そのことについて初めて違和感を感じたのは昼休みのことだった。  
久々に学食へ行こうと廊下を歩いていると、  
前方に女子に囲まれている見知った顔を見つけた。  
 
「……あれ?」  
 
特に問題ない風景にしか見えなかったが、何かが違う。  
それがなんだか気になってつい階段踊り場に隠れてしまった。  
 
「せんせーのおかげで成績あがったんだー」  
「わたしもー」  
「こなっちゃんさまさまだよー」  
 
やっぱり見間違えでは無かった。  
当事者からの声は聞こえなかったが、確かに小夏姉さんが  
ボード無しで会話していた。  
 
考えてみれば当たり前のことだった。  
ボードや黒板だけで授業が出来るわけが無いし、  
先生たちの会議でも話さないわけがない。  
でもボードだけで会話するのが当たり前の僕にとっては  
なんだかもやもやするものが胸の中にたまっていくだけだった。  
 
 
「小夏先生の授業? わかりやすいし人気あるわよ?」  
「そうだな。先生が受け持っているクラスの平均だけが上がって  
他の同学年の数学教師は慌ててるらしいしぞ」  
 
放課後何気なくを装って、授業を受けている  
いずみ先輩と三枝先輩に聞いてみた。  
 
「あの、授業でもホワイトボード使ってるんですか?」  
「いや、普通に授業してるぞ」  
「たまにお遊びで使うこともあるけどね」  
 
やっぱり……  
 
「そういえばあのボードを見るのは基本的に階段部のときだけだな」  
「そうね。何か意味があるのかしら? 神庭君知ってる?」  
「いえ、僕も知らないんですよ。でもなんだか気になっちゃって……」  
「昔からああなのか?」  
「前に会ったのは小学2年のときだからあんまり覚えてないんですよ。  
こっちに引っ越してきたときにはもうあんな感じだったし……」  
「家でも?」  
「ええ。ちゃんとしゃべった記憶は喧嘩というか怒られたときだけです」  
「夜叉姫にか。どうだった?」  
「思い出したくもありません……」  
 
その後、九重先輩がきたので話はそこまでとなった。  
でも推測するに十分な話が得られたと思う。  
小夏姉さんは僕がいるときだけボードを使うんじゃないかと。  
 
 
「美冬姉さん、ちょっといい?」  
「……なに?」  
 
前よりは会話が成立するようになったと思っていたけど、  
このときは不機嫌だったようで  
 
「あの……小夏姉さんのことなんだけど……」  
 
と聞いたとたん急に顔つきが変わって  
 
「……変態」  
 
との言葉を残して部屋に入ってしまった。何が悪かったんだか。  
 
 
次は無駄だろうけど千秋姉さん。  
 
「あれって宴会芸の練習とかかと思ってた」  
「普段からあんなことばっかりやってたら大変じゃない?」  
「そうか? でも別にふつーにしゃべってることもあるし」  
「僕とは無いんだけど」  
「んー? そんなこと無いけどなぁ? 考えすぎじゃね?」  
 
期待はしてなかったけど予想通りの答えだった。  
やっぱりうちで一番偉いあの方に聞くしかないか。  
 
 
「ゆーちゃん、浮気は駄目よ?」  
「ちょっと待って。今の会話からどーして浮気になるの!  
それに僕は誰とも付き合ったりしてないし!」  
「あの日誓い合った高原のチャペルを忘れてしまったのね……」  
「いや、そんなとこ行った覚えは無いし! 誓った覚えも無いし!」  
「わすれんぼさんねぇゆーちゃんは。しっかり誓ったのに。夢の中で」  
「夢かよ! そんな夢、僕が一緒に見るわけ無いし!」  
「何を言ってるのゆーちゃん。忘れちゃったの?  
白馬に乗ったゆーちゃんは私の手をとってこう言ったわ。  
『希春姉さん、いや、希春。永遠にあなたを愛するとこのチャペルに誓おう』って」  
 
駄目だこの人、早くなんとかしないと……  
 
「いや、そうじゃなくて、小夏姉さんがボードを何で使ってるのか  
とか、いつごろから使い出したのかとか聞きたいだけなんだけど」  
「もう、ゆーちゃんのいけず。今度はちゃんと指輪の交換までしてもらいますからね」  
「それは丁重にお断りさせていただきますです……」  
 
希春姉さんはこれさえなければと思うんだけど……  
 
「まぁそれはおいといて。ゆーちゃん覚えてないの?」  
「覚えて無いって?」  
「そっか。じゃあ小夏本人に聞くのが一番じゃない?」  
「聞きにくいからこうして希春姉さんに聞いてるんだけど」  
「でもね、やっぱり本人から聞くのが一番だと思うの。  
ゆーちゃんが気になるならちゃんと話し合わないと。私たちは家族でしょ?」  
「うん……」  
「さ、思い立ったが吉日。小夏と話してきなさい。怒ったりしないと思うから。多分」  
 
