「トラップ、お願いわたしと付き合って!」 
「はあ? どこに?」 
 がくうっ 
 わたしの持てる限りの勇気を振り絞った一世一代の告白は、こんなお約束のボケをかまされて終わってしまった…… 
 何で!? 何でこーなるのー!? 
  
 わたしの名前はパステル。冒険者で、詩人兼マッパーっていう職業についている。 
 パーティー仲間は五人と一匹。ファイターのクレイ、盗賊のトラップ、魔法使いルーミィ、農夫キットンに運送業ノル、それにホワイトドラゴンの子供、シロちゃん。 
 みんな年齢も生まれ育った環境も性格も種族さえも見事にばらばらなのに、何故か不思議な縁で知り合って。そうしてもう何年も一緒に冒険者をやってきたんだけど。 
 最近、その中の一人のことが……どうも気になって気になって仕方が無い。 
 パーティーは、苦楽を共にして寝食共にして、もう家族と同じ……ううん、ひょっとしたらそれ以上かも? な関係になっちゃってて。 
 そしてわたしも、そんな関係をすごく気にいっていて、みんなとずーっとこうして一緒に入れたらいいなあ、なんて思っていたんだけど。 
 何故だか、その中の一人……サラサラの赤毛を長めに伸ばして、ひょろっとした身体に派手な服装が目につく盗賊……トラップのことを、特別な存在として、意識するようになってしまった。 
 きっかけが何かなんてわからない。トラップは口が悪くてトラブルメーカーで、彼のせいで迷惑をかけられたり嫌な思いをしたりしたことは何度となくあって。 
 最初のうちは、むしろ印象は悪い方だったのに。何故だろう……その口の悪さの裏で、実は誰よりも仲間のことを考えていてくれてるんじゃないか? って思うようになったのは。 
 現実主義者で厳しいことばっかり言って、それは時として凄く冷たく聞こえるときもあるけど。それは相手のためを思っての発言だって、そう気づいたのはいつだろう? 
 わからない。とにかく確かなことは、気がついたらわたしはトラップの姿ばっかり目で追うようになっていて、彼と話すときだけは何故だか胸がすごーくドキドキして…… 
 よく人はわたしのことを「鈍い」って言うんだけど。 
 いくら鈍感なわたしでも気づくよ。わたしは、トラップに恋してるって。 
 最初はね、意識しても、だからどうしましょう? って感じだったんだ。 
 だって、もうトラップと出会ってから……四年? それくらいの月日が流れてて。 
 今更「好きです」なんて言ったところで、トラップを困らせるだけじゃないか……とか。関係が気まずくなるんじゃないか、とか。 
 とにかく、そんなマイナスな考えばっかりが浮かんできちゃって。 
 だから、最初は、「この思いは胸に秘めておこう。今の関係のままで十分じゃない。贅沢は言わないでおこう」って思ってたんだけど…… 
 だけど、駄目だった。 
 わたし達が拠点にしているシルバーリーブという小さな村。わたし達は、色んなクエストを経験して、今じゃすっかり村の有名人になっているんだけど。 
 我がパーティーのリーダークレイは、すらりと背が高く王子様のような美形で性格は誰にでも優しいという、女の子なら誰でも夢中になってしまうような完璧な人。 
 そして、わたしの思い人たるトラップも、まあクレイと一緒にいるせいで今まであまり目立たなかったけど、あれでなかなか端正な顔立ちをしてて、ぺらぺらとよくしゃべるから話していると楽しい人。 
 つまり、二人とも女の子にもてる人なのだ。というわけでどうなったのか、というと。シルバーリーブには、「クレイ親衛隊」と「トラップ親衛隊」なるものが存在している。 
 クレイの方はねえ……彼自身がわたしといい勝負なくらい鈍感なこともあって、誰にでも優しいけどそのかわりに誰のことも特別扱いしないから。 
 親衛隊の皆さんも、それなりに「抜け駆け禁止」みたいな暗黙の了解ができてるみたいなんだけど。 
 トラップの方はすさまじい。彼は美人でグラマーな女の子が大好きみたいで、いつも適当にナンパしたりしてるから。親衛隊の方々の中にも声をかけられた子が何人かいるみたいで。 
 だから、その……何て言うのかな? 「トラップの彼女になれるかもしれない」なんて勘違いしちゃってる子が何人もいるみたいで。 
 そんなわけで、シルバーリーブにいる間中、彼の周囲から女の子の姿が途絶えたことはない。 
 一緒に暮らしている以上、わたしは嫌でもその姿を見なきゃいけないわけで…… 
 トラップが他の女の子と楽しそうにしゃべってるのを見るたび、ものすごーくイライラむかむかして、ついついルーミィ達にあたってしまったりするんだよね。 
 これは……もしや俗に言う「やきもち」って奴、ですか……? 
 はあ。思い出すとため息が出る。 
 一年くらい前……わたしがまだ、自分の気持ちに自覚する前。 
 その当時、わたしはクレイともトラップとも特別な関係にはなりたくない、家族みたいな関係でいたいんだー! なーんて思ってた。 
 その頃から親衛隊は存在してたけど、当時、わたしは彼女達からすごく嫌がらせを受けてたんだよね。 
 そりゃあ、自分のお気に入りの男の子の周りに、同じ年頃の女の子がいたら色々気にいらない、って気持ちはわからなくもないけど。 
 わたしとクレイとトラップは、家族なんだってば! 彼女とかそんな関係じゃないんだってば! どうしてそれをわかってくれないの! 
 と、すごくすごくイライラしていた。 
 そう、イライラの原因を、「わたしが悪いわけじゃないのに嫌がらせを受けるなんて納得いかない」からだ、と分析していたりした。 
 今から考えると、多分、あれも原因の何割かは、やきもちだったんだろうなあ…… 
 その頃から、もしかしたらもっとずっと前から、わたしはトラップのことが好きだったんだ…… 
 つまり、数年越しの思い、というわけ……? 
 はあ。 
 大きな大きなため息をついて、顔をあげる。 
 わたしが今いるのは、みすず旅館のいつもの部屋。 
 窓の外から見える庭では、クレイが剣の手入れをしている。 
 キットンは隣の部屋で実験をしていて、ノルはルーミィとシロちゃんを連れて遊びに出かけていて。 
 そして、トラップは……旅館まで迎えに来たすっごく綺麗な女の子(びっくりするくらい胸が大きくてウエストのくびれた子だった……)と一緒に、どこかに遊びに行ってしまった。 
 ううっ、辛い。辛すぎる。 
 そんな光景を見たくない、と心から思ったから。勇気を振り絞って告白したのに。 
 わたしだって親衛隊の女の子に負けないくらい……ううん。彼女達よりずっとあなたのことが好きなんだよって、そう言いたかったのに。 
 それなのにっ、あの男はっ……! 
 「わたしと付き合って」に「はあ? どこに?」なんて、普通言う!? 
 何より腹が立つのは、トラップの表情を見る限り、彼はボケをかましたわけでも冗談を言ったわけでも、ましてや婉曲的に断ってきたわけでもなく、本気で文字通りの意味に……つまり、買い物か何かに付き合って欲しいんだ、と解釈したらしい、ってとこなんだけど。 
 それって……つまり、トラップにとって、わたしが「アウトオブ眼中」ってことだよね? 
 わたしが告白してくるなんてこれっぽっちも考えてない……そういうことだよね? 
 つ、辛い……辛すぎるっ……! 
 それって、ある意味振られるより痛いかもしれない。だって、女の子として見られてないってことだよ!? 
 ああーもう……どうすればいいんだろうっ…… 
 頭の中がぐっちゃぐちゃになって、わたしはバタンと机につっぷした。 
 彼がそう思うのも無理は無いかもしれない、って思う。 
 だってねえ……男とか女とか。そんなこといちいち意識してたら、同じパーティー組んで冒険者なんてやってられないもん。 
 クエストに出ればみんなで雑魚寝だし。貧乏なわたし達は宿に泊まっても全員一部屋なんてこともあったし。 
 よーく考えたら昔はトラップと一緒にベッドで寝たりしたことすらあった気がする。いや、二人じゃなくて間にルーミィもいたけどね。 
 そんなことしておきながら、今更……だよね、本当に。 
 例えば、逆の立場で……もしわたしがクレイあたりから「好きだ」なんて言われても、本気には受け取れないだろうし。 
 って、うううっ……理解してどうするのよお…… 
 涙が出そうになる。一番いいのは、多分諦めてしまうこと。 
 どうせ無理なんだって諦めて、忘れて、別の誰かを好きになるなりしてしまうこと。 
 多分それが、一番無難で波風が立たない方法だと思う。 
 だって……例えば、仮にわたしとトラップが恋人同士になったとして。 
 どうしたってみんなには黙ってるわけにはいかないから、それを話すことになると思う。 
 そうしたら、きっとみんな気を使ってくれるだろう。二人きりにしてあげようとかね。 
 そんなぎくしゃくした関係になるのは……嫌だし。気を使わせたくはないし。 
 だけど、だけどっ……! 
 それができないから。諦めることができなくて、むしろ日を追うごとに好きになっていってるのがわかるから。 
 だから……だから辛いのよー!! 
  
