光明寺茉衣子がまだ第三EMP学園の中等部に在籍していたときである。
おそろしく綺麗な女生徒として中等部全体はもちろん、
高等部にまで茉衣子の存在は知られ始めていた。
その容姿だけでなく、性格と能力までも。
この学園の生徒は皆、EMPと呼ばれる特殊な能力を有している。
10代初期に発現し、成人するまでには失われる。
発現する人の割合は日本全体ではごくわずか。
よってEMP能力を開花させた者は中等部からこの学園に転入させられ、
それを失わない限りは一般社会とは隔絶された生活を強いられる。
茉衣子がこの学園に来た当初は、多種多様なEMP能力をもった生徒に
戸惑ったが、それ以上に厄介なのが『想念体』と呼ばれる存在である。
想念体とはEMPエネルギーが過剰に集中されたこの学園内にのみ発生し、
異形な姿をして破壊活動を行っている。
ある日の昼休み。学食へ向かうために茉衣子が中庭を歩いていると、
生徒たちが騒ぎ始めていた。
視線を向けるとその中心には、淡く発光したヘビ、トカゲ、バッタという
形を成した想念体がうじゃうじゃと蠢いている。
(なんという不気味な光景でしょう。
食事の前に嫌なものを見てしまいましたわ)
10分も待っていれば生徒自治会の組織である保安部対魔班の人たちが
やってきてこれらの想念体を退治してくれることだろう。
だがすぐにでも目の前の敵を失くしたいと思った茉衣子には、
悠長に待つのもこの場から去る考えも頭にない。
手の平に意識を集中させた茉衣子は、自身のEMPエネルギーを発して、
煌く光球を出す。メロンサイズにまで達したところで、
光球は茉衣子の手から撃ち放たれ想念体の群れへ直進。
次の瞬間、竹が爆ぜるような音と共に想念体は雲散霧消。
茉衣子は連続して光球を投げ続け、次々と想念体を消滅させていく。
周りの生徒たちが茉衣子の姿に見入っている頃には、
中庭の想念体は全て、その存在確率をゼロにしていた。
保安部対魔班の面々が到着したときにはすでに、
想念体も茉衣子もおらず、彼らは周りに残っていた生徒たちから
光明寺茉衣子の成果を耳にしたのである。
常に優秀な人材を確保したい保安部は、
光明寺茉衣子を迎え入れることを即日決定した。
これには新しく着任した対魔班班長の意向が強かった理由もある。
放課後、女子寮の部屋まで足を運んで懇願にやってきた保安部の人に茉衣子は、
「まあ! 特例としてまだ中等部のわたくしを保安部対魔班の一員に。
それは大変光栄なことと思います。
わかりました。謹んでその旨、ご承知いたします。
微力ですがこの学園で生活する皆さんのために、貢献することをお約束します」
自分の能力を正当に認めてもらい、それに見合った役割を課せられることに、
茉衣子はかすかな喜びを抱いた。
翌日の放課後、茉衣子は昨夜指定された対魔班の部屋へと足を運んでいた。
廊下を歩いている途中で、自慢の長い黒髪が揃っているか、
ポリシーで着用している黒のワンピースが乱れていないかを確認する。
(対魔班の班長から仕事の内容を伺うと聞きましたが、
どのような方でしょう。対魔班を束ねる重責を負っているからには、
きっとわたくしよりも強力なEMP能力を有し、
かつ班員に慕われる優れた人格のはずです)
まだ見ぬ人物に淡い期待を抱いたところで、対魔班の部屋へ到着。
軽く二回ノックをして、ドアノブを捻る。
「失礼いたします……」
背筋を伸ばして入室した茉衣子が目にしたのは、
窓際に直立不動した男性の姿。
高等部の制服の上に新品の白衣をまとい、
髪質は少しクセが入っているようだ。
注目すべしはキリっと引き締まった口元とシャープな眼光。
陽射しを浴びて輝くその外見は、まさしく人の上に立つにふさわしい。
茉衣子は意識せずに魅入っていたと気づいたのは、
その男性の視線がこちらを向いたときだった。
「………」
彼はクールな表情を崩さずに茉衣子をみつめる。
