あれから帰国した後、まず私がやったのはマスコミへの対応だった。  
無敗の女帝に勝つという偉業を成し遂げたってのに、オリンピックのことについての質問  
のほうが多かったってえのはどういうわけよ。  
まあそのあたりは予想済みで帰りの飛行機の中で考えていたてきとうな言葉であし払った  
けど。  
 さて、御礼廻りもあらかた済んで、高島コーチの家でくつろいでた(そうそうっ、帰宅  
直後の二人の喜びようといったら……って、言わなくてもわかるわよね)  
私はあの(いい年してホスト好きな)年増から受け取ったアニメのDVDを着々と消費し  
てたんだけど、にわかにリビングが騒がしくなったの。  
泣く泣くテレビに別れを告げて、何事なの、と赴くと高島コーチが電話を持って立ってい  
た。  
……なんだかずいぶんと挙動不審なんだけど。  
街で見かけたらおもむろに携帯の三つのボタンを押したくなるわね、これは。  
でもコーチの言葉を聞くと私も内心動揺した  
電話の相手は私にで、しかしただの人間じゃあなかったの。  
 
相手は…………リア・ガーネット・ジュイティエフ。  
 
                 *  *  *  
 
 私は飛行機の中にいた。なぜかって? そりゃ二時間前……  
 
                 *  *  *  
 
「来て」  
 第一声がそれだった。  
「リアなの?」  
「タズサ今すぐ来て」  
自分の心臓が早鐘を打つのを感じていた。けれどつとめて冷静な声で聞く。  
……表面上は。  
「今はペテルブルグ?」  
「そう」  
 肯定の返事。  
こちらも返事を返すやいなや受話器を置いた。  
自分の部屋へとダッシュで戻る。  
貴女にそうまで言われちゃこっちだって引き下がれないわよ。  
……何を考えてんのかさっぱり判らないけどね。  
 
                 *  *  *  
 
 空港を出ると待ってましたとばかりにリアの代理人、ジョンさんがいた。  
何時から居たのと聞けばついさっきだってさ。  
私が一番早いロシア行きの便を使って来るだろうって予期して待機していたらしい。  
さっすがリアの代理人。でも……  
「私が明日の便だったとか……そういうことは考えなかったんですか?」  
 それを聞くとジョンさんは微笑し、  
「いつまででも待ちますよ。だって貴女はお嬢様のご友人ですから」  
 ワオ、すっごいわね、執事の鑑……って  
「ジョンさん、あなた使用人ぶりに磨きがかかってない?」  
失礼かなとも思ったけど、彼は今度は声を上げて笑った。  
「確かに……そうかもしれませんね」  
 
                 *  *  *  
 
「それでは私はここで」  
 相も変わらずお城のような家の前まで来るとジョンさんが言った。  
「ジョンさんは来られないんですか?」  
「素敵な淑女たちの、それも友人同士の夜に無粋なまねはしませんよ。って実は私たち使  
用人は今日と明日の2日間は休みを戴いているんですがね。」  
「友人……なんでしょうか」  
 ぽつり、と。  
ここに来て弱音。……私らしくもない。彼もいい迷惑でしょうに。  
「私の、あくまで私の意見なのですが……」  
 珍しく逡巡している。いったい何かしら。  
「この前に貴女がここに来られたとき、確かに貴女はお嬢様の唯一無二のご友人でした。  
しかし私は判らないのです。ほんの一月とちょっと前。帰ってくるなりお嬢様の様子がお  
かしかった。顔には出しませんでしたが私にはすぐに判りました。お嬢様は怒って……激  
昂しておられたといって差し支えないでしょう。使用人が誰も近づけなかったのが何より  
の証拠です。事実私もそうでした。怖かったのです。お嬢様の中にあれほどの人間を見た  
のは初めてだったのだから。」  
 一度言葉を切った。でもまだ懺悔は続く。  
「声すら掛けることができませんでした。貴女と何かがあったのは明白だったというのに。  
私の役割はお嬢様の話を聞いてあげることであったのにそれすらっ!」  
 静寂。とても短く、けれどどこか長い。  
「お嬢様をお救い下さい」  
 彼の口から出まれてきたのは切望だった。  
「このような願いを言えた立場でないのは重々承知です。しかしあれ以来開きかけていた  
彼女の世界は元よりも深く閉ざされてしまった。あの方の心を再び明けることができるの  
は御両親でも、ましてや私でもなく……」  
 それ以上は言わせなかった。その代わりといっては何だけど、一言。  
「行ってくるわ」  
 返事を待たずに車を出た。  
 
