クリスマスイヴ。イエス=キリストの誕生日の一日前。  
 そんな日だって言うのに、この日本ではそんなことを意識するのはむしろ少数派であろう。  
 多くの日本人にとってクリスマスなんていうのは、単なるお祭りごとの一種でしかない。  
 幸宏もキリスト教徒という訳でもないので、それは同じだった。  
 
「ふあ〜………」  
 
 待ち合わせ場所の駅前広場で幸宏は何となく、大きな欠伸をした。腕時計を確認すると、現在時刻は九時四十五分。  
 集合場所には幸宏以外、まだ誰も到着しておらず、幸宏は一人でベンチに腰かけていた。  
   
 ちょっと早く来すぎたかな? そう言えば前回のダブルデートの時も早く来すぎて、それで井筒と二人で待ってたんだっけ。  
 
 その時のことはもう、幸宏には何だか遠い昔のように思えた。  
 あの時に偶然出会ったのが波佐間で、その時にはまだ御神楽とも出会っていなくて、  
 そして何より自分が生徒会長になるなんて少しも思ってもいなかった。  
 天栗浜高校に入って、階段部に入って、それからの日々は本当に濃いものだったのだな、と幸宏はしみじみと実感した。  
 
「ごめん神庭君、待った〜?」  
 
 聞きなれた元気な声が聞こえそちらを向くと、私服姿の三島がこっちに向かって走ってきていた。  
 
「いや、別に大丈夫だよ。それより凪原さんは? 今日は一緒じゃないの?」  
「あ〜えっと、そのことなんだけどさ………」  
「どうしたの?」  
 
 三島の表情は急に曇り、幸宏の胸に一抹の不安が宿った。  
 
「なんかナギナギも井筒君も、急に用事が入っちゃったみたいで来られないんだって」  
「え? そうなの?」  
「う、うん。今朝連絡があってね。二人ともゴメンって」  
「う〜ん、そっか………」  
 
 井筒と凪原、二人揃って急に予定が入るなんて妙なことではあるが、実際に起こっていることなのだから仕方がない。  
 
「だ、だからさ神庭君!!」  
 
 普段では見られないような、恥ずかしそうな表情で三島は言う。  
 
「二人が来れないのは残念だけどさ、せっかくだし今日は神庭君と私で………」  
 
 三島がそう言い終わる直前だった。  
 
「ごめんなさい、待ったかしら?」  
 
 二人の間に、一人の女性が割って入ってきた。  
 
「な、何で………」  
 
 その人物の姿を見て、三島の全身が硬直する。大きく目を見開き、驚愕した表情で三島の顔は固まってしまった。  
 
「おはよう神庭君、マコト。今日も冷えるわね」  
 
 そんなことなどお構いなしに、彼女の挙動はいつでも上品で華麗。やはり何をさせても様になる。  
 真冬の味気ない広場に、まるで春でも来たのではないかというような華やかさが舞い降りてきた。  
 
「ど、どうして御神楽さんがここに!?」  
 
 三島が回答を求めて幸宏に視線をやる。その鋭さに幸宏は動揺してしまい、  
 
「いや、その、え〜と、何て言うか………」  
 
 あたふたと答えにならない言葉を繰り返すことしかできなかった。  
 そもそもどうしてこんなに目つきが鋭いんだ。幸宏はその理由も分からず混乱する。  
 
「あら、いけなかったかしら、マコト?」  
 
 そんな幸宏に助け舟でも出すように御神楽が口を開いた。  
 
「だって神庭君に聞いたら、デートじゃないって言うものだから」  
 
 そんなこと言ったのか、とでも訴えてくるように三島は幸宏に鋭い視線を送る。幸宏は高速で首を縦に振り、それに答える。  
 そりゃあ自分なんかとデートだとか勘違いされたら怒るか、幸宏はそう解釈して三島の怒りを鎮めようとした。  
 
