じり始める。  
 
「はぁ……あぁああっ!! とおじょうぅぅぅっ! 」  
「若……っ! 」  
名を呼びながら九兵衛は、それまで指先が色を失うほど力強く布団を掴んでいた手を、男の背に回した。  
「ああ……若、若……! 」  
それに応えるように、男の動きが少し、速度を増した。そのまま九兵衛の身体の上に倒れこむようにして、東城は九兵衛の額に口付けた。  
「と……うじょっ……んうっ! 」  
そして今度は、男の名を紡ぎ続ける唇に己のそれを重ねる。深く舌を貪りあい、やがて離れたとき、混ざり合った唾液が九兵衛の顎から首筋にかけて滴り落ちた。  
「若……本当に、可愛らしい……」  
「んあぁぁぁぁぁっ」  
「若……若の中がぴったりと、吸い付くように張り付いて……私を奥へ奥へと誘うように蠢いておられます……ああ、若……このまま……」  
「ふぁあぁぁぁぁぁぁぁんっ! 東城おおぉぉっ! 」  
「若ッ……! 若ッ……! ああ、若ぁっ……! 」  
次第に男の動きに、変化がつき始める。或いは浅く、或いは深く、緩急をつけて。角度を変えられて。九兵衛はそれに、翻弄されるままになっていく。最早圧倒的に勝る快感の前に、あれ程大きかった痛みは何処かに遠のいていた。  
「ああ……若っ……! 若の中は……蕩けてしまいそうですっ……! ああ、まるで、夢を見ているようで……! 」  
「ひぁうぅぅぅぅぅぅんっっ! 」  
――東城……。  
お前も気持ちが良いのか? 僕の身体は、そんなにもお前を夢中に出来るものなのか?  
僕も……僕も気持ち良い、ぞ。お前に……こんなにも何度も打ち付けられて……。  
ああ、東城……気持ち良過ぎて、どうにかなってしまいそうだ……!  
「若……っ! 若……っ! 」  
東城に攻められながら九兵衛は、最早まともな言葉一つ紡げぬ口に代わり、心の中でそんなことを思った。  
肉体的な快楽よりも、東城が九兵衛の身体にこんなにも夢中になってくれているという事実が、彼女に何にも勝る喜びを与えた。  
そしてこれまでのどんな甘い褒め言葉よりも、そのことが何より、九兵衛に女としての自信を与えたのだった。  
「やぁあああんっ! あはぁぁぁぁぁあぁっ! 」  
このうえなく淫らに、九兵衛は喘ぎ続けた。まるで己にずっと欠けていたものが満たされて、完全になっていくようなその感覚。  
その声が女のそれであることに、最早何ら疑う余地もない。今正に、九兵衛は女子になっていた。この十八年己に仕えてきた従者の手によって、まごうことなき女子になっていたのだった。  
「若……若っ、わかっ……! 」  
「あああぁぁぁっ! とぉじょおぉぉぉぉっ! 」  
「ああ、若……! 愛しいお方……!  」  
そして何度も、何度もただひたすらに己の名を繰り返す、その上擦った少し高めの男の声が、眉を寄せて、切なげな表情で己を見る男の顔が、九兵衛を甘くも苦しい心地にさせた。  
正体のわからぬその感情は胸が詰まりそうな程に溢れてきて、九兵衛を支配していく。  
 
「とぅじょぉっ! とうじょぉぉぉぉっ!! 」  
それに答えるかの如く、九兵衛は東城の名を叫び続けた。離すまいと背にしっかりとしがみ付き、最早何処からが己の身体で、何処からが東城のそれかもわからぬ程にぴったりと、二人の身体が寄り添い絡み合う。  
「若っ……! わかぁっ……! ああ、若……わたしの……!」  
「……っ!? 」  
――私の……だと!?  
その言葉を確かに耳にした瞬間、突如九兵衛はそれまでとは違う、心を鷲掴みにされたような衝撃に晒される。頭の中がガンガンと鳴り響いた。  
「くっ……うぅああぁっ! 」  
――ふざけるなッ!  
自惚れるな! 従者風情が、こんな、たかがただ一度、一度だけ身体を交わした、その程度で、僕を、主人であるこの僕を所有したかの様なつもりにでもなっているのか!?  
