「はぁ…、どうしてもっとうまくお話できないのかな…。」  
 
学校帰り、土手を歩きながら彼女。―――凪原ちえは、どうしようもなく落ち込んでいた。  
彼に、勘違いだったらしいが告白され、その彼に勘違いだったと言われたとき、私はどこまでも落ち込んだ。  
その後、今度は自分から告白はしたものの、全くと言っていいほど進展はない。  
 
内気で、自然と周りの意見に合わせてしまう。そんな自分が少しでも変わるように、勇気も出したし、努力もした。  
その結果として、昔よりは自分の意見を言えている気がする。  
階段部にもわりと自然に顔を出せるようになったと思う。  
だがダメなのだ。井筒の前では、どうしても一歩踏み込めない。  
 
「はぁ…。」  
 
そんなことを考えながら、彼女は本日2度目の大きなため息をついた。トボトボと歩く。  
「下ばっかり向いてちゃ…、ダメだよね。」そう考えて周囲を見渡した。  
ふと、夕日がとてもきれいなことに気づいた。  
 
「わぁ…。」  
 
思わず感嘆を漏らす。  
自然と足が止まる。気づくと、誰に誘導されたわけでもないのに土手の芝生に腰掛けていた。  
少し前までは、この太陽を見るたびに落ち込んでいた。  
『月の女神様』。それが、高校で自分に与えられた称号だった。しかし、自分はその称号が嫌いだった。  
女性的といわれれば悪くはないかもしれないが、自分の内向的な性格を言い当てられているような気がして。  
『太陽の女神様』の称号を持っている彼女、山田さんと比較されているみたいで…。  
 
太陽を見ると、自分がどこまでも影の存在であると思い知らされるような気がした。  
しかしあの日、親友の槙原愛に対して自分の気持ちを伝えたあの日。そして…、自分から井筒に告白した時。  
変われると思ったのだ。自分は太陽に照らされるだけの存在ではないと。そう思えるようになったのだ。  
そうしたら、太陽を見ても存外落ち込まない自分がいた。月の女神様と周囲の人間に言われて、自分はそうなのだと思っていた。  
しかし、周りの評価ではない。そう気づけたから。  
後はもう少し、もう少し勇気を出せば、井筒にもっと近づけるだろうか。  
そんなことを芝生に寝そべりながら考える。いつの間にか、赤い空を見ながら彼女は転寝を始めていた―――。  
 
 
井筒研は一人、帰路についていた。  
 
「あ゛ー。何なんだよあの教師どもは!」  
 
傍から見ても非常に御立腹なようで、見た目どおり髪を逆立てて怒っている。  
………まぁ、髪が逆立っているのはデフォルトなのだが。  
「あ!? なんか言ったか!?」    『…いえ、何も』  
 
―――階段部。彼の所属している部活である。活動内容は端的に説明すれば、階段を駆け上がる、そして駆け下りる。そんな部活だ。  
それが良くない事だというのは解っている。しかしそれでは納得できない。楽しいのである。とにかく楽しいのだ。初めは、九重に近づきたいがために入部した。  
しかし、階段レースの楽しみを知り、仲間を知り、親友ができたこの部活は、井筒にとって非常に大切なものになっていた。  
そんな彼がなぜ怒っているのか。それはやはり階段部がらみだった。最近は周りの人間も前ほど冷たくはなくなった。しかし一部の教師はどうしてもそれが嫌らしい。  
ことあるごとに突っかかってくるのだ。  
 
「くそっ!」  
 
一人家路につきながら悪態をつく。もちろん部活はしてきた。  
しかしその後、学年主任である大津に軽く説教をくらい、それに便乗するかのように他の教師も乗ってきたのだ。  
大津自身は、自分から言いだせず、誰かに便乗しようとする狡い人間が嫌いらしく割って入った教師たちを一喝していたが。  
 