「それとも、お邪魔だったかしら?」  
 
 焦る幸宏とは正反対に、御神楽の態度は余裕たっぷりで落ち着き払っていた。  
 
「…………………………………………………」  
 
 場に、沈黙が走る。この重苦しい雰囲気で、幸宏に何か言えることなどあるはずがなかった。  
 二人の表情をみて、ただ幸宏は冷や汗をかくだけであった。  
 
「…………………………………………………」  
 
 御神楽と三島の、二人の視線が静かに、激しく交差する。御神楽は笑顔で、三島は険しい表情で、互いを見つめる。  
 当然ながら、その瞳の奥の敵意を幸宏が読み取れるはずはなかった。  
 
「別に、邪魔なんかじゃ、ないよ、御神楽さん」  
「あら、ありがとうマコト」  
「じゃあ、行こうか」  
 
 ぎくしゃくしたやり取りを終え、三島が歩きだす。三島が近くを通過するとき、御神楽が小さく呟いた。  
 
「…………あなたの考えなんて、全部お見通し」  
「…………っ!!!」  
 
 声が小さすぎて幸宏には聞き取れなかった。が、御神楽の言葉を聞いた三島は表情を強張らせ、歩みを止めてしまった。  
 
「それじゃあ行きましょうか、神庭君」  
「え、ちょ、御神楽さん!?」  
 
 御神楽が幸宏の腕をグイと引っ張って歩き出す。  
 
「私、ちょうど見たい映画があったの」  
「だ、だからってそんなに引っ張らなくても」  
「満席になったらどうするの? 立ち見は嫌なのよ」  
 
 御神楽は幸宏の言葉も聞かずグングン進んでいく。が、少し進んだところでピタリと止まった。  
 
「どうしたのマコト? そんなところで突っ立っちゃって。もしかして、来ない?」  
「…………い、行く!! 行くってば!!」  
「あら、そう」  
 
 そう言い終わると、御神楽はまた幸宏を引っ張って歩き出した。それに急いで三島も続く。  
 
 なんか今日は二人とも雰囲気がちょっと変だな。  
 
 そのくらいにしか、幸宏には思うことが出来なかった。  
 
 もちろん、その原因が自分にあることも知らずに。  
 
 
 
「え〜っと……映画、面白かったね」  
「そうね、面白かったわね」  
「うん、面白かった」  
 
 映画を観終わってからの昼食、舞台はファミリーレストラン。周りはイヴの浮かれた空気。  
 が、しかし幸宏のテーブルの雰囲気だけが少しだけおかしい。  
 
「神庭君は何を頼むの?」  
 
 幸宏の隣に座った御神楽が、そう言って幸宏の方に体をズイと乗りだしてメニューを覗いてきた。  
「み、御神楽さん」  
「どうしたの?」  
 
 その距離のあまりの近さに幸宏は動揺してしまう。御神楽の髪の匂いまでもが伝わるほど、その距離は接近していた。  
 
「いや、あの、何て言うかさ……」  
「どうしたの? はっきり言ってもらわないと分からないわよ?」  
 
 御神楽は悪戯っぽくにやにやと笑って幸宏をからかう。  
 
 ―――――何だか今日の御神楽さんはおかしい。  
 
 幸宏は朝からずっとそう思っていた。移動の時は常に幸宏の腕を引っ張ってくるし、何かあればしきりに幸宏に話しかけてくる。  
 だが、かといって三島にかける言葉は決して多くない。一体何が彼女をこうさせているのか、幸宏にはさっぱり分からなかった。  
 
「その、ええっと………」  
「ん〜? どうしたの〜?」  
「近すぎるのよ、御神楽さん」  
 
 言ったのは幸宏ではなかった。当然御神楽でもない。となると残っているのは必然的に、  
 
「神庭君、困ってるじゃない」  
 
 鋭い声の主は三島であった。テーブルの向こうの彼女の表情はやけに険しく、  
 顔に思いっきり『今不機嫌です』とでも書いてあるようにすら見えた。  
 
「み、三島さん? いや、僕別にそんなに困っては……」  
「神庭君は黙ってて」  
「……は、はい」  
 
 おかしいのは御神楽だけでなく、三島も一緒だった。  
 今日の三島はやけにイライラして見えるし、それに事実、御神楽とは何度か衝突していた。  
 
 曰く御神楽さんと幸宏がくっつきすぎだの何だの、映画館での席順に文句があるだのなんだの……。  
 それぐらいのことでどうしてカッカするのか、その理由もやっぱり幸宏には理解できない。  
 