九兵衛の中で、沸々と怒りがこみ上げていく。  
「はぁっ! はぁぁあああんっ! とぉじょおっ! 」  
――ずるい。  
こんなにも激しく身体を重ねたところで、お前は決して僕のものにはならないだろうに。せいぜい、お前が抱いた数多の女の一人に数えられるだけだろうに。  
「とうじょ……っ! とおじょう……ッ! はああっ」  
こんなにも――僕はお前でいっぱいなのに。僕は……お前だけのものなのに。お前は……。  
「ほし……ぃっ! ぼく……ぅ、おまえが……! ああ、とうじょうッ……! 」  
――お前の全てが。身も心も、お前の全てが欲しい。  
自分でも恐ろしい程の貪欲さで、九兵衛は東城を求めた。  
「ああ、わ……か、いま……! 」  
東城の動きが速くなる。九兵衛は何となく、その意味を察し、完全に彼に己の身を委ねた。  
「わか……わかぁあぁぁぁぁぁッ! 」  
「ああ……とうじょおぉぉぉぉぉぉぉぉッ! 」  
互いの名を叫びながら、やがて二人は殆ど、同時に果てた。  
 
 
「若……」  
「ん……? 」  
名を呼ばれて、九兵衛は気だるい身体を何とか起こす。  
「お疲れですか? 初めてでしたからね。少しお辛かったでしょう」  
「……東城」  
かけられたその声は、ひどく優しく九兵衛の身を案じた。  
「平気、だ……。この位……僕を誰だと思っている……」  
やや掠れた声で、九兵衛は答える。ふと、股の間から、どろりと何かが零れ落ちる感覚を覚え、九兵衛は思わず目を向けた。  
「……何だ、これ……」  
膣分泌液とも尿とも違う、見覚えの無い桃色の液体が布団に染みを作っていくのを、九兵衛はぼうっとする頭で見つめていた。  
「ああ」  
それに気づくと、東城が声をあげた。  
「若の純潔の証と、私の精液とが混じって、そんな風になっているのでしょうね」  
「……」  
「これで若も、本当に女子になられたというわけですね。今日のこの、桃の節句に……」  
「……東城、お前……」  
「はい、何でしょうか」  
「……いや。何でもない……」  
嬉しそうににこにこと笑む男に毒気抜かれて、九兵衛は何も言う気にならなくなった。ただでさえ身体がだるい。  
「ああ、それにしても若。私は幸せで御座います。若が私を初めての男に選んでくださるなんて」  
「……。言っただろう、お前なら僕でも女子扱いしてくれると思ったから、と」  
「……そうでしたね。毎年この日に、私から若へと色々お贈りして……」  
「ああ。……まるでお前は、魔法使いのようだった」  
「魔法使い、で御座いますか? 」  
九兵衛の言葉に、東城はきょとん、とする。  
「ほら、何て言ったかな。子供のとき、お前が読み聞かせてくれた絵本の……継母から女中のように扱われていた少女が、魔法で素敵な姫君にして貰って、南瓜の馬車で城の舞踏会に行かせて貰う……」  
「ああ、シンデレラですね」  
「そう。雛祭りの日だけ、僕はそのシンデレラになったような気分だった」  
「なるほど、それで私は、その魔法使いという訳ですか。……フフ、可愛らしい事をお考えになる」  
「……う。うるさい。子供の頃の事だ! 」  
「そうお怒りにならないでくだされ。……ああ、それにしても、懐かしいですね。そんなお話をお聞かせしていた頃も御座いましたね。  
 そうでしたね。若は冒険物のお話をお聞かせしたときよりも、シンデレラの様なお姫様のお話をお聞かせしたときの方が、うっとりとした目をされて……ああ、この方は女の子なのだなあと、思ったものです。  
 怪談など聞かせてしまった日には、怖くて眠れないとしがみ付いて、厠にまでついていってさしあげたりしましたしねえ」  
「……っ! だからお前は! そういう話をするなというのに!! 」  
どうしてそういうところまで覚えているのか。大体、こういう事をした後の男女というのはもう少しムードのある会話をするものではないのだろうか。……否、初々しい恋人同士ならば兎も角、長年連れ添ったこの男と己とではこんなものか。九兵衛は深いため息をつく。  
「やはりお疲れなのではないですか、若?」  
「大丈夫だと言っただろう」  
「しかし、大事なお体なのですから……」  
「しつこい! 僕が大丈夫だと言っている! 」  
相変わらず心配性な。東城の態度にうんざりした九兵衛は、思わず叫んだ。いいから早く、寝かせろ。  
「そうですか。それなら良かった……」  
それに驚いたのか、ようやく東城は引き下がる。  
「ああ。だから……」  
「では、若。続きをいたしましょうか」  
「……は? 」  
しかし、続けられた提案に、九兵衛は耳を疑った。  
「つ、続きってお前……」  
「流石は若。その辺の女子とは、体力も持久力も回復力も違いますな。それでこそ我が主」  
「い、いや、僕は……その」  
「おや、それとも若はやはりもうお疲れでしたか? ……そうですよね。若といえども、所詮はか弱いお嬢様に過ぎませんよね」  
「なっ……そ、そんなことは無い! 僕を侮るな! 」  
「若? 」  
「これくらい、どうってことないッ! 来い、相手してやる! 」  
「若……! 」  
九兵衛がしまった、と思った時には既に遅かった。つい頭にきた勢いで言ってしまった言葉に、既に第二ラウンドのゴングは鳴り響いていた。  
 
 
「……」  
空が明るくなり始めた頃、九兵衛は目を覚ました。  
「……ん……」  
全身を襲う倦怠感に耐えながらも、なんとか瞼を開き、うっすらと目を開け、しかしそこで、一気に朧だった意識が覚醒する。  
「……っ!? 東城!? 」  
眼前に男の顔を認めたとき、九兵衛は驚きの余り声を裏返らせて叫ぶ。  
「……? 」  
だがその声にも関わらず、東城は何の反応も示さなかった。  
