「おめえさ、もしかしてちっと太った?」  
 女の子が言われてショックな言葉って色々あると思うけど。  
 これ以上ショックな言葉っていうのはなかなか無いんじゃないだろうか……  
「な、な……そ、そんなこと無いもんっ!」  
 ましてや、それを言ってきた相手が、仮にも恋人、と呼べる相手で。  
 あまつさえ、一糸まとわぬ姿をその前にさらしているとなれば……  
 真っ赤になって身を引くわたしを、面白そうに眺めているのはトラップ。  
 うつぶせになって上半身だけを起こした状態。腰から下は布団の中で、裸の上半身が何だか妙に色っぽい。  
 ついでに、余分な贅肉、というものが一切見当たらないその身体が、妙に……妙に、腹が立つ。  
 急に気恥ずかしくなって、わたしは布団を胸元までひっぱりあげた。散々見せた後で今更……っていう気もするけれど。  
 そんなこと言われて「どこに目をつけてるのよ! そんなわけないでしょ!」とばーん! と自信を持ってさらけ出す……なんて真似は、多分わたしには一生できない。  
「いや……まあ。何つーか……こう腰のあたりとかな、妙にボリュームを感じたなあ、っつーか」  
 そんなわたしの様子を見るトラップの目はどこまでも意地悪で。その顔つきを見れば、彼が決して本気で言ってるわけではなく、ただわたしを困らせて楽しんでいるだけだ……っていうのはわかるんだけど。  
 わかっていても気になるのが女の子なのよ! 全く。  
「そんなこと……ないもんっ。もお、デリカシーが無いんだから!」  
 頭に来て、わたしがベッドから下りようとすると。布団の下から伸びてきた腕が、ぐいっ、と腰に絡められた。  
「きゃあ!?」  
「ん〜〜。やっぱこー、前と違うような気がすんだよなあ……」  
 ぴちゃり  
 腰……というよりむしろお尻に近い位置に、暖かい感触。  
 そのまま、それはするすると上へと上っていって……  
「やっ……ちょっ……さ、さっきやったばっかり……」  
「ヤッた? 随分いやらしい言い方するようになりましたねえパステルちゃーん?」  
「なななっ……」  
「だあら、おめえが俺の目を疑うから、こうして手で触って確かめようとしてやってんじゃん?」  
 ぐっ、と力をこめられた。  
 
 お腹に軽い圧迫感。逆らおうとしても、力が入らない位置を巧みに押されて、そのままベッドに倒れこむ。  
 必死につかんでいた布団は、あっさりとはぎとられた。ぎゅっ、と肩をつかまれる。きしむスプリングと、明かりを遮る位置にあるトラップの顔。  
 逆光のせいか顔はよく見えなかったけど。どんな表情を浮かべているかは……大体想像がつく。  
「……太ってなんか、無いもん」  
「まあ確かに。痩せてるよなあ、おめえは」  
 くっくっ、と笑いながら彼が手を這わせてきたのは、胸。  
 ……その部分を「痩せてる」って言われても、嬉しくないんですけど、わたしとしては。  
「まあいいんじゃね? もーちょっと太った……っつーかふっくらした方が、女らしくてよ」  
「……そっちの方が、トラップの好み?」  
「さあ〜〜どうでしょうねえ?」  
 本音の読めない口調で言いながら、徐々に、徐々に手を下へと滑らせていく。  
 それだけでもう、わたしの身体が熱を持ち始めるのが、わかった。  
「っ……あ……んっ……」  
「まー確かに、出るとこ出て引っ込むとこが引っ込んだナイスバディの姉ちゃんと、どこが胸だか背中だかわかんねえような幼児体型なら、そりゃあ男ならナイスバディの方が嬉しいけどよ?」  
 首より下の部分、鎖骨のあたりや胸のあたりに、いくつもいくつも赤い花びらのような痕を残しながらも。トラップの口はとどまるところを知らない。  
 わたしはもう、まともに答えることもできないくらいに、息が荒くなってるのにっ……  
「けどまあ、それだけじゃねえだろ。幼児体型には幼児体型なりにいいとこだってあるしなあ」  
「っ……いっ……やあっ……!」  
 ぬるり、とした感触が太ももをつたった。  
 だけど、トラップは決して「ソノ」部分には触れていない。むしろ、そこからわざと遠ざかるように、わざとらしく、胸や肩、あるいはつま先やふくらはぎをいじっていて……  
 い、意地悪っ……  
「いっ……と、トラップ……」  
「あんだよ?」  
「っ……はっ……」  
 早く、来て欲しいと。  
 心の中ではそう頼みたかったけれど。それを口に出すのはひどく恥ずかしい。  
 
