「誰の思惑」  
 
暗い部屋。  
光が一瞬瞬く。  
 
静寂。  
 
物音。  
得体の知れぬ気配。  
何かに絡め取られて存在は消える。  
 
男は笑った。  
その笑い声を聴いたものはこの部屋にはいないだろう。  
 
 
高崎佳由季は今日も目覚まし時計のアラームを聴くことなく目覚める。  
この朝の迎え方にもすっかり慣れた。  
空気の冷たさがあの季節からどれだけ離れたかを教えてくれている。  
6年に渡って目覚まし時計は彼に朝と物理的衝撃をもたらすものだった。  
それが一般的な用途に戻り、やがて目覚まし機能が必要なくなった。  
 
佳由季にEMP能力はない。  
だからこれは異能の力でもなんでもなくて、ただの習慣だ。  
非日常が日常になってしまった場合、それは日常と呼べるのだろうか。  
答えはYESだ。もうこれは非日常でもなんでもない。  
 
ベッドから這い出して一連の日課を済ませ、学生服に袖を通す。  
ネクタイをいつもと変わらぬバランスで締め、鏡の自分に仏頂面を向ける。  
同室にいるはずの迷惑白衣男は今はいない。  
そういえばここ3日いない。  
別に気に留めたりはしない。  
宮野秀作が何をしようと、そこに不自然は存在しないからだ。  
敢えて言えば彼自身が不自然そのものであり、それがゆえに行為自体は全て自然なのだ。  
 
学食まで出て行って、妹に配膳を受け、空いた席に腰を下ろす。  
「おはようございます、高崎さま」  
光明寺茉衣子。よほど寝ぼけていたのか、今まで気付かなかった。  
「ん、おはよう」  
「高崎さま、班長はここ数日部屋に戻ってまして?」  
「いや、3日前くらいから見ないな。どこに行ったか知らないのか?」  
「ええ。おかげで清々しい朝を過ごさせていただいております」  
吸血鬼の一件以来、想念体はその数を減じ、さてなぜだろうと考えていると、  
「ですがあの班長がわたくしに何も言わずいなくなるなんて、  
 不自然だと思いませんこと?おかげで起きている間何か落ち着かないのです」  
「また真琴が何か言いつけたんじゃないのか。  
 お前に知られてるとまずいような調査だか何だかを」  
「真琴さんは何も教えてくれないのです。  
 そもそも班長の行方を知っているのかどうかすら疑わしいですわ。  
 全てをお見通しなのが真琴さんですが、全てをぶち壊すのが班長ですから」  
まぁ真琴が知っていてもおかしくないし、それを宮野が出し抜いていてもおかしくない。  
ここのところ学内は比較的平穏で、宮野がいないことでこの平和が訪れているのなら  
むしろずっと失踪していてほしいくらいだ。  
「いたらいたで迷惑この上ありませんし、  
 いなければいないで静かすぎて落ち着かないのです。  
 二律背反、矛盾ですわ。高崎さま、わたくしはどうすれば―」  
と言ったところで佳由季が席を立った。  
茉衣子とエンドレストークできるのは全宇宙、全平行世界を探しても宮野だけだろうし、  
エンドレスじゃないにしても朝の時間を無為に過ごすつもりはない。  
「どうもしなくても、あいつなら必要な時に出てくるだろ。必要じゃない時にもな」  
 
茉衣子は一度部屋に戻った。  
(班長がいなくなって落ち着かないのはわたくしだけなのでしょうか?  
 何やら不穏な気配がいたします。これが胸騒ぎなどと思いたくはありませんが)  
「茉衣子ちゃん、どうしたの?ぼーっとして。  
 1限始まっちゃうよー?」  
茉衣子は答えなかった。声の主、高崎若菜は悪戯っぽく笑って、  
茉衣子の首筋を後ろから突っついた。  
「ぎゃぁっ!あっ、若菜さん?いたのなら声をかけてください。  
 こんな幼稚な挨拶は驚いてしまうだけですわ」  
「初めからいたもーん。授業始まっちゃうよー」  
「あ、そうでしたわね。急がなければ」  
二人は揃って部屋から出て行った。  
だが部屋はまだ無人ではなかった。  
衣装ダンスの裏側、薄っぺらい影のようなそれは、  
不気味に揺らいであたりを薄暗くさせ、やがてふっと消えた。  
 
蒼ノ木類は困惑していた。  
いや、彼女は困惑が日常の大半を占めているから、それ自体は珍しいことではない。  
何に困惑していたかと言えば、今のこの事態にだった。  
猫がいる。1匹。学内でペットを飼う許可は下りていないはずだ。  
ならば迷い猫だろうか?類はおずおずと手を伸ばす。  
彼女は猫専用のテレパスで、猫がいない以上この学園では一般人とほとんど変わりない。  
EMP能力者である、という属性のみであり、まさにそれだけしかない。  
だが今においては、普段は事実上透明化している彼女の能力が活用できそうだった。  
猫はあくびをして警戒心を解いていた。まるで類が思念を読み取るのを待っているかのように。  
<<宮野秀作がとらわれている。我輩は猫であって猫でない。早急に伝えてくれ>>  
…誰に?  
<<誰にか、ふむ。誰にであろうな。そもそも私はなぜここにいるのだろうか。  
 我輩は猫であって猫でない。名前はもともとない>>  
思念は妙に澄み切っていた。  
最近ごぶさたではあったが、記憶にある一般的な猫の思念はもう少し穏やかで  
のん気なものであったはずだ。  
類はきょとんとしていた。そのうちに猫はふいっと窓から外へ行ってしまった。  
外は月が輝いている。  
 