「あらごめんなさい、神庭君。私、実は目が悪くって、このくらい近づかないとメニューが見えないのよ」  
「そんな話、初めて聞いたけど?」  
 
 御神楽の言葉に、またしても三島が突っかかる。  
 
「ええ、初めて言ったもの」  
 
 険しい表情の三島とは対照的に、御神楽は極めてにこやかに、さわやかにそう言い放つ。  
 
「……………………………………」  
「……………………………………」  
 
 正反対の表情で見つめあう、もとい睨み合う二人。その二人の間で幸宏はただただ縮こまっているだけであった。  
 
「神庭君は、迷惑だよね?」  
 
 正面には引き攣った笑顔で笑いかける三島。  
 
「そうなのかしら、神庭君?」  
 
 隣には不自然なほど輝く笑顔の御神楽。  
 
 どちらの表情の理由も、依然として不明。どちらに同意したって場が荒れるのは目に見えている。  
 
 舞台はファミレスの四人掛けボックス席、しかも通路側には御神楽が座っているため逃げ場はどこにもない。  
 
「え、ええっと僕は……………」  
 
 そんな状況に置かれた幸宏が選んだ道は、  
 
「僕は、キノコグラタンにしようかな? あははっ」  
「……………………………………」  
「……………………………………」  
 
 ――――場が凍ったのが、幸宏にもはっきりと分かった。  
 
 
 
 
「はあ………」  
 
 トイレに逃げ込み、幸宏は鏡の前で一人溜息をついた。  
 
 一体何故こんなことになってしまったのだろうか?  
 考えるのは先程からこのことばかりであった。御神楽の不自然さと、三島の不機嫌さ。  
 御神楽の不自然さ事態は幸宏にとってそこまで困ったことではなかったのだけれど、三島の不機嫌は場を間違いなく険悪にしていた。  
 
「僕、三島さんに何かしちゃったのかなあ……」  
 
 そう思った幸宏は、今日のことを朝から思い返してみる。  
 朝会った時は何もなかった、はず。むしろ機嫌は良かった気がする。だったらどこに原因があるのか。  
 
「分んないよ、そんなの〜……」  
 
 そう呟いてもう一つ溜息。鏡にはうなだれる自分の姿が映っていた。  
 情けないな、そう思った。すぐ近くにいる、親しい女の子の不機嫌の理由すら分からないなんて自分はつくづく情けない人間だ、  
 幸宏はそれでまたもう一回溜息をついた。  
 
「自信、か…………」  
 
 そんなもの、こんなダメな自分には一生無縁な気さえした。  
 
『とにかく神庭君。私はあなたがあなた自身に自信を持つことは、決して不可能じゃないと思う』  
 
 一昨日の夜の御神楽の言葉が、幸宏の頭をふと頭をよぎった。  
 不可能じゃない、それは果たして本当なのか。こんなダメな自分を必要としてくれる人などいるのか?  
 幸宏の頭の中をそんな問いや、自責の言葉がグルグルと回った。思考はどんどん悪い方へ悪い方へ進んで行ってしまっていった。  
 
「全く、何考えてんだよ………」  
 
 そんな負の思考への連鎖を断ち切るため、幸宏は頭を振って自分の頬を両手で叩いた。パンという乾いた音がトイレに響いた。  
 
 とにかく行動しなくては。この状況を打開するには自分から動くしかない。このくらいの状況を打破できなくて、何が自信だ。  
 このくらい出来なければ、誰かに必要としてもらえるなんて、そんなことは有り得ない。  
 