 言えない。だけど、我慢できない。  
 とても辛い葛藤の中。火照りだけが大きくなっていく。段々と目に涙がにじんでくるのがわかった。  
 そんなわたしの様子に、トラップが気づいていないはずはないのに。彼は言わない。そしてやらない。  
 わたしが「お願い」というまで、決して自分からソコへは近づこうとしない。それはわたしを焦らして悶える様子を見て楽しむっていう、彼の困った趣味の一つ。  
「もうっ……い、意地悪っ……」  
「そんな意地悪な男に抱かれて、悦んでんのはどこの誰だよ? あーあー。シーツぐっしょぐしょじゃん。後で洗濯大変なんじゃねえ? ま、やるのは俺じゃねえけどさ」  
 そんなことを言いながら、トラップはひょい、と上半身を起こして、ひどく無造作な手つきでわたしの髪を梳き始めた。  
「んで? 一体俺にどうして欲しいのかなあ? なあ、パステルちゃーん?」  
 っ……  
 こ、この男……絶対、ぜーったいに……わたしをいじめて、楽しんでる――!!  
   
 そもそもわたしとトラップがこんな関係になるなんて、誰も想像してなかったんじゃないだろうか。実を言えばわたしが一番信じられないんだけど。  
 でもまあ、好きになってしまったものは仕方がない。そして……そのう。まあ、そんな関係になったからには、一歩二歩進んだ関係になってしまうのも……そういうことに一番興味があるお年頃なわたし達としては、それはごくごく当然の経緯、というもので。  
 それはとても嬉しいことだったんだけど。そうなったせいで……それまで大して気にもしてなかったようなことが、急に気になるようにもなった。そんなわたしを見て、「パステルも女らしくなったわね」なーんてリタは言ってたけど。  
 例えば、肌が荒れてないかな? とか……髪が痛んでないかな? とか。後……まあ、そのちょっと恥ずかしいけど……わ、わたしの胸とか、ソノ部分とかって……綺麗、なのかな? とか。  
 もちろんそんなこと、聞きたくっても聞けやしないけど。  
 で、今……もっかわたしが一番気になってるのが……  
 はあああ……  
 ため息をついて、チラリと視線をあげる。  
 
 
 今は食事の最中。以前燃えてしまった後、新しく建て直した家の台所にて、パーティー全員で勢ぞろいしての楽しい夕食。  
 のはずなのだけど……わたしは、あまり食べられなかった。  
 その……さっき、最中にトラップに言われた言葉が、気になって。  
 今日のメニューは、クレイが作ってくれたカレーライス。それも、ミケドリアの肉とかキノコとか、すっごく具沢山でそれはそれは美味しそうなカレー。  
 いつもなら、あっという間に食べた挙句にお代わりまでするところなんだけど……今、わたしのお皿には、半分くらい食べたところでスプーンが止まってしまったカレーが残っている。  
 美味しい。見た目を裏切らない、すっごく美味しいカレー。  
 だけど……うう。ご飯って案外カロリー高いんだよね? お肉だって入ってるし……  
 太った……そ、そういえば最近クエストにあんまり出てないし。運動の量は以前より絶対減ってるよね?  
 ま、まさか……いや、いやあれはトラップの意地悪で、口から出任せ、で……  
「パステル、どうしたんだ?」  
「……え?」  
 不意に声をかけられて顔をあげると、左隣に座っていたクレイが、心配そうにわたしの顔を覗きこんでいた。  
「大丈夫か? あまり食べてないみたいだけど……もしかして、口に合わなかった?」  
「え!? い、いや、そんなこと無いよ。全然無いっ……けど……」  
 段々声が小さくなっていくのがわかる。そりゃあ、作った人としては気になるよね。お皿前にしてはーはーため息つかれたら。  
 うう。だけど……  
 チラッ、と視線をあげる。  
 わたしの正面で、トラップがすんごい勢いでスプーンを動かしていた。確か、わたしの記憶が確かなら、あれって三杯目のカレーだったはずなんだけど……  
 と、見ている間に空になったお皿を抱えて、ガタンと立ち上がる。ご飯をよそう手つきには全然迷いみたいなものがなく。一杯目だとしても多すぎるんじゃない? って量をてんこもりにしていた。  
 ……よく食べるよねえ、あの人……  
 わたしの視線に気づいていないのか、トラップはこっちを全然見ない。カレーをかけて席につくと、さっきと全く変わらないスピードでスプーンを動かし始める。  
 ……あの細い身体の、一体どこに、あれだけの量が入ってるのかなあ……  
 
