それは昼食中の出来事だった。 
 いつもの猪鹿亭にて。パーティー全員で楽しくランチタイムを過ごしていると。 
「あー……」 
 ビールを飲んでいたトラップが、だるそうにテーブルにつっぷした。 
「ちょっと、トラップ、どうしたの?」 
「……頭痛え……」 
「え? 嘘、大丈夫?」 
 め、珍しい、あのトラップが!! 
 わたしが思わずそうつぶやくと、つっぷしたままトラップが目だけでにらんできた。 
 いや、だってだって。わたしの記憶にある限り、あなたが風邪ひいたことなんてただの一度も無かったような気がするんですけど? 
 そう言うと、「違うよ」と、正面に座っていたクレイが苦笑しながら言った。 
「違う違う。トラップのは、単なる二日酔い」 
「はあ?」 
「昨日夕食の後、ちょっとな……」 
 そういえば、昨日の夕食のとき、トラップとクレイだけが猪鹿亭に残ってたんだよね。 
 そうかあ。お酒飲んでたんだ……って。 
「だ、駄目じゃないトラップ! 二日酔いなのにビールなんか飲んじゃ!!」 
「……知らねえのかおめえ……二日酔いに一番効くのは迎え酒なんだぜ……?」 
「知らないわよっ!!」 
 慌ててその手からコップを奪い取る。 
 もー信じられない! そんな状態でよく飲もうなんて気になれるわよねっ! 
「無理しないで。水でも飲む?」 
「……やべ。気持ち悪くなってきた……」 
「ば、ばかばかっ、ここで吐かないでよ!? キットン、何か薬持ってない? 薬!」 
 わたしが叫ぶと、キットンは「ああ」と言って、ごそごそとポケットから丸薬を取り出した。 
「それなら、これなんかどうです? わたしが作った薬なんですけど。効くはずですよ」 
「…………」 
 それを見て、トラップはぷいっと視線をそらした。 
 まあ、気持ちはわかるけどね。ショッキングピンクの丸薬って……見た目は綺麗だけど、ちょっと不安になるかも…… 
 いやいや、でも見た目にこだわってる場合じゃないって! 
「ほら、トラップ! これ飲んで飲んで。それから部屋に戻って大人しく寝よう?」 
「…………」 
「トラップってば!」 
「わあったよ! うっせえなあ……」 
 文句を言いながら、トラップは渋々と差し出された丸薬を口に放り込んだ。 
 そして、わたしが差し出した水を奪い取って、ごっくんと飲み干す。 
 その瞬間……だった。 
「ぶはっ!?」 
「と、トラップー!!?」 
「ま、まずいっ……キットン! てめえ、この薬に何を混ぜたんだ!?」 
 さっきまでへばっていたとは思えない元気さで、トラップがきっとんの首を締め上げた。 
 ああ良かった。よく効いたみたいね……とわたしはのん気にそんなことを考えたんだけど。 
「何言ってるんですか。良薬口に苦しというでしょう? よく効く薬というのはですねえ、えてして……」 
「……キットン」 
「はい?」 
 ひしっ!! 
 その瞬間に起こった光景を、わたしはきっと一生忘れない。 
 たった今までキットンに文句を言おうとしていたはずのトラップは……何故か。何故かっ!! 
 キットンの身体を、ひしっ、と抱きしめていた。 
 周囲の温度が一気に氷点下まで下がった。 
「と……トラップ……?」 
 おそるおそる、と言った感じでも。声をかけたクレイの勇気にわたしは拍手を送りたい。 
「トラップ、お前……」 
「俺って奴は……何で今までおめえの魅力に気づかなかったんだ!?」 
「はあっ!!?」 
 悲鳴のような声をあげたのは、抱きしめられているキットン。 
 いや、気持ちはわかる。気持ちは…… 
「ととととトラップ!? だ、駄目、駄目ですよ!? わ、わたしにはスグリという妻がっ……」 
「そんなもの俺達の間では何の障害でもねえっ!!」 
「『達』って何ですか『達』って――!!?」 
 わたし達も含めて周囲にいたお客さん達が、一気にひいた。 
 こ、これは一体どういうことっ!? 
