昔から、私はなんでも出来た子供だった。
成績はクラス――いや、学区内でも一番良く、多分日本中で考えても上位だっただろう。
身長は低いが身体能力は低くなく、短距離走で全国大会に出た事もある。
『アキラちゃん、すごいねー』
他人は、私の事を恵まれていると言う。
なるほど、確かに私の家は裕福だ。
勉強は家庭教師が付きっ切りで見てくれたし、運動も学習の一環として鍛えられた結果だった。
他人から見れば、恵まれている環境なのだろう。
でも、私は自分が恵まれていると思ったことは無い。
両親は仕事にかかりっきりで、一緒に食卓を囲んだ記憶すら無い。
家庭教師達はあくまでビジネスとして私に付き合い、それ以外の事を教えようとはしなかった。
それが両親の希望なのか、それとも無愛想な私と一緒に居たくなかっただけなのかは知らないが。
おかげで、5人いた家庭教師の名前はまったく覚えていない。
もしかしたら、最初から名乗っていなかったのかもしれない。
それでも、家庭教師としての仕事はきっちりと行い、私の知的好奇心を満たしてくれたのはありがたかった。
居心地が悪かろうが、興味が持てるだけマシだった。
ツマラナイ学校に比べれば、だが。
『アキラに任せておけばいだろ』
『アキラちゃんは私たちと違うもんねー』
友人という名の仮面を被ったその子達は、面倒な事は全て私に押し付けていった。
別に難しい事ではないのに。
調べれば簡単に終わるのに。
やれば出来るはずなのに。
面倒な事はしたくない、という理由だけで、彼らは全てを私に押し付けた。
押し付けられた事自体は、別に気にしていない。
学校の授業はすでに家庭教師から学んでいたし、いいヒマ潰しになったから。
だけど、どうしても理解出来なかった。
なぜ、自分でやろうとしないのか。
難しいのなら、手伝うから。
分からない事があるなら、教えるから。
そう言って、一緒にやるように促したけれど、誰も一緒にやることは無かった。
結局、そう言う事自体が面倒になって、私は何も言わなくなった。
無駄な努力に時間を割く事ほど、意味が無いものは無いと知っていたから。
そんなツマラナイ学校と、居心地の悪い家を往復するだけの日々。
それでも当時の私は、それが普通なのだと思っていた。
そう、彼に会うまでは――
『ヒーローにならないか?』
***
……PiPiPi……PiPiPi……
断続的に聞こえてくる電子音に、私の意識は急速に現実へと引き戻されていく。
「ん……」
カーテンの隙間から漏れる陽光に目を細めながら、私はゆっくりと身体を起こした。
そのまま、聞き慣れた電子音を奏でる目覚まし時計を乱暴に叩いて黙らせる。
「……変な夢」
溜息と共に呟いて、私はおおきく背伸びをする。
今更、あんな夢を見るとは思わなかった。
もう、思い出すこともないと思っていたのに。
「ふう……」
背伸びの終わりと共に、もう一度溜息が漏れ出た。
八つ当たり気味に叩いた目覚まし時計に視線を落とすと、仰向けに倒れている以外は何事も無かったかのように正確な時間を刻んでいた。
100均で買ったやぼったい時計だが、その頑丈さだけは褒めてやってもいい。
――まるでどこかの誰かみたいだ。
そんな事を考えつつ、いつもの時間である事を確認してベッドから抜け出す。
今日は休日だが、そんな事は関係ない。
日課は毎日続けてこそ意味があるのだから。
年季の入った黒いジャージに身を包み、使い古した運動靴の紐を結ぶ。
毎朝のジョギング。
それが一人暮らしを始めてからの日課だった。
トレーニングと――パトロールを兼ねて。
「行ってきます」
誰もいない部屋に向けてそう言うと、私は準備運動もそこそこに走り出す。
休みの日くらいゆっくりしたら? と言う人もいるけれど、私はそうは思わない。
そして、彼もそう言わないだろう。
休日だろうが、祝日だろうが。
雨が降ろうが、台風が来ようが。
槍が降ろうが、砲弾が降ろうが……いや、これはさすがに元凶を探すけど。
まあ、とにかく、彼はきっとこう言うのだ。
ヒーローに休日は無い――と。
***
マンション前の道路から商店街を抜けて、河川敷まで。
それがいつものコース。
まだ早朝だというのに、商店街にはすでに仕事を始めている人の姿があった。
「おはよう、アキラちゃん。今日も早いね」
声の方向に顔を向けると、行きつけの八百屋の店主が人懐っこい笑顔でこちらを見ていた。
「おはようございます、八百屋のおじさん」
「毎朝、頑張るねぇ。さすがは正義の味方。こりゃ俺もうかうかしてられないな」
「おじさんは運動より先にダイエットすべきだと思う」