多分、か。  
 
「わかった、聞いてくる。ありがとう希春姉さん」  
「お礼は婚姻届にサインでいいわよ〜」  
 
謹んで辞退させていただきますですはい……  
 
 
 
覚悟を決めてノックする。  
「小夏姉さん、ちょっといいかな?」  
返事も無しにドアが少し開き、隙間から小夏姉さんが僕を覗き見ていた。  
 
「あの……聞きたいことがあるんだけど……」  
少し考えるようなそぶりをした後ドアを開けてくれた。  
そういえば小夏姉さんの部屋に入るのははじめてのような気がする。  
 
部屋は思っていたよりも乙女チックな部屋だった。  
動物のぬいぐるみや薄いピンクのレースのカーテン等は  
小夏姉さんのイメージとはかけ離れていたので驚いた。  
ただ、部屋の片隅にある特攻服や編み上げブーツ、釘バットを見ると  
やっぱりここは小夏姉さんの部屋なんだと認識できる。  
 
『聞きたいことって何? 勉強?』  
いつものようにボードでの会話。  
「聞きたいのはそれのことなんだ」  
ボードを指差すと、小夏姉さんは首をかしげた。  
 
「小夏姉さんは僕がいるときだけボードを使うよね?  
希春姉さんに聞いたら教えてくれなかったけど、  
覚えて無いんだけどなんか僕のせいみたいだし……  
どうしてなのか教えて欲しいんだ……僕が悪かったら謝るから」  
 
ちょっと悲しそうな顔をした後、新たにボードを見せた。  
『本当に覚えてない?』  
 
静かにうなずく。  
いつもは書いているところなんて見せないのに、  
今回だけは考えながら時間をかけて文字を書いていた。  
 
『幸宏が私の声を怖がったから』  
 
頭の中では「え?」の文字が乱舞していた。  
僕がそんなことを言ったんだろうか?  
それどころか、小夏姉さんの声なんて数度しか聞いたことが無いし、  
なんだかさっぱりわからない。  
 
不思議そうな顔をしている僕を見て、ひとつ息を吐くと  
 
『はじめて幸宏がうちにきたころ、私が荒れはじめてて  
つい大きい声を上げた。それを幸宏が怖がったから』  
 
と書いて見せた。  
 
「そっか、そんなことがあったんだ……忘れていてごめんなさい」  
ふるふると首を左右に振って  
『幸宏は悪くないから』  
と返してくれた。でもこれで終わらせては駄目な気がする。  
 
「あの、小夏姉さんさよければ、今後は普通に話してくれるとうれしいんだけど」  
 
おちつきなくあちこちを見渡した後、覚悟を決めた顔で  
「えっと……ありがとう、ゆ、幸宏……」  
と言ってくれた。その声につい反応して  
「こちらこそ、っていうか小夏姉さんの声って思ってたよりかわいいんだね」  
と答えた。  
 
それからが大変だった。  
ボンっと音が聞こえそうなで勢いで顔を真っ赤にした小夏姉さんが  
部屋をわたわたと歩き回りだした。なんか変なことを言ったんだろうか?  
そして部屋の隅にあった特攻服を持ってきて  
 
「あ、あげる。仲直りの印。幸宏を二代目夜叉姫に任命」  
 
いや、そんな恐れ多いもの受け取れませんって。  
それになんで僕が姫なんですか……  
 
「じゃあ夜叉王子に刺繍し直す」  
 
わぁいとっても弱そう、ってほんと気持ちだけ受け取っておきますから。  
 
「なら桔梗院の制服。スク水と体操服もある」  
 
いや、そんなものもらってもどうしろと。  
 
「幸宏なら似合うと思って。着て見せて?」  
 
流石にそれは勘弁してください……  
そしてタンスをゴソゴソと漁って持ち出してきたのは  
 
「ね、neko san?」  
「ねこさん。かわいくない?」  
 
まさかバックプリントの綿ぱんつが出てくるとは。  
 
「ははは……小夏姉さんは赤とか紫とかTバッグなのかと思ってた」  
「そういうのが好き? 幸宏の部屋調べたけど、Hな本とか出てこないから」  
 
いや流石に女系一家の居候の分際でそういったものは置けませんよ。  
希春姉さんが探ってるだろうしって小夏姉さんもやってたのか……  
ってなんで上にのしかかってるんですか! いつのまに馬乗りにっ!  
 
「私のお気に入り。かぶせてあげる。男の人はぱんつかぶるの好きなんでしょ?」  
 
確かに男のロマンかもしれませんが、それは時と場合によるわけで!  
 
