わたしは……子供じゃない。  
 子供だったら、こんなこと……言えるわけ、ない。できるわけ、ないでしょう?  
「パステル……」  
 夜中に突然訪ねてきたわたしを見て、ギアは、驚いたように目を見開いていた。  
 ギア・リンゼイ。以前、キスキン王国のごたごたに巻き込まれたとき、ずっとわたし達を助けてくれた凄腕のファイター。  
 わたしのことを好きだって言ってくれて、そしてプロポーズまでしてくれた……文句のつけようもない、素敵な人。  
「ギア……お願いが、あるの」  
「パステル、どうしたんだ?」  
 つぶやくわたしの肩を抱き寄せて、ギアはとても心配そうな目を向けてきた。  
「こんな時間に、一体何があったんだ?」  
 ギアは、優しい。  
 見た目はとても冷たそうに見えるかもしれないけれど。彼はいつだって優しかった。  
 わたしは、どうしてあのとき彼についていかなかったんだろう。  
 今、ここでこんなことを言い出すくらいなら……どうしてあのとき、プロポーズを断ってしまったんだろう?  
「お願い、ギア」  
「パステル?」  
 ぎゅっ、とギアの胸元を握り締める。  
 そんなわたしを、ギアがどう取ったのかはわからないけれど。彼が戸惑ったのはほんの一瞬のことで、すぐに優しく背中を撫でてくれた。  
 安心できる。ギアなら……安心できるから。  
 だから……  
「わたしを抱いて」  
 わたしの言葉に、ギアの身体が強張った。  
 顔をあげれば、信じられない、という視線が突き刺さる。  
 その視線をまっすぐに受け止めて、わたしはもう一度言った。聞き返されないうちに。「本気か?」って言われないうちに。  
「わたしを抱いて。わたしを女にして……ギア」  
 もう一度繰り返すと。  
 背中を撫でてくれていたギアの手に、力がこもった。  
 
 ギアがシルバーリーブにやってきたのは、そろそろ冬も本番に差し掛かる、っていう頃だった。  
「久しぶりだな」  
「ギア!?」  
 突然みすず旅館に現れたギアは、以前とちっとも変わっていなかった。  
 わたし達はその頃、冬はクエストに出ることもできないから、とそれぞれシルバーリーブでバイトをして日々を過ごしていたんだけど。  
 たまたまその日は全員の休みが重なっていて。こんな寒い日は外に出る気もしない、と宿の中で好きなことをして過ごしていたときだった。  
 そんなわたし達を見て、ギアは「変わらないな」って優しい笑みを浮かべてくれて、まあ久しぶりに会えたんだから、とクレイが彼を部屋の中に招きいれたんだけど。  
 ギアの登場に、あからさまに不機嫌な顔をした人が約一名。  
 パーティー1の現実主義者にして、以前からギアがわたしに優しくしてくれるたび、何かと嫌味や文句をぶつけていた人。  
 赤毛の盗賊……トラップ。  
 トラップは、ギアが部屋の中に入ってきたのを見て、一瞬驚いたような顔をしたけれど。  
 わたしが「ギアだよ!」って言ったら、すぐに「けっ」と言ってそっぽを向いてしまった。  
 ……どうしてだろう。どうして、トラップはギアのことを、こんなに嫌っているんだろう?  
 そりゃあ出会いが出会いだから、あまりいい感情を抱いてないのは、わからなくもないんだけど……でも、その後はずっとわたし達を助けてくれたんだし。そこまで毛嫌いしなくても、いいと思うんだけど……  
 そんな彼の様子を見ても、ギアは怒るでもなく、ただ「本当に変わってないな」ってつぶやいただけだったけど。  
 まあせっかく来たんだから、ということで。その日は夕食を一緒にとることにしたんだ。  
 そこで聞いたことは、ギアは、ちょっと前に大きな仕事を片付けたばかりで。懐にも余裕があるし、最近休む暇も無かったから、一緒にパーティーを組んでいるダンシングシミターとは別行動を取って、シルバーリーブでしばらく休みを取る予定だとか。  
「じゃあ、しばらくは一緒にいれるんだね!」  
 わたしがそう言うと、ギアは「ああ」とすっごく素敵な笑顔で頷いてくれた。  
 
 はあ、相変わらず素敵だなあ……かっこいいし、腕も立つし。……なのに、ギアはどうして、わたしを選んでくれたんだろう?  
 その顔を見ていると、ふとそんな疑問が浮かぶ。  
 以前のクエストの最中、わたしはみんなと離れ離れの状態で誕生日を迎えた。  
 そのとき、ギアはわたしにプレゼントと一緒に素敵なプロポーズをしてくれたんだけど……  
 まあ、結果はこの通り。わたしは冒険者であることを選んで、それは断ってしまったんだけど。  
 今思い返しても不思議になる。どうして、ギアはわたしを選んでくれたんだろう?  
 あの頃から大分経ってるし。もうギアはそんなこと忘れてるかもしれないけど……機会があったら、聞いてみようかな?  
 ギアの顔を眺めながらそんなことを考えていると。  
 ふと、視線を感じた。  
 振り向くと、トラップが、すっごく冷たい目でわたしを睨んでいるところだった。  
   
 どうしてトラップがそんな目でわたしを見るのかわからない。彼がどうしてそこまでギアを嫌うのか、全然わからない。  
 だけど確かなことは、ギアがしばらくシルバーリーブにいると聞いて、トラップの顔はますます不機嫌そうになり……そして、わたしの顔を見なくなったということ。  
 ギアが泊まっているのは、みすず旅館よりもう少し高級な宿だけど、そんなに離れているわけじゃないから、と。しばらくの間、食事とかは一緒に猪鹿亭でとることが多くなった。  
 そんなことを続けているうち、いつしか、トラップはわたし達と行動を共にしなくなった。  
 ぷいっと一人で出かけては、夜遅くに帰ってきて。いくら起こそうとしても朝起きてこないものだから、と、彼だけ別々に食事をとることが多くなって……  
「ねえ、クレイ。トラップ、どうしたんだろうね?」  
「さあ……」  
 一緒に部屋で寝ているクレイなら、何か聞いているかもしれない、と思ったけれど。クレイも知らないみたいだった。  
 ただ、キットンやギアは、「トラップもねえ……まだまだガキと言いますか」「確かにな」なんて会話をしていたあたり、薄々理由に気づいてるみたいなんだけど……  
 うーっ。本当に……どうしたのかなあ。それに……  
 どうして、わたしと口をきいてくれないの……?  
 
