「そろそろ、クエストにでも出ようか」 
 猪鹿亭での昼食を楽しんでいるとき。我がパーティーのリーダーたるクレイの言葉に、反対する人は 
誰もいなかった。 
「そだなー。よく考えたら最近バイトばっかしてたしな」 
「もう秋ですしねえ。今を逃したらまた冬が来ますし」 
 それにうんうんと頷く、トラップとキットン。 
 ノルは何にも言わないけど、にこにこ頷いてるし。ルーミィとシロちゃんは、「くえすとかあ?  
行くー!」「デシ!」とまあ、いつもの通り。 
 で、もちろんわたしも…… 
「そうだね。大分お財布にも余裕が出てきたし。うん、行こう行こう!」 
 と大賛成。 
 お財布に余裕があるからクエストに……なんて、自分で言ってて我ながら情けないなあ、って思うけど。 
 いや、でもこれは本当に大問題なのだ。クエストに出るためには、色々と準備しなきゃならないもの 
もあるからね。ポタカンの油とか、携帯食料とか、後薬草とか包帯とか。 
 クエストの結果次第では、すごいお宝を手に入れる! なーんてことももちろんありうるんだけど、 
何故か我がパーティー、結構な大冒険を繰り広げている割には、そういうことに縁が無いんだよねえ。 
とほほ。 
 あ、でも一度だけあったかな? 以前のキスキン王国のお家騒動のとき。あのときは、すごい大金を 
手に入れて、一時は家まで買っちゃって大盛り上がり! だったんだけど。 
 程なくシルバーリーブを襲ってきたモンスターのせいで、火事になって焼けちゃって結局一文無しに 
逆戻りしちゃったんだよなあ……うう、思い出したら泣けてきそうになる。 
 で、まあその後、わたし達はレベル18のパーティーでも解けなかったクエストに挑戦して、何だかん 
だとばたばたしてたんだけど。 
 最近ようやくシルバーリーブに落ち着いて、バイトに精を出して、そしてとうとう、新しいクエスト 
に出れるまでになったのだ! 
 ふっふっふ。あー、でも本当に久しぶりだもんね。楽しみ楽しみ。 
「あににやにやしてんだ、おめえは。気持ちわりいな」 
 ムッ! 
 こんな可愛くないことを言う人は一人しかいない。 
 たまたまわたしの正面に座っていた、赤毛の盗賊、トラップ。 
「な、何よー。いいじゃない、楽しみなんだから。だって久しぶりなんだもん」 
「へっ。楽しみねえ……まあせいぜい、マッピングの腕でも磨いといてくれよ? マッパーさん」 
 っき――! そんなこと、言われなくてもわかってるわよっ!! 
 実は、わたしってば、マッパーという職業についていながら、方向音痴だったりするんだよね……そ 
のせいで、何度となくパーティーを迷子にしてはみんなに迷惑かけまくってきたんだけど…… 
 そうしてわたしとトラップが減らず口を叩きあっていると、まあまあとクレイが間に入った。 
「ほらほら、喧嘩するなって、二人とも。パステル、トラップ、後でオーシのところに行くから、つき 
あってくれるか?」 
「うん、わかった!」 
「あいよ」 
 オーシっていうのは、わたし達にとって馴染みのシナリオ屋さんね。 
 クエストに必要な情報……例えば、簡単な地図とか、出現モンスターとか、そういう情報をまとめた 
ものを売ってくれる人なんだ。 
 そういえば、オーシからシナリオ買うのも久しぶりだなあ。今は、どんなクエストがあるんだろ? 
 うん、やっぱり、楽しみ! 
 わくわくにこにこしっぱなしのわたしに、トラップが呆れたような視線を向けているのがわかったけど。 
 ふん、そんなのは無視だもんね。楽しみなものは楽しみなんだから! 
  
「おう、おめえら。久しぶりだなあ。どうよ? 最近の景気は」 
 オーシは相変わらずだった。道行く冒険者らしき人に、「よっ! 兄さんどうよ、このシナリオ!  
