***  
 
「――くだらない」  
 
 それが、今の状況を聞いて最初に私が呟いた言葉だった。  
 オペレーターから聞いた話を纏めると――  
 
『悪の組織をリストラされて怒った怪人が新しく悪の組織を作り、リストラした悪の組織に復讐しに来た』  
 
 と、言う事らしい。  
 
「……確かにくだらないわ」  
 
 横山さんもうんざりした顔で同意。  
 オペレーターは何も言わなかったが、浮かべている苦笑が答えだろう。  
 
「悪の組織をリストラされる怪人も怪人だし、それを逆恨みして悪の組織作って復讐って……そのやる気をもっと別な事に向けなさいよ」  
 
 まったくその通りだ。  
 まあ、別な事に使えるのならリストラはされないだろうし、なにより怪人になんてならないだろうが。  
 
「で、襲われてる悪の組織ってキルゼムオールなんでしょ? だったら別に放っといてもいいんじゃないの?  
 戦って相討ちになったら儲けモノ。どっちかが勝っても、戦闘で消耗しているうちに襲えば楽に潰せるでしょうし」  
 
 これまたまったくその通り。  
 その方がアキラちゃん的にも都合がいいよね? という呟きは聞こえないフリをしたが。  
 
「それがそうも行かなくて……」  
「?」  
 
 歯切れ悪く呟いたオペレーターが小さく溜息をつく。  
 溜息と共に出てきたのは、心底つかれきった声だった。  
 
「最前線で戦っているのが……ギガグリーンなんです」  
 
***  
 
「あの馬鹿!」  
 
 隣を走っている横山さん――ギガイエローは正義の味方には似つかわしくない台詞を吐き捨てる。  
 それに対して私は何も言わない。言えるわけがない。  
 だって、私も同じことを思っているのだから。  
 
『現在、キルゼムオールはほぼ壊滅状態で、一部怪人たちが敵組織をギリギリで押し留めている状態です……ギガグリーンはその中に混じって、戦闘中です』  
 
 ギガスーツ内に取り付けられたレシーバーから、オペレーターの冷静な声が聞こえてくる。  
 ――正義の味方と悪の組織が協力して、別の悪の組織と戦う。  
 言葉だけなら燃えるシチュエーションかもしれないが、巻き込まれる方の身にもなって欲しい。  
 
「キルゼムオール側は何て言ってる?」  
『一時撤退するから、時間稼ぎよろしく、と……』  
「正義の味方に助けを求めんな! つーかもう戻って来るな! ……ったく、とりあえずもう一個の組織を何とかしないと駄目か」  
 
 キルゼムオールの脅威レベルは高くない。  
 だけどそれは、あくまでやる気の無さが原因であって、個々の戦闘力で言えばかなり高いレベルのはずだった。  
 それを壊滅状態にする組織……このまま居座られたらどんなに迷惑かは簡単に想像できた。  
 
「それで、ギガグリーンは無事?」  
『なんとか持ちこたえている様ですが……お二人とも、なんでグリーンがそこに居るか聞かないんですね』  
「そりゃ、言われなくても大体想像できるし」  
 
 そう言って、こちらをちらりと見るギガイエロー。  
 マスクで表情は隠れているが、その下でニヤニヤ笑っているであろう事も簡単に想像できた。  
 とりあえず脇腹めがけて肘を撃ち込んでみたが、ギガスーツ越しでどこまで効いたかは謎だった。  
 
『……その道を右折です』  
 
 何も言わない方がいいと判断したのか、オペレーターは本来の仕事へと戻る。  
 今、私達が走っているのは、キルゼムオールの秘密基地だ。  
 秘密基地というだけあって、内部構造は無駄に複雑だった。  
 
「あー、もう、道多すぎてどれを右折なのか分かんないわよ……これ?」  
『それじゃないです、その隣です』  
 
 そんなやり取りをしながら、少しづつ基地の最深部へと向かう。  
 オペレーター曰く、そこが最前線らしい。  
 
「それにしても、敵はどうやってここまで入り込んだのかしら?」  
 
 私も感じていた疑問を、横山さんは何気なく口にする。  
 いくら元組織の基地とは言え、こんな複雑な構造を仲間を連れて進入できるものなのだろうか?  
 
