待ち合わせはいつも神社の境内だ。総悟が眠ったあとにこっそり家を抜け出す。  
月明かりだけを頼りに暗い道を走る。心臓が高鳴って、頬が熱くなる。  
月は遠くの山の頂よりもまだ低いところで光っている。  
夏の終わりのぬるい夜風に乗って濡れた土の匂いがする。  
気の早いこおろぎがどこかの草むらで鳴いている。  
あらゆるものを敏感に感じ取るミツバの五感は、いまはただ恋しい男にむかって尖る。  
十四郎さんという呟きが夜の闇にそっと浮かぶ。  
(あの人が私を待っている、それだけのことがこんなにうれしいなんて知らなかった)  
 
「遅えよ」  
こういうとき土方はいつも不機嫌だ。  
ぎゅっと眉に力が入って、口元はむっつりと結ばれている。  
それが照れているだけだとミツバはようやく最近理解するようになった。  
「ごめんなさい。そーちゃんがなかなか寝付かなくて」  
少し足元に視線をそらしミツバは言った。  
ミツバは照れて不機嫌な、きゅっと寄った眉ときつく閉じられた口元で  
少しだけそっぽを向く、土方の顔が好きでたまらない。  
息が苦しくなりそうでまともになんか見られないのだ。  
「ほら、今日なんか暑いでしょ?おかげでそーちゃ…」  
言葉の続きを言う前に、長い腕にとらえられた。  
 
土方の心臓の音が早い。  
総悟とはまるで違う、男の汗の匂いがその胸元からする。  
ミツバは月明かりに照らされたその顔を見上げた。  
「十四郎さん、苦しい」  
「黙ってろ」  
月を背にした土方は真っ黒な影のようになってミツバに覆いかぶさる。  
黒い闇のようでも、それがとてもあたたかいことを知っている。  
あたたかくて、絶対に自分を傷つけないものであることを、ミツバはちゃんと知っていた。  
ミツバは微笑みながら彼の帯を握った。土方の手が、髪を撫でる。  
「目、つぶれ」  
そっと瞼を閉じると、額に柔らかく彼の唇を感じた。  
こめかみに、鼻に、やさしく唇を押し当てられ、やがて唇にもその感触がやって来る。  
何度も繰り返されて、彼のやり方などもうとっくに覚えてしまっている。  
それなのにいつもおなじようにせつない。  
彼も自分と同じ気持ちでいるだろうかと、ミツバはそっと瞼を持ち上げた。  
黒々としたその瞳と目が合った。  
「どうして開けんだよ」  
そこには少しだけ困ったような色が浮かんでいる。  
「だって」  
「十四郎さんがどんな顔しているのか見たいんだもの」  
「うっせーよ、見んな」  
大きな手のひらで目元を覆われ、また口づけられた。  
唇の間から彼の舌が入り込んでくる。手のひらの温度に眩暈がする。  
頬は熱くて、胸はやぶけそうに痛い。離れてしまいたくなくて、必死に彼の舌に答えた。  
目をふさがれているミツバの耳に同じ速さで刻まれる音が混じり合って大きく耳を打つ。  
もっとしっかりと隙間もなく彼に触れたい。ずっと奥のほうまで触れて欲しい。  
チュッと音を立てて離れた唇を目で追って、ミツバはいとおしさにため息を吐く。  
「どうして抱いてくれないの」  
声が、震えてしまった。  
「そうしたら、離れなれなくなっちまうだろ」  
 
静かな彼の声が、耳元でする。  
この声をきっといつまでも忘れないのだろうとミツバは思う。  
「そうしたら、もっと辛くなるだろ」  
(べつにかまわないのに。恨んだり、しないのに)  
「十四郎さんはやさしくて、…ひどい」  
ぎゅっと抱きついた。土方の心臓は先ほどよりももっと早い。  
江戸がどれほど遠いのか、そこにどれほどの大儀があるのかなんて、ミツバにはわからない。  
この気持ちより大切なものがあるなんて、わかりたくなんてなかった。  
(約束もしてくれないなんて、ひどい人)  
(でも好き)  
(大好き)  
(ずっと好き)  
「好きよ、十四郎さん。ずっとよ」  
耳元で彼の頷く気配がした。  
彼の肩に涙があとからあとから吸い込まれ、ぐしょぬれになってしまってもミツバはまだ泣いた。  
いつの間にか月は彼らの真上にあり、思い出したようにこおろぎが羽を擦り合わせて鳴いた。  
 
 
 
おしまい  
 

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