 わたしは決して太ってる方じゃない……と思う。ううん、むしろ痩せてる方なんじゃないかな?  
 そりゃあ……ねえ。今はレベルも上がってきてちょっと裕福だけど、昔は食事代にも困るような生活してたし。バイトバイトで毎日のように走り回ってたし……太る余分なエネルギーなんか全然無かったというか、溜め込む余裕も無かったというか。  
 だから、今まであんまりダイエット、とか意識したことはなかったんだけど……  
 もう一度視線をあげる。トラップが気づいていないのをいいことに、その全身をなめまわすように見てしまう。  
 だけど、女の子としては。恋人に「太った?」なんて言われたら。ましてや、その恋人が下手したら自分より痩せてるんじゃなかろうか、という細身の体型だったら。これはもう、意識せざるをえないよね。  
 うう。だけど、だけどさー……  
「パステル……?」  
 一人でお皿を前に悶えているわたしを見て、クレイがすんごく不思議そうな顔をしていたけれど。わたしはそれに答える余裕も無かった。  
 だけどさ! 長年の貧乏が染み付いちゃってるせいかな? ご飯が食べれるっていうのがすんごく幸せっていうか……美味しいものを前にして我慢なんかできないっていうか……  
 ああ! こういう葛藤って辛いよね! もうっ……  
 スプーンをぎゅっ、と握り締めたまま。  
 わたしは、残りのカレーを食べるべきか、食べざるべきか。それこそ、「明日世界が破滅するとしたら最後に何をやりたい?」って聞かれたかのごとく、悩み苦しんでいたのだった。  
   
 ……というか。本当に太ったんだろうか、わたし。  
 冷静に考える余裕が出てきたのは、夕食の後、お風呂に入っている最中。  
 お腹が一杯になったせいかルーミィがさっさと寝てしまって、珍しくわたし一人だけでのんびり湯船につかることができた。  
 お湯の中に沈めた身体をそっと見下ろす。  
 うーん……  
 毎日見ているせいか、あんまり変化……っていうのを感じられないんだけど。  
 別にお腹がぽっこり出てきたようにも見えないし……胸だって変わらず……い、いやいや。そこは悲しむ部分かもしれないけど。  
「ううーん……」  
 うなって、自分の太ももやお腹を撫でてみる。つまめるほどの余裕は無い……よね?  
「ううーん……って、あ、そうか」  
 
 一人うんうんと唸った後、実に簡単な解決方法があることを思い出して、わたしはポン、と手を打った。  
 そうかそうか。何も一人で悩まなくても。体重を量って見れば一発じゃない!  
 わたし達冒険者は、体調管理も重要だ……ってことを言い出したクレイの案によって、我が家のお風呂場には体重計が置いてあるんだよね。もっとも、使う人はあんまりいないんだけどさ。  
 わたし、以前何キロだったったけ? 確か……48キロくらい、だったと思うんだけど。  
 身長は163.5だから。そう言ったら、リタが「パステルって細いわよねえ」って、羨ましそうに言ってくれたんだよねえ……あまり人に誇れるものが無いだけに、ちょっと嬉しかったんだけど。  
 ようし!  
 そう思いついて、ザバッ、と湯船から身体を引き上げた。  
 タオル一枚巻きつけて、思いついたら即実行! とばかりにお風呂場の戸をガラリ、と開けた瞬間。  
 わたしは、その場でひっくり返りそうになってしまった。  
 なっ、なっ、なっ……  
「ん〜〜……」  
「と、トラップ! 何してるのよそんなところで!?」  
 何と。しっかり「お風呂に入ってます!」って札をかけて鍵までかけていたはずの脱衣所に、トラップがいた。  
 彼は難しい顔で床を見つめていたけれど。わたしの姿を見て、ニヤリ、と笑ってみせた。  
「よおパステル。涼しそうな格好してんなあ」  
「すっ……ばっ……!」  
 ああ、もう! い、一体何を言えばいいのやらっ!  
 気配すらしていなかったら、驚きのあまり声も出ない。わたしが自分の格好も忘れてただぱくぱくと口を開いていると。トラップは、ひょい、と肩をすくめて……何かの台から、降りた。  
 ……はい?  
 そこで初めて、わたしは、彼の足の下にあったもの……さっきわたしが使おう! と決めたばかりの体重計……に気づいた。  
「何……してるの?」  
「何って。おめえ俺がこれ使って身長測ってるように見えるか? 体重量ってたんだよ」  
「な、何で……」  
「何でって。気まぐれだよ、気まぐれ。ああーそれにしても。量るんじゃなかったなあ」  
 わたしの疑問に答えになってない答えを返して。トラップは、わざとらしい口調でそう言うと、それはそれは意地悪な表情でわたしの方に視線を向けた。  
 