『それですけど、元同僚って事で普通に通したらしいです。連れてきた怪人はその友人だと思ったらしく、応接間に通してお茶を出したとか』  
「……ちょっとは怪しみなさいよ」  
『で、お茶を飲んだら急に暴れだした、と』  
「お茶は飲んだのね……」  
 
 なんと律儀な悪の組織だ。  
 それが悪の組織にとって褒め言葉なのかは知らないけれど。  
 
「そういや、レッドやブルーはどこに?」  
『二人とも別方向から最深部へ向かっています。向こうはかなり派手に暴れているので、いい陽動になってます』  
「なるほど、だからこっちは敵がいないのね」  
『狙ってやっているのか、楽しんでやっているのか微妙なところですけど……あ、次の曲がり角を左に――って、何だこれは!』  
 
 それまで冷静だったオペレーターの声が急に大きくなる。  
 その只ならぬ様子に、私達は顔を見合わせて立ち止まる。  
 
「? どうしたの?」  
『増援です! 新たに怪人が3、5……8人!? そちらに向かっています!』  
「はぁ!?」  
 
 慌てて後ろを振り向くと、確かに嫌な気配がこちらに向かって来るのを感じた。  
 この距離でも分かる位だから、かなり強力な怪人だろう。  
 
「たかがリストラされたくらいで、やりすぎでしょ!?」  
 
 イラついた様に叫ぶ横山さん。  
 確かに、今もギリギリで持ちこたえているというのに、さらにこの怪人たちが合流したら撤退するのも困難になる。  
 相手は本気でキルゼムオールを潰す気のようだ。  
 
「どうする、アキラちゃん? ここで迎え撃つ?」  
 
 それも一つの手だろう。  
 だが、奥で戦っているヒカルがどうしても気になってしまう。  
 ここで迎え撃てば撤退の時間稼ぎにはなるだろうが、最前線で戦っているヒカルたちの負担が大きすぎる。  
 適当な所で逃げてくれればいいが……彼が途中で逃げ出す事は絶対に無いだろう。  
 じゃあ、どうする? 二手に分かれる?  
 それこそ無謀だ。8人の怪人相手にどれほどの時間稼ぎが出来るかも分からない。  
 
「……くっ」  
 
 駄目だ、いい考えが浮かばない。  
 だが、こうして考えている間にも時間は失われていく。  
 早くなんとかしないと――  
 
「困っているようだね! ギガレンジャー!」  
「ふっ、俺たちが助けてやるぜ!」  
「「!?」」  
 
 背後から突如聞こえてきた、自信満々な叫び。  
 驚いた私達が振り向いた瞬間、暗かった通路が一斉にライトアップされる。  
 照らされた通路の先にいたのは――  
 
「……何やってるんですか、八百屋と魚屋のおじさん」  
 
 キルゼムオールの下っ端スーツを窮屈そうに着込んだ二人が、変なポーズを決めながら立っていた。  
 
「八百屋じゃない!」  
「魚屋でもない!」  
「そう、私たちは無く子も黙る下っ端の星!」  
「雨にも負けず、風にも負けず!」  
「ヒーローたちにも負けやしない!」  
「だけどかーちゃんだけは勘弁な!」  
「いつかは決めるぞ亭主関白!」  
「その日の為に生きている!」  
「「その名も、商店街ブラザーズ! 華麗に参上!」」  
 
 ……  
 
「……アキラちゃんの知り合い?」  
「知りません、こんな変態」  
「変態って言うな!」  
「この名乗りだって、いつか使う時が来るだろうと必死で練習したんだぞ!」  
 
 その情熱と時間をもっと有意義な事に使えば、奥さんも優しくなると思う。  
 
「と、とにかく、困っているみたいだね、ギガレンジャー」  
「俺たちが手伝おうか?」  
 
 胡散臭げに見つめる私たちの視線に怯みながら、二人はバレバレの虚勢を張る。  
 
「……どうする、アキラちゃん?」  
「どうすると言われても……」  
 
 確かに猫の手でも借りたい状況ではあるが、あまりにも危険すぎる。  
 あの怪人たちを相手にして無事でいられる保障は――  
 
「時間が無いんだろ、アキラちゃん」  
「!」  
「大丈夫だって。いくら下っ端と言っても、下っ端には下っ端の意地があるからな」  
「そうそう、時間稼ぎくらいなら出来るさ」  
「まあ、危なくなったらすぐに逃げるけど」  
「おじさん達……」  
 
