「桜野タズサさんですね」  
男が突然声をかけて来た。  
サングラスに黒服、黒ネクタイ。上から下まで真っ黒なカラスのような男だ。当然私の知り合いにこんな男はいない。  
私のファンだろうか?  
まさか。そんなことがありえないのは私自身が一番よく理解していた。  
「あの、なにか?」  
私は意識して笑顔を作り男に微笑み返す。  
「ぶしつけなお願いですが、あなたに一緒に来てもらいたいのです。あなたに会いたがっている方がいらっしゃるのです。」  
怪しい。いや、怪しいを通り越して滑稽ですらある。こんな誘いに乗る者は、いまどき小学生にもいないであろう。  
「残念ですが、それはまた次の機会ということで」  
関わりたくない。  
私は100億ドルの美貌に笑みを浮かべ、そそくさとその場を立ち去ろうとした。  
「その相手が至籐響子だったとしてもですか?」  
男の言葉に私の足がぴたりと止まる。  
―――――――――――――至籐響子。  
私とトリノオリンピック女子シングルの出場枠をかけてHNK杯、全日本選手権で競い合ったライバルである。  
結果私は勝利し、彼女は敗れた。  
そして表舞台から姿を消したのである。  
私は振り返り男の顔を見つめた。もう笑みは浮かべていない。  
「どうぞ、車にお乗りください」  
男はそういって深々と頭を下げたのだった。  
 
リムジン、というのであろうか。  
私を乗せた高級そうな黒塗りの車はすいすいと他の車を追い越していった。  
こんな誘いに乗るなんて正気の沙汰ではない。  
でも私はどうしても至籐に会いたかった。会って話をしたかった。  
 
どのくらい走ったであろうか。  
車は目的の場所に付いたのか、その動きを止めた。  
「ここって・・・」  
そこはよくテレビとかで見る半球状の建物だった。  
「はい、東京ドームです。・・・こちらへどうぞ」  
エレベーターに乗り込んだ私たちは地下へと降りていった。  
・・・おかしい。地下7階?東京ドームは地下2階までしかないはずなのに。  
そしてエレベーターの扉が開いた。  
 
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」  
私は目の前の光景に言葉を失った。  
そこは巨大なスケートリンクだった。観客も超満員で、異様な熱気に包まれている。  
「こんな場所が・・・」  
「こちらへどうぞ。VIP席が用意してあります」  
その異様な熱気に当てられた私は促されるままにその椅子に座り込んだ。  
 
ビーーーーーーーーーーーーーー  
開演のブザーが響き渡る。会場のざわめきが引いていった。  
 
流れてきた音楽。  
「革命令嬢・・・」  
私は呟いた。そう、これは至籐の曲、革命令嬢だ。  
そして大歓声に包まれリンクに現れたのは紛れもなく・・・・・・  
「至籐!!」  
私は思わず立ち上がり叫んでいた。  
至籐は清純そうな真っ白いコスチュームに身を包み、リンクに滑り出した。  
緩くウェーブのかかった髪が風に舞う。  
その滑りは相変わらず優雅であり・・・・・・?  
「え?」  
私は異変に気がついた。至籐の動きがおかしい。動きが硬いというか、重い。スピードにも乗っていない。  
私は至籐の様子をもっとよく観察しようと目を凝らし、  
「ひっ!?」  
悲鳴を上げた。  
まず目を引くのはその腹部だ。うらやましいくらいにスレンダーだった至籐のおなかが、ぽっこりと不自然に膨らんでいる。  
まさか妊娠しているのであろうか?だとすればそんな体で演技をするなんて無謀だ。  
至籐の表情もおかしい。観客を魅了してきたあの自信に満ちた笑顔がない。まるで観客に媚びるかのような卑屈な笑みを浮かべている。  
そして何かに耐えるように唇を強くかみ締めている。  
よく見るとコスチュームを押し上げる胸の頂点にはうっすらとポッチが見える。  
至籐が音楽に合わせて左足を高く上げた。歓声が沸く。  
「ちょっとなによあれ・・・」  
至籐の股間に黒い何かが突き刺さっている。私は使ったことはもちろん見たこともないが、あれはバイブというものではないであろうか。  
彼女はそれをくわえ込んだ自分の股間を見せ付けるように足を高く上げ、震えながらリンクをゆっくりと一周しはじめた。  
 
一周し終わると、至籐は片方のひざを曲げ、もう片方の足は後ろに引いて伸ばした姿勢で、両足のトウを外側に大きく開いて横に滑りながら、大きく反り返った。  
俗にいうイナバウアーというやつである。  
至籐は反り返ったためにおおきく強調された胸に自ら両手を伸ばした。柔らかそうなふくらみを乱暴に揉みまくり、指先で乳首を強くつまむ。  
それを見て観客が楽しそうに顔をゆがめながら拍手をする。もちろん私の知る限りフィギュアにこんな技はない。  
「いいぞーーーーー!変態令嬢!!」  
悪口には慣れっこの私ですら思わず耳をふさぎたくなるような口汚いヤジが飛ぶ。  
至籐はそれが聞こえているのかいないのか次の技に移っていた。  
上半身を大きく前に倒し手で自らの足首を掴む。そうすると必然的に腰が高く突き出されることになる。  
まるで男に犯して欲しいといわんばかりの浅ましい格好である。  
バイブが突き刺さっている股間がわずかに濡れているように見えたのは私の気のせいだったであろうか。  
 
至籐がちょうど私の前に来たとき、俯いていた顔をわずかに上げた。  
その瞬間確かに私と目が合った。  
そのときの至籐の表情を私は永遠に忘れられないであろう。あの至籐が絶望的な、今にも泣きそうな顔をした後、あわてて目を逸らした。  
私はいったいどんな表情をしていたのであろうか。私はただ呆然と彼女を見送るしかなかった。  
「タズサ様」  
気がつくと私のすぐ隣に例の黒服が立っていた。  
その手には何かボタンのようなものを持っており、それを私に差し出している。  
これを私に押せということであろうか。  
思考能力が低下していた私は催眠術にでもかかったようなゆっくりとした動作でそれを押していた。  
するとすぐに大きな歓声が沸きあがった。  
視線をリンクに戻すと、至籐が苦しそうに股間を押さえながら前かがみに滑っている。その表情は長い髪に隠れてしまってよく見えない。  
次の瞬間、  
「あっ!!」  
至籐が転倒した。会場もざわめきに包まれる。  
だが本当の惨事はこれからだった。  
尻餅をついた至籐から茶色い液体があふれ出したのだ。それがなんなのかわからないほど私も馬鹿ではない。  
それは至籐の着ている純白のコスチュームを茶褐色に染め上げ、さらには至籐を中心に氷の上をどんどん広がっていく。  
至籐はそれを抑えることができないのか、リンクにへたれこんだまま動かないでただただ震えながら無様に垂れ流すだけ。  
割れんばかりの大歓声と拍手と嘲笑があたりを支配した。  
 
人の体の中にこれだけの量が入るものなのかと感心するくらいにあたり一面を茶色く染め上げてから、至籐は健気にも立ちあがった。  
ふたたび拍手が沸き起こる。  
至籐の腹は引っ込んでおり、いつも通りのスレンダーな体型に戻っている。  
しかしその代わり今度は濃い茶色に染まったお尻の部分が不自然に膨らんでいた。  
そのまま演技を続ける至籐の顔は恥ずかしげではあるが、どこかすっきりとした表情をしている。  
そんな至籐の姿は、女の私から見ても劣情を抱かせるような妙な色気をはなっていた。  
まさに匂い経つような色気だった。  
 
 

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