 いくら行動を別にするようになった、とは言っても。同じ宿に泊まっているんだから。顔を合わせる機会は何度となくある。  
 だけど、そんなとき、トラップはいつも冷たい目でわたしを見て、話しかけても返事をしてくれない。  
 それはわたしに対してだけで、他の人とは普通に話しているのに。  
 どうして……わたし、何かトラップを怒らせるようなこと、した……?  
 いくら考えても理由がわからない。こんな風に気まずくなったのは初めてじゃないけど、あのときは……わたしが冒険者のくせに甘えていたからだ、って、理由がはっきりしてた。  
 でも、今回は本当にわからない。わたしは別に彼に何を言ったわけでも、何を言われたわけでもない。  
 それなのに、どうしてこんな態度を取られなきゃいけないの……?  
 クレイに相談してみても、「理由が思い当たらないんだろ? だったら気にすることないんじゃないかなあ……」って頼りない返事がかえってくるばかりだし。  
 理由を察していそうなキットンに聞いてみたら、「……わからない、っていうのが理由だと思います」なんてますますわけがわからなくなるような返事がかえってきたし。  
 はあ。わたし……どうすればいいのかなあ……  
 それに……  
 トラップが口をきいてくれない。それが、どうしてこんなに……寂しいんだろう……?  
   
 そんなときだった。その光景を見てしまったのは……  
 それは、ギアがシルバーリーブに来てから三日目のこと。  
 その日、わたしは書き上げた原稿を印刷屋さんに持っていく途中だった。  
 他のみんなも、それぞれバイトだとか用事だ、とかで出かけていて、わたし一人。  
 まあね。住み慣れたシルバーリーブの通いなれた道だし。いくら何でも迷子になることはないし、というわけで。  
 で、わたしは無事に原稿を渡して、いくばくかの原稿料をもらうことができてすっごく機嫌が良かったんだけど。  
 何気なく見てしまった光景。それを見て、理解して、その楽しい気分が、一気に冷めていくのがわかった。  
 
 ……トラップ……?  
 人通りの少ない、寂しい道。  
 その道からちょっと外れたところの街路樹の陰に立っているのは、遠目にもすごく目立つ赤毛頭。  
 トラップ……だよね。あんな派手な頭してるの、この村じゃ彼くらいしかいないし……オレンジのジャケットも緑のズボンも、見覚えがあるし。  
 だけど……  
 あの子は……一体、誰?  
 道から外れた、街路樹の陰で。  
 トラップは、わたしの知らない女の子と……抱き合っていた。  
 見覚えがあるような気もするけど、名前までは知らない女の子。ここからじゃ顔はよくわからないけど、スタイルが抜群によくてストレートの長い金髪が、きっと美人に違いない、って思わせるような、そんな女の子。  
 そんな女の子とトラップが、抱き合っていた。寒さを凌ぐために、とかそんな理由じゃないことは一目でわかる。女の子の甘い囁き声と、トラップの嬉しそうな表情……  
 …………  
 早く離れよう、と思った。  
 別にトラップが誰とどうしていようと……わたしには、関係無い。  
 彼に恋人ができたって、それは全然不思議なことじゃない……何しろシルバーリーブの中には、「トラップ親衛隊」みたいなものまで出現しているくらいだし。  
 その中の一人と付き合うことにした……それは、トラップのナンパ好きを考えれば、ごくごく自然なことで……  
 いくら自分にそう言い聞かせても。わたしは、その場を動くことができなかった。  
 胸に突き刺さるような痛み。鼻の奥がつんとなるような……熱い感覚。  
 な……に……これは……  
 わたし……もしかして、ショックを受けてる?  
 トラップが、他の女の子と付き合うことになって……ショック、受けてる……?  
 そんなわたしの目の前で。見られていることに、気づいているのか、いないのか。  
 トラップの唇が、女の子の頬に、寄せられた。  
 見たこともないような、優しい表情で……  
   
 どうやって宿に戻ったのかもよく覚えていなかった。  
 わたしの顔を見て、たまたまバイトから帰ってきたクレイが、「パステル、どうしたんだ!?」と驚いたような声をあげたけれど。  
 わたしは、それに答えることもできなかった。  
 ……キス、だよね。  
 ほっぺただったけど……キス、してたよね? トラップ……  
 何、で……  
 
 自分でもおかしなこと考えているのはわかっていた。  
 何でも何も。付き合っているんだったら……それくらいは、ごくごく当然のことで。  
 最近彼がわたし達と行動を共にしなくなったのは……彼女ができたから。夜、帰りが遅かったのは……彼女と……  
 痛みと同時に、悔しさがこみあげてきた。どうして悔しいなんて思うのか、それはわからないけれど。  
 夜遅くに彼女と会う。そして何をしているのか……それがわからないほど、わたしだって……子供じゃない。  
 だから、その日。  
 案の定トラップが帰ってこないのを見て、先に寝てしまったルーミィを起こさないように、夜中に部屋を抜け出したのは……トラップに確かめたかったから。  
 確かめて、そして事実だ、とわかったら、そのときは……  
 ……ちょっと注意するだけなんだから。同じパーティーを組んでいる仲間なんだし。一人だけ起きてこないとか、夜遅くまで帰ってこないとか……そんなことされたら、クエストに出るときとか、困るじゃない。  
 それを、言いたいだけ……それだけ、なんだから……  
 寒さに身震いしながら、一階に下りる。  
 いつものパターンなら、多分、もうすぐ……  
 ガチャンッ  
 わたしがちょうど玄関まで辿り付いたとき。  
 ぴったりのタイミングで、外からドアが開いた。  
 そこに立っていたのは、寒さのせいか……ほんの少し青白い顔をした、トラップ。  
「……おかえり」  
「パステルっ!?」  
 わたしの顔を見て、トラップはすごく驚いたみたいだった。  
 ……そうだよね。いつもなら、とっくに寝てる時間だもん。そりゃあ、驚くよね……  
「楽しかった?」  
「……はあ?」  
 そうつぶやくと、トラップはしばらくわけがわからない、という顔をしていたけれど。  
 勘の鋭い彼のこと。わたしが何を言いたいのか、すぐにわかったらしい。  
「あんだよ。おめえ、もしかして知ってんの?」  
「……彼女、できたんでしょ? おめでとう」  
 そう言うと、トラップはしばらくの間、じっとわたしの顔を見つめていたけれど。  
 やがて、はっきりと頷いた。  
「ああ。知ってんのなら話が早えや。まあなー俺っていい男だしな。何なら紹介してやろうか。おめえと違ってな、美人だしスタイルもいいし……本当にいい女だぜ?」  
「…………」  
 