 力強く頷く二人。  
 そして横山さんが私の背中を押す。  
 
「まあ、私も残って戦えば大丈夫じゃない?」  
「横山さん……」  
「行きなさい、アキラちゃん。彼が待ってるわよ」  
 
 グッと親指を立てる横山さん。  
 後ろのおじさん達も同様に親指を立てていた。  
 それに対する逡巡は一瞬。  
 
「お願いします」  
 
 私は頷くと奥へ向かって走り出す。  
 
「生きて帰ったら、後で蹴ってくれよ!」  
「あ、僕にもお願いね!」  
「お二人の犠牲は無駄にしませんから!」  
「「俺ら、やられる事前提!?」」  
「……できるだけ頑張りなさい。あ、逃げたら奥さんにチクるから」  
「や、やってやる、やってやるぞー!」  
「かーちゃんに比べればこんな奴らー!」  
 
***  
 
 最前線と言うだけあって、そこは激闘の跡がありありと見て取れた。  
 崩れた壁、割れた床、そしてそこに埋まる怪人たち。  
 私が付いた時、そこに立っているのは三人だけだった。  
 ――いや、立っているというのは適切ではない。  
 立っている一人が残る二人の首を掴み、持ち上げていたのだから。  
 
「ヒカル!」  
「あ、アキラさん……」  
「ん、なんだお前、こいつの仲間――うぉっ!」  
 
 掴まれている一人がヒカルだと認識した瞬間、身体が勝手に動いていた。  
 掴んでいる相手に向かって最短距離を疾走。  
 そのまま全体重を拳に乗せて、鳩尾へ撃ち込む。  
 両手が塞がっていた相手はガードする事も出来ず、私の打撃をまともに食らう。  
 
「今だっ!」  
「うんっ!」  
 
 その衝撃で拘束が緩んだ瞬間、掴まれていた二人は腕を振り解き脱出。  
 そのまま、私と共にバックステップで距離を取る。  
 
「大丈夫、二人とも?」  
「あ、ああ、ありがとうアキラさん」  
「ありがとう、アキラちゃん」  
 
 掴まれていた二人――ヒカルと阿久野フミが苦しげに答えを返す。  
 
「アキラさん、気をつけて。あいつ強いです」  
「分かってる」  
 
 二人ともボロボロの姿で、立っているのがやっとという状態。  
 その姿が相手の強さを如実に物語っていた。  
 
「……ヒーローの癖に不意打ちとはやってくれるじゃねーか」  
 
 撃たれた腹を押さえながら、そいつは私達に向き直る。  
 その姿は普通の人の姿となんら変わりはなかった。  
 スーツ姿で、まるで仕事帰りにちょっと寄っただけと言われても信じてしまうかもしれない。  
 
「……怪人?」  
「リストラされたサラリーマンをイメージした、怪人リストラーよ」  
「……そのセンスはどうかと思う」  
「その通りだ!」  
 
 私の呟きに、リストラーは憎しみに染まった瞳をこちらに向ける。  
 
「怪人にしてやると言われ、ホイホイと付いていった結果がこれだ!  
 怪人になって上司を見返してやろうと思ったら、逆に笑われ、そして本当にリストラされる始末!  
 それならそれで立派な怪人になってやろうと努力したのに、やりすぎと言われて悪の組織からもリストラ!  
 たかがリストラされた会社を一晩で更地にしただけだというのに!  
 お前らにこの苦しみが分かるか!」  
 
 分かるか、そんな苦しみ。  
 でもまあ、リストラされた理由はなんとなく分かった。  
 横目で阿久野フミを見ると、申し訳なさそうにこちらに頭を下げてくる。  
 
「あんたたちも怪人にする相手くらい選びなさいよ」  
「いや、まあ、その……泣いて頼まれたので仕方なく……」  
 
 自分から志願して、それで思い通りにならなかったから八つ当たりとは。  
 本気で救いようが無い。  
 
「うるさい! 悪の組織が悪い事をして何が悪い!」  
 
 それは確かにその通りだが、正直入る組織を間違えたとしか思えない。  
 キルゼムオールも適当に改造しておけばいいものを。  
 見た目は地味だが、そこから感じる威圧感は私が今まで感じた事が無いほどに強いものだった。  
 吹き飛ばさないように手加減したとはいえ、私の打撃を受けて平然と立っている事からもその強さが伺える。  
 ……これはやばいかな。  
 