「んで? パステルちゃん? いつまでもそんなとこでそんな格好でいると、風邪ひくぜ? 着替えねえの?」  
「っ……き、着替えるわよっ。着替えるからっ……いいから出てってよ!」  
「出てけ? おめえ、仮にも彼氏に向かって冷てえこと言うなあ」  
「かっ……」  
 ず、ずるい! 普段は絶対そんなこと言わないくせに……こういうときだけ、そんな言い方するなんて……!  
 わたしがかああ、と全身を染めていると、トラップは大爆笑をしながらお腹を押さえてしゃがみこんだ。  
 ううーっ。か、からかわれてるっ……絶対、絶対! からかわれてるっ……  
「もおっ……それよりトラップ。量るんじゃなかった、って……何かあったの?」  
 すごく悔しかったけれど。こういう口喧嘩でわたしがトラップに勝てるはずもない。  
 早々に諦めて話をそらすと、トラップは涙の溜まった目で「ああ」と頷いた。  
「参ったよなあ。俺さあ、体重が」  
「うん」  
「また減った」  
 …………  
 神様。わたし、仮にも恋人に対して殺意っていうものを抱いてしまいました。ごめんなさい。  
 あっ……あれだけ食べておいてっ……  
「や、痩せた?」  
「さあなー。それはわかんねえけど、1キロ落ちた」  
 1キロ……  
 そう聞くと微々たる量に思えるけれど。1キロのお肉っていうのがどれだけの量かを考えたら……  
「そ、そおなんだ……良かったじゃない……」  
「良かった? 馬鹿言え。ただでさえ貧弱な身体だなあって結構気にしてんだぜ? 身長は伸びてんのになあ。一体どこが落ちたんだろうなあ」  
 口で言うほどには、その顔は落ち込んでいない。というかむしろ楽しそうだった。  
 彼がこんな顔をしているときは、絶対に何かたくらんでるに決まってて……  
「……で?」  
「……で、って……?」  
「いや。おめえは量らないの?」  
 ずばり、と言われて。わたしはしばらく返す言葉を失った。  
「な、何で……わたしが……」  
「いやあ? いつまでもタオル一枚で立ってる、ってことはさ? おめえも体重量ろうとしてたんじゃねえかなあ、と。この間俺に言われたことを気にしてんじゃねえかなーと、そう思ったんだけど……外れたか? だったら悪いな」  
 
 見事な推理を披露して、トラップは立ち上がった。  
 ひょい、と体重計を持ち上げて。  
「まあなあ。よく考えたら、女ってえらい体重気にするもんなあ。男の前でこんなもんに乗れねえよなあ? 悪い悪い。気遣ってやれなくて」  
「っ……! そ、そんなことないわよっ!!」  
 ああ、乗せられた……  
 自分でわかっていても、止められなかった。  
 だってだって、悔しいじゃない!? わ、わたしはそんなに太ってないもん。そんな、ただの意地悪を気にしなきゃならないほど……人に言うのをためらうほどに重たくなんか無いもんっ!  
 いいわよ、見せてあげるわよ。トラップは恋人なんだから。何も隠すことなんか無いわよね!  
「わかったわよ。乗ればいいんでしょ、乗れば! 貸して!」  
 ばっ、と体重計を取り戻して床に置くと。わたしは、深呼吸をして、一気にその上に乗った。  
 針が動く。くるくると数字が回転して……  
 凝視している間に、ぴたり、と、動きを止めた。  
 ――びしっ!!  
 差された数値を見た瞬間。わたしは、確かに「時が止まる」というのを実感していた。  
「どれどれ? 何キロなんだ?」  
 そんなわたしを見て、トラップがひょいっ、と数値を覗き込んでくる。  
 っ……ぎゃあああああああああああああ!!?  
 慌てて降りようとしたけれど、もう遅い。  
「あんだあ? 52キロ? へー。おめえって……俺と6キロしか違わねえのか」  
 心底楽しそうな目で見上げられて。わたしは、湯上りの冷めかけた肌温度が一気に上昇するのがわかった。  
 ふ、太った……わたしっ……本当に太った……ってことおおお!!?  
   
 いやさ、178センチも身長があるのに58キロしかないっていうトラップの方が痩せすぎなんだ……っていうのはわかるよ?  
 163.5センチで52キロが、太ってるどころか十分に痩せてる範疇に入る……っていうのも、理屈としてはわかるよ?  
 だけど、それにしたって……  
「納得行かないっ!!」  
 お風呂から上がった後。わたしは、トラップの部屋で、一人わめいていた。  
 あ、ちなみに、新しい家って部屋数が多いから、クレイ、トラップ、ノルにキットン男性メンバーは、全員個室をもらってるんだよね。いや、まあそれはいいんだけどさ。  
 
「あんだよ。俺に言われても知らねえっつーの」  
「だってだって! どうしてトラップ、そんなに痩せてるの!? あれだけたくさん食べてるのにっ」  
 ベッドにごろごろ横になったままわたしを見上げるトラップの目は、明らかに面白がっていて。だけど、それがわかっていても、わたしは引き下がることができなかった。  
 だって由々しき事態じゃない!? 身長は15センチ近く違うのに、体重は6キロしか変わらないなんてっ……! そ、それはいくら何でも! 女の子としてはっ……何ていうかっ……  
「ねえ! 本当は何かしてるんじゃないの? 隠れてこっそり運動してるとかっ」  
「してねえよ」  
「嘘っ。じゃあどうして、あれだけ食べてごろごろ昼寝ばっかりして、それで痩せたりするのっ」  
「ああ? 随分な言い草だな、おめえ」  
 わたしがゆさゆさ身体を揺さぶってまくしたてると、彼は、ちろり、と視線をあげて……  
 ぐいっ、と、わたしの両手首をまとめてつかんだ。  
「そんなに知りてえのかよ? 俺が痩せた理由」  
「知りたいっ!」  
 手首を拘束されたままぶんぶんと頷くと。  
 トラップの顔が、それはそれは嬉しそうに輝いた。  
「本当の本当に知りてえんだな?」  
「……知りたい、けど……?」  
 不吉な予感が走った。  
 何度も言うようだけど。トラップがこんな顔をしているときって、大抵ろくでもないこと考えて……  
「おめえのせいだよ」  
「……へ?」  
 だけど。続けられたのは、わけのわからない言葉。  
「アレって、結構疲れるからなあ。いい運動になるんだぜ?」  
「あれ? ……アレって、何?」  
 わたしが目をハテナマークにしていると。  
 トラップは、低い笑い声をあげて、顔を寄せてきた。  
「アレっつったら、アレだよ」  
「?」  
「エッチ」  
 ぼんっ! と、一気に頭に血が上った。  
 なっ……な、なーっ……  
 