「……。寝てる……のか? 」  
間近で聞こえる規則正しい呼吸音に、九兵衛はため息をつく。――全く。相変わらず寝ているのか起きているのかわからん顔をしおって。驚かすな。  
そんなことを思ってから、九兵衛はこれまでのことを思い返す。  
結局あの後三回程立て続けにやって、それでも尚物足りなさそうな顔をしていた東城を捨て置き、余りの疲れにそのまま寝に入ってしまった。というか絶対この男がおかしい。  
女と違い男には身体の構造上限界があるから、そう何度も続けられるものではないと聞いていたが、一向にその底が見えぬ相手に恐怖すら覚えた。  
確かに不慣れなことではあったが、日ごろ門下生の男達をも超える鍛錬を重ねている己は体力には自信がある。  
技巧はなくともその点はその辺の女子とは比べ物にならないと誇れよう。しかしこの、情けないほどの倦怠感はなんだ。  
三度目だっただろうか、既に疲れ始めていた己に、若相手なら十回はいける気がしますとか、とんでもないことを涼しい顔で言っていたが、考えただけでも恐ろしい。  
幾ら明日が雛祭りとて、稽古をしないわけではないだろうに何を考えているのか。しかし次はこうはいかせまい。  
そういえば、いつの間にか寝巻きと新しい下着を身に纏っていたが着替えた覚えが無い。恐らく東城が寝ている己を着替えさせたのだろう。あれ程汗をかいていた身体がすっきりとしているところを見ると拭っておいてもくれたらしい。  
だがきっちりと寝巻きを羽織っていても、己の身体に残る気だるさや、東城が体中に施した情事の痕跡は、確かに己が数刻前になしたことが夢ではないことの証明のようで、九兵衛は嫌でも思い出してしまう先ほどまでの己の痴態に顔が熱くなる。  
しかしあの情交で、九兵衛はそれまで思っていた以上に己は、確かに女子なのだと自覚した。己が求めているのは、女の子の柔らかくて甘い香りのする身体ではなく、間違いなく男の逞しい身体なのだと。男の骨ばった手による愛撫を甘い声で強請り、  
男に組み敷かれ猛った一物で何度も突かれるのを悦んで受け入れる、浅ましくも淫らな女子なのだと――。  
そういえば、と九兵衛は思う。この男、己が勇気を振り絞って身体を求めたときはあれ程渋っていた癖して、いざ抱いてしまうと実に嬉しそうな顔をしていたな。  
自分の初めての男になれて、幸せだとか。……よくわからぬ。すまいるの女子は経験の無い男を馬鹿にするような事を言っていた。  
それは、ある部分では何となくわかる。結局今夜は最後までこの男に翻弄されるばかりで、自分からは殆ど何も出来なかった。  
あまりに不慣れで稚拙な己に、東城の方は満足などしていないだろう。対して自分の方は、この男の攻めは大概、若干執拗で粘着質にも思えたが、しかしどこまでも優しく安心出来た。  
これが経験の少ない男であれば、己の身体など気遣われることなく、もっと荒々しく扱われたかもしれない。  
或いは、酷く痛がってしまった主の姿に恐れをなして、逆に何も出来なくなっていたかも。しかし。  
九兵衛にはまだ、その方が良かったかもしれないと思えた。乱暴にされても、女としてのプライドに傷がついても。こんな――苦々しい想いを味わうよりは。  
壊れ物の様に大事に、丁寧に扱われ、何度も求められ、そして切なげな表情で、何度も名を呼ばれて――東城との情交は、九兵衛の心を潤し満たす一方で、引き裂きずたずたにもした。  
断片的な話を耳にしていただけで、殆ど何もわからぬ己と違い、確かな経験に基づく技巧を持った東城。歳は然程変わらぬ筈なのに、何故ここまで違うのか。圧倒的なその経験の差に、嫌でも思いをはせてしまう。この男がそれを身につけた過程を。  
他の女子の前でも、この男はこう、なのだろうか。綺麗だ可愛い、愛しい人よと褒めちぎり、こんな風に優しくも情熱的に求めて、何度も相手の名を呼んで、尻の穴まで舐めまわして――駄目だ。考えただけでも狂いそうだ。東城のそんな姿は。  
そんな事を考えているうちに、九兵衛の瞳からぼろぼろと涙が零れた。――大体この男は勝手だ。勝手すぎる。貞操観念の欠片も無い癖に僕にはそれを押し付けてきたり、  
何度も女子を買ってる癖に僕には初めての相手になれて嬉しいとか言ってきたり、明らかな事実の前に苦しんでいる僕に対して、勝手な想像をして南戸に嫉妬したとか言ってきたり――。  
 
……南戸、か。如何して東城は僕が南戸に抱かれたか、などと思ったのだろう。如何して東城は何人も女子を抱けるのだろう。僕にはとても、東城以外の男に抱かれる事等考えられなかったのに――。  
そこまで考えて、ふと九兵衛は疑問に思う。そうだ、自分が女子になろうと決意したとき、自然東城しか相手に思い浮かばなかったが、それこそ南戸でも良かった筈ではないか? あの男の方が幾分、己のような素人女の扱いには長けてそうだ。  
幼い頃から己を女子扱いしてくれたからと、東城にも告げたが、同じく己の秘密を初めから知っていた北大路とて、父のように己に男であることを強制していたわけではない。  
東城と違い冷静で過干渉してくるタイプではなかったから、彼ほど印象に残るような思い出はないが、そもそも自分は東城の過保護ぶりにはいつもうんざりしていたではないか。  
それに、こんな風に相手の女遊びの事で悩むなら、それこそ西野あたりの方が不器用そうではあるが女子には誠実そうである。  
否、そもそも、柳生の中に拘る必要もあるまい。大事な親友の弟で、まだ年若い新八にこんなことを頼むわけにはいかないが、あの万事屋の男ならば己の相談にも乗ってくれるのではないか。  
いつも金に困っていそうな長谷川はどんな仕事でも引き受けそうではあったが、少し羨ましいほどの愛妻家のようでもあったので除外するにしても、桂あたりはどうだろうか?   