「はは、確かに。最近は下っ端スーツ着るのも一苦労でさ」
ちなみにこの人、悪の組織の下っ端23号だったりする。
というか、この商店街の男連中ほとんどが悪の組織に所属している。
この町に来た当初は悪の組織に属している人が普通に暮らしているのを見てびっくりしたものだが、当人達曰く、
『それはそれ、これはこれ』
という事で、今ではすっかり慣れてしまった。
「お、アキラちゃんじゃねーか」
八百屋の向かいにある魚屋から、これまた見知った顔の店主が声をかけてきた。
勿論、彼も(以下略
「おいおい、八百屋の旦那。アキラちゃんのトレーニングの邪魔しちゃ駄目だろ」
「ちょっと挨拶しただけで邪魔なんてしてないさ」
「どうだか……この前も野菜オマケして、手加減してもらおうとか考えてたくせに」
「な! そ、そういうあんただってサービスしてただろ!」
「ふ、甘いな八百屋。俺は『優先的に俺を狙ってもらう』為にサービスしたのさ!」
「な、なんだってー!」
「……」
前言撤回。あまり慣れてません。
まあ、彼らは彼らなりに充実してるみたいなので、変なストレスを溜め込むよりは、これはこれでありなのかもしれない。
「あんた、エーコ様FCの誓いを忘れたのか! 『その11:エーコ様以外に踏まれてはならない』を!」
「忘れてなどない! だが戦闘中にヒーローにやられるのは下っ端戦闘員の仕事であり義務であり不可抗力だ!」
「くっ! た、確かにその通りだが……」
「エーコ様に踏まれるのは幸せだ……だが、毎回毎回メインディッシュだけではマンネリで飽きが来てしまう! お前だってたまには甘いデザートを食べたくなるだろう!」
「――っ!」
「エーコ様とアキラちゃん、交互に踏まれ、そして蹴られて事こそ、真の下っ端道を極める事が出来るのだ!」
「そ、そうか! そうだったのか!」
ビシッ! と私――の足を指差しながら力説する魚屋の店主。
それを感激した面持ちで見つめる八百屋の店主。
……今ここで止めを刺すべきかどうか悩んでいるのは内緒だ。
いや、それはそれで喜ばれそうな気もするけど。
「……じゃあ、私行きます」
「おう、アキラちゃん、頑張りなよ! 今度はもっと強く蹴ってくれよ!」
「あ、アキラちゃん、僕にも強く蹴っていいからね」
「分かってくれたか、八百屋の旦那!」
「ああ、兄貴! 一生ついていきやす!」
なんというか……世界は思ったよりも平和だと思う。
とりあえず、今度から二人のサービスは断ろう、うん。
「さてと……」
道草を食った分、少しペースを上げて走りだす。
このままだと、いつもの時間に間に合わない。
私は腕を大きく振ると、強く地面を蹴った。
同年代の子よりも軽く小さい身体は、私の意志通りに加速する。
スピードに乗ったまま商店街を駆け抜け、路地裏を抜け、河川敷の方へ向かう。
これなら約束の時間には間に合うだろうが、それでもペースを緩める事はしない。
そして、川縁の土手を越えて開けた視界の先に――
「……お、きたきた。遅かったですね」
河川敷にある遊歩道で、彼はいつものように待っていた。
タオルを首にかけて、ゆっくりとした動きでストレッチをしながらこちらに語りかけてくる。
「うん……ちょっとね」
さすがに悪の組織の人と世間話してました、とは言えず、私は息を整えながら曖昧な返事を返す。
決めていた時間は朝の6時。
ちなみにまだ6時にはなっていない。
それでも彼は、当たり前のように私を待っていた。
……それが分かっていたから、私も急いだのだけど。
歯切れの悪い私の言葉に疑問符を浮かべながらも、彼がそれ以上追及することは無かった。
「……よし、じゃあ今日もやりますか、アキラさん」
私の息が整ってきた事を確認すると、彼は私に向かって拳を構える。
さすがに毎日続けている分、構えだけは様になってきた。
「今日こそ一本取りますよ」
「やれるもんならやってみなさい、ヒカル」
彼の名は緑川ヒカル。
最近、ヒーローになったばかりの新人であり――そして、私がヒーローになるキッカケを作った人物だ。
***
ヒカルと一緒にトレーニングをするようになったのは、彼がギガグリーンを受け継いでから暫くしてのことだった。
ある日、真剣な顔で私に近づいてきたかと思うと、
『黒澤さん、お願いがあるんですが』
『緑川君……何?』
『お、俺に手取り足取り教えてください!』
『……暴漢を撃退する方法なら、今ここでその身に叩き込んであげるけど』
言い方は紛らわしい(というか完全にアウトだ)が、要はどのようなトレーニングをしているのか教えて欲しいという事だった。
