私のいる現実世界で、楓ちゃんと椿ちゃんと再会してから数ヵ月後。  
元々夢の中でしか生きられない夢魔だった楓ちゃんと椿ちゃんが現実世界に、私のすぐ傍に  
いるということがとても嬉しくて、あっという間に時は過ぎていった。  
ののちゃんや兄妹に関わりがあった周囲の人が覚えていなくても、幼い頃にいなくなってしまった  
「そうちゃん」の家で、白土楓とその妹の椿として存在しているのはサヤラーンが最後にくれた  
小さな奇跡なんだろうと思う。  
 
「うーん……ねえ楓ちゃん。この問題ってどの公式使えば良いんだっけ?」  
そして今の季節は秋。私は楓ちゃんに天橋家のリビングで勉強を教えてもらっていた。  
「ああ、この問題ですね。これはこの公式を使うようです。公式の解説の、ここを読むと似たような  
例題が載っていますよ」  
そう言って右手の人差し指でページを指差し、左手を私の左肩――自分から遠い方の肩に置き、  
私をぐっと引き寄せた。  
「そ、楓ちゃん?」  
その急な行動に、慌てて楓ちゃんの顔を見る。と、楓ちゃんはいたずらっぽく笑った。  
「いけませんか?椿のいない時でないと、このようなことはなかなかできませんので」  
「それはそうかもしれないけど……」  
椿ちゃんは今、寮にいるはずだ。最初は自分も行くと言い張ったけど、楓ちゃんが  
勉強は私の部屋でなくリビングですること、その日はお母さんが家にいることを告げると  
相当…本当に相当不満そうだったけど、寮で待ってることを了承したのだ。  
私と楓ちゃんの交際に関しては渋々認めていても、「二人きり」を許すにはまだ時間がかかるらしい。  
もし椿ちゃんがこの場にいたら私と楓ちゃんの間をイス一個分空けるか、テーブルのコーナーでなく  
向かい合わせに座らせるくらいのことをしたかもしれない。  
いや、確実にしたと思う。  
「すみません、調子に乗りすぎたようです。お嫌でしたらやめます」  
そんな椿ちゃんを想像しているうちに少しだけ間が空いてしまい、楓ちゃんはその間を私が嫌がっていると  
受け取ったのか、そう言って私の肩から手を離しかけた。  
「待って、そのままで良い!」  
思わず叫んでしまってから、はっとする。楓ちゃんは私のその反応に驚いたようだった。  
「良いの、そのままで。ちょっとびっくりしただけで、嫌なんかじゃないから」  
これじゃ離れないで欲しいと言っているようなものだと気付いて、顔が真っ赤になる。  
「わかりました。それでは、このままで」  
再び楓ちゃんの左手が、再び私の左肩に優しく置かれる。  
その触れた部分がひどく熱く感じられたけど、不愉快な熱さじゃなくて、むしろ心地よかった。  
「それではさっきの続きですが、この例題を……」  
「ああそっか、なるほど!」  
楓ちゃんはさっきのやり取りが嘘のようにいつもどおりに戻ると、勉強を再開した。  
私もそれにならって例題を参考に、早速解き始める。  
今まで楓ちゃんに勉強を教えてもらっていたことは何度もあった。それこそ数え切れないくらいに。  
見ただけでわかる変化は、私の肩に置かれた楓ちゃんの手ぐらいだ。  
それだけの変化なのに、「恋人同士」であることが感じられて嬉しかった。  
夢の中の学園では楓ちゃんは私の従者として徹していたし、私も大切な幼なじみ兼友人として接していた。  
ミフターフの夢を見るまでは。  
 
もうあの夢は閉じられてしまったから見ることはできないけど、最近その頃のことをよく思い出す。  
サーリヤは元気かな。ファラーシャも傍にいるのかな。理人先輩や、キイチ先輩もこの現実のどこかに  
いるんだろうか。  
程なくして、ノートには私の書いた数式と楓ちゃんの付けた赤い丸が書き込まれた。  
 
