「もう、ミッフィーッたらまたボーっとして!!」  
ポスッと、軽い音をたててラケットの面で頭を叩かれた。  
振り向くとテニス部の部長、瀬野亜紀がラケットを構え、膨れっ面をして立っている。  
「また幸宏君のこと考えてたの? いくら休憩中とはいえ気抜きすぎよ」  
「……そんなこと無い」  
美冬は怒ったような表情でそっぽを向いたが、ほんのりと頬が染まっているので、瀬野にはバレバレである。  
「嘘おっしゃい。アレ見てたんでしょ」  
得意げに瀬野がラケットを指した先には新校舎があり、傍にはストップウォッチを片手に神庭幸宏が立っている。  
階段部も部活動中らしく、ジャージ姿の幸宏はやけに真剣な顔でグラウンドの方を見つめていた。  
美冬は再び見とれかけ、なぜだか急に怒ったようにそっぽを向いて「ぐ、偶然……」と、一層頬を染めて呟いた。  
「またまた、素直じゃないんだから、でも、まあ、わからないでもないかな。  
 前に生徒総会で流れたレースもちょっと格好よかったし、今や生徒会長様だもんね。  
 最近じゃ色んな子に声かけられてるみたいだし。  
 年下の男の子だけど、私も幸宏君ならいいかな………って、ミッフィー。  
 嘘よっ! 冗談だから!! そんな怖い顔しないでよ」  
「………」  
美冬は恨みがましい目付きで瀬野を睨んでいたが、本当に恨んでいるわけではない。  
釣り眼がちで表情の乏しい美冬が上目使いになると、自然とそんな怖い表情に見えてしまうのである。  
逆に一部の男子にはそれが好評らしいのだから、世の中はわからない。  
「そんなに気になるなら告白でも夜這いでもすればいいじゃない。折角同じ家に住んでるんだから」  
「……破廉恥」  
何を想像したのか、瀬野の言葉で耳まで真っ赤になった美冬は俯いてしまう。  
傍から見たらバレバレなのに、同じ家に住んでいて、なぜに2人の仲に進展が無いのか、  
瀬野には不思議でしょうがないのだ。  
もっとも、神庭家には毎朝ベットまで起こしに行ったり、美味しい朝ごはんを用意してあげたり、  
ハートマークの愛妻弁当を作ってあげたり、制服の着替えを手伝ったり、  
お風呂でお背中を流してあげたり、一緒のベットでお休みしたり、  
そんな前時代的な同居ラブコメイベントを奪う最強の姉がいることなど、瀬野は知る由も無い。  
 
「でも、ぼやぼやしてると危ないんじゃない?  
 階段部にはミッフィーと並ぶ3女神がいるじゃない。  
 いつの間にか天ヶ崎さんと出来ちゃったなんてことに……」  
「そんなことない」  
「あ、噂をすれば」  
言われて慌てて振り返ると、雷の女神こと天ヶ崎いずみがグラウンドの階段を駆け上がったところだった。  
上りきったところで、ほとんど直角に近い曲がり方で新校舎へ向きを変えて駆け続ける。  
そのいずみに少し遅れて階段部の一年、井筒研が追いかける。  
幸宏もそれに気づいたらしく、ストップウォッチを構え向かってくる二人に向き直った。  
まばらに歩く生徒達の間を縫って2人は新校舎目掛けて走っている。  
「いずみ先輩! あと少し!!」  
と、幸宏の応援が響いた。  
 
なぜだか、不安が美冬に過ぎり、眼が離せなくなる。  
(同じ部の先輩だもの……応援するのなんて、当然…だし……)  
遠くで幸宏の真剣な眼差しが、いずみを見つめている。  
 
その間にも、いずみは新校舎へ向かってぐんぐん進んでいた。  
黒髪をなびかせるような速さで生徒達の間をすり抜けていく。  
思わず立ち止まり振り返った男子生徒たちが障害物となり、井筒の進路にロスが生じる。  
本来の直線なら体力勝負で井筒に分があるはずなのだが、  
人をすり抜けて走るコース選びはいずみには及ばない。  
 
遠くから見ていても幸宏の応援に熱が入ってくるのがわかる。  
ガンバレ! あと少し!  
幸宏の声が叫ぶような声援が、いずみに向けられたものだと、理由も無く分かる。  
 
一歩、また一歩。  
幸宏に向かって走るいずみ。  
 
(あれはただの部活で…幸宏は先輩の応援をしている……だけ)  
 
頭では分かっているのに、フェンスを握り締める痛みにも気づかず、実冬はその光景に釘付けになっていた。  
あと10メートル、5メートル、2、1……  
ギリギリのところで、いずみは井筒を振り切って新校舎のドアに辿り着いた。  
そのまま倒れるようにしゃがみこむいずみ。興奮気味でタイムを読み上げる幸宏。  
顔を上げて笑顔で頷くいずみ。自分の事の様に笑顔を浮かべる幸宏……  
 
遠くで繰り広げられるその光景に、自分が入り込めない距離に、  
美冬は足元が崩れるような不安でいっぱいになっていた。  
 
やがて幸宏が差し出した手をいずみが掴んで、立ち上がろうとしたいずみの足が崩れて幸宏に倒れこむ。  
まるで幸宏に抱きしめられるように支えられたいずみと目が合ってしまい、美冬は視線をそらした。  
 
(応援してくれるって…言ったのに………)  
 
幸宏が部活中、先輩の応援をして、転びそうになったのを支えた。  
それだけの事のはずなのに、美冬にはそれ以上、2人の姿を見ていることができなかった。  
 
「……ミッフィー?」  
不意にかけられた瀬野の声に美冬は我に返った。  
「そんなに幸宏君のこと好きなんだ……」  
「………」  
否定も出来ずに俯いてしまった美冬の肩を、瀬野はあやすように抱いた。  
 
なんとか美冬の力になってあげたい。そんな想いで抱かれた腕の中で、  
美冬はいずみとの間にあった何かが、揺らぎはじめているのを感じていたのだった……  
 

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