あの男ならばどんな話でも真面目に聞いてくれそうだ。すぐに脱線しそうではあるが。何といっても美男子だし。どんな美貌も台無しにする性格の持ち主だが。  
などと、一通り己の周りにいる男達の顔を思い浮かべては見たが、どうもピン、とこない。彼らは己の大事な側近や友人ではあるが、それ故に、男女の仲になるような事は――。やはり、東城でなければ駄目なのか。どうして、どうして……。  
その疑問を思い浮かべてすぐに、九兵衛はある仮説を思い立つ。  
……まさか、そんな筈は。だが、しかし……。  
浮かんだそれは俄かに信じられぬものではあった。必死に否定しようとして、しかしそれは徐々に現実味を帯びていく。そう――そう考えればこれまでの己の激しい感情に全て説明がつくのだ。  
如何して東城が他の女子とも交わっているという事実にこんなにも心が痛むのかも、如何して仮初の言葉と知りながらも、東城に求められるとこんなにも心が揺らぐのかも、如何して己が東城以外の男に抱かれたいと思えないのかも。  
全て……九兵衛が東城を、一人の男として愛しているが故なのだと考えれば。  
――馬鹿な、如何して僕は、そんな事実に今更になって気づく!? 十五年もの歳月を共にした相手に対して、こんな、身体の関係を持ってしまってから初めて――!  
否定しようもない激しい感情の正体を知って、九兵衛の身体がかたかたと震えた。如何してこんな、もっと早く気づいていれば、違った関係も築けただろうに。正気の沙汰ではない。好きな男に、それとも気づかずに、主人と従者の立場を利用して身体の関係を迫るなど――。  
……否。気づいたところで今更何も変わりはしまい。僕が東城を愛しているような意味で、東城が僕のことを想っているなどありえない。  
鬱陶しいほど大事にはしてくれているが、それは僕が東城の仕える柳生家の次期当主で、彼が僕の護衛兼世話係だからに過ぎない。女子らしくないとか以前に、赤子の頃から面倒を見ている相手だ。  
彼にとって僕は未だに、寝小便を垂らして、夜中に泣きついてくる子供のような存在なのだろう。  
彼が僕を深く愛してくれていることは日ごろの態度からみてとれるが、それは兄から妹への、或いは父から娘への愛情に近いものであって、決して男から女へのそれではありえない。  
東城は僕が妙ちゃんを嫁にしたいと行ったときも、僕の為に戦ってくれたし、何時だかの合コンとやらにも一枚噛んでいたらしい。僕を女として愛しているならば、そんな行動に出れる筈が無い。  
今回のこととて、主たる僕が命令したから、それに従ったのに過ぎないのだ。そう……何人もの女を抱いてきたこの男が、僕一人と寝たところで、何ら感じるはずも無い。  
 
それに、思って九兵衛は己の腹をさすった。あの後も結局、決まって最後は膣内射精されてしまった。それも、何度も……。本当に大事にしている女子ならば、避妊はきちんとするものだと聞いた。  
こちらから誘ったのだから完全に準備をすることは不可能にしても、如何して何度もこんな、最も危険な方法を取るのか。責任はこちらにあるとわかっている。しかし何処かで、東城ならば己を大事にしてくれるのではないかと、甘えている部分があった。  
今にして思えば、商売女に慣れているこの男ではそういった事に気が回らなかったのかもしれない。しかしそれでも、裏切られたような思いは拭えなかった。勝手に抱いた、余りに傲慢な期待にも関わらず。  
いつだったか、すまいるで酔いつぶれた客の一人を引き取りにきた女子がいた。落ち着いていて気丈そうなその女子が引き取らんとしていた男の方は、それまで店員の尻に夢中でべたべたとしていたが、  
そんな、彼女とは対照的にだらしの無い男を見る女子の視線は何処か切なげで情熱を孕んでいて、その意味を何となく理解した九兵衛は立ち上がることすらままならぬ程酔いつぶれた男の方よりも、彼女の方が気になってしまい、声をかけた。  
男が何とか立ち上がれるようになって、小柄な彼女が連れて帰れるようになるまでの僅かな時間の中で、少し低めの、やはり落ち着いた声で彼女は言っていた。『この男の女遊びは病気のようなもんじゃきに、もう、諦めちょる』、と。まるで内心落ち着かぬ己を宥めるように。  
だが自分はとても、彼女のように大人にはなれない。今こうして、そんな東城の姿を想像しただけでも気が狂いそうな程に苦しいのだ。実際目の当たりなどしたら、あんな風に落ち着いてなどきっといられない。  
蹴り飛ばして、一分一秒でも早く、引きずってでも連れて帰らせてしまうかもしれない。己にそんな権利など、何処にもありはしないのに。  
――どうしたら、この男を手に入れることが出来るのだろうか。  
昔から、九兵衛のためならば何でも出来ると言っていた男だ。己の忠実なしもべだ。自分が命じれば、己の婿にだってなってくれるかもしれない。  