「リタ……お願いがあるの」 
 トラップに告白して、振られるより残酷な結果に終わった一週間後。 
 わたしは、一人で猪鹿亭に訪れていた。 
 14歳で冒険者になって、しょっちゅうクエストに出かけているわたしには、同い年くらいの女の子の友達って、あまりいない。 
 猪鹿亭のウェイトレス、リタと、エベリンに住んでるトラップの幼馴染、マリーナくらいしか。 
 エベリンはいくら何でも遠いから、と。わたしは迷わずリタを相談相手に選ぶことにした。 
 もう、一人ではどうしようもないって結論に達した。 
 このまま一人でああでもないこうでもない、と悩んだところで。よく考えたらまともに人を好きになったことがこれまで一度も無いわたしに、何かいい知恵が浮かぶことは無いだろう、と。 
 そんなわけで、誰かに相談しようと思ったんだけど。 
 やっぱりね、こういうことは同じ女の子でないと。リタなら、ウェイトレスとして色んなお客さんと接してるし。きっといいアドバイスをくれると思うんだ! 
「パステル、どうしたの? 改まって」 
「うん……リタ、お願い! わたしを女らしくして欲しいの!!」 
 わたしの言葉に、リタは目を丸くしていた。 
 ……驚くのも、無理は無いだろうなあ。今まで、「クエストに出るのにお洒落したってしょうがない。余分な荷物なんか持ち歩く余裕は無い」って常々言ってたわたしだもの。 
 だけどっ……つまり、根本的な問題はここにあるんじゃないか、って思ったんだよね。 
 わたしが、同世代の女の子と比べて、あまりにも服装とか化粧とか、そういったことに無頓着すぎる。それが、女の子として意識してもらえない一番の原因じゃないかって! 
 ほら、トラップって可愛い女の子が好きみたいだし。彼が一緒にいる女の子は、どの子もすごくお洒落な子ばっかりだしね。 
 彼女達に対抗するためには、まず外見を磨くしかない、って思ったんだ。 
「女らしく?」 
「そう。お化粧の仕方とか、髪型とか服とか。わたし、冒険冒険で、最近の流行とか全然知らないし。だから、リタに教えて欲しいの!!」 
 そう言うと、リタはしばらく黙ってたけど、やがて、ポン、とわたしの肩を叩いて言った。 
「トラップに見せるため?」 
 ガターンッ!! 
 前置きもなく言われた台詞に、思わず椅子ごとひっくり返ってしまった。 
 な、な、何でわかるのっ!? 
「り、リタ……?」 
「パステルは、わかりやすいから……わかってたわよ? 最近、ずーっとトラップのことばっかり見てたでしょ? ……また厄介な相手を好きになったものねえ」 
 そう言って、リタは苦笑いしながらお茶を出してくれた。 
「厄介、かな?」 
「あら、厄介だと思うわよ、わたしは? あいつって、言ってることがどこまで冗談か本気かわからないし。適当にナンパばっかりしてるくせにいざ相手が本気になるとすぐに逃げ出そうとするし。あいつを彼氏になんかしてみなさい。恨まれて背後から刺されかねないわよ?」 
 リタの言葉に、思わず背筋がぞーっとしてしまう。 
 そうなんだよね。トラップって、適当にナンパして遊ぶのは好きなくせに、いざ相手が本気になると、何故か急に腰がひけちゃう人なんだよね。特定の誰かと深い付き合いになるのは避けてる、っていうか。 
 確かに、そんな彼の彼女になったら……恨む女の子はたくさんいるだろうなあ…… 
 そう考えるとちょっと……いや、かなり怖かったけど。 
 だ、駄目駄目、それくらいのことでくじけてどうするの! 嫌がらせなんか、意識する前からずっと受けてたじゃない。そんなことで負けるような、軽い気持ちじゃないんだから! 
「厄介でも何でも……好きになっちゃったんだから、しょうがないじゃない」 
 そう言うと、リタはうんうんと頷いて、 
「そうよねえ。恋って理屈じゃないもんね。で? パステルとしては、あいつに女の子として意識して欲しいんだ?」 
「うん……何だかね。今のままだと、いくら告白しても本気には取ってもらえそうもないから」 
「でしょうねえ……あいつって、変なところで鋭いくせに肝心なところで鈍いわよね。どうして身近に、こんな素敵な女の子がいるって気づかないのかしら」 
 そう言って、リタはぱーん! とわたしの肩を叩いてくれた。 
「まかせなさい! わたしが、パステルを立派な『誰もが振り向く素敵な女の子』に変えてあげるから!」 
 ううっ、た、頼もしい言葉! 
「ありがとうっ。お願いね!」 
 期待してるからね、リタ!! 
  
