九重先輩と刈谷先輩が卒業してから…僕と美冬姉さんが付き合い始めてから…6年後の秋…
突き出したラケットの先を、ボールが掠めていく。
バックコートに溜まったボールを抱えて、いずみ先輩が近づいてきた。
「相変わらず容赦がないね、美冬も」
言葉とは裏腹に、いずみ先輩の顔は嬉しそうだった。
「神庭くんは、ボレーの後に一歩踏み出さないからリカバリーが遅れるのよ。
戻ろう戻ろうと思わずに、まずはしっかり言われた事を心がけてね」
「はい。」
去年の春、大学を卒業後、美冬姉さんは思い出深い母校に国語教師として勤めている。
そして今年の春、僕は大学を卒業し、県庁に勤めている。
「いよいよ明日だね神庭君。」
「すみませんいずみ先輩、お忙しいところをわざわざ…」
いずみ先輩は卒業後は天馬グループの次期総帥となるべく世界中を飛び回り修行を積んでいた。
「いいのよ、友人代表のスピーチしっかりやるからね!ところで媒酌人は刈谷夫妻に引き受けてもらったそうね?」
刈谷先輩と九重先輩は2年前結婚している
「ええ、そうなんですよ、部長が『私たちに任せなさい』って。」
いずみ先輩と明日の事で話しをしていると、背後から声がかかった。
「…いずみ、代わって。」
振り向くと、いつも通りの仏頂面で美冬姉さんが腕を組んでいた。
「じゃあ、ラケット取ってくるね。」
いずみ先輩の背中を見送リ、ネット越しに美冬姉さんに話しかける。
「やっぱり僕じゃ美冬姉さんの相手にならないよ。」
僕の言葉が不満だったのか、美冬姉さんは少しだけ不機嫌そうに表情を変えた。
もっとも、6年付き合って最近になるまで気付かなかった微妙な変化だが…
「…いいのよ。どうせ趣味なんだから。……それより。」
「それより何?」
「…幸宏、いいかげん私のこと名前で呼んで…私たち明日から夫婦になるのよ?」
僕たちは清く正しく付き合っていたためだろうか?僕は付き合う前と変わらず、ずっと美冬姉さんと呼んでいた。
「えっ、ああっ、そうだよね、あははは。」
「…もう。」美冬はネットを周りこちら側に歩いてきた。
「…ちょっと、休憩しよっか。いずみには悪いけど」
「え? ああ、うん」
美冬が僕の右手を取った。
柔らかい感触と伝わってくる手の温もりに、鼓動が速くなるのを感じた。
美冬に連れられるように、後ろを歩く。
「ねえ、美冬ね…じゃなくて、美冬、こういうのハッピーエンドっていうのかな?」
「…違うよ。」
「えっ!?」
思わぬ返答に僕は驚愕した。もしかしてドタキャンですか???そ、そんな
「…エンドじゃ終わりでしょ?私たちはこれからがスタート。」
「何だそういうことか…ふう。」
あ〜びっくしした。僕は胸をなでおろした。
ベンチ近くまで歩いたところで、美冬は顔だけをこちらに向け…
「…まだまだ時間はたくさんあるよ。幸せのかけらを集めていくんだよ。」
といい、今まで見た事も無いような笑顔を見せてくれた。とても貴重なもののような気がした。