「あー、どうもスッキリしねぇ…。ん?つーか何だありゃ?」  
 
ふと顔を上げると、土手に誰かがいた。よく見るとうちの制服である。そしてその人物は明らかに仰向けに倒れているのだ。  
 
「お…おいっ!大丈夫か!?」  
 
あわてて駆け寄る。帰宅中に具合でも悪くなったのだろうか。どちらにしろこんな時間に倒れているのだ。放って置く訳にもいかない。  
 
「大丈夫かっ!…って、凪原!?」  
 
近くまで駆け寄ったとき、井筒はその人物が誰なのか認識した。  
凪原ちえ。井筒と同学年であり、時々階段部に顔を出す。そして…、井筒が九重と勘違いして告白してしまった相手だ。  
 
「おーい、凪原どうした?」  
 
恐る恐る近寄る。規則正しい呼吸。どうやらただ寝ているらしい。井筒はホッと一息つきながらもどうしようか迷っていた。  
 
『肩ゆすって起こすか…いや!顔が近づきすぎるだろ!っつーか無防備すぎんだよ!!  
 一応、月の女神様の称号もらってる人間がこんなとこで!…つーか告白されたんだよな…。どうすりゃいいんだ。』  
 
井筒は一人パニックに陥っていた。  
明らかに思考が統一されていない。自分でも、明らかに混乱していることがわかった。  
 
「どうすりゃいいんだよ…。」  
 
頭を抱える。すると突然、寝返りをうって凪原が体を丸めた。  
さすがに夕暮れ時である。肌寒いのだろう。井筒は、少々躊躇しながらも自分の学ランを凪原にかけた。  
 
「あぁー、体ゆすって起こすか?  
 いや、さすがに手を当てる場所に寄っちゃ…。だけど…。うーん。」  
 
悩んだ末、起きるまでとりあえず横にいようと決意する井筒。  
あせったせいだろうか、さっきまでの怒りは驚くほどに消えていた。  
芝生に横になる。広く、そして朱色に染まりつつも濃紺に包まれつつある空を見上げた。  
久しぶりに感じる、ゆっくりと流れる時間。本当にここ最近、いろいろなことがあったような気がする。  
神庭が入部してきて、勝負して、九重と間違って凪原に告白して、突然辞めると言い出した三枝と勝負して…。自分の二つ名をもらって。  
 
『ってか、ほとんど勝負の思い出のみか?』  
 
ふと横を見る。凪原はまだ起きそうにない。  
元が良いからだろうか。それとも少々幼さの残る顔立ちだからだろうか。  
凪原の寝顔は、非常にかわいらしい。からかいがてら、頬でもつついてやりたい気分になる。  
そんなことを考えていると、なにやら気恥ずかしくなってきた。  
 
「ったく…、なに考えてんだ俺は!先輩一筋だろうが!!」  
 
自分自身に渇を入れる。  
凪原は、まだ起きそうにないな…。そんなことを考えつつ目を閉じる。涼しげな風が、井筒の頬を撫でる様に流れていった。  
その気持ちよさゆえだろうか、それとも部活疲れのせいだろうか…、井筒自身も、いつの間にか大の字で爆睡していた。  
 
 
「ん〜…、んぅ…?」  
 
まどろみの中で、凪原ちえは明らかに家のそれではない周りの景色を見ながら、何とか状況を把握した。  
少々寝すぎただのろうか。あたりの景色は、さっきより濃紺が強くなっている。  
携帯電話を取り出し時計を見る。時間は19時ちょうど。明らかに仮眠レベルではないと言い切れる時間を眠っていたらしい。  
 
「なんだろ?何かかかってる?」  
 
彼女は、自分の上半身にかかっているものが何か確認するためにそれを持ち上げた。  
 
「制服? しかも男の人の…?」  
 
その瞬間、彼女の顔は紅潮する。なにか、何かされたのではないだろうか。そう思い自分の体の隅々を確認した。  
制服は…、多少乱れてはいるものの寝ていたせいであろう。それに、たいした汚れもついていない。  
 