「何言い出すのよっ! や、やらしいっ……」  
「ああ? 信じねえの? まあなあ。そりゃあおめえはいつもいっつも俺にばっか動かせて自分は横になってるだけだもんなあ。  
 けどなあ、本当にあれって相当運動になるぜえ? 腰動かすからウェスト運動になるしな……だあらそのせいで痩せたんじゃねえかなあ、と思うんだけどな」  
 答えるトラップの顔は笑っていたけれど。口調は案外真剣だった。  
 え? もしかして本当に? と、信じてしまうくらいには。  
「……そう、なの?」  
「俺が終わった後、疲れきってんのがわかんねえかなあ? だあら、な……おめえもたまには自分から動いてみ? 腰振ってな」  
 そう言って、トラップは「にんまり」と形容するしかない笑みを浮かべた。  
「そうしたら痩せるんじゃねえ? そんなことでよかったらいつでも協力してやるぜ? 俺は」  
 …………  
 何だか、うまく乗せられたような気がしてならない。  
 だけど。  
 そんな風に言われたら……その、ちょっと試してみたいなあ……なーんて思ってしまったのは。  
 だ、ダイエットに悩む女の子としては当然の反応だよね? ねっ!!?  
   
「……ええっと……」  
 言われるがままに部屋に固く鍵をかけて。  
 ベッドの前で、わたしは困り果てていた。  
 よく考えたら。その……エッチは何回もしてきたけれど。確かに言われた通り、わたしはトラップに言われるがままされるがまま、ただ寝てるだけだった……と思う。  
 だから、困った。  
 じ、自分から動く……って、一体どうすればいいのお!?  
「んだよ。ヤるならヤるで早くしろよなあ」  
 そんなわたしを意地悪な顔で眺めているのはトラップ。  
 両手を頭の下で組んで、仰向けになった状態で。あくまでも自分からは動かない、って姿勢をとったまま。  
「俺さ、そろそろ寝たいんだけど? ん〜〜それともやっぱ、おめえには無理か?」  
「っ……む、無理……じゃないもん」  
 え、ええい! 為せば成るっ……べ、別に初めて、ってわけじゃないし。いつもトラップがわたしにしてくれることをすればいいんだよね? そうだよね?  
「じゃ……じゃあ。いきます」  
「おう」  
 
 どう言えばいいのかわからなかったから、とりあえずぺこりと頭を下げて。  
 まずは……ふ、服を脱がなきゃね。  
 ぶちぶちっ、とパジャマのボタンを外す。部屋が明るくて、見られているのがすっごく恥ずかしかったけど……だ、だけど、暗い中手探り、なんて、自信無かったし……  
「えっと……ええっと。トラップは……服、は……」  
「ん〜〜? 自分で脱いでもいいけどよ」  
 パジャマを床に落として、下着姿になって振り向くと。  
 穴が開くんじゃないか、というほど、わたしの姿を凝視しながら。トラップはさらりと言った。  
「けど。動かない相手の服を脱がせる……っつーのも、案外運動になるんだぜ?」  
「…………」  
 本当でしょうね。  
 一瞬そう言いたくなったけれど。増えた体重の数値が目の前をちらついている今のわたしには、それを冷静に考える余裕も無い。  
 まあ確かに。言われてみれば、そうかも……  
「じゃ、じゃあ……脱がす、よ?」  
「おう」  
 ぐいっ、とシャツに手をかける。  
 細身ではあるけれど、硬い身体が手に触れた。  
 シャツの下から覗くのは、浅黒い素肌。何だかんだでわたしが脱がしやすいように身体を浮かせてくれているのか、意外なほどスムーズにするするとまくりあがる。  
「…………」  
「どーした? おめえまさか見惚れてんじゃねえだろうな?」  
「…………」  
 そんな軽口に答える余裕も無い。  
 見惚れて……いた。何ていうか。トラップの腰のあたりにまたがって、彼の服を自分で脱がせている……そんな日が来るなんて信じられなかったのもあるし。  
 そういう風にして見るトラップの身体は、今まで散々見てきたはずなのに、何だかいつもと違うように見えた……っていうか……  
 って、はっ! ボーッとしてる場合じゃないでしょ、わたしったらっ!!  
 ぶんぶんと首を振って、動きを再開させる。  
 ええと、変なこと考えちゃ駄目、わたし。  
 今のこれは……その、そう! あくまでもダイエットのための運動! なんだからっ……  
「ええと。ええっと……」  
 とりあえず、まずは……  
 とん、と腕をトラップの顔の両脇に置いて、そのままゆっくりと顔を近づける。  
 重なる唇。最初は一瞬、何度か繰り返すうちに、その時間は少しずつ長くなって……やがて、自然に舌が絡み始める。  
 
