「ルーミィ!! キットーン!! ノルゥ――!」  
 さっきの恐いクレイから逃れたのもつかの間、わたしだけはぐれてしまった。  
 みんなを呼びあたりを見回すけれど、気配がしない。  
 
 どうしよう――!  
 
 心臓が冷たい血液を全身に送り出し、手と脚が凍えたようにガクガクして力が入らない。不安で押しつぶされそうになったわたしがその場にぺたりと座り込んだ時、背後に人の気配がした。  
「こんなところにいたのか」  
 聞き慣れたクレイの声。だけど鋭利な刃のように胸を抉る、冷たい声。  
 振り返れないほどのとてつもない恐怖がわたしを襲った。背筋が凍り、頭の中が一瞬にして真っ白に吹き飛ぶ。  
 足音は一歩一歩わたしに近付いてくる。やがて首筋にヒヤリとした何かが触れた。  
「どうした?逃げないんだな」  
 今度は耳に優しい、柔らかい声が頭上から注いだ。  
 あぁ―――  
 逃げられるはずがない。  
 わたしが少しでも動けば、彼は容赦なくこの首に押し付けた刃を振るうだろう。  
「そう、初めから言うこと聞いていれば良かったんだ」  
 言うが早いか、彼はわたしの肩をつかんで思いきり壁に突き飛ばした。  
 恐怖と絶望で一瞬だけ意識が遠のいた気がしたけれど、後頭部に鈍い痛みが走り覚醒を余儀なくされる。  
 彼はバランスを崩したままのわたしの両腕をねじり上げ、乱暴に組み敷いた。  
「痛っ…!」  
「大人しくしていれば大丈夫だよ、パステル」  
 妙に顔色の白いクレイが、真っ赤な舌で唇を潤す様にゾクリとした。  
 それは肉食獣が獲物を目の前にした時さながらの表情のようで。端正な顔に残酷さを浮かべ、彼はわたしの――獲物の反応を楽しんでいる。  
 見慣れたはずの鳶色の瞳に浮かぶのは、歪んだ愉悦の色。  
 狂ってる。こんなの、絶対クレイじゃない。  
 
 クレイ、どうしちゃったの!?  
 
 やり場のない悔しさと恐怖に、視界が歪んだ。頬に熱い涙が伝う。  
 まるでそれが合図だとでもいうように、クレイは器用にもショートソードでわたしのアーマーのつなぎ目を、そして薄いサーモンピンクのニットを、ミニスカートを順に切り裂いていった。  
「!?」  
 無惨にも引き裂かれた衣服から覗く肌に、ヒヤリとした外気が直に触れる。  
 ニヤニヤと薄く冷酷な笑いを浮かべながら、クレイはわたしをいたぶるようにゆっくりとブラジャーのアンダーバストに剣の切っ先を引っ掛けた。  
「や、やだっ…!」  
「動くなよ。怪我するぞ」  
「やめて!! ねぇ、クレイお願い!やめてよ!」  
 首を左右に振って必死で抗議しても無駄だった。むしろ彼はそれを楽しんでいるようにも見える。  
 鋭い刃はじわじわと布に侵食し、やがてパチンと弾ける。お世辞にも豊かとはいえない胸が露になった。  
「ぃ、いやぁぁあぁぁ―――!!!!」  
 両腕を振り解こうと必死で抵抗するけれど、ビクともしない。何て力なの!?  
 わたしはこの少し後、彼に抵抗しようとしたことを嫌というほど後悔するはめに陥るのだった。  
 
 パァンという音と同時に、頬に鋭い痛みが走る。目の前を無数の星が瞬き、視界が大きく揺れた。  
 
 何――…何が起きたの?  
 
 やがて頬がじんじんと熱を帯び、口の中にじわりと鉄錆びた塩味が広がった。思いきり顔を叩かれたことを理解するのに、少し時間がかかった。  
「大人しくしてろって言ってるだろ」  
「…」  
 あんなに優しかったクレイに叩かれた――目の前の事実が、深々と胸を抉る。  
 頬の痛みより何より、心が引き裂かれそうに痛かった。  
 わたしは唇をキュッと結んだまま、彼を睨み付けた。情けないけれど、今のわたしにはそのくらいしか出来ないから。  
 わたしの知ってる限りでは、クレイがどんなにすごんでもこんなに恐い顔になることってないと思う。  
 そのくらい恐ろしい顔で、今、彼はわたしを見下ろしていた。すくみ上がった瞬間、怒りの代わりに足下から這い上がって来た恐怖がわたしを支配した。歯の根が噛み合わない。  
 
 そんなわたしの様子を見て、クレイは満足げにこれまた恐い顔でニヤリと笑った。  
 瞬間、手首に痛みが走った。いつの間にかほどけてしまったわたしの髪を結んでいたリボンで、鬱血するほど強く締め上げられる。リボンが強く皮膚に食い込み、指先の感覚が痺れてなくなっていった。  
「い、痛い!ほどいてっ!」  
「おれの手で拘束される方がいいの?」  
 そういう問題じゃない!  
 わたしはぶんぶんと首を横に振って、子供みたいに痛いの一言をくり返した。  
「仕方ないな」  
 そう言ってクレイは少しリボンを弱めてくれたけど、それでも痛いことに変わりはない。  
 彼は自身の重たい装備を外すと、わたしの手首の傷を唇でゆっくりとなぞった。  
 先立つ恐怖のあまり頭の中は飽和状態で。  
 わたしは自分がどういう状況下にあって、クレイがどういう行動に出るのか、そういったことをすっかり忘れてしまっていたけれど。  
 
 これって、強姦だ…!  
 