そうすれば自然、彼を縛ることも出来よう。……だが、それで何になる。それで東城の、何が手に入るというのだ。わからない。どうすれば良いのだ。  
それにしてもこの男、自分がこんなに思い悩んでいるのに、間抜け面ですやすやと気持ちよさそうに眠って。大体従僕の癖して、主人の僕より目覚めるのが遅いというのはどういうつもりだ。起きたら文句を言ってやる。  
……けど。けれど、その前に。  
「……好きだ」  
消え入りそうなほどに細い声で、九兵衛は隣で寝息を立てる男に呟いた。  
 
 
――我ながら、汚い手段だとは思う。  
余程疲れていたのだろう。身動き一つせず眠りに入ってしまった主が風邪など引かぬよう、身支度を整えさせては、無防備なその寝顔を見て東城は思った。  
だが、全てを狂わせるきっかけを作ってしまったのは、他ならぬこの少女だ。  
己の望むように、いつまでも無垢な乙女でいてくれれば、こんなことにはならなかっただろうに。或いは、その相手に己など選ばなければ、まだ彼女にとっては幸せであったのかもしれない。  
九兵衛は東城を選んだ理由を、自分ならば彼女を女子として扱ってくれると思ったから、と言っていた。  
彼女は気づいていたのだろうか。  
自分が彼女を見る目が、従者として主人を見るのでも、世話役として柳生の若君を見るのでも、兄弟子として妹弟子を見るのでもなく。一人の男として女を見る目であったことに。  
世話役を命じた己に対し、輿矩からは九兵衛を、男として育てるように厳しく言われていた。だが、女の身でありながら男として生きることを強要されて涙する彼女を、  
町行く女子を羨望の眼差しで見つめる彼女を、異国の姫の物語を目を輝かせて聞く彼女を、どうして男として見れようか。  
毎日塞ぎこんで泣いてばかりの彼女をとても見ていられず、ある時桃の節句を口実に、小遣いを叩いて買った簪を、他の誰にも見つからぬようにこっそりとさしあげた。その時涙して喜んだ彼女の頭を撫でながら、  
いつか彼女を女の子にしてあげたいと思った。綺麗な着物を沢山着せてあげたいと思った。  
その年から毎年、三月三日だけは彼女に女子の装いをさせてあげるのが楽しみになり、それらを纏って嬉しそうにする彼女は年増しに美しく成長した。それを見る度に、やはり彼女には女子として生きて欲しいと願った。  
その想いがやがて淡い慕情となるのに、そう時間はかからなかった。そんな境遇に揺られながらも、真っ直ぐに強く生きようとする少女に、心から惹かれた。他の誰よりも美しい、凛としたその美貌に。  
本当はか弱くてすぐにでも折れてしまいそうな心を、必死に奮い立たせて立ち向かっていく姿に。そして何よりもその気高さに、その何処までも高潔な魂に。  
それから十何年になろうか。東城は九兵衛だけを想い続けてきた。  
無論己とて健康な男子だ。それが高尚な精神愛で済む筈もなく、主たるお方に対し無礼と知りながらも、何度も想像の中では彼女を汚してきたし(その最中に彼女自身が部屋に入ってきた時は流石に驚いたが、結局それすらもネタになってしまった)、  
それどころか実際に、何度無理やり奪ってしまおうかと、思い悩んだか知れない。  
彼女を護るべき存在である己がそんな過ちを犯したら、冗談ではなく本当に殺されるだろうが、一時でも彼女が手に入るなら、それでも良いとすら思い始めていた。  
だがそれでも、東城にとって九兵衛は、何よりも大切な存在であった。だからこそそんな愚かな真似で彼女を傷つけることは出来ずにいたのだ。主たる彼女自ら、本当は何度望んだか知れぬ命令を受けても尚、  
彼女に女子たる自覚さえさせれば最後までする必要もないのではないかとすら思っていた。  
念のためにしておいた忠告を、本当にするつもりなどなかった。  
それは九兵衛には彼女が定めた人と結ばれるまで純潔を守っていて欲しいという願いのあらわれでもあったし、  
そうでなくてもこんな、家の問題の為に愛してもいない従僕の一人と交わるなどという形で初体験を迎えるなど、いずれ彼女が後悔することとなるだろうという思いでもあった。だが九兵衛の身体を目の当たりにしたとき、最後の糸も切れてしまった。  
新雪のように白く柔らかそうな肌。華奢な身体にも関わらず、ふっくらとした大きめの乳房。きゅっ、と括れた腰。小ぶりながらも丸い尻。すらりとした細い手足……。十数年ぶりに目にした九兵衛の裸身は、すっかり女子の身体だった。  
最早東城に、他の選択肢などなかった。この身体を己以外の男が手に入れるなど、到底許しえることではない。触れるだけでも虫唾が走る。  
この少女を手に入れたい。何としても。どんな手段を使っても。どんな形でも……。その想いにだけ、東城はとりつかれてしまった。  
 
シンデレラの魔法使いのようだと、少女は己を形容した。夢見がちなその発言に、これまでならそれでも良かったのに、と、東城は思う。これまで自分は、美しい着物で着飾ってあげて、少女がその並ぶ者なき美貌と高潔な魂とでやがて幸せを掴むのを、  