ひと段落着いてから、勉強に使っていたテーブルでそのまま休憩をとることにした。  
私はマグカップにたっぷり注がれた温かいミルクティーを、楓ちゃんは私の家に置いてある  
自分の湯呑みで日本茶を飲む。  
幼なじみだし両家で仲が良いから特別なことではないのかもしれないけど、自分の帰る家に  
好きな人の私物が当然のようにあるというのは何だかくすぐったい。  
「鞠子様がこの場にいないと知ったら、椿は怒るでしょうね」  
「そうかも……」  
二人で顔を見合わせて苦笑する。  
それでも、楓ちゃんが椿ちゃんに言ったことは嘘じゃない。  
休日なのに御符汰学園の新理事長であるお父さんは何かと忙しくて、今日も出張だ。  
でもお母さんは昼間は家にいるはずだった。  
そう。いる「はず」だった。  
久しぶりに寮から帰ることは教えていたけど、誰と一緒かまでは言わなかったのだ。  
玄関をくぐった私と楓ちゃんの顔を交互に見て、後ろに椿ちゃんがいないことを確認すると  
「まあまあまあ、母さん用事を思い出したわ。楓ちゃん、ゆっくりしていきなさいな。」  
と有無を言わさずまくし立て、とどめに  
「夜まで帰らないから大丈夫よ、安心しなさい。ただし避妊はきちんとね」  
と信じられない言葉を言い放ってから私達がたった今入ってきた玄関を出て行った。  
「おかーさん!?」  
我に返った私がそう口にできたのは、母の姿が見えなくなってからたっぷり30秒たった頃だと思う。  
恥ずかしいやら怒り出したいやらで真っ赤になってしまった私を、楓ちゃんが  
「きっと本当に何か用事があったんですよ。それでついでにからかわれただけです」  
となだめて、落ち着いた頃に勉強を開始したのだ。  
 
そのときのことを思い出して、一軒家に二人きりという状況を改めて意識してしまった。  
動揺をごまかすためにわざと明るい声を出す。  
「ありがとね、楓ちゃんのおかげでだいぶわかるようになったよ!」  
「いいえ、お嬢様は元々優秀ですから。一度理解してしまえば私がいなくとも大丈夫ですよ」  
私がいなくても。その言葉になんだか寂しくなる。  
「そんなことないよ!楓ちゃんは絶対問題の答えは教えてくれないけど、解き方は教えてくれる  
じゃない。そっちのほうが自分の力になるし、応用力も付くからすごくためになるよ。それに私、  
一人だとすぐに答えを見ちゃおうとするから楓ちゃんに見張っててもらわないと駄目なの」  
後半はちょっとした嘘だった。でも、こうでも言わなければきっと楓ちゃんは離れていってしまう。  
私に、大切にしたいのに壊してしまいそうになるから貝殻を返すと言った、あの時のように。  
何故かわからないけど、そんな気がした。  
「だから、私がいなくてもとか……そんなこと言わないで」  
「お嬢様……。申し訳ありません。私の不用意な発言で不安にさせてしまったようですね」  
きっと泣きそうな顔をしていたのだろう。楓ちゃんは謝ってきた。  
私はふるふると首を振る。  
「違う、楓ちゃんが悪いんじゃないの。私が我侭なだけ。楓ちゃんに、ずっと傍にいて欲しいだけ」  
私はなんて自分勝手なんだろう。  
楓ちゃんはもういなくなったりしないのに勝手に寂しくなって、勝手に不安になって。  
自己嫌悪になって顔を伏せ、目を閉じると隣で楓ちゃんが動く気配がした。  
「お嬢様。目を開けてください。」  
 