 リタのアドバイスその1…… 
「お化粧なんて急にうまくなるものじゃないからね。まずは、普段とちょっと違う格好をしてみて、それでアピールしてみるっていうのはどうかな?」 
 そんなわけで、まず手始めに、リタから借りた服を着て、髪型を変えてみることにした。 
 リタが貸してくれたのは、裾がふわっと広がったワンピース。 
 色は淡いピンクで、胸元や袖口にさりげなくあしらってあるリボンがとっても可愛い。普段のわたしではまず着ることはないだろうなあっていうくらい、女の子らしい服。 
 髪の毛はおろして、サイドだけをちょっとかきあげて後ろ頭に服とお揃いの色のリボンを結んでみた。 
 ついでだから、靴も借りてみて。いつものブーツじゃなく、白いパンプスに履き替えてみる。 
「うん、可愛い可愛い。すっごく女の子らしいわよ」 
「そ、そう?」 
 鏡に映ったわたしは、何だか別人みたい。 
「その格好をトラップに見せてやれば、あいつだって絶対いちころよ! 『何で俺はパステルがこんなに可愛かったことに今まで気づかなかったんだろう』って、猛烈に後悔すること請け合いよ!!」 
 とリタは激励してくれたんだけど。 
 結果…… 
 みすず旅館に戻ってみると、クレイが庭で素振りをやっていた。 
 ちょうどいいや。まずはクレイに見せて反応を確かめてみよう。 
「ねえ、クレイ」 
「ああ、パステル。お帰り」 
 にこにこしながら振り返った彼の表情は、たっぷり数十秒経っても、全く変わらない。 
「…………」 
「ん? パステル、どうした? 俺の顔に何かついてる?」 
「……ううん、何でもない……」 
 はあっ、とため息をついて、玄関をくぐる。 
 ……クレイが鈍感なことくらい、わかってたもん。 
 いいんだいいんだ。わたしが見せたいのはトラップであって、他の人は関係無いんだから。 
 階段を上っていくと、キットンとすれ違った。 
「あ、キットン。ねえ、トラップ知らない?」 
「はあ? トラップですか? 部屋で昼寝してましたよ」 
「そう。ありがとう」 
 ………… 
 キットンは、わたしの姿を見ても、「それじゃあー私これから薬草収集に行ってきますねー」なんて言いながら、さっさと階段を降りていった。 
 ううっ、いいんだいいんだ。あの自分の外見にすら気を使わないキットンだもん。他人の服装にまで気づくわけないじゃない。わかってたもん、それくらい。 
 階段を上りきって、わたしの部屋の隣……男部屋のドアをノックする。 
 中からの返事は、無い。 
 ……いるはずだよね? キットンは「昼寝してる」って言ってたんだから。 
「トラップ、いるんでしょ? 入るよー」 
 ガチャン 
 ドアを開けると、トラップはベッドに寝転がって、気持ち良さそうに寝息を立てていた。 
 ……熟睡してる、のかな? 
「トラップ、トラップってば……」 
「ん〜〜……俺、もう食えねえって……アガサちゃん……」 
 ………… 
 ちなみに、アガサちゃんというのは、猪鹿亭に新しく入ったすっごく美人のウェイトレスさんだったりする。 
 トラップのお気に入りの一人でもあるんだけど……そうですか。夢に見るまで仲がいいんですか…… 
 駄目駄目、落ち込むなわたし。そんなのはわかってたから、そんな彼を見るのが嫌だから、こうして頑張ってるんでしょうが! 
 今は彼の心の中にはわたしなんか欠片も存在してないのかもしれないけど! そのうち、わたしの存在で他の女の子を追い出してやるのよ、そう決めたんだから! 
「ねえートラップってば。起きて、起きてよお」 
「…………」 
 駄目だこりゃ。完全に寝入っちゃってる。 
 トラップがこうなると、ちょっとやそっとじゃ起きないもんな……はあ。 
 起きるまで待とうかな? 
 すとん、と床に座って、ベッドに頭をもたせかける。 
 最近、ずうっとこんなことで悩んでいるせいで、なかなか寝付けないんだよね。 
 気持ち良さそうに寝てるトラップを見ていると、何だかわたしまで眠たくなってきて…… 
  
