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私の元に『正義の味方』となのる人達が現れたのは、中学に入ってしばらく経った頃だった。
『近頃はどこも人材不足で、ヒーロー候補を探すのも一苦労なんだ』
テンガロンハットをかぶった男性が、苦笑しつつ私に話しかける。
『だから……もし君にその気があるなら、一緒に地域の平和を守ってみないか?』
胡散臭いにもほどがあるその台詞。
『興味ないです』
勿論、そんな戯言を信じるような私ではなかった。
『他に用事が無いのなら、失礼させていただきます』
『え、あ、ちょ、ちょっと!』
まだ何か言いたげな男性を尻目に、私はさっさと歩き去る。
さすがに何度もこんな事があれば、断るのもすっかり慣れてしまう。
実際、似たような誘いは他にもあった。
『一緒に世界を目指さないか?』
『一緒に世界を征服しないか?』
『一緒に二人だけの世界で暮らさないか? ハァハァ』
さすがに最後のは何か犯罪の匂いがしたので、警察に突きだしたが。
『……めんどくさい』
人に必要とされるのは悪い気はしない。
でも、そのどれもが『私』ではなく『私の能力』が目当てなのだと分かっていた。
――自分では何の努力もせず、ただ人を当てにするだけ。
そんなツマラナイ世界は、学校の中だけで十分だ。
最初のうちは丁寧に断りの言葉を作っていたが、やがてそれも面倒になって、結局はさっさと断わるようになった。
下手に丁寧に断わるよりも、問答無用で断わってしまったほうが後腐れが無いと気付いた事も理由の一つ。
どんな誘いでも、にべも無く断れば普通はもう来なくなる。
来なくなる――はずだった。
『やあ、また会ったね』
『……』
この自称正義の味方は普通ではなかったようだ。
『また来たんですか?』
『諦めが悪いのと、負けず嫌いなのが自慢でね。たとえジャンケンでも勝つまでやめないのがモットーなんだ』
『……凄くはた迷惑なモットーですね』
『はは、そう褒められると照れるな』
『褒めてないです』
勿論、今回も速攻で断わった。
それでも、この男性は次の日も、その次の日も私の前に現れた。
自分で言うだけあって、諦めが悪いのは本当らしい。
『……どうしようかな』
夕暮れの河川敷で、私は川面を見つめながら考えていた。
赤井と名乗った男性は、結局毎日のように私の前に現れては正義の味方にならないかと勧誘していた。
それだけ本気で誘ってくれているのは分かったし、それだけ必要とされているのは嬉しかった。
だから、私は迷っていた。
この人達なら、ツマラナイ日常を変えてくれるんじゃないか、と。
だけど、私は迷っていた。
結局、どこに行ってもツマラナイ日常のままなんじゃないか、と。
『おねえちゃん、どうかしたの?』
ふと横を見ると、犬を連れた少女が心配そうにこちらを見ていた。
散歩中らしいその少女は、膝を抱えながら思考にふけっている私の姿を、具合が悪いのと勘違いしたらしい。
『ううん、なんでもない。ちょっと考え事してるだけ』
『かんがえごと?』
『そう……これからどうしようかな、って』
少女を心配させないように、私は笑顔で言葉を返す。
それでも少女はまだ心配そうに私の顔を覗き込む。
『なやんでるの?』
『なやんでる……うん、そうだね、悩んでる』
少女の問いかけに、私は素直にうなずく。
『……どうしようか悩んでるんだ。やった方がいいのか、それともやらない方がいいのか……どっちがいいのか分からなくて』
まだ小学校にもあがっていないだろう少女にこんな事を言ってもしょうがないのは分かっていた。
それでも打ち明けたのは、誰でもいいから聞いて欲しかったからかもしれない。
『? えーと……』
『ふふ、ごめんね、まだ分からないよね』
案の定、少女は頭に疑問符を浮かべながら小さく首を傾げる。
だけど次の瞬間、少女は何かを思い出したように顔をあげた。
『えっとね、となりのにーちゃんが言ってたよ。『やらずにこうかいするくらいなら、やってからこうかいしろ』って』
『――っ!』
きっと、その少女はその言葉の意味を理解して言ったわけではないのだろう。
その言葉を少女に伝えた人も、少女が理解するとは思わずに言ったのだろう。
『そっか……そうだよね』
だけど、私にはその言葉が理解できた。
どうやら私は、私が思っていた以上に臆病になっていたらしい。
『ごめんね、心配かけて。でも、もう大丈夫』
少女にもう一度笑顔で答える。
今度は少女も笑顔を返してくる。
