何でこんなことになったんだろうな、と思う。
俺はパステルが好きだった。いつからかはわかんねえ。ひょっとしたら出会ったときからかもしれねえ。
それが否定できないくらいにずっと前から、あいつのことを思っていた。
なのに。
今、俺がベッドに押し倒している女は……パステルじゃねえ。
マリーナ。ずっと小さい頃から一緒に暮らしていた、俺の幼馴染。
家族と一緒だった。妹みてえな存在だった。
美人で、スタイルが良くて頭が切れて。けれど、それだけ多くの長所を兼ね備えていながら、あいつはいつも、どこか引け目を感じているような寂しげな目をしていた。
孤児だった、という過去が、所詮は拾われた子供だという引け目が、あいつにそんな目をさせているんだと……
そうとわかったとき、守ってやりたい、と思っていた時期があった。
一緒に暮らしていた頃のことだから、15のときまでか……もう四年も前のことになる。
そう。確かにその頃は、俺はマリーナに惚れていたのかもしれねえ。それは否定できねえ。
けれど、今は違う。あの頃は好きだったとしても、今俺が惚れている女は、マリーナじゃねえ。
何故なら。こうして、夜、二人っきりでこんな体勢でいながら、俺は、マリーナのことを見ていなかったから。
押し倒しておきながら、服に手をかけておきながら。俺が見ていたのは、決してマリーナ自身じゃなかったから。
「なあ……何で俺達、こんなことになってるんだろうな……?」
「知らないわよ」
俺の視線を受け止めて、マリーナは、寂しげな目で笑った。
「知らない。だけど……確かなことは」
抵抗は無かった。
ボタンを一つ一つ外していくと、豊かな胸があらわになった。
あいつの身体とは、随分違うな……
無意識のうちに考える。恐らく、大抵の男なら……パステルとマリーナなら、マリーナの方が魅力的な身体だと、そう思うんだろう。
けど、俺にとっては……
「あんたはわたしを見ていない……わたしもあんたを見ていない。それだけは、確かだと思わない? トラップ……」
「……ああ、そうだな」
言われた言葉に頷きながら、ブラウスを全開にする。
胸に手をあてがって力をこめると、マリーナは、「あんっ……」と小さく呻いて、微かに微笑を浮かべた。
「不思議ね……どうしてこんなことになってるのかしらね。わたしはあんたのことを、本当の兄貴みたいに思ってたのに」
「……そうだな」
自嘲的な笑みがこぼれる。
あの頃、ガキの頃マリーナに抱いていた思いは、恋愛感情だったのか。あるいは、妹を守ってやりたいという思いだったのか。
どっちとも言えねえ。恋愛だったんだ、と言われれば否定できねえし。家族に対する愛情だったんだ、と言われたら、そうかもしれねえとも思う。
だけど、今は……
今は、マリーナをどう思う? と言われたら、はっきりと言い切れた。「大切な幼馴染だ。本当の妹と同じくらいに大切な……家族と同じ存在なんだ」と。
「女」じゃねえ。「妹」だ。
そして、マリーナにとっての俺は、「男」じゃなくて「兄貴」……
それでも。
今、俺とマリーナは、こうして身体を重ねようとしている。
きめ細かな肌は手に吸い付くようで、自然と顔を寄せていた。
鼻腔を甘い香りがくすぐる。舌を這わせると、マリーナの声が大きくなった。
……何で。
何で、こんなことになったんだろうな?
渦巻く疑問に答えられる奴はいねえ。
機械的に手を動かしながら、俺は……マリーナの顔を通して、あいつを……パステルの顔を、思い出していた。
どうして、こんなことになったのかしらね……
トラップの身体の重みを受け止めながら、わたしは目を閉じていた。
顔を見れば現実を知ってしまうから。今わたしを抱こうとしているのはトラップで……あの人じゃないって、わかってしまうから。
そんなの、見るまでもないでしょう?