遠くからただ見守る魔法使いで一生を終えても良かったのだ。  
彼女の隣に立てるなどと、思い上がったりはしていなかった。少女が幸せなら、ただそれだけで良かった。  
だがもう遅い。己は少女をお城の舞踏会になど、決して行かせはしない。この少女を王子様の元になど引き合わせない。もう二度と、少女の物語がハッピーエンドで終わることはないだろう。  
九兵衛は自分で自分が何をしたのか、何処までわかっているのだろうか。このまま寝に入って朝女中にでも発見されれば、二人が何をしていたかは自ずと知れよう。  
そしてそれが他の柳生の者にも伝われば、彼女が懸念している、今この柳生の間に出来ている溝も埋まることだろう。  
だが一時のポーズで、彼らが納得する筈もない。この方法を使おうとする限り、自然彼女は再び己を求めるか、他の男にも手を出す必要が生まれる。後者は絶対に阻止するし、その前に九兵衛の性格からして選ぶとは思えない。  
となれば暫くは九兵衛の情夫として振舞うことも出来ようが、そんな何時捨てられるともしれぬ地位で、最早自分が満足できる筈がない。  
見た限り九兵衛は己との情事に満足していたようだが、ポルノ小説の世界じゃあるまいし、肉欲で相手を支配できるなどとはさらさら思っていない。もっと確かな絆が欲しい。  
あの時思わず叫びそうになってしまった。私の、子を産んでくだされ、と。  
――九兵衛の月経の周期は完全に把握している。今日は丁度、危険日だ。だからこそ、五回も膣内射精してやった。  
無論これで、確実に孕むと思っている程愚かではない。それゆえこれからが勝負でもある。友人に会いたくて何度も通ったキャバクラでいつの間にか、  
余りに偏った知識を身につけた彼女に何処まで性に関する知識があるかは知らないが、一度こんなことをすれば、九兵衛の方も警戒するだろう。  
今日はしていないようだったが、避妊薬を彼女の方で用意してくる可能性もある。  
だが柳生の侍医は既に己の掌中にあるし、町医者にかかったところで同じ事。彼女の行動など己には筒抜けだ。そして薬をすり変えでもするチャンスなど側仕えの己には幾らでもある。それ以前に彼女が詰ってくれば、  
では次からは避妊具を使います、とでも言ってやればすむことだ。無論、細工を施した上で。  
我ながら汚い手段だとは思う。まだ女子として生きることに戸惑いを覚えているこのお方が、お子を身篭ることなど如何して望めようか。だが一旦孕んでさえしまえば、不器用な程真面目なこのお方は必ず然るべき責任をとるだろう。  
自らの行動の結果生まれた命を闇に葬るような人ではないし、  
片親の辛さを誰よりも知っているこのお方が、自分の感情の好悪を持って己が子にそれを押し付ける事も考えにくい。  
それに東城が子供の扱いに長けていることは、他ならぬ九兵衛が身を持って知っていよう。  
 
一生恨まれても構わなかった。それでも、九兵衛が手に入るのならば。彼女の隣に立つことが出来るのならば。  
今更彼女が己の想いに応えてくれる筈もない。そんな奇跡が起こったならもっと彼女を大切に出来ただろう。彼女の誘いを受けたとき、もしやと淡い期待を抱いたが、それも潰えてしまった。  
彼女が己に純潔を捧げてくれたのも、偶々この日だったから、偶々通りかかった己を誘いやすかっただけだろう。  
所詮己が原因で起こった柳生家の混乱を、次期当主として収めねばなるまいという責任感から男を求めたのだ。東城ならばと繰り返してはいたが、それとても人一倍コンプレックスが強い故に、多少理解のあった己に縋ったに過ぎまい。  
名門柳生の令嬢という肩書きに惹かれているだけの下種も含めて、気高く美しい彼女を抱きたいと願う男などそれこそ己の他にもごまんといるだろうが、鈍感な彼女が気づいていないだけだ。その点は自惚れていない。  
何せ告白しようとする直前に、雰囲気でも察したのか、彼女には己のことは嫌いだと、彼女自身の口からはっきり言われてしまった。否、前から嫌われているという自覚はあった。  
頬を赤らめて、目尻に涙を浮かべながら『あんたなんかだいっきらい』とでも言われたのなら期待も持てようが、冷めた目で睨まれながら、この上なく冷たい声で言われたのでは、万が一にも照れ隠しなどということはあるまい。  
わかっている。九兵衛が己を嫌うのも仕方のないことだと。自分は彼女に裏切りにも等しい事をした。だからこそ、これまで彼女のことは諦めていたのだ。  
あの時までは、己とて夢も見ていた。いつか彼女が年頃の娘になったならば、誰よりも早く彼女の前に傅いて、どうか私をあなたの婿君にしてくださいと、頼み込むつもりですらいた。無論彼女が柳生の令嬢だから惹かれたわけではない。  
