長い黒髪をドライヤーで熱風を送りつつ、鏡に映る下着姿の白い肢体を見つめて、光明  
寺茉衣子は吐息を漏らした。黒曜石の黒髪に白亜の肌、一流の人形師が造形した精緻な顔  
貌と肢体。ただの姿見でさえどこかの魔女が所有している鏡のように、この完璧な美貌を  
賞賛しているようですわ。茉衣子にとって己が美しいのは客観的事実であり、ゆえに他人  
の賞賛の言葉に心動かされることはない(と自分では思っている)が、喋る鏡さんに褒め  
られるのは悪くない気がする。  
 
「時間があれば明日にでも文献を調べて、鏡に意識と言葉を与える魔術の資料探しをする  
のも悪くありませんわね」  
 鏡に向かって一人ごちる。冗談のつもりが、口にしてみると案外本気で実行してみたく  
なった。  
 
 該当しそうな資料を頭の中で検索しながら、ヒラヒラのレースで過剰に装飾された真っ  
黒な夜着を身につける。さらさらと肌を滑る絹の感触に満足した茉衣子は、一つ頷いてカ  
ーディガンを羽織り更衣室を出た。人気のない廊下を歩きながら、昼以外は風呂場を空け  
てくれている規則に感謝する。同室の少女がうつらうつらと舟を漕いでいる様子を微笑ま  
しく眺めているうちに、一緒に寝入ってしまったのは不覚だった。顔に付いたカーペット  
の痕が特に。  
 
 こつこつとリノリウムの廊下を靴の底で叩きながら、残り少なくなったコンディショナ  
ーの容器に目を落とす。そろそろ買い出しリストを提出して補充しなければ。備え付けの  
ものは質が悪くて茉衣子の髪には合わないのだ。茉衣子は髪の手入れに人一倍こだわりを  
持っている。磨き抜かれた髪の感触は自分で触っても陶然となるほどだ。きれーな髪だけ  
ど面倒くさそうだね、と同室の友人に言われたことがあるがそれは違う。他人に見せるた  
めではなく単なる自己満足でしかないので、面倒などと思ったことはない。  
 
 ロクに手入れもされていないだろうに艶のある生徒会長代理の髪に思いを巡らせながら  
自室に辿り着いたとき、茉衣子は唐突に用事を思い出した。その記憶は何故今まで忘れて  
いたのか不思議なくらい当たり前に、茉衣子の頭の中にあった。  
 常識的に今の時間帯に訪問するのは無作法なのでしょうけど、常識的でないあの方なら  
特にお気になさらないはずです。  
 今日の夜に来なさいと言われていた、つまり日付が変わってしまった今は完全な遅刻だ  
が、夜は夜、新聞のテレビ欄では同じ日付だ。茉衣子が知る彼女の器は、この程度の詭弁  
で許してくれるくらいには大きいはずだった。  
 
 自室へ荷物を置いて、目的の地へと小走りで駆ける。途中ですれ違った生徒はぎょっと  
して辺りを見回したが、無視。  
 ――まったく、わたくしを不吉の象徴のように扱うのは止めていただきたく存じます。  
 内心舌打ちしながら長髪とカーディガンをなびかせる。目の端に映る窓の外の夜空は、  
曇っているらしく月も星も見えない。茉衣子は煌々と廊下を照らす明かりに感謝した。妙  
に古ぼけた扉の前で足を止める。やっと到着。  
 
 茉衣子は部屋を確認して髪と息を整えると、人差し指を伸ばした。  
 
 
 顔面を圧迫する物体の熱っぽさに、高崎佳由季は目を覚ました。息苦しい。振り払おう  
と思い頭を振る。が、動かない。誰かに後頭部を掴まれ固定されている。小さく押し殺し  
た聞き覚えのある笑い声。さざなみのように細かく震える押し付けられ覚えのある柔らか  
い物体。――やれやれ。佳由季はこの大して面白くもない遊戯の相手に見当を付けた。  
 
「あら、さすがユキちゃん。あたしの身体を覚えていたのね。気付くの早い早い」  
 透き通った、でも揶揄と皮肉の入り混じった声。縞瀬真琴だ。さっそく佳由季の頭の中  
を覗いたらしい。つーかこれは胸か、押し付けるのを止めろ。肩を掴んで押し返そうとす  
ると、けけけ、と笑いながら真琴は自分から身体を離した。何故か付いている電灯の明る  
さに目をしばたかせて、にやにやと笑う真琴の秀麗な顔に焦点を合わせる。  
 