たったこれっぽっちで……」なんて声をかけては無視されて、舌打ちをしてる。 
 あはは。本当に変わってないなあ。 
「よっ。何かいいクエストあるか?」 
「おうトラップ。へっへっへ、おめえらは運がいいぜ。とっておきのクエストがあんだよなあ」 
「どんなんだよ?」 
「じゃーん! 何と1980ゴールドぽっきり、ダンジョン攻略なんだけどよ、そのダンジョンにはお宝が 
ざっくざくっつう、全くこんな値段で売っ払うのが惜しいクエストなんだぜ」 
 きらーん 
 オーシがそう言った途端、トラップの目が輝いた……ように見えた。 
 思わずクレイと顔を見合わせる。 
 やれやれ、これは長くなりそう…… 
「ほーお宝ね。詳しい話を聞かせてもらおうじゃねえの?」 
「へっへ。まあ聞け。このダンジョンなんだけどな……」 
 オーシの話をまとめると、こういうことだった。 
 クエストの内容は、あるダンジョンの一番奥に生えている、「暗闇の花」と呼ばれる花を摘んでくること。 
 この花、光の全く差さないところでしか咲かないそうなんだけど、滋養強壮効果がすっごく強く、お 
まけに失明した人に光を取り戻す可能性があるんだとか。 
 それだけなら、どこにお宝が絡んでいるのかさっぱりわからないんだけど…… 
 どうやらこのダンジョン、昔は、ある盗賊団がアジトにしてたんですって。 
 入り口が見つかりにくいところにあるけど、その割にはエベリンの街からそんなに離れてなくて、盗 
んだ宝を隠しておくには最適な場所だったとか。 
 ところが、悪いことはできないもので、色々あって盗賊団は全員捕らえられちゃって、ダンジョンは 
今はもぬけの空になってるとか。 
 で、その中には、盗賊団が隠したお宝がざっくざく……とまあ、こういう話だった。 
「……ねえ、クレイ……どう思う……?」 
「そんなにうまい話があるわけないと思うけどなあ……」 
 オーシとすっかり話しこんでいるトラップはそっちのけで、クレイとひそひそ話し合う。 
 だってねえ……盗賊団は、捕まったんでしょ? ってことは、当然、それまで盗んだものとかも、全 
部取り上げられる……と思うのが普通よね? アジトがどこかだって、全部白状させられるだろうし。 
 中に宝がそのまま残ってるなんて、ちょっと考えられないんだけど…… 
 トラップだって、それくらいわかってるはずなのに。何故か彼の目は怖いくらい真剣。 
 ……何か考えがあるのかなあ? まあ、こういう交渉は彼にまかせておくのが一番いいから、わたし 
もクレイも何も言わないんだけどね。 
 おひとよしな我がパーティーの中で、唯一の現実主義者なトラップは、わたしやクレイがころっと騙 
されそうな話でも、絶対黙って聞いてることが無いから。 
 そんなわけで、わたし達はしばらく黙って見てたんだけど。トラップとオーシの話し合いは、それか 
ら随分長く続いていた。 
 で、やっと話がついたのが、もうそろそろ日が暮れそうな時間。 
「うし。じゃあそーいうことで。1480ゴールドな」 
「へっ。全くちゃっかりしてやがるぜ。これっきりだぜ? こんなことは」 
「わあってるって。おい、パステル、財布財布」 
「へ? あ、ああ……って待ってよ! 本当にそのクエストにするの?」 
「そうだぞトラップ。こっちに一言の相談もなく」 
 わたしとクレイがぶーぶー文句を言ってみたけど。既に交渉をまとめちゃったらしく、トラップは全 
然取り合おうとしない。 
 もー! 相変わらず勝手なんだからっ!! 
 思わずため息をついたけど、リーダーのクレイが、既に「まあ、あいつだからな……」なーんて諦め 
きった遠い目を向けてるし。ここでわたしがごねても、絶対言うこと聞くわけないもんね。 
 はあ、しょうがない…… 
 渋々、財布からお金を出してオーシに渡す。 
 どうやら、トラップは結局、その「暗闇の花」のクエストを買うことにしたらしい。 
 それも、最初1980ゴールドだったはず(それだって、随分安いなあって思ったのに)が、1480ゴール 
ドまで値切られてる。 
 ……一体何をどう言ったんだろう? 