思いがけず、右下のほうから声がして目を開けると、そこには私のイスの横に跪いた楓ちゃんがいた。  
「そ…ちゃん?」  
楓ちゃんは優しく笑うと、手を、と短く言って私の右手を取った。  
そして。  
「お嬢様。愛しています」  
そう言って、まるで王子様がお姫様にするように左手の甲にキスを落とした。  
「あ……」  
「今、この場で誓います。この命が続く限り、私はお嬢様の傍にいます。もう二度と離れたりはしません。」  
真っ直ぐな瞳で告げられて、涙が溢れる。  
一度は、私から自由にしてあげなきゃと思った。でも楓ちゃんに好きな人がいると知ったとき、  
すごく悲しくて、寂しくなった。  
お母さんみたいに泣くなら恋なんかしないって決めてたのに、気付いたら楓ちゃんに恋をしてた。  
そして今、私のことを愛してるといってくれて、ずっと傍にいるといってくれる。  
「そうちゃあん!」  
嬉しくて。今ここに楓ちゃんがいることが本当に嬉しくて。  
慌てる楓ちゃんに構わずイスから崩れるように床へ座ると、すがりつくように抱きついた。  
「好き…大好き」  
そう言って楓ちゃんの唇に自分のものを押し付ける。  
「私も、好きです」  
初めての私からのキスは自分でもすごくぎこちないと思ったけど、楓ちゃんは嬉しそうに笑ってから  
私の背に腕を回して、何度も何度も優しいキスをしてくれた。  
 
私達は、まだ体を重ねたことがない。  
私は時々抱きしめあったりキスしたりするだけで満足だったし、何より楓ちゃんと椿ちゃんが現実世界に  
いることが嬉しくて、それで十分だった。  
楓ちゃんは紳士だし、何より私の従者だった頃の癖が抜けないのかどこか一線を引いてるところがある。  
だから、そんなことはまだまだ先だと思ってた。  
でも。  
「んっ…!?」  
唇を押し付けあっていただけなのに、薄く開いた唇からふいに生温かいものが口内に侵入してきた。  
それが楓ちゃんの舌だと気付くのにしばらく時間がかかった。  
「っふ……ぷはっ、そ、んぅっ……」  
呼吸をするためにむりやり唇を離して息を吸い、楓ちゃんの名を呼ぼうとした瞬間にまた口を塞がれる。  
くちゅっという水音が羞恥を煽った。  
いつもの楓ちゃんじゃない。  
そう思って目を開くと、楓ちゃんの熱っぽい瞳が視界に飛び込んできた。  
ゾクリ、と知らない感覚が身体の底から這い上がってくる。  
知らない。こんな楓ちゃんは、知らない。  
ふと、フルシュ・ジャリードで押し倒されたときのことが脳裏をよぎった。  
許していないわけじゃない。それでも、あのときの冷たい手と唇は今でも忘れられない。  
そして、楓ちゃんの大きな手が胸に触れたところで私は本気で抵抗した。  
「っや……楓ちゃん!!」  
びくりと楓ちゃんの動きが止まる。その瞬間、私は楓ちゃんを突き飛ばしてしまった。  
 