 どうしていちいちわたしと比べるのよ、とわめきたくなった。  
 わざと? そう言われて……わたしが、自分でも意外なくらい傷ついていることに、あなたは気づいているの……?  
「よ、良かったじゃない」  
「ああ……んで? おめえはわざわざ祝辞を述べるためにこんな時間まで待ってたのかよ?」  
「ち、違うわよっ!」  
 言われて思い出す。本来の目的を。  
 そうだそうだ。わたしは……ちょっと注意をしたかっただけなんだから。  
 傷つくために、待ってたわけじゃない……  
「トラップ、彼女ができて嬉しいのはわかるけどっ……わたし達、同じパーティーを組んでる仲間でしょ?」  
「…………」  
「い、一緒に行動してくれないと……困るじゃないの。朝だってちっとも起きてこないしっ。ご飯だって……別々に会計するの、お財布管理してる身としては、大変だしっ。も、もうちょっと……」  
 言葉がうまく繋がらなかった。  
 言いたいことはいっぱいあって、それは言っても当然の文句のはずなのに。  
 いざトラップの顔を見ていたら。昼間……彼が見知らぬ女の子にキスをしていた光景が思い出されて。  
 胸の痛みがどんどん強くなって、言葉が途切れていくのが、自分でもわかった。  
「だ、だからっ……」  
「……んだよ」  
 そんなわたしの様子を見て、彼がどう思ったのかはわからない。  
 ただ、いつもと全く変わらない、とてもとても軽薄な笑みを浮かべて……そして、わたしの肩をつかんだ。  
「んだよ。まさか、たあ思ったけどな……おめえ、妬いてんの?」  
「…………っ!!」  
 言われて、ボンッ、と頭に血がのぼる。  
 妬いてる。何を? ……やきもち?  
 わたし、嫉妬してる? トラップとキスしてた女の子に? 何、で……  
「そんなわけ、ないでしょ……」  
 否定の言葉は弱々しかった。  
 
「そんなわけないでしょ! ただ注意したかっただけよっ。トラップの勝手な行動のせいで、みんなが迷惑してるの! か、彼女と……一緒にいたいのはわかるけどっ。もうちょっと……」  
「わかる?」  
 わたしがどれだけ言葉をつむいでも、彼の表情はちっとも変わらなかったけれど。  
 ほんの小さな言葉尻をとらえた瞬間、その顔に、ひどく意地悪そうな色が混じった。  
「わかんのかあ? おめえに。俺が何してきたとこなのか」  
「…………」  
「彼女と一緒にいたいのはわかる、ねえ……一緒にいて、何をしてたのか。おめえにはわかってるわけ?」  
「……わ、わかってるわよっ!」  
「ほー。んじゃ、言ってみ」  
「うっ……」  
 恋人同士である男女が、二人きりで何をするのか。  
 キス……よりも、先にある行為。  
 もちろん知識としては知っていた。それをどう表現すればいいのかだってわかるし、どう答えればいいのかだってわかる。  
 だけど。その単語を口にすることはひどく抵抗があった。  
 何だか、すごく嫌らしいっていうか……恥ずかしいっていうか……  
「うっ……」  
「ほーれ。言えねえじゃん」  
 そんなわたしを見て、トラップは、「ほれ見たことか」とでも言いたげな皮肉っぽい笑みを浮かべた。  
 
「おめえみてえなお子様にな、恋愛がわかるかっつーの。経験したこともねえくせして、知ったような口きくんじゃねえよ」  
「…………っ!」  
「後な。まあよしんばおめえがわかってるとしても、だ。んなことおめえにいちいちどうのこうの言われる筋合いはねえよ。俺が誰と何しようと俺の勝手だ。そうじゃねえ?  
 安心しろよ。俺はおめえみてえな分別のついてねえガキじゃねえ。クエストにでも出ることになったらちゃんと縁を切ってやっからよ」  
 そう言って、彼はポン、とわたしの肩を叩くと、階段の方へと足を向けた。  
「どーせおめえは、俺がいねえと駄目だろ? マッピングだってまともにできねえし、目え離したらすぐ迷子になる……子守までしなきゃいけねえなんてなあ。こんな盗賊、一体どこの世界にいるんだよ」  
「なっ……!!」  
 あんまりな言われように、さすがにわたしは文句を言おうとしたけれど。  
 一体いつの間に、と言いたくなるような素早さで、トラップの姿は、階段の上に消えていた。  
 お子様……ガキ……子守……  
 トラップに言われた言葉、一つ一つが、胸に突き刺さった。  
 わかってた。トラップの好みは、わたしなんかとは正反対の、美人で色っぽい……大人の女性だって。  
 彼の言う通り。わたしなんか……トラップから見たら、まだまだ、子供でっ……  
 そう考えたとき。  
 胸にこみあげてきたのは、全身が燃えるような、強い、強い思い。  
 悔しい。  
 馬鹿にされたくない。  
 負けたく……ない。  
 それは、誰に対しての思いなのか。トラップに対してなのか、あるいは彼の恋人である女性に対してなのか。  
 自分でもわからないまま、わたしは外に飛び出していた。  
 今が何時なのか、とか。この寒いのにこんな格好で、とか。そんなことは全然気にならない。  
 わたしは子供じゃない。  
 トラップが言うほど子供じゃない。キスだって済ませたし……プロポーズだってされた。  
 その気になれば、もっと先の行為だって……!!  
 そうして、わたしの足は自然に……  
 ここ数日、食事のたびに迎えに行ったりして、すっかり通い慣れた……ギアの泊まっている宿へと、向かっていた。  
 
 ギアが嫌いで、プロポーズを断ったわけじゃない。  
 むしろ好意を持っていた。断ったのは、あくまでも、まだ冒険者を続けたいと思ったから……  
 もっと大人になってからだったら。そろそろパーティーも解散かな、っていう頃に言われていたら。  
 わたしはきっと、そのプロポーズを受けていたはず。だって、ギアはわたしの理想、そのままの人じゃない……!  
「パステル……本当に、いいのか?」  
 わたしを抱きしめた、そのままの格好で。  
 ギアは、戸惑ったようにつぶやいた。  
「……いいんだ」  
「何があった?」  
「何も、無いよ。ただ、抱かれたいと思ったから、来たの。ただ、それだけ……」  
 ぎゅっ、とギアの身体にすがりついた。冷たそうな外見とはうらはらに、その身体は、十分すぎるほど、あったかかった。  
「それとも、迷惑……かな? わたしに、そんな魅力なんて……ない?」  
「いや」  
 わたしの言葉に、ギアは即座に首を振った。  
「そんなことはない……パステルは魅力的だ。少なくとも、俺にとっては」  
「…………」  
「俺の気持ちは……あの頃から変わってないんだ。パステル」  
 じっとわたしの目を見つめて、ギアははっきりと言った。  
「もう一度だけ、聞く。これが最後だ……後悔は、しないな?」  
「……うん」  
 後悔なんかするわけない。するくらいなら……こんな時間に、こんなことを言いにきたり、しない。  
「しないよ」  
 そう言ったとき。  
 ギアの唇が、優しくわたしの唇を塞いだ。  
 ずっと以前に経験した、何が何だかわからないうちに終わった触れるだけのキスとは違う。  
 もっと熱くて深い、大人のキス……だった。  
「んっ……!」  
 するり、と、ごくごく当たり前のことだ、とでも言うように。ギアの舌が、わたしの唇の間に滑り込んできた。  
 からめとられる。わたしの舌も、理性も、何もかもっ……  
 
