新月の夜だった。
色町を流れる川に浮かべた一艘の屋形船からは、三味線の音が聞こえている。
中では高杉と万斉が密談を拵えていた。
「次ァ両方を引っ張り出して潰すぞ……万斉」
腰高窓に座り三味線を弾きながら、高杉はにやり、不敵な笑みを浮かべる。
膳の前に座り杯を手に、万斉は黙って頷く。
両方、とは即ち銀時と真選組のこと。伊東の件以来、二人の間で通じるようになった言い方だ。
「とは言っても、実際動くのはまだ早ェがな。何せこちらもあちらも、まだ百パーセントだとは言えねえからなぁ」
「……どうせやるなら派手に潰したいのであろう? 晋助」
高杉の言葉に自分の言葉を付け足すと、万斉は杯を煽った。
「そういうこった、万斉」
高杉は喉の奥でククッ、と笑った。
「奴等を引っ張り出すのはお前の仕事だ、万斉」
高杉の三味線の音が止んだ。万斉は杯を膳に置いた。
いずれ来るその日、銀時と真選組を鬼兵隊―――否、晋助の目の前―――に引っ張り出す”餌”を、高杉は万斉に教えた。
『夜兎の小娘と眼鏡の小僧が銀時の下で働いてるだろう。紅桜の時にうろちょろしてやがったあいつ等だ。
伊東の時もいただろう? その眼鏡の小僧の方の姉貴に、どういう訳だか真選組の近藤が随分と入れあげてるらしい。
いい餌じゃねえか、ええ? ……なぁ、万斉。
浚って奴らを誘き寄せようが、近藤の目の前で真っ二つに叩っ斬ろうが、そいつはお前に任せる』
物騒なことをさらりと言った高杉は、来るべき日の為に一度その女を見ておけと、万斉に命じた。
あくまでも下見だ、と念を押して。
密談の日から暫く後。
明るい満月の夜だった。
万斉は武家屋敷の立ち並ぶ通りの、ある屋敷の前にいた。立派な門に、「恒道館」の看板。
かつて恒道館といえば、江戸十に名をとどろかせた名門道場だ。
「しかし……時とは残酷なものだな」
朽ちたままの土塀や金具の欠けた門扉は、廃刀令以後の世間の流れに乗れなかったこの道場の現在を現している。
天人襲来以後、このような道場は決して珍しくなかった。
万斉は塀を乗り越え、敷地内へと侵入した。
中はひっそりと静まり返っていた。
今、この屋敷に住んでいるのは、お妙と新八の二人だけだ。
お妙の夜の仕事が今日は休みで家にいることも、新八がかぶき町の銀時の所に明後日まで泊まることになっていることも、
調べはついていた。
お妙のいる部屋はすぐに分かった。道場への渡り廊下に近い一つの部屋から明かりが漏れていた。
万斉は濡れ縁に土足のまま上がる。ぎいっ、と板が軋んだ。
人斬りは音を立てぬ様に歩き、その部屋に近づいた。
障子に影を作らぬように注意し、明かりを漏らす障子の隙間から部屋の中を伺った。
お妙は確かにいた。
寝巻き姿のお妙は鮮やかな色の帯をたとう紙に収め、箪笥に仕舞った。
明かりを漏らしていた六角行灯を消すと、既に延べられていた床についた。
行灯を消しても、月明かりでお妙の様子はよく分かった。
―――近藤が入れあげている、か―――
落ち着いた、気の強そうな凛としたその横顔に、万斉は高杉の言葉を思い出す。もっと儚げな女かと思っていた。
布団に横たわりはしたものの、お妙は掛け布団も被らず、目を閉じた。
お妙の手は、寝巻きの腰紐に掛かった。
しゅるりと腰紐を解き、裾を肌蹴ける。あわせられていた身頃がお妙の肌を滑り落ちた。
お妙の小ぶりだが形の良い乳房、くびれた腰、僅かな面積しかない白い下着、すらりとした脚。それらが月明かりの下、露になった。
ごくり、万斉は思わず息を呑んだ。
―――まさか……、と万斉が思ったことが、障子の向こうで始められた。
「……ぁ……」
切なげな吐息を漏らすと、お妙は己を慰め始めた。
―――……!