冷静な自分が頭の片隅で囁いているけれど、わたしはそれを、あえて無視していた。
ええ、わかっているわよ。トラップとあの人は全く似ていない。赤の他人。別人。
わたしはトラップを、そんな対象として見たことはなかった。家族だと思っていた。本当の兄だと思っていた。
それなのに、どうして今トラップに抱かれようとしているのか……その答えは、わかりきっていたから。
だから、目を開けることができなかった。
すっ、と手を伸ばして、トラップの背中をなでる。
手の下から伝わってくるのは、よく鍛えられた筋肉の動き。
いつの間にか、立派な男になったじゃない……小さい頃は、運動だって勉強だって、いつだってわたしに勝てたことはなかったくせに。
そんなことを思い出すと笑いが漏れた。その笑いを、トラップがどう解釈したのかはわからないけれど。彼は何も言ってこなかった。
ただ、その手の動きは、休まることがない。
「あっ……」
すいっ、と胸をなで上げられる。先端をもてあそびながら、同時に、唇が、肌の上を蹂躙していく。
「っ……相変わらず……器用じゃない……」
巧みな指の動きに、瞬間的に理性がとびそうになった。
必死にそれを堪えていると、耳たぶを軽く甘がみされて、うめき声が漏れた。
……巧いわね……
素直にそう思う。
トラップに経験があったとは思えない。あいつの気持ちは知っていたから……あいつが一途に誰を見ていたか。わたしは、再会したその瞬間からわかっていたから。
だけど、彼女の性格を考えれば……そして今、わたしを抱こうとしていることを考えれば。
この年まで、トラップはずっと童貞だったんじゃないか、と、そう思う。ううん、それは最早確信。
……言わないけどね。そんなことを聞いたら、プライドの高いあいつだもの。何を言い出すかわからないし。
第一、わたしだって……初めてだし、ね。
「うっ……あ、はあっ……んっ……」
「おめえ……あんまでっかい声出すなよ……」
胸をいじっていた手が背中に移動して、すいっ、と背筋をなで上げられて。
ぞくっ、と走り抜けた悪寒に身もだえしていると、トラップは、困ったようにつぶやいた。
「聞こえるかもしんねえぜ? 隣の部屋で寝てんだからな、あいつら……」
「……そう、思うなら……もうちょっと、手加減してよっ……」
トラップの口調が何だかおかしくて、目を開けた。
気がついたら、涙がこぼれそうになっていたみたい……
ぼやける視界に、少なからず驚く。
エッチのときは、気持ちいいと目が潤む、って聞いてたけど……本当ね……
「案外、辛いのよ? 声をあげないように我慢するのって……」
「……そりゃ褒め言葉か? 俺のテクがすげえってこと?」
「自意識過剰ね、相変わらず……でも、そうね。今回はそういうことにしておいてあげるわ」
「言ってくれるじゃねえの」
そう言って、トラップは……ぐるんっ、と、わたしの身体をひっくり返した。
それまでの仰向けの体勢から、うつぶせの体勢へと。
「ちょっと……トラップ……?」
「バックからの方が、男は気持ちいいんだってよ。試させてくんねえ?」
「……女は、この体勢相当恥ずかしいのよ?」
「けど、おめえだってこっちの方がいいんじゃねえ?」
そう言って、トラップは、酷くかすれた笑い声をあげた。
「顔見ねえで済む方が、いいんじゃねえ? お互いによ」
「…………」
それは、そうかもしれないと素直に思った。
この体勢なら、わたしの目にとびこんでくるのは、いつも愛用している枕だけ。
顔を見ないで済む。目を閉じなくても済む。
今わたしを抱いているのがトラップなんだと、思い知らされなくても済む。
「……そうね。いいわよ、好きにして」
「話せるな、おめえ……」
きっと、今……わたしも、トラップも、同じような表情をしてるんでしょうね。
自分が馬鹿なことをしてるっていうのはわかってるのに。それでもやらずには……すがらずにはいられなかった。
そんな自分を嘲っている、そんな笑いを浮かべているんでしょうね……
すいっ、とお尻をなでられて。わたしは、声をあげないように、きつく枕を噛み締めた。
エベリンに来たのは買出しのためで、マリーナの店に立ち寄ったのは近くに来たからだった。
だけど、そんな時にこんなことをしようとしたのは……思いを打ち明けようとしたのは。
ただの話の流れから来た勢いで、それとは無関係もいいところだった。
「あんた達が旅に出てから、もう四年になるわね」
「……もうそんなになるか?」
他の連中は買出しだ散歩だと出かけていて。
今、この家には、マリーナと俺しか残されていなかった。
本当は俺も出かけようとした。何しろここはエベリン。この街に来ると、パステルはかなり高い確率で迷子になるからな。どうせ探しに出る羽目になるのなら、一緒に出かけてやろう、と、そう思った。
それなのに。「一緒にいってやろうか」という俺の申し出を、パステルはあっさりと拒否しやがった。
「いいわよ別に。それより、マリーナと話したいんじゃない? 久しぶりでしょ。会ったのは」
そう言って、あいつはルーミィとシロ、それにクレイと一緒に、近所でやっているフリーマーケットを見に出かけた。そして、キットンとノルが買出しに出かけて。
俺は、マリーナと二人、テーブルで茶をすすっているところだった。
「まだまだ冒険者を続けていくつもり?」
「ああ、多分な」
「家に戻らずに? 今のパーティーで?」
「そだな。解散するって話はまだ聞かねえから、そうなんじゃねえの?」
パステルがクレイと出かけた(いや、確かにルーミィとシロというお邪魔虫も一緒なんだが)という事実が面白くなくて、俺がぶっきらぼうにつぶやいていると。
そんな俺を面白そうに眺めて、マリーナは、低い笑い声をあげた。
「あんた、いつまでこの関係を続けてるつもり?」
「あん?」
