『いい人などいない』  
 
 
 ヤミノリウスを説得するために日夜奔走する青空小4年1組の担任・立花亜衣子。その日も3時のニュースでヤミノリウス出現の情報を知るなり柔道着を身にまとい、はちまきをぎゅっと締め、拡声器片手に自転車に飛び乗り、青空町のはずれの採石場まで馳せ参じたのだが…。  
「やーみーのーさん !! あなたはいい人なんです!!」  
「なんだ、またおまえか! 何度も言うように、私は大魔界の大魔導士。いい人などではないっ!」  
と、いつもの調子でやりあっているあいだに、ガンバーチームに魔怪獣は倒されてしまい、  
「見ろっ! おまえのせいで負けてしまったではないか。とことん嫌な女だ。」  
 と、捨て台詞をはいたヤミノリウスはマントをひるがえして黒い人魂となり、夕暮れの空へ飛び去ってしまった。後に一人残された亜衣子は拡声器をおろし、もう暗くなりかけた空を眺めながらそっとつぶやく。  
「闇野さん。きっと改心させてみせますわ。」  
 そして、乗り捨てていた自転車をおこして採石場から立ち去った。  
 
 
 ここまでは、いつもの日常と変わりなかった。ヤミノリウスの消えた後、それがどんな時間でも、どんなにへんぴな所でも、たった一人で自転車をこいで家に戻る。それがここ数週間の亜衣子の日課だった。  
 
 しかし、その日ばかりはいつもとちがった。  
採石場から町へ戻るには、幾重にも曲がりくねる正規の山道があるのだが、なにぶん冬の太陽は沈むのが早い。明るいうちに町に帰りたくて、亜衣子は近道になりそうな脇道を通ることにした。  
だが、行けども行けども見えるのは枯木の群と落ち葉だけ。  
自転車は落ち葉の地面にのめりこむので思ったように進まず、しまいに自転車をおきざりにして先をめざしたが、気づけば道に迷っており、途方にくれている間に日は落ちて、いつのまにか、あたりはおぼろげな月光だけが頼りの夜の世界に変ってしまっていた。  
 
しかし、亜衣子はくじけなかった。ヤミノリウス、いや、愛する闇野さんの善なる心を呼び覚ますためなら、たとえ火の中水の中、大魔界にだって行く覚悟。  
なんのこれしきと自分を励ましながら、暗く果てのなさそうな木々の切れ間に目を凝らし、少しでも街の灯りは見えないか、と歩いていると、ふいに前方の木々がパーッと光り、バイクの轟音が聞こえる。  
(よかった。きっとすぐそこに舗道があるんだわ。)  
 
 亜衣子は光が消えないうちにと、急いで走った。進むにつれ、幾つものヘッドライトがはっきり認識できるようになり、また、騒々しいエンジンの音から、バイクが何台も続いて走っていることがわかった。  
でもまだ肝心の山道が見えてこない。  
そして運の悪いことに、全てのバイクが通り過ぎてしまったのか、光は見えなくなり、あたりは再び暗闇に戻ってしまった。エンジンの音はかろうじて聞こえてくるものの遠くかすかにという程度。  
それでも、先ほど見たヘッドライトの光に勇気づけられ、亜衣子は進んだ。その向こうに必ず道があると信じて、前だけを見すえて…。急ぐ足でひたすら前へ、前へ、と落ち葉を踏みわけていって…。  
 
 突然、足場がなくなった。崖だ。  
 
 亜衣子はあわてて踏みとどまろうとしたが、バランスを崩し転落、2メートルほど下の固い舗道にたたきつけられた。  
落ち方が悪かったのか、足にずきんと衝撃がきたものの、上半身は腕で守ることができ、意識も失わずにすんだ。  
(うっかりしてたわ。まさかこんなところに崖があるなんて…。でも、これは確かに舗装された道。これをたどれば青空町に戻れるわ。)  
 亜衣子は立ち上がった。くるぶしに痛みがはしる。捻挫したようだ。少しよろめいたが、動けないというほどではない。さいわいここは山道だから、常に片方は岩の壁だ。この壁づたいにゆっくり歩いていこう。  
 ところが、亜衣子が岩肌づたいに歩き出していくらも行かないうちに、道の向こうからバイクの光が3つ、エンジンをうならせて近づいてきた。  
バイクの邪魔にならないように、できるだけ壁際に身をよせる亜衣子。  
バイクはだんだんとせまり、ヘッドライトが亜衣子を照らす。と、先頭のバイクが突然ハンドルを切り、ブレーキをかけた。タイヤを軋ませ、亜衣子の少し手前で止まるバイク。後続の2台も同様に止まり、3つのヘッドライトがすべて亜衣子に向けられた。  
「はっ、幽霊かとおもったぜ。」  
「ようよう、ネエチャン。よくも脅かしてくれたねえ。」  
「ほんっと、こわかったっすー。」  
 バイクの男たちは、仲間内の話なのか、こちらに話しかけているのか、どっちともつかないような調子で話しはじめた。  
亜衣子はこの男達に助けをもとめるつもりだったが、その荒っぽい声を聞いてためらった。バイクの飾りからも、この3人組があまり立派な人間でなさそうなことがうかがえた。  
「こんな時間に、なにやってんだ?」  
「ネエチャン、よく見るとかわいーじゃん。」  
「なんか、柔道着コスっすよー。」  
 