 何度も何度も……それこそ、身体の繋がりなんかよりずっと多く経験してきたはずの行為。  
 だけど、それすらも、わたしは自分からすることは滅多に無かったんだと。  
 舌を差し入れた瞬間、一体どうやればいいのか戸惑ってしまって、初めて気づいた。  
 ……わ、わたしって、本当に何もかもトラップに任せっきりだったんだよなあ……  
 トラップの方がずっと巧くて、わたしが自分から動いても彼みたいにできる自信は無かった……っていうのはあるんだけど。  
 それでも、もしかして、それってちょっとずるかった? わたしばっかり、いつもいつもトラップにすっごく気持ちよくさせてもらって……  
「あの……いい、かな?」  
 つい、と唇を離すと、透明な糸が、わたしとトラップの間を繋いでいる。  
 それがおかしくてもう一度キスをした後つぶやくと、彼は、黙ってぐっ、と親指を立ててきた。  
 OK……ってこと、だよね? わたしだってできてる、よね?  
 よ、ようしっ!  
 それで勇気が出た。  
 いつもトラップがやるように、唇のキスの後、頬に、耳に、おでこに……と、少しずつ軽いキスを落としながら、その間に、手で、ゆっくりと彼の首や胸を撫でる。  
 手の下で感じる筋肉の躍動。その手触りは、自分の身体とは全然違っていて……やっぱり男の子なんだなあ、ってことを伝えてきて。何だかいつも以上にドキドキした。  
「ええと、えっと……」  
 トラップのように滑らかには動けない。だけど、それでも少しずつ彼の息は荒くなって言って……  
 それは、彼が、いつものわたしと同じように、「感じて」いてくれるんだと伝えてくれた。  
 ……わ、悪くは、ないかも。  
 じいっ、と顔を見つめれば。少し赤らんだ頬のトラップが同じように見つめてくれる。  
 そんな顔を見てしまったら。ドキドキは余計に大きくなって……わたし自身がどこを触られている、ってわけでもないのに、いつもと同じように、身体が火照ってくるのがわかった。  
 わたし……いつの間に、こんな……その、敏感になったんだろ?  
 下着に少しずつ染みてくる湿った感触。時折走る、うずきにも似た感覚。  
 気が逸るのがわかった。早くトラップが欲しいって……わたし、そう……思ってる……?  
「じゃ……その……」  
「…………」  
 
 足の方に座るのは、何だか安定性が悪そうだから。  
 腰掛けた位置は変えず、くるりと身体を回転させる。  
 トラップに背中を向けるような形になって、わたしは、ゆっくりと彼のズボンに手をかけた。  
 さ、さすがに……ズボンを全部脱がせるのは、大変……かな?  
 ソノ部分が明らかに不自然な盛り上がりを見せているのがわかって、赤面してしまったけれど。ここまで来て恥ずかしがってる場合じゃない、よね。  
 ゆっくりとファスナーを下ろす。何枚かの布地をかきわけるようにして、手を差し入れる。  
 勢い良く飛び出してきたソレをつかむと、「うっ……」といううめき声が、聞こえてきた。  
 ……だ、大丈夫……だよね……?  
 思った以上に大きいソレを、ゆっくりと両手でこすり始める。  
 この行為……その、噂程度には知っていたけれど。実はやるのは初めてだったりする。  
 だ、だって恥ずかしいじゃない! いくら何でもっ……  
「つまんねえのー。おめえな、それって男の夢なんだぜ? 口で……なんて贅沢言わねえからよ。せめて手でくらいやってくれてもいいだろうが?」  
「やだっ! 絶対、ぜーったい嫌っ!」  
 なんて会話を交わすのはしょっちゅうだったんだけど。  
 トラップを気持ちよくさせてあげたい……そう考えたら、自然に、手が動いていた。  
「うあっ……」  
「え、えと……い、痛くない? 大丈夫?」  
「……だい、じょーぶ……」  
 漏れる声は苦しげ。  
 ああ、わかる……わたしも、その……トラップにソコとか攻められてるときって、まともに声が出せないもん……気持ちよすぎて。  
 え、えと……そ、そんなに感じてくれてるのなら。ここはやっぱり、口……でもしてあげるべき、なんだろうか?  
 い、いやいやっ! で、でも、それはさすがにっ……  
 手の中で大きさを増していくモノ。  
 その、決して汚いとか思ってるわけじゃなくて……何と言いますか……ほ、本当に口に入るの? なんて思ってしまったというか……  
 はっ! そ、そうそう! 何だか忘れかけてたけどっ……わ、わたしって、運動になる、って言われたから、こんなことしてるんだよね? ねっ!?  
 だ、だったら、ここで……その、トラップにイかれてしまっては、困るわけでっ……  
 