 ………… 
 ゆさゆさと肩を揺さぶられている気がした。耳元で名前を呼ばれた気がした。 
 でも、わたしは、ぽかぽか窓から差し込む光が、すっごく気持ちよくて、まだまだ眠っていたいなあ、なんて考えていて…… 
「……テル……」 
 何で夜も寝てるくせに昼寝なんかするの? って、前は不思議だったんだけど。今はその気持ちがすっごくよくわかる。あったかい太陽の下で寝るのって、すっごく気持ちいい…… 
「パステル」 
 もうちょっと寝ていたいなあ……でも、寝すぎたらきっとまた、夜寝れなく…… 
「起きろ、パステルっ!!」 
「ひゃあっ!!?」 
 耳元で炸裂した大声に、思わず飛び起きる。 
 あ、あれ? わたし、何してたんだっけ? 
 キョロキョロと周りを見回す。そこは、わたしの部屋によく似ていたけど、でも微妙に違う…… 
 えと、男部屋? 
「やーっと起きたか。おめえ、何でこんなとこで寝てんだ?」 
 びくっ 
 耳元で囁かれて、わたしはバッと振り返った。 
 意外なくらい近くに、呆れ果てた、と言わんばかりの表情をしたトラップの顔がある。 
 ぼぼんっ!! 
 そうと気づいた途端、一気に顔が真っ赤になるのがわかった。同時に、自分が何しにこの部屋に来たのかも思い出す。 
 わ、わたしってばっ……寝てどうするのよ寝て! 
「ご、ごめん、ごめんトラップ! あ、あんまり気持ち良さそうだったものだから、つい……」 
「はあ? まあいいけどよ。何か用でもあったんか?」 
「え? えと……」 
 トラップの不審そうな視線が、わたしに突き刺さる。 
 その目は、わたしの全身をあますところなくうつしているはずだけど……特に表情に変化は、無い。 
「と、トラップ。何かに気づかない?」 
「はあ? 何かって?」 
「ほら、あの、いつもと違うなあ、とか……」 
「…………」 
 じーっ、とわたしの身体の上を無遠慮な視線が往復する。そうやってたっぷり数分、わたしを眺めまわして、トラップは言った。 
「おめえ、もしかして、ちょっと太った?」 
 ボスンッ!! 
 その言葉に、わたしが手近にあった枕を投げつけたことは、言うまでもない…… 
 かくして、「いつもと違う格好をしてちょっと相手をドキッとさせよう作戦」は、大失敗に終わったのだった…… 
「まあねー。あのトラップだもんね。例えば気づいていたとしても、絶対素直に褒めたりするタイプじゃないとは思ってたけど……」 
「それ以前に気づいてもいないみたいだった……」 
 同情の視線を向けてくるリタに、わたしはしみじみと涙したのだった…… 
  
 リタのアドバイスその2…… 
「他の男の子のことを褒める、って言うのはどう?」 
 にこにこしながら、彼女は言った。 
「例えば、クレイのこととか? を、トラップの前でわざと褒めたりするの。『あんな人が恋人だったらいいなあ』くらい言ってもいいかもしれない」 
「そ、それって何か効果あるの?」 
「大有りよ! もしかしたら、目の前の女の子が他の男の元に行くかもしれない……そう思ったとき、突然『手放したくない』なんて思いに囚われて、そこから……なーんてこともあるのよ?」 
「ふうん……」 
「ま、簡単に言っちゃえば、やきもちを焼かせて無理やり気持ちに気づかせよう、ってことね」 
 なるほど。何だか一理あるかも。 
 例えば、もしトラップがわたしの前でマリーナを褒めたら、すっごく嫌な気分になると思うもんね。 
 うん、いいかもしれない! 
 というわけで、わたしは早速、みすず旅館に戻って男部屋の方に顔を出してみた。 
 で、結果。 
 例によってクレイは庭で剣の手入れをしていて、キットンは薬屋さんのアルバイトに。 
 トラップは、盗賊七つ道具の手入れをしている最中だった。 
「ねー、トラップ。今ちょっといい?」 
「ああ? おめえどこに目えつけてんだよ。今道具の手入れしてんだよ、俺は」 
 ……そりゃ、見ればわかるけど。 
「手入れしながらでいいから、話だけ聞いててよ、お願い!」 
「話い? 何だよ」 
「う、うん。あ、あのねっ」 
 ううっ、いざとなったら緊張するなあ。ど、どう言えばいいんだろ? 
 褒めればいいんだよね、うん。 
「あのねっ……く、クレイって、いい人だよねっ!」 
「……はあ?」 
 わたしの言葉に、トラップはわけがわからん、という表情を浮かべた。 
 ……そりゃ、そうだよなあ。トラップにしてみれば、いきなり部屋に入ってきて何を突然? って感じだろうなあ。 
 し、失敗した? 
「……おめえ、何かあったんか?」 
「う、ううん、別にっ。ほら、あのさ、何かいっつも助けてもらってるし。いざとなったら頼りになるなあ、とか。すっごくかっこいいし、優しいし。完璧な男の人って、きっとああいう人のことを言うんだよねっ!!」 
 わたしがそうまくしたてると、トラップはしばらくぽかんとした後。 
「だあら……おめえ、今更あに言ってんだ? クレイが優しい? かっこいい? そんなの昔からだろ」 
「……い、いやっ、そうだけどっ。あ、あの……」 
 ま、まずいよお。やきもちどころか、不審がられてるっ! これじゃあわたし、ただの変な人じゃないっ!! 
「あ、あの、クレイみたいな人が恋人だったらいいなあ、なーんて急に思ったものだから……その……」 
 しどろもどろに言葉を繋ぐと。 
 トラップは、何だか急に合点がいった、という風に、深く頷いた。 
「わかったわかった」 
「トラップ?」 
「わかった。おめえ、クレイに惚れてたんだな? そんで、俺にアドバイスをもらいたい、と」 
 ちっともわかってないいいいいいい!! 
 何でそーなるのよっ! わたしが好きなのはあんたなんだってば!! 
 ……なんて、言えるわけもなく。 
「ち、違うってばー!」 
「遠慮すんなって。クレイの奴は鈍いからなあ。あいつに気持ちを伝えたかったら、そりゃもうよっぽど直球ストレートに言わねえと通じねえぜ? 何なら、俺が橋渡ししてやろうか。報酬は食事一回おごりな」 
 鈍いのはあんたよ、あんたー!! 
「も、もういいっ」 
「はあ?」 
「もういいっ。トラップのバカー! もう知らない!」 
「お、おいっ! いきなり人の部屋に押しかけてきてその言い草は何だ!?」 
 背後からトラップの怒声が響いてきたけど。わたしは振り返りもしなかった。 
 何で、何で……気づいてくれないならまだしも、クレイとの仲を応援!? ひ、ひどい…… 
「……やきもちを焼かせて自分の気持ちに気づかせる、っていうのは……気持ちがあれば有効だけど。無いと……逆効果ね」 
「言わないで、リタ……余計に落ち込むから……」 
 リタはわたしと目を合わせようとしない。 
 それが何だか、余計にみじめだった…… 
  