「お、おい、トラップ!!」 
 ぐいっ 
 それでも、さすがに放っておけない、と思ったのか。 
 クレイが、トラップの肩をぐいっ、とつかんだ。 
 トラップの視線が、キットンからクレイにうつる。その瞬間…… 
「クレイ――!!」 
「うわあああああああああああああああ!!?」 
「クレイ。俺は、どうして今まで……ずっと一緒に過ごしてきたのにおめえの魅力に気づかなかったんだ!?」 
「ば、バカっ、一生気づくなそんなもん!?」 
「クレイっ、クレイ――!!」 
「だ、誰か、誰か何とかしてくれっ!!」 
 クレイの悲鳴に、誰も答える人はいない。 
 助けを求める視線を向けられて、一斉に視線をそらす。 
 だ、だって……とてもじゃないけど近寄れない! 怖くて!! 
 そのとき、トラップの腕から逃れたキットンが、わたしの方に転がってきた。 
「ぜえ、はあ……え、えらい目に合いました……」 
「キットン! あれ、何!? あなたの薬飲ませたらああなったのよ!? 一体トラップに何を飲ませたの!?」 
「お、おかしいですね。二日酔いの薬のはずなんですが……あ、ああ、あああああああ!!」 
 わたしの言葉に自分のポケットを探っていたキットンは、盛大な悲鳴をあげた。 
「すすすすいませんクレイっ!!」 
「何だっ!? 何が起きたっ!!?」 
 迫りくるトラップにショートソードをつきつけながら(うわっ、クレイ、目が本気になってるよ……)言うと、キットンは、トラップに目を向けないようにして叫んだ。 
「トラップに飲ませた薬なんですが、実はわたしが実験で作った惚れ薬でした! 決して視線を合わせないようにしてください! この薬、目を見た相手には見境なく迫るようです!!」 
「せ、迫るようです、じゃなーい!!」 
 わたしとクレイのツッコミが、一斉に炸裂した。 
 キットンの怪しい薬で誰かが被害にあうのはいつものことだけどっ…… 
 な、なんて薬を作るのよこの人はっ!! 
「キットン、何とかならないの!? 薬って、一体効果はいつまで!?」 
「そんなに長持ちはしないはずですが……」 
 その間に、キットンの言葉通り視線をそらしたクレイがこちらに逃げてきた。 
 で、トラップは…… 
「ルーミィ! 俺はどうしておめえの魅力に今まで気づかなかったんだ!!?」 
「うわ――ん!! ぱーるぅ、くりぇー!! とりゃーが、とりゃーが変だおう!!」 
 今度はルーミィに抱きついて、彼女を泣かせていた。 
 ……ってちょっと! それは! それは犯罪よトラップ!!? 
「ば、バカバカっ、離しなさいってトラップ!!」 
 ルーミィの泣き声を放っては置けず、わたしが思わず二人の間に割り込むと。 
 がしっ、と。手を握られた。 
 どばっ、と一気に冷や汗が背中を伝う。 
「と、トラップ……?」 
「パステル」 
 呼ばれて、反射的に振り向いてしまう。 
 視線が、あった。ばっちりと。 
「トラップっ……」 
「パステル。……好きだ」 
 どがんっ!! 
 一瞬にして顔が真っ赤に染まるのがわかった。 
 薬のせいっ……だよね? そうだよねっ!!? 
 だけど、そうとわかっていても。 
 そうやってじいっとわたしを見つめるトラップの顔は、すごく真面目で…… 
「やっ、あのっ、トラップ……」 
「好きだ」 
「ちょ、ちょっとっ……」 
「おめえは、俺が嫌いか……?」 
 だからっ…… 
 薬の効果でしょ!? それで見境なく迫ってるんでしょ!!? 
 何でそんなに真面目な顔して言うの!!? そ、そんなの反則だよっ!! 
 ぐらぐらっ、と心が揺れるのがわかった。 
 トラップって、こんなにかっこよかったっけ……? 
 そういえば、背だって結構高いし、端正な顔立ちしてるし。 
 軽い性格してるけど。いざというときはいつだって頼りになったよね…… 
 ……って何考えてるの!? 何考えてるのよわたしってばっ!!? 
「と、とらっ……」 
「好きだ」 
「……え?」 
 ぐっ、とトラップが身を乗り出してきた。 
「好きなんだ。おめえのことが……好きだ、パステル!」 
「きゃあああああああああああああああああああああああ!!」 
 ガターンッ!! 