『……ヒカル』  
『なんですか、アキラさん』  
 
 敵に聞こえないように、マイクを通してヒカルに話しかける。  
 
『私が引き付けている間にあなたたちは逃げなさい』  
『な、何言ってるんですか!』  
 
 慌てて私を見るヒカルを、私は片手をあげて制す。  
 
『相手は強いわ。それはあなたも身を持って知ったでしょう』  
『だ、だったらみんなで一斉にかかれば――』  
『その身体で?』  
 
 二人ともとても戦える状態ではない。  
 特に阿久野フミは幹部と言う事で徹底的に狙われたのだろう。  
 立っているのが不思議に思えるほど痛めつけられていた。  
 
『戦えないものがうろついていると邪魔よ』  
『で、でも……』  
『足手まといって言っているの』  
『く……』  
 
 ヒカルも薄々分かっていたのだろう。  
 だからそれ以上は何も言わず、隣にいた阿久野フミの手を強く握る  
 
『司令室、聞こえてる?』  
『聞こえてるし、聞いてました。撤退路の確保は出来ています』  
『ありがとう。二人を頼むわ』  
 
 阿久野フミも私たちの狙いに気付いたのか、ヒカルの手を握ったまましっかりと頷く。  
 ……そう、それでいい。  
 
『ちゃんとヒロインを守りなさい、ヒーロー』  
 
 その呟きと同時に、全員が動いた。  
 ヒカルと阿久野フミは後ろに。  
 リストラーは前に。  
 私はその間に飛び込む。  
 
「なんだぁ! 正義の味方が逃げるのか!」  
「お前の相手は私よ」  
 
 空中で拳が交差する。  
 パワーは互角。  
   
「ちんちくりんを相手にする趣味はねぇ!」  
「あら、こう見えて脱いだら凄いのよ?」  
「何ぃ!」  
 
 二年後にはね。  
 
「はっ! ちょっとはやる気出たぜ! 本当かどうか確かめてやるよ!」  
 
 言葉と同時に二発目が放たれる。  
 それを最小限の動きでかわす。  
 計算どおり、相手の狙いは私に移ったようだ。  
 
「強引な男は嫌われるわよ」  
「ベッドの上なら優しいぜ?」  
「残念、タイプじゃないわ」  
「うるせぇ!」  
 
 高速で放たれる連撃。  
 早い――が、かわせないほどではない。  
 パワーは互角だが、スピードはこちらが上。  
 
「はっ!」  
 
 連撃に合わせたカウンターを顔面に放つ。  
 よし、これなら――え!?  
 
「甘えよ!」  
「くっ!」  
 
 綺麗に入った拳を意に介さず、リストラーは更に前に出てくる。  
 その予想外の反撃に、私は慌てて距離を取る。  
 
「どうした、お前も逃げるのか?」  
 
 ニヤニヤと笑いながら、リストラーはゆっくりとこちらに振り向く。  
 完璧に入ったと思ったのに……浅かったの?  
 
「まだ始まったばかりだ……もっと楽しもうぜ」  
 
 そしてまた突進。  
 だがすでにタイミングは見切っている。  
 
「ふっ!」  
 
 初撃に合わせて肘を鳩尾に叩き込む。  
 よし、今度こそ完璧に――  
 
「だから甘えって言ってるんだよ!」  
「!?」  
 
 リストラーは懐に潜りこんだ私を両手で抱きかかえ、そのまま後方へと投げ捨てた。  
 完璧に決まったと思っていた私は受身を取る事が出来ず、そのまま壁へと叩きつけられる。  
 
「な、なんで……」  
 
 叩きつけられた衝撃よりも、二回も耐えられた事のほうが衝撃だった。  
 手加減などしていない。  
 特に二回目の肘は、必殺の威力だったはず。  
 だが相手は何事も無かったように立っている。  
 
「くくく……不思議でしょうがないって顔だな」  
 
 リストラーは私の顔を見て、楽しくてしょうがないといった笑いを漏らす。  
 
「こちとら元サラリーマンだぜ……それも生粋のジャパニーズサラリーマンだ」  
 
 両手を広げ、ぱっと見て貧相に見えるその身体を自慢げに見せびらかす。  
 
「サービス残業に休日出勤! 24時間戦ってきた俺にそんな攻撃など効くわけが無い!」  
 
 ……なんでだろう、ちょっとだけ同情したくなった。  
 しかしその耐久力は言うだけあって厄介だった。  
 持久戦になると、体格で負けているこちらが不利だろう。  
 
「さあ、我慢比べと行こうか……俺はしつこいぜ?」  
 
 歪んだ笑みを浮かべながら、三度目の突進が来る。  
 
「くっ!」  
 
 今までのような最小限の動きではなく、大きくかわしながらすれ違い様に打撃を放つ。  
 
「ははは! 今何かしたのか?」  
 
 くるりと向き直り、もう一度突進。  
 やはり効いている様子はなかった。  
 どうする? 関節を取りに行くべきか?  
 だがそれも効かなかった場合、また掴まれる可能性が高い。  
 
