――少しでも、俺を男として好きだっつー気持ちがあるんなら。頼むから……ちっとは、真剣に考えてくれよ――
それがバレンタインデーの日にトラップに言われた言葉で。
その切ない表情を見てしまったら、「冗談はやめてよね」なんていつもの軽口は叩けなかった。
だから真剣に考えた。わたしはトラップのことをどう思っているのか。男の人として好きなのか。彼とその……そういう付き合いをしていきたいと考えているのかどうか。
答えは意外と簡単に出た。
「トラップ」
「……ん?」
翌日。
もしかしたらあれは夢だったんじゃないだろうか……ついそんな風に考えてしまって怖くなったりもしたけれど。脚の間に残る鈍い痛みが、現実だったと教えてくれて、勇気が出た。
「好き」
「……は?」
「返事、しに来たの。わたしも好き、って。……迷惑?」
あのときの彼の顔を、わたしは多分一生忘れることはできないと思う。
まあそんなわけで、わたしとトラップは晴れて恋人同士、という関係になった。
バレンタインデーの日にされたこと……それを忘れたわけじゃないけれど。彼は素直に「悪かった」と頭を下げてくれたし。「好きだからだ」と言われてしまったら、許さないわけにはいかなかった。
まあ幸せだった。最初のうちは親衛隊の皆さんに嫌がらせを受けたりもしたけれど。トラップがきっぱり言ってくれたのかどうなのか、ある日を境にそんなこともぱったりなくなって。
文句なんか何一つ無かった。相変わらず人前では軽口を叩いて厳しいことを言ってどうかすると小突かれたり怒鳴られたりもしたけれど。誰もいないところでは、優しい笑顔を見せてくれることもあった。
絵に描いたような幸せな恋人同士、という光景のはずだった。
……けど……
「おめえ、お返し何が欲しい?」
「は?」
3月14日、ホワイトデー。
わたしとトラップが付き合うようになってから、ちょうど一ヶ月が過ぎた頃。宿に他のメンバーがいないのをいいことに、彼はわたしの部屋のベッドを占領してごろごろと昼寝をしていたんだけど。
「何? 何か言った?」
「だあら、お返し。今日ホワイトデーだろ。何か欲しいもんある?」
くるりと振り向くと。寝てるとばかり思っていたトラップはばっちりと目を開けてわたしを見ていた。
お返し、って……
「バレンタインデーの?」
「他に何があるんだよ。ホワイトデーっつーのはバレンタインのお返しをする日なんじゃねえの?」
「……そうだけどさあ」
あっけらかんと言われた言葉に脱力してしまう。
いや……確かにその通りだよ? で、お返しをしてくれるっていうその気持ちは、とってもとっても嬉しいよ?
だけどさあ……
「トラップ……普通さあ、そういうのって、本人に聞く?」
「はあ?」
「だからっ。お返し……っていうかプレゼントってさ。普通本人には内緒で用意して、それでいきなり渡して驚かせる……っていうものなんじゃないの?」
「はああ? あんでだよ、んなまどろっこしい」
わたしの言葉を一刀両断して、トラップは、へらへらと軽薄な笑みを浮かべた。
「もう俺とおめえは恋人同士、って奴なんだからよ。んないちいち秘密にして驚かせる必要なんざねえだろー? 人の好みなんてそれぞれなんだからよ。相手が気に入るかどうかわかんねえって悩むくらいなら、本人に聞いた方が早いだろうが」
「…………」
トラップと恋人同士になれたこと。それは素直に嬉しいと思うし幸せだとも思う。
けどさあ! この人の……何ていうかなあ。この情緒の無いところ! 何とかならない!?
そりゃあ……そりゃあね。現実主義者のトラップらしい意見だとは思うよ。確かにそれは、お互いお金を無駄にせず、欲しいものを確実に手に入れることができるとっても合理的なアイディアだと思うよ?
けどさっ、プレゼントってそういうもんじゃないでしょ!?
