背中で寝息を立てる家主の代わりに、鍵を開け、玄関を開ける。
時間も時間だ。
からから、とガラス戸の乾いた音は思いの外響き、なんとなく忍び足になった所で、新八は「明日は朝食当番だから」と万事屋に泊まっているのを思い出した。
馴染みの屋台で長谷川と一杯やっている所に電話が来た。
「今日は平日で客が少ないの」
どこぞのゴリラは生憎出張中らしい。
「来てくれるわよね」
「今あいにゆきます」
あれ、おかしいな、バイブ機能にしてないのに。
鼓膜にすら感じる凄まじいオーラに即答した。
幸い、山の手の富豪の飼い猫探しがあっさり見つかったので懐は潤っていたが、絡み酒の長谷川を撒いて店に着いたのは閉店間際だった。
3本目の口を空けて一杯注いだ所で閉店時間が来た。
「…銀さんこの後アフターいいかしら」
「何おまえまだ飲むの」
「送って。アフターにしとかないと客とは帰れないのよ」
実際この短時間で半分以上を空けたのはお妙だし、酒にあまり強くないのは知っていた。(あ、てゆーか未成年?)
「でも今日原付きじゃねーけどいいの」
「………チッ」
(いや飲酒も二人乗りも違反だからね見つかったら免許なくなっちゃうんだからね)
口に出せば間違いなく飛ぶであろう白い右手を見ながら言葉を飲み込み、会計を済ませた。
帰りの道中、既に千鳥足で目は虚だったが、いくら軌道修正しても電柱に向かって行くので、5本目が倒れた所で仕方なく背負うハメになった。
で、現在に至る。
座布団に置いた妙を布団に移す。
うう、と苦しそうにしたが起きる気配はない。
気が引けたが帯を解いて伊達締めを緩めると、ほ、と息をついた。
ちらり、鎖骨が見えて。
華奢な首筋からのラインはとても先程右足一本で電柱5本を薙ぎ倒したような女には見えない。
むしろ居間からの薄明かりに照らされた様は、ひどく扇情的だった。
はっきり言ってしまえば、一目惚れに近かったと思う。
流れる黒髪も、華奢な体躯も、その内に秘めた芯の強さを知れば知るほど、のめり込んでいった。
けれども年端の行かない生娘に未熟な気持ちをぶつけられる程青くはなかったし、ましてや身内同然になってしまった今、手を出す度胸も覚悟もないのが現状だった。
男っつーのは因果なもんだなァ。
がしがしと頭を掻きながら帯びてきてしまった下半身の熱を自覚する。
多分、彼女自身は俺に対しての認識は家族同様なのだろう。
違っていたのは自分だけ。
生憎、嘘を付くのは上手かった。
他人にも、自分にも。
「おーい」
「……」
「おたーえさん」
彼女は、男をさらけ出した俺をどう思うだろうか。
酔っているんだ酔っているんだと、自制の効かない腕に言い聞かせる度に思考に霞みがかかっていく。
かき抱いて百合の香の髪に顔を埋めると、泥沼に沈む感触がした。
「…ぎ、んさん…?」
息苦しかったのかそろそろと顔を上げた彼女の頬は未だ紅潮し、この状況に気が付くに連れて朱を濃くしていった。
「な…何してるんですか」
「…いや、ちょっと」
「ちょっとって何が…っ!?」
あ、やべーかもこれは。
何処かで客観視している自分に苦笑しながら半ば強引に口づける。
舌を割り入れると声も出ない程固まっていた体は我を取り戻した様に強く押し返して来た。
「なっ…なんなんですかっいきなりっ」
瞳に。
「ちょ、離し、銀さ…」
瞳に、吸い込まれて行ってしまう。
「お妙さぁ、酔っ払ってる」
「も、もう覚めましたよっ、こんな」
「いーや酔っ払ってる」
「だから銀さ…〜っ!」
両の手首を捕らえて固定する。
今度は、逃がさないように。
唇を割って戸惑うばかりの舌を絡め取り、上あごを舐め上げると、強情だった肩の力も抜けて行った。
「お前ね、めちゃめちゃ悪酔いしてんの」
「……」
「…だから、なんかヤな夢でも見てんじゃねェ?」
その漆黒の瞳に、こんなにも脆弱な俺は、どんなに醜く映っているんだろうか。
薄々、気付いてはいたのだけれど。
閉店後の裏口で出会う確率はおよそ7割、その度についている嘘が真実なのだとしたら彼は相当に挙動不振な人だ。
当たり前のようにして我が家のこたつにあたり、差し向かい食べるハーゲンダッツに違和感を感じなくなったのはいつの頃だったか。
平然と日常に入り込みその占める割合を増やしていく。
口に出せる性分ではないのは自覚していたし言ったとして対等な関係を築けるとも思わなかった。
所詮は手のかかる小娘の戯れ事、にすぎないのだ。
目の前で揺れる銀色に手を伸ばしてやっと現実なんだと認識する。
「ひゃ…ぅ…はぁっ…」
