昼休みに、裏庭で日向に当たろうと思ってうろついた事を少し後悔した。  
そうゆう場面に出くわす確率と言うのは、多分とても低いんじゃないかな、と神楽は思う。  
思いながら、そっと校舎の影に身を潜めた。  
コンクリートの壁にもたれて、そこに座り込む。  
声は聞こえなかったけれど、その行為がどれくらいの時間で終わるのかは大抵見当がつく。  
そうして、終わったらきっと見付かっても支障のない人物のほうがこちらの歩いてくるだろう。  
だから神楽は、そっと息を潜めて待っていた。  
「見てたんですかィ」  
「別に、好きで見てたわけじゃないアル」  
沖田が神楽の前に姿を出したのは、それから少ししてからだった。  
平然として神楽の目の前に立つこの男は、  
さっきまで誰だか神楽の知らない女子と裏庭でキスをしていた。  
恋人なのかとか、そんな無粋な質問をする必要は全くない。  
沖田が誰か特定の人物と付き合っているなんて話は聞いたことがなかったからだ。  
今も、なんでもないような顔をして神楽に話しかける。  
どうにも自分のほうが恥ずかしくて、神楽は沖田の顔から目をそらしてしまうのに。  
「何やってるカ」  
学校の中なのに。  
神楽は深く、深呼吸をするようなため息を吐いた。  
もちろんそれは沖田にも聞こえていて、だけど沖田は苦笑するだけだった。  
「あの女が、して欲しいって言うから」  
沖田の笑顔に罪の意識なんか微塵もない。  
相変わらず校舎の影に座り込んでいる神楽の隣に、沖田も腰を下ろした。  
少しひんやりしているコンクリートの感触に、沖田は一瞬眉をしかめる。  
だけどすぐに気を取り直して、膝を抱えて座る私の肩に手を回してきた。  
「…何してる」  
 
「何って、」  
肩にまわした手にぐっと力を込めて、沖田は神楽に顔を近づけた。  
そのまま、唇に触れる。  
こう言うのは、間接キスと言うのかな?  
神楽は頭の片隅に浮かんだ言葉を目を閉じることで振り払って、  
唇のぶつかる温かい感触を味わった。  
沖田は誠意のないひどいやつだと思うけど、触れてくる時は異様にやさしい。  
沖田の事を好きだと安易に口にする女子の気持ちがなんとなくわかる。  
そんなことを思う自分は少し女々しいのかな。  
唇が離れると、うつむきながら少し濡れた唇を指でつまんだ。  
「……。」  
他人の体温で、唇は少しあたたかくなっている。  
「何か、不満ですかィ?」  
黙り込んだ神楽の横顔を見ながら、沖田が笑っている。  
瞳が、いたずらっぽく揺れている。  
「じゃ、ココでしやす?」  
沖田が笑いながらそう言って、身体をぐっと近づけてきたので、  
あわてて神楽は身体を沖田から離した。  
じゃあ、ってなに。  
沖田を睨みつけて見ても、相変わらず笑っている。  
手も、神楽の肩にかかったままだ。  
この人の、こうゆうところはあんまり好きじゃない。と思ったけれど、  
肩にかかった手を無理矢理にでも引き剥がす、それがどうしてできないのかも自分で分かっていた。  
だからと言って、別の場所なら良いとか、そうゆうわけでもないんだけど。  
でも五分ほど経過したぐらいに、そのじれったい手を離してくれないか、と神楽は思い始めた。  
沖田は神楽の肩あたりに猫みたいに顔を擦りつけて、腕の力を一層強くした。  
「好きだ」  
 
小さく、小さく呟いた言葉が耳にも入る。  
神楽はなんとなしに、その言葉を無視する。  
すると少ししてからまた沖田が小さな声で言う。  
「ウソ。嫌い。好きじゃない。」  
言葉の最後にだけ力を込めて、ぱっと身体にまきつけていた手を離した。  
気まぐれな、猫。  
何もなかったような顔をしていると、沖田がじっと見てくる。  
視線には気付いたけれど振り返ったりはしなかった。  
「…ちょっとは、驚いたりしてくだせぇ」  
ぽつんと呟くみたいに口にしたのは、そんな拗ねているみたいなセリフ。  
いつも沖田らしくない、なんだか可愛い雰囲気がしたので神楽は横を見た。  
沖田は拗ねた視線を向けている。やっぱり近所の猫にそっくりだ。  
「そんな事しても、今更アルよ」  
私だけじゃなくて、誰も驚いたりしないヨ。  
半分笑った声でそう言うと、沖田はちっ、と小さな舌打ちをした。  
いつもよりも少しかわいめ。  
沖田は立ち上がって、神楽の制服の袖をつかんだ。  
「神楽ちゃん、」  
どうしたのか、って顔をして、神楽の沖田を見る目は戸惑っている。  
沖田は理由も言わずにそのまま引っ張って無理やり立たせる。  
制服の袖を持っている手に、力をこめる。  
神楽はやっぱり困ったみたいにしていたけど、  
沖田の手を無理やり引き剥がそうとか、そんな真似はしなかった。  
沖田が突飛な行動を取ることなんか慣れている、と言わんばかりに、  
沖田の後ろを黙ってついていく。  
どうせ、どこかで飽きてその手を離してくれると思っているんだろう。  
それが神楽の甘いところ。  
沖田はこの手を離さなかったし、場合によってはもっと身近に引きよせる。  
「沖田、」  
静まり返った屋上まできてから、沖田の脚は止まった。  
 