 リタのアドバイスその3…… 
「頼ってみたら?」 
「え?」 
「だから、ちょっとしたことで頼りにしてみたり、甘えてみたりするの。『可愛い奴だな』って思わせるのよ!」 
「……甘える?」 
「そう。例えば、『買い物に行きたいんだけど付き合ってくれない? 荷物が重たくなると思うから』とか言ってね。で、荷物を持ってくれたら、『ありがとう、さすがトラップね! 頼りになるわ』とか言ってみるのよっ。男っていうのは単純だから。頼りにされると喜ぶものなの!」 
「……そ、そうかな……?」 
 あのトラップに……頼る? 甘える? 
 このアドバイスに関しては、わたしは、何となく結果の予想がついていたんだけど。 
 せっかくリタが考えてくれたんだから、と、とりあえず試してみることにした。 
 結果。 
 みすず旅館に戻ってみると、トラップとクレイ、キットンの三人で、何やらカードを囲んでゲームをしてるみたいだった。 
「ごめん、ちょっといい?」 
「ん、パステル。どうしたんだ?」 
 わたしがドアを開けると、クレイが優しく微笑んでくれた。 
 ちなみに、トラップはカードを凝視していて振り返りもしない。 
「ごめん、あの……トラップ?」 
「…………」 
「トラップってば」 
「あんだよ。話しかけんな、今重要なとこなんだよ!」 
 その冷たい言葉に、早くも決心がくじけそうになってしまった。 
 め、めげちゃ駄目! がんばるのよパステル! 
「あ、あのね、トラップ。買い物に付き合ってくれない?」 
「めんどくせえ。パス」 
「そ、そんなこと言わないでっ! 荷物が重たくなりそうだしっ……そ、それに、ほら! 一人だと迷いそうだし!」 
「はあ? おめえなあ、シルバーリーブを拠点にして何年経ってると思ってんだ? 甘えてんじゃねえよ」 
 振り返りもせず、一刀両断。 
 ……そうだよね。トラップだもんね。こうなることは、大体予想してたけど…… 
「パステル、俺が付き合おうか?」 
「……いい……」 
 クレイの言葉に力なく答えて、わたしは部屋を後にした。 
 ドアを閉める寸前に中から聞こえたのは、「よっしゃ! これでどうだ!?」「残念、また私の勝ちですねー」なんていう、のん気な声。 
 わたしのことなんか、これっぽっちも気にしてない。それが丸分かりな声。 
 ううう…… 
 わたしって、わたしって……トラップにとっては、ゲーム以下な存在……? 
「……まあ、クレイならともかく、トラップに対してはかなり無駄なアドバイスだったかも……ごめんね、パステル……」 
「いいよ……大体、予想してたし……」 
 力なく答えるわたしに、リタの痛ましそうな視線が、突き刺さった。 
  
 リタのアドバイスその4…… 
「お色気作戦、ってどう?」 
「お、お色気……?」 
「そう! あいつって、ナイスバディな色っぽい女の子が好きみたいじゃない? トラップの好みの女の子に近づくようにすればいいのよ。よく考えたらそれが一番手っ取り早いわ」 
「……お、お色気、ねえ……」 
 何だか、わたしからはもっとも縁遠い言葉に聞こえるんですけど…… 
 わたしが躊躇している間に、リタは奥に引っ込んで、「こんなの持ってたの? というかいつ着るの?」と言いたくなるような、派手な服を持ってきた。 
 な、何ていうのかな? もう肩とか胸元とかむき出しの、この季節にはちょっと寒いんじゃないだろうか、っていうような、黒いぴったりしたワンピース。 
 スカートの丈は、ちなみにお尻の下の線ぎりぎりくらいしか無い。 
 こっ……これをわたしに、着ろ、と? 
「り、リタ……?」 
「お化粧の仕方教えてあげる。あ、ついでに道具も貸してあげるわよ。練習してみたら? でね、髪をこうアップに結い上げて。あ、胸元が寂しいから何かネックレスでもつけた方がいいわよね? でね、編みタイツをはいて……」 
 ちょ、ちょっと。ちょっとちょっとちょっとー!? 
 あれよあれよという間に、わたしはその「お色気グッズ」を押し付けられていた。 
「大丈夫! パステルは自分で思ってる以上に可愛いわよ? 絶対似合うって」 
 リタの激励を背に、わたしは猪鹿亭を後にした。 
 ……こういう格好、したことが無いわけじゃないんだけど。ほら、あの、いつぞや手品の公演やったときにもね、危ない水着みたいなレオタード、着たことあったし。 
 だけど、今回のは……ある意味、それよりも危ないっていうか…… 
 冷や汗がだらだら流れたけど。 
 で、でもっ! そういえばそう。トラップが好きな女の子って、いわゆる「可愛い系」じゃなくて「色っぽい美人系」だもんね。 
 これくらいの服、着こなせないでどうするの! 
 というわけで、わたしは決意を新たに、自分の部屋に戻ってひとまず着替えてみることにしたんだけど。 
 結果。 
「…………」 
 立ち直れないくらいにへこんで、わたしはベッドにつっぷしていた。 
 リタに借りた服。 
 リタとわたしって、体型は同じようなもの……と思ってたんだよね。だから、ちょっと前も服を借りることができたんだけど。 
 今日借りた服。 
 着てみたら、胸元でひっかからずに、ずるっ、とお腹のあたりまで落ちてきてしまって…… 
 わ、わたしって……わたしって、そんなに……そ・ん・な・に、胸、小さい!? 
 もそもそと服を脱いで、元の自分の服に着替える。 
 やるべきことは、決まったような気がする。 
 今日から、牛乳を飲みまくる。 
 飲んで飲んで、ぜーったいに胸を大きくするんだからー!! 
  