マリーナの言った意味がよくわからなくて、俺が顔をしかめていると。
世間話の続きでもするかのような何気ない口調で、彼女は続けてこう言った。
「パステルと、今みたいな……家族ごっこみたいな関係を、いつまで続けていくつもり?」
「ぶっ!?」
飲みかけていた茶をふきだしてしまう。
そんなわけはねえとわかってはいても。心を読まれたんじゃねえか、と、そんな気がして。
「ごっこ……ってなあ」
「あら、違う? パステルはいつも言ってるわよ。パーティーの仲間は大切な家族と一緒なんだ、って」
そう言って、マリーナは、どこか気の毒そうな目で、俺を見た。
「けど、家族じゃない……血は繋がっていないし生まれも育ちも全く違う赤の他人。家族みたいに思っていても家族じゃない……そうでしょう?」
「……ああ」
言われた言葉に、素直に頷く。
そうだ。どれだけ家族……いや、それ以上の時間を共有しようが。
俺達は家族じゃねえ。いつかは絶対離れ離れになる存在だ。そんなことは、パーティーを組んだときからわかっていた。
そして。
わかっていたからこそ、俺は、パステルを……そういう目で、一人の女を見る目でしか、見ることができなかった。
「あんたは、今の関係に満足してるの?」
「……どういう意味だ?」
「わたしが、あんたの気持ちをわかってないとでも思ってるの?」
「…………」
気づかれねえように舌打ちをする。
ああ、そうだな。確かにそうだろうよ。
子供の頃から、マリーナを相手に嘘を突き通せたことなんか一度もなかった。こいつは妙に勘が良くて、頭が良くて。俺がつく浅はかな嘘なんざ、すぐに見抜いちまう奴だから。
「満足なんか、してるわけねえだろ」
「…………」
「そうだな、もう四年だ。そんで、これから何年つきあってくことになるんだろうな……解散するときまで待つとしたら、一体何年待てばいいんだろうな?」
「どうして、解散するときまで待とうと思うの?」
「決まってんだろ? ……ぎくしゃくするのが、嫌だからだよ」
ため息が漏れる。
パステルのことが好きだ。それは、もう否定するつもりもごまかすつもりもねえ。
隠し通せないほどに気持ちが大きくなっていることは、自分が一番よくわかっていた。
それでも、思い切って告白しようなんて気になれねえのは……振られたときのことが怖いからだ。
その後二度と会うこともねえ関係だと思えば、思い切った冒険もできる。けど、俺達はそうじゃねえ。告白を受け入れられようが、振られようが、その後、同じパーティーとして、嫌でも顔を突き合わせていくことになる。
そんなとき、変に意識しちまうのが……あいつの笑顔が見れなくなるのが怖かった。
だから、俺は……冒険者のくせに、冒険することができねえ。
「……意気地なし」
俺の思いをどこまで正確に読み取ったのか。
そんな俺を見て、マリーナが吐き捨てたのは……今の俺を端的に表す、実に正確な言葉だった。
「意気地なし」
そう言ってやった途端、トラップは、いつものあいつからは信じられないほど気弱な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな。自分でもそう思う」
「……あんたがそんな風に素直になるなんて、珍しいわね」
「おめえ相手に気取ってみせたってしょうがねえだろうが」
「…………」
そんなものかしらね。
確かに、気取って見せたって、強がって見せたって、すぐに見抜く自信はあるけれど。
わたしは、子供の頃……十年近くも、トラップと同じ家で、同じ親に育てられてきたのよ? 血は繋がっていなくても、実の兄貴と同じ。わたしは、そう思ってるから。
「そうね……確かにそうかもね。トラップのつく嘘なんか、すぐにわかるわ」
「そうだろ」
「けど、それは、あんたも同じじゃない?」
つぶやく言葉に、トラップは「あん?」と、わずかに眉を上げた。
どうして言おう、って気になったのかはわからないけれど。
一方的にトラップを非難しておいて、何も言わないのは卑怯だと思った。
わたしは、子供の頃、トラップには随分お世話になった。
孤児で、両親が、家族がいない寂しさを、トラップは、その騒がしさで随分と埋めてくれた。
あいつが気づいているかどうかは知らないけど、わたしはずっと感謝していたのよ? そのことに。
だから、あんたには……卑怯なことは、したくないのよ。
「わたしが嘘をついても、あんたならすぐにわかるでしょう?」
「……どうだかな。パステルの嘘なら、すぐにわかる自信はあるけどな。おめえは嘘がうまいから」
「それでも、わかるんでしょう?」
重ねて聞くと、トラップはしばらく逡巡した後、「多分な」とつぶやいた。
嘘ばっかり。
「多分」じゃないわ。「絶対」よ……いつだって、わたしは元気で強いわたしでいようと、みんなに心配かけたりしないようにしようと、明るく振る舞っていたけれど。
傷ついたり、泣きたかったりしたとき。トラップは、敏感にそれを察して、ぶっきらぼうに「何かあったのか」って聞いてくれた。
それは今でも変わってない。だから……
わたしは、あんたにだけは、素直な思いを打ち明けようって気になれるのよ。誰よりもわたしのことをわかってくれる、大切な兄貴だから。
「わたし、さっき、あんたにすっごく卑怯なことをしようとしたのよ」
「何だそりゃ?」
「あんたをダシにして、自分も勇気を出そうとしたの」
「…………」
わたしの言葉に、トラップは、わずかに笑みを浮かべて、「へえ」とつぶやいた。
「俺をダシに? どういうこった?」
「……あんたがパステルに気持ちを伝えることができたら、わたしも自分の気持ちを伝えようって思った」
「気持ち?」
「わたしの気持ち……あんたは、知ってるんでしょう?」
そう言うと、トラップはしばらく黙った後、「ああ」と頷いた。
わたしの気持ち。