二人以外誰もいないリビングに、私と楓ちゃんの荒い息遣いが響く。  
自分の鼓動の音が聞こえてきそうだった。  
「……あ………」  
楓ちゃんは、声にならない声を発した。そして、信じられない、という顔をしていた。  
信じられないといっても私が、ではなく自分が――楓ちゃん自身が何をしたのか信じられないという顔だ。  
「楓ちゃ」  
「申し訳ありません!!」  
そして、我に返ったのか即座に私から離れると、頭突きする勢いで頭を床に着けた。  
いわゆる土下座だ。  
「ちょ、楓ちゃん!?」  
「もう二度と欲望に身を任せたりしないと決めていたのに、また俺は同じ事を…」  
いつもは「私」と言っている一人称が変わるくらい、楓ちゃんは動揺しているらしい。  
私は楓ちゃんの見事な土下座により、こんなことに気付けるぐらい変に冷静になっていた。  
私よりもずっと大きなはずの体がとても小さく見える。  
「俺はまたあなたを傷付けてしまった。謝ってすむことではありませんが、本当に申し」  
「ね、楓ちゃん。顔上げて。私の顔を見て」  
「お嬢様……?」  
恐る恐る、楓ちゃんが顔をあげる。  
私は笑っていた。  
目の前の大好きな人が必死に謝る姿がおかしくて、そして彼が謝っている原因が私に対する欲望から来るもの  
だったことが嬉しくて。  
「楓ちゃん。私、傷付いてなんかいないよ。抵抗したのは、えっと、突然でびっくりしたからで  
嫌だったからじゃない」  
「しかし、俺はあなたを」  
「楓ちゃん」  
「……はい」  
また何か言いかけた楓ちゃんを制して続ける。どうか伝わりますように、と願いながら。  
「私達の関係って何?」  
「恋人です」  
間髪入れずに返答があった。  
「うん、そうだよね。じゃあ、なんで楓ちゃんは私に前と……従者とご主人様のときと同じ態度で  
接するの?」  
「十数年同じ態度で来たのですから、急に変えられるものではありません。それにお嬢様は、昔も  
今も変わらず我々の大切な方です。恐らく椿も同じ気持ちでしょう。」  
予想通りの答えに、苦笑する。  
「本当にそれだけ?」  
「……わかりました。正直に言います。私はフルシュ・ジャリードでお嬢様に乱暴を働きました。  
あなたの気持ちを無視し、汚そうとしました。そのときに私はもう二度と欲望に流されたりしないと  
誓ったのです。なのに…!」  
それきり、楓ちゃんは俯いてしまった。  
「フルシュ・ジャリードでのことは確かに怖かったよ。」  
私の静かな声にその肩がピクッと震える。  
「楓ちゃんの気持ちがわからなかったから。心がすれ違ったままで、楓ちゃんの心がわからなかった  
からだよ。でもね私、あのことはもう許してるけど忘れないよ。だってあれも、楓ちゃんの一部だから」  
ものすごく恥ずかしいけど、これは私から言わないといけない。  
私から言わないと、きっと楓ちゃんはずっと自分を抑え続けるだろうから。  
「今は恋人なんだよね。じゃあ、恋人にはそういう…欲望って、持っちゃいけないのかな?」  
 
その言葉に楓ちゃんが顔を上げた。  
多分、今私の顔はものすごく赤いと思う。  
「楓ちゃんが私のことを大切にしてくれるのはわかるよ?でもね、たまに不安になるの。  
今の私達の関係は、心は通じ合っててもどこかに線があるんじゃないかって」  
勉強をしていたときの、あの肩に置かれた大きな手を思い浮かべる。あれは、きっと楓ちゃんなりの  
どこまで自分の決めた線なのかの確認なんだろう。  
笑ってごまかしながら、私が嫌がっていないかの確認。  
私が嫌がることは、すなわち彼の引いた境界線の外になる。  
「お嬢様……すみませんでした」  
一瞬のためらいの後、ぎゅっと抱きしめられた。頬が熱い。それは赤くなっているだけじゃなくて、  
涙が流れているせいだとここで初めて気付いた。  
「謝らないでよ。勝手に線なんか引かないでよ。壊したいなら壊してよ!私は楓ちゃんが好き。  
だから楓ちゃんになら何されてもいい」  
「そんなことを軽々しく口にしてはいけません。ご自分が何を言っているかわかっているのですか!」  
「わかってるよ!!」  
楓ちゃんの腕から逃げ出して、真っ直ぐに顔を見つめる。  
「私は楓ちゃんが好き。だから、私のことを欲しいと思ってもらえるのはすごく嬉しいの。」  
見つめた先には、理性と本能の間で揺らぐ男の顔があった。  
「楓ちゃん。私を壊して」  
「……知りませんよ。どうなっても」  
確かに、恐怖はある。高校生になって初恋もまだだった私に経験なんてあるはずがない。  
駆け引きなんて知らない。  
でも楓ちゃんなら。楓ちゃんだから。  
「楓ちゃんなら、良いよ」  
 