「ぱ、パステル……?」 
「ぱーるぅ……」 
「ど、どうしたんですか?」 
 クレイ、ルーミィ、キットンの声が突き刺さる。 
 みんなの視線を一身に浴びながら、わたしは一人、ご飯も食べずに牛乳を飲んでいた。 
 グラスじゃなくて、びんごと。 
「パステル。そんなに牛乳好きだったのか?」 
「え? う、うん。だ、大好きよ? 最近、何だか急に美味しく感じちゃって……」 
 苦しい言い訳に、クレイ達の表情はますます不審そう。 
 そのときだった。 
「わかった、さてはおめえ、便秘でもしてんだろ?」 
 ごとっ 
 デリカシーの全く無い台詞に、思わずびんを取り落としてしまう。 
 幸い、中身はほぼ胃の中におさめていたから、こぼれはしなかったけど…… 
 キッ、とにらみつけると、目の前ですごーく意地悪な顔で笑っているのは、トラップ。 
 だ、だ、誰のせいでっ……こんなことしてるとっ…… 
「便秘だったんですか?」 
「じゃねえの? ほれ、牛乳飲んだらお通じがよくなるって言うじゃん」 
「ははあ。なるほど。そんなことでしたら、言ってくれれば。いい薬がありますよ?」 
「ち、ちがーう!!」 
 食事中の会話とは思えないっ! もー!! 何でこの二人……言うまでもないだろうけどトラップとキットン……はこんなにデリカシーが無いわけ!? 
「んじゃ、何で牛乳ばっか飲んでんだ?」 
「うっ、そ、それはっ……」 
 胸を大きくするため、なんて言えるわけがない。 
「そ、それはっ……その、え、栄養があるのよ? 牛乳って」 
「はあ? 普通に飯食えばいいだろ」 
「だ、だからっ……」 
 き、気づいて欲しいことにはちっとも気づかないくせに。 
 どうしてこの男は、そういういらないところにばっかり気がまわるわけ!? 
「わ、わたしの勝手でしょ!?」 
「ああ、わかった。さてはおめえ……」 
 思わず開き直ると、トラップは、ポンと手を叩いて言った。 
「ダイエット中だろ? だあら飯も食わずに牛乳ばっか飲んでるとか? やめといた方がいいぜー。牛乳って案外カロリー高いから。飲みすぎるとかえって太るぞ」 
「…………」 
 ごっくん、と最後の一滴まで牛乳を飲み干して。 
 わたしは、トラップの顔面に、空のびんを投げつけていた。 
「お、おめえっ!? いきなりあにすんだよっ!!」 
「バカバカバカーっ! もう知らないっ!!」 
 みんなが唖然とする中、わたしは猪鹿亭を飛び出した。 
 わたしが、こんなに、こんなに頑張ってるのに。 
 どうして全然気持ちに気づいて……気づこうともしてくれないのよ、バカーっ!! 
  
 どたどたと部屋に駆け戻って、服を脱ぐ。 
 ……ちょっとは……いやいや、昨日の今日で、急に大きくなるわけない、とはわかってるけど。 
 ほ、ほんのちょびっとくらいは……大きくなったりとか、してないかな? 
 昨日脱いだままの服を身につけてみる。 
 ぐいっ、と胸元まで服を引き上げて、そうっと手を放す。 
 ずるずるずるっ、とお腹までずり落ちていく服に、絶望感すら覚えてしまう。 
 ……パットでも入れてみようか、この際。 
 ううっ、でもそんなの、服を脱いだらばれちゃうし……いや、トラップの前で服を脱ぐことなんか…… 
 いやいや、でももしそれで付き合うことになったとしたら、いずれは、その…… 
 って、うわわっ、何考えてるのよ、わたしってば!! 
 ぼぼんっ、と一気に顔に血が集まる。 
 な、な、何考えてるんだろ。わ、わたしまだ18歳だよ!? ま、まだ…… 
 いや、早すぎる、ってことはないのかな? わたしくらいの年で、結婚してる人だっているし。 
 えと…… 
 そんなことを考えていたときだった。 
「おいパステル。いるのかあ?」 
 バタン 
 予告もなくドアが開いて、当の本人トラップが、顔を出した。 
 ………… 
 しばらくの見詰め合い。トラップの目がまん丸に見開かれて、じーっとわたしを凝視している。 
 ちなみに、今のわたしの格好は。 
 リタに借りた服をまだ着ていて。それも、お腹のあたりまで落ちてきたそのままの格好で。そういうデザインだからもちろん下着はつけてなくて、つまり上半身は完全な裸で…… 
「あ、わりい」 
「きゃあああああああああああああああああああああああああ!!? ば、ばかばかばかばかー!! 見ないでよエッチー!!」 
 ぶんっ、と手近にあった枕を放り投げて、慌ててベッドから布団を引き剥がして頭から被る。 
 も、もう最低っ! 何でこう、間の悪いときにっ…… 
 情けなくて涙が出そうになったけれど。動揺しまくっているわたしとは対照的に、トラップは顔色一つ変えず、ひょいっと枕を避けて言った。 
「おめえなあ。人がわざわざ来てみりゃあ……おめえが勝手に脱いでたんだろうが」 
「ノックくらいしてよー!?」 
「いきなり着替えてるなんて普通思わねえだろーが。ついさっきまで飯食ってたのに。んで? おめえあにやってんだよ」 
「…………」 
 聞かれて、言葉に詰まる。 
 ほ、本当のことなんて……言えるわけないじゃないっ!? 
「か、関係ないでしょ!? もういいから出てってよー!」 
「あのなあ……おめえ、最近何か変だぞ。何かあったのか?」 
 あんたのせいよ、あんたの。 
 思わずそう言いそうになったけれど。 
 トラップの言葉に、ふと顔をあげる。 
 あれ、そう言えば…… 
「トラップ。心配……してくれたの?」 
「ああ?」 
「だって、まだご飯中じゃ……」 
「ああ」 
 うんうんと頷いて、トラップはあっさりと答えた。 
「クレイの奴がうっせえんだよ。『パステルの様子を見に行け』ってなあ。ったく、俺まだ飯食ってる途中だったんだぜ? 勘弁してくれよなあ」 
「…………」 
 クレイに言われたから、ね。 
 そうだよね……トラップに限って。そんな都合のいい話、あるわけないよね…… 
「わかった……」 
「あ?」 
「わかった、もういい! もういいから出てって!」 
「お、おめえって奴は。礼の一言くらい言えねえのか!?」 
「な、何よー! それが着替え覗いた人の言う台詞!?」 
「はあ? 冗談言うなっつーの」 
 わたしの言葉に、トラップはこの上なく意地悪そうな笑みを浮かべた。 
「だーれが、そんなどこが胸だか背中だか、判断に困るような身体見て喜ぶかっつーの」 
「…………」 
 ぶっちーん、と、頭の中で確かに何かが切れた。 
 裸を見たのに。それも、わたしもう18歳なんだよ? 子供じゃないんだよ? 
 そんな妙齢の乙女の裸を見たっていうのに……トラップは、何にも、感じてないわけ? 
 わたしって、そんなに…… 
「そんなに、魅力ない?」 
「あ?」 
「わたしって、そんなに魅力ない!?」 
 ばさあっ、と布団を払いのける。腰のあたりにまとわりついていた服を脱ぎ捨てる。 
 下着一枚の姿になって、わたしはずかずかとトラップの元に歩み寄っていった。 
「お、おい、パステル!?」 
「そんっっなに、わたしの身体って魅力無いっ!?」 
 ぐいっ、とトラップの胸元をつかみあげる。 
 さすがの彼も面食らったらしく、わたしにされるがままになっている。 
「お、おめえ……何があったんだ? 何か、ヤケになってねえ?」 
「ヤケ……ヤケ、ねえ……」 
 なってるかもしれない。ふとそう思う。 
 だって、もう何をしてもトラップには通じなくて。全然女の子として見てもらえない、意識してもらえなくて。 
 そうなったら、もう……残された手段なんて、これしか無いじゃない。 
「全然、気づかない?」 
「はあ? あにをだ?」 
「わたしの気持ちにっ!!」 
 言いながら、わたしは。 
 トラップの胸元を思いっきりひっぱって、彼の唇に、無理やり自分の唇を重ねていた。 
 