「おい、トラップ。何でそのクエストにしたんだ? 一体何を話してた?」 
「へっへっへ、焦るなって。ま、詳しい話は宿に帰ってからな」 
 そう言って口笛を吹くトラップの様子は、何だかすっごく怪しくって。 
 わたしとクレイは、深く、ふかーく息ををついてしまった。 
 絶対。ぜったい! 何か面倒なことが起こりそう…… 
  
「ど、ドラゴンが出るう!?」 
 トラップの話を聞いて。わたし達は、みすず旅館どころかシルバーリーブ中に響きそうな声をあげていた。 
 そう! あのクエスト。 
 何か話の割には妙に安いな、と思ったら、それも道理。 
 何とそのダンジョンには、ドラゴンが住み着いてるっていう噂があるんですって! 
 まあ、ねえ……何も無いわけない、とは思ってたけど。 
 まさかねえ…… 
「トラップ……おまえなあ……」 
「おっと、怒るなってクレイ。だってさ、すげえいい話だと思わねえか? 盗賊団が捕まったのだって 
よ、そもそも突然ドラゴンが現れて、びびって逃げ出したところを見つかった、ってことらしいぜ。 
つまり、お宝は手付かずのまま、丸ごと残ってるってわけよ。へへっ、ドラゴンがいるなんてダンジョ 
ンの中に忍び込もうなんて度胸のある奴は、なかなかいねえだろうからなあ」 
「だからってなあ! 俺達のレベルを考えてみろ。ドラゴンなんて相手できるわけないだろう!?」 
「はあ? なーに言ってんだよ。うちのパーティーにはなあ、かの幸福のドラゴンと呼ばれるホワイト 
ドラゴンがついてるんだぞ? なあ、シロ!」 
「はいデシ?」 
 突然声をかけられて、ルーミィと遊んでいたシロちゃんが、とてとてっとトラップの方に歩み寄った。 
「トラップあんちゃん、なんデシか?」 
「へへ。シロ、おめえ、ドラゴンの言葉ならわかるんだよな?」 
「はいデシ」 
「ほーれ見てみろ。シロさえいりゃあ、何とか話はつけられるだろ? まさに俺達のためにあつらえた 
かのようなクエストじゃねえか」 
 トラップの言葉に、同意する人は誰もいなかった…… 
 だって……ねえ。言葉がわかる、ってだけで、ドラゴンだよ? ドラゴン。 
 ブレス一発でわたし達なんか全滅しかねない、すごい力を持ってるんだよ? 
 話をしてみたけど、「やっぱり通じませんでした」「ああそうですか。さようなら」っていく相手 
じゃないんだよ!? 
「クレイ……」 
「……危険すぎるな。トラップ、いくらシロがいるからって、それはちょっと……」 
「あに言ってんだ! 俺達はなあ、シロに加えて、ブラックドラゴンとだって対決したことがあんだぞ? こんな田舎のダンジョンにくすぶってるようなドラゴンに負けるわけねえだろ!」 
 ……ブラックドラゴン……ああ、JBのことね。 
 いや、あれはちょっと……いや、かなり特殊な例だと思うんだけど…… 
 まあ、ねえ。確かにクエストに出たい、とは思ってたけど。 
 いきなりそんな…… 
 ……ん? 