元々、トレーニングはしていたらしいが、さすがに自己流では不安だったようで私に尋ねたらしい。
とは言っても、私も別に特別なトレーニングをしている訳ではない。
とにかく鍛えたいと言うのであれば、赤井さん辺りに教えを請うべきだと伝えたのだが……
『あの人、真顔で太平洋を走って往復して来いって冗談しか言ってくれないので……』
……それが冗談かどうかは、彼の為に黙っておいた。
本気だと分かれば、やりかねないし。
『それで私に聞きに来た、と』
『そうです。他のメンバーに聞こうかとも考えたんですが……』
『……あの二人はあまり参考にならないわね』
青島さんはトレーニングではなく、ギガスーツ(変身スーツ)を改造する事で戦闘能力を高めている。
技術部に内緒で勝手に改造しているので、その技術部の評判はすこぶる悪いのだが、その改造の腕は確かであり、青島さんが作ったものが技術部にフィードバックされて、正式採用された武器も少なくない。
……問題は自分のスーツだけでなく、他人のスーツまで改造したがるという事だが。
うっかり彼に強くなりたいなんて言ってしまったが最後、
『とりあえずドリルつけるか』
何て事になりかねない。
多分強くなるのだろうが、どう考えてもマッドサイエンティストの発想だ。
ちなみに私のスーツに勝手にミサイルを取り付けた時は、即座に全弾を青島さんにお返しした。
どこに付けられていたかは聞かないで。とゆーか、聞くな。
『青島さんは言わずもがな、横山さんも……』
『あの人も特殊だしね……』
横山さんはパッと見て何か目立つ技能は無い。
運動能力は平凡だし、頭もよくは無い……というか、ちょっと弱い。
秀でていると言えば、スタイル位……いや、私だってあと数年すればあの位は――と、話が逸れた。
とにかく、彼女は普通の人だ。
唯一つ、ギガスーツとの相性が信じられないくらい良い、という点を除けば。
ギガスーツにも相性があり、同じくらいの強さの人が着たとしても、相性の良い方が最終的には強くなる。
生身での戦闘能力で言えば、横山さんはギガレンジャーの5人の中で最弱なのは間違いない。
でもギガスーツを着ると、横山さんの戦闘能力は一気に跳ね上がる。
単純な力比べなら、ギガレッド以上かもしれない。
それほど、彼女とギガスーツの相性はいいのだ。
一度、彼女になにかトレーニングをしているのか聞いたことがあるのだが、
『食う、寝る、遊ぶ』
豚になれ――危ない危ない、うっかり本音が漏れた。
つまりは何もトレーニングしなくても普通に戦えるくらい、彼女はスーツとの相性がよいのだ。
それはもう、ギガスーツに愛されていると言っていいほどに。
ギガレンジャーになるには身体能力も大事だが、この相性も同じくらい重要になる。
いくら身体能力が高くても、相性が低ければギガレンジャーにはなれない。
ちなみにヒカルはスーツの相性が最低基準に達していなかったのだが、今後に期待と言う事で入隊を許された過去がある。
私にトレーニングのやり方を聞きに来たのも、その事に負い目があったからだろう。
『まあ、教えるくらいなら別にいいけど……』
『本当ですか、黒澤さん!』
『でも、一つだけ条件がある』
『な、なんですか』
教える事自体は別に問題ない。
ただ、ちょっと引っかかっている事があった。
『黒澤さんって呼ぶの禁止』
『……へ?』
どんな無茶な条件を想像をしていたのか、彼は間抜けな顔で私を見つめ返す。
『私の方が年下なんだから、敬語なんて使わなくていい。名前もアキラって呼び捨てでいいから』
『で、でも、黒澤さんの方がヒーローとしては先輩ですし……』
『嫌なら教えない』
『う……』
別に難しい事じゃないと思うのだけど、見た目通りの体育会系の彼の場合、なかなかに難しい事らしい。
腕を組み、眉間に皺を寄せて、たっぷり30秒は考えて――
『じゃ、じゃあ、せめてアキラさんと呼ばせてください。敬語は努力しま……努力するから!』
『……』
『そ、その代わり、俺の事も緑川じゃなくてヒカルって呼び捨てでいいですから! お願いします!』
『――っ!』
真面目な目で、彼はじっとこちらを見つめてくる。
そのまっすぐな視線は、『あの時』とまったく変わっていなかった。
『しょ、しょうがない……それで我慢する』
『じゃ、じゃあ――』
『明日の朝6時に河川敷の遊歩道に来る事。言葉で教えるより、一緒にトレーニングした方が効率がいいでしょう』
『あ、ありがとうございます、黒――じゃなくてアキラさん!』
『遅れないようにね……ひ、ヒカル……』
『ハイ!』