「誰が?」  
 
彼女は疑問に思いながらあたりを見渡す。すると、すぐに彼女の顔は明らかに先ほどより真っ赤に染まった。  
 
「い…、井筒くん!? え!? なんで!?」  
 
隣に寝ていたのは、自分の想い人であった。どうやら、制服をかけてくれたのも彼らしい。  
軽くパニックになってしまった心をどうにか落ち着かせる。心を落ち着かせて井筒を見た。  
とたんに、愛しい気持ちがこみ上げてくる。  
どうしてだろうか。いつも少しイライラしながら、ぶっきら棒にしか返事をしてくれない。  
なのに、時折見せる不器用なその優しさがとてもかわいい。  
 
「こんなことされたら、もっと好きになっちゃうよ………。」  
 
彼女は、周りを見渡し誰もいないことを確認した。そして、井筒に少しずつ近づいていく。  
彼の頭を撫でると、くすぐったそうに頭を揺らした。  
彼女は、知らないうちに微笑んでいた。  
井筒の反応を一通り見た後、彼女はあることを思いついた。  
大の字になって寝る井筒。自分の近くには、無造作に投げ出された彼の腕がある。  
また、彼女の顔が真っ赤に染まる。そして彼女は、意を決して横になり彼の腕に頭を乗せた。  
 
『お…、思った以上に恥ずかしいよ…。』  
 
やってから後悔した。こんなことをしている最中に、彼が起きてしまったらどうなるのだろうか。  
目の前の彼が、目を開けてこんなに近くで私を見たら、私はどうなってしまうのだろうか。  
恥ずかしさに死にそうになりつつ、頭に彼の腕の感触を、そしてすぐ近くに眠る彼の体の温かさを感じる。  
すると、なぜかちょっと安心して、凪原ちえの意識はまたもやまどろみの中に吸い込まれていった。  
 
 
 
ハッ!と目を開ける。  
しまった。いつの間にか寝てしまったらしい。先ほどまでの朱混じりの空ではなく、完全な濃紺。  
むしろ黒と言っていいだろう。見渡す限りの星空が、非常にきれいだった。  
 
「なんて思ってる場合じゃねぇだろうが俺…。」  
 
携帯を取り出す。時刻は21時。明らかに爆睡だ。ベタな展開に、思わず自ら頭を叩きそうになった。  
 
「凪原は、帰ったよなさすがに」  
 
そう想い、先ほどまで凪原が眠っていた筈の方へ頭を動かす。  
とたんに、井筒研は何が起きているのか解らなくなった。  
 
『アレ?なんで…?腕の感覚は確かに微妙になかったような。でもアレ?何なんだこれ?』  
 
先ほどよりパニックが強い。  
頭では、一応混乱した思考がグルグルと回っている。しかし、それに反して顔は変に硬直していた。  
動けない。というか顔も動かせないほど、彼は目の前で起きている事象の状況把握にのみ全能力を集中させている。  
 
―――なんで、すぐ目の前に凪原がいるんだ?  
そう、左を向いたとたんに目の前に現れた彼女の顔は、明らかに10センチも離れていない場所で自分の腕を枕にして眠いっていた。  
 
『なんでだ? なんでだなんでだなんでだ!?』  
 
彼は、固まりながら最終的にその言葉のみを頭の中でループさせていた。  
プシュー…。井筒が、頭から煙を出して思考停止を起こす。そんな彼の心を知ってか知らずか、彼女は、  
 
「ん…、んぅ?」  
 
などとかわいい声を出しながらゆっくりと目を開けた―――。  
 
 
 
―――おそらくは、まだ夢の中なのだ。  
そうでなければ、彼の腕枕で、しかも彼がこっちを向いているなんてありえない。  
 
「…夢なら、いいよね?」  
 
そんな事を一人つぶやきながら、彼の唇と自分の唇を重ねる。  
思ったよりやわらかくて、そして彼と現実でキスをしているような気分になって。  
それがうれしくて、私はつい言ってしまった。しかも、持てる最高の笑顔で。  
 