「あれ、トラップ。そういえば、オーシは何でわたし達にそのクエスト勧めたの?」 
「あん?」 
「だって、シナリオにはレベルが書いてあるはずでしょ? わたし達のレベルで、ドラゴンがいるダン 
ジョンなんてどうして勧めてきたの?」 
「ああ、それな」 
 よくぞ聞いてくれました、とでも言いたげに、トラップの顔が輝いた。 
「聞いて驚け」 
「もう十分驚いてます」 
「黙れキットン! あのな……」 
 後ろからボソリ、と突っ込むキットンに律儀に言い返して、トラップが説明したところによると。 
 最初、「突然ドラゴンが現れるなんて」ってやっぱり信じられなかったそこそこ高レベルの冒険者達 
が、そのダンジョンに挑戦したんだって。 
 ところが、どんな強いモンスターがいるかと思ったら、出てくる敵はゴブリンとかスライムとか、そ 
んな敵ばっかり。 
 これはおかしいんじゃないか? やっぱりドラゴンがいるなんてガセだったんだよ、なーんて言いな 
がら奥に入っていった途端、真正面からドラゴンと対面した、らしい…… 
 そこでその冒険者達も一巻の終わりか、と思いきや、不思議なことにドラゴンは何もしてこなかったとか。 
 で、その冒険者達はほうほうのていで逃げ帰ってきて、「本当にドラゴンが住み着いているダンジョン」 
として一躍有名になり、誰も足を踏み入れるものはいなくなった、とか。 
「なー? 怪しいと思わねえか。ドラゴンがいたのにゴブリンだスライムだなんつー敵しか出てこねえっ 
てとこも怪しいし、真正面から対面して何もしてこなかったっつーのも怪しい! で、俺の盗賊として 
の勘が告げてるわけよ。ぜってーこのダンジョン、何か秘密があるってな」 
 トラップの話を聞いて、わたし達は顔を見合わせた。 
 確かに……それは、おかしいかも。 
 少なくとも、普通のドラゴンじゃあない、と思う。 
 ……あ、駄目。何だかトラップの口車に乗ってしまいそう。 
 だってだって、うずうずしてくるんだもん。ドラゴンが住み着くダンジョンの攻略なんて、冒険者の 
憧れクエストランキングっていうのがあったら、絶対ベスト3には入ると思うし。 
「そう……だなあ……」 
 クレイもかなり心を動かされてるみたい。みんなの反応に、トラップはすごく満足そうだったんだけど。 
「それにしてもトラップ。あなた、やけに熱心ですねえ」 
 キットンの一言に、トラップの表情が凍りついた。 
「そ、そりゃ熱心にもなるだろ。お宝だぞ? お宝」 
「いえ、それはわかりますけど……普段人一倍猜疑心の強いあなたが、今回に限っては随分あっさり信 
用するんですねえ。何か我々に話していないことでもあるんじゃないですか?」 
 キットンの言葉に、わたしとクレイは、はた、と手を打った。 
 そ、そうよね。あのトラップだもん。これだけ熱心に勧めるからには、絶対他に何かあるはず! 
「そういえばトラップ! 最初1980ゴールドだったところを、1480ゴールドにまけさせてたわよね?  
一体オーシに何を言ったの?」 
 わたしが詰め寄ると、トラップはさっと視線をそらしたんだけど。 
 その視線の先に、素早くクレイがまわりこんだ。 
 絶対話してもらうぞ、というオーラを出すわたし達に、トラップは「わかったわかった」と言いなが 
ら手を振った。 
「ったく。そーだよ。実はオーシの奴と取引しちまってな」 
「……取引?」 
「そ。いやー実は俺、カジノでちょっとばかしオーシに借りがあってな」 
「…………」 
 トラップの言葉に、わたしとクレイの目がとっても冷たくなったのは言うまでもない。 
「だ、だあらっ! オーシとしちゃあ、こんなわけのわかんねえクエスト、早く売っ払いたくて仕方な 
かったわけよ。借金を半分にしてやるから、とまあ、そんなわけで……」 
「……ちなみにいくら借金してたんだ?」 
「……1000ゴールド……」 
 クレイの言葉に、さすがにトラップも視線をそらしつつ答える。 
 ……もしかして、シナリオ代金が500ゴールド安くなってたのは、その交渉のせい……? 