「よしっ!!」  
 
 元気な台詞で自らを鼓舞して、幸宏はトイレを後にした。席に戻る前に、フロアの観葉樹の陰から二人の様子を覗いてみた。  
 
「……………………………………」  
「……………………………………」  
 
 二人は会話ひとつせず黙り込んでいて、しかも意図的に目線を合わせていないようだった。  
 その光景を見て、幸宏の無理に作り出した気合いが一気に萎える。  
 どうしようもなく入りづらい雰囲気に躊躇し、幸宏はもう少しこのまま様子を見ることにした。  
 
 しばらくすると、沈黙を破って三島が口を開いた。その言葉は、離れた幸宏にはとぎれとぎれにしか聞こえない。  
 
「ねえ、何で………するのよ?」  
「じゃ…? 何のことかしら?」  
「………でよ!! こんなの卑怯よ!!」  
「卑怯? へ〜、そう。よくそんなことが言える………」  
「どういう………?」  
「………君と………さんに電話してみてもいいけど」  
「っ!!!」  
「やっぱりね………言ったでしょう? あなたの考えなんて………」  
 
 御神楽の言葉を最後に三島は俯いてしまい、沈黙がテーブルに訪れた。  
 幸宏に会話の内容はよく聞こえなかったけれど、空気は相変わらず最悪だった。  
 
「これじゃ、戻れないよ……」  
 
 この空気に割って入る自信などなく、幸宏はその場に立ち尽くしてしまった。  
 
「どうしたんだ、神庭?」  
 
 と、急に後ろから声をかけられる。振り向くとそこには、  
 
「さ、三枝先輩!!」  
 
 私服姿の三枝が、グラスを二つ持って立っていた。  
 
「こんなところに隠れて、一体何やってるんだよ?」  
 
 半ばあきれたような顔で、三枝は幸宏に問いかける。  
 
「さ、三枝先輩こそこんな所で何してるんです?」  
「俺は………ちょっと、な」  
「あ、もしかして見城先輩とですか?」  
「……まあ、そういうことになるけど」  
 