「…………」 
「…………」 
 時間が止まったか、と思うような静寂が流れた。 
 トラップは目を白黒させてわたしを見つめていて。わたしはわたしで、自分がやったことに自分が一番驚いていて。 
 で、でももう引っ込みがつかない! もう……引き下がれないっ!! 
「ぱ、パステル……?」 
「好きだよ……」 
 ボソリ、と唇を離してつぶやく。目に涙が浮かぶのがわかった。何で……ここまでしなきゃ、気づいてもらえないんだろう? 
「好きだよ。わたしはトラップのことが好きなの! どうして……どうして気づいてくれないのよ、バカあっ!!」 
「は、はあ?」 
 ぽかんとするトラップに無理やり詰め寄る。 
 彼の足がたたらを踏んで、どすん、と床に座り込んだ。 
 その上にのしかかるようにして、じっと瞳を覗き込む。 
「好き、なの」 
「…………」 
「ほ、本気だからっ……ずっとずっと、そのために今まで頑張ってきたのにっ……トラップは、全然、気づいてくれなくってっ……」 
 ぼろぼろと涙がこぼれる。 
 悔しい、悔しい。 
 何で……こんな人を好きになっちゃったんだろう? 
 何で、わたしばっかり……こんな思いを味あわなくちゃいけないんだろうっ…… 
「好き」 
「…………」 
「トラップが、好き。だからっ……」 
 ぎゅうっ、と胸元をつかむ手に力をこめると、ぶつんっ、と音がして、シャツのボタンがとんだ。 
 わずかに覗く、素肌。わたしは、そこに唇を寄せた。 
「っ……お、おい、パステルっ!?」 
「…………」 
 物凄く焦ったようなトラップの声が、耳に届く。 
 だけど、わたしはそれを無視して、トラップのシャツのボタンを全開にした。 
 わたしだって、女の子なんだからっ…… 
 トラップが好きな、大人っぽい女性。外見はなかなかなれないかもしれないけどっ……でも、中身ならっ…… 
「わたしだって子供じゃない……」 
「おい……」 
「わたしだって、これくらいできるんだからあ!!」 
「おい、やめろって!!」 
 悲鳴のような声が響く中。 
 わたしは、トラップの身体を床に押し倒していた。 
  