そう告げた直後、私の世界は90度回って背中が固い床に着いていた。  
「んっ…はあっ………」  
楓ちゃんの舌が私の口腔内を這い回る。そして私の舌を見つけると、吸い上げて絡めた。  
くちゅくちゅと、さっきのキスとは比べ物にならない恥ずかしい水音がする。  
唇の端から、唾液が零れた。  
貪るとはこういうことを言うのだろうかとぼんやり思った。  
「……最後まで守ろうとした線をあなたから踏み越えたんですからね。もう、止められませんよ」  
壊していいと言ってるのに、こうやって何度も確認するのが彼らしい。  
優しい人。優しすぎて、私のためにすべてを抑えようとしてしまう人。  
私の大好きな人。  
「何度も言ったでしょ。楓ちゃんなら良いって」  
本当は恥ずかしくて死にそうだったけど、精一杯の笑顔でそう答える。  
「私の知らない楓ちゃんを、もっと教えて」  
「だからそうやって煽るようなことをですね…。もう良いです。わかりました。ここは床ですから、  
お嬢様の部屋に行きましょう」  
あなたの部屋で抱きたい、と耳元で低く告げられて背筋が甘い期待に震えた。  
 
いわゆるお姫様抱っこで部屋まで運ばれた後、ゆっくりとベッドの上に降ろされた。しばらく使ってない  
部屋は少し湿っぽかったけど、お互いにそんなのは全然気にならなかった。  
楓ちゃんは額、目元、頬、鼻の先とあらゆる場所に軽いキスを降らせる。  
ちょっと長くて、女の私でも惚れ惚れするぐらい綺麗な黒髪が時折私の顔に触れた。  
そして唇にも一度軽いキスをしてから、さっきのように舌を侵入させて深く絡めてきた。  
「はぁっ…っふ」  
私が苦しそうに喘ぐと何度も唇を放して、私が息継ぎをするのを確認してからまた口付ける。  
何度キスしたのかわからなくなった頃、ようやく唇が解放された。  
「優しくしてさしあげたいですが、多分無理です。ですが、もう謝りませんよ」  
「良いよ。抱いて、楓ちゃん」  
楓ちゃんは私を一度きつく抱きしめてから、首筋に吸い付いた。  
ちりっとしたかすかな痛みに震える。  
「…こんなところに痕をつけてしまって、私は椿に殺されるかもしれませんね」  
「私も椿ちゃんに説明するから大丈夫だよ」  
「どう説明するんです?自分から誘惑したとでも言うんですか?」  
「な、なんか楓ちゃん意地悪だよ!」  
「優しくできないって言ったでしょう」  
「優しくの意味が違うでしょ!」  
こんな場にそぐわない軽口の応酬に、思わず額をこつんと合わせて笑いあった。  
大丈夫、いつもの楓ちゃんだ。  
そう思った瞬間、私のいつもより少し大きめに開いた服の胸元から手を差し入れた。  
「やっ…」  
「大変可愛らしい服であなたに似合っていますが、他の男の前では着ないでくださいね。  
勉強の間、気になって仕方ありませんでした」  
ブラの中をおおきな手が這い回り、膨らみの中心を長い指がとらえた。  
「ひゃっ!」  
未知の感覚に思わず腰が逃げる。  
「痛いですか?」  
「痛くはないけど…」  
「じゃあ、気持ち良い?」  
「わ、わかんない!」  
照れでも何でもなく、本当に私はその感覚が何だかわからなかった。  
「では、わかるまでしてみましょうか」  
「へ?」  
呟くようにそう告げると、いきなり私の服の裾を捲り上げた。  
「そ、楓ちゃん!?」  
「脱いでください。このままではどのみち皺になってしまいますよ」  
「うう……」  
本当は拒みたかった。でも、私は言ったんだ。  
楓ちゃんなら何をしても良いと。  
楓ちゃんが私の服を脱がせるのを顔から火が出る思いで手伝って、あっという間に裸になってしまった。  
恥ずかしくて布団に包まるのを横で笑いながら、楓ちゃん自身もベッドの端に腰掛けて濃紺のワイシャツを  
脱ぎ捨てた。まだ一緒にプールに入って遊んでいた頃以来の  
――私の記憶がどこまでオリジナルなのかはわからないけど――  
とにかく、あの頃とは全然違う引き締まった体に鼓動が速くなった。  
「何を見てるんですか?」  
「え?きゃああ!?」  
質問して油断させておいて、布団を剥ぎ取ってしまう。もしかしたら、遠慮を無くした本当の楓ちゃんは  
かなり意地悪な人なのかもしれない。  
「や、見ないで!」  
手で隠せるところなんてたかがしれてるけど、それでも必死で隠せるだけ隠す。  
「隠さないでください。綺麗ですよ、お嬢様」  
「そんなことないもん!スタイル悪いし、む、胸だってないし!!」  
「本当ですよ。ミフターフのドレスもあれだけ着こなしていたじゃないですか。あのドレスはスタイルが  
良くなければ似合いません」  
「そんなこと言われたって……」  
「私なら、何をしても良いんでしょう?」  
「うううううう………」  
「お嬢様。見せてください」  
言質を取られているから抵抗しようがない。私はおとなしく胸の前で交差していた腕を解いて、体の横に置いた。  
 
