太陽はとうに沈み、誰もが寝静まるころ、その太陽に代わり夜の街を照らすものがある。
夜の蝶――――――ホステスである。
そのホステスがたむろうキャバクラ練の一つ、スナックスマイルの一隅で、その店のキャバクラ嬢お妙は拳に力をこめ、額に青筋を立てて
いた。
横で、殴り倒されてものんきそうににこにこと笑っている男、近藤勲。
いくら撃退しても這い上がってくるゴキブリのような男だ。
「いやあ、お妙さんがこうして側にいてくれるなんて光栄だなあ」
「勝手に肩に手ぇ回してんじゃねぇぇぇぇ!!」
隣に座るお妙にキャバクラ嬢よろしく触れようとしたとたん、近藤は今日だけでも通算5回目になる殴打を受け、椅子からすざまじい勢い
で転げ落ちた。
それでもいつものことだと,なはは、と笑い飛ばし、平然と椅子に座り直す近藤を見て、さしものお妙も頬の筋肉がひきつるのを感じた。
しつこい。
この男はハイエナ並みにしつこい。
それでも心の奥底で、この追いつ追われつの関係を楽しんでる気がするのは何故だろう。
(私って実はマゾなのかしら)
そんなことをひっそりと頭の隅で呟いた時、それまでお妙に跳ね除けられ、所在なさげに空をさまよっていた近藤の手が、するりとお妙の
着物の合わせから忍びこんできた。
――油断した。
他の思考に気を取られ、近藤に対する注意を怠っていた。
それにしても―――
「何するの!?」
慌てて胸元をまさぐる手を押さえ、近藤の顔を見ると、思った通りべろんべろんに酔っ払っている。
顔が見るからに赤く染まり、息を吐くたびにどぎつい酒の臭いが鼻を掠める。
ストーカー化してるとはいえ、肝心なところで奥手な近藤が素面でこんな真似をするはずはないのだった。
売り上げ向上のため、とドンペリばかり注文させたのが裏目に出たらしい。
お妙はちっ、と軽く舌打ちするとさらに奥へ忍び込もうとする近藤の手を引っ張り、胸元からぐいと退けようとした。
が、
びくともしない。
そんなはずは、と更に力を込めて押しやろうとするが全く動かない。
それどころか、胸元の手は着物の更に奥へ奥へと忍び寄り、まさぐりの動作も激しくなってきている。
今や渾身の力を込めて押し返しているのに、逆に近藤は体重をかけてお妙に圧し掛かり、横になったことで肌蹴た裾野の隙間に胸元をまさ
ぐる手とは別の手を這わせた。
首筋に熱い吐息がかかる。
目は、獲物を捕らえたような獰猛な目をしていた。
近藤は―――――男なのだ。
そう悟った瞬間だった。
今まで意のままに撃退できていたのは、近藤が女だからと、惚れた相手だからと、手加減していたせいなのだろう。
思えば仮にも天下を守る真撰組の局長が女ごときに易々とやられるはずがなかったのである。
お妙はうっすらと額が汗ばむのを感じた。
即座に助けを呼ぼうと店内を見回したものの、店の隅に位置するこの席に誰も関心を払おうとしない。
しかも、相手はお妙。
男を襲うことはあっても、男に襲われることがあるなど誰も思いつきもしないのだ。
いつものようにお妙が近藤をボコりまくる”ストーカー撃退劇”が繰り広げられていると思っている。
最後の手段、と声を上げようとするが、奇しくも次の瞬間太ももを這いずりまわっていた右手で近藤に口を押さえられ、悲鳴となるはずだ
ったものは声らしい声とならずに近藤の太い指の間から密やかに漏れただけだった。
その間にも胸元の手は休むことをしらない。
お妙のしっとりとした柔肌に吸い付けられるように手を添え、左胸をやわやわと揉みほぐす。
時にはこねるように
時には押さえつけて嬲るように
その度お妙は熱いものが下半身からこみ上げてくるのを自覚せずにはいられなかった。
そして近藤の指先が乳房の突起に触れた時―――――