わたしが、ずっとずっと……それこそ、子供の頃からずーっと思い続けていた人。
クレイ。
トラップの幼馴染にして、わたしの幼馴染でもある人。家柄、身分、外見、性格、実力……およそ、ありとあらゆる要素を何でも兼ね備えた、わたしにとっては手の届かない存在。
それでも好きだった。彼には婚約者がいて、実らないとわかってはいても……それでも、諦めきれないくらいに、好きだった。
その気持ちは、今でも変わっていない。
「本当は、ずっと傍にいたいって、そう思ってるのよ」
「…………」
「あんたが、パステルに思いを打ち明けてくれたら……勇気を出したら、わたしも勇気を出そうって、そう思った」
「おめえがそんなこと言うなんて、らしくねえな」
そう言って、トラップは小さく鼻を鳴らして、もうすっかり冷め切ったお茶を飲み干した。
「いちいち誰かと一緒でねえと行動できねえような、そんな女じゃねえと思ってたけどな」
「馬鹿言わないでよ。わたしはそこまで強い女じゃない」
安心したいから。
クレイをパステルに取られたりしない……思いを打ち明けるなら、それを確信してからだと。
そう思ったからこそ、トラップをたきつけようとした。
本当に……卑怯よね、わたしって。
「パステルって、魅力的よね」
「……パステル当人に言うなよ。何の嫌味かって思うだろうな。あいつはおめえに、変なコンプレックス抱いてるみてえだから」
「そうね」
パステルのわたしを見る目。
羨ましそうな、ほんの少しだけ妬ましそうな目を思い出す。
いつも言っていた。「マリーナみたいになりたい」と。強くて、頭が切れて、何でもできて……そんな女の子であるわたしが羨ましいと。
それを聞いて、わたしがどれだけ悲しい気分になったか。きっとパステルは知らない。
わたしの方こそパステルみたいになりたかったんだから。いつも明るく素直に笑っていられるパステル。何の屈託もなくクレイと話すことが、傍にいることができるパステル。
もし、わたしが男だったら。
きっと、わたしは自分よりもパステルを選ぶ……それを確信しているからこそ、悲しくて、妬ましかった。
もしかしたら、クレイもパステルを見てるんじゃないか。
自分の勘は鋭い方だと思っているけれど。クレイとパステルに対してだけは……わたしは、素直に見ることができない。
だから、彼らの気持ちはわからない。彼らがどう思っているのか……もしかしたらお互いに好きあってるんじゃないか。その思いを、捨て去ることができない。
「あんたが、パステルに告白してくれたら……そうしたら、パステルの気持ちがわかると思った。わたし、パステルのことが大好きだから、悲しませるようなことはしたくないのよ。もし彼女があんたじゃなくクレイを好きだって言うのなら、わたしは身を引くつもりだから」
「…………」
「本当に、悪いわね。意気地なしなんて言って……本当に意気地なしなのは、わたしの方なのにね」
「いや」
わたしの言葉に、トラップは苦笑を浮かべて首を振った。
「謝ることはねえよ……俺も同じようなこと、考えてっからな」
「え?」
つぶやくわたしに、トラップはかすれた声で言った。
「おめえがクレイに素直に気持ち打ち明けて……それでクレイを奪ってくれりゃあ、もっと楽に気持ちを伝えることができるのに、って。そう思ってるからな」
「…………」
「多分な、おめえがパステルに抱いてるのと同じようなコンプレックスを、俺もクレイに対して抱いてる。自分に自信がねえ。クレイよりいい男だ、なんて言ってやれねえ。
パステルが例えクレイを好きだとしても、強引に奪ってやる……そんな風には思えねえ。だあら……思いきれねえ」
「似てるわね、わたし達」
「ああ、本当にな……さすがは兄妹だな……」
そう言って。トラップは、とん、とテーブルを指で叩いて。
じっと、わたしの目を覗きこんできた。
「……なら、いっそ。同時に……言っちまうか?」
「え?」
一瞬、何のことか、という表情を浮かべるわたしに、トラップは、ひどく軽い……それでいて不安げな笑みを浮かべて、言った。
「同時に、だよ。このまま、どっちも『あっちが気持ち伝えてくれねえかなあ』なんて思って待ってたら、埒があかねえだろ……なら、いっそ、同時に勇気を出す、っつーのは、どうよ? そうすりゃ公平だ。そうだろ?」
「……本気で言ってるの?」
「ああ」
わたしの言葉に、トラップはためらいなく頷いた。
「わたしとあんたは……違うわよ? わたしは、例え振られても……一緒のパーティーにいるわけじゃないから。しばらく距離を置くこともできる。だけど、あんたはそうもいかないでしょう?」
「いいんだよ」
そう言って。トラップは、組んだ手の上に額を押し付けた。
「どうせ、もう……我慢は長くは続かねえだろうからな。俺の告白でおめえを勇気づけることができんのなら、それも悪くはねえだろう」
「…………」
そんな風に言われたら、「嫌だ」なんて言えなくなるじゃない。
わたしも思ってる。このままクレイと離れてしまうのは嫌だって。ずっと一緒にいたいってすがりつきたいんだって、そう思ってるから。
「……わかった。じゃあ、今夜。二人で、勇気を出しましょう?」
「ああ。そうだな……」
そう言って。わたし達は、どちらからともなく、疲れた笑みを浮かべた。
「パステル。ちっと話があんだけどよ。いいか?」
「……え?」
その夜。
帰って来た皆と食卓を囲んでの夕食の後。俺は、そう言って、パステルを家の外に連れ出した。
冷たい風が吹き抜けていく。それにぶるっ、と身震いするパステルを見て、反射的に、その身体を抱き寄せたくなった。
……待て、俺。落ち着け。焦るな……
そう言い聞かせながら、「来いよ」と声をかけると、パステルは不審そうな顔をしつつも、大人しくついてきた。
勇気。勇気、か……
家から少し離れたところで振り返る。真正面からパステルの顔を見据える。