「おいおい、さっきまでの勢いはどうした!」  
 
 動き自体は単純なので、食らう危険は無いだろう。  
 だがこちらも打つ手が無い。  
 結局、少しづつ打撃を当てていくしかない。  
 それが相手の思う壺だと分かっていても。  
 
「おらおら頑張れ! 疲れたらベッドの上で優しく介抱してやるからよ!」  
 
***  
 
「……緑川君」  
「なんだ」  
「ここまで来ればもう大丈夫だから」  
「……何を言ってるんだ?」  
「言わなきゃ分からない?」  
「……」  
「前言ってたよね『やらずに後悔するくらいなら、やって後悔しろ』って」  
「阿久野……」  
「行くべきだよ緑川君……だって、ヒーローなんだから」  
 
***  
 
 ――あれから何分が経っただろうか。  
 
「はぁはぁ……」  
「おいおいどうした! もうバテたのか?」  
「……しつこい男は趣味じゃないのよ」  
「は! 口だけは元気だな!」  
 
 リストラーの攻撃は最初に投げられた以外は全てかわしている。  
 逆にこちらは何度と無く打撃を打ち込んでいる。  
 だが、形勢はこちらが不利だった。  
 リストラーの見た目はボロボロだが、その動きには陰りが見えない。  
 逆に私の方は体力と神経を消耗し、動きが少しづつ鈍っている。  
 今の状態で掴まれたら、もう振り解く力は無いだろう。  
 それが分かっているのか、相手も打撃ではなく掴み狙いに戦法を変えていた。  
 
「おら、もういっちょ行くぞ!」  
「くっ!」  
 
 両手を広げて、私の腰めがけてタックルするリストラー。  
 それを弧を描くように大きくかわす私。  
 反撃する体力は無く、ただ逃げ惑うのみ。  
 
「鬼ごっこじゃねーんだぞ!」  
 
 楽しそうに叫びながらまた突進。  
 大丈夫、ただ逃げるだけなら――  
 
「――なんてな!」  
「――っ!」  
 
 フェイント!?  
 このタイミングで!?  
 いや、まだ大丈夫。まだ逃げられ――  
 
「えっ!?」  
 
 急な方向転換に、踏み込んだ足場が崩れた。  
 滑る足とは裏腹に、身体はその場に静止する。  
 
「つーかまーえたー!」  
 
 次の瞬間、私の身体はリストラーに掴まれ、押し倒され、馬乗りの状態で拘束されていた。  
 
「しまった……」  
「ははっ! 残念だったな黒いの!」  
 
 押し倒された場所は、床が割れて砂利が散乱している場所だった。  
 いつの間にか誘導されていたのだろう。  
 
「くっ!」  
「逃げ切れると思って油断したんだろう? 人を舐めてかかるからこうなるんだ」  
 
 心底楽しげな言葉と共に、拳が振り下ろされる。  
 
「……ベッドの上では優しいんじゃなかったの?」  
「残念だがここはベッドじゃないんだ」  
 
 拳、拳、拳。  
 
「どいつもこいつも人を舐めやがって!」  
 
 拳が振り下ろされるたびに、私の意識が削り取られていく。  
 
「俺は使えるだろうが! 俺は強いだろうが! なんでリストラされなきゃなんねーんだ!」  
 
 視界がぼやけ、見えるのは振り下ろされる拳のみ。  
 聞こえてくるのは、自分の骨が軋む音。  
 浮かんでくるのは、彼の笑顔。  
 
 ――彼は逃げ切れただろうか。  
 ――彼女と一緒に逃げ切れただろうか。  
 ――逃げ切れたのならそれでいい。  
 
 すでに目には何も映らず、聞こえてくる音もない。  
 暗く、静かに、私の意識は沈んでいく。  
 我ながら可愛くない最後だと思う。  
 でも、これはこれで私らしいとも思う。  
 最後に彼を助ける事が出来たのだから十分だ。  
 