 柄にもなく顔を赤らめて照れる幸宏は笑いかけた。いつでもクールに見える三枝だから、  
 たまに見せるこう言う表情は何となく可愛かった。  
 
「そうですか、流石ですね」  
「そ、そう言う神庭は誰と来てるんだよ?」  
「ええっとですね………」  
 
 幸宏が二人の座っているテーブルに視線を動かすと、三枝もそれを追った。  
 重苦しい雰囲気で黙り込む御神楽と三島を見て、三枝が何か納得するように言った。  
 
「なるほど……やるじゃないか、神庭」  
「へ? どういう意味です?」  
「本人が無自覚ってとこが、また凄いよな」  
 
 三枝は楽しそうに笑っているが幸宏にはその理由が分からないし、言っていることの意味もよく理解できない。  
 
「何か二人の雰囲気が物凄い悪いんですけど、僕何かしたんでしょうか?」  
「さあな、これは俺なんかが言ったりしたらいけないことだろうし」  
 
 三枝の台詞はいつになく意味深で、幸宏の頭の中に新たなクエスチョンマークを生むだけであった。  
   
「何が何だか分からなくって、どうしたら良いんでしょう?」  
 
 突然現れた三枝に、幸宏は藁でも掴むような気持で縋りついた。  
 
「ん〜、そうだな……」  
 
 顎に手を当て、三枝は考え込むような姿勢を見せた。三枝ならきっと、いつものような的確なアドバイスをくれるはずだ。  
 幸宏はそう思って答えを待つ。  
 
「ねえ、ちょっと……」  
 
 その声とともに幸宏の視界のなかに、三枝のセーターの袖を引っ張る白い手が映った。  
 立っていたのは引き締まった体付きにショートヘアー、そして整った顔立ち。  
 
「なかなか、帰って来ないから………」  
 二年生の三女神の一人、『炎の女神様』こと見城遥だった。  
 
「ああ、ごめん。ちょっと後輩に会ったから話しこんじゃって」  
「ど、どうも」  
 
 幸宏の会釈に、見城もおずおずと合わせる。その間も三枝の袖を掴んだ手は離れていなかった。  
 三枝は、その自分を掴む手を見て軽く苦笑して溜息をつき、  
 
「そういうことだから神庭、まあ頑張れよ」  
 
 そう言って歩き出そうとする。  
 
「え? 三枝先輩、まだ何も答えてくれてないじゃないですか!!」  
 
 立ち去ろうとする三枝を引き留めるように幸宏は言ったが、  
 
「お前の良いと思ったようにやれ、多分それしかない」  
 
 そう言い残して三枝は見城とともに去って行った。ポツンと一人残された幸宏は途方にくれる。  
 結局三枝も大した答えはくれなかった。  
 
「僕の良いと思ったようにやれ、って言われても………」  
 
 幸宏は自分の戻るべきテーブルに目をやった。二人は相変わらず黙り込んでいる。  
 
 正直、戻りたくない。  
 が、それでもずっとこうしている訳にもいかない。幸宏は覚悟を決めて歩き出した。  
 
 取り敢えず、方針を決めてみよう。まずはそう、三島の機嫌を直すのを優先する。  
 三島の機嫌が直れば場の雰囲気だって良くなるはずだ。  
 
「よしっ!!」  
 
 再度、自分に喝を入れて幸宏は二人の待つテーブルへと向かっていく。  
 
「ごめんごめん、トイレちょっと混んでてさ〜」  
 
 空気を良くするために、幸宏は明るい声を出してテーブルに戻っていった。  
 
「あら、神庭君。おかえりなさい」  
「お、おかえり神庭君!!」  
「うわ〜、三島さんのそれすっごく美味しそうだね」  
 
 早速作戦実行。幸宏は三島の機嫌を取りにかかる。  
「え、そう?」  
「うん、何だか食欲そそられる感じするよね!」  
 
 三島の表情に少しだけ良い色が見えてきた。よし、いいぞ。幸宏は調子に乗ってさらに続ける。  
 
「あ〜僕もそれ頼めば良かったかな〜」  
 
「ほ、ホントに?」  
 三島に本来の明るさが戻ってきたような気がした。幸宏は心のなかでガッツポーズ。案外何とかなるもんだ。  
 
「うん、本当だよ」  
「じゃ………じゃあ、さ」  
 
 その一言とともに、幸宏の目の前にズイっと何かが差し出された。  
 根元には三島の腕、小さくて柔らかそうな右手、その次に銀色のフォーク、そしてその先端には、  
 
「あ、あ〜ん………」  
 
 三島のスパゲティーが巻かれていた。  
 
「え、ちょ、三島さん?」  
「ほ、ほら、食べたいんだよねっ、神庭君!!」  
 
 顔を真っ赤にして三島は幸宏にフォークを差し出していた。そんな恥ずかしい行為に幸宏が躊躇していると、  
 三島は更に急かすように「あ〜ん」とフォークをゆっくり近づけてくる。  
 
 これは、仕方がない。場の空気のためだ、食ってやろう。  
 幸宏がそう決意して口を開きかけた瞬間だった。  
 
「はいどうぞ、神庭君」  
 
 いつの間にかフォークは御神楽の手に移動していて、  
 
「ふぇ? え、あ、ちょ」  
 
 開きかけた口に、スパゲティーを躊躇ない速さで近づけてくる。  
 このまま中途半端に口を開いた状態だと間違いなくぶつかってしまう。  
 とっさの判断で幸宏は口を大きく開け、そしてスパゲティーが口内にゴールイン。  
 
「み、御神楽さん!」  
「テーブルを挟んでなんて、お行儀が悪いでしょ?」  
 
 幸宏がそれを咀嚼する間に、二人にまた険悪な空気が戻る。  
 その空気に幸宏は気圧されてしまって、口の中の料理の味などさっぱり分からなかった。  
   
「え、ええっと〜………」  
 
 やっとのことですべてを飲み込み、幸宏は二人の間に割って入った。  
 この空気をフォローするために、とりあえず三島に微笑みかけて、  
 
「お、おいしかったよ、三島さん!!」  
 
 そう感想を述べた。OKこれで問題ないはずだ。  
 
「そ、そう……よかったね神庭君」  
 
 あ、あれ? 何で顔がぴくぴくしてるんだ? 僕、また何か間違った?  
 