出会ってから四年。その間、ずっとずっと……見つめ続けてきた。
どれだけ見ても飽きることがなかった。豊かな表情で、素直な言動で、俺をあったかい気分にさせてくれた。
ずっと一緒にいたいと、素直にそう思えた相手だった。
だからこそ……関係が壊れるのが怖かった。
けど、鈍感なこいつは気づかねえ。俺の思いに気づかず、いつだって無防備な笑みを浮かべて。
このままだと、遠からず俺は……こいつを前に、理性を保っていることができなくなるだろう。
それはまずい。こいつを傷つける。それだけは避けたい。
それくらいなら……
「話って、何?」
「……全然想像つかねえの、おめえ?」
「想像って?」
本気でわからない、という顔をされてしまう。わかっちゃいたが……ため息しか漏れねえな、最早。
「まあいいさ。おめえならどうせ気づかねえだろうって、そう思ってた」
「何よそれ。……それで? 何が言いたいの、トラップ?」
「……だあら」
手を伸ばして、二の腕をつかむ。
引き寄せると、戸惑ったような表情が、すぐ目の前に迫ってきた。
「……好きなんだよ」
「え?」
唇を奪ってやりたい、という不埒な考えをどうにか脇へ退けて。
俺は、つぶやいていた。ずっと言いたくても言えなかった言葉を。
「好きなんだよ、おめえのことが。ずっと前から好きだったんだ」
「……トラップ……?」
パステルは、しばらくぽかんとしていたが……俺が嘘や冗談を言ってねえことはわかったんだろう。みるみるうちに、その顔が真っ赤に染まった。
「あ……の、それって……」
「…………」
「それって……その……」
声が段々と小さくなっていく。視線をそらされる。
その顔を見た瞬間。俺の心を支配したのは、「やっぱり」という思いと……失望。
無理なんじゃねえか、とは思っていた。覚悟だってしていた。
それでも……いざ、言われると。やっぱショックだな……
「……わりい」
「え?」
「困らせるつもりじゃなかったんだよ。……わりいな、変なこと言って」
「ううん」
俺の言葉に、パステルは、首を振って、にこっと笑った。
「気にしないで……ねえ、トラップ。あのね、わたし……自分の気持ちには、素直になった方がいいって。そう思うんだ」
「……あ?」
返された言葉の意味が、わからなかった。
……素直?
「どういうこった?」
素直……になったから。俺は今、こうしておめえに告白したんだぜ? ……ふられちまったけど。
なのに……これ以上、何をどう素直になれって言うんだ?
「パステル?」
「あの、あのね、わたし、やっぱり間違ってると思う」
「……何がだよ」
「だって、トラップの本当に好きな人って……マリーナなんでしょう?」
一瞬というには長い時間、呆ける羽目になった。
な……何で、そこで……マリーナがっ……!?
「おめえ、あに言って……」
「言わなくてもいいよ。わたしわかってるから。ずっと前から気づいてたから」
そう言って、パステルは無邪気な笑顔で、残酷な台詞を吐いた。
「マリーナ、美人だもんね……トラップが不安になるのわかるし。もっと手ごろな相手で手を打とうって、そう思う気持ち、わからなくもないよ。けど、そんなのってよくないと思う。やっぱり、どれだけ見込みがなくても、本当に好きな相手だけを思い続けた方がいいと思うよ?」
「…………」
「頑張ってね、わたし応援してるから。好きだって言われたこと、気にしてないから。じゃあね」
そう言って。
パステルは、ひらひらと手を振って、マリーナの家へと戻って行った。
握り締めた拳が、震えるのがわかった。
こんな返事をもらうくらいなら。
それくらいなら、「クレイが好きだ」とでも言われた方がずっとマシだった。
……何で。
おめえは、何で……そうやって……いらねえところにばっかり気を回して、肝心なところでは鈍感でっ……
やり場のねえ怒りを抱いて。
俺は、いつまでも、そこに立ちすくんでいた。
「ねえ、クレイ。ちょっといいかしら?」
トラップがパステルを連れ出したのを見て、わたしは、そっとクレイに声をかけた。
「ん? どうしたんだ、マリーナ」
「ちょっと……ね」
トラップ達に続いてわたし達まで立ち上がったのを見て、ルーミィとシロちゃんが不思議そうな顔をしていたけれど。
キットンとノルは、大体のところを察してくれたんだろう。「ルーミィ、そろそろ寝ましょうか」と、外へ連れ出してくれた。
……ありがとう。トラップは幸せよね、理解あるメンバーに恵まれて。
そっと感謝の視線を送って、わたしはクレイを連れて、別の部屋へ移動した。
キットン達が部屋へ戻ってくれたんだから、このまま同じ部屋で話を続けてもよかったんだけど。これは一種のけじめみたいなもの。
トラップは勇気を出した。だから……次は、わたしの番。
「あのね、クレイ」
「どうしたんだ?」
改まって言うと、クレイは、驚いたようにまばたきを繰り返していた。
「急に真面目な顔して。どうしたんだ?」
「……失礼ね。それじゃあ、まるで今までのわたしが真面目じゃなかったみたいじゃない?」
「あ……悪い。そんなつもりじゃなかったんだけど」
軽くにらむと、クレイは慌てて言ったけれど。その表情には、どこか不審そうな色が漂っていた。
「それで……何なんだ?」
「…………」
大きく息を吸い込む。
ずっとずっと胸に秘めていた思い。それを、ぶちまけてしまうために。
「クレイ……わたしね、ずっと小さい頃から、あなたのことが好きだったのよ?」
「……え?」
そう言ったクレイの顔は、トラップあたりが見たら爆笑しそうなほどに……呆けていた。
一体何を言い出すのか、と、そんな目で。
……ここで、目をそらしちゃいけない。
ぐっ、とその視線を受け止めて、跳ね返す。
わたしは、嘘を言ってるわけでも、冗談を言ってるわけでもないわよ?