 あのトラップのことだもん。「ドラゴンが出るような危険なクエストを俺達みてえな低レベルの冒険 
者に売ったとしれたら……」とか何とか…… 
 うわあ、言いそう。 
「トラップ……」 
「だ、だあらっ! 今更別のクエストにしよう、なんてもう言えねーんだよ! い、いいじゃねえか。 
当たりゃあでかいんだから。シロだっているんだし、何とかなるって!!」 
 みんなの冷たい視線にさらされながらも、トラップは必死に言い訳をしてたけど。 
 まあ、ね。基本的に我がパーティーは皆さんおひとよしですから。 
 すんだことは仕方ないか、ということで。 
 わたし達は、ドラゴンが出る、というダンジョンに挑戦することになったのだった。 
  
 エベリンの街に程近い森の中にあるダンジョン。 
 入り口がわかりにくい場所にある、ってことだけど。確かに、ちょっと見ただけでは、そこはただの 
地面にしか見えなかった。 
「はー。誰が作ったしかけだろうな? 結構凝ってるぜ、この隠し方」 
 とは、しかけを見つけたトラップの言葉だけど。 
 地面には厚く落ち葉が積もってて、しかけはその中に埋もれてたんだけど。 
 ただ押すとか引くんじゃなくて、もっと複雑な手順を踏まないと開かないようになってるんですって。 
 トラップいわく、「レベル10以上の盗賊でないと解除は難しいだろうな」ってことだけど。 
 まあとにかく。がちゃがちゃとしかけをいじくると、「ぎぎぎぎぃ〜〜」っていうすごく重たい音と 
ともに、落ち葉がばーっと舞い上がって、その下に真っ暗で先の見えない穴が出現した。 
「これが入り口か……?」 
「だな」 
 ポタカンを用意して、トラップが真っ先に降りていく。 
 それにしてもすごい闇。本当に一寸先も見えない。 
 ……うう、急に怖くなってきた。ドラゴンを除けば、大したモンスターは出ないって話だったけど 
……本当でしょうね? 
「おーい、大丈夫だ。特に罠とかはねえみてえ。ポタカンがねえと歩くの辛いと思うから、ノルとパス 
テルもポタカン持てよ」 
「はーい」 
「わかった」 
 言われた通り、ポタカンに火を入れる。 
 トラップの誘導に従って、キットン、わたし、クレイ、ルーミィ、シロちゃん、ノルの順番で、穴の 
中へと降りていく。 
 ううう、何だろ? ちょっと寒い…… 
 地面の下だから、地上より涼しいのはわかるんだけど…… 
 何だろ? 背筋に寒気が走るっていうか……そう、あのアンデッドの城みたいに、ぞくーっていう感 
じがすごくすごく強いんだよね。 
 な、何かいる……のかなあ…… 
「おい、パステル! ぼけーっとしてんなよ!」 
「は、はいっ!!」 
 トラップの言葉に、慌てて周りを見回す。 
 嘘ー!? みんなもう先に行ってる! ま、待ってよー!! 
「ほれ、とっとと歩け。後、マッピングも忘れんなよ」 
「わ、わかってるって」 
 言われて、慌ててペンと紙を取り出す。 
 上から見たときは真っ暗だったけど、今は三つのポタカンがあるから、何とか周囲がぼんやり見渡せ 
る程度には明るい。 
 一応、今のところは一本道みたいだけど、先がどうなってるかはわからないもんね。 
 もしかしたら、罠だってしかけられてるかもしれないし…… 
「おい、置いてくぞ」 
「ま、待って! 待ってってばー!」 
 こんなところで置いていかれたらたまらない。 
 わたしは慌てて、みんなの後を追った。 
  
 ダンジョンの中は、一応別れ道もいくつかあったけど、罠の類は無い、自然のダンジョン風だった。 
 あくまでも「風」ね。あんな凝ったしかけで入り口が隠されてたくらいだもん。人工のダンジョンな 
のは、間違いないと思うんだけど…… 
「だああー! 見つからねえっ!!」 
 どれくらい進んだときかなあ。 
 ずっと先頭を歩いていたトラップが、ついに音をあげた。 
 いやいや、無理も無いんだよね。罠は無いか、宝は無いかって、ずーっと神経張り詰めてたもん。 
 歩き始めて、もう結構経ってるし。……どれくらい経ったのかなあ。時計があるといいんだけど、そ 
んな高級品、もちろん我がパーティーが持ち合わせているわけもなく。 
「よし。ここらで休憩するか」 
 クレイの言葉で、みんな思い思いに腰を下ろした。 
 このダンジョン、ちょっと変わってるんだよね。 
 ずーっと歩いてると、定期的にちょっと広場みたいになってる場所に出る。別れ道もいくつかあるん 
だけど、進んでいくと、合流したり、行き止まりになったりで、ややこしく見えて結局先に進むルート 
は一本しかない。 
 罠も無いし、モンスターもスライムとかゴブリンとか、わたしでも何とかなる程度の敵しか出てこな 
いから、楽と言えば楽なんだけど…… 
 目的の「暗闇の花」はダンジョンの一番奥にあるって話だけど、一体どれくらい歩けばいいのか。 
 シナリオには、一応簡単な地図も載ってたけど(以前、踏み込んだ冒険者が書いた地図ね)、それも 
すごく大雑把でおまけに途中で切れてるし。 
 さらに、トラップにとって一番の目的のはずであるお宝は、影も形も無いし。 
 こういう、いつ終わるかわからないダンジョンって、すごく疲れる。身体もそうだけど、精神的にね。 
「ほら、ルーミィ。チョコ食べる?」 
「うん! ルーミィ、おなかぺっこぺこだおう!!」 
 あはは、出たよお決まりのフレーズ。 
 だけど、確かにお腹が空いたんだよねえ……本当、今何時なんだろ? 