 ――幸せにね、ヒカル。  
 ――でも、たまには……私の事も思い出してくれたら嬉しいな。  
 
『それでいいの?』  
 
 意識が暗闇へと飲み込まれる瞬間、その問い掛けが私の意識を繋ぎとめた。  
 
『本当にそれでいいの?』  
 
 何を今更。  
 もう、何も出来ないのに。  
 身体に力が入らないのに。  
 私はもう――  
 
『あなたはどうしたいの?』  
 
 私は――  
 そう、私はまだ――  
 
「諦めるな!」  
 
 その声は、暗闇へと沈んでいた私の意識を一気に引き上げる。  
 幻聴?  
 ううん、違う。  
 聞き間違えるはずが無い。  
 
「なんだ、てめえ……逃げた奴が今更何しに――うぼぁっ!」  
 
 打撃音。  
 そして私の上にあった重みが消えた。  
 
「大丈夫ですか、アキラさん!」  
 
 視界に飛び込んできたのは拳ではなく、最後に思っていた彼の姿。  
 幻覚じゃない。  
 本物の――ヒカル。  
 
「……何しに戻ってきたの」  
 
 自分でも素直じゃないと思う。  
 本当は抱きつきたい位に嬉しいのに。  
 
「ピンチに正義の味方は必ず現れますから」  
 
 私の言葉に苦笑で返すヒカル。  
 うん、そうだね。  
 あの時も、そして今も。  
 君は――私のヒーローだから。  
 
「やってくれるじゃねーか、てめえ! 人がせっかく楽しんでる時に!」  
 
 壁まで吹き飛ばされたリストラーが怒りに顔を赤くして立ち上がる。  
 そのタフさと執念深さは敵ながら見事としか言いようがない。  
 
「雑魚が吼えるな」  
「何だと!」  
「吼えるなと言ったんだ!」  
 
 リストラー以上の怒りを胸に秘め、ヒカルが叫ぶ。  
 
「強い? お前のどこが強いんだ? やれる事をやらずに放り投げて、後付けの力に頼っているだけじゃないか!」  
「な、なんだと……」  
「本当に強いやつってのは、諦めない奴の事をいうんだ! 諦めて、不貞腐れて、八つ当たりしているお前のどこが強いんだ!」  
「て、てめえ……!」  
 
 ゆっくりと立ち上がり、リストラーへと向き直るヒカル。  
 その迫力に気圧される様に後ずさるリストラー。  
 そうだ、諦めるのはまだ早い。  
 まだ私達は戦えるのだから。  
 
「そんなボロボロで何が出来る!」  
「そんなの知るか! だけど俺は――俺達は諦めない!」  
 
 そう、諦めない。  
 絶対に、諦めない。  
 
「俺の名前は緑川ヒカル! ギガグリーン!」  
「同じく黒澤アキラ! ギガブラック!」  
「「正義を貫く、ギガレンジャー! ここに参上!」」  
 
 二人とも立っているのがやっとの状態だった。  
 それでも負ける気はしなかった。  
 負けるわけが無かった。  
 
「ほざけ! ガキ共が!」  
 
 怒りに身を任せ、リストラーが前に出る。  
 大きく腕を振り回し、二人一緒になぎ払おうとする。  
 
「「ふっ!」」  
 
 それに対し、私達はまったく同じ動きで回避。  
 腰を屈め、懐に潜りこむ。  
 
「甘いんだよ!」  
 
 懐にもぐりこんだ瞬間、狙い済ました膝が私に飛んでくる。  
 
「アキラさん!」  
「大丈夫!」  
 
 それを私は身を回して回避。  
 そのまま後ろへと回り込む。  
 だがリストラーはそのまま私に向けて足を――違う!  
 
「食らえっ!」  
 
 私の胸元を通り過ぎた足は、そのまま半回転して後ろにいたヒカルへと向かう。  
 体重の乗ったその蹴りは、受け止めた身体ごと吹き飛ばすだろう。  
 だが――  
 
「遅いっ!」  
 
 上半身をわずかにすらし、蹴りをいなすヒカル。  
 そのまま身体を半身にし、腰を落として拳を構える。  
 それとまったく同じ動きを、リストラーを中心にして私も行う。  
 
「アキラさん!」  
「ヒカル!」  
 
 叫ぶと同時に構えた拳を一直線に突き出す。  
 狙うはリストラーの中心、ただ一点。  
 
「「うおおおおおおお!」」  
 
 雄たけびと同時に、拳がリストラーに叩き込まれた。  
 両面から叩き込まれた衝撃は内部で反響し、行き場を無くしたエネルギーが身体を駆け巡る。  
 
「ぐはあああああぁぁぁぁっ!!」  
 
 暴れ狂うエネルギーの奔流に、リストラーが悶え狂う。  
 だが――  
 
「まだだぁ! まだ俺はやれるぅっ!」  
 
 膨大なエネルギーに翻弄されながらも、リストラーは最後の力を振り絞りヒカルへと拳を振るう。  
 大振りなその拳をヒカルは簡単に――かわさない!?  
 