本気でそう言ってるんだから。
「好きなのよ、あなたのことが」
「ま、マリーナ? それは……」
「……サラのことは知ってるわ。あなたとわたしなんて、不釣合いもいいところだから。諦めようとしたけれど。でも……いつまで経っても、諦めることなんてできないだろうから」
息を吐き出す。その頃にはもう、クレイの返事は想像がついていたから。
「だから、このまま黙って幼馴染の振りをしているのは、もう無理だろうなって思ったから……気持ちを伝えようと思ったのよ。悪いわね、急に」
「あ……いや、その……」
クレイは目を白黒させていたけれど。わたしは見逃さなかった。
その表情に、困惑の色は走っていても……喜びの色は、見えないことを。
……クレイの気持ちだけは素直に読めないって嘆いてたのは、ほんの何時間か前のことなのに。
こんなときだけ、すんなりわかってしまうなんて……残酷よね。
「ごめんね……迷惑だったでしょう」
「あ、いや……迷惑、なんて。そんなことはないけど……」
わたしの言葉に、クレイはどう答えたものか……としばらく逡巡していたけれど。
やがて、小さく頭を下げた。
「でも、ごめん。俺……マリーナのことは、そんな風に見れない。ずっと小さい頃から一緒だったから……俺は君のことを、本当の妹みたいに思ってたんだ。そして、今でもそう思ってる。だから……」
「…………」
それは予想していた答えだった。
溢れそうになった涙を、必死に堪える。
泣いちゃ駄目……泣いたら、きっと、このどこまでも優しいこの人は、苦しむだろうから。
わかっていたんだから。彼はわたしのことをそんな目では見ていない……それは、わかっていたことだから。
だから、泣いたりなんか、しない。
「……いいのよ、謝らないでよ。……わかっていたことなんだから」
「でも……」
「わかっていたから。わたしなんかじゃ、あなたにはつりあわないって……彼女には敵わないって、わかってから。だから」
「マリーナ、それは違うよ」
わたしの言葉に、クレイは、慌てて首を振った。
「俺は、別に今誰か好きな人がいるわけでもないし、家柄とか、婚約者とか……そんなことは、全然気にしてないんだ」
「…………」
この台詞を聞いたら、サラはきっと泣くでしょうね……彼女は、いわばライバルなんだけれど。それでも、同情しちゃうわ。
わたしが心の中でこっそりとつぶやいていると。
クレイは、そのままの表情で、口調で、さらりと告げた。ひどく残酷な言葉を。
「だけど、俺はマリーナをそんな目では見れないし、それに見たくないんだ」
「……え?」
「俺は、トラップと親友のままでいたいから」
「…………え??」
一瞬、何を言われているのか、と思った。
トラップ? どうしてそこで、トラップの名前が……
「クレイ?」
「こんなこと、俺の口から言うことじゃないかもしれないけどさ。トラップの奴……ずっと小さい頃から、君のことを見てたんだぜ?」
「……え??」
それは、さっきの言葉の補足、なんだろうけれど。
それでも、意味がわからないことには、変わりなかった。
どういうこと? トラップが……わたしを?
「クレイ?」
「あのさ、昼間のこととか……見て思ったんだけど。多分トラップの気持ちは、あの頃から変わってないんだと思う。あいつは今でも、君のことが好きなんだと思う」
「クレイ、何言って……」
「だからさ……俺は君のことを、恋愛対象としては見れないし見たくないんだ。トラップを悲しませるようなことは、したくないし。あいつに幸せになって欲しいし。だから……」
そう言って、クレイは、もう一度頭を下げて、背中を向けた。
「だから、ごめん」
そのまま、部屋から出て行ってしまう。
けれど、わたしはそれを、引き止めることもできなかった。
ぼろぼろと涙が溢れてくるのがわかった。さっき堪えたよりも、ずっと多くの涙。
ふられることは覚悟していた。
けれど、こんな振られ方をされるくらいなら。
パステルのことが好きだ、と言われた方がマシだった。
クレイ……あなたって。
優しいけれど、残酷よね……
胸の中のつぶやきは、外に漏れることは、決してなかった。
その夜、マリーナの部屋に出向いたことに、何の意味があったわけでもねえ。
他の連中は寝静まっていた。暗い家の中、寝息しか聞こえねえ部屋。
けれど俺は眠れそうになかったから。そんな場所で一人悩んでいるのが辛くて……部屋を出た。
自然に足が向いた。それは予感だった。多分、マリーナも寝ていねえだろうという……確信に満ちた、予感。
案の定、ノックをすると、マリーナはすぐに顔を出した。
その目が腫れているのは、寝起きだからじゃねえな、絶対。
「どうぞ」
「わりいな、こんな時間に」
「別にいいわよ」
短い会話を交わした後、二人並んで、ベッドに腰掛ける。
しばらくどっちも何も言わなかった。マリーナの顔を見ればわかった。こいつが勇気を出せたのか、そしてその結果がどうなったのか。
そして、あいつも俺の結果をわかっているんだろう。……どんな終わり方を迎えたか、までは、わからないにしろ。
「……今の気持ち、正直に言っていいか」
「どうぞ」
「俺さ、今、すっげえおめえのことが……憎い」
そう言った瞬間、隣のマリーナの身体が、びくりと震えた。
……悪いな。けど、昼間も言っただろう? 俺は、おめえに嘘がつけるとは思えねえんだ。
