「今日も良かったのう…なぁ、悦ねぇはどうやった?」  
先ほどまでの中田三郎はどこにいったんやろか?  
私の隣にいる、中田三郎はいつもの中田三郎やった。  
優しくてかっこええ…  
いつもの中田三郎やった。  
「別に…いつもと変わらんけんね………」  
いつもと変わらない…  
そんなのは嘘や。  
自分でも分かっとる。  
最初は、嫌やった。  
嫌で、嫌で仕方がなかった。  
でも、気がついたら  
部活が終わった後の一時の中田三郎との逢瀬を楽しみにしとる自分がおった。  
「意地っ張りやのう…まっ、ええか。なぁっ、これからどっか行かんか?」  
「行かん」  
間入れず返事をした私に中田三郎は溜息をついた。  
溜息をつきたいんはこっちや。  
ヒドイ事したくせに、いやや、いやや、言うても止めんかったくせに  
やのに、やのに、中田三郎はいつもと変わらん…  
笑顔の似合う優しい中田三郎のままや。  
変わったんは私だけなんやろな………  
「え〜なんや、カラオケでも行こうや〜悦ねぇのいけず…」  
人がこないに悩んでるのに…  
いつもなら気にならないはずの  
彼独特の口調も  
今日ばかりは感に触る。  
「なぁ…ほんとに行かんの?」  
肩を抱き寄せられる。  
瞬間、ふわっと香水の良い匂いが鼻を擽った。  
海を連想させるような  
アクアマリンの良い匂い  
それは、心地良い香りであると同時に不快でもあった。  
「ごめん、今日、ちょっと用事があるけんね。先、帰っといてや…」  
肩に回された手を振りほどく。  
いつもの中田三郎ならここで引き止めるはずや…  
「分かった、悦ねぇはそう言うなら先、帰るわ」  
「そうそう、先に帰って………えっ???」  
いつもならここで引き止めるはず…  
でも、今日の中田三郎は違った。  
普段の彼ならまだ、食い下がるはず…  
どうして、今日はこうもあっさりと  
引き下がったのだろうか…  
 
「じゃっ、また明日な、悦ねぇ」  
「えっ、あ、う、うん…また明日…」  
混乱する私をよそに、中田三郎は鞄を持つと  
ドアを開けて出て行った。  
パタンとドアの閉まる音がやけに耳に残った気がした。  
別れの言葉を口にした時  
軽くではあるが頬にキスをされた。  
行為の時の激しいキスとは違う。  
軽いキス…  
中田三郎は、彼は、何を考えているんやろうか?  
私をどう思っているんやろうか?  
ボートをどう思っているんやろうか?  
考えても仕方がない事ばかり  
頭に浮かんでは消えていく。  
そんなの考えたって仕方がないのに…  
どの位時間が経ったんやろか?  
なんや、しばらく、その場から離れとうなかった。  
なんや、知らんけど…ぼーっとしていたかった。  
ちらっと時計の針に眼をやると  
七時を差していた。  
「そろそろ、帰ろか………」  
溜息まじりに持つ鞄  
気のせいかいつもより重く感じる。  
鞄を肩に掛けると  
足早に部室を後にした。  
肌に残る中田三郎のぬくもりが暖かくもあり  
恨めしくもあった。  
どっちや、自分、訳分からんわ。  
心の中で苦笑いした。  
「なんや、すっかり寒くなったんやねぇ…」  
校門を潜り抜けると冷たい空気が頬を横切った。  
松山の冬は早い。  
秋を通り越して先に冬が来とるんやないか?と思う程  
来るのが早い。  
寒さと行為の後の独特のけだるさが重なって  
何とも言えない、だるい感じが体を襲う。  
「手袋…持ってくれば良かった…」  
ペダルを漕ぐ度に後悔の念はどんどん大きくなっていく。  
手先は寒さでかじかんでハンドルを持つのがやっとや。  
なんや、なんか知らんけど泣きたくなってきたわ。  
「なんやの、もう…わけ分からん………」  
ぽろぽろと瞳から涙が零れ落ちていくんが分かった。  
ペダルを漕いでるせいか  
涙は頬の横に刻まれていく。  
空気の冷たさもあったんやろう。  
涙がとても暖かい物に感じた。  
 
「ブーの…ブーの…ブーの馬鹿ヤロー!!!」  
気がついたらブーの悪口を叫んどった。  
そんな事したって何にもならんのは分かっとる。  
分かっとる…  
やけど、口にせずにはおられんかった。  
「ブーのアホー!!!」  
「誰がアホやねん!!!」  
「誰って…ブーに決ってるやろ!!!………えっ???」  
ききぃーと急ブレーキを踏む。  
恐る恐る、声のした方に眼を向ける。  
豚神様…どうか、どうか、これが、夢でありますように…  
「なんや、俺、何もしてへんのに…いきなり、人の事馬鹿ヤロー!!!だの…  
アホー!!!だの…ヒドイ奴やのう…俺がなんかしたみたいなやないか…びっくりするわ!!!」  
ブーやった。  
ちょっと癖のある髪に  
少し垂れ気味の眼  
気になる程ではないけど  
しゃがれ気味の声  
何をどう考えてもブーや。  
誰がどう考えてもブーや。  
ブー…、ブー………  
ブーの馬鹿!!!  
ブーの声を聞いた途端  
ブーの顔を見た途端  
胸の中が熱くなったんが分かった。  
「うっ…ブーの、ブーの…ブーのアホー!!!」  
思いを代弁してるかの様に  
涙はとめどなく溢れては流れ落ちる。  
「なっ…誰がアホや…って…こ、こらっ!!だ、抱きつくなや、篠村?!泣いとるんか?」  
気がついたら、自転車を放り出し  
ブーに抱きついとる自分がいた。  
私に抱きつかれたブーは  
どうして良いか分からんかったんやろう。  
動こうとせんかった。  
でも、私はブーから離れとうなかった。  
今、離れたら二度とブーに会えないんやないか…  
そう思った。  
 
