新八の黒い目が怒りに染まっていくのを妙はぼんやりと見ていた。
自分よりも少し背が高く、そして少しずつ筋肉のついてきた体が小刻みに震えているような気がした。
新八がこれ以上ないというほど、静かに怒っているにも関わらず、
それを見る妙の頭の中には彼の怒りを宥めるどんな言葉も浮かんでこない。
頭の大半を占めているのは、今日はもう手にすることのない金のことと、
金は貰えなくてもいいから誰かのかわりに新八が自分を抱いてくれないだろうかという二つのあさましい思いだった。
じっと妙を見つめる新八の目は黒々と濡れて光っているように見えて、まるで自分に欲情しているように思える。
ぞくぞくと背中が粟立つのを妙は感じていた。
心の中には、男を待っている場面を見られたという恥ずかしさも、焦りも、弟を裏切っているという罪悪感も、何もなかった。
新八は弟ではない。もはや弟と呼ぶには歪みすぎる思いを妙は飼っている。
烈しい新八の二つのまなこにネオンサインが映り込み、あやしい光を放っていた。
その光を見返しながら、この夜の街に新八は似合わないと今更妙は思った。
ここは新八のいていい場所ではない。
姉を心配して、姉を正そうと怒りをあらわにする、清い新八は、こんなところにいてはいけないのだ。
じりじりと妙の背を焼いていた欲の炎がさっと冷めた。
新八をすぐさま帰らせなければならない。
ゆっくりとくちびるを開き、かわいた舌を動かして、妙は新八が一分一秒でも早く自分を見捨てて帰ってくれるよう願いながら言葉を発した。
「新ちゃんが私の相手、してくれるの」
好色に見えるように、くちびるの端を釣り上げるのも忘れないでいると、
案の定、新八は一瞬虚をつかれたような表情をした後、より一層表情を険しくする。
心の中で妙は頷く。そう、それでいい。このまま自分に呆れたまま、踵を返してちょうだい。
ぶるぶると震えている腕が逡巡しているように見えたのは、それで妙の頬を殴ろうとしたからだろうか。
それでも優しい新八は妙を殴れない。
目を覚ませと言われて殴られるよりも、このままぐるりと背を向けて去っていってほしい。
男に抱かれたくてここにいる。金を目当てにここにいる。
しかし、新八は妙を抱かない。弟が姉を抱くなど彼の常識では有り得ないのだ。
金を無心すれば雀の涙の給料から渡してくるかもしれないが、それは妙の望むことではなかった。
新八では満たせない、妙が新八を好きである限り満たされない欲をどうにか満たしたくて、妙はここにいるのだ。
相変わらず新八の体はぶるぶると震えている。
内に溜まった怒りを落ち着けようと必死な新八が滑稽だった。
殴って落ち着くというのなら、殴ればいい。
新八の目の前にいるのはかつての妙ではないのだから。
いつか二人で歩いた帰り道、触れそうで触れない隣の指だけで満足していた妙はもうどこにもいない。
たぶん、死んでしまった。