「んんっ……」  
 いっぱいに溢れた唾液が、唇の端から漏れるのがわかった。  
 こんなキスは、もちろんわたしにとっては初めての経験で。それは、何だか……とても、とても気持ちよくて……  
「ぎ、ギア……」  
「目が、潤んでるよ」  
 わたしの顔を間近で覗きこんで、ギアは微かに笑った。  
「初めてなんだろうな……可愛いよ、パステル」  
「あっ……」  
 ギアの左手が、背中にまわった。  
 わたしの身体を支えるようにして、右手が、胸に触れてきた。  
 冬だから。わたしはかなり厚手のセーターを着ていたのに。服越しに触れてくる指の感触が、何故かはっきりと伝わってきて……  
「んっ……や、あんっ……」  
 微かに、指が動いた。胸を軽くつかむように、撫でさするように。  
 それはとてもわずかな刺激のはずなのに。彼の指が動くたび、わたしの息は、どんどん荒くなっていって……  
「あ……ぎ、ギアっ……」  
 もう一度唇が塞がれた。今度は、ほんの一瞬だけ。  
 溢れた唾液の跡を舌で辿るように、ギアの唇が、少しずつ、少しずつ下へ下へと下がっていく。  
「んっ!」  
 刺すような痛みが、首筋に走った。  
 首筋、鎖骨……ついで、セーターの襟ぐりの間にもぐりこむ唇。  
 そのたびに、小さな痛みが走った。  
「ギア……」  
「見てみるか、パステル」  
「きゃあっ!?」  
 がばっ!  
 突然、ギアの手が、わたしのセーターを捲り上げた。  
 わたしは、その下に下着しかつけていなくて。素肌の大部分が、ギアの目の前にさらされて……  
 改めてそのことに気づいて、かあっ、と全身が染まるのがわかったけれど。  
 ギアはそんなわたしを見て笑うだけで、やめようとは、しなかった。  
 大きな手で、器用にセーターを脱がせてしまう。そうして、さらされた上半身にキスを繰り返しながら、耳元で囁いた。  
 
「君の身体に、俺のものだというしるしが残っている」  
「あ……」  
「もう離さない……本当はあのとき、君を無理にでもさらっていきたかったんだ。……今、後悔しているよ。あのとき、君をあいつらに……トラップに返してやるんじゃなかったと」  
「え……?」  
 どうして、そこでトラップの名前が出てくるの?  
 一瞬そう聞き返したくなったけれど。言葉は、すぐに喉の奥にしまいこまれた。  
「あっ……ひ、あああっ!!」  
 かわりに出たのは、悲鳴のような……そんな声。  
 いつの間にか、わたしの身体はベッドに横たえられていた。  
 セーターは脱がされて、今のわたしは、下着とスカートしか身につけていない。  
 その上に、ギアの身体がのしかかってくる。まっすぐに見られるのが恥ずかしくて視線をそらせば、自分の身体に残っている、赤い、丸い痕に気づく。  
 これが……さっきギアが言ってた、「しるし」……?  
「パステル」  
 ギアの手が、そっと膝にかけられた。  
 さすがに、その瞬間、身体が強張るのがわかった。  
 ここから先は……いや、これまでだってそうだったけれど……わたしにとって、完全に未知の体験で……  
 噂でしか知らないその行為。随分痛い、って聞いた。初めて経験したときは、しばらく歩けなくなる、とか。大量に血が出る、とか。そんな怖い噂ばかりが耳に届いていたけれど……  
「大丈夫だよ」  
 微かに震えるわたしの身体を優しく抱きしめて、ギアは囁いた。  
「怖がらなくてもいい。俺にまかせておけばいい。俺は君を苦しめるような真似は、決してしないから」  
「ギア……」  
 その言葉を聴いて、わたしは素直に目を閉じることができた。  
 そう……そうだよね。  
 ギアはいつだって、わたしが望むとおりにしてくれた。怖がらせたり、苦しめたり、そんなことは決してしなかった。  
 ギアは違う。トラップとは、違うっ……!  
「お願い、ギア……」  
 ギアの手が胸を撫でるたび。その唇が身体を這い回るたび。  
 わたしの身体は、少しずつ、火照りのようなものを感じるようになっていた。  
 身体が熱い。  
 もっともっと……触れてほしいって。強い刺激が欲しいって。そう、思ってる。  
 これが、きっと……「感じてる」ってこと。  
 
「ああああっ!!」  
 すうっ、と、膝から内股へと、手が上っていった。  
 優しい手つきだった。少しずつ、少しずつ上へ上へと上りながら。  
 ギアの手は、確実に「ソコ」に向かって、進んでいた。  
「やっ……」  
 じわっ、と何かが下着ににじみ出るのがわかった。  
 これから先、どうなるのか。どんな刺激を与えられるのか。  
 それを想像するだけで、身体の芯が熱くなる自分がわかった。  
「あっ……んっ……」  
「……もう、こんなになってるのか」  
 下着越しに、そっとわたしのソノ部分を撫でて。ギアは、喉の奥で小さく笑いを漏らした。  
「安心していい、パステル」  
「…………?」  
「君は、子供なんかじゃない」  
「ひゃあああっ!?」  
 するり、と下着をかきわけるようにして、指が内部にもぐりこんできた。  
 響いたのは、ぐちゅっ、というような……妙に、生々しい音。  
「子供なんかじゃない。君は、十分すぎるほど魅力的な……大人の女性だ」  
「やっ……あ、ああっ……んんんっ……」  
 大きな声を出したら、外に声が漏れるかもしれない。  
 反射的にそんな考えが浮かんで、とっさに唇をかみしめたけれど。その努力は、無駄に終わりそうだった。  
 子供じゃない。  
 そう言ってもらえたのが嬉しかった。  
 何より……ギアの指がわたしの内部をかきまわすたびに、理性、と呼ばれる感情が、消えていく自分に気づいていたから。  
「ああっ……んんっ……や、ああっ……ギア、ギアっ……」  
「凄いよ、パステル」  
 するり、と、下着が足から抜き取られた。  
 ゆっくりと指を太ももまで移動させて、ギアは笑った。  
「こんなに、俺を欲しがってる」  
「うっ……」  
 