万斉の心臓が、大きく跳ねた。
お妙は片方の手でつんと尖った桃色の乳頭を白い指で摘み、転がした。
もう片方の手はもどかしげに臍を辿り、下着の中へと入り込んだ。
「んっ……ぁ……い……んぅ」
濡れた音と、お妙の切ない喘ぎが指して広くない室内に響き、万斉の耳にも届く。
その痴態は、淫靡で、なまめかしくそして何より、美しかった。
身をくねらせ、額にじっとりと汗を滲ませ、お妙は夢中で己を慰める。
下着に濃い染みを作り、秘部を弄る指の動きは次第に大胆になっていく。
「あっ……あ……あ……」
リズミカルに息を荒げ、乳房を乱暴に揉みしだいた。髪が汗で濡れた額に張り付く。
クチャクチャと水音までもが聞こえた。
万斉は喉の渇きを、心臓の高鳴りを覚え、お妙の痴態から目を離す事が出来なかった。
五分だったのか十分だったのか、もしかしたら一時間は経っていたのだろうか。
万斉はお妙の自慰を文字通り食い入るように見ていたが、やがて終わりが訪れた。
「やぁ……あ・あ・ぁ……イ……っ……く、」
激しくなった指の動きが止んだかと思うとお妙の体が一瞬硬直し、暫しそのままで、やがて脱力した。
ハァハァと荒い呼吸を繰り返しながら、お妙は心地良い疲労と眠気に襲われた。
瞼を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだ。
余韻の残る体は、少し脚を曲げただけでも甘い痺れが押し寄せる。
―――何やってるのかしら、私……
ぼんやりとする頭で自分を苛んでみても、何の解決にもならない。
こんな眠れない一人の夜に、己を慰めるようになったのはいつからだったか。
我ながら不毛なことをしているとは思うが、人間の生理には勝てない。
―――……お風呂、もう一回入ってこよう……
自ら汚した身体を清めるため、お妙は重い身体をゆっくりと起こした。
「……誰?」
人の気配がし、お妙は視線をすべらせる。
閉じた筈の障子が大きく開いていた。月明かりが枯れ庭を照らしている。
そして部屋の入り口には、サングラスとヘッドホン姿の男が三味線を背負って立っていた。
「…………」
お妙は驚いたが、顔には出さなかった。
「……見てたの?」
恐る恐る、お妙が尋ねた。男は答えない。
「見てたんでしょ?」
もう一度、お妙が尋ねた。男は答えなかったが、代わりに土足のままお妙の部屋に入り込んできた。
「泥棒……じゃなさそうね……うちには何もないもの」
身体を隠しながら、お妙は尻で後退りする。
「泥棒ではないでござるよ」
平然と男は答えた。
「警察呼ぶわよ?」
「呼べるものなら、呼んでみれば良いでござる」
風が吹き込み、男から僅かな血の臭いがした。堅気の人間でないことくらい、お妙にも判った。
「攘夷志士かしら……それともまさか人斬り?」
嫌な汗がお妙の額を、背中を流れる。
男が背中の三味線に手をかける。
音も無く三味線の棹が開き、仕込みの細い刀がすらりと抜かれ、月明かりを反射する。
―――いけない……この人……
後退りをしていたお妙の背中が壁に当たる。行き止まりだ。
男は刀を手にお妙のすぐ前に立つ。
高く掲げた刀を、男は躊躇いも無く振り下ろした。
「……―――!!」
ドンッ!
鋭い音と共に、刀はお妙の脚の間、畳に思い切り突き立てられた。
「拙者は攘夷志士で……そして人斬りでござる」
鬼兵隊 人斬り・河上万斉
男はそう名乗った。
動くにはまだ早い。
あくまでも下見だ。
高杉は確かに万斉にそう言った。
計画の遂行はずっと先だ、と。
今の鬼兵隊が大きく動ける状態でないことは、万斉自身良く分かっている。
だから今日はお妙の顔を見て、それだけで帰るつもりだったのだ。
お妙をどうするかは、武市やまた子らを交え、これから策を練るつもりだったのだ……さっきまでは。
しかし、今は違う。
万斉はお妙がどうしても欲しくなった。
「いやぁっ……!」
お妙は万斉に組み敷かれていた。
力には自信のあるお妙だったが、万斉には敵わなかった。抗おうとしたがあっさりといなされ、捕らえられた。
三味線の弦で手足を戒められ、自由を奪われる。
もがくと血が滲み、痛みが走った。
「ん……!」
無理やり重ねたお妙の唇を、万斉は貪った。
もがこうとむなしい努力をするお妙に体重を掛け、万斉は白い肌を弄る。小ぶりの胸を、柔らかな太腿を。
乳首を摘み、転がし、冷たい尻を揉んだ。
「――……!」
濡れた下着の隙間から指を潜りこませる。陰毛を掻き分け、お妙の入り口を探す。