「おい、何度言ったか忘れたけどここは男子寮だ。女子禁制という言葉の意味が理解でき  
るか? できたなら即刻出て行け。僕は眠いんだ」  
「あら、ここが女子禁制? なに言ってるのかなあ」  
 真琴は人の悪い笑みで気持ちの悪い甘えた声を出した。佳由季はその顔に浮かぶ表情を  
読み取る。それは相手が知らない情報を握っている人間独特の、喜悦の表情。佳由季は身  
体を起こして部屋を見渡した。何故気付かなかったのか不思議なくらい部屋を埋め尽くす  
観葉植物、何故かソファの上にある自分の身体、何故神に存在が許されているのか理解不  
能な痴女のしなだれかかってくる熱い身体。  
 
「僕に何をした。なんで僕がお前の部屋にいるんだ」  
「あらん、あんなに情熱的に私を求めてきたのに、もう忘れちゃったのかしら?」  
「ふざけるな――」  
 思い出した。もちろんありもしない真琴の妄想のことではなく、こいつのEMP能力の  
汎用性の高さを。  
「寝てる間に僕の身体を操ったな。なんでこんなことをした」  
「ユキちゃん質問ばっかりでつまんなーい。どーでもいいじゃん。んなこと。それよりあ  
たしの身体のうずきに答えておくんなさいまし。寂しくって真琴眠れないの」  
 耳元で囁きながら気色悪い精神波を送り込んでくる性悪テレパスの返答に、佳由季は溜  
息をついた。眠っている人間で人形遊び。なんて暇な奴なんだ。  
 
「僕は帰るぞ」  
 絡み付いてくる腕を外す。と、今度はぐにゃぐにゃと身体全体で巻きついてきた。鬱陶  
しい。佳由季はもう一度溜息を付いて異常に顔を接近させてくる真琴に視線を合わせる。  
こいつがやたらと絡んでくるときは、いつも厄介ごとが起きているような気がする。真琴  
自体が厄介事の塊だから当たり前ともいえるが。  
「……何かあったのか? 重要な用件なら一分以内にまとめれば聞いてやる」  
「暇」  
「帰る」  
 気遣いの心を見せた甘さに後悔。佳由季は立ち上がるために真琴の身体を押し返す。瞬  
間、胸に全体重をかけられ逆に押し倒された。柔らかい身体が覆いかぶさってくる。体温  
の高い女だ、暑苦しい。  
 
「ユキちゃんさー、ほんっと自制心が強いわよねえ」そう言って真琴は豊満な肉体を押し  
付けてくる。「だいちゅきな真琴ちゃんに迫られて満更でもないくせにさぁ。ほらほら、  
気持ちいいっしょ? いい加減素直になりなさいよ、このシスコン。それとも、あんたE  
D? ほんならあたしが治療してあげるから正直に告白なさい」  
「余計なお世話だ」  
「うふふ、そう言うと思ったわ。というわけで真琴ちゃんは愛するユキちゃんのために、  
もっともっと余計なお世話をしてあげようと決意したのです。暇だし」  
「くだらない冗談はやめ――」  
 
 唇が熱く柔らかいもので塞がれた。頭を抱きかかえるように固定される。半開きの口腔  
に真琴の舌が侵入した。佳由季の見開いた目に、真琴のうっとりとした笑みとむせ返るよ  
うな艶を孕んだ視線が飛び込んでくる。一瞬本気で噛み付いてやろうかと思ったが、何と  
か自制して思いとどまる。真琴の視線が笑みを深めた。抵抗しないことを計算していたら  
しい。目を細めて真琴を睨み付けるが、真琴は意に介さずといった様子で、舌を絡めとり、  
舐め、吸い、口腔を蹂躙してくる。真琴の唾液が流し込まれ、咽喉を通って胃へと伝い落  
ちていき、またはあふれて唇から流れ落ちた。  
 
 たっぷり一分以上経っただろうか、佳由季の唇を味わい尽くした痴女は、満足そうにゆ  
っくりと顔を離した。唇と唇の間に出来た唾液の糸を、燃えるように真っ赤な舌でちろち  
ろと舐め切る。なんて表情をしてやがる。ムカついた佳由季は右手で真琴の顔を掴んだ。  
思い切り指を立てる。  
 