「な、何ぃ!」  
 
 打ち込まれた拳を、ヒカルは顔面で受け止めていた。  
 
「……やればできるじゃねーか」  
「な、なんだと!」  
「なんでその力をちゃんと使わない! なんで諦めた! なんで――」  
「ひ、ひいいいぃぃぃぃぃ!」  
 
 ヒカルはもう一度振りかぶり、そして――  
 
「なんで戦おうとしなかったんだ!」  
 
 正義の拳が――放たれた。  
 
「ぐうおおおおおおぉぉぉぉぉおっ!!!」  
 
 それが止めだった。  
 暴れ狂うエネルギー内に放たれた新たな衝撃は、リストラーの身体を食い破っていく。  
 スーツの表面にヒビが入り、そこからあふれ出す神々しいまでの光。  
 そして――  
 
「……勝った、のか」  
 
 そこに倒れていたのは、くたびれたスーツ姿の中年男性だった。  
 これがリストラーの正体なのだろう。  
 口から泡を出し、ピクピクと身体を痙攣させて気絶している。  
 タフさが売りの怪人だけあって命に別状は無さそうだが、しばらくは再起不能だろう。  
 
「……勝ったみたいね」  
 
 そうは言ったものの、こちらもかなりボロボロだった。  
 何も知らない人がこの状況を見たら、誰が勝者なのか分からないだろう。  
 それでも、私達は勝ったんだ。  
 私達、二人で。  
 
「や、やったわね、ヒカ――って、ヒカル!」  
 
 前を向いた私に、ヒカルが抱きついてくる。  
 ……と言うのは言葉のあやで、本当はただヒカルが倒れ掛かってきただけなのだけど。  
 
「ごめんなさい、アキラさん……でも、もう限界……」  
 
 そう言われてもこっちも限界なわけで、ヒカルを抱き止める力すら残っていないわけで。  
 ――結果的に、ヒカルに押し倒される状態で地面へと転がってしまう。  
 
「ちょ、ちょっと、ヒカル!」  
「……」  
 
 駄目だ、完全に気を失ったらしい。  
 ギガスーツの機能が解除され、生身のヒカルが私に覆いかぶさっていた。  
 それとほぼ時を同じにして、私のギガスーツも解除される。  
 
「お、重い……」  
 
 さすがにギガスーツ無しで圧し掛かられるのはキツい。  
 それでも、嫌な感じがしないのは何故だろう。  
 
「……まったく」  
 
 まあ、彼が来なかったらやられていたのはこっちかも知れなかったわけで、それを考えればこの位は多めに見てあげよう。  
 
「……ありがとう、ヒカル」  
 
 目の前にあるヒカルの顔を抱きしめ、そっと目を瞑る。  
 彼と亜久野フミは付き合っている。  
 だけどそれはあくまで友達として付き合っている……と言う事らしいので――  
 
「私も諦めないわよ、ヒカル」  
 
 そう、諦めない。  
 諦めないから――この位は多めに見なさいよね。  
 
***  
 
 ――あの激闘から、一週間。  
 
「おはようございます、八百屋のおじさん、魚屋のおじさん」  
「ああ、おはようアキラちゃ……ん?」  
「お、アキラちゃん、怪我はもう……へ?」  
 
 あの後、私とヒカルは助けに来た横山さん達に助けられ、病院へと担ぎ込まれた。  
 
『アキラちゃんたら、抱き合って何していたのかしら?』  
『疲れて動けなかっただけです』  
『本当に?』  
『それ以上はノーコメントです』  
 
 しこたま殴られたわりにはギガスーツがほとんど衝撃を吸収してくれていたおかげで、私の方は一日入院した後は自宅療養ということになった。  
 深刻だったのはギガスーツと相性の悪いヒカルの方で、結局一週間の入院と言う事に相成った。  
 ――そう、今日はヒカルが退院してくる日だ。  
 