                 *  *  *  
 
 お城のなかで出迎えてくれたのはドレスを着たお姫様だった。  
いつも人形のように美しいリア姫。けれど今日は──  
「いらっしゃい」  
 そう言うと彼女は後ろを向いた。  
ついて来いってわけね。いいわ、やってやろうじゃない。  
   
 そんな気概とは裏腹にやってきたるは食事室。  
テーブルに乗っているのはどこぞの国の宮殿並みの豪華料理。  
「これ、まさかリアが?」  
 違うと判っていても一応言っておく。さっきからの重い空気に耐えらそうにないから。  
「違う」  
 案の定の否定。  
「でも運んだのは私。こんな事したのは久しぶり」  
 そりゃあそうだこの家にはほかに誰も居ないし料理には湯気が立ち込めている。  
私は恐れ多くもお姫様に食事の準備をさせたってわけだ。  
どれくらいの罪なんだろうって馬鹿なことを考えていると、冷めないうちに食べようとい  
うリアの声。  
 豪勢な椅子に座るとリアに倣って食べ始める。作りおきとは思えない豪華さと美味しさ  
だ。やっぱり専用のコックもいるんだろうなあ。  
「あのあと……」  
 現実へと引き戻される。  
「色々考えた。何でタズサはあんな事を言ったのだろうって」  
 いうまでもなく東京の五十階の夜でのこと。  
「タズサの言葉を聞いた瞬間裏切られたと最初は思った。いまではよく分からない」  
「ねえ、リア。私は貴女を裏切ったつもりは──」  
「わかってる。だからここに呼んだ」  
 しばしの無音。  
「貴女が男子にいくって聞いたとき私も裏切られたって思った。ううん、それ以上に悔し  
かった。だってリアは私をライバルとは見ていなかったんだって。わかっちゃったから」  
「そんなこと……ない。私は貴女を──」  
「今となっては……」  
 わかっていて遮る。彼女の言葉を。  
「わかる……気がする。だから此処へ来たの」  
 
「「ごめんなさい」」  
 
 声が重なる。  
 私は笑った。柄にもなく穏やかに。  
 
  それから私たちは一緒にお風呂に入った。  
殆ど喋らなかったけどいいの。ボタンの掛け違いは直ったのよ。  
これからゆっくりとでもいいじゃない。  
 前世からの宿命であるかのように、同じベッドに潜り込んだ(このベッド何人くらい眠  
れるんだろ。相変わらずすごい大きさだわ)  
 今日はリアがいようがすぐに眠れそう。色々あって疲れたし。  
おやすみ、リア。そう言おうとベッドの中で寝返りを打った瞬間。  
「ん──」  
 柔らかいものが唇に  
目の前にはリアの顔。つまり、今あたってるのは。  
 リ、リアの、く、く……くちび────  
「んはぁ──」  
 電気をつけるとやっぱり無表情なリア。けれど少し……顔が赤い?  
「二回目」  
「な、なにが?」  
 自分の心音が聞こえる。うわあ滅茶苦茶早い。マウス並みだわ。  
「キスよ。船の上でもしてくれた」  
「って、あの時寝てたじゃないっ!」  
 ええそうよ、したわよ、しましたともっ!  
だいたいショーツ一枚で人の布団に入ってくるなんて誘ってるみたいじゃないっ!  
 いやまてまてっ。ということはあの事も──  
「あのとき、タズサが私の体をあちこち触ったとき、何か変な感じだった。……うまく説  
明できないけど」  
 ……や、やっぱし。  
「タズサ」  
「な、なに」  
 改めて名前だけ呼ばれると怖いものがあるわね。  
まあいいわ。ばれちゃったんだから、あとは野となれ山となれ、よ。  
「あれはなんだったの?」  
「あれって?」  
「だから私の体を触ったの」  
 ──ん?  
なにか重要な……………………まさか!  
「リア、貴女どうやって子供ができるのか、知ってる?」  
 可憐な唇から紡がれたのは最高の答えだった。私にとって、だけど。  
「知らない」  
 