―というような事を類から聴いたのは茉衣子である。  
「とらわれている、とは一体どういう意味でしょうか?  
 身体の自由がきかず、身動きが取れないというのであれば、  
 これは相当に異常な事態ですわね。  
 班長とは長くも短くもない付き合いですが、今までそんなことは一度もありませんでしたわ」  
「で、でもっ!あの猫さんが確かにそう伝えてきたんです!  
 もしも班長さんに何かあったら…」  
茉衣子はさほど心配していなかった。むしろ安心していたくらいだ。  
(班長がとらわれるようなことがあるなら、わたくしはとっくに  
 
―介入する。実行。終了。  
 
「おそらく班長は学内にいるのですわ。  
 そうですね…。放っておきましょう。大丈夫。すぐにまた現れますとも」  
「そうですかぁ。それならいいんですが…」  
「むにゃ?二人で何話してるの?」  
若菜が寝ぼけ眼で顔を上げた。  
茉衣子は数少ない友人専用の微笑みを浮かべて何でもないと言った。  
夜が更けてゆく。  
 
佳由季は気配を感じ取っていた。  
彼はここにいることを除けば一般人と変わりないから、  
感じ取れる気配も一般的な種類に限定される。  
―誰かがこの部屋にいる。  
誰か。そう、人の気配で間違いない。  
「誰だ。半分以上分かってる気もするがさっさと出てこい」  
佳由季の目の前に現れたのは黒い影だった。  
立体だが見かけ上は平面な、そこだけインクで塗ったような丸い影。  
「宮野か?」  
影は答えない。だが佳由季はさして警戒もしていなかった。  
「あんまり光明寺を困らせるなよ。それなりに気にしてはいるようだぜ」  
それだけ言うとまた机に向かい寮生名簿を睨み始めた。  
影は忍び寄る。音もなく。  
影は大きさを増し、距離を詰める。  
真後ろで影は―。  
 
茉衣子は気配を感じ取っていた。  
彼女は学園の大勢と同じくEMP能力者で、  
感じ取れるものは常人のそれよりも範囲が広い。  
―誰かがこの部屋にいる。  
それは間違いない。なぜなら若菜がすぐそこで眠っている。  
そうではなくて、他に誰か。  
類なら自室に戻ったから、もうここにはいない。  
「どなたですか?女子寮に忍び込むなど不届きにも程がありますわ。  
 今なら間に合います。さっさと出て行きなさい」  
茉衣子の背後にはやはり黒い影が現れた。  
茉衣子は気にする様子など全く見せず、  
「何のお遊びですか?いつもは白いから黒くなってみたとでも言うつもりでしょうか。  
 全く面白くありません。黒ならばわたくし一人で十分です」  
それだけ言うと振り向いて影を睨みつけた  
影は忍び寄る。音もなく。  
影は大きさを増し、距離を詰める。  
正面で影は―。  
 
 
暗い部屋。  
光が一瞬瞬く。  
 
静寂。  
 
物音。  
得体の知れぬ気配。  
何かに絡め取られて存在が現れる。  
 
男は笑った。  
その笑い声を聴いたのは…茉衣子と佳由季。  
 
「はっはっはっは!大成功だな!  
 いや、3日もかけて研究した成果があったというものだ。  
 これでまた『黒夢団』の入団希望者も増えようというものだ!」  
宮野秀作は明かりも点けずに笑っていた。  
というか単に忘れているだけだろう。  
そう思って佳由季は壁際まで歩いて、手探りでスイッチを押した。  
珍しく茉衣子と同じ感情を抱いている気がしていた。  
すなわち呆然としているわけである。  
「さっさと説明なさってください。何の実験でしょうか」  
「影を切り離す実験をしていたのだ。  
 ついでに任意のものを取り込んで呼び寄せられるように機能を追加してな。  
 おかげで大分作業が増えた。影を動かすだけなら3日前にもう出来ていたんだがな」  
「類さんにわざわざ猫を送ってよこしたのも班長ですの?回りくどいったらないですわ」  
「猫?何のことかね。学内ペット厳禁なのは茉衣子君も重々承知だろう」  
「ではあれは一体…」  
「僕は部屋に帰るぞ。二人でいつまでも喋ってればいい。  
 わざわざ僕まで巻き込むことないだろう、宮野」  
「道連れは多いほうが楽しいのは何も旅に限ったことではないぞ寮長殿!」  
道連れのニュアンスが違うと思ったがわざわざ突っ込むのもばかばかしい。  
佳由季は何も返さずにさっさと教室から出た。  
その様子を眺めながら宮野が話を続ける。  
「猫とは一体何だね?いや生物学的説明は無用。類君の部屋に現れたと?」  
「えぇ。ですが班長がどうってことなかったのですから、  
 その猫にもなんら意味はないのでしょうね。追求するだけ無駄ですわ」  
「意味のないことなどないのだよ茉衣子君。また干渉の気配がするな。  
 そしてすぐさま解決できそうでもある。さぁ行こうではないか愛弟子よ!」  
「弟子と呼ばれる筋合いも『愛』とグレードを上げられる覚えもございませんわ」  
 
数分後に二人は教室を後にした。  
猫がどうなったのかは、さて、誰の知るところだろう。  
 
 
<おわり>  
 

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