 その事実に気付いてしまったこの時の恐怖を、何と言って表現したらいいだろう。  
 これは本当にクレイなのか、とか。  
 実は質の悪い夢で、目が覚めたらきっと宿屋のベッドの上だろう、とか。   
 現実からの逃避を試みても無駄なことだった。  
 これが夢じゃないことぐらい、五感が分かってる。  
 冒険者なんだもん、命の危険と隣り合わせなことくらいは覚悟してた。  
 でも、こんなのあんまりだ。幸せな恋愛を夢見る女の子にとって、これ以上の苦痛はない。  
 誰か嘘だと言って欲しい。  
 せめて、せめてよ?目の前にいるのが、絶対の信頼をおいてるクレイじゃなければよかったのに…そう願わずにはいられない。  
 今、確実にこの身に降り掛かっている災難に、わたしの心はメチャメチャに痛めつけられていた。  
 嫌悪感と悔しさで、頭がどうにかなってしまいそう。  
 
 それでも死ぬ気で抵抗出来なかったのは、どうしてなんだろう?  
 
 彼の冷たい唇が額に降りてきて、小刻みに震えるわたしにゆっくりと口付ける。それは何か特別な儀式のように、順を追って頬に、そして唇に与えられた。  
 啄むような軽いキスの後、深く求められる。   
 クレイの冷たい唇から、やはり冷たく柔らかなゼリーのような感触の舌が絡められると、背筋に凍るようなゾクゾクとした感覚が走った。  
「んっ…ふ…!」  
 舌先から体温が全て奪われていくみたいに、全身の力が抜けていく。  
 噛み付いて抵抗すればいいのに…?  
 ううん、こんなことをされても、わたしはなぜかクレイを傷つけることが出来なかった。  
 口付けられたまま、彼の指先がわたしの体を這う。大きな冷たい手が、胸を包み込んで揉みしだく。胸の突起をなぞられると、何ともいえない疼きが体を貫いた。  
 冷たい指先で触れられた場所から、甘い痺れを伴った熱がじわじわと体の中央に侵食していく。そんな感じ。  
 初めて感じる激しい感覚に、ただ翻弄されるだけ。  
「んん…っ!!」  
 わたしは胸の奥に込み上げる冷たい恐怖と、相反する体の熱い疼きに必死で耐えていた。  
 それは、嫌悪感とか背徳感とかを意識すればするほど、体が全く逆の反応を示すという…本当に厄介なものだった。  
 三文官能小説じゃないんだから…!  
 無理矢理こんなことされて、気持ちよくなる女の子がいるわけないじゃない。そんなの、男の人に都合のいい作り話。  
 そう…思っていたのに。愕然とするほど事実は違っていた。  
 うぅん、本当は少し気付いてる。  
 
 わたし、クレイのことが…?  
 
 ピチャっと濡れた音を立てて、彼はようやくわたしの唇を解放する。代わりにわたしのはだけた胸元に唇を寄せた。  
「や…ぁっ!ん…っ!」  
 胸の突起に、意志を持った軟体動物のような冷たい舌が激しく絡み付いてくる。電流のように強い刺激が、脳の奥を溶かしていくような錯覚に陥った。  
「あ…ふっ…」  
 執拗な愛撫に理性は徐々に剥離して、最後には本能だけが残る。  
「脚、開けよ」  
 熱に浮かされほぼ思考の麻痺していたわたしは、その言葉に素直に従った。膝を折り、ゆるゆると脚を開く。  
 体中にくすぶるこの熱をどうにかして欲しい――その一心で。  
「ふふっ…いい眺めだ」  
 ゾクゾクするほど冷たい声に反応し、無意識に身を捩らせる。  
 
 やだ、こんなの、おかしい…  
 
 頭では分かっているのに。  
「パステルは悪い子だな、こんなに濡らして…これ、もう使い物にならないよ」  
「…あ…っ!あ…」  
 耳元で囁かれ、ソコを意地悪く指先で突かれて体が震える。一瞬後には、最後に残されたわたしの下着は、呆気なく取り去られていた。  
「どうしてほしい?」  
  浅い呼吸をくり返し薄く目を開くと、そこには冷たく微笑んだ端正な顔があった。  
 その鳶色の瞳に見つめられただけで全身が激しく熱く疼いて、わずかに残った理性が警鐘を鳴らす。  
 けれど、クレイの扇情的な瞳に見つめられると。羞恥心とか、プライドとか、そういった大切ないろんなものが溶けてなくなっていくのが分かった。  
 