何かに押されるように茉衣子は口を開いて、
「は、初めまして。わたくしは光明寺茉衣子と申します」
「……そうか、君が……」
「はい。今日から対魔班の一員として学園の平和な
生活のために尽力したいと思います」
「……よろしく頼もう、光明寺くん。
私は宮野秀策。つい先日から対魔班の班長をつとめている」
「こちらこそよろしくご教示をお願いします。
班長、ひとつ、よろしいですか?」
「なんだね」
「わたくしは茉衣子という名をとても気に入っております。
ですのでわたくしのことは光明寺ではなく『茉衣子』と呼んでください」
「……わかった、茉衣子くん」
茉衣子と話しているとき、宮野秀策は初めの表情を決して崩すことなく、
進めていった。
加えて、茉衣子と初めて対面する異性は往々にして、彼女の綺麗すぎる容姿を
気にかけなかった者はいない。
だが宮野が茉衣子をそういう目で注視することはなかった。
この点が茉衣子にとってさらに意外なことである。
(やはり人の上に立つ者はこうでなくてはなりません。
わたくしは対魔班の一員に選ばれたこと、
この班長の下で働けることを嬉しく思いますわ)
茉衣子が対魔班でのこれからの活動に想いを馳せ、
宮野が大まかな活動内容が記された冊子を渡そうとしたとき、
スピーカーから放送が流れ出した。
『ぴんぽんぱんぽーん。あー、あー。
3分前に高等部北棟2階にて、
想念体が大量に発生。
保安部の者はこれらの退治を全てに優先すべし。
繰り返す。3分前……』
それを聞くや否や、宮野は茉衣子の手に冊子を乗せ、
踵を返してドアへと直進した。
「……仕事だ。私は行かねばならぬ。」
無駄な動作もなく颯爽と向かおうとする宮野に、茉衣子は、
「お待ちください、班長。わたくしも行きます。
もう既にわたくしとて対魔班の一人です。
足手まといになるつもりはありません」
芯の入った透きとおる声で進言した。
茉衣子を見た宮野は、怜悧な表情のまま首を縦に振る。
そして少しだけ口元を緩ませてすぐに反対側を向いた。
ついてくる気があるのなら来い、といった印象だ。
茉衣子は高鳴る胸を意識しないように、宮野の後ろに立った。
茉衣子が宮野と一緒に発生現場に到着したとき、
先着の保安部の面々が大量の想念体と対峙していた。
(こんな……あまりに数が多いですわ)
廊下を所狭しと動き回る想念体は個体数にして数百はありそうだ。
形も茉衣子が昨日の中庭で見たような小動物ではなく、
人魂を模したようなもの、幾何学図形、
顕微鏡でしか見られないような原始的生物などである。
「……行くぞ、茉衣子くん」
「え!?」
これまでに経験したことのない規模の想念体を目にして固まっていた茉衣子は、
突進した宮野の行動を眺めることしかできなかった。
宮野は人差し指で方円を描き、
さらにその中に紋様とも数式ともつかない線をなぞっていく。
完成した模様から黒色のレーザーが照射され、
さらにそれらは途中で分裂して想念体へと追尾して襲い掛かる。
その一瞬で十以上の想念体が消滅。
宮野の攻撃を口火に、他の班員も各々のEMP能力を発動させ、
想念体へ発射する。
この時点になってようやく茉衣子は自分が何のためにこの場にいるのか、
これからするべき行動を思い出した。
(何をボーっとしていたのでしょう。
このまま終わればわたくしは役立たずになってしまいます)
気持ちを切り替えた茉衣子は急いで手中に光球を発生。
狙いをつけて投げつける。
1体を撃破したものの、他の人たちはその十倍以上を消滅させている。
特に宮野はもうすぐ百に迫るのではなかろうか。
(わたくしを保安部に推薦してくれた期待には応えないといけません)
根は真面目で一途な茉衣子は両手に光球を携えて想念体の群れへと近づいた。
茉衣子のもつEMP能力は想念体相手であれば、
その攻撃力は学園内でも上位に位置する。
だが、まだこの学園に来て1年未満、