それからのことはよく覚えてない。  
楓ちゃんにさんざん胸の先を嬲られて「気持ち良い」という感覚を覚えこまされた後、体中のありとあらゆる所を  
指と舌先で辿られて、どこが気持ち良いのか言わされた。それだけでもいっぱいいっぱいなのに、今まで自分でも  
よく触ったことのなかったとても恥ずかしい場所を舐められた。  
そして今は。  
「そうちゃ、もう許してえ……」  
「駄目です。やめません。最初に境界線を踏み越えて煽ったあなたが悪いんですからね」  
「そ、だけど…んあっ…やっ……」  
楓ちゃんが動くと、結合部からぐちゅりと音がする。  
初めての証拠の血が出たのは少し前。最初は気遣って埋め込んだまま動かないでいてくれた楓ちゃんだけど、  
私が少し慣れたのを確認するとゆっくりと前後に動きだした。  
「あっ……ぁ…っく」  
「お嬢様……!!」  
突然、楓ちゃんの動きが激しくなる。  
カーテンを閉め切った薄暗い部屋に二人の激しい息遣いと水音、ベッドのギシギシという悲鳴が満ちた。  
「お嬢様、以前に迦神先生が言った言葉を覚えていますか?」  
「かっ、がみ先生…?っあ」  
腰の動きを止めずに、楓ちゃんが問いかけてくる。どうしてここで、全然関係ない迦神先生の名前が出てくるんだろう。  
「はい、私のことをインキュバスだと」  
そういえば、フルシュ・ジャリードでこれからイブリースの元へ行こうというときに迦神先生が言ったんだ。  
『インキュバスのナスル』と。  
もう言葉を紡ぐのが難しくなっていた私は、覚えていることを示すためにコクコクと首を縦に振った。  
「では、インキュバスというものが何かご存知ですか?」  
「し、しら…っない」  
私がそう答えると、今度は間があった。不審に思って閉じていた眼を開けて楓ちゃんの顔を見る。  
そこには、従者でもなく紳士でもない、情欲に溺れるただの男がいた。  
「インキュバスとは、夢魔のことですが…他の意味もあるんですよ」  
「他の意味……?」  
「はい。人間の女性が眠っている間に交わって妊娠させる、淫夢魔…という意味が」  
「ああああっ!」  
私の中にある熱をギリギリまで引き抜き、ぐっと最奥まで貫かれる。  
慣らされたおかげで痛みはなくて、変わりに恐ろしいほどの快感が走った。  
「私はもう人ですが今あなたにこんなことをしている以上、あの男の言うことは正しかったということですね」  
楓ちゃんが、自虐的にククッと笑う。今まで私の見たことの無い笑い方だった。  
楓ちゃんが自分自身の言葉に傷ついているのがわかって、切なくなる。  
「でも、それも含めて楓ちゃんでしょう?」  
守ってあげたい。この大好きな人を。  
そっと両手で楓ちゃんの頬を包んで、笑いかける。  
楓ちゃんの動きが止まった。  
「私は、どんな楓ちゃんでも大好き。それが楓ちゃんなら全部好き」  
少し上半身を浮かせて私から唇に触れるだけのキスをする。  
「お嬢様…」  
「私ね、ずっと恋をするのが怖かった。お母さんみたいに泣きたくなかったから。でも楓ちゃんに恋を  
したから今があるの。だから、楓ちゃんに恋をして良かった。初めての恋が楓ちゃんで、良かった」  
そう言って抱きしめる。  
しっとりと濡れた肌が密着して、今私達が一つになっていることが実感できて心地良かった。  
「お嬢様…愛して、います」  
そう言って、楓ちゃんが痛いくらいに私を抱きしめ返してくれた。  
「ずっと、あなたの傍にいます。生涯あなたをお守ります」  
「壊しても、良いよ?」  
そう笑うと、楓ちゃんが驚いた様子で私の顔を覗き込む。  
「だから我慢なんてしないで。自分の気持ちを押さえ込まないで。どんな楓ちゃんでも受け止めるから」  
「お嬢様……!」  
「ふぁっ…あぁっ」  
それまで動きを止めていた楓ちゃんが、突然動きだした。気持ちよすぎて、段々頭がフワフワしてくる。  
「楓ちゃ、お願い、名前よんで……」  
今だけは『お嬢様』でも『あなた』でもなく。呼んだことのない、私の名前を。  
「はあっ……美紅…!」  
「――っ!」  
名前を呼ばれながら最奥を突かれた直後、私は意識を手放した。  
 