鎖骨を甘噛みされる度聞いた事もないような嬌声があがり、耳たぶをいじられて電流が走る。
<悪い夢を見ている>
納得出来る言い訳だ。
やめてほしい、その困ったような切ないような眼差しも、愛しげに触れる熱い指先も、みんな、みんな、みんな。
私を好きなのかと、勘違いしてしまう。
「っひゃ、」
背筋をなぞられて喉が引き攣る。
胸元を滑らかな感触がはい回る程、先端の熱さは増していく。
「ぅ…あ…んぅっ…」
夢なら、溺れてもいいのだろうか。
脇腹を撫でる手が、下に降りて行く。
「…っ」
自分ですら触れる機会の少ないそこを、丁寧になぞり上げる。
「…んっ、う」
くちゅくちゅと淫猥な音が響いて、《そうなっている》と現実を突き付けられる。
…羞恥で、気絶してしまいそうだ。
違和感と共に押し入った指が内側を掻き交ぜ、肉芽を親指が掠めると、鋭敏な刺激に腰が浮く。
甘い快楽に身を任せれば、後は止まらない濁流に流されるだけだった。
この人は、ずるい。
「…お妙」
「これは、夢だから」
「こわがんないで」
(ちがうのよ、こわくなんかない、ただ、)
こんなにも、簡単に気付かされた。
「…っあ、ぎ、んさ」
(くるおしいほどに)
「…も…ほし…ぃ…」
火傷したのかと思う程その瞬間は、ご他聞にもれず激痛だった。
割開かれた膝が震えて、背中に回した指先に力が入る。
「…っく、ぅっ…」
「…わり、も、ちょっと…」
支配していく圧迫感に抗わず、甘い痛みを享受する。
触れ合った唇からは糖度の高い唾液が零れ落ち、湿った囁きは鼓膜を濡らした。
「お妙、」
「んっ、や、ぁああっ」
「お妙、あいしてる」
やがて熱の塊に翻弄されながら、薄闇の中見上げた彼の瞳は私と同じように濡れていて、不思議な満足感の中意識を手放した。
「うーす」
「オハヨー銀ちゃん」
「おはようございます、朝ご飯出来てますよ」
「あぁいーや、先風呂にする。アルコール抜かねーと」
志村家を出たのはまだ夜明け前だった。
思うがままに欲を吐き出した後、名残惜しむように黒髪を撫で、閉じた瞼に口づけながら、空が白んでいるのに気が付いた。
起こさないように簡単に身支度を終え、忍び足で玄関の戸を開けて、これじゃ来た時と同じじゃねーかと一人ごちて。
すぐばれる嘘を取り繕っている自分に半ば呆れながら、うだうだと遠回りをしているうちに、日はいつの間にか昇り切っていた。
ほんの数時間前着た服をまた脱ぎ捨てながら、思考は未だまとまらない。
所謂、最低な男、とゆーのは。こーゆーのを指すのだろう。
腕や足の一本二本で済めばまだ良し。
給料が入る度に全額をハーゲンダッツに投資しても構わない。
怖いのは口を聞いてくれない事だ、言い訳も糞もありゃしない。
…多分、いや、間違いなく。
軽蔑は、されてるんだろう。
自分ですらそうなんだから。
頭から湯を被り、浴槽に浸かる。
ぴり、と背中に痛みが走った。
「…?」
不思議になって肩ごしに鏡を除けば、そこにはくっきりと紅く残る情事の名残の傷痕。
「…」
こんなものすら愛しくてにやける顔を冷たいタオルで覆いながら、やっぱりコレは重傷だとまた思考を巡らせた。
−ピンポーン
「はーい…あ、姉上、早いですね、どうしたんですか」
ブフォ、と風呂上がりのいちご牛乳を吹き出しながら玄関を覗くと、そこには間違いなく数時間前に自分が破瓜させた女が立っていた。
「早起きしたからお昼にどうかと思って、お弁当作って来たのよ」
「ししし新八くんお姉様はお疲れだろうからホラ有り難く受け取って帰って頂いたら「お邪魔しますね」
「よかったら姉上も朝ご飯どうですか、今食べてたんですよ」
「頂こうかしら」
アンビリーバボォォォ!
どーゆー神経してんだよあのゴリラ女ァァァ!?
暢気に朝餉の準備をしに行く新八を尻目に、神楽と挨拶なんぞを交わす横顔をジャンプの陰から盗み見る。
ちら、と目があって。
極上の笑顔。
慌てて両さんと中川に視線を戻し、肋を打ち付ける心臓を沈める努力をする。
「そういえばね、神楽ちゃん。私、今日いい夢見たの。」
え、ちょ、
「夢?どんな夢アルか?肉まん100個食べる夢?」
オイオイオイオイ。
「そうじゃなくて、」
ちょっと待っ…
「大好きな人にキスされる夢よ」
姐御好きな人いたアルか!とか騒ぎ出す神楽、それを聞いてガシャンとお盆を落とす新八。
あーあーあーどうすんだよカーペットみそ汁まみれじゃねーか卵焼きとかシャケとかミックスされてもう最悪、あ、定春食った
「なーお妙ー」
「なんですか」
「俺もそぅいや今朝夢見たわ」
「へぇ、どんな?」
「なんかすげーいい女にコクる夢ー」
終