「楽羅……」
由希は声をかけてしまってから後悔した。
用件なんかあるわけないし、何が言いたかったわけでもなかった。
しかし楽羅は少しだけ驚いた顔をしたものの、すぐに気安く笑ってくれた。
「ゆんちゃん、久しぶりだね」
「うん、久しぶり」
お互い何事もなかったように言葉を交わす。
あの日目を腫らしていたのを見てから、一度も会っていなかった。
今はすっかり元気そうな顔をしている。
楽羅は強いから、自分とは重ならないが、元気そうにしているのを見るとこっちも元気になってくる。
口元が緩むのを感じていると、楽羅が心配そうに顔をのぞきこんできた。
「……どうしたの?ゆんちゃん。哀しそうな顔……してるよ?」
びっくりして思わず後ずさった。
それから少し変に思って、数秒考えてからああ、と気がついた。
「見守る覚悟ができたんだ」
楽羅の表情が固くなる。
「平気だよ。彼女に求めていたのは違うってわかったから。だから哀しいわけじゃない」
おかあさんを求めていたんだ。
教えるつもりはないから、心配をかけないように笑い直した。
「……楽羅が元気そうでよかった」
この一言を言うために声をかけたのかもしれないと由希は思った。
「じゃ」
立ち去ろうとして背を向けると、シャツをぐいっと引っ張られた。
「……元気じゃないよ、私。ゆんちゃんだって平気じゃないよ」
「楽羅……?」
振り返ろうとしても背中に顔を押しつけられて後ろを向けない。
「平気だって思ったの。思ったけど、平気じゃないよ。もう夾君のこと好きって言えない……。淋しいよぉ……っ!」
楽羅の声が震えているのを聞いてはっとした。
てっきり立ち直ったものと思って無神経なことを言ってしまったのだ。
「ごめ……っ」
あわてて謝ろうとしたら、背中にしがみつく力が強くなった。
「ゆんちゃんだって、平気なわけない!」
「楽羅?」
「ゆんちゃんちゃんと透君のこと好きだったよ」
「楽羅」
「わかるの!私、わかるんだもん。ゆんちゃんも淋しいって顔してるよぉっ」
「楽羅……」
背後から抱きしめられて、由希は言葉を返すことができなかった。
おかあさんを求めていたんだ、彼女に。
おかあさんみたいに受け止めてくれたんだ、彼女は。
気がついたら頬が濡れていた。
それでもやっぱり好きだったんだと今わかった。
無理矢理後ろを振り向いて、抗おうとする楽羅を抱きしめた。
楽羅は泣きじゃくりながらしっかりと背中に手を回してくれた。
互いに互いを抱きしめ合って、嗚咽をもらしながら涙を流す。
しゃくりあげる声にここが道端であることを思い出した頃、由希は腕の中のからだが思いの他細いことに気がついた。
こんなにも細いからだで淋しい思いを我慢していたのかと思うと腕に力をこめずにはいられなかった。
「ゆんちゃん……」
楽羅もぎゅっとしがみついてきた。
「淋しいの」
「楽羅」
背中をつかむ力は強いのに、華奢な肩は小刻みに震えている。
「淋しいの……」
涙で濡れた胸元にますます顔を埋められ、痛いくらい吐息を意識した。
そういうことには疎いけど、求められているんだと思う。
からだがかっと熱くなった。
由希は楽羅の肩をつかんで引きはがした。
「ゆんちゃん……」
切なげな声と潤んだ瞳に熱が上がる。
「ダメだよ!俺は男だから、その……からだはできるけど、こういうのは……っ」
抱きしめた感触がよみがえって、思わず顔を背けた。
「淋しさをまぎらわせるかもしれないけど、楽羅の心を汚すみたいで嫌だっ」
夾を追いかけていた彼女を思い出す。
自分の心をわかってくれた彼女だからこそ、弱いところに入りこむようなまねはしたくなかった。
「……ゆんちゃんは、強いね。私はダメ……平気だと思ったのになぁ」
楽羅は次から次へと涙をこぼしながら自嘲するように笑った。
「そんなこと……。俺は」
自分が強いとしたら、それは楽羅がさっき涙を全部受け止めてくれたからだと思う。
由希は楽羅の手をぎゅっと握りしめた。
「ずっとこうしてるから」
握り返してくる力を受け止め、こぼれる涙を見守り続けた。
嗚咽を聞くたびに手だけのつながりを心許なく思ったが、これ以上触れたら抱いてしまいそうだった。
強くて弱い楽羅が、とても愛しかった。