第三EMP学園――。
山間にあるこの学校に吹きつける風が、そろそろ冬であることを告げている。
異能の力を持つ生徒達が住まう寮の一室で、一人の少女が頭を抱えていた。
「うぅ〜〜〜ん」
蒼ノ木類。ささやかながら今回の主人公である。
彼女は向き合った相手を見てうなっていた。
「もう少し何か教えてくれないかなぁ?」
相手は何も話さない。つんとすましている。
「ね?お願いだから」
相手はぴくっとこっちを向いた。長く伸びた髭が弧を描く。
「にゃ〜〜ん」
――Where did the cat come?――
(おなかがすいたの)
「それは分かったからさぁ……」
類は猫を相手にかれこれ三十分頑張っていた。
類は猫限定のテレパスで、猫の思考を読むことができる。
平たく言ってしまうと、典型的有効活用不能EMP能力である。
(日なたはきもちいいの)
猫はごろんと寝転んで、四肢を突っ張ってあくびをした。
類はふーっと溜息に似た息を吐いた。
「困ったなぁ……どこから来たんだろう?この猫」
三十分前、放課を迎えた類が自室に戻ると猫はいた。
二段ベッドの下段、類の就寝場所ですっかりくつろいでいた。
「うにゃご」(ぽかぽかなの)
「……はぁ〜〜〜〜っ」
猫の考えていることはいつも能天気だ。類はこの能力に目覚めた時からそれを知っている。
「やっぱり何も言わないの?それらしいことは」
ベッドの上段からルームメイトの雨森日世子が顔を出した。
先日の吸血鬼騒動では真っ先に被害者の一人となってしまった彼女も、
今やすっかり元の調子で類と生活している。
「うん……だめみたい」
類はうなだれて返答した。日世子は続けて疑問を口にする。
「猫、誰かがこっそり部屋で飼ってるのかしら」
「分からないなぁ……。首輪はしてないみたいだけど」
類は嘆息する。首輪を嫌う猫は少なくないので、それが飼い猫でない証にはならない。
実際類は実家近所の飼い猫が首輪を(きゅうくつだなぁ……これ)と思っていたのを知っている。
「誰か分かりそうな人に訊いてみたらどう?」
日世子はやさしく言った。
「そうだね……、うん」
類はしずしずと立ち上がると、しゃんと気持ちを切り替え、猫を抱えて自室を出る。
「あ、晩ごはんには戻るからね。……一緒に食べよう?」
「えぇ、待ってるわ」
日世子の返答を聞いて類は笑顔になり、扉を閉めた。
程なくして類は別の部屋の戸を叩いていた。
こんこんこん。こんこんこん。
……かちゃ。
「どなたですか?」
言いつつ現れたのは光明寺茉衣子の先進黒装束の立ち姿だ。
「あ……。、ま、茉衣子さん……えっと……」
「類さんじゃありませんか。どうされまして?」
「えぇっと……あのぅ……」
類は慌てると意味のある言葉をなかなか発せなくなるという特技を遺憾なく発揮した。
「あら、その猫はどうしたのですか?」
茉衣子は類の手元に視線を注ぎつつつぶやいた。
「猫……。そ、そう。茉衣子さん、猫なんです!猫!」
茉衣子は表情を変えず、長い睫毛に縁取られた目をぱちぱちさせていたが、やがて
「まぁとりあえず……お入りください」
と言って類を自室に招き入れた。
類はひとしきり事情を話すと、茉衣子に尋ねる。
「あの……それで、茉衣子さん!この学校で猫を飼っている人に心当たりはありませんか?」
割愛したが、類の説明にはちょっとした時間を要していた。
ほんのわずかに険のある口調で茉衣子は答える。
「この学園でペットを飼うことは全面的に禁止されています。
どこの班だったか失念しましたが、保安部のいずれかで定期的に各寮の部屋を点検しているはずです。
ですから、その猫が生徒のペットだということはまずありません」
一息で言い終え、彼女は猫に目をやった。
「かっわいー!猫なんて見るのどのくらいぶりだろう?