あまり考えにくいことではあるが、もしあんな境遇を押し付けた柳生家を捨てたいとでも彼女に言われれば、彼女を連れて屋敷を逃げだす事とて厭わない。上流階級の生活に慣れ親しんだ己ではあるが、彼女と共にあれるのならばどんな苦行でも耐えられよう。  
これまでの人生の中で、彼女と共に過ごせなかったあの三年間ほど苦しい思いをした時など他にない。  
否、そんな非現実的なことでなくとも、初めての相手は心から愛している姫君が良いと、年頃の少年らしい願望も持ち合わせていた。  
だがあの頃、自分の中にある情熱に気づいてしまった頃。それまで世話役として普通に接してきていたはずの彼女と、急にどう接すれば良いのかわからなかった。目を合わせることすら気恥ずかしく感じた。  
そしてついには、彼女を避けるようにすらなった。だから気づかなかった。その一方で彼女が、出かけた先の町の子供たちに、酷いいじめを受けていた事実を。あの時如何して己は彼女を直視することができなかったのだろうか。  
度々袴を汚して帰ってきて、己を心配させまいと、なんでもないと言ってのけた彼女の心の叫びに、如何して耳を傾けることができなかったのだろうか。それを知って以来彼女から片時も目が離せなくなってしまったが、既に遅かった。  
日頃どんなに側近くに仕えていようと、肝心な時に余りに身勝手な、理由にすらならぬ私情で助けることが出来なかった己を、如何して彼女が信じられよう。  
護衛としての責務も全うできぬ人間が、如何して彼女を男として護ると、幸せにしてやるなどと戯言を口に出来ようか。  
それ以来東城の全ては崩壊してしまった。所詮は独りよがりな想いだったのだと、諦めようともした。半ば自暴自棄となっていた折に、金で買った女は恥ずかしげもなく己に身体を開き、熱っぽく己の身体を求めた。  
妖艶な女子の前に確かに満たされた性欲に、開放する度に冷めていく熱に、所詮はこんなものなのだと言い聞かせ続けた。何をそこまで、彼女に拘る必要があろうかと。  
しかし何処かで、己の下で淫らによがる女子が彼女であったら、という願望が確かにあった。  
 
そして自分と彼女の溝を決定付けるかのように、あの事件は起こった。なるべく彼女を外に出すまいとしていた己の目を掻い潜り、一人で親友の元に向かった彼女は、親友の危機の前に、年若い少女の身でただ一人、複数の大人の天人に立ち向かったのだという。  
己が駆けつけた時には既に遅かった。  
気高く麗しい少女の可憐な顔は赤い血に塗れていて、美しい琥珀の様な瞳はざっくりと切られていた。一目で分かった。それは一生癒える傷ではないと。  
わかっていた筈だった。己の忠告に従っておとなしくしているような女子なら、甚振られる親友の姿を目にして逃げ出せるような女子なら、こんなにも心動かされることはなかったと。  
事実あんなにもか弱い少女の身でありながら、異形の天人に果敢に挑んだという彼女の倒れた姿は、無様でも醜悪でも決してなく、心から美しいと思った。  
だが同時に、あれ程の自責の念に駆られ、あれ程己を戒めたにも関わらず、結局はまたも彼女を護ることが出来なかったという事実の前に、絶望すら覚えた。己が彼女の隣に立てる筈がないと、はっきりと自覚した瞬間だった。彼女の剣とも盾ともなれない。  
ならば己は彼女の影となろう。彼女が光たる存在となる為の影になれれば、それでいい。  
その光を見つけるのが、その光に照らされるのが、誰であろうと――。  
傷の痛みがひき、稽古にも専念出来るようになった頃。桃の節句を待たずして、彼女は修行の旅に出た。当然同行しようとした己を、彼女はしかし制した。彼女の命とあらば下がるより他ない。  
不安で仕方がない己を邪険につっぱねて、彼女はついに旅立った。それも仕方のないことだ。自業自得ではないか。  
ろくに彼女を護れなかった己に、如何して彼女が護衛を任せられようか。それに、屋敷を遠く離れて彼女と二人きりなどになってしまっては、別の懸念がある。  
こんな境遇に生まれたからか、いつしか彼女は触れられるだけで虫唾が走る程の男嫌いとなってしまっていた。だがもしかしたら何処かで彼女は、本能的に勘付いていたのかもしれない。これまで理性を持って心の内で必死に戦ってきた、己のような男の危険性に。  
最早今の己は闇だ。今にも輝こうとしている光を呑み、やがては虚無へと帰してしまう闇でしかない。  
自分のような男では、九兵衛は決して幸せにはなれまい。だがだからといって、手をひくつもりはさらさらない。  
一夜にして東城は、九兵衛の身体に完全に溺れてしまった。これまで己が経験した情事など所詮、性行為ですらなく、自慰の延長に過ぎなかったのだと思い知る。最早、彼女なしではいられぬ程に。  
無論九兵衛の身体自体が彼女達と、格別違う訳ではない。顔はまあ、九兵衛程の美少女はそういないにしても、それでもそこそこではあったし、  