 何だか、すごく恥ずかしいことを言われた気がした。  
 見つめてくる視線をまともに受け止められなくて、思わず顔を背けたけれど。ギアは、そっと左手でわたしの顎をつかんで、それを許してはくれなかった。  
「そろそろ……いいか?」  
「…………」  
「俺が、君を女にしてやろう」  
「……う、ん……」  
 手首をつかまれた。  
 わたしの腕をゆっくりと自分の首にからませて、ギアは、わたしの膝に手をかけた。  
 熱い塊が、押し付けられる感触。  
 指とは違う。遥かに大きなもの……  
 ほ、本当に……入る、の? こんなものが……?  
 触れる感触だけで、それがとてもとても……予想以上に大きなものだとわかって、わたしは一瞬怯えてしまったけれど。  
 それも、ギアの顔を見れば……すぐに霧散してしまった。  
 ……誰でもやってることなんだから……そう、大人の女性なら、誰でもしていること。  
 怖がる必要なんか……無いんだからっ……  
 ぎゅっ、とギアの首にかじりついたその瞬間。  
 塊が、わたしの中に、もぐりこんできた。  
「うっ……!!」  
 一瞬悲鳴をあげそうになって、慌ててそれを飲み込む。  
 痛い、痛いとは聞いていたけれど。でも、予想よりもひどくはなかった。  
 だけど……痛みよりも、むしろ強かったのは……  
 その、全身を貫くような……あまりにも強い、快感……!  
「あっ……ああっ……」  
「くっ……」  
 こらえきれず声を漏らすわたしに合わせるようにして、ギアも小さなうめき声をあげた。  
 ……ど、どうしたんだろう?  
 そっと視線をあげれば、ギアの顔も、少し辛そうに歪んでいて……  
「ギア……?」  
「全く……君にはいつも驚かされる……」  
「え……?」  
 きょとんとするわたしに笑いかけて、ギアは囁いた。  
 
「子供なんて、とんでもないな……君の身体は……素晴らしいよ」  
「……え?」  
 どういう意味、と聞き返す前に。  
 ギアの身体が、動き始めた。  
「ひっ……あ、あああああああああああああああっ!!」  
 ぐちゅっ、ぐじゅっ  
 微かに響くのは、指が入れられたときと同じような……生々しい、恥ずかしい音。  
 つつうっ、と、隙間からあふれ出して太ももを伝っているのは……血、だろうか?  
 わからない。そんなことを考えていられたのも、最初のうちだけ。  
 やがてわたしは、快楽の渦に巻き込まれるように、何も考えられなくなってしまったから……  
「いっ……あ、ああっ……や、んんっ……!!」  
 響くのは、わたしの口から漏れるあえぎ声と、ギアの口から漏れる荒い息の音だけ。  
 ぎしぎしっ、ときしむベッドのスプリング。どんどん大きくなる、湿ったような音。  
 やがて。  
 それら全ての音が静まり返ったとき。わたしの心に残ったのは……言いようのない罪悪感と、それを凌駕するほど強い、満足感だった……  
   
「とても良かったよ、パステル」  
 ベッドに横たわるわたしの額にキスをして、ギアは笑った。  
「シルバーリーブにいるのは、後数日にしよう、と思っていたんだが……どうする?」  
「え……?」  
 正直に言えば、そのときのわたしは、さっきの行為の余韻が残っていて。すごく頭がボーッとしていて、何も考えられなかったんだけど。  
 それでも。その言葉が自分への問いかけだと気づいて、反射的に返事をしていた。  
「どうする、って?」  
「どうして欲しい? 俺に」  
「ギア……?」  
 わたしの顔を見て、ギアは真剣な表情で言った。  
「俺は、パステルと一緒にいたい。できれば、ついてきて欲しいと思っている」  
「…………」  
「だが、君は……あのパーティーの仲間達と、離れたくはないんじゃないか?」  
「…………」  
 言われて、素直に頷いた。  
 
 確かに離れたくはない。ルーミィや、シロちゃん……クレイ、キットン、ノル……それに、トラップ。  
 ギアのことが好きだから、と彼に抱かれたけれど。だからと言って、別に彼らのことが嫌いになったわけじゃない。  
 ここに来たのは、半ば勢いみたいなもので。わたしにはまだ、みんなと離れるだけの決心がついていなかったから……  
「うん……離れたく、ない」  
「だろうと思ったよ」  
 わたしの言葉に怒りもせず、ギアは優しくわたしの頭を撫でてくれた。  
「焦るつもりはない。ゆっくりと考えてくれればいい。何なら……俺の方が君たちについていったって構わない。どうせ、気楽な流れの傭兵稼業だ。誰も文句を言う奴はいない」  
「そんな……でも、ダンシングシミターは……」  
「別に、あいつとはなりゆきみたいなものでパーティーを組んだだけだ。いつ解散したっておかしくない……あいつも、文句は言わないだろうさ」  
 そう言って、ギアはそっとわたしを抱きしめてくれた。  
「君の決心がつくまで、俺はシルバーリーブにいることにするよ……だけど」  
「…………」  
「決心がつくまで……また、ここに来てくれるかい?」  
 ギアの言葉に、さっきよりもずっと早く、わたしは頷いた。  
 ギアのことが好きだと思ったから。  
 でなければ、さっきまでしていた行為に……あれほど、溺れるはずが、無いから。  
 もっと抱かれたいと思った。もっとあの快感を味わってみたいと思った。  
 今まで、あんなに気持ちいいって思えたことは……無かったから……  
「また、明日も来ていい?」  
「ああ」  
 わたしが言うと、ギアは、とてもとても嬉しそうに、頷いた。  
   
 その日は、ギアの宿に泊まった。  
 朝起きてわたしがいなかったら、ルーミィ達が心配するかもしれない、って思ったけれど。  
 何だか身体がすごくだるくて、動くのが億劫だったし。ギアも、「もう遅いから、泊まっていった方がいい」って言ってくれたしね。  
 いいや。ルーミィ達が起きる前に、戻ればいいんだよね。明日の朝早くにでも……  
 そう思って、その日、わたしはギアの胸の中で、眠った。  
 
 翌朝、早朝。  
「送っていかなくていいのか?」  
「いいよ。すぐ近くだし……」  
 何度も心配そうに声をかけるギアに手を振って、わたしは一人、みすず旅館への道のりを歩いていた。  
 夜だったら不安になっただろうけど、朝だしね。  
 それに、ギアと二人で歩いているところを誰かに見られたら……狭い村だもん。何を言われるか、わからない。  
 何故だかわからなかったけれど、わたしは、ギアとの関係を、まだ誰にも言わない方がいいと思った。  
 いずれは、隠しておけなくなるだろうけど。今は黙っておいた方がいいって、そう思った。  
 どうしてかは、わからないけれど……  
 そんなことを考えているうちに、みすず旅館に辿り付く。まだまだ夜が明けたばかりで、宿は静まり返っているみたいだった。  
 良かった……まだ、誰も起きてないみたい。今のうち……  
 そっ、と玄関のドアを開ける。そのまま階段を上ろうとして……  
 がしっ  
「きゃあっ!?」  
 不意に、脇から伸びてきた冷たい手に手首をつかまれて、わたしは悲鳴をあげた。  
 だ、誰っ……  
 ばっ、と振り向いた瞬間。目にとびこんできたのは、すっごく充血した目をした、赤毛の……  
「と……トラップ……?」  
「…………」  
 トラップの顔は、すごく怖かった。わたしの手首をつかむその手は、本当に血が通っているのか不思議になるくらい……冷たい。  
 な、何で……普段、人一倍寝起きの悪い彼が、こんな時間に起きてるわけが……  
 まさか……寝てない……?  
「トラップ……?」  
「どこ行ってたんだよ」  
 わたしの顔をジッと見て、トラップは吐き捨てるように言った。  
「どこ行ってたんだよ、こんな時間まで」  
「…………」  
 不機嫌そうな声だった。その顔を見て、確信する。  
 トラップは寝てない。ずっと……起きて、ここで待ってたんだって。  
 耳のいい彼のこと。昨夜……わたしが二階に戻ってこなかったこと、宿を飛び出したことを悟って。  
 戻るまで、待っててくれた……?  
 