あ、夏に兄さんとうちに帰ったときに見かけたかなぁ。うーん、あったかいー」
茉衣子のルームメイト、高崎若菜が猫とじゃれていた。
「そうですかぁ……」
類もその様子を見つつ、弱ったように言った。
「それにしても」
茉衣子は肩の力を抜いて
「あなたが抱いてきた猫はどうやってここまで来たのでしょうね。
知っての通り、この学校は山の上にあります。
わたくしが見たところ、あの猫にそのような野生的行動力があるとも思えませんが」
「そうですよね……」
類は同調して頷いた。茉衣子は続ける。
「加えて、今は冬の始まりです。
昼ならまだしも、夜にまでうろうろしていたら命を落としかねません」
「……ということは、あのぅ……」
「この猫が自力でここまでやってきたのかどうかも怪しいということです。
……まぁ、可能性がないわけでもありませんけれど」
茉衣子ようやく一息ついた。
出し抜けに若菜が
「あ、類ちゃん。聞いて聞いて。今日茉衣子ちゃんね、宮野さんと廊下で偶然――」
「若菜さん!その話はしない約束です!」
黒衣娘は語気を荒げて言った。
「あれー、そうだっけ?」
猫を膝に乗せた若菜は、片手で自分の頭をこつんとノックしつつ、不器用にウィンクした。
類はおどおどして二人のやり取りを眺めていたが、
「あ、あの……それじゃわたし、そろそろこのへんで……。
茉衣子さん、どうもありがとうございます」
「お待ちになって」
立ち上がりかけた類を茉衣子は手で制した。
「もうひとつ可能性があります。
いつかと同じように、この猫は誰かの頭から発生した想念体かもしれません」
丸くなった猫を指差しつつ茉衣子は言った。
「確かめてみましょう」
茉衣子は若菜の向かいに行くと、指先にひとつ、小さな蛍火を灯した。
「えっ……。あの、それって……」
類があたふたする間に、茉衣子は猫に向かってそっと蛍火を吹きつけた。
猫のふかふかした毛に当たった蛍火は消えて、しかし猫は消えなかった。
「ふぅ……」
安堵したのは類である。
「どうやらこれも違うようですわね。
となるとわたくしには思い当たる節がございません。あいにくですが」
「あ!宮野さんだ」
突然若菜が入り口に目をやった。
「何ですって!」
慌てて茉衣子は振り向いた。
類もつられてドアのほうを見る、誰もいない。
「うっそー」
若菜がくすくす笑った。
「若菜さん!あなたって人はもう……!」
顔を紅潮させつつ、茉衣子は呆れたような怒ったような表情をしていた。
それを見た類も思わず口元に手を当てた。
日が暮れて、約束通り夕食をとった類は、日世子と二人で部屋に戻ると
持って帰ってきた残り物を猫に与えた。
(まぁまぁなの)
もややんとした猫の思念を感じつつ、類は隣に座って彼女なりの思考を巡らせていた。
……わたしが授業から戻ると猫がいて、この学校はペット禁止で、
今は冬でここは山の上だから、それでこの猫は本物で、うーんと……。
「ふにゃーん」(ねるの)
類が横を向くと猫はすっかり寝入っていた。
今まで見てきた中でもかなりぐーたらな猫である。
「きみはのんびり屋だなぁ……」
類はそっと猫の背を撫でた。
窓の外は夜の闇に包まれている……。
「あぁー、わたし明日配膳当番なんだった〜。寝坊できないじゃない」
類ではなく日世子の声。向かいで今日の復習をしていたが、思い出したらしかった。
「それじゃ夜更かしもしないほうがいいね」
類はくすくす笑った。配膳当番……。
「……そっか」
「ん?どうしたの、類」
日世子が不思議そうに類を見た。
「……わたしも明日早起きしなくちゃ」
類の言葉を聞いた日世子は、首を傾げるだけだった。
翌朝、類は日世子よりも早起きしてひとしきり支度をすると、
毛づくろいをしていた猫を抱いてある場所へ向かった。
「あれ?その猫がどうしてこんなところにいるんだ?」
男性の声が答えた。どうやら類の推測は当たったらしい。
大型トラックが朝と昼の食事その他を搬送するため校舎裏に停まっていた。
「この猫を知っているんですか?」
類は尋ねた。
その相手。口髭を生やした運送会社のトラック運転手は、眠そうに自分の顔を一撫でした。
「あぁ。昨日の午後だ。
俺が弁当食べてると、そいつがこの車のタイヤのあたりをうろうろしててな。
変わった毛並みだと思って見てたが、しばらく離れないもんで。かわいくなっちまって鮭をあげたんだ」
そこまで言うと運転手は一度眉を上下させた。
「この車にこいつが乗ってたのか?」
運転手は猫を指差した。
「そうだと思います……たぶん」
類は面白そうに答えた。運転手は遠い目をしつつ、
「確かにその後ちょっとばかしウトウトとして、目が覚めたら夕方になってたんで
慌てて夜の分の搬送しにここに来たが、なるほどな。ちゃっかりした猫だ、こいつぁ」
「その時にここで降りてしまったんだと思います」
類は楽しげに唇を波打たせていた。
運転手のほうは伸びをして身体をほぐすと、
「そんじゃ元いたあたりに返してやったほうがよさそうだな。
なぁに、大した手間じゃねぇし、仕事さぼ……。
……と、とにかく気にすんな!任せとけって!」
はっはっはと運転手は笑った。
「よろしくお願いします」
類はぺこりとお辞儀をして、猫を手渡した。
「おうよ!安心しな。……ところでお前さん」
「え……何ですか?」
「あんたはどんな変てこな力を持ってるんだ?」
にやりと笑って運転手はエンジンをかけた。
類がぽかんとしていると、じゃぁなと声を残しトラックは走り去った。
類はしばらく車両入口を眺めていたが、やがて朝食を食べに学校へ引き返した。
……まずは日世子に話してあげよう。ふふふ。
「じゃぁな、猫ちゃん!縁があったらまた会おうぜ。鮭あげるからよ」
運転手は猫をそっと路上に放し、にっかと笑うと、再びトラックを走らせて去っていった。
住宅地の一角。人や車の往来は少ない。
猫はにゃおんと鳴いてしばらく辺りをうろうろしていた。
やがて一台の車が近くに停まる。
黒塗りのタクシー。社名はどこにも書いてない。
助手席からスーツに身を包んだ端整な顔立ちの女性が現れた。
女性は猫の元にそっと近寄り、抱き上げると、空いているほうの手で携帯電話を取り出す。
数度プッシュし、間もなく通話を始める。
「もしもし……?古泉、目標の猫を捕まえましたので連絡しておきます。
……灯台下暗しとはこのことですね。……えぇ、問題ありません。手はずどおりに」
通話を終えると彼女は猫を抱いたまま車に戻った。
「新川、発進して」
「かしこまりました」
車は走り去って、そこには誰もいなくなった。
――猫はどこから来た?――
(了)