言っても無駄だ、とわかってはいても。わたしは嘆かずにはいられなかった。
はああ……まあいいけどね。トラップにそんなことをわかれ、っていう方が無理って気もするし……
「お返し。お返しねえ……何でもいいの?」
「俺の財布で買えるもんならな」
「…………」
諦めて言った台詞は、非常に現実的な台詞で返されてしまった。
トラップの財布って。中身入ってるんでしょうね? まあ確かに、ここのところギャンブルはしてないみたいだけど……
何しろ我々パーティーは万年貧乏ですから。お財布に個人的なお小遣いが入ってることの方が少ないんだよね。言ってて悲しくなるけど。
「うーん。そうだなあ……」
そう考えると。欲しいものはたくさんあるけれど、あんまり高いものは言えないよね。
うーん……難しい……
「うーん、うーん……」
「あんだ? 遠慮する必要ねえぞ。何でも言えって。いざとなったらクレイに借金すっから」
「絶対やめて」
「冗談だっつーの。で? 何が欲しいんだよ」
「うーん……あ、そうだ!」
しばらく悩んで。ようやく一ついいものを思いついて、わたしは指を鳴らした。
そうだそうだ。プレゼントって、何も絶対お金をかけなきゃいけない! ってわけじゃないよね。
「ねえトラップ! じゃあさあ、一つ教えて」
「んあ?」
「あのときの『誘惑』って、どういう意味だったの?」
そう言った瞬間、トラップの顔が、びしりっと強張った。
バレンタインデーの日。わたしは台所でみんなのためにチョコのお菓子を作っていたんだけど。そこで、トラップにいきなり押し倒されて……その、まあ。無理やりされて、しまった。
そのことに関して、彼は「悪かった」とは言ってくれたんだけど。その前に気になること言われたんだよね。
「先に誘惑したのはおめえだ」って。
だけど、あのときわたしは何をしていたかと言えば。ホワイトチョコのガナッシュを作っていて……で、トラップとじゃれあってるうちにそれをひっくり返して? ただそれだけ。
誓ってもいいけど誘惑なんてした覚えないし。第一、どうすれば誘惑になるのかもいまいちわかってない。
あのときも「それどういうこと?」なんて思ったものだけど。結局、その後に続いた台詞があまりにも衝撃的だったもので、そのままうやむやになってたんだよね。
うん、いい機会だからこれをお返しってことにしてもらおう。
「そう。あのときさあ、わたしトラップに何かした? 『誘惑』って、どういうこと?」
「……おめえ、それって……」
「だから、バレンタインデーの日」
そう言うと、トラップはしばらくの間、「うー」とか「あー」とか天井を仰いで何やら考え込んでいたけれど。
ややして、ポン、とわたしの肩を叩いた。
「パステル。おめえ、それどーしても知りたいか?」
「へ?」
「だあら……『誘惑』の意味。どうしても知りたいか?」
「え?? うん、知りたい。知りたいから聞いてるんだけど……?」
え? え? 何? それって……そんなに難しいことなの?
わたしが顔にいっぱい?マークを浮かべていると。トラップは……
何というか。それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべた。
そう。例えて言うならば、仕掛けた罠にいましもひっかかろうとしている人を見ているような……そんな、心から楽しそうな……
あ、嫌な予感。
と思ったときには遅かった。
次の瞬間には、わたしは、がっしりと手首をつかまれていて……
「そういう台詞をサラッと言うとこが、また何つーか……いやおめえにそんなつもりがねえことはわかってんだけどな? でもなあ。それも立派な『誘惑』の一つだってこと、ちっとは自覚しろよなあ?」
「……はあ……?」
「あのときの『誘惑』の意味はな……」
そう言って。
彼は、ぐいっ、とわたしの後ろ頭をつかんだ。
「……あの、トラップ……ちょっと……?」
「んだよ。知りたいんだろ? どうして俺が『誘惑された』と思ったのか」
「いや、えと……は、はい?」
手に力がこめられる。
ぐいっ、と前のめりになった。わたしの眼前に迫ってくるのは……トラップの、その……
「まあすぐにわかると思うぜ?」
逆の手をズボンのファスナーに伸ばして、彼は笑った。
「いい機会だしなあ。ついでに覚えてくれよ。恋人同士がやるプレイの中にはな、こーいうのもあるってこと」
そう言って。
ファスナーがひきおろされた瞬間わたしの口の中に、何というか……すんごく大きいモノが、押し込まれた。
「ん……ん――んっ!!」
あまりにも突然のこと、だった。
いや、予告されてたらよかったのか、って言われたら、それはそれでちょっとひいたと思うけど。
でも、覚悟もなしにいきなり押し込まれたソレは……何ていうか、今まで口に含んだどんなものよりも大きくて……な、何ていうか、変な味がしてっ……
「んっ……んんっ……」
「うわっ! い、いてっ……痛いっつーの! 歯を立てるな、歯をっ!!」
息苦しさを感じてじたばたもがいていると、悲鳴がとんできた。
あ、ごめんごめん……ってそうじゃなくてっ!