「楓ちゃん、寮までおんぶなんて恥ずかしいよ!」  
「いいえ、これは譲れません。まだ腰だってたたないでしょう?」  
「それはそうだけど!」  
秋特有の綺麗な夕暮れの帰り道、私は楓ちゃんにおんぶされていた。  
最初は自分で歩くと言ったんだけど、脚に力が入らずに一歩踏み出した所でこけそうになってしまった。  
それを抱きとめてくれた楓ちゃんが寮までおんぶをすると言い出して、こんな形になったのだ。  
「大丈夫です。あなたをおんぶするのは慣れてますから」  
「そういう問題じゃなぁぁい」  
人通りの少ない道とはいえ、道いく人の視線が痛い。  
「かなり無理をさせてしまいましたね」  
手加減できなかったことを後悔しているのか、楓ちゃんはぽつりと独り言のように呟いた。  
「……謝ったりしたら、絶対許さないからね」  
あんなに恥ずかしい思いをして頑張ったのに、謝られたらすべてが水の泡だ。  
「わかっています」  
さっきと違うはっきりとした声音に安心する。  
こつん、と目の前にある背中におでこをつけた。  
ずっと気になっていたことは解決した。あとは、私のささやかな野望を成し遂げるだけだ。  
「楓ちゃん、お願いがあるんだけど」  
「何ですか?」  
きっとすごく優しくて義理堅いこの人は、私から言わないと気付いてくれない。  
「無理にとは言わないから。二人っきりのときで良いから。ちゃんと名前で呼んで」  
ぴたり、と楓ちゃんの足が止まる。  
少し考えるような、戸惑うような空気がしばらく漂ったあとに。  
「……はい、美紅」  
心地良い彼の声が、私の鼓膜を震わせた。  
顔を見なくても耳が赤いから、今彼がどんな顔をしているのかわかる。  
再び寮に向かって歩き出した楓ちゃんの広い背中に身を委ねながら、ゆっくりと目を閉じた。  
 