日ごろ胸をさらしできつく巻いて潰し、男装をしていた姿からは想像も出来なかった、彼女の肢体にはついに理性を失ったが、彼女より一般受けしそうなスタイルの女子もいた。  
……などと並べてみて彼女に心底惚れこんでる己が客観的に評価するのは難しいと気づいたが、それでも女達のテクニックに関しては経験のない九兵衛とは比べ物にならないのは確かだ。  
それにも関わらず――彼女程、己の心を揺るがす女子など一人もいなかった。どんなに性欲を刺激しても、彼女の時のように、己の中に身体の芯から火が灯ったような、狂いそうな程の熱を、相手に対する溢れんばかりの愛おしさを感じたことなどなかった。  
ただ身体を重ねただけでこんな、天にも昇るような至上の幸福を感じることなど、決してありはしなかった。  
 
無垢な彼女からすれば、これまでの己の爛れた肉体関係の持ち方など理解し難いものだろう。行為の最中に他の者の名など呼ぶ筈がないと彼女は語っていた。  
だが己がこれまで、何度呼ぶべき名を間違えたかしれない。それでも心が痛んだことなど一度もなかった。  
(まあ大概にして一夜の女のことなどさして記憶に残るはずも無く、感極まって思わず呼んでしまうのは決まった『男』の名だったので、向こうも己が道ならぬ恋に悩んだ挙句のことかと誤解してか、  
そうそう深入りしてくる輩はいなかったのは不本意ながら幸いだが)。  
九兵衛に対しての行為に比べれば随分と、荒々しく邪険に扱った覚えもある。  
だがそれを気に止めなどしていなかった。否、そもそもこれまでこんなにも相手を思いやったことがあっただろうか。  
所詮――結局のところは彼女の代替品に過ぎなかった女達を。行為自体が好きだからあんなにも通っていた筈なのに、この差は一体、何なのだろうか。  
これまで当然のようにされてきた口での奉仕が、彼女に対しては急に申し訳ないことのように思えた。最中に歯など立てられようものなら、温和そうな外見に反して短気な己の事、相手を蹴り倒して、ひどく責め立てていた事だろう。  
だが九兵衛に関しては、そんな不器用さすら愛しく思えた。  
あの可愛らしい顔に己のものをいっぱいに詰めて、ぎこちない動きで懸命に奉仕するその様は、単なる肉欲だけではない快楽を己に与えた。  
処女を相手にしてみた事もあったが、男を受け入れたことのないその部分は、快楽以上に痛みを覚えるし、何より痛がるばかりで必死に拒もうとする様には興も冷める。  
ドSと罵られたこともあるが別段悶え苦しむ相手に興奮する趣味はない。単に興味がないから扱いが乱雑になるだけだったのだ。  
というか今日九兵衛を相手にしてみて自分はどちらかというとMなんじゃないかという気がしてきた。もっと彼女に尽くしたい。己が持つ全てを捧げてしまいたい。  
忘れもしない彼女と初めて結ばれたとき、果てる直前に彼女は言った。『お前が欲しい』、と。無論あんな状況だ。それは実際には肉欲以外の何の意味も持つまい。  
しかしまるで、己の心も魂も、全てを乞われたかのようでゾクゾクとした。  
それにしても――苦しそうな顔をしてる癖して必死に強がる彼女には愛おしさを覚える。  
これまで別段何のありがたみも感じていなかった女子の純潔を、しかしあんなに悶え苦しみながらも己に捧げてくれた彼女はたまらなく愛おしくて、感謝せずにはいられなかった。  
誇らしくすらあった。彼女の前では、これまでの己の経験など、何の意味もなさなかった。  
粗野な扱い方しかしてこなかったが故に、ともすれば彼女を傷つけてしまいそうなのが怖くて、まるで童貞の少年のように、何をすれば良いのかわからなくなってしまう。だがもっと、彼女を知りたい。  
これまでは己の快楽の追及しかしてこなかった行為だったのに、彼女が悶える様が見れれば、己が肉体的に満足出来ずとも良いとすら思えた。  
まだ男に慣れぬ彼女を、己の色に染め上げてしまいたい。他の色など、一点も混ぜることなく。――それは自分でも恐ろしくなるほどの執着だった。  
十数年ただ想い続けていた彼女と、本当は愛し合っているのではないかと錯覚する程の瞬間。そんなものを経験してしまって、如何してこの先他の女で満足できようか。  
――こうなった責任は、とって頂きますよ。  
あまりに身勝手な要求を、心の内で呟く。  
本当ならば彼女には、一番幸せになって貰いたかった。  
だがもう――全ては、遅すぎる。  
制御しきれぬ己の暗い欲望は、既に彼女に対する侵食を始めてしまった。  
もう止められない。こんな方法は彼女を不幸にするだけだと、わかっていても。  
……だが。しかし。それでも。  
「……お慕いしております」  
己の横で眠りについている主に、東城は静かに呟いた。  
 

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