 ううん、まさか、そんなわけないっ!  
 脳裏に浮かんだ考えを無理やり追い払う。  
 そんなわけがない。第一、どうして彼がそんなことをしなければならないのか。  
 トラップがわたしを心配したりするはずがない。彼が心配する相手は……わたしじゃない……  
「そんなこと……トラップには、関係ないでしょ……?」  
 そう思ったとき。胸にこみ上げてきたのは、ひどく冷たい思い。  
「関係ないでしょ? 第一っ……トラップにだって、わかってるんじゃない?」  
「…………」  
「と、年頃の女の子が……朝帰り、したんだよ。わたしが何をしてきたか、トラップには、大体わかってるんじゃない……?」  
 トラップの視線に気づいて、わざと見せ付けるように、顔をあげる。  
 彼なら気づいているはず。さらされた首筋に残る、赤い痕に。  
 この痕が何を意味するか。まさか、トラップにわからないはずが……無い。  
「わたしだって、子供じゃない。トラップにバカにされるほど、子供じゃない! 放っておいてよ……関係、無いでしょ?」  
「……ああ」  
 わたしの言葉に、トラップは吐き捨てるようにしてつぶやいた。  
「そうだな。……悪かったな、余計なこと言って」  
「…………」  
「良かったか?」  
 聞かれた言葉は、ちょっと前のわたしなら、理解できなくて「何が?」と聞き返しただろう言葉。  
 だけど、今のわたしには……その言葉がどういう意味か、はっきりわかった。  
 だって、わたしはもう……子供じゃないから。  
「うん」  
 大きく頷く。  
「ギアは……大人だから。すっごく、上手だった……」  
「…………」  
「あんなに良かったのは、わたし、初めてだった」  
 というよりも、行為そのものが初めてだったわけだけれど。それをあえて言わなかったのは、わたしのささやかな見栄。  
 その言葉を聞いて、トラップが何を思ったのか、それはよくわからない。  
 ただ、彼は少しばかり傷ついたような顔をして……  
「……そっか」  
 昨夜と同じように、わたしの肩を叩いて。階段を上っていった。  
 
「そりゃ、良かったな」  
「…………」  
 そう、良かった。相手がギアで、本当によかったと……そう、思う。  
 これで、いいんだよね。わたし……  
 何も、間違って……ない、よね……?  
   
 それから、わたしとトラップは目も合わせなくなったけれど。  
 もう、以前みたいに、そのことで傷ついたり寂しいと思うことはなくなった。  
 わたしには、寂しさを埋めてくれる人がいるから……  
「やっ……んっ……」  
「パステル……」  
 きしむスプリングの音と、こらえきれずに漏れるあえぎ声。  
 あの日以来、わたしは、毎日のように、夜、ルーミィ達が寝静まってから、ギアの宿へと顔を出していた。  
 初めて経験したあのときから。わたしは、毎夜のように、ギアに抱かれていた。  
 そうすることで、トラップとの気まずくなった関係を忘れることができたから。  
 抱かれるたびに少しずつ自分の身体が敏感になっていくのが、わかったから。  
「ああっ……ギア、欲しい……お願い、あなたが欲しいのっ……」  
「パステル……」  
 そんな言葉を照れずに言えるようになったのも。毎日のようにわたしの身体をほぐして、慣らして、開発していってくれたギアのおかげで。  
 自分でもわかっていた。最初の頃に比べて、ギアの手が触れるたび、自然に身体が反応するようになったことに。  
 わたしは、溺れてる……この行為に、すっかり溺れてしまっている……!  
「やあ……あ、あああっ!!」  
「パステルっ!」  
 わたしの内部で弾ける、ギア自身……  
 思いが、傾くのがわかった。  
 ギアと別れたくない、離れたくないと思っている自分に気づいていた。  
 ルーミィ達とも別れたくない。最初は、その思いは半々くらいだったはずなのに。  
 徐々に、徐々に……気持ちがギアの方へ傾くのが、わかった。  
 ……だけど。ギアにわたし達についてきてもらうわけには、いかない……  
 ぐったりとギアの身体に体重を預けながら、そんなことを思う。  
 
 そんなわけにはいかない。あのトラップが、黙っているはずがない。第一、レベルが違いすぎるわたし達についてきてもらっても……ギアのためにはならないだろうし、わたし達のためにも、ならないと思う。  
 だったら……  
「ギア。わたし……」  
「パステル?」  
「わたし、あなたについていく」  
 それが何日目のことかは忘れてしまったけれど。  
 わたしがギアにそう告げたのは……夜だけじゃない。昼間でも、暇さえあればギアの宿を訪れるようになっていた、そんなときのことだった。  
   
 皆に、告げなくちゃいけない。  
 わたしの言葉に、ギアはとてもとても喜んでくれて、わたしが行きたいときにいつでも出発していいと言ってくれた。  
 本当は、いっそそのまま旅立ってしまおうか、と。そんなことさえ思ったけれど。  
 いくら何でも……それは、まずいよね。  
 自分にそう言い聞かせて、いったんギアと別れて、みすず旅館に戻ることにする。  
 早朝。空がやっと白み始める時間。  
 朝、皆が起きだして、一緒に朝食を食べるときにでも……言えば、いいかな。  
 ああ、でも、そうしたら……  
 そのとき浮かんだのは、言うまでもない。最近、ますます朝寝坊がひどくなって……つまりは、それだけ夜帰ってくるのが遅くなっている、トラップの顔。  
 彼とは、多分一緒に朝食は食べられない……でも、いいよね、別に。  
 わたしがどうしたって……多分トラップは、大して関心も無いだろうし。  
 後で……クレイあたりにでも説明してもらえば、いいよね……  
 そんなことを考えながら、みすず旅館の玄関を開けようとしたときだった。  
 わたしの手の上に、背後から伸びてきた手が、重なった。  
「…………」  
 こんな光景、前にもあった。  
 違うのは、あのときは中に入ってから、だったけど。今度は……外で。それも、わたしの後ろから、ってことは……  
 振り向く。そこに立っていたのは、予想通りの人物……  
「……今、帰り?」  
「ああ。おめえもだろ?」  
「……うん」  
 立っていたのは、トラップだった。  
 