 
 
御符汰学園近くのある喫茶店。  
窓際の特等席に、艶やかな着物姿の妙齢の女性と、肩甲骨の辺りまで伸びた真っ直ぐの髪を持つこれぞ大和撫子  
といった雰囲気の制服姿の少女が向かい合って座っていた。  
いたって平凡な、見るものによっては眼福以外の何物でもない光景のはずだが、女性が楽しそうにコロコロと  
笑っているのに比べ、少女のほうは愛らしい顔をしているにも関わらず眉間にしわを寄せ、紅茶にもほとんど  
手をつけていなかった。  
「――鞠子様」  
「なあに、椿ちゃん」  
「こうして鞠子様にお茶に誘っていただいたこと、椿は感謝しております。ですが、なぜあなた様が  
ここにいらっしゃるのでしょうか?」  
二人が出逢ったのは偶然だった。美紅の父親が新理事長になってからというもの、厳しく制限がかかっていた  
外出もだいぶ自由が効く様になった。そのせいで残り少なくなった愛用のお茶を買いに行くついでにと一人で  
繁華街に出かけた椿と、今まで男性に縁遠かった可愛い娘の恋路を邪魔しないようにと自宅から無理やり出て  
きた鞠子が道端でばったりと出くわすことになったのだ。  
「本日は、ご自宅に姫様と兄がいるのでは?」  
「もう、椿ちゃんったら野暮ねえ。せっかくの機会なんだし二人きりにさせてあげたのよ。あの子達、付き合ってる  
割にぜーんぜん進歩がないんだもの。楓ちゃんがあの子を大事にしてくれるのはありがたいんだけどねえ。  
出掛けにちょっとからかっただけで真っ赤になっちゃって」  
「で、ではやはり今はあの家に二人きりなんですの!?」  
椿が勢いよく立ち上がったせいでガタン、とイスが不穏な音を立てる。  
「そうよー?」  
鞠子は彼女のこんな反応に慣れているのか、少しも動じない。  
「お兄様は普段はああやって無害なふりをしていますが、姫様に対しては欲望の塊なんですのよ!?ですから  
鞠子様がいらっしゃるならと椿が涙を飲んで同行することを自粛しましたのに!ああ、姫様がもし兄の毒牙に  
かかっていたりしたら、椿は、椿は…!!」  
「椿ちゃん、まあ落ち着きなさいな。声が大きいわよ」  
「落ち着いてなんかいられませんわ!こうしている間にも、姫様の身に何かあったら…、鞠子様、椿はこれで失礼します」  
「椿!!」  
鞠子が今にも店を飛び出しそうな椿をピシリ、と有無を言わさぬ強い口調で宥める。  
「お座りなさい」  
その迫力に渋々椿がイスに座りなおすと、鞠子は諭すように話し始めた。  
「椿ちゃんがあの子をとても大事にしてくれるのはわかってるし、嬉しいのよ?それは楓ちゃんも同じ。  
でもね、やっぱり親として娘には幸せになって欲しいの。そんなにヤワな子には育ててないつもりだし、  
ちょっとくらい無茶したって平気よ。楓ちゃんだって、あの子を本気で壊すようなことはしないわ」  
それはあなたが一番わかってるでしょ?と微笑まれて、椿は黙り込んでしまった。  
「……本当はわかっていますわ。お兄様が姫様をどれだけ大切にしているのか」  
元々は一つの魂だったのだから。ずっと二人を、傍で見てきたのだから。  
「ただ、姫様とお兄様が椿を置いて遠くに行ってしまうのではと、寂しいのです」  
自然と涙が溢れて困っているのに、鞠子が優しく頭を撫でるものだから、余計にその涙は止まることはなかった。  
 
翌日、珍しく起きてくるのが遅い美紅を心配して起こしに行った椿が、その首筋に赤いものを発見し、  
兄を血祭りにあげるべく男子寮に向かったのはまた別のお話。  
 

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