「痛っ、いたいいたい」  
「うるさい。もう満足しただろう。今度こそ帰らせてもらうぞ」  
「えーそれマジで言ってるのん? 真琴ちゃんはさっきのチュウでもう抑えきれないくら  
いに身体が火照っちゃってるんですけどけど。ユキちゃんにこの熱を冷ましてもらわなき  
ゃあたし死んじゃう死んじゃう」  
 ぬらりと右手に気色悪い感触。とっさに手を放してしまう。こいつ、舐めやがった。  
 
「ユキちゃんさー、もしかしてあたしと二人っきりが恥ずかしいのかしら」  
 にやりと嫌な笑み。佳由季が拒む理由など頭の中を読んでとっくに知っているだろうに、  
わざと見当違いな妄言を吐いている。顔をしかめた佳由季の耳元に真琴が顔を寄せ吐息を  
当てる。  
「じゃ、茉衣子ちゃんも混ぜちゃおうか?」  
「何を言ってるんだ――」  
 馬鹿かお前、と続けようとした瞬間、また真琴の胸で視界を塞がれる。暗い視界の中で、  
ノックの音が虚ろに鳴り響いた。  
 
________________________________________  
 
「失礼いたします、真琴さん遅れて申し訳ありませんでした」  
「いいのいいの、さっさと入りんさい」  
 あっさりと佳由季を開放し真琴が迎え入れた訪問者の高く硬質な声には、聞き覚えがあ  
った。脳内に黒っぽいイメージが喚起される。おそらく、いや確実に光明寺茉衣子だろう。  
どうにもタイミングが良すぎるな。いつ呼んだのやら。佳由季は無駄に柔らかいソファに  
沈み込んだまま溜息をつく。背後から茉衣子と真琴の会話が聞こえてくる。  
 
「真琴さん、あなたはなぜ衣服を着用しているのですか。規則違反ではありませんか」  
「ああ、めんごめんご。あたしドジっ娘だからよく忘れるのよね」  
「意味が分かりません」  
 衣擦れの音と共に吐き出された言葉に佳由季は首を捻った。確かに意味が分からない。  
が、それは茉衣子の言葉だ。衣服の着用が何だって? 嫌な予感がする。そして佳由季の  
予感は、マイナス方面に関してはよく当たるのだ。  
 
 佳由季は両足に力を入れて無駄に柔らかいソファから立ち上がり、ジャングルもどきの  
様相を呈している観葉植物で埋もれた部屋の扉に目を向けた。見慣れた人間が二人いた。  
ただ、一人は見慣れない格好で、それはつまり――全裸だった。  
「あら、高崎さま。いらっしゃったのですね、ごきげんよう」  
 呆然と立ち尽くす佳由季に、さっきまで着用していたであろう夜着等を手に持った光明  
寺茉衣子が会釈を返してきた。異常な格好とは裏腹にどこまでも普段どおりの挨拶だ。相  
も変わらず根拠のない自信に溢れているその姿は、彼女の所属している組織の班長に通ず  
るものがある。佳由季は肌を晒したまま胸を張った姿勢でこっちを見ている茉衣子から視  
線を逸らして、この妙な現象の直因に違いない女へと向けた。  
 
「おい、真琴」自分でも驚く程厳しい声が出た。「お前こいつに何をした」  
「なんのことかなあ? 真琴ちゃんわかんなあい」  
 真琴はへらへらと笑いながら甘えた声を出した。ふざけた態度だ。佳由季の表情が消え  
ていく。冷ややかな目で真琴に視線を固定しながら茉衣子を指差した。  
 ――こいつの頭を弄っただろう。  
 心中で呟く。完璧なウインクを二度返された。ふざけてやがる。  
 こいつは暇つぶしというくだらない名目で茉衣子をこの部屋まで操り出し、妙な条件付  
けを施したのだ。意に沿わない精神操作で人間の行動を制御する行為を、佳由季が激しく  
嫌悪しているのを知っていながら。  
 