 普段の彼なら、わたしの身体くらい、簡単にはねのけられるんだろうけど。 
 それをしようとしないのは……何でなだろう? 
 あらわになった裸の胸に唇をつける。 
 軽く力をこめて吸い上げると、浅黒い肌に、赤い痣のようなマークが浮き上がった。 
「っ……お、おめえ、おい。洒落になんねえって……」 
「洒落じゃないもん……」 
 本気、だもん。わたしは本気。冗談なんかじゃ、ない。 
 すうっ、と素肌の上に手を滑らせる。しなやかな筋肉の、硬い手触り。 
 ……本当に、綺麗な身体だなあ…… 
 間近で見ると、つくづくそう思う。 
 ひょろっとしてるように見えるけど。引き締まってて、無駄な贅肉が全然なくて。 
 うっ、羨ましいっ…… 
 って、そんなこと言ってる場合じゃなくてっ!! 
 がしっ、とトラップの手をつかむ。 
 その手を無理やり自分の胸にあてがって、じいっ、と上目遣いで見上げる。 
 視線がぶつかったとき、トラップの身体が、びくんと震えた。 
「お、おめえ……」 
「触ってみて」 
「おいっ……」 
「触ってみて! どこが胸か背中か、見てもわからないんでしょ!? だから、触って確かめてみて、って言ってるの!!」 
 半ば、どころか完璧にやけっぱちになって叫ぶ。 
 その瞬間。 
 トラップの指に、わずかに力がこもった。 
 ぎゅっ、と胸に食い込む気配。そして…… 
 その瞬間背中に走る、ぞくっとした気配。 
「あっ……」 
「…………」 
 無言で、指が動く。 
 握ったり、開いたり。そんなに強くは無いから、痛くはない。 
 指が動くたび、わたしの身体には、変な感覚がいっぱいに走って…… 
「あっ……や、あ……」 
「…………」 
 つつっ、と、指が移動した。 
 胸から、脇腹へ。そのまま、腰へ。 
 滑るようにわたしの身体を撫でながら、徐々に、下へ、下へと降りていく。 
「……わたしだって……」 
「…………」 
 何を言おうとしたのか自分でもわからなかったけど、無意識につぶやいていた。 
 わたしだって、女の子なんだから。 
 多分、言いたかったのはそんなこと。 
 トラップの手が、わたしの背中にまわった。ゆっくりと撫でられて、思わず背筋がのけぞった。 
 せ、背中って……こんなに敏感だったっけ……? 
 トラップの表情は、ひどく複雑だった。 
 嬉しそうな、困ったような、怒ってるような……とにかく、ありとあらゆる色んな感情が入り乱れていて。 
 だけど、気にしない。気にしたら……きっと、決心が鈍る。 
 ここまで、したんだから。もう覚悟は、できてるんだから。 
 するっ、と。自分の手を、トラップの上半身から下半身へと移動させる。 
 触れた手触りは、妙に固く……妙に、大きい。 
「トラップ……」 
「……俺だって、男だからな」 
 ボソリ、とつぶやかれた声は、ひどく不機嫌そうだった。 
 不機嫌そうでいて……どこか、嬉しそうでもあって。 
「ここまで来たら、止まらねえぜ? おめえな、勘違いすんなよ? 男ってーのはな、特別に好きな女じゃなくても、抱く気になれば抱けるんだぜ? 抱いたからって、おめえを好きだ、とは限らねえんだぜ? それでもいいのかよ?」 
「……いいよ」 
 好きだとは限らない。 
 それは……もしかしたら、好きかもしれない、ってことでしょう? 
 それに、いいもん。 
 わたしはトラップのこと、好きだから。だから……いいもん。 
「いいよ。トラップの好きにして……わたしは好きだから。だから、後悔なんかしない」 
 じっと目を見つめて、わたしは、はっきりと言った。 
「わたしを抱いてくれる?」 
「…………」 
 その瞬間、わたしは、床の上に押し倒されていた。 
  
 初体験は正直に言えば、悲鳴をあげたくなるくらいに痛かったけれど。 
 それでも……幸せだった。 
 トラップをこんなに間近で感じることができて。とても、幸せだった。 
  
「まさか、おめえが俺を好きだった、とはねえ……」 
 ゆっくりとわたしから身体を離して、トラップはつぶやいた。 
「俺としたことが。ちーっとも気づかなかったな」 
「……本当に?」 
 まだ火照りが残る身体。熱く内部がうずいている身体。 
 それをおさめようと、トラップの身体にしがみついて、わたしはつぶやいた。 
 直接素肌を重ね合わせると、伝わってくる体温が、とても心地いい。 
「本当に、全然気づかなかったの……? この間、ワンピースを着てきたときとか……」 
「……ああ、そういやー見慣れねえ服着てんなあ、とは思ったんだよな。でもまあ、別にクエスト中ってわけじゃねえんだから、どんな服着ようとおめえの勝手だし? 気にしてなかったな」 
「…………」 
 やっぱり、ついさっきまで、わたしの存在は、トラップにとって「アウトオブ眼中」だったんだ…… 
 改めて実感してしまうと、やっぱり悲しい。 
「……それで、トラップ。返事は?」 
「ん?」 
「わたしの、告白への、返事」 
「……あー……」 
 わたしの言葉に、トラップは困ったような顔でかしかしと頭をかいて言った。 
「正直言って、わかんねえんだよな。おめえのこと、そういう対象として見たことなかったし。いきなり言われても、急にそんな風には思えねえっつーか」 
「…………」 
 そう、だよね。 
 そりゃそう……だよね。 
 覚悟はしていても、いざ言われると悲しい。わたしはずーんと落ち込んでしまったんだけど。 
 そんなわたしを見るトラップの目は、優しかった。 
 ぽん、と頭に手が置かれる。 
「でもま、安心しろ」 
「……え?」 
「嫌いな女だったら、抱いたりしねえ」 
「…………」 
「おめえを抱こうっつー気になったってこたあ……見込みは、あるぜ? 絶対に。後はおめえの努力次第じゃねえ? どれだけ俺をその気にさせられるか」 
「…………」 
 それは……諦めなくてもいい、ってこと、なのかな? 
 思いを迷惑だ、って言われてるわけじゃ、ないよね? 
「好きでいて、いいの?」 
「あ?」 
「わたし、トラップのこと好きでいて、いいの?」 
「あに言ってんだか」 
 ぐしゃぐしゃっ、と頭を撫でられる。 
「言っとくけどなあ、俺、喜んでんだぜ? これでも」 
「え?」 
「おめえに告白されて……何でだろーな? 何か妙に嬉しいって思ってんだよな」 
「……そう、なんだ」 
「ああ」 
 ぐいっ、と頭を抱きこまれた。顔に裸の胸が押し付けられて、心臓が痛いくらいドキドキする。 
「だあら、今はまだ返事出せねえけど……ま、多分そう遠くないうちに、言えると思うぜ?」 
「…………」 
「おめえのことを好きだ、ってな。それまで、楽しみに待ってろよ?」 
「う、うん……」 
 ぼろぼろ涙がこぼれる。 
 やっぱり……頑張ってよかった。 
 諦めなくてよかった。努力してよかった。 
 トラップを好きになって、よかった…… 
「あ、そーだ」 
「……え?」 
 不意に、耳元に唇が寄せられる。 
 きょとんとしていると、囁き声が、漏れてきた。 
  
 ――あのとき、着てた服……ピンクのワンピースな? あれな、おめえによく似合ってたぜ? 
  
 その言葉に、わたしが満面の笑みを浮かべると。 
 トラップは、見たこともないような優しい笑みを浮かべて、ぎゅっとわたしを抱きしめてくれた。  

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