「おはようございます、オペレーターさん」  
「はい、おはよ……おおおっ!?」  
 
 結局、あの一件はギガレンジャーとキルゼムオールの総力戦だったと発表された。  
 悪の組織が悪の組織に潰されたと言うのは(悪の業界での)世間体に関わるらしく、キルゼムオール側からそう申し込まれたようだった。  
 
『まあ、しばらくは平和になるだろうし、それでいいだろ』  
 
 と、リーダーの赤井さんも異論は無いようで、そういう事になったらしい。  
 ……気になったのは、私が一人でキルゼムオールを壊滅させた事になっている事なのだけど――  
 
『大丈夫、君ならその位やってもおかしくはない』  
 
 と、見舞いに来た青島さんがしれっと言い放ったのはさすがに軽く殺意が湧いたが、それを簡単に信じ込んだ周りも周りだ。  
 おかげで《黒い死神》なる可愛げの無い二つ名まで頂戴してしまったわけで。  
 
「おはようございます、みなさん」  
「おう、おはよう。もう大丈夫……じゃないみたいだな」  
「……えーと、これはもう一度入院させるべきか? それとも僕が改造して直そうか?」  
 
 久しぶりに顔を出したのにこの仕打ちとは。  
 どうしてやろうか、こいつら。  
 
「あんたら、ちょっと失礼じゃない」  
 
 横山さんだけはいつもと同じ反応だった。  
 まあ、これを渡したのが横山さんなのだから当たり前か。  
 
「うん、よく似合ってるわよ」  
 
 褒められたのは素直に嬉しい。  
 でも、本当に褒められたい相手はここにいなかった。  
 
「……ヒカルはどこに? 今日、退院なんですよね?」  
 
 その言葉に、すっと横山さんが目を背ける。  
 
「……横山さん?」  
「あー、そのー、あのね……」  
 
 言葉に詰まる横山さんを見て、赤井さんが不思議そうに尋ねる。  
 
「なんだ、まだアキラに言ってなかったのか、横山」  
「え、ええ、その……」  
「? 何の事ですか?」  
 
 訳が分からず首を傾げる私に、青島さんが横から口を出す。  
 
「ヒカルくんなら、今日から出張だが」  
「……出張?」  
「ああ、キルゼムオールが他の都市で再結成されたと聞いたのでな。それの監視という事でヒカルくんをそこに出張させたんだ」  
「……はぁ!? で、でも監視って、キルゼムオールはもう……」  
「まあ、監視というのはただの名目で、ラブラブな二人を引き離すのは可哀想だというヒーロー心なわけだが……」  
 
 ま、まったく聞いてないわよ、そんなの!  
 慌てて横山さんに視線を向けると、申し訳無さそうに頭を下げられた。  
 
「ごめんね、アキラちゃん。どうしても言い出せなくて……」  
「……ちなみにその場所はどこですか?」  
「えーと、どこだっけ? 確か関東の方だと……」  
「三葉ヶ丘市とか言ってたな」  
「ああ、それそれ……って、どうしたアキラ、急に荷物を纏めてだして」  
 
 そんなの決まってる。  
 
「私もそこに行きます」  
「おう、そうかそうか……って、ええ!?」  
「な、なんで急に!?」  
「ヒカルだけだと不安です。だから私も一緒に行きます」  
「「ええっ!?」」  
 
 驚く赤井さんと青島さんに、苦笑いの横山さん。  
 
「行ってらっしゃい、アキラちゃん」  
「よ、横山!?」  
「いいじゃない。どうせ今は平和なんだから、三人だけでも余裕でしょ」  
「そ、それはそうだが……」  
「そんな訳でアキラちゃん、こっちは心配しなくていいからね」  
 
 ありがとう横山さん。  
 教えてくれなかった件はこれでチャラにします。  
 
「それではみなさん、行ってきます」  
「はーい、いってらっしゃーい! ヒカル君とフミちゃんによろしくねー」  
 
 あっけに取られている男二人を尻目に、私は基地を飛び出していく。  
 
「――ったく、せめて一声かけてから行きなさいよ」  
 
 そう口で言ったものの、実はそれほど怒ってはいなかった。  
 今までの私なら、何もせずに諦めていただろう。  
 でも、今の私は違う。  
 
 ――何もせずに後悔するのは嫌だから。  
 ――もう諦めないと誓ったから。  
 
「待ってなさいよ、ヒカル!」  
 

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