 亜衣子は本能的な身の危険を感じた。だが、とっさに駆けて通り過ぎようとしたことで、さらに具合の悪い事実を彼らに教えてしまうことになる。  
「あ、ころんだぞ。」  
「足、ケガしてるみたいっすねー。」  
「柔道着、みせかけだけじゃん。」  
「俺たちがタスケてやろーか。」  
「ここらへんを通るやつなんか、めったにいませんからねー。クククク…」  
 ころんだことでさらに増した足首の痛みにこらえかねてしゃがみこむ亜衣子に、男達はバイクからおりてじりじりと近寄った。  
 気配を察した亜衣子は肩に置かれた一人目の手をぐいとつかんで、技で投げ飛ばそうとした。だが、体勢を整えようと足をそろえた瞬間、  
(いたいっ!)  
 またもや痛みがはしり、動きが鈍る。  
「おいおい、手なんかにぎってくれちゃってぇ〜。誘ってくれてんのぉ〜?」  
「うれしーねー。じゃ〜、ご好意にあまえちゃおっかな?」  
「アニキ、おれ、足おさえます!」  
「じゃ、おれは腕でも。」  
 とたんに背後から二の腕をつかまれ引っ張られ、動揺する亜衣子。そのすきをついて、男の一人が正面にまわり、足首をつかんで持ち上げる。  
 3つのヘッドライトがてらしだす光の空間で、亜衣子はすくいあげられるように仰向けになって倒れた。背中に地面の冷気がうつって、ぞわっとした寒気とも恐怖ともわからないものに思わず身震いする。  
「なにするのあなたたち! やめてください!」  
「おー、威勢のいいネエチャンじゃねえか。2人とも、しっかり押さえておけよ。」  
「「ほーい。」」  
 3人のなかで一番図体のでかい男は、あとの二人に命令すると、亜衣子の側にしゃがみこんで、胸に手をのばした。  
「やめてっ。」  
「んー? まだいいじゃん。服の上なんだぜ。」  
 そう言って、男は柔道着の上から思いっきり胸のふくらみをつかんだ。  
「いやーっ!」  
 亜衣子は身もだえする。  
「誰かたすけて!! 誰か!!」  
「これだけのことで嫌がるなんて、もしかして、ネエチャン、はじめて?」  
「やめて! やめてくださいっ!」  
「あー、やっぱり、初めてなんだろー。これはじっくり楽しませてもらわないとな。」  
 男はそう言うと、胸から手を離した。思わず吐息をつく亜衣子。  
「やっぱり、初めてならまずキスだろ〜。」  
 男が急に顔を押し付けてきたので、亜衣子は一瞬、なにがなんだかわからなかった。  
 なめくじのようなぬめぬめしたものが唇を押し割って口内に入ってこようとしている感触で、自分が無理やりキスさせられていることに気がついた。必死に歯を食いしばって、舌の進入をふせぐ。  
 