「クレイ、もしかしたら、ここ、今日中に抜けられないかも?」 
「ああ、最悪、このダンジョンの中で一泊だな」 
 げげっ! それはあまりぞっとしない……うう、だけど今更戻っても、多分ダンジョンを抜ける頃に 
は真夜中になってるよね。 
 はあ、しょうがないかあ…… 
  
 ちょっと休憩して、食事をとって。 
 そしてまた歩き出す。 
 とりあえず、先に進めるだけ進んじゃおうってことになったんだ。 
 できれば、今日中に目的の「暗闇の花」を見つけ出したかったしね。 
「はあー……ったく。こんだけ捜しても金貨一枚見つからねえって、本当にお宝なんざあるのかあ?」 
 この目的を完全に取り違えた発言をしたのはトラップ。 
 まあぼやく気持ちはわかるけどね。さっきから本当に必死に探してるのに、しかけの一つも見つから 
ないんだもん。 
 相変わらず、たまに別れ道があってたまに広場みたいな場所があって……と延々それの繰り返し。 
 そんな中、わたし達は、隊列を入れ替えて、先頭がトラップ、続いてわたし、ルーミィ、シロちゃん、 
ノル、キットン、クレイっていう順番で歩いていた。 
 ルーミィが疲れて寝ちゃったからノルにおぶってもらったのと、わたしのマッピングがいまいち頼り 
ないからってトラップに見てもらってたから、なんだけど。 
 結果的に、この隊列の入れ替えが、後々の大騒ぎを引き起こすことになったんだよね…… 
  
 食事休憩の後、一時間くらい歩き続けたとき……かな? 
 それまで、ずーっと単調に続いていた道に、変化が現れた。 
 ただの土壁だったのが、何だか妙につるつるした壁に変わっていったんだよね。 
「何だろ、これ……ガラスみたい」 
「いやあ、ガラスじゃありませんねえ」 
 わたしの声に、後ろからキットンが答えた。 
「これは、どうやら土を高温で焼いて作った壁のようですねえ。土に含まれる結晶成分が、熱で溶けて 
硬質化したもののようです、はい」 
「ふーん、熱でねえ……」 
 わたしがつぶやいた瞬間、 
 ぴたり、と先頭のトラップが足を止めた。 
「トラップ? どうしたの?」 
「……おい……」 
 ぎぎぎぎぃっ、と音がしそうな動きで、トラップが振り返る。 
「キットン、今何つった?」 
「はあー? ですからー、土を高温で焼いた壁だと……」 
 キットンの返事に、トラップの額に、汗がにじみ始めた。 
 彼の様子が普通じゃないことがわかったのか、しーんと皆が静まりかえる。 
「……トラップ……?」 
「逃げるぞ」 
「え?」 
「逃げるぞ。バカ、走れ!!」 
「え? ちょっと、ちょっと……?」 
 ぐい、と背中を押されて、わけもわからず走り始める。 
 な、何よ、何なのよー!? 
「お、おい、トラップ! 一体どうしたんだ!?」 
 最後尾のクレイは全然事情がわからないらしく、走りながら声をかけてくる。 
「トラップ……?」 
「ばあか! おめえらわかんねえのか!? 壁全体を結晶が溶けるほどの高熱で焼くって……んな方法、 
一つしかねえだろうが!? くっそ、まさか本当に出るとは思わなかったぜ!!」 
「……はあ?」 
 どんな方法? と聞こうとして振り向いた瞬間。 
 わたしは……情けないことだけど、腰が抜けてしまった。 
「おわっ!!」 
 突然わたしが座り込んだせいで、後ろを走っていたトラップがつんのめる。 
 だけど……そんなこと、全然構ってられなくて…… 
「ととととと……と、とらっ……ぷ……」 
「あんだよ、おめえ……」 
 ざーっ!! 