子供というのは、私が思っている以上に感情に敏感なのかもしれない。
『どういたしまして。じゃあね、おねえちゃん!』
『うん、じゃあね』
『行こう、シロ!』
犬と一緒に元気よく駆けていく少女を見送ると、私はゆっくりと立ち上がる。
うん、そうだ、何を迷っていたんだろう。
どうせ今のままでもツマラナイんだ。
だったら、やってみてもいいんじゃないか。
それでツマラナイままだったら、その時に考えればいい。
『あの子に感謝しなきゃ……って、あれ?』
少女が駆けていった方向にもう一度視線を送ると、駆けていったはずの少女がこちらに戻ってきていた。
だが、何か様子がおかしい。
見ると、さっきまで一緒にいた犬がいなくなっている。
『おねえちゃん! シロが! シロが川に!』
私を見つけた少女は、半泣きになりながら私にすがり付いてくる。
その慌てように、私も慌てて少女の視線を追う。
少女の視線の先――それは川の中。
そこに、先ほどまで少女と一緒にいた犬がいた。
『ちょうちょ追いかけて、水の中に落ちて、引っ張ったけど助けられなくて――』
慌てている少女の口ぶりから、大体の事情は把握できた。
半泣きになっている少女をなだめながら、私は周囲を見渡す。
――駄目だ、誰もいない。
誰かを呼びに行く? いや、そんな時間は無い。
『いい、落ち着いて聞いて。今から誰かを呼びに行ってくれる?』
『う、うん! おねえちゃんは?』
『私は――シロを助けに行くから』
そう言うと、私は川へ向かって走り出す。
シロと呼ばれた犬は、流されながらもこちらに向かって泳いでいるが、川の流れは予想以上に速く、このままでは岸にたどり着けないだろう。
躊躇している時間は無い。
『えい!』
勢いをつけて飛び込み、シロの元へと泳ぎ始める。
川の流れに苦戦しながらも、私はなんとかシロの元へとたどり着く。
よし、あとは岸に帰れば――
『くっ!』
岸までは10メートルほどの距離。
でも、その10メートルが遠かった。
せめて上着だけでも脱ぐべきだったと、今更な思考が頭をよぎる。
身体に絡みつく服を疎ましく思いながらも、私は必死で岸へと向かう。
あと7メートル……5メートル……
時間にすればほんの数十秒の事なのだろうが、私には何時間にも感じられた。
だけど、岸まではあと3メートルもない、これなら――
『痛っ!』
鈍い痛みが私のふくらはぎを襲う。
足をつった!?
こんな時に!?
痛みに身を捩らせながら、せめてシロだけでもと、岸へ向かってシロを押し出す。
押し出されたシロは必死で泳ぎ、なんとか岸へとたどり着く。
よし、あとは私も――
腕の力だけで身体を浮かせようとするが、濡れた服が邪魔をする。
足はもう使い物にならない。
――あと少し、もう少しなのに。
すでに泳いでいるというより、もがいているといった方が的確な表現だろう。
それでも私は必死に岸へと向かう。
だが、水の流れは無慈悲に、そして残酷に私を岸から引き剥がす。
駄目、もう――
『諦めるな!』
諦めかけた、その時。
私の腕を掴む、力強い腕。
そして次の瞬間、私は岸へと引っ張り上げられていた。
『大丈夫か?』
吸い込んでしまった水に咳き込みながら、私はその声の主へと視線を移す。
そこには先ほどの少女と、助けた犬と、そして――
『まったく、無茶するなよ』
ずぶ濡れになりながらも、心配そうに私を見つめる彼がいた。
『あのね、となりのにーちゃんが近くにいてね――』
どうやら少女にさっきの言葉を吹き込んだ張本人らしい。
『あ、ありが――』
『お礼はいいから安静にしてろ。足つってるんだろ』
そう言うと、彼は私の足に手を伸ばす。
『な、何を!』
『準備運動もせずに飛び込むからつるんだ。焦っていたのは分かるけど、ちゃんと準備は怠るなよ』
『いや、そうじゃなくて――』
私が何かを言いかける前に、彼は私のふくらはぎに手を這わせ、ぐっと力を入れて足を伸ばす。
『痛っ!』
『ほら、じっとしてろ。ちゃんと伸ばさないとまたつるぞ』
だからそうじゃなくて……もういいや、どうでもよくなってきた。
とりあえず、彼が私を助けてくれたのは事実なんだ。
もし彼が助けてくれなかったら、私は確実に沈んでいただろう。
『……もういいか』
十分に時間をかけて伸ばした後で、彼はやっと私の足から手を離した。
そっと足を動かしてみる。
まだ少し痛みは残っていたが、またつるという事はなさそうだ。
『よし、大丈夫そうだな。それじゃあ……』
その様子を見て、やれやれといった感じで彼は私の顔を正面から覗き込むと――
パンっ!