 ま、ここで男と女が云々言っても仕方ないし(何より私が望まない、断じて!)彼女に  
聞くことにした。  
「私のこと好き?」  
 こく、と。間髪を入れずに首を縦に振ってくれた。スッゴク嬉しかったけどここで喜ぶ  
のはまだ早い。  
「私も好きよ、大好き。じゃあもうひとつ聞くわね。私を愛してる?」  
「…………………………わからない」  
「なら愛したい?」  
 もう一度、ちょっと間を空けて彼女は首を振った。  
──縦へと。  
 このとき私の心で爆発した感情が私にリアをどう想っているのか教えてくれた。  
ああ、ドキドキしてきたっ。試合前の緊張なんて蟻みたいなもんね。  
「もう一個質問。ごめんね何回も」  
「構わない」  
 ふるふると首を横に振る。その仕草がすっごくキュートで抱きしめそうになったけど、  
もうっ、少しくらい我慢してよ、私の理性!  
「キスには2種類あるのよ。ひとつはリアが今やったもの。もうひとつは分かる?」  
 思ったとおりリアは再度首を横に振る。よしよし。  
「じゃあ教えてあげる。でも約束して。  
コレは愛する人にじゃないとやってはいけないのよ、分かった?」  
「分かった……タズサだけにする」  
 
 ──生きててよかったぁ。  
 
                 *  *  *  
 
 私の唇が彼女のそれを覆った。  
初めに感じたのは途方もない喜び。それとちょっぴりの罪悪感。  
例えるなら……そうね、一面の新雪に初めて足跡をつけるときのよう。  
 ベッドから起き上がる。  
「それじゃ、タズサ先生の人の愛しかたの授業を始めます」  
 だから隠した。わざとおどけて罪悪感を。  
こくこく、とあお向けのままリアは頷く。とても真剣な表情。まるで演技前のようね。  
「まずはキスについて。さっきリアや私がしたのは好きな人へのキス」  
 何を偉そうに。自分もしたことないくせに。  
「今からするのは恋人へのキスよ。じゃ、いくわね」  
 今日三度目の歓び。  
けれど今までとは明らかに違う。  
私の舌が彼女の口内へと入っていく。  
未知の感覚に恐れているのか私を拒もうとする。  
言葉の代わりに抱きしめてあげる。ネグリジェ一枚の小さな体を。  
 
ギュっと。  
 
安心したのかな。もう突き飛ばそうとはしなかった。  
その顔は天使みたいに穏やかだった。  
それに満足した私は愛撫を再開する。  
リアの口の中は狭い。  
でもそれだけに何処にでも舌は届く。  
 手始めに上の歯ぐきの裏を舐める。  
「んぅ──」  
 リアが甘い息を漏らす。それが私の中に入ってくる。  
こんなの興奮するなってのが無理でしょ?  
 勢いづいた私の気持ちは舌へと伝わる。  
定位置に収まっているリアの舌に目をつけ、私の舌を絡めあわせて無理やり引きずり出す。  
 口は小さいけど…………舌は結構長いわね。  
このまま続けてもいいけど……  
一度唇を離すことにした。  
「っは、ん、……んちゅ、っぷぁ──」  
 私たちの唇が離れた。名残惜しい。  
「──ケホッ、コフッ」  
「ど、どうしたのリアっ、大丈夫?」  
「へ、平気。息をするの忘れてただけ」  
 忘れてた、って夢中になってたからわかんないけど3、4分は経ってるんじゃないの。  
つくづく凄い、この子は。  
「今の……」  
「どうしたの? 気持ち良くなかった?」  
 あっちゃー、露骨だったかな。デリカシーの欠片もないわ。  
……こんな事しといてなんだけど。  
「ううん。ただ頭がボーっとなってそれで息を忘れただけ」  
「気をつけてね」  
 コクリと頷くリア。  
「コレが恋人同士のキス?」  
「うんそうよ。どうかしら?」  
「顔が熱い。それに体も……ボルシチを食べたあとみたい」  
「それでいいの。さ、次はリアからもしてくれる?」  
「わかった」  
   
