「えー幸宏がうちにくるのかよ」
「そんな風に言わないの。ひとりじゃかわいそうでしょ?」
「でもワタシ受験生だしさー環境が変わるのはよくないっていうかー」
「そういうのはちゃんと勉強してる人が言うことよ。
それにゆーちゃんだって受験生なんだから」
「でもさー」
「わかりました、それじゃ私がゆーちゃんのところへ行きます。
そうね、それがいいわ。年上のお姉さんと禁断の同棲生活! きゃっ!」
「うぇ! それじゃご飯が……おとーさーん! 希春ねーちゃんがー」
「ちょっとやめなさい! もう。ゆーちゃんが来るのは向こうの中学を
卒業した後だし、千秋の受験も終わってるはずだから。もちろん浪人はダメよ?」
「へいへーい」
正直男家族、弟ができることが嫌なわけではなかった。
男と付き合った経験があるわけではないが、根っからの体育会系のノリで
男友達もいたし、特に苦手としているつもりもなかった。
だが記憶の中にある、あの気弱そうな子供がそのまま成長し、
今傷心しているであろう少年に対して、どう対応をしていいかわからなかった。
「なんとかなるものよ」既に会っている長姉は気楽なものだ。
小夏姉ちゃんはあいかわらずの無表情だが、なんだかうれしそうにみえる。
美冬は固まっていた。心境としてはわたしに一番近かったのかもしれない。
――今回はそんな話
「あの……お邪魔します……」
「もう、ゆーちゃんったら。これからここがあなたの家になるのよ?」
「えっと……これからはただいまにします」
「そうね、そうしましょうね。ようこそゆーちゃん」
「これからよろしくお願いします」
「……よろしく」
横で小夏姉ちゃんが『熱烈歓迎』のホワイトボードを持って踊っている。
「おう、幸宏よろしくなっ」
多少緊張してるようだけど、そこそこ元気そうだ。
「疲れてるだろ? ほらカバンよこせ。部屋に案内してやるから」
「え、いえ自分で持ちますから」
「遠慮すんな、ほらほら」
多少おどけた感じでカバンを奪い取る。
「待ってゆーちゃん。まだすることがあるの」
「え? 何です?」
「それは歓迎のハグでーす!」
遮るものがなくなった幸宏に希春姉ちゃんが飛びつく。
小夏姉ちゃんもふざけて飛びついた。
「千秋と美冬はしないの?」小夏姉ちゃんがつぶやく。
「うぇ? あたしはカバン持ってるから……」
「……変態」
「苦しいからやめてー」
じたばたしてる幸宏を尻目に美冬は2階へ上がっていった。
慌てて追いかけてうまくやっていけそうかと聞くと
無言の返事が返ってくるだけだった。
私と幸宏の距離が変わったのはヤツが我が家に来てから3日目のことだった。
一人でリビングのテレビを見ていると玄関の開く音が聞こえてきた。
近所の散策から帰ってきた幸宏が入ってきたようだ。
一人で生活する習慣が抜けないせいか、帰ってきても「ただいま」と言わない。
姉としては注意しないとと思ったが、そのときちょっとしたイタズラ心が芽生えた。
2階に向かおうとする幸宏の後をこっそり追いかける。
「ダメじゃないゆーちゃん、帰ったら……」
希春姉ちゃんのマネをして後ろから抱きしめる。
が、私は未知なる感覚に衝撃を受けることになる。
体の中心に電気が走ったような感覚。
更にショートダッシュを繰り返した後のような胸の苦しみ。
思わず回した腕に力を込めてしまう。
「え? あれ? 千秋姉さん?」
振り向こうとする幸宏に戸惑う。
「だ、だめだろ、ただいまを言わないと」
誤魔化しながら更に締め上げる。
「ちょ、やめて、苦しい」
「ただいまいわねーのはだーれだー」
「ただいま! ただいまです!」
「わかったならゆるしてやろう」
未練を残しながら幸宏を開放してやる。
「注意するなら首絞めることないじゃないか」
「わるいことするヤツにはバツをあたえるのだ」
「たかがただいまぐらいで……」
「無言で玄関が開閉したら気持ち悪いだろ? だから言うの」
「わかったよ……でもさ」
「ぐだぐだいうやつにはもう一回おしおきだー!」
さきほどまでは無いが、またあの感覚がよみがえる。
「だあーもうやめて!」
ふりほどくように幸宏が逃げていく。
あれは……なんだったんだろう……
また抱きつけば同じ感覚になるのだろうか……?