 派手な音が響いた。 
 それは、わたしとトラップが床に倒れこんだ音。 
「ば、ばかばかトラップ! 離して、離してってば!!」 
「……好きだ」 
「好きだはわかったから離して――!!」 
 床に押し倒された、ということを理解するのに、かなり長い時間がかかった。 
 そして、そのままトラップの手は、一気にわたしの胸元に伸びてきて…… 
 ってバカ――!! ここをどこだと思ってるのよ――!? 
「バカやめろトラップ! それはさすがにまずい!!」 
 わたしがじたばたもがいていると、クレイとノルが、二人がかりでトラップを引き離してくれた。 
 うっ……こ、怖かったっ…… 
「ほほお……興味深いですねえ……」 
 そんな中、小さくつぶやくキットンの声が、妙に耳についた。 
  
 結局、トラップに目隠しをすること丸一日。 
 どうにかこうにか効果が切れてくれて、やっと一息つくことができた。 
 ああもうっ……生きた心地がしなかったわよ本当に!? 
 昨日の出来事を思い出すと、今でも心臓がばくばく言いだす。 
 そ、そりゃあね。薬のせいだ、っていうのはわかってるよ? 
 だけどねっ……そうとわかっていても。あんな真摯な顔で告白されたら、女の子なら誰だってっ…… 
 どんどん 
 不意に響いたノックの音に、わたしはそれこそ金縛りにでもあったかのような勢いで全身を強張らせた。 
 し、心臓に悪いっ…… 
「は、はーい?」 
「……俺だけど」 
 どきんっ!! 
 かけられた声は、まぎれもなく……昨日の騒ぎの中心人物。 
「と、トラップ? 何か用……?」 
「…………」 
 わたしの言葉に、トラップは音も無く部屋に滑り込んできた。 
 その顔に浮かんでいるのは、昨日と同じ表情。 
 ……つまり、真面目な表情。 
「……あのよ。昨日のことだけど」 
「ききき気にしてないよ全然!? 薬のせいだもんね。仕方ないよねっ!!」 
「…………」 
 わたしがまくしたてるようにして言うと、トラップは無言で歩み寄ってきた。 
 な、何……でしょう? 
「トラップ……?」 
「…………」 
 そのまま。 
 何も言わず、トラップはわたしの身体を抱きしめた!! 
 どーん、と頭で火山が噴火したときのような音が響いた。 
「と、トラップ――!!? な、何っ……」 
「……キットンの奴が言ってたんだけどよ」 
「え……?」 
 ぎゅうっ、と背中に回った手に、力がこもる。 
「俺が飲んだ惚れ薬……な。目が合った奴に見境なく迫る薬、みてえだけど……」 
「う、うん? うん、それは聞いたけどっ……」 
「……実はな。それでも、嘘はつけねえらしいんだよな……」 
「……え?」 
 言われた意味がわからなくて。わたしが首をかしげると。 
 トラップは、肩に顔を埋めるようにして言った。 
「だあら……『魅力に気づいた』とは言えても……好きでもねえやつに『好きだ』『愛してる』とは、言えねえみてえなんだよな……」 
「…………え?」 
 ま、まさか。だって、昨日のあれはっ…… 
「そ、それは……違うんじゃない? だって……」 
「……だあらっ!!」 
 強い声で叫ばれて、びくん、と背筋が強張った。 
「だあら、俺は……どうも、おめえが好き、みてえなんだよな……」 
「…………は……?」 
 突然言われた言葉に、頭が追いつかない。 
 す、好き? ……え? 
「だあらっ……ああもう。言っておくけどなあ! 薬の効果はもう切れてるからな!? 俺は今は何も飲んでねえし酔ってもいねえしきわめて健康で正常だからな!? それを踏まえて聞けっ!!」 
 顔を髪と同じ色に染めて、トラップはまくしたてるようにして言った。 
「お、おめえのことが……好き、だ」 
「…………」 
「返事はっ!!?」 
「は、はいっ!!」 
 ぐっ、と顔が迫ってきて、反射的に頷いてしまう。 
 何なんでしょう、この怒涛の展開は…… 
 で、でも…… 
 トラップの言葉は、素直に嬉しかった。 
 わたしがそう言うと、トラップは「はーっ」とため息をついて、 
「断られたらどうしよーかと思ったぜ……」 
 と、耳元で囁いた。 
 ……トラップでも、不安になることがあるんだ? 
 それは、ちょっと新鮮な発見だった。 
 

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