私の頬を、平手で叩いた。
『何やってるんだ!』
そして、怒声。
『たまたま俺がいたからいいものを、誰も来なかったらどうするつもりだったんだ!』
叩かれた頬に手を当てながら、私は驚愕の表情で彼を見る。
『なんでも一人でやろうとするな! あのままだとお前が溺れていたんだぞ!』
『で、でも……誰もいなかったから……』
『俺がいただろうが!』
――!
『いいか、必ずどこかに正義の味方はいるんだ! 困ったらとりあえず呼べ。必ず来るから。それでも来なかったら……俺が来るから』
冷静に考えれば滅茶苦茶な事を言っているのだが、それでもなぜかその言葉は説得力があった。
彼は必ず助けに来てくれる――そう、思えた。
『……すまん、つい熱くなっちまった』
ふと我に返ったのか、彼は気まずそうに頭を掻く。
『ごめんな、叩いて。痛くないか?』
『う、ううん……大丈夫』
痛くは無かった。
ただ、熱かった。
それがなぜかは分からなかったけれど。
『だめだよにーちゃん、おねえちゃんを叩いたら!』
『あ、ああ、すまん』
『おねえちゃん、大丈夫?』
『う、うん、大丈夫』
横で見ていた少女が、心配そうに私を覗き込む。
『えっとね……ありがとう、シロを助けてくれて』
そして少女は、精一杯の笑顔を私へと向けてくる。
『え、あ、でも……』
最終的に助けたのは私じゃなくて……
困ったように彼に視線を移すが、彼は笑顔を浮かべながら首を振る。
『シロを助けたのはお前だから』
そう言って、彼は立ち上がる。
『さっきはつい熱くなって、あんな事言っちまったけど、お前は頑張ったよ。躊躇なく川に飛び込める奴なんて、そうそういない』
少女の頭を撫でながら、彼は私を見る。
『だからさ、もし、お前にその気があるなら……』
恥ずかしそうに一瞬言いよどみ、それでもすぐに顔を上げて。
『ヒーローにならないか?』
そして、まっすぐに私を見つめながら、彼は言った。
『……ヒーロー?』
『ああ、俺もヒーローになりたくて正義の味方の基地で働いてるんだけど、お前ならきっと立派なヒーローになれると思うんだ』
『にーちゃんはまだ下っ端だけどね』
『い、いつかはちゃんとヒーローになるぞ!』
からかう様に呟く少女に、彼は慌てて言い返す。
正義の味方……という事は、赤井さんの言っていた組織なのだろうか。
『まあ、無理にとは言わないけどな。でも、少しでもその気があるのなら、一緒に頑張ってみないか?』
『一緒、に……』
『ああ』
『か、考えとく……』
口ではそう言ったものの、どうするかはすでに決めていた。
少なくとも、ツマラナイって事は無さそうだ。
――彼と一緒ならば。
『よし、じゃあ俺はもう行くぞ。まだトレーニングの途中だったしな』
『ま、待って!』
『ん、何だ?』
『あ、えと、その……ありがとう』
消え入りそうな声で呟いた私に、彼は満面の笑みで答える。
『この位、正義の味方なら当たり前のことだから』
『そ、それと……』
『ん、まだ何かあるのか?』
『……まだ、名前聞いてない』
『え……あ、ああ、そうか』
うっかりしてた、とばかりに彼は頭を掻く。
そしてゴホンと咳払いをしてしばしの間を取ると、ビシっと自分を指差して――
『俺の名前は緑川ヒカル。ヒーロー見習いだ』
――それが彼の初めての名乗りであり、そして私との初めて出合いだった。
その後、私は両親と喧嘩別れするように正義の味方の一員となり――気付いたら彼よりも早くヒーローになってしまったのはちょっとした誤算。
そしてもっと大きな誤算だったのは――彼が私のことをまったく覚えていなかった、という事なのだが。
でも、まあそれは――
『おねえちゃん、大丈夫?』
『え? う、うん、大丈夫だよ』
『でも、なんか顔が赤いよ? 風邪?』
『これは……ふふ、なんでだろうね?』
『……変なおねえちゃん』
もう少し先のお話。