 隣に顔を向けると御神楽はあたふたする幸宏を見て、必死に笑いを堪えているような顔をしていた。  
 
「な、何がおかしいの御神楽さん?」  
「別に、何でもないわよ。流石ね、神庭君」  
 
 目の端から涙がにじむほど、御神楽は心底おかしそうに笑っていた。  
 何だかまた「やっぱり神庭君って天然ね」とでも言われているような気がした。  
 そう言われると何だか自分のやっていることが馬鹿らしく思えてきて、結局幸宏は自分のキノコグラタンに戻ることにした。  
 
 
 三人とも、黙って自分の皿を消化していく。周りの楽しそうなテーブルとは違い、幸宏たちのテーブルだけが沈み込んでいた。  
 しかし、一体なぜこうも周りの雰囲気は浮ついているのか?  
 
「……ああ、そっか」  
 
 少し考えて、すぐに分かった。なぜなら今日は……、  
 
「どうかしたの、神庭君?」  
 
 幸宏のつぶやきを聞いた御神楽が声をかけてきた。  
 
「いや、別に大したことじゃ」  
「いいから言ってみなさい」  
 
 こうして彼女にまっすぐ見つめられると、幸宏は何故だか逆らえなかった。  
 
「そう言えば今日はクリスマスイヴなんだなあ、って」  
「はい? それはどういう意味?」  
「別に、言った通りの意味だけど?」  
 
 そう、今日はクリスマスイヴだった。険悪な雰囲気にびっくりしてばかりで忘れていたが、今日はクリスマスイヴだったのだ。  
 
「はあ……これだから………」  
「え? 何か言った?」  
「いえ、何にも」  
「そ、そう………」  
 
 別の席へ目を向けると、幸せそうな家族連れがテーブルを囲んでいた。  
 子供も親も、楽しそうに笑っている。  
 
「自分にはこんな記憶はあるだろうか?」と考えて、「無いな」という答えがすぐに出てきた。そう思って少し苦笑い。  
 別にそれは寂しいことなどではなかった。男手一つで自分を育ててくれた父親に、文句はない。  
 仕事で忙しくたって彼は自分に出来るだけ気を遣ってくれていたし、それに文句どころか感謝さえしたいくらいだった。  
   
 まあ、文句も感謝も、どちらにせよ伝えることなど出来ないのだけれど。そう思って、幸宏はまた苦笑いを浮かべた。  
 
 とにかく、あんな思い出などは無いけれどそれでも自分は不幸せなんかじゃない。幸宏はそう自信を持って言うことが出来た。  
 
 ひとしきり感慨に耽ってから、幸宏は顔を正面に戻した。  
 視界の隅に、御神楽の顔が映る。  
 御神楽の視線も、幸宏が先ほどまで見ていた家族のテーブルを向いていた。  
 
「………………………………………」  
 
 黙ってただ、御神楽はその方向を見つめ続ける。  
 
「御神楽、さん?」  
「え?」  
「どうか、した?」  
「何でもないわよ」  
 
 御神楽はそう言って柔らかに微笑んだ。  
 
「そ、そう………」  
 
 ――――――気のせい、だったのだろうか?  
 
「さて、この後はどうしましょうか? 神庭君、どこか行きたい所はある?」  
「え? 特にはないけど……」  
「そうじゃあね〜」  
「ちょっと〜、勝手に仕切らないでよ〜」  
 
 御神楽はいつも通りに笑っていた。  
 そう、だからこれは幸宏の気のせいだったのかもしれない。  
 
 
 ――――――この時の御神楽の顔が、酷く寂しげに見えたのは。  
 
 
 
 

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