「高崎さま」  
「なんだ」  
 温度の低い声が割り込んできた。佳由季は顔を歪めて声の方向へと視線を向ける。不機  
嫌そうな茉衣子がいた。己に向けられた佳由季の人差し指を睨み付けている。どうもこれ  
が原因らしい。腕の力を抜いて下ろす。そして茉衣子の視線を辿ったおかげで下に向いた  
視線を修正し、目を細めて、ちらちらと映りこむ白い肢体を視界から外した。  
 
 茉衣子がピクリと眉を吊り上げた。何だか更に気分を害したようだ。どうやら自分の表  
情に問題があるらしいな、と佳由季は無関心に心の中で頷く。睨み付けているようにでも  
見えるのだろう。  
「なぜみすみす真琴さんの規則違反をお見逃しになっているのですか。あなた方二人が想  
い合う男女の仲だとしても、規則は規則です。甘えは許されません。ちゃんと注意してく  
ださい。挙句の果てには高崎さま自身まで違反を」  
「僕はお前が何を言っているのかまったく理解できない」  
 それにしてもなんてぶっ飛んだ設定だ。突っ込み所が多すぎる。真琴、お前の脳はどん  
な構造をしているんだ。本当に存在そのものが嫌がらせだな。  
 
≪わお、ご機嫌斜めねえ。うふふ、ユキちゃんこわーい≫  
 茉衣子へ言葉を放った瞬間、真琴の躁じみた思念が飛び込んできた。佳由季は背後で確  
実にニヤニヤ笑っているであろう真琴へも意識を向ける。  
 茉衣子の電波を受け流しながら真琴の電波を受信。笑えない冗談だ。  
≪まあまあ茉衣子ちゃんの裸でも眺めて落ち着きなさいよ。ムラムラしちゃったらあたし  
が隅々まで面倒見てあげるからさ。それともあたしの裸が見たい? もう、そんなのいつ  
だって見せてあげるのに。仕方ないわね≫  
 背後でもぞもぞと何かが動く気配がする。具体的に言うなら、真琴が服を脱ぐ気配。  
 
「この部屋は着衣厳禁です。そしてわたくしの眼球が映し出している情報を信用する限り、  
あなたは衣服を着用しておられるように見えるのですが、さてこれはわたくしの勘違いで  
しょうか」  
「もう一度言おう。僕はお前が何を言っているのかまったく理解できない」  
 意味不明な茉衣子の皮肉に、腹を立てる気さえ起きない。佳由季はこの部屋を出ること  
にした。今までそうしなかった自分の人の良さに感心する。ただもう限界だ。頭の悪いル  
ールなんてどうでもいい。勝手に二人で裸にでも何でもなっとけ、僕を巻き込むな。  
 
 佳由季は部屋の扉へと歩き出す――動けない。真琴だ。佳由季は背後で脱衣中の痴女を  
盛大に罵ろうとした――声も出ない。ちくしょう、完全に身体の自由を奪いやがった。佳  
由季は棒立ちの格好のまま心中で罵詈雑言を並び立てるが、さざなみのように揺れる愉快  
そうな思念が返ってくるだけだ。  
 
「茉衣子ちゃん、あたしが悪かったのよ。ほら、もう脱いだからユキちゃんを責めないで  
あげて」背後から表面上は殊勝な口調で見当違いもはなはだしい哀願が聞こえてくる。も  
ちろん佳由季は茉衣子に責められる覚えも真琴に庇われる覚えもない。さっさと帰らせろ  
と心中でわめきたてるだけである。  
「でもでもぉ――」一転して喜悦の調子を孕んだ真琴の声。嫌な予感がした。そして繰り  
返すが、佳由季の嫌な予感はよく当たるのだ、全く嬉しくないことに。「ルールはルール。  
ユキちゃんもこの部屋にいるんだから服を着るのはアウトよねー」  
 