もう一度だけ……もう一度だけ……
こうして私はことあるごとに幸宏にちょっかいを出すようになった。
その後1度だけキツク拒絶されたが、結局その行為は続いた。
毎日抱きついていれば気づくこともある。
幸宏が日々たくましくなっていくことだ。
少年から青年への変化。そういったことにニブい私でも
そのことは幸宏を『男』として意識するに十分なことだった。
それでも私はあるときは軽口を混ぜ、あるときは突発的に
『強く抱きしめる』という行為を止められなかった。
幸宏にとっては『ただの暴力』でしかなかったようだが。
いつまでもこのぬるい関係が続くと思っていた。
しかし現実はいつでも突然に突きつけられる。
それはクリスマスパーティーだった。
そこには私の知らない幸宏がいた。
生徒会長になって、ある程度は有名になっているとは
頭では理解していたつもりだが、予想以上の光景だった。
数多の生徒が幸宏に話しかけ、ときには少女たちに囲まれ記念写真を撮り、
友人らしき少年たちにおもちゃにされていた。
自分の知っているちょっと気弱な少年と違うことに驚かされた。
「あれが学校の幸宏」
隣にいた小夏姉ちゃんがつぶやいた。
「私のようにならなくてよかった」
見たことが無いやさしい微笑みに、つい言葉が出る。
「もしかして、幸宏のこと……」
「好きよ………………家族として」
それだけ言うとどこかへ行ってしまった。
残された私はしばらく身動きが取れなかった。
次の日、リビングで幸宏と二人のんびりテレビを見ていたが、
ふと昨日の風景がよみがえり聞いてみる。
「……あのとき、ホントは誰を選ぶつもりだったんだよ?」
完全に脱力していた幸宏は突然の質問に戸惑っていた。
「な、なんだよ、あのときって」
「もちろんダンスに決まってるだろ。で、誰が本命だ? おねーさんに話してみそ?」
本当は聞きたくないと思いながらも続けてしまう。
「な、何いってんだよ、本命とかって……みんな僕をからかってふざけてるだけだよ」
「ふーん。あ、そうか、あそこにいなかったけど、前に美冬がつれてきた髪の長い」
「ち、ちがうよ! いずみ先輩は部活の先輩で、綺麗だけど世界が違うっていうか……」
顔を真っ赤にしながら否定するその姿に嫉妬する。
「何必死に否定してるんだよ。じゃあ他にいるのか? 例えば……」
わたしとか
つい出そうになる言葉を飲み込む。
「い、いないよ! 今は部活と生徒会でイッパイイッパイだし、考えられないよ」
幸宏の言葉に安堵する。まだ私はこのままでいいと。
「しょうがないなぁ。ちゃんと言わないヤツには罰だ。アイス買ってこい。ハーゲンダッツな」
「なんで罰なんだよ! それもこの寒空に……」
いつもの風景に戻る。これが私たちの距離。
「ばっか、寒いからいいんじゃねーか。
よし、ねーちゃんが冬のアイスのうまさを教えてやる。ついてこい」
首根っこをつかんで玄関へ引きずっていく。
じたばた暴れる幸宏。抱きしめた腕から伝わる心地よさ。
「希春姉ちゃーん! 幸宏とデートしてくるわー!」
「アイス買いに行くだけじゃん!」
「いいんだよ、男女二人で仲睦まじく遊びに行くんだから」
「全然違うと思うよ……」
台所から何かを叫ぶ希春姉ちゃんを無視して外へ出る。
「疲れてるから出たくなかったのに……」
「鍛え方が足らんな。よし、冬休みはねーちゃんが鍛えてやるか。
まずはコンビニまでダッシュ。負けたらコブラツイストな。よーいドン!」
「ちょっ、ずるいよ!」
待たずに駆け出す。誰かが見ていればのんびり歩いてちょっとでも雰囲気を
味わえばいいのにと思うかもしれない。でもそうはしない。私は不器用だから。
「ほら、遅れてるぞ」
いつか幸宏の隣に立つ人が現れるだろう。でもそれは未来のことで。
そのときがくれば覚悟を決めなければならないだろうけど、考えないことにする。
今、一番幸宏を強く抱きしめることが出来るのは私なのだから。
「よし、負けたからコブラツイストな」
「なんでコンビニ前でやるんだよっ!」
今日も私は私の流儀で幸宏を抱きしめる。力強く、心のままに。