だから……素直に話す。今の気持ちを。
「パステルに振られた」
「……そう」
「それが、笑っちまうんだよな……振られた理由がさ。俺を嫌いだ、とか、クレイを好きだ、とか……家族にしか見れねえとか、そんな理由なら、覚悟してたんだけどよ」
「うん」
「けど。違うんだよ。あいつはな、こう言ったんだ。『トラップの気持ちはわかってるから』ってな」
「……何よそれ。どういうこと?」
さしものマリーナも、このパステルの言葉だけは、理解不能だったらしい。
酷く空しい勝利感を味わう。ようやくこいつの予想を外すことができたんだと、そんな……何の喜びも感じねえ、勝利感。
「俺が好きなのはおまえなんだとさ」
「……はあ?」
「パステルはな、こう言ったんだよ。『トラップが本当に好きなのはマリーナだ。だけどマリーナは美人で高嶺の花だから、手近なところで満足しようとしてるんだろう』ってな。
ようするに、パステルはおまえの代理になるつもりはねえ、別に好きな相手がいるような男と付き合うつもりはねえ、と。そう言ってきたんだ」
「……何、それ」
マリーナが浮かべたのは、皮肉げな笑い。
「あんたらしくもない。そんなのは誤解だって、はっきり言ってあげればいいじゃない」
「言って信じるようなたまかよ。おめえは知らねえかもしれねえけどな、あいつは妙なところで頑固なんだよ。一度こうと思い込んだら、滅多なことじゃそれを曲げねえ……
それもな、ご丁寧にこう付け足していきやがった。『マリーナとのことを応援してる』だとよ」
「…………」
「わりいな。おめえが悪いわけじゃねえんだ。これは俺の身勝手な思いだ。それでも……パステルを憎むことはできねえから。やり場のねえ怒りを、おめえにぶつけてる」
「…………」
「本当に……」
「謝らなくてもいいわ」
「あん?」
何度目かの謝罪は、静かな言葉で遮られた。
振り向けば、マリーナは、微かな笑みを浮かべていた。
「奇遇ね。わたしも同じことを思っていた」
「……あんだと?」
「わたしもあんたが憎いわ。……あんたは何も悪くない。それでも、あんたを憎むくらいしか、この怒りのやり場がないのよ」
「…………」
俺が黙っていると、マリーナは、静かに涙を流し始めた。
久しぶりに見た、こいつの涙。視線が吸い寄せられるのが、わかった。
「わたしも、クレイに振られたわ」
「…………」
「笑っちゃうのよ。パステルを好きだ、って言われるのは覚悟していた。妹みたいにしか見れない、って言われるのも覚悟してた。
けどね、クレイは別にパステルのことは何とも思ってないみたいね。サラのこともね。だけどわたしはそんな対象として見れないんですって。見たくないんですって」
「……あんだと?」
マリーナを恋愛対象として見れない。
それはわかるような気がした。あの鈍感なクレイなら、まあそうだろうなとも思っていた。
けど、「見たくない」ってのは……どういうこった?
「マリーナ?」
「クレイ、言ったのよ……」
溢れる涙を拭おうともせず、マリーナはつぶやいた。
「自分はトラップの親友でいたいから。トラップには幸せになって欲しいし、傷ついて欲しくないから。だからわたしのことは恋愛対象としては見れないし見たくないんだって……」
「…………」
「あんたがわたしのことを好きだから。だから、わたしを好きになるつもりはないって。そう、言ったのよ……」
「……何だよ、そりゃあ……」
マリーナの言葉を聞いて。
感じたのは、怒り。
パステルといい、クレイといい。どうして俺とマリーナをそんな目で見るんだと……そう怒鳴り散らしてやりたくなった。
俺にとってのマリーナは妹だ。昔はどうだろうと。今はそう思ってる。
それ、なのにっ……
「わかるでしょ……?」
震える俺の拳に、そっと自分の手を重ねて、マリーナはつぶやいた。
「わたしもあんたと同じよ。あんたは何も悪くないけれど。わたしもクレイを憎むことができないから……だから、あんたに怒りをぶつけてる」
「…………」
「似てるわよね、わたし達」
「……ああ」
本当に、そうだ。
俺とマリーナは似ている。兄妹だからか。
決して恋愛感情なんか抱けねえ。自分の分身みてえなもんだから。
「……なあ」
だから、きっと。
マリーナの目を見た瞬間、俺は確信した。
きっとこいつも、同じことを考えているんだろうと。
「俺はパステルのことが好きだ。振られても、ずっとな」
「わたしもよ。わたしも、クレイのことが好き……振られても、ずっと」
「だあら。俺は、パステルの望むようにしてやりてえ」
「…………」
その言葉に、マリーナはわずかに目を伏せて、「もしかして」と、口の中でつぶやいた。
「あんた、今……わたしと同じこと考えてない?」
「同じこと?」
何を言いたいかわかっていながら、わざとおどけたように返してやると。マリーナは、力の無い笑みを浮かべて「同じこと」と繰り返した。
「わたしも思ってるわ。クレイのことが好きだから、クレイの思う通りにしてあげたいって」
「……そうか」
「クレイが、望むのなら」
「パステルが、望むのなら」
「わたし……あんたと」
「俺は、おまえと……」
重ねられた手が動いた。指が、からみあう。
肉感的な唇を見つめる。顔を近づけても、それは、逃げようとはしなかった。
『一緒になっても、いい』
全く同時に、同じ言葉が、漏れた。
「っつっ……」