対魔班としての仕事は今回が初めてである。
焦った茉衣子は敵との距離を見誤った。
茉衣子の攻撃はミドルレンジから放たれる光球で、
ヒットアンドアウェイを繰り返すことが肝要だ。
つまり想念体から適度に離れている必要がある。
そうでないと次の攻撃の合間に反撃される。
経験の無さと焦りから茉衣子は正面左右の3方向から
突撃してきた想念体への対策が遅れてしまう。
(しまっ……)
とっさの回避行動としてその場にしゃがんだ茉衣子の前に、
立ちふさがってきた人影があった。
「は、班長」
白衣をたなびかせながら悠々と攻撃を受け止めた宮野は、
ちら、と茉衣子を振り返って無事を確認する。
「……早まってはいかんな、茉衣子くん」
茉衣子を襲った想念体を数秒で片付けた宮野は、
さらに近くのものも一掃させると、
奥でかたまっている集団へと向かっていった。
助けてくれたお礼も言えなかった茉衣子は、
想念体が多く集中している位置を避け、
個別に漂っている弱そうなものにだけ相手をした。
ほどなくして廊下にいた全ての想念体は消滅し、
設備への被害も最小限にくい止めた。
だが茉衣子は暗澹とした気分である。
宮野が撃墜王ならば、自分はシミュレーションフライトでも失墜する者だ。
「……お疲れだったな、茉衣子くん」
戦場からの帰還途中、宮野がねぎらいの言葉をかけてくる。
「いいえ。大言壮語したにもかかわらず、役に立てず。
さらには班長から危険を庇ってもらったわたくしは、
いますぐにでも穴の中に入りたい気分に満ちています」
「……茉衣子くん。そう思う君の中には向上心もまた満ちている。
今日できなかったことは、明日できると思えばいい。
私は君に大いなる素質があると見ている」
宮野のその言葉を聞いて、茉衣子は単純な嬉しさでは言い表せない感情が
自分の中にできたかと思った。
(なんという含蓄に溢れた意味深長な台詞でしょう。
今日この日に班長と出会えたことをわたくしはどんなに感謝すれば…)
茉衣子が感慨に浸っていると、宮野のズボンのポケットからアラーム音が鳴った。
音の発生源である携帯を持った宮野は、
「……私はこれから生徒自治会の許可を得て、
学園の外に行かなければならない」
「緊急事態ですか!?」
「……いや、そうではない。大事な私用だ。
とてもとても重大な」
宮野は顔を痛そうにしかめて苦々しくつぶやいた。
(あれだけの働きをする班長がこれだけ顔をしかめるなんて、
どのような難事でしょう)
「班長!」
「……なにかね」
「わたくしは班長の無事を願って已みません。
そして明日からもよろしくお願い申し上げます」
「……礼を言おう、茉衣子くん。では、さらばだ」
宮野が白衣を揺らしながら階段を昇っていく。
夕日を逆光に浴びたそのシルエットを、
茉衣子はまぶしそうに見上げていた。
土日を挟んで週が明けた月曜日。
放課後になると茉衣子は足を弾ませて対魔班の部屋へと歩いていた。
自分の胸の中に芽生えそうなこの淡い感情は何であろうか。
宮野とこれから時間を共有することで発達していくものなのか。
(そう、わたくしはこれから班長を人生の師と仰いで成長するのです)
到着した2回目の部屋に、今度はノックなしで入る。
中にいたのは前回同様、窓際に立つ白衣を着た男性。
対魔班班長、宮野秀策である。
「こんにちは、班ちょ…」
「やあ! 来たかね! 茉衣子くん!」
そこには、先日とはうって変わった宮野がいた。
といっても、変わったと感じるのは茉衣子ただ一人だろうが。
「待ち侘びたぞ私は! 思えば先日は大したもてなしができなかったな。
いや、初日から想念体退治に参加した君は果報者といえよう」
いやらしいとも受け取れるニヤケ顔を見て、
すっかり時間を凍結させていた茉衣子は、
なんとか思考と意識を取り戻して、
「あの…あなたは誰でしょうか?」
「なんと! 茉衣子くん、私のことを忘れたか!