 
 私もリアと同じくベッドに倒れた途端にリアのほうから唇を合わせてきた。  
私もそれに応える。  
さっきと違うのはリアを中心とした絡み合いだってこと。  
おずおずと小動物が危険がないかを確認するような動作でリアの舌が私の中に入ってくる。  
 彼女に身を任せてみる。  
探るようにゆっくりと。  
「ぅぁん」  
 うわぁ、思わず声が。でもリアからしてくれるの凄く気持ちよくて……素敵。  
リアも今の私の声を聞いて嬉しかったのかな。  
そのあたりはよく分からないけどにわかに彼女は積極的になっていった。  
「ん……ちゅるっ、んはぁ……んむ…………にゅぷ、くちゅ」  
 この広い部屋に天使が響かせる淫猥な水音と吐息。  
その声に我慢できなくなった私は我慢できなくなって少しだけ進んで舌を絡ませあう。  
「ピチュ、ちゅぱ………………にちゅ、んぁ、んぅ…………ぁん」  
 堕天使となったリアは可愛い嬌声を上げる。  
私は胸にたまっていたものが堪え切れなくて舌を口内から出すと、代わりにリアの唇を責  
めた。  
彼女の下くちびるの表面を舐めまわす。  
リアはどこかじれったそうに体を揺すっている。  
そんなに切なそうな目をしなくても今からしてあげるから、ね?  
下くちびると歯茎の間の左のほうに舌を割り込ませると、  
間髪入れずに私は舌を右へと高速でスライドさせた。  
 
「ゃ、ぁんぁぁぁぁぁぁぁ!」   
その瞬間明らかにリアの声質が変わった。  
口を離してみると熱にやられたように目は焦点を定めていない。  
「口の端からよだれが垂れてるわよ。みっともないわ、リア。いつもの澄ましたあなたは  
何処へ行ってしまったの?」  
 今の……もしかして絶頂に達した?  
ちょっと羨ましいかも。  
……私だって経験した事ないのに。素質があるのかもね。  
「ここね、リアの弱点は。もっとしてあげるわね」  
「……て、まって、た、ズサ。あたま、しろく、な、て……もど、てないか、ら」  
「しようがないわね」  
 
 
 五分後。  
落ち着いた私は、タズサを抱きしめた。彼女も同じようにしてくれた。  
どちらとも無く離れると私はぽつりと語る。  
「すごかった」  
「イった時のこと?」  
「イク?」  
「さっきのリアみたいな状態の事。頭が真っ白になったんでしょ?」  
「ええ。何も考えられなくて……怖かった」  
「リアにも怖いものがあるのね」  
「私だって人間」  
「あはは、そりゃそうね、ほかにも怖いものってあるの?」  
「ある」  
「へぇ、どんな?」  
「それは……」  
「それは?」  
 タズサが身を乗り出してきた。顔には微笑み。彼女は私に無いものを多く持っている。  
8ヶ月ほど前、恐怖は確かにあった。それは他ならぬタズサが生み出した。  
 
けれど……  
「教えない」  
 なんでだろ、タズサ、意地悪のつもりなのにそんな笑みを浮かべて。  
そういえば私も頬が緩んでいる……ような。  
また、タズサが抱きついてきた。いい匂い。  
 私も抱きしめ返す。  
ふと耳元で彼女の声。  
それは少しの不安と多大な嬉しさと魅力に満ちた言葉だ。  
「夜はまだ長いわね」  
 もう一度キスをした。  
それはタズサに教わったものじゃなく、唇があたる程度の──  
 

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