 背後から抱きつかれた。全裸の真琴は背中に柔らかい膨らみを押し付け、寝間着の裾に  
手をかけてくる。やめろ、と叫ぼうとするが声が出ない。一気に上着を剥ぎ取られた。  
 真琴は佳由季の耳元に吐息を吹きかけながら、また身体を、しかも今度は張り付くよう  
に押し付けてくる。肩と首筋に触れる頤。ぴったりと吸い付くように肩甲骨を圧迫する柔  
らかい膨らみと、堅い先端。真琴の吐息が聞こえるたびに、微妙に動いてくすぐったく背  
中に触れる腹。身体に巻きつき、這い回る細い腕。全てが熱っぽく、心地良い。  
 佳由季は全身で真琴を感じていた。真琴の身体が動いて佳由季を刺激するたび、身体中  
に電気が走った。異常な快感。官能中枢が狂わされている。  
「うっ……はあぁぁぁ」  
「ふふ、エロい声ね。そんなにキモチいい?」  
「あぁっ!」  
 真琴の艶にまみれた声と共に、更に強烈な電気が下半身から走った。ズボン越しに股間  
を掴まれぐりぐりと擦られている。目が眩みそうな快感と共鳴するように震える膝と声帯  
に、佳由季は体の主導権を返されたことに気付く。しかし、許容量を超える異常な快感で  
力が入らない。真琴にもたれかかってやっと立っている状態だ。  
 
「真琴さん」目の前にいた全裸の少女が呆れ成分100パーセントの声を発した。真琴だけ  
に意識を奪われていた佳由季は、それで茉衣子の存在を思い出した。「いつまで高崎さま  
で遊んでいるのですか。さっさとお脱がせください」  
「あら、忘れてたわ」  
 言って真琴がズボンに手を掛ける。  
 ――やめろ、公害電波女。  
 朦朧とした頭の中でやっと放った罵倒に返ってきたのは、にやにや笑い主成分の気持ち  
悪い精神波。そして真琴は素直にズボンから手を引く。またもや嫌な予感が体中を廻った。  
 
「んー、でもユキちゃんはあんたに脱がしてもらいたがっているみたいなのよ。面倒だと  
は思うけど手伝ってもらえないかしら」  
「なに馬鹿なこ――んんっ」  
 首筋から腰を砕く一撃。ざらざらとした真琴の舌がうなじを這い回っている。佳由季は  
顔を上気させながら喘ぎ、すがるように茉衣子を見た。頼む、止めさせてくれ。佳由季と  
真琴を短い間見比べた茉衣子は、一つ頷き、口を開いた。  
「わかりました。お手伝いしましょう」  
 
 無情にも佳由季の視線を黙殺した茉衣子は、呆れた表情のまま面倒くさそうに寄ってき  
た。普段は頭一つくらい下にある顔が同じ高さにある。が、目線を交えることもなく茉衣  
子は佳由季の腰に手を伸ばした。自然と目がその手を追う。絡みついた真琴の腕も視界に  
入った。四本の白い腕が腰の辺りに纏わりついている光景に、現実感が揺らぐ。冷たい指  
がへその下に触れた。と思った瞬間、一気に引き下げられた。ひやりとした大気の感触。  
そしてまた全身に電撃が走る。しゃがみながら足をズボンから抜こうとしている茉衣子の  
髪が、屹立した佳由季の怒張に触れたのだ。くくく、と底意地の悪い笑いが耳元で聞こえ  
る。その空気の振動すら心地良い。陶然と飛びそうになる意識を、何とか押さえつける。  
 
「はい、終わりました。これでもはやわたくしも、言いたくもない文句をぐだぐだ小姑の  
ように並び立てることはないでしょう」  
 脱がせたズボンを畳みながら平然とした表情で茉衣子がのたまった。座ったまま上目遣  
いに佳由季を見上げる漆黒の瞳が、妖しい光を放つ。吸い込まれそうな吸引力のあるそれ  
に、佳由季は魅入られ手を伸ばしたくなって――気付く。またお前か、真琴。  
 
「正解。つーこってご褒美よん」  
 ハートマークが十個くらい付きそうな声で感情操作を認めた真琴が、佳由季を解放した。  
がくり、と支えを失い倒れこむ。そしてその先には――茉衣子がいる。優しい衝撃。抱き  
かかえるように支えられた佳由季は、信じられないものを見た。茉衣子が媚びるように微  
笑んでいた。いつか見た(優)のように。  
 何かが頭を駆け巡る感覚。佳由季は全てを悟った。そして何もかも流れに任せることに  
した。それこそが己に求められていることなのだろう。どうにもならないことは、どうに  
かしようとする方が間違いなのだ。  
 
 茉衣子の顔が近づいてくる。諦観の表情を浮かべた佳由季は、覗き見ているであろう真  
琴を忘れて柔らかい唇を受け入れた。  
 

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