君は意外と記憶力が無かったのか。
よし、ならばもう一度、私は自己紹介をしよう。
人類の中でも高度な思考と演算をこなし、
やがてはこの世界の謎を快刀乱麻を断つがごとく解決する、
クリティカルな頭脳を持つ男、
それが私、宮野秀策だ」
「嘘です! あなたが宮野秀策のはずはありません。
いいえ、もし名前がそうだとしても、わたくしの知る対魔班の班長は、
あなただとは決して有り得べからず事実です」
「はっはっは! 茉衣子くんは愉快な性格をしておるな。
つい数日前にこの部屋で私が班長であると伝えたではないか。
それも忘れてしまうとは、想念体から何か悪影響でも受けたのではあるまいな」
「どうなってしまったのですか! 宇宙人から脳への手術を受けたのは、
むしろ班長のほうです!」
「私はまだ地球外生命体との遭遇は果たしておらぬ!
ふむ、だが少し鋭いな茉衣子くん。
私は頭の中はいじくり回されていないが、
口の中は先日、嫌というほど引っ掻き回されたぞ!」
「へ?」
「まさかこの私に親不知が生えてきていたとはな。
あの痛みを始終耐え続けるのには骨を折った。
この世のことを全て知るのは難しい。
いわんや自身は。これからは親不知を宮野秀策不知と呼ぼうではないか!」
「あの、つまり先日の班長は、親不知の虫歯の痛みに悩まされていたのですか?」
「そうだとも! おかげで口を開けるたびに激痛が走ったからな。
苦行と言える期間だった。実に普段の8割以下の口数しかこなせなかったぞ!」
「その、つまり普段の班長は、今のように壊れたテープレコーダのごとく
駄言を漏らし続けるのですか?」
「私の言葉は全てこの世の真実である!
そして茉衣子くん、これから君はそれを隣で最も多く聞くことになろう。
我々はコンビを組むことになった。君はこれから私の相方としてその資質を
伸ばしていくことになろう」
「な、な、な……」
あまりの事実に茉衣子は開いた口が塞がらなかった。
宮野は口を開けっぱなしにして塞ぐことなく、
妄言としか思えないことを喋り続けている。
(これは……悪夢でしょうか。
班長の頭が狂ったのではなく、この狂ったのが本来の姿。
先日のあの班長は、ただ親不知の痛みに耐えていただけ?)
茉衣子の顔が一気に紅潮を始める。
「性質の極最悪な詐欺です! 卑怯千万な騙しです!
汚されたわたくしの精神的賠償を要求します!
さあ! 即刻この場で今すぐに払ってください!」
「突然どうしたというのかね、茉衣子くん」
「わたくしのことを、気安く下の名前で呼ぶことは許しません!
わたくしの苗字は光明寺です!」
すっかり頭に血がのぼり、手足を震えさせている茉衣子は、
未来に地獄絵図が描かれているような気がした。
(高等部に進学しても、このような班長と一緒にいるだけで
わたくしにとって良からぬ事態が起こる予感がいたします……
ああ、どうにか避けることはできないのでしょうか)
残念ながら、その願いは誰にも届くことはない。
届いたとしても、聞き入れられない種類のものである。
First Impression (了)