(けーいちろー)
呼ばれた気がして、敬一郎は動作怪しく辺りを見回した。昇降口でさつきを待ちながら。
「あ、ハジメ兄ちゃん」
(敬一郎ちょっと来い)
ハジメは階段の陰に隠れて、顔だけ出して手招きしていた。
とっとこ走る敬一郎。
「なーに?」
「もっとこっち寄れ!」
「うわぁ」
首に手を回して、ハジメは強引に敬一郎を引き寄せた。
何故かレオはいない。
「これ見てみろよ」
「え?」
手に持つ物は、黒い表紙にピンクの文字。いかにもな怪しい本だった。
「なーに、これ」
「さっき見つけたんだ」
ハジメが開こうとした瞬間、上方へ瞬間移動し視界から消える。
えっ、とそれを追う暇もなく後頭部に衝撃が走った。
「イテッ」
「あ、お姉ちゃん」
ハジメが顔だけで振り向くと、さつきが仁王立ちしていた。手にはハジメから取り上げた、丸めた雑誌を持っている。
「アッー俺の返せよ!」
「ハジメ、敬一郎に変な物見せないでよね!」
ハジメも黙らずに、いつもの軽口を返した。
「へん。じゃあお前、それが何なのか知ってるってのかよ!」
「そ、それは……」
流石に直接口からは言えなかった。
さつきが顔を赤くして黙り込むと、ハジメはその隙を付いて「えっちな本」を取り返した。
「あ」
と思っ
さつきは家に着いてからずっと、一人で憤慨していた。
(全くハジメは何考えてるんだろう。あんなものを敬一郎に見せようとするなんて。
スケベだけど良い奴だ、って思ってったのに。ホント信じられない)
「ハジメのバカ!」
「聞こえてるぞ」
あっ、と手を口に当てるがもう遅い。つい叫んだのを、隣の住人に聞かれていた。
ハジメはいつものように、窓から乗り出してこちらを見ている。
窓の桟に着いた頬杖が、なんだかふてくされてるように見えた。
「……なによ、バカハジメ」
「開き直んのかよ」
ハジメが崩れ落ちる。
「その……すまなかったな」
「?」
「いや、だから…………あーもう、なんでもねーよ!」
「なんで勝手に怒ってるのよ!」
「どーでもいいだろっ」
「よくないわよ!」
いい、よくないと不毛な口論が続く。そうしている内に、すっかり日が落ちていた。
「もう、夕ご飯用意し忘れちゃった」
「俺のせいじゃないからな」
「分かってる」
さつきは下に降りようときびすを返し、そのまま呟いた。
「ハジメ、今日親いないんでしょ。……あんたの分も作ってあげる」
「えっ?」
聞き返した時には、さつきは軽い足音で階段を降りる所だった。