柔らかな肉襞が万斉の指に絡みつき、蠢き、拒みながらも万斉の指を迎え入れた。
硬くなった実頭を親指で転がしながら、他の指で中を掻き混ぜる。
既に万斉の下半身は硬くなり、一瞬でも早くお妙を貫きたがっている。
汗、吐息、涙、体液が入り混じった匂いが二人の間に立ちこめる。
「や、あっ! やめて!!」
万斉が唇を離すと、お妙は叫んだ。しかしその叫びは空しかった。
「もういや……」
指が離れたかと思った次の瞬間、熱の塊が代わりにお妙の中に侵入した。
「あ・ア……!」
お妙は目を見開き喉を見せ、仰け反った。
「……随分と……締め付ける……」
万斉は眉根を寄せ、もっと奥へ潜り込もうと腰を動かす。
肉同士のぶつかり合う音が、いやらしさに輪をかける。
―――どうしてこんな……何で私……
突然のことに、お妙の思考は混乱したままだ。唇を噛み締めながら耐えることしかできない。
段々と激しくなっていく万斉の腰の打ちつけに、視界が、世界がぐらつく。
「っ……お妙殿……」
万斉が、初めてお妙の名を呼んだ次の瞬間、お妙の胎内に白濁が吐き出された。
ドクン、ドクン、と鼓動に合わせて。
「ぁ……あ……」
万斉の熱を受け止め、お妙の中で何かが崩れた。意識が遠のいていく。
「新ちゃん……銀さ……ん……近藤……さ…」
か細い声で、お妙は名を呼んだ。
助けには来ない人達の名を。
そしてそのまま、気を失った。
満月は、重なり合う二人をわざとらしく照らして他人の顔をしていた。
―――どうにかしている……拙者は……
気を失ったお妙を見下ろしながら、万斉は自問した。
このことが露見すれば、咎めは逃れられないだろう。
何より高杉の計画が破綻することは、目に見えていた。
しかし不思議と後悔は無かった。
思えば最初から、気乗りではなかったのだ。今回の高杉の計画には。
それから数日の後。
月は臥待月だった。
色町を流れる川に浮かべた一艘の屋形船の小窓から、煙管の煙と三味線の音が漂う。
「……”餌”がいなくなっちまったってのはどういうわけだ」
腰高窓に座り煙管を手にした高杉は、三味線を弾く万斉に尋ねる。
「さあ……どうしたわけか……拙者が見に行った夜には確かにいたのだが」
万斉は三味線を奏でながら答えた。
お妙はここ数日、行方不明だという。
当たり前のように銀時の万事屋と真選組が血眼になって探している。
大事な”餌”の思いがけない失踪に、高杉の計画は遂行どころではなくなってしまった。
お妙の失踪に、職責を越えた近藤の命により江戸中のあらゆる場所に真選組隊士が派遣されている。
お妙探しの名目だが、近藤は攘夷派の仕業だと睨んでいるらしく、
攘夷派は思想や所属に関わらず随分と動きづらくなっている。
現に高杉が別件で京から江戸へと呼び寄せていた鬼兵隊の構成員が数名、江戸の入り口で真選組に捕らえられてしまった。
どう考えても別件逮捕、不当逮捕だ。
「大方店の客の男と手に手を取り合ってどこかに逃げたのでござろう……夜の女にはありがちなことでござるよ」
「万斉」
高杉が万斉の名を呼んだ。万斉は三味線を止めた。
「隠しごとは無ェだろうな」
「………」
万斉の心臓が、どくんと鳴った。
高杉の隻眼は万斉を睨んでいた。
「……何もござらんよ」
万斉は平然と答えた。
「そうか」
高杉は万際を睨んだまま煙管をひと吸いし、フゥーっと紫煙を吐き出した。
「ならいい。万斉、お前に限って……と俺ァ思ってる。だが、万一隠し事があった場合は……」
分かってるだろうなァ? と高杉は続け、煙管の雁首をカン、と窓の枠に叩き付けた。
万斉は黙っていた。
色町の夜は更けていく。
いつもより多めの酒を飲み、万斉は高杉と別れた。少しふらつく足取りで、川沿いを歩く。
捕らえられた構成員は武市と万斉が救出に当たることになった。
万斉は天人を通じ、幕府に構成員開放を働きかける役目を高杉に与えられた。
今度の仕事はしくじる訳には行かないだろう。面倒な役だが、明日からでも動かねばなるまい。
が、実のところ万斉にはどうでもよかった。捕らえられた下っ端がどうなろうと。
―――拙者は晋助に上手く嘘を付けたであろうか……
何もござらんよ、と言ったあの時、自分の声の旋律は乱れていなかっただろうか。
どんな顔をしていただろうか。
万際にはそのことが気に掛かっていた。
高杉は気付いているのではないだろうか、と。
「早く帰らねば……」
月を見上げ、万斉は自分を待つ女のもとへ急いだ。
数日前に攫って来た、お妙のもとへ。
月は臥待ち、朧月夜。
(幕)