喉の渇きを覚えて目が覚めた。
無意識ながらベッドサイドの時計を見ると、夜明け前の時刻を告げる文字盤がうっすらと発光している。
隣で眠っている彼女を起こさないようにそっとベッドを抜け出し、
キッチンで冷たい水で自身を潤す。
ふと、キッチンから続いているリビングに目をやると、カーテンの隙間から青白い光が洩れていることに気付いた。
それを認めた途端に闇の中が一瞬にして薄明かりに包まれたような錯覚に陥る。
周り一帯が幻のようにぼんやりと浮き上がるような時間帯が、彼の最近のお気に入りだった。
以前であれば真夜中の静謐な空気が一番心安らぐものであったが、その時間と明度が段々と進んでいるような気がする。
別に朝日を浴びたら灰になる訳ではないが、闇の眷属であった我が身を省みては何だか不思議な気分になる。
もしかしたらこれが、人間に近付いている証拠かも知れない……などと滑稽なことを思う。
見た目はすっかり家事をこなす人間でも、「大魔界の魔導士は姿を消す」
と格好をつけたことを口にしたとしても、その本質が一時に変わってしまうことはないのだ。
知っていたことと、それに己を順応させることは別問題な訳で。
焦らなくてもいいんですよ、と言われながらも少しずつ人間になっていくことが楽しいと感じているのも事実だった。
「……すっかり目が覚めてしまったな」
確認するように声に出してから、少し早いがその分いつもより豪勢な朝食の準備でもしようかと思い立ち。
しかし、すぐさまその案を却下して寝室に戻ることにした。
すうすうと規則正しい寝息を立てる彼女の横に滑り込み、その寝顔を眺めることが何より重要なことに思えたからだ。
人間としてこの町に留まる理由は彼女以外の何ものでもない。
彼女がいなければ……今頃どうしていただろう?
答えの見つからない問いを宙に発してから、彼女の瞼や頬、耳元へ唇を落とす。
調子に乗って首筋へと滑らせたところで、流石に気付かれたようだった。
「うん……やみの、さん……?」
まだ夢の中といった風情の彼女に苦笑しながら、
「すまん、起こしてしまった。時間はあるからもう少し寝るといい」
囁いて額にキスをする。
そのまま、またあちこちに口づける。
言動が真逆であることは分かっていたが、自分を止められずにぎゅうと抱きしめた。
「……やみのさん?」
「すまん」
やわらかな髪に顎をうずめる。腕の中に収まる彼の存在意義を確かめるように力を込める。
先程渇きを癒やしたばかりの喉の奥がつんとする。
病気でもないのに胸が苦しくなるのも人間の体だからだろうか。
「暫くこうしていても構わんか?」
「うふふ……ずっとこうしていてください」
そっと身を寄せてくる。
抱きしめたあたたかさにどうしようもなくなる。
「亜衣子さん」
「はい」
「……いや、何でもない」
万の言葉を費やしてもこの気持ちを伝えられないような気がして、役立たずの唇を彼女のそれで塞いでしまうことにした。