太ももを滑るようにして上ってきた指が、ひどく敏感な場所に触れて。
わたしは、小さくうめいていた。
トラップの指は細い。男にしては随分と。
それでも、それが中にもぐりこんできたとき、小さな痛みが、走った。
「……できれば優しくして欲しいんだけど」
「わりい」
「本当に悪いと思ってるんでしょうね?」
「ああ」
返事はひどく短い。
どうしてかはわかっていた。あんまり長くしゃべっていたら、きっと続けることができなくなるから。
クレイじゃないとわかってしまったら、わたしは拒絶するかもしれない。
パステルじゃないとわかったら、トラップはできなくなるかもしれない。
お互いに、わかりきったことを自分を騙すことでどうにか続けている行為。
それは、何ていうか。ひどく不自然だった。不自然だったけれど、やめることができなかった。
わたしは彼をクレイだと思って、彼はわたしをパステルだと思って。
お互いがお互いを見ていない。そんな、とても不自然な、行為……
「んっ……」
指が、動く。
微妙な部分をこするようにして、自在に動かされる指。
今トラップがどんな顔をしているのかはわからない。けれど、それで良かったと思う。
わたしも、今の自分の顔を見られたくはないから。
「あっ……ああっ……ひっ……」
つつっ、と、生暖かい感触が走った。
指のときよりも遥かに敏感に反応する身体。
中から、何かが溢れてくるのがわかった。
シーツ……汚れるっ……
不意にそんなことが気になって、反射的に閉じようとした脚を、トラップは、がっしりと押さえ込んだ。
「……動くなよ」
「無理言わないで」
「動くと入れにくいんだよ」
そう言って、トラップは、ぐいっ、とわたしの腰をつかんだ。
押し当てられる熱い感触に、ぎゅっ、と目を閉じる。
今ならまだやめられるんだろうけど。でも、やめるつもりはなかった。それは、多分トラップも同じ。
もう決めたんだから。こうするって……決めたんだから。
「痛いんじゃねえかな」
「そう言うわね」
「我慢できるか?」
「できなくったって、するしかないでしょう?」
そうつぶやくと、トラップは「わりいな」ともう一度つぶやいた。
繋がる瞬間の衝撃は、思ったよりも小さかった。
マリーナの中に入った瞬間、感じたのは快感だった。
……こんなもんなのか。
ぐっ、と中まで押し入ると、わずかな抵抗が返って来る。
マリーナの表情は見えねえが、小さくうめいたとこを見ると、相当痛いじゃねえか、とは思うが。
わりい。俺ばっか気持ち良くて。
心の中で謝罪をして、腰を動かす。
バックが一番気持ちいい体位だ、と聞いたのは誰からだったか。
確かに快感だった。けれど。
心はちっとも満たされなかった。
当たり前だ。ここにいるのはパステルじゃねえ。パステルだ、と無理やり思い込むことでどうにか続けてる行為。そんなもんで満足できるほど、俺は堕ちちゃいねえ。
そして、多分それはマリーナも同じだろうと思う。俺達は……本当に、嫌になるくらいよく似てるからな。多分当たってるだろう。
脚と脚がぶつかって、乾いた音を立てた。きしむスプリングに合わせて、マリーナが小さく声をあげていた。
さっきまでは必死に我慢しようとしていたみてえだが。堪えきれなくなったってこたあ……それなりに感じてるのか、あるいは痛いのか?
わからねえが。それでも……抵抗は確かに小さくなっていって。ぬるぬるした内部は、俺のモノにからみつき、絞り上げそうな勢いで締め付けてきて。
快感だった。最後の最後まで。
欲望を放つその瞬間まで。俺は、ひどく空しい快感を、味わい続けていた。
「明日、二人に何て言う?」
わたしがつぶやくと、横で天井を見上げていたトラップは、「ああ?」と小さな声をあげた。
「あんだって」
「だから、明日。クレイとパステルに、何て言う?」
「……そーだな」
小さく肩をすくめて、トラップは、そっ、とわたしの頭を抱え込んだ。
「そのまんま言ってやりゃあいいんじゃねえ? 俺達、男と女の関係になりました、ってな」
「それでパステルに通じるかしら」
「通じねえかもしれねえな。あいつなら」
二人でつぶやいて、同時に笑い声が漏れた。
「嘘はつきたくねえんだけどな」
「我慢しなさいよ。パステルのためでしょ?」
「……そうだな」
そう言って、トラップは、大きく息を吐いた。
「んじゃあ、あいつらにもわかるように言ってやるしかねえか? 付き合うことになりました、とでも?」
「……嘘はつきたくないわね。本当に」
「我慢しろよ。クレイのためだろうが」
さっきわたしが言った言葉をそっくり返されてしまった。
まあ、そうね。確かに、その通りね……
「そう聞いたら、パステル、喜ぶでしょうね」
「クレイもな」
「それでいいのよね? わたし達」
「いいも悪いも……そうするしか、ねえだろう」
暗い部屋の中で、同じベッドの中で、わたしとトラップは、鼻が触れそうな距離で見詰め合った。
「本当に、俺達って損な性格してるよな」
「……そうね」
「けど、しゃあねえよな。今更変えることなんざできねえし。……惚れた相手が悪かった。そういうことだよな」
「そうね。そう思うしか……無いわよね」
自然と、唇が重なった。
愛情なんか一つも混じっていない。混じっているのは、お互いに対する同情だけ。
そんな奇妙なキスを交わして、わたし達は、同じベッドの中で、眠りについた――