 自分にそう言い聞かせて、わたしは「ほう」と息をついた。  
 それが、既にただの言い訳になっていることに気づいて。  
 何だか、嬉しかった。  
 わたしが一生懸命……その、動いてあげて。トラップがそれを喜んでくれる。感じてくれる。  
 それが何だか、とても……とっても、嬉しかった。  
 と、トラップにしてもらうのも気持ちいいけどっ……た、たまには、こういうのも……悪くない、かな?  
「じゃ、じゃあ……トラップ。その……いく、よ?」  
「……おめえは? 準備……してやんなくて、大丈夫?」  
「だっ……だいじょうっ……ひゃんっ!?」  
 不意に、手が伸ばされた。  
 いつもなら焦らすだけ焦らして、最後の最後まで触れようとしない場所。  
 そこをダイレクトに攻められて、思わず声が漏れる。  
 そんなわたしの様子を見て、トラップは嬉しそうに笑った。  
「ほおお……もうこんなに濡らして。イケナイ子ですねえ、パステルちゃーん?」  
「……そうだよっ」  
 そう言い返すと、トラップの目がまん丸に見開かれた。  
 ふ、ふんだ。今日はいつものわたしじゃないんだから。いつもいつも……そうやってからかわれていいようにあしらわれてるわたしじゃないんだからっ。  
「そうだよっ。わたしはイケナイ子……そんな子じゃ、トラップは嫌? いいの? そんなこと言っちゃって……わたし、このままやめちゃうから」  
「……んだと?」  
「トラップだって……こんなになっちゃって。わたしがやめちゃっても、いいの?」  
 つん、と、わざとらしくソコをつつくと。  
 トラップは、一瞬物凄い目でにらんできたけれど。やがて、「はああ」とため息をついた。  
「わかった。俺が悪かった……んじゃあ、お願いします、女王様?」  
「だ、誰が女王様っ……ひゃあんっ!?」  
 するりっ  
 太ももを撫でていた手が、またソノ部分を攻め立ててきて。わたしは、ギュッと唇を噛み締めた。  
 わ、わかったわよ……早くしろ、って……そういうこと?  
 
 くるり、と体勢を整えて。  
 トラップの目を見たまま、ずるずると後ずさる。  
 とん、とお尻にあたる硬い感触を感じて、ゆっくりと腰を上げた。  
 う……うまく入れられるかな? 大丈夫……?  
 こんな体勢で、しかも自分から……なんて初めてだったから。わたしはかなり不安だったんだけど。  
 熱くうずくその部分にソレを擦り付けていくと、驚くほどすんなりと、身体が沈んで行くのがわかった。  
「あっ……んっ……ああっ……」  
「っ……あー……い、いいっ……」  
 深かった。  
 こんなに奥深くまでトラップを感じたのは、初めてだった。  
 頭のてっぺんまで貫いてしまいそうな……って言うと大げさだけど。本当にそれくらいに、強い、強い刺激が、びりびりと全身を震わせていて……  
「あ……あ、ああっ……!」  
 自然と腰を揺らしていた。  
 繋がった、ただそれだけの状態でもこれだけ気持ちよかったんだから。動けば、もっと、もっと気持ちよくなるんじゃないか……  
 そう思ったら、自然とどう動けばいいのか、わかった。  
「はっ……あ、ああっ……んっ……」  
 ぎゅっ、と目を閉じる。快楽の波が、強く押し寄せてくるのがわかった。  
 わたしの下で、トラップがどんな表情を見せているのかはわからない。ただ、時折聞こえてくる彼のうめき声は、確かに同じ快感を彼に与えることができたんだ、と確信させてくれて……  
「っ……や、ああっ……!」  
 全身から汗が吹き出すのがわかった。  
 痛みすら感じるほどに腰を振って、腕と膝で、身体を持ち上げて。  
 しびれのような感覚はどんどん大きくなって、ものを考えることができなくなった。これが……溺れてる、ってこと……?  
 どくんっ!!  
 わたしの中で何かが弾けとんだのは。  
 それからしばらく後のことだった。  
 