 
「ゆーちゃん、仲直りできた? そろそろご飯……」  
やった! 救世主が現れた! と思ったのは一瞬で、  
救世主は即座に阿修羅と化した。  
 
「小夏、ゆーちゃんに何をしているのかしら?」  
「仲直りのスキンシップ。そしておかずのプレゼント」  
「私という妻がいるんだから、ゆーちゃんにおかずなんて必要ないんです!」  
「……いつも嫌がられてるくせに」  
「なっ!」  
「幸宏は私のことかわいいって言った。もう遠慮しない」  
「ゆーちゃん、本当にそんなこと言ったの? 私には言ってくれないのに!」  
 
いや、それは声のことで……  
 
「やっぱりあの時ちゃんと止めを刺すべきだったわね……」  
「今度は手加減しない」  
 
それからは嵐のような様相だった。物が飛び交うし怖くて体を起こせない。  
なんとか匍匐前進でドアに近づくと美冬姉さんが外にいるのが見えた。  
 
「た、助けて……」  
「……浮気者」  
 
覚えてるのはここまでだった。  
飛んできた鉄板入りの学生かばんを後頭部に受けながら、  
二人の喧嘩には二度と関わらないと誓った。  
 
 
おまけ  
 
「ということだったんです」  
「なるほどね。でもあれはまだ使ってるのね」  
 
放課後、『わたくし、"神庭"小夏は"神庭"小夏となりました』と書かれた  
ボードを掲げて九重先輩と変な踊りをしている小夏姉さんを眺めながら、  
いずみ先輩に昨日の出来事をかいつまんで説明した。  
書いてある意味がわからないんだけど。  
 
「アイデンティティとか言ってました。  
あんなのなくても小夏姉さんは小夏姉さんだと思うんですけど」  
「そうね。でもなんだかご機嫌みたいね。  
授業でもいつもよりテンション高かったみたいだし。  
代わりに美冬がすごい機嫌が悪かったみたいだけど。なにかしたの?」  
「さぁ……」  
 
自分では何かしたつもりは無いけれどなんとなく言葉を濁す。  
 
「美冬姉さんもそのうち機嫌よくなりうわっ」  
 
いきなり後ろから引っ張られた。背中にはやわらかい感触。  
って小夏姉さん何するんですか!  
 
『不純異性交遊禁止』  
 
いや、いずみ先輩とは話してただけで不純異性交遊とかなんにも無いですってば!  
 
「ふーん何もないですか。あのとき私のことが必要だって言ってくれたのに……  
それにいずみって呼んでって言ったでしょ? 幸宏」  
 
え? ちょ、ちょっといずみ先輩?  
 
「先生、教師と生徒っていうのも他の生徒の手前よくないと思うんですけど」  
『親族だから無問題』  
「近親というのもよくありませんね。その点私なら世間的にも年齢的にも健全です」  
 
あるぇ?どうなってるんですか?  
 
 
「突然始まりました、チキチキ缶バッチはあたしの嫁 直接対決 小夏vsいずみ  
司会はあたくし九重ゆうこ、解説はおなじみ“彼女ができたのにやめられない”  
エロゲ研究家の三枝さんでお送りしますっ!」  
「ちょっ、な、なんで知ってるんですか!」  
「電脳研の人に新作ゲーム借りたって聞いたし」  
「くっそう、ケチらないで買うべきだったか! すいません見城には内密に……」  
「どっしよっかなー?」  
 
なんかこっちでもはじまってるし! こういうときは……ってあれ?  
刈谷先輩が華麗なムーンウォークで離れていきますよ?  
 
「遊佐に仕事頼まれてたの忘れてた。じゃっ!」  
 
いやそんなさわやかに言われても!  
つーか僕も逃げればいいのかぐえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!  
 
「どこに行くのかな? 幸宏君?」  
『もはや、のがれることはできんぞ!』  
 
ちょ、襟首引っ張られると呼吸が!  
 
「おおっとここで攻撃の手が缶バッチに移ったぁ! どうですか三枝さん!」  
「いや、マジでお願いします。この間頼み込んでやっとキスしたばかりなんで」  
「缶バッチ今にもダウンしそうです! 高級ホテルスイーツバイキングのチケットなんていいかなぁ」  
「わかりました。それで手を打ちましょう」  
「カウントに入ります。1、2、3! こなっちゃん先生、いずみちゃんペアの勝利です!  
みんなの分もよろしくね〜」  
「わかりましたよ……頼みますよ?」  
「それではみなさんまた次回〜! こなっちゃんせんせ〜今度ケーキ食べにいこ〜!」  
 
終われ  
 
 

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