 ……夜遅く、どころか。トラップも朝帰りだったんだ。  
 彼女と、うまくいってるんだ……良かったじゃない。  
 そんな考えが浮かぶけれど。口にすれば、喧嘩になりそうだったから。  
 そのかわり、わたしが放ったのは……自分でもそれとわかるくらい、乾いた言葉。  
「わたし……ギアと、行くから」  
 ぴたり、と。ドアを開けようとしたトラップの動きが止まった。  
「ギアと一緒に行くことにしたの。もう、彼から離れたくないから」  
「…………」  
 強張ったトラップの顔が、ゆっくりとわたしの方を向いた。  
 その表情に浮かぶのは……驚愕……?  
「……おめえ、本気で言ってんのか?」  
「本気だよ」  
 こんな性質の悪い冗談、言うわけが、ない……  
「今日、朝ごはんのときにでも、言うつもりだった。でも、トラップは多分一緒には食べないだろうって思ったから」  
「…………」  
「それだけ……今まで、色々、ありがとう。じゃ……」  
 そう言って、わたしがトラップの脇をすりぬけて、自分の部屋に戻ろうとしたときだった。  
 がしっ、と、腕をつかまれた。  
「……離して」  
「…………」  
「離してよトラップ。一体、何……」  
 ぐいっ!!  
「きゃあ!?」  
 わたしの言葉を無視して。  
 トラップは、わたしの腕をつかんだまま歩き始めた。  
 向かう先は……  
「やっ……痛い、痛いってばっ! トラップ……!!」  
 凄い力だった。トラップは、盗賊で……ファイターのクレイやギアに比べて、力は弱いって、自分でもそう言っていたけれど。  
 それでも。わたしなんかでは到底かなわないほどの、凄い力っ……  
 
「やっ……!!」  
 バタンッ!!  
 トラップが開けたのは、みすず旅館の、空き部屋。  
 長いこと使われていないからか。かなり肌寒い部屋にわたしを引きずり込んで、トラップは、がちゃんっ、と鍵をおろした。  
「トラップ……?」  
「そんなに、あいつがいいのかよ」  
 わたしを見る彼の目は、とても冷たい。  
 冷たい表情のまま……一歩、二歩と、わたしの方に歩み寄ってきた。  
「やっ……」  
「あいつは、そんなにうまいのか?」  
「やっ……何……きゃあああ!?」  
 どさっ!!  
 ベッドに投げ出されて、わたしは思わず悲鳴をあげてしまったけれど。  
 トラップは、それに全然構わず、一気にわたしの上にのしかかってきた。  
「おめえ、いつからそんな女になったんだよ……」  
「…………」  
「いつから、そんな淫乱な女になったんだよ? 毎晩毎晩男くわえこんで……ギアの野郎は、そんなに、うまいのか?」  
「いやっ!?」  
 がしっ!!  
 胸を、つかまれた。  
 片手でわたしの肩を押さえ込んで。もう片方の手で、胸をつかんで……  
 トラップは、とても冷たい笑顔で、わたしを見据えた。  
「や、やだっ……」  
「おめえがギアと一緒に行く、っつーのは……あいつの身体が目当てなんだろ?」  
「…………」  
「あいつに抱かれてえから、一緒に行くっつってんだろ?」  
「ち、ちがっ……」  
「んじゃあ、何でなんだよ。何で、あんとき……プロポーズされたときは行かなかったのに。今更、行くなんて言い出したんだよ?」  
「…………っ!」  
 言われて、言葉につまってしまう。  
 
 それは確かにその通りだった。わたしは……昔、ギアにプロポーズされたときは。彼よりもパーティーのみんなを選んだ。  
 なのに、どうして、今回は……  
 そう言われたとき。トラップの言葉を否定できない自分に気づいた。  
 毎夜ギアに抱かれるようになって、離れたくないと思った。  
 確かに、彼の言う通り……わたしが、今回、ギアを選ぶのは……!  
「だ、だったら……どうだって言うのよ……」  
 そうと認めたとき。わたしに言えたのは、それだけだった。  
「トラップにはっ……」  
「関係なくはねえ!」  
 きーん、と耳が痛くなるような大声が炸裂した。  
 言おうとした言葉を先取りされて、わたしが口ごもっていると。  
 そんなわたしの顔を真剣に見つめて、トラップは、まくしたてるように言った。  
「関係なくはねえ……ああそうだ。おめえがギアに抱かれようが何されようが……おめえが俺を見ねえのなら、俺には関係ねえってそう思ってた。けどな、パーティーを抜けるとなりゃ話は別だ。そうだろう!?」  
「……と、トラップ……?」  
「傍にいてくれさえすればよかったんだ。俺の方を見なくてもいいと思ってた。他の男のものになったって……傍にいて、ただ見てるだけで満足できるってそう思ってたんだ! けどっ……」  
「……は?」  
 続けて言われたのは、とてもとても……予想外の、言葉。  
 は……? な、何……?  
 何を、言ってるのよ……トラップ……?  
「あ、あの……?」  
「ああそうだ。俺はおめえの理想の男になんかなれねえ。優しくしてやることも守ってやることもできねえ。だあら、俺の方を見てもらえねえのは仕方がねえって諦めてた。  
 他の女にのめりこむことで忘れようとも思った。それができねえからっ……ただ傍にいるだけで、満足しようって。そう、思ったのに……」  
「と、トラップ……何、言って……」  
「なのに、何でおめえは俺から離れようとすんだよ!? どこまで俺を傷つければ……気が、すむんだ? ギアと行く? それも……身体、目当てで?  
 おめえはいつからそんな女になったんだよ!? おめえはそんな奴じゃ、ねえだろう? 男に溺れるなんて、そんな女じゃねえだろう!?」  
「何を、言ってるのよ!!」  
 