 わたしが指差す方向を見て、トラップの顔から一気に血の気がひいた。 
 ポタカンがぼんやりと照らす光。 
 そこにうつる影。 
 それは、明らかにわたし達の影とは違って……もっと、ずっとずっと大きくて……さらに言うなら、 
その形は…… 
 シロちゃんに話をしてもらって〜なんて、悠長なこと言ってる暇は、全然無かった。 
 というより、そんなことに頭がまわらなかった。 
 ただただ、その威圧的な空気に怯えて、震えていることしかできなくて…… 
「立て……パステル……」 
 クレイ達は、わたしが腰を抜かしたことに気づかなかったらしい。ずっと先に行ってしまっている。 
「立てパステル! 死にてえのか!!」 
 トラップの怒鳴り声に、よろよろと立ち上がる。 
 ぐいっ、と手をつかまれる。後ろを振り返りもせずに、トラップが走り出した。 
 半ばひきずられるように、わたしも足を動かして…… 
 ああ、でも、でも! 
 見たってしょうがないってわかってるのに、見てしまう。後ろを振り向いてしまう。 
 もうポタカンの光の輪の中に、影はうつってない。 
 だけど、後ろから……ドスン、ドスンっていうような地響きがしてて…… 
 それは、明らかにわたし達の後を追ってきてて……!! 
「とらっぷ……」 
「泣いてる場合か! いいから走れ!!」 
「う、うん……」 
 そ、そうだよね。泣いてる場合じゃない。 
 走らないと。早くクレイ達に追いつかないと……!! 
 そう思った、そのときだった。 
 頭の上が焦げるような嫌な熱気。 
 それに気づいたのか、トラップはわたしを抱え込むようにして、がばっと地面に伏せた。 
「とらっ……」 
 乱暴に地面に押し倒されて、文句を言おうとしたけれど。言葉がそこで止まってしまう。 
 その瞬間、わたしは見てしまったから。 
 のっそりと現れたのは、姿こそ大分小さい(それでも、ノルより2まわりは大きかったけど)けれど、 
真っ赤な鱗を持った……ドラゴン。 
 らんらんと光る目が、わたしとトラップを見据えている。 
 ……嘘つき。 
 ドラゴンに会っても、何もされなかったって……言ったじゃない。 
 がばっ、とそのドラゴンが、牙だらけの口を開くのを見て、わたしはぼんやりとそんなことを考えていた。 
 その直後、すさまじい熱気が周囲を襲って、わたしは……意識を失ってしまった。 
  
 あたりは真っ暗だった。 
 ……ここ、どこだろう……? 
 ふっと身を起こしてみる。 
 本当に真っ暗。何も見えない。持っていたはずのポタカンも無い。 
「……トラップ……?」 
 気を失う前のことを思い出して、声をあげる。 
「トラップ、トラップ? いるのなら返事してよ。トラップ?」 
 どれだけ叫んでも、全然返事はなかった。 
 ……嘘…… 
 最後にうつった光景。迫るドラゴン。がばっと開いた口。気を失うほどの熱気。 
 まさか……まさか、トラップは……? 
「嘘……嘘でしょう? トラップ? トラップ、トラップ!!」 
 そんなわけない、そんなことあるわけないとどれだけ言い聞かせても、嫌な予感は全然消えてくれなかった。 
 だって、だってトラップだって、たまに「本当に人間?」なんて疑いたくなるような驚異的な能力を 
発揮することもあったけど……でも、やっぱりただの人間なんだよ? 
 ドラゴンのブレスなんかくらって……生きてられるはずがない。 
 まさか……まさか……? 
 ぼろぼろ涙がこぼれる。あちこち歩き回ったけど、やっぱりトラップの姿は全然見えない。 
 ……わたしのせい? わたしが、腰を抜かして……逃げ遅れたせい? それで、トラップまで