「んんーーーーーーーっ」
電流のようなものがお妙の全身を駆け抜けた。
びくん、と押さえつけられた体がしなる。
初めは乳房をまさぐる際に偶然当たってしまっているかのように感じた動きも、徐々に意図的に、集中的にその胸の突起を狙って嬲るよう
になっていく。
押さえ、こねまわし、ぐり、と指の先でひねる。
その指の一挙一動にお妙は過敏な反応を示し、びくびく、と陸に打ち上げられた魚のように跳ねた。
押さえつけられると痛いが、その奥から痛さとは違った快感が押し寄せてくるのを感じるし、しめった指でこねられれば、全身に電流のよ
うなものが走るのが分かる。
これまで体験したこともないような感覚にお妙は抑えきれない吐息を漏らし、この体の上にまたがる男を見つめた。
もう、限界だった。
早くこの、全身が熱くなるようなじれったさをどうにかしてほしい。
今まで押さえつけていた男を請うように見上げたが、近藤はますます胸への愛撫を激しくしていくだけだ。
違う。
もっと決定的なものがほしい。
そう言おうとしたが、それは快感で声にはならず、はふ、とまた熱い吐息を漏らすだけに終わった。
近藤はお妙の反応に気をよくしたのか、満足気に唇をなめた。
―――その時、近藤は掠れる頭の隅で考えていた。
ここはどこだろう。頭がぼんやりする。
周囲は騒がしいが、自分の近くだけは妙に静かだ。
目の前に、愛しい娘がいる。焦がれて、焦がれてやまない娘。
何故、目の前に娘がいるのだろうという疑問は浮かばなかった。
それよりも――なんて美しい姿を曝け出しているのだろう。
雪のような白い肢体にはうっすらと情欲の紅がともり、愛くるしい瞳は熱く濡れている。
手のひらに収まるほどの小さな胸をやんわりつかむと、はう、と熱い息を吐いた。
そして、娘がそびえ立つ自分の中心に、じれった気に手を伸ばした時、
もう止まらないかもしれない。
そう、感じた。
その時
「何してるの!」
その声で世界が崩壊した。
近藤とお妙は互いにハッ、と正気付き、慌てて身を起こす。
駆けてきたおりょうは、驚きに目を見張りながらお妙の衣服の乱れを直すと、周りにささ、と目を配り、誰一人その状況に気づいてないの
を見て取って、強張った小さな声で近藤に告げた。
「近藤さん、あなたはもううちの店には来ないいただけますか」
丁寧には言っているが、それは明らかな来店拒否の表示だった。
それだけのことをしたのだ。
近藤は、すっかり酔いのさめた顔で神妙に黙り込むしかなかった。
上着を羽織り、背を丸めて暖簾をくぐる。
その背中を、お妙は不思議な気持ちで見つめていた。
「ごめんね、お妙。私がもっと早く気づいてれば―――」
すまなさそうに謝るおりょうにううん、と小さく首を振り、立ち上がるとパンパンと裾をはたいた。
「悪いけど、私先に上がるわ」
「当然よ。ゆっくり休んでね。気にしちゃだめよ」
心配し、励まそうとするおりょうに力なく微笑むと、お妙は店を後にした。
店の戸を開けると、一気に夜の寒気が流れ込み、お妙の火照った頭を冷却してゆく。
あの時、私は何をしようとしたのだろう。
体が痺れ、頬が熱くなり、上も下も分からなくなるくらいめちゃくちゃにしてほしい、と思った。
あの、獰猛な獣に食べられたいと思った。
ここが人のいる店であることを忘れ、あの男に抱かれたいと思った。
真夜中の冬の夜、人通りのない道で夜の風に吹かれ、頭は冴えるばかりだ。
それでも胸が疼くこの気持ちは収まりそうにない。
北風が時おり正面から吹きつけ、道の端の暖簾をはたはたと靡かせる。
遠い空には満月がかかっており、江戸のそんな情景を煌々と映し出した。
お妙が初めて近藤に男を感じたのは―――そんな夜だった。