 わたしの言葉を聞こうともせず、ただ好きなことをまくしたてるトラップ。  
 その意味がわからないから。わたしは、段々イライラしてくるのがわかった。  
 何を言っているんだろう。トラップは、何を言いたいの?  
 第一……そんな女じゃない、って。どうして、トラップにそんなことを言われなきゃいけないの!?  
 わたしが……わたしがギアに抱かれたのはっ……  
「トラップのせいじゃない……」  
「……あ?」  
「トラップのせいじゃない! あなたが、わたしのことを子供だ子供だって馬鹿にするからっ……わたし、はっ……?」  
「……はあ?」  
 そうだった。  
 わたしが、ギアに抱かれたのは……トラップに馬鹿にされたのが悔しかったから。  
 わたしだって子供じゃないってことを、証明したかった。だからっ……  
「どうしてトラップにそんなこと言われなくちゃいけないの! あなたが言ったくせに。わたしは子供だ、ガキだっていつだって馬鹿にして……だから、わたしはっ……」  
「パステル……?」  
「だからギアに抱かれたのよ。わたしは子供じゃないって言いたかった。大人になりたかったから! あなたに馬鹿にされたくなかったから! なのに……何で、こんなことに、なるのよっ……」  
「…………」  
「離してよ……わたしはギアと行くって決めたんだから! もう彼から離れられない……そうな女にしたのは、あなたなんだから、トラップ!!」  
 そう叫んだ瞬間。  
 トラップの手が、滑るように動いた。  
 わたしの胸から、お腹まで。止まることなく滑らせた後、セーターの内側へと、潜りこませた。  
「いっ……や、やああっ!?」  
「……じゃあ、俺が、おめえを満足させてやる」  
「……え?」  
「おめえがギアと一緒に行くっつってんのは……身体が、男を欲しがってるからだろ!? おめえを満足させることなら、あいつじゃなくたって俺にもできる。別にギアでなくたっていいんだろうが!? イけさえすりゃあそれでいいんだろ!?」  
「やっ……!!」  
 セーターの内側で、トラップの手が、乱暴に胸をつかみあげた。  
 強い力だった。ギアの優しい愛撫とは、全然違う。  
 だけど……  
 そんな、痛みすら伴う愛撫にも。敏感に反応する自分に気づいて、愕然としてしまう。  
 わ、わたしは……  
 わたし、そこまでっ……!?  
 
「へー……硬くなってんな……」  
「やっ……」  
 乱暴に指先で胸の先端を弾いて。トラップは、妙に優しげな笑みを浮かべた。  
「俺はなあ、ギアほど体力はねえかもしれねえけどなっ……あいつよりも、おめえを悦ばせる自信は、あるぜ?」  
「…………」  
「満足できりゃあ別にギアじゃなくたって構わねえんだろ? だったら俺に抱かれてみろよ。それでイけたら、おめえは別にギアについてく必要はねえ……欲しくなったら俺んとこに来りゃあいい……つまりは、そういうこったろ!?」  
「っ…………」  
 随分と勝手な言い草だと思った。  
 一体わたしを何だと……抱いてもらえさえすれば、それでいいと……そんな女だと思われているのが、悲しかった。  
 だけど、もっと悲しかったのは……それを否定できない自分自身。  
 ほんの数時間前、ギアに抱かれたばかりだっていうのに。  
 トラップに触れられることで、たちまち潤い始めている自分に気づいていたから……!  
「やっ……んっ……あ、ああっ……」  
「……パステル……」  
 ギアによって、開発されつくしていた身体は、トラップの愛撫にも、同じような反応を返していた。  
 彼は、確かに自分で言っていた通り……ギアに比べれば、体力は……何度も何度も抱けるだけの力は、無いみたいだったけれど。  
 手先の器用さは、愛撫の巧みさは……ギアよりも、ずっと上だった。  
「いっ……あっ……ああああああああああああっ!!?」  
 胸から下腹部へ。そして、シーツに染みを作ってしまうほどに濡れそぼったソノ部分へ。  
 トラップの細い指が這い回るたび、わたしは、ギアに抱かれているとき以上に大声をあげ……やがて、その行為に、夢中になっていった。  
   
「……どうだよ。これでも、ギアについていくって、そう言うのか?」  
 わたしを組み敷いたそのままの体勢で、トラップは、淡々とつぶやいた。  
 だけど、わたしはもう口をきく気力もなかった。指で、舌で、トラップの言葉を借りれば何度も「イかされて」て。  
 下着がぐっしょり濡れてしまうくらいに反応しきったソコは、トラップをやすやすと受け入れて、後で考えてもよく皆が起きてこなかったなあ、って感心してしまうような大声を、あげてしまって。  
 
 わたし、は……  
 ギアのことが好きだと思っていた。だからこそ、あれだけ行為に夢中になれたんだと思っていた。  
 だけど違った。抱いてくれたのがトラップでも、わたしの身体は同じように反応を示した。同じように満足できた。  
 ううん、もしかしたら……ギアよりも、トラップに抱かれたときの方が、わたしはっ……  
「俺を選べば、おめえはクレイやルーミィやキットンやノルやシロや……俺とも。別れなくてもすむぜ」  
「…………」  
「けど。ギアを選んだら……おめえは俺達ともう滅多に会えなくなるんだぜ。それでもギアを選ぶのかよ。おめえは、あいつのことを本気で好きなのか? 俺達全員よりもあいつ一人を選べるってくらいに?」  
「…………」  
 無言で首を振った。  
 わかっていたから。トラップの愛撫に反応し始めたその瞬間に。  
 わたしはギアのことを好きだったわけじゃない。男の人として、恋愛対象として好きだったわけじゃない。  
 離れたくないと思ったのは、その身体に溺れていたせいで……でも、今。トラップに抱かれることで、急速にその思いが冷めていってることに、気づいてしまったから……  
 わたしは……何て、最低なことをしてるんだろう。  
 涙がにじんできた。  
 ギアに対して、何てひどいことをしてるんだろう。彼は本気でわたしを好きだと言ってくれたのに。期待だけ持たせて、今更っ……  
「……わたし、最低な女だよね」  
「…………」  
「トラップの言う通りだよ……淫乱、って言ったよね? そうだよ。わたしは……そんな女なんだ……」  
 こんな自分に気づくくらいなら。  
 わたしは、子供のままでいたかった。  
 きっと軽蔑されているに違いない。そう思うと、トラップの顔を見るのが怖かったけれど。  
 視線を感じて目をあげれば……そこには、意外なほど優しい目をしたトラップが、いた。  
「……トラップ?」  
「そんな女でも、いい」  
「……え?」  
 ぎゅっ、とわたしの身体を抱きしめて、トラップは言った。  
 
「そんな女でもいい。俺は、おめえなら……例えどんな風に変わったって。おめえなら、それで、いい……」  
「トラップ……?」  
「俺を選べよ」  
 ぐっ、と抱きしめる腕に力をこめて、トラップは言った。  
「俺を選べよ。ギアにできて、俺にできねえはずが、ねえだろう……? 毎日だって抱いてやる。おめえが欲しいって言えば、いつだって、どこでだってだ。だあら……俺を選べ。俺はおめえの傍にいてえんだ、パステル」  
「…………」  
 抱きしめられたまま、こくんと頷いた。  
 そう答えるしかない。こんな思いを抱いたまま、ギアについていくわけにはいかない。  
 こんなわたしだと知って、それでもトラップが選んでくれるのなら……  
「わたしでいいの?」  
「ああ」  
「……彼女、は?」  
「別れる」  
「……あり、がと……」  
 汚れてしまった自分が悲しかった。  
 だけど、それでもいいと言ってくれるトラップの言葉を聞いて。  
 彼女と別れる、と迷いもなく言い切ってくれたことが、とてもとても嬉しかった。  
 そう、か……わたし、は……  
 この言葉が、聞きたかったんだ。他の誰でもない、トラップの口から……  
 朝の日差しが差し込む部屋の中で。  
 わたし達は、いつまでも抱き合っていた。  

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