「井筒君…、好きぃ…。」  
 
そういって、彼の肩にゆっくりと自分の額を押し当て、体ごと彼に近づく。  
 
『現実でも、これくらい甘えられたらな…』  
 
などと考えていると、不意に井筒から声が発せられた。  
 
「あの…、な…、凪原? 夢じゃ…ねぇんだけど…。」  
「え…?」  
 
ハッ、と顔を上げる。彼は顔を紅くしながら、どうしたらいいのかわからないのだろう。  
今にも燃え尽きそうな顔で、そして震えた声でそんな事を言った。  
 
そして私は、自分がまどろむ前にした事を………、自分から腕枕をしに行った事を思い出し、  
これまで見た以上に顔を紅くしながら、目をグルグルさせていた。  
慌てて体を起こす。そして、顔を真っ赤にしながら起き上がる彼に、全力で謝り始めた。  
 
「ごっ…、ごめんなさいっ! 私…、ごめ…っ…なさ…っ!!」  
 
涙が出てくる。勝手に腕枕なんてして、夢と間違ってキスまでしてしまったのだ。  
きっといやらしい女だと思われた。どんなに言い訳をしたところで、彼は私を許してくれないだろう。きっと軽蔑されている。  
泣きながらそう思っていると、不意に私は、頭を撫でられた。  
 
 
人生には、抗えない運命ってのがあるんだと。自分は思っている。  
 
井筒研は、凪原ちえと唇を重ねた瞬間。自分が明らかに、嫌ではない感覚にとらわれているのを自覚した。  
そう、彼女と一緒にいることも、彼女が隣で寝ていたことも、キスをされたことすら、自分にとって嫌なことではなかったのである。  
 
そして、極めつけはあの笑顔。自分が憧れている、あの勝気な笑顔とは違う。  
優しく抱くような笑顔。抗える人間が、この世にいるのだろうか。  
誰よりも優しい笑顔が、目の前にあったのだ。  
 
必死で誤っている彼女。しかし井筒の心には、軽蔑も、怒りもなかった。  
ただ愛しくて、そしてどうしても聞きたかった事があって。  
まずは、泣き出してしまった彼女の頭を優しく撫でる。すると彼女は、涙目になりながらも不思議そうに顔を上げた。  
 
「なぁ? 何で俺なんだ? いや、怒ってるわけじゃないんだ。  
 正直な話、お前なら俺よりもっといいヤツ、選べるだろ?  
 俺なんて、無駄にテンション空回りしてるし、気が利くわけじゃねぇ。どうして…、俺なんだ?」  
 
静寂が走る。彼女は、不思議そうに自分の方を見た。  
それから、俯いて、ゆっくりとそしてはっきりと語り始める。  
 
「あの…、初めは怖かったの。男の人…、苦手で、うまく話せなくて、  
 階段部に初めて行ったときも、井筒くん、不機嫌そうな顔してて、一番怖かったの。」  
「だったら、なんで俺なんだよ?」  
「でもっ!最近は、ぜんぜん怖くなくなったの。井筒くん、不機嫌そうな顔…、してるけど。  
 でも最近、とっても楽しそうで。それにっ!私のことも、気にかけてくれてた。  
 それがね、嬉しかったの。どこがいいって、言われても。あんまり、分からないけど…。  
 それでも、好きなの。どうしても、諦められないの。」  
 
はにかむように俯いて笑う彼女を見て。井筒は、無意識のうちに彼女を抱きしめていた。  
 
「…っ!? 井筒くん!?」  
 
慌てて顔を上げる凪原の唇に、優しくキスをする。  
 
「んっ…。」  
 
ゆっくりと、短い時間が過ぎていった。井筒が唇を離すと、彼女は顔をまた真っ赤にしながらあうあう言っていた。  
井筒自身も、なんだか気恥ずかしくなって、それをごまかすかの様に時計を見る。時刻は、すでに22時を回っていた。  
 
「げっ…やべぇ。凪原っ!早く帰らなくて大丈夫か!?」  
「えっ? …わっ!もうこんな時間!どうしよう…」  
 
とたんにおたおたする彼女を見て、井筒はフッと微笑んでからその笑顔を隠し、顔を紅くしながら手を差し出した。  
 
「ほら、送ってってやるよ。早く行くぞ」  
「えっ! あっ…。 はい…」  
 
彼女もまた顔を紅くして、その手を取る。  
そして、夏の夜道を、二つの影が仲良く歩いていった。  
 

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