「何か、あったんか?」  
「うっ、ひっく…べ、別に何もないけんね!!!」  
嘘つき…  
ほんとはあったクセに…  
中田三郎との事があったクセに…  
「何もないのに泣くんか?何かあったんやろ?」  
ブーの優しい声が胸に響く。  
その優しさが今の私にはとても辛いものに思えた。  
「何も…ない…何もないけん………」  
こないな時まで意地を張って  
素直になれない自分が嫌や…  
「そか、言いたくないんやったら、仕方がないな」  
そう言うとブーは私を抱きしめた。  
ブーに抱きしめられた時、海の匂いがした。  
優しい匂い  
香水とは違う肌の匂い  
さっき嗅いだ匂いとは違い  
それはとても心地良いものやった。  
「泣きたいだけ、泣けや…お前の気がすむまで泣いたらええ」  
ギュっと強く抱きしめられる。  
甘えたい。  
ブーの優しさに  
彼の優しさに  
甘えてしまいたい。  
どれ位の時間が経ったんやろうか?  
しばらくの間、私はブーの胸に顔を埋めて泣いとった。  
涙が枯れてしまって、もう出えへん!!!言う位泣いた。  
「落ちついたか?そ、その、し、篠村、なんや、その、言いにくいんやけどな…」  
「何やの、ブー…」  
ブーは明らかに困った顔をしとった。  
目はきょろきょろとあっちを見たり  
こっちを見たり忙しなく動き回り  
口は何か言いたそうにもごもごとしている。  
 
「そ、そのな、む、む、む、む………」  
「む、む、む、何よ!!言いたい事があるんならはっきり言ってや!!!」  
口ごもるブーに苛々して  
つい語尾を荒げてしまう。  
私の悪い癖  
本当は女の子らしくしたいのに  
出来ん。  
何でか知らんけど  
ヤバネェになってしまう…  
そ、そんな事よりブーの言いたい事や!!!  
「胸が当たっとるんやけどな………」  
「何よ、それぐらいの事で………えっ、なっ、ブーのエロ!!!」  
気がつかんかった…  
そ、そうやろね。  
あ、あんだけ体を密着させとったら  
胸の一個や、二個ぐらい当たって  
当たり前やろね…  
で、でも、恥かしい。  
仕方がないとは分かっとっても恥かしい。  
いくら、中田三郎とあんな事しとっても  
女の子や。  
心は女の子や。  
ブーのアホ………  
もっと早う教えてくれれば良かったのに…  
「ブーのエロ!!!って…お前から抱きついてきたんやないか!!!」  
「うっさい、エロブー!!!ブーのエロ!!!スケベ!!変態!!!」  
思いつく限りの言葉をブーに浴びせる。  
ブーが悪いんやないのは分かっとる。  
けど、やけど、恥かしい…んやもん…  
キッと強くブーを睨みつける。  
「ぷっ…ふふ…ぷはぁ、あーはっは!!!」  
「な、何で笑うんよ!!!」  
何が可笑しいのかブーはげらげらと  
腹を抱えて笑い出した。  
そんな、ブーを見とったら  
なんや、ムカムカしてきた。  
 
「くっ…エロブー!!今日と言う今日は許さ……んっ─?!」  
拳を振り上げブーを殴ろうとした瞬間、何かが口に押し込まれた。  
「んっ…んぐっ!!んっ、んっ!!」  
「遠慮せんと食えや…」  
ゆっくりと口に押し込まれ何かを噛む。  
噛んだ時どろっと生温かい物が口中に広がった。  
「んっ…あ、あんまん?!」  
「お前、好きやろ?ほら、ちっちゃい頃よう一緒に食べ…こら、人の話聞けや!!!」  
甘くて美味しい…  
無我夢中であんまんを頬張る。  
冷たい空気に晒された体が  
一気に暖かくなる気がした。  
小さい時、一緒に食べた味…  
二人で半分こして食べた味…  
覚えとってくれたんや…  
私があんまん好きな事…  
なんや、嬉しい…  
「ちょっと、冷めとるけど…でも、あんこはあっかいやろ?だから、殴るのは勘弁な」  
「う、うん…美味しいけんね…」  
「お前、やっと笑ったな…」  
「えっ…」  
動揺して後ろに置いておいた自転車を倒してしまった。  
ガシャンと大きな音が静寂を打ち消す。  
私達らしい、いつもの展開。  
良い雰囲気にはなるけど  
必ずそれを打ち消す何かが起こる。  
「あ、ほら、自転車…ったく、トロイやっちゃのう…」  
「あ、ご、ごめん」  
笑いながら自転車を起こす  
ブーの横顔に胸の鼓動が早うなるんが分かった。  
あぁ…やっぱり、私はブーが好きなんや…  
そう心の底から実感した瞬間だった。  
 
 
 

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