 と、口で攻防をしている間に、男は亜衣子の上着の前えりをつかむと、力まかせに左右に広げた。驚く亜衣子に、男はキスを一時やめてせせらわらう。  
「着物っていいよねぇ。帯をとかないですむんだよ。ほら、こうすれば、上着はないも同じー。」  
 そして、上着の前を全部はだけさせると、その下に着ていたシャツごしに胸をなでまわす。  
「やめてーっ!」  
「柔道着の上からさわるよりも、さらに形がはっきりして、そそるぜ。ネエチャン、いい形してるな。」  
「誰かっ…助けてっ」  
「まーだ言ってるのかよ。おとなしくあきらめなって。さーあ、いよいよ肌みせ〜。」  
 男はズボンからシャツをひっぱりだし、もったいぶった手つきでゆっくり上にむいていく。  
 亜衣子の目からじわじわと涙がながれ、そののどからは嗚咽がもれる。もう、頭ではあきらめかけているというのに、言っても意味をなさない言葉がぽつりぽつりと口からもれる。  
「やめて…助けて…だれか…助けて………闇野さん……」  
 闇野さん、と口にしたとき、亜衣子ははっと自分を取り戻した気がした。手かせ足かせをふりはらおうと、力の限りに身をよじる。  
 一方、抵抗がないまま順調にシャツをたくしあげていた男は、ブラジャーが半分ほど見えるまでたくしあげたところで、急に女が暴れだしたものだから思わずびくっとした。  
「助けてっ! 闇野さん、助けて!」  
「お、おいっ。」  
「闇野さん! お願い! 闇野さん!」  
「おまえら、振りほどかれねえようにしっかりおさえてな。」  
「闇野さん! やーみーのーさーんっ!!」  
「やめねえか、このやろう!」  
 苛立った男は亜衣子の口をふさごうとした。しかし、その手に思いっきり噛み付いて、亜衣子は闇野の名を叫び続けた。  
「オマエ、まだわかってねえのかよ!! オマエはおれのもんになるんだよ!! おいそこ、腕おさえながらでもキスできるだろ。」  
 亜衣子は急に首をしめられて、声をだせなくなった。同時に頭上からは、腕を押さえていた男がにゅっと顔を近寄せてきて、にやにやと笑いながら彼女の口をふさいだ。  
「おとなしくしねぇと、殺すぞ、ほんとに。」  
 シャツをまくっていた男は怒りと興奮で顔を赤くしてののしりながら、亜衣子の首をしめていた。しばらく暴れはしたもののとうとう力がつき、亜衣子はぐったりと目を閉じる。  
「そうそう、わかりゃあいいんだよ。オマエは全部おれのもん。この乳だって…」  
 と、シャツを全部たくしあげて露出させたブラジャーの内側に、乱暴に手をいれてひっかきまわし、  
「下だって…。こんなに手のかかるやつだとは知らなかったぜ。はやいとこ初めてをいただいて、それからゆっくり楽しむとするか。」  
 と、男は一度立ち上がり、足首をつかんでいた男に場所をずらすように指示しながら、広げた脚のあいだに入りなおした。  
 
 亜衣子は目こそ閉じていたものの、男の手がゆっくりとズボンの紐をほどいていくのをしっかりと感じていた。  
 口には別の男の唇が依然として押し当てられている。亜衣子は観念して、心のなかでそっと、ここにはいない思い人に向かってささやいた。  
(闇野さん、ごめんなさい。でも、何があっても、私が愛しているのはあなた一人です…。)  
 紐のほどけたズボンのへりに、ついに男の手がかかる。亜衣子は急に目の前が真っ暗になるのを感じた。そして、男の上半身がゆっくり下腹部に近づいてくるのも…  
 
 …ふと、亜衣子は違和感をおぼえた。  
 確かに男の上半身が下腹部にのっている感触はある。だが、動いている感じがしない。  
 両足を押さえつけていた手も、今は力なくだらりとして、少し体をゆするだけで簡単に払いのけることができる。  
 口もふさがれていない。いったい…  
 亜衣子は目をあけた。そして、ヘッドライトが3つとも消えているのに気がついた。急に暗くなったように思えたのはこのせいだったのか。  
 ズボンに手をかけていた男はその姿勢で倒れこんだまま意識を失っているようだった。足を押さえていた男にも同じことがおこったのかもしれない。  
 自由のきかない腕はと見上げると、腕を押さえ込んでいた男は依然としてそこにいた。  
 だが、月の光の中で見るその男の顔には、先ほどの下卑た薄笑いはつゆほども残っていなかった。そればかりか恐怖に青ざめて、驚きのまなざしで正面を−仲間達の気絶している方を−見据えていた。  
 
 下半身の圧迫感がすっと無くなった。見ると、すらりと長い影が男の襟首をつかんで宙に持ち上げたところだった。影は男を無造作に脇へと放り捨てた。その時、亜衣子は気づいた。その影の正体に。  
 
(やみの…さん…)  
   
 ヤミノリウスは続けて、亜衣子の足元で気絶していた男をひっつかんでひょいと投げ飛ばした。  
 残った一人はそれをみて亜衣子の腕をはなし、うおおぉぉとわけのわからない叫び声をあげながら、自分のバイクへ駆けていき、ライトがつかないことにパニクリながらもエンジンをふかして猛スピードで逃げ去った。  
 