「体が…熱いの…っ さっきの、してぇ…!」  
 目の前が涙で霞む。  
 クレイは満足そうに薄く笑うと、わたしのソコに手を伸ばした。  
「あぁん…!そこ…っ…」  
「すごい…濡れてる。やらしいな、本当に初めて?」  
 からかうような言葉、淫猥な濡れた音に乗せて、濃厚な快楽の波が押し寄せた。  
 もう自分ではどう足掻いても止められない喘ぎ声と、荒い呼吸が響き渡る。  
 グチャグチャと指でかき混ぜられてるのが分かるけれど、それじゃ全然足らない。  
「いや…っ」  
「嫌なの?じゃ、やめていいんだね」  
 意地悪く指が引き抜かれると、その余韻を求めるようにわたしの腰は嫌らしくうねる。  
 散々嬲られた場所の、鈍重な甘い痺れがじんじんと熱い。  
「やぁ…!クレイ、止めないで…!」  
「どうして欲しいの?ちゃんと言ってくれなきゃ」  
 ここへきて初めて、クレイはいつものあたたかい顔を向けてくれた。  
 わたしはといえば、ほとんど情けない顔で哀願していたと思う。  
「入れて…。クレイが欲しいの…っ!」  
 素面で未経験の女の子が口にする台詞ではない、そんなの承知の上だけど。わたしはほぼ正気じゃなかった。  
 ふわっと髪を撫でる感触がして。クレイがわたしの両脚を抱え上げるようにすると、冷たい何かがソコにあてがわれた。  
「いくよ…パステル」  
 ゆっくりと、でも着実に。ソコの広さの限界以上の質量が侵入してくる。痛みが全身を貫いた。  
「くっ…!」   
 必死で何かに縋りたいのに、両腕は縛られたまま自由にならなくて。  
 突き上げる荒々しい動きと。痛みと、それを押し退けたところで感じる気持ちよさと。  
 身体中を撫でるように這うクレイの冷たい指の感触が、一気にわたしを快楽の彼方へ導いた。  
 彼に揺さぶられながら、わたしは初めて感じる大きすぎる官能の波に呑まれ、意識を失った。  
 
 
 
 
「…テル…」  
「パステル」  
 ミルク色の向こう側から、懐かしい声がする。  
 ぼんやりと目を開くと、深いサファイアブルーが視界に広がった。  
「ぱぁーるぅー!!ルーミィ、心配したんらぉ!」  
「よかった!パステルが目を覚ましましたよ!」  
 顔中涙でべしょべしょになったルーミィが首に抱き着いてきた。懐かしいほど心地よい、小さな温もりを抱き締め返す。  
 
 わたし…?  
 
 見渡すと、少し遠巻きにしているトラップも、ノルも、シロちゃんも…みんな心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。  
 そしてその場にクレイをも発見した時、わたしはちょっと大袈裟に身を竦ませてしまった。  
 驚いたなんてもんじゃない、本当に心臓が止まるくらい!  
「そ、そんな驚くなよぉ!」  
 だ…だってだって!クレイ!?  
「パステル、あなた、クレイのニセものに追われていた時、わたしたちとはぐれたんですよ。覚えてます?見つけた時には倒れていたんです。大丈夫ですか?」  
 キットンが気遣うように言った。  
 
 クレイの…ニセもの?  
 
 目の前でしきりに恐縮してる困った顔をしたクレイと、わたしに乱暴をした冷酷なクレイ。  
 
 そうよね、いくらなんでも…ニセものだよねー…!  
 
 クレイ本人が操られていたのでも何でもなくて、ニセものだったと知ったら心の奥底から安堵が込み上げた。  
 いや、待てよ?おぼろげながら、すごいことをしていた気がする…  
 わたしは消え入りそうな記憶の糸を辿った。  
 そうよ!わたし、わたしったらそのニセもののクレイと…!!!  
 思い出したら、また心臓がドキドキして。顔といわず耳まで真っ赤になった。  
 はっとして服を確認すると…なぜか切り裂かれていない。そのままだった。  
 
 じゃあ、あれは夢だったの…?  
 
 まだ混乱していると思ったのか(実際してるんだけど)、キットンが諭すように教えてくれた。  
「このダンジョン、何か不思議な魔力が働いているようですよ」  
「どういうこと?」  
「わたしたちが強く念じたもの、そういったものが本当になるといいますか…正確には経験したことのように脳に働きかけるようです」  
「…っていうと…?」  
 キットンは「平たくいうと、いつかの幽霊屋敷みたいなもんじゃないでしょうか」と説明してくれた。  
 
 えぇぇ!?じ、冗談でしょお!?  
 じゃあ何!?あの一件はわたしの願望だとでもいうのっ?   
 嘘よ――――――っっっ !!! うそ 嘘っ!絶対うそっっ!!  
 だ、だって!あ、あんな…意地悪なクレイに虐められたいなんて、ただのマゾじゃないのぉ―――― !!!!!!  
 
 思いもかけず自分の性癖に気付かされ、赤くなったり青くなったりをくり返したわたし。  
 トラップにポカッと頭を叩かれ、ようやく現実に引き戻されたのだった。  
 もちろんその後、クレイの顔をまともに見ることが出来なかったのは、言うまでもない。  
 
 

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