フェンスの向こうに、昼休みで誰もいないテニスコートが広がっている。  
まるで寒々しい景色。  
 
バタンと校舎に繋がるドアを閉めながら、沖田は神楽の方を向く。  
「神楽ちゃん、耳弱いんですかィ?」  
ふっ、と耳に息を掛けられて、思わず神楽はぎゅっと目を閉じた。  
弱いとか、弱くないとか、そんな事考えたこともなかった。  
細く目を開くと、そこに変わらず沖田の顔があって、また慌てて目を閉じる。  
「…震えてる…」  
息を吐き出すみたいにして囁かれる言葉が、くすぐったい。  
確かに耳は弱いのかもしれない。  
胸の中に浮かんできた言葉に、神楽は慌てて首を振った。  
沖田の手が、左肩を掴む。  
背中を、フェンスに押しつけられる。  
なにか、生暖かい感触が、首筋にはしる。  
「……、」  
神楽はあんまりにも気持ち悪くて、喉の奥から小さな声が出てきた。  
沖田の声がふふ、と笑った。  
「おとなしくしてたら、酷い事はしやせん」  
肩を掴んでいるのとは反対の手が、頭のてっぺんを撫でている。  
「ね、そこに座ってるだけでいいから」  
ぐ、っと肩を押されて、神楽は言われるままにそこに座り込んだ。  
頭の中には警戒警報が鳴り響いているのに、どうしてだか言われるままにしてしまう。  
なんで、こんな事になったんだろう。ほんの数分前の記憶があやしい。  
「誰も助けになんか、来てくれませんぜ」  
ただ、沖田にそんな風に言っているのが神楽の耳に流れてくる。  
それから、押しつけられた生温い、柔らかい、感触。  
頭の中に、いつか土方が言った言葉が鮮やかに蘇った。  
 
「オレは、あいつの事が気に食わねえ。」  
もしかして土方は、この事を言っていたのか。  
この、人に有無を言わさない行動力。それとも、全然別の事だったのかな。  
とにかく、この状況は神楽でも「気に食わない」と言ってしまうかも知れない。  
そんな事を考えていたら、いきなり耳たぶを口に含まれる。  
人にそんな部分を噛まれるのは初めてで、身体が硬直してしまう。  
うっすらと目を開くと左側の耳を執拗に口に含んでいる沖田の、色素の薄い髪の毛だけが視界に入った。  
昼過ぎの太陽に照らされて、きらきら金色に光る沖田の髪の毛。  
ぺちゃり、  
なんとも言えない音が鼓膜を震わせた。  
「……んっ、」  
喉の奥から声が出そうになって、慌てて口を閉じる。  
歯をぐっと苦縛って声が漏れるのを我慢していると、また沖田が笑った。  
「声、出してもいいのに」  
我慢しなくてもいいですぜ。  
からかっているみたいな声が、響く。  
(…いやだ、)  
声を出したら、きっとまた沖田は笑うんだ。  
下唇を噛んで、神楽は顔を下に向けた。  
もう、目の前にきらきらした髪の毛は見えない。  
沖田の左手が器用に神楽の眼鏡を取って、セーラーのスカーフを外した。  
「…なにを…、」  
手を出して、沖田の手首を掴む。  
それをしなければ、きっともっとされていたはずだ。  
思うと、身体がまた硬直したような感覚に襲われた。  
「服…着たままでいいんですかィ?」  
また、笑っているみたいな声。  
違う。  
沖田の声は、いつだって笑っていた。  
食堂でも、移動教室の時も、上級生と殴り合いの喧嘩をしていた時も。  
 
「…もう、ヤメロ。」  
沖田の手首を掴んだまま、なんとか声を出してみる。  
けれど、そのはすぐに振り払われた。  
「前から狙ってたんでさァ。こんなチャンス滅多にない」  
止められやせん。  
沖田の手は、スカートに伸びた。  
(前から……)  
って、いつからだ。  
手を滑り込ませる沖田の手を、もう止めることはしない。  
衣擦れの音が現実じゃないみたいに聞こえる。  
何をしているのか、これから何が始まるのか、なんとなく分かって。  
それでもう、身体を強張らせるのは止めた。  
「諦め、早いなァ。」  
下着に手をかけて、少し弾んだような声が耳に届いた。  
「もう、銀八のヤツにも、されやした?」  
その言葉が、終わるか終わらないかのうちに、  
神楽は上半身を折り曲げて沖田の肩を力任せに突っぱねていた。  
「……。」  
なに、言ってるアル。  
知らず手が、制服を掴んでいた。自分の胸のところで、ぎゅっと。  
押されたイキオイで後ろにしりもちを付いた沖田が、神楽の顔を見てまだ笑っている。  
神楽は座り込んだ沖田の横を抜けて、屋上を出ていこうとした。  
沖田が、笑っている。  
沖田はきっと、わかっている。銀八の事を出されて、動揺した神楽の気持ちを。  
まだ少し、鼓動が早い。  
ずり落ちてくる下着を元にもどして、スカーフを付け直す間に、この鼓動が止めば良い。  
お願いだから、鎮まれ。  
制服の上から、また胸の辺りをぎゅっと掴むと、  
跳ね上がる鼓動はまだその手のひらの感触を残した。  
 

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