 ヤミノリウスはそのエンジンの音が聞こえなくなるまで、バイクの消えていった方をじっと見つめていたが、バイクが完全に消えたことを確認すると、視線を静かに亜衣子にうつした。  
 彼女は岩壁にすがって立ち上がっていた。シャツを元のとおりにズボンに入れ、次にはだけた上着を整えるために帯をほどこうとして、ぐらりとよろめいた。  
 ヤミノリウスはとっさに近寄って崩れ落ちる彼女を脇から抱きとめた。  
 
「……やみのさん…」  
 潤んだ瞳でヤミノリウスを見つめる亜衣子。  
「ご、ごかいするなよ。  
 …直接的ではないとはいえ、私のせいで未来の大魔界のしもべ達になにかあったとなっては、ゴクアーク様にもうしわけないからな。  
 …それに、私の使命は恐怖と混乱をもたらすこと。破滅や絶望ではない。」  
 弁解するヤミノリウス。その声を聞いているうちに、亜衣子には助かったという実感がはじめてわいてきた。そして、もし助けがこなかったら待ち受けていたであろう現実も…。  
 亜衣子の目から涙が流れた。  
 あとからあとから涙はあふれだす。  
 涙は頬をつたって、亜衣子を支えるヤミノリウスの服まで濡らしてゆく。  
「おいっ、泣くな! 泣くでない! せっかく助けてやったのに、泣くやつがあるかっ!」  
 狼狽するヤミノリウス。その声に対し、亜衣子は一層嗚咽をあげると、ぎゅっうとヤミノリウスにすがりついた。  
「!!」  
「…闇野さん、あなたがいなかったら今頃私…私…」  
「・・・」  
 
 しばしボーゼンとしていたヤミノリウスだったが、気をとりなおすと、あわてて亜衣子を押しのけた。  
 亜衣子は2、3歩退くと涙をぬぐって今一度顔をあげた。涙を流しきったあとのすがすがしい笑顔でヤミノリウスに礼を言う。  
「ありがとうございます、闇野さん。やはりあなたはいい人ですわ。」  
「へんっ、何度も言っているように、私はいい人じゃない!! …それより、帯をさっさとしめなさい。はしたない。」  
 亜衣子は上着を整えるために帯をといていたことをはっと思い出し赤面すると、ヤミノリウスに背をむけていそいで帯をしめなおした。そして、ふりかえってみると…  
   
 ヤミノリウスの姿は、もはやなかった。  
 
 亜衣子は小さくため息をついた。  
(闇野さん、黙って行ってしまうなんて。……でも、うれしい。やっぱりいい人だったんですもの。)  
 そして、自分を励ますために、声にだして誓った。  
「ぜーったいに、闇野さんを説得してみせるわ。あいこ、明日からもがんばりますっ!!…さ、明日をがんばるためにはとりあえずお家に帰らなきゃ。がんばるのよ、あいこ!」  
 さいわい、先ほどの男達は当分目が覚めなさそうだった。亜衣子は軽く足踏みしてみて、やはり足が痛むので岩壁づたいにそろりそろりと歩きだす。  
 
「おい。」  
 背後から男の声に呼び止められ、亜衣子は一瞬びくりとした。だが、振り返って声の主をみとめると、思わず喜びの声がでる。  
「闇野さん!」  
 宙に浮く道路標識にまたがったヤミノリウスは、あきれたように亜衣子をみおろしていた。  
「もっと早く歩かんと、やつらにまた捕まってしまうではないか。」  
 亜衣子は足を引きずりながらも、明るく答えた。  
「でも、闇野さんのおかげで、あの人たち気を失ってますし。  
 …もしかしたら優しく真面目な人たちが車で通りかかって、乗せてくれるかもしれませんし、歩いているうちに、足が治るかもしれませんし…  
 気にかけてくださって、ありがとう。」  
「ふんっ。別に心配しているわけではないのだぞ。……だいたいおまえは、事あるごとに私をいい人だというが、私は断じていい人ではない!! 今日はそのことをとくとわからせてやる!」  
 ヤミノリウスは高度をさげると、ぐいっと亜衣子の腕をひっつかみ、無理やり道路標識に座らせた。きょとんとしている亜衣子を、ヤミノリウスは不敵な笑みで挑発する。  
「この標識でおまえの家まで飛んでやるから、その間に私を説得してみよっ!   
 私はおまえの指図などうけんから、どうせ人間界侵略をあきらめんぞ。明日も続くわが大魔界の大活躍をみて、己が無力さをひしとかみしめるがいい。  
 ハーッハッハッハ!」  
 
 月明かりの中、高度をみるみるあげる道路標識。それは山より高くあがると、くるりと方向をかえ、進路を青空町にむけて一直線に飛んでいったのだった。  
 
(終)  
 

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