こうして、私とヒカルは一緒にトレーニングをする事になったのだ。
***
「? どうしたんですかアキラさん? 何か嬉しそうですけど?」
「……気のせいよ」
昔を思い出していたら、顔に出ていたらしい。
咳払いして間を取ると、正面で構えているヒカルに向かって私も拳を構える。
トレーニングと言っても、別に特別な事はしていない。
子供の頃に護身術として教わった格闘技――太極拳と合気道をベースに私が考えたオリジナルの型を繰り返すだけだ。
静と動を併せ持った太極拳と、受けに特化した合気道。
体格的に劣る私には、このスタイルが自分のベストだと確信していた。
「じゃあ、もう一度」
「ハイ!」
彼の着ているジャージは泥と汗ですでにボロボロだが、そのやる気だけは始めた時とまったく変わっていなかった。
「では――行きます!」
型と言えば演舞を想像する人もいるが、実際には全然別物だ。
演舞とは舞であり、芝居。人に見せ、人を魅せる事に主を置いた動き。
型とは技であり、実戦。自分を守り、相手を倒す事に主を置いた動き。
その動きを繰り返す事により、相手の動きに対して考えるよりも早く身体が動くように覚えこませる。
「まだ遅い……まだ考えてる」
「ウスっ!」
勿論、相手が同じ動きをしてくれる訳は無い。
じゃあ、どうするか。
簡単な事だ。
相手がどう動いても対応できるように、沢山の型を覚えればいい。
実際には人間の身体の構造から出来る動きは限られてくるので、覚えるのは200程度で十分なのだが。
「はっ!」
私の動きに対応して、ヒカルは身を翻らせた。
右の上段蹴りを左腕でブロックし、がら空きになった私の身体めがけて最短距離で右の拳を突き出す。
右足はまだ空中にあり、残る片足でできる動きは限られている。
かわせない間合い。
だけど――
「甘い」
ブロックされた右足をヒカルの左腕に引っ掛けるように絡ませ、残る左足で地を蹴る。
突き出された拳を空中で仰け反りながらかわし、そのままヒカルの左腕を手で取り、全体重をかけてその腕を伸ばす。
いくら私の身体が軽いとはいえ、突きを出して不安定になっている状態では支えきれるものではない。
そのまま、絡まりあうように私たちは地面へと崩れ落ちる。
「いたたたたたた! 決まってる! ギブ! ギブです!」
右腕でバンバンと地面を叩きながら、ヒカルは情けない声をあげる。
いつもは男らしい彼だが、こういうときに出す声はちょと可愛い。
「すいません、マジ決まってますから! 変な音なってますから! ミシミシって! 筋がー骨がー!」
さすがにこれ以上はマジ泣きしそうだったので、ちょっと勿体無く思いながらも手を離した。
一応、きちんと見極めて極めていたので、後に残るような痛みは無いはず……多分。
「また同じ間違いをした罰……今のはスウェーでかわすか、右足を取りにいくって教えたはず」
「あ、そ、そういえば……」
体格がいい分、それに頼った戦い方をするのが彼の悪い癖だ。
軽い私の蹴りだから簡単にブロックできただろうが、もしもっと体格のいい相手と戦った場合、ブロックした腕ごと持っていかれる可能性がある。
「まだ完全にスーツに適応できてないのだから、力比べをするのは危険よ……まず、自分の弱さを認めなさい。そこが原点よ」
「はい……」
スーツの事はずっと気にかけているのだろう、目に見えてしょげ返るヒカル。
だが、それはれっきとした事実であり、弱点だ。
それを認め、そして受け入れない限りは強くなれない。
「そろそろ時間ね……じゃあ、今日はここまで」
時計を一瞥し、時刻を確認する。
7時。
ダラダラと長くやるより、時間を決めて集中してやるためにトレーニングの時間は一時間と決めていた。
「ま、まだやれます! 今日は休日で時間もあるし……」
「その腕でやるの?」
「う……」
ちょっと力を入れすぎたのか、彼の左腕はまだ痛みが残っているようだった。
……今度からは、もう少し手加減しよう。
「もっとトレーニングしたいなら、型をちゃんと覚える事。まだまだ遅いから」
「はい……」
自分の弱さが不甲斐ないのか、ヒカルはうつむいて唇を噛む。
だが、それも一瞬の事。
勢いよくと立ち上がり、まっすぐな瞳で前を見て、私に向き直る。
『あの時』と同じように。
「お疲れさまでした!」
弱さを認め、不甲斐ない自分を奮い起こし、彼は大きな声で叫んだ。
その叫びは、もっと強くなってやるという決意の表れなのかもしれない。
私に一礼した彼は、そのまま振り返る事無く土手に向かって歩いていく。
その後ろ姿を見つめながら、私はしばし逡巡する。
――何か声をかけるべきだろうか?