「とらっ……ぐっ……」
まともに声が出せない。必死になって吐き出そうとしたら、ぐいっ、と頭を押さえ込まれて余計に苦しむ羽目になった。
うぐぐっ……な、何、するのようっ……
「んんっ……」
「だあらさ……誘惑の意味教えてくれっつったのは、おめえだろ?」
もがくわたしを巧みに押さえ込んで、トラップは、それはそれは嬉しそうな声で囁いた。
「そりゃあなあ……普通にヤるのも十分にイイんだけどよ。たまにはなあ、こういうこともしてもらいてえって思うんだよなあ。俺も男だし? なあ。おめえもまさか、知らないわけじゃねえだろ?」
「…………」
知らない……わけじゃない。確かに、噂程度で、そんな行為が存在することは知っていた。
けど! それを知ったとき「まっさかあ。だって、それ……あれ、でしょ? そんなもの口の中に入れるのお?」なんて、きゃあきゃあ友達と笑いあってたくらいで! まさか自分がする羽目になるなんて思ってなくてっ……
「ん――っ!!」
「知りたいっつったのはおめえだかんな。ほれ……いいからやってみてくれよ。しっかり舌使ってな? ……っつーか今更引けねえから、俺」
「…………」
やる……しかないのかな。
文句を受け付けてくれるつもりは無いんだ、ってことがわかって。
諦めて、わたしは、おそるおそる舌を伸ばしてみた。
……ぴちゃりっ
触れた瞬間、びくんっ、とトラップの身体が強張るのがわかった。
ぴちゃり、ぴちゃりっ……
どうやればいいのかなんてわからない。ただ、歯だけは立てないように……それだけは気をつけて。
キャンディをなめる要領で、必死に舌を動かしていた。ソレは、まあ何ていうか……すごく変な味がして、お世辞にも「美味しい」とは言えなかったけれど。
「……はっ……」
頭を支えるトラップの手が、震えている。
行為が進むたびに、彼の顔が段々と紅潮してきて。何というか、すごーく嬉しそうな……幸せそうな笑顔が浮かぶのを見て。
喜んでくれているんだとわかったとき。それまで感じていた……汚い、とか、そういう嫌な感情が、綺麗に消えてなくなるのがわかった。
トラップ……
「っあ……パステル、も、もうっ……」
「んっ……」
根元の部分から先っぽの方まで。
つつつっ、と唇を滑らせていたとき。ひどく苦しそうな声が響き渡った。
次の瞬間。
「あうっ!?」
ぐいっ、と髪をつかまれた。口の中からソレがとびだす。
その瞬間。
目の前で、白い爆発が、起きた。
「…………」
「ええと。まあ、な……」
ぽたぽた、と顎の先から滴り落ちるのは、白いどろっとした液体。
鏡を見なくてもわかる。今のわたしは、多分……顔中に、その液体が飛び散ってるんだろう、って。
「トラップ……?」
「だあら……み、見ればわかるだろ!?」
さすがに気まずくなったんだろう。上目遣いに見上げると、彼は、バッと目をそらして叫んだ。
「言っただろ!? 俺は男だからなっ……その……一番興味がある年頃、って奴なんだよ! ああそうだよ。おめえのあんな姿見てそーいうこと想像しちまったんだよっ! 悪いかっ!?」
「…………」
その口調はもう完全に開き直っていた。
確かにわかった。手で拭いとった液体。白くてどろどろしてて……
それは、あのとき。わたしが頭からかぶってしまったホワイトチョコのガナッシュと、非常に似ていて……
「……これが、誘惑?」
男の人って……そうなの? その、何て言うか……
「こんなことして欲しいって……わたしのこんな顔見たいって……そう思ってたって、こと?」
「うっ……」
そらされた視線の先に回りこんでじいっと顔を見上げると、トラップは言葉に詰まったのか、わたしの顔を見つめたまま何も言わず……
「……好きな女にならな」
しばらく黙り込んだ後。大きく息をついて言った。
「好きな女になら……してもらいてえ。軽蔑されるかもしんねえけど。今日やってもらって……何つーか。すげえよかった。すっげえ気持ちよかった……」
「…………」
「わり。これじゃ逆だよな。俺がおめえに何かやらなきゃなんねえのにな。悪い……」
「ううん」
ごしごしっ、と手で顔をこすって。
わたしは、にこっと笑ってみせた。
そりゃあ、最初は……まあ、驚いたし。ショックを受けたりもしたけれど……
でも。トラップのこんな顔なんて、滅多に見れるものじゃないしね。
「いいよ。あのさ、わたし……恋人同士って、何でも言える関係でいたい、って思ってるから」
「……ああ」
「だから。今度から、して欲しいこととかあったら、言ってね? わたしもなるべく言うようにするから!」
そう言うと。わたしが怒ってたり軽蔑したりはしてない、ってことがわかったのか。トラップは、ぱっと顔を輝かせて、
「本当か?」
「……え?」
がしっ、とわたしの手を握り締めた。
「本当にいいんだな? 言えば何でもしてくれるんだな?」
「うっ。い、いや、ええっと……」
「しかと聞いたからな。まさか、今更嘘でした、なんて言うわねえよな?」
にっこりと笑顔で言われてしまったら……自分の台詞を猛烈に後悔したところでもう遅い。
その後。
わたしがトラップに何を「お願い」されたのか……それはあえて言わないでおく……