「っ……はあっ……」  
「どうだよ? 案外疲れるもんだろ?」  
 ずるり、と崩れそうになったわたしの身体をがっしりと支えて、トラップは、それはそれは満足げな笑みを浮かべていた。  
 確かに……疲れた、かも……  
 はあはあと息をついていると、すっ、と伸びてきた手が、汗ではりついたわたしの前髪を払った。  
 優しい口付けの後、抱きしめられる。その身体は、さっき触れたときより、確実に暖かい。  
「……ど、どう、だった?」  
「どうって?」  
「運動になったかな……そ、その、これ……」  
「……さあなあ」  
 わたしの言葉に、トラップは実におかしそうに笑いながら言った。  
「寝てるだけよりは確実にカロリー消費してる、と思うけどな。おめえさあ、そんなに気になるか? 体型」  
「き、気になるわよ、そりゃあ!」  
 あ、当たり前でしょ!? 大体あんたが言ったんじゃないの! 太った太ったって!  
「お、女の子はっ……男の人以上に、スタイルとか気にするんだからっ……ちょっとでも痩せたいって、女の子なら、誰でもそう思ってるんだからっ!」  
「ほお。そんなもんかねえ……ぎすぎす痩せてるより、ちっとふっくらしてる方が好みだ、っつー男はいくらでもいると思うけど?」  
「それでもなのっ!」  
「はいはい」  
 わたしの言葉に肩をすくめて、トラップはぽんぽんと背中を叩きながら言った。  
「んじゃ、またやろうな? いやあ、おめえの方から動いてもらう……ってのも、悪くねえっつーか。かなりいいっつーか……おめえのダイエットが成功するまで、いっそずっとこうすっか? 毎日でも何回でも、協力してやんぜ?」  
「〜〜〜〜〜〜っ……!!」  
 言われた意味を悟って、  
 わたしは、ばしっ! と、彼の背中を思いっきりひっぱたいていた。  
 
 せっかくお風呂に入ったのに。ええ、その……運動、をしたせいで、また汗びっしょりになってしまった。  
 ので、わたしはもう一度お風呂に入ることにした。トラップは、「腰がだるい」なんてわけのわからないことを言って、まだ寝てる。  
 わたしも実は、慣れないことをしたせいか、かなり腰が痛かったんだけどね……だけど、こんな汗びっしょりのままじゃ、気持ち悪いし……  
 替えのタオルを抱えて、ガラリ、と脱衣所のドアを開ける。すると、そこに先客がいた。  
「……きゃあああ!!?」  
「ぱぱぱパステルッ!!?」  
 そこに立っていたのは、クレイだった。いや、それはいい。彼だってこの家の住人なんだからして。どこにいてもそれは全く不思議なことじゃない。  
 問題だったのは、クレイもさっきのわたし同様、腰にタオル一枚巻いただけ、という姿だったことで……  
「きゃあきゃあきゃああああっ!!?」  
「ご、ごめんっ! ちょ、ちょっと待って!!」  
 ばたんっ、と部屋から飛び出すわたしにかけられる慌てふためいた声。  
 よーく考えたら、先に中にいたのは彼なんだからして、謝るとしたらむしろわたしの方なんだけど。  
 まあその辺、クレイの人の良さが出てるよねえ……っていうか、み、見ちゃった……クレイの裸……い、いや、そりゃあもちろん肝心の部分はタオルで隠れてたけど。トラップと違って、クレイって……  
 ……って何考えてるのよわたしったら――!!?  
「ご、ごめん。もういいよ?」  
 わたしが一人で赤くなって悶えていると。中から遠慮がちな声が響いてきて、ようやく冷静になることができた。  
 お……落ち着いて。落ち着いてパステル。何だかわたし……トラップと付き合い始めてから、どんどん変なこと考えるようになってない……? ううう……  
 心で泣きながらそっとドアを開けると、パジャマ姿のクレイが、真っ赤になってうつむいていた。  
「ご、ごめんね、クレイ」  
「いや……いいけどさ。あ、ところで、パステルは一体何の用だったんだ?」  
「あ、うん。お風呂に入ろうと思って」  
 
 どうにかこうにか普通に会話を進めることができて、わたしが一人ホッとしていると。  
 そのとき、クレイの足元に、体重計が引っ張り出されていることに気づいた。  
 ……今までは滅多に使われなかったのに。どうしていきなり大人気になってるんだろう、これ。  
「クレイも体重とか気になるの?」  
 それに視線を落として、わたしが何気なく聞くと。  
 彼は、「いや。出しっぱなしになってたからさあ」なんて言いながらそれを取り上げて。  
 そして、事も無げに続けた。  
「けどさ。やっぱり、安物は駄目だな。それとも、長いこと使ってなかったせいかな?」  
「……え?」  
「いや、針がさ、動いてたから」  
 ……????  
 わたしがわけがわからない、という顔をしていると、クレイは、ほら、とわたしの方に見せてきた。  
 上に何も乗っていない状態なら、常にゼロを差しているはずの針。  
 それが今、4と5の間くらいの位置をふらふらしてて……  
「だから、今度からこれ使って量るときは、数字マイナス4くらいで考えないと……パステル? パステル?」  
 不思議そうな顔をするクレイに背を向けて、わたしは走り出していた。  
 ただ壊れただけ……なんて考えは浮かばなかった。あのときの彼の心底面白そうな顔を見たら! 一体何をしたか……そんなのは考えるまでもない。  
「トラップ! あんた……わたしを、騙したでしょおおおおお!!」  
 大きな家の中に。  
 わたしの絶叫が、響き渡った。  

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