トレーニングは終わりだが、今日は休日。
彼が行った通り、時間はまだあるのだ。
たまには気分転換もいいかもしれない。
早朝の空は綺麗に澄み渡り、今日は一日いい天気だろう。
うん、そうだ、もしヒカルに何も予定が無ければ、どこかに――
「ひ、ヒカ――」
「おはよー、緑川くん!」
「あ、亜久野!?」
私が声をかけようとした、同じタイミングで。
ヒカルの腕に、見覚えのある女性が抱きついていた。
「な、なんでここに!?」
「緑川くんがここでトレーニングしてるって聞いたから、見に来ちゃった」
「だ、誰に聞いたんだよ!」
「えーと……ほら、ギガレンジャーの黄色の……横山さんだっけ?」
「あ、あの人は……」
……横山め……
「……あ、おはようございます。ギガブラックの人ですよね?」
声をかけようとした体勢で固まっていた私に気付いたのか、彼女が笑顔で問いかけてくる。
「……そうだけど」
「お互い、この姿でお会いするのは初めてですよね。悪の組織キルゼムオールでブラックレディをやってます、阿久野フミといいます」
「……黒澤アキラよ」
悪の組織の幹部がにこやかにあいさつしてくるのは絶対におかしいはずなのだが、何故かこちらも名乗らなければいけないような雰囲気なので取り合えず名乗ってみる。
ヒカルは何を言っているのか分からないという顔でこちらを見ていたが――実際、私も分からなかった。
「いつも、うちの怪人や下っ端たちがお世話になってます」
お世話した覚えはない――と言おうと思ったが、ふと八百屋&魚屋の店主の顔が浮かんだのでグッと言葉を飲み込む。
あの商店街でもう二度と買い物はしないでおこう、うん。
「隠れて見させていただいたんですけど、やっぱりお強いですね……でも、こっちも負けませんからね! 同じ黒をイメージするキャラとして、お互い頑張りましょう!」
「う、うん……頑張ろうね」
な、何を言っているのか(以下略
「って、今の見てたのか阿久野?」
「うん、バッチリ見てたよ! 緑川くんが可愛い悲鳴あげるのも!」
「なるほど……バッチリ見ていて、俺の腕に抱きついてるわけだ」
「えへへー、また可愛い悲鳴を聞きたいなー、なんて」
この子、可愛い顔してなかなかやるわね……さすがは悪の組織の幹部。
「すまんが、悲鳴をあげる前に気を失いそうなんで離れてくれ……あ、それとアキラさん」
「……何?」
腕の痛みからだろう脂汗をダラダラと流しながら、ヒカルは首だけを回して私へと尋ねた。
「さっき何か言いかけました?」
「……別に、何も」
そう、別になんでもない。
あなた達がこれから二人でどこに行こうと、私にはまったく関係無いから。
「そ、そうですか……」
私の言葉に何かを感じ取ったのか、ヒカルは怯えた顔で言葉を返す。
「緑川くん、お弁当作ってきたから一緒に食べよっか。朝食まだでしょ?」
「あ、ああ……とりあえず腕を放してくれないか」
「あ、そうだ黒澤さんも一緒に食べませんか? みんなで食べた方が美味しいですし」
彼女の方はまったく何も感じていないようで、無邪気な笑顔をこちらに向けてくる。
もしこれが分かっていながらこの笑顔なのだとすると、この女、とんだ女狐だ。
まあ、さすがにそれは穿ち過ぎだろうけど。
「私は……遠慮するわ」
「そっかー、残念」
「いや、そろそろ腕を……」
「あ、ちょうど向こうにベンチあるね! 行こう、緑川くん!」
「ぎゃああああーーー! 筋がー骨がー!」
空は綺麗に澄み渡り、今日は一日いい天気だろう。
そんな空の下に響く、ヒカルの絶叫を聞きながら、私はふと後悔する。
うん、そうだ、こんな事ならいっそ――
「折ればよかった」
と。