『帰ってきた やみのさん』
木立にかこまれた大魔界の封印岩を前にして、ヤミノリウスは一人なやんでいた。
エルドランのしめ縄はもはやない。きっとゴクアーク様が復活なさったおりに消滅したのであろう。そして、再びしめ縄が張られることもないだろう。なぜならゴクアーク様は…
(太陽に消えたから…)
したがって、この岩はもはや封印岩ではない。大魔界と人間界をつなぐ架橋だ。その証拠に、ヤミノリウスが岩にふれると、その手はなんの抵抗もなく岩にのめりこむ。その身を投じればたちどころに大魔界へ帰りつけるというのに…
「なーぜ、私は迷っておるのだぁ?!」
ヤミノリウスは頭をかかえてじだんだを踏んだ。
「この人間界のどこに、未練があるというのだ!」
下界をみおろせば、そこには彼がこの一年くらしてきた青空町がひろがっている。
「空は青いし、魔界料理も無い! にっくきガンバーチームにさんざん手こずらされたこの町にっ!…」
『むけるような青空が、あなたを待っているわ!』
『この人は、いい人なんです…』
『…待って、闇野さん!!』
(…あの女がいるからなのか………)
メガホンでうるさくつきまとってきたあの女。
終盤、ことあるごとに邪魔をしてきたあの女。
そして、最後まで自分を善良と言い張った、あの女。
「あの女が、なぜあそこまで私を信じていたのか…。いくら考えても、さっぱりわからん。わからんくせに、むしょーに気になる。理由がわかるまでは、帰れたもんじゃない。」
そんなもの、彼女に聞けば簡単なはずなのだが。
「そ、そんな事ができるか。私はもう二度と姿を見せないと、皆の前で誓ってしまったではないか。あれからしばらく経つというのに、今さら『実は帰っていませんでした』なんて戻れるものか!」
はあっ、と大きなためいきをついて、ヤミノリウスはてもちぶさたにマントの下から動物魔界獣辞典をとりだす。ゴクアーク様に返しそびれて唯一手元に残った魔界獣辞典、それをぱらりぱらりとめくりながら、頭では別のことを考える。
(やはり、記憶をなくしていた『あの時』に秘密がありそうだ。)
彼女の持っていた写真には、人間姿の自分が写っていた。
彼女が自分を『ヤミノリウス』ではなく『闇野』と呼んでいたところからも、人間姿の自分が彼女と接触し、どうやら名前を教えるぐらいまでの間柄になっていたようだとまでは推測できる。
だが、肝心の記憶がどうしても戻らない。
どうやって彼女と出会ったのか。
何がおこったのか。
自分は何をしたのか。
すべてのカギは失われた記憶がにぎっている。
ヤミノリウスは魔界獣辞典をぱらぱらとながめながら、頭では記憶の糸をなんとかたぐりよせようと努力していたが、やがてふっとため息をつき、あきらめたように肩をおとす。
「だが、いくらがんばっても思い出せないものは仕方な……くないっ!!
そうか、この手があったか!!」
辞典のあるページに目がとまったヤミノリウスは、思わずそう叫んでガッツポーズをした。マントをひるがえし、虚空から魔法の杖をとりだす。
「侵略ではないのだから、魔界獣をよびだしてもさしつかえあるまい。
ゾイワコノイワコ マカイヤゾイワコ 暗く果てない魔界の地より 今こそいでよわが前に ハズラムサライヤァー!!」
地面に描かれた魔法陣が赤く輝き、純白の小船に乗った黄色い鳥の魔界獣が現れた。
ひさびさの召喚術に成功したヤミノリウスは満足そうにほほえむと、鳥魔界獣によびかけた。
「カナリア魔界獣よ。おまえの小船に乗る者は、忘れていた記憶をとりもどせるそうだな。さあ、船からおりて、代わりに私を乗せてくれ。」
カナリア魔界獣はこくびを傾げてヤミノリウスの顔を見たが、何も言わずに飛びたち、近くの木の枝に止まった。
ヤミノリウスは小船にいそいそと近寄ると、よいこらせっと跳び乗った。
「さあ蘇れ、我が記憶!」
ぴかり、と小船がヤミノリウスごと白い光につつまれた。
おおっ! と、おどろくヤミノリウス。
そして、光が消えたとき、ヤミノリウスは全ての記憶をとりもどした状態で小船の中にへたりこんでいた。
「お、思い出したぞ・・・全てを。
・・・なんと・・・・・・
・・・なんと・・・・・・
なんと恥ずかしーコトをぉぉぉ!!」
一生思い出せない方がよかったと後悔してしまうくらい恥ずかしい記憶喪失中の自分の言動の数々に、ヤミノリウスは身もだえした。
「これでは亜衣子さんが私を『いい人』と誤解するのも当然だ。そ、それに、私がガンバーチームの応援をするなんて。
しかも…しかも……本当に私が言ったのか? 『あなたは天使だ』って?! 言ってしまったのか!? ……うわあああぁぁ。」
思わず船底に頭をがんがんうちつけて、記憶よとんでけと願うヤミノリウスだったが、しだいに落ち着きが戻ってくると、今度は亜衣子先生の言動に着目しながら記憶を反芻しはじめた。
そしてあらためて知った彼女の恩。
「彼女にこんなに世話になっていたとは……いくら忘れていたとはいえ、あの女に礼の一言もいわず、ただただ数々のむごい仕打ちをくわえてきたことが、今さらながらに恥ずかしい。」
ヤミノリウスは小船からおりて地面に座り込むと、腕をくんで考え始めた。
(さて、これであの女…いや、亜衣子さんにまつわる謎はとけた。これで心おきなく大魔界へと帰ることが……いっそう無理になってしまったではないかっ!!
一度は会って、今までの無礼をあやまらねば。
それに…
…もし頼めば、一緒に大魔界へ来てくれるだろうか? この私のかたわらで、ずっと暮らしてくれるだろうか?…)
「……はっ。なんと突拍子もないことを考えだすのだヤミノリウス。気をしっかりもて。確かに、あの女はすばらしい性格の持ち主だが、ただの人間ではないか。
それに、まず会うにしても、消滅宣言をしてしまったこの状態で、どうやって会えばよいのやら…。」
うーむ、と唸ってただひたすら考え続けるヤミノリウス。
カナリア魔界獣は木にとまったまま、そんなヤミノリウスをずっと見つめていたが、微動だにしないその姿にやがて飽きがきたのか、
「ぴちくりぴー!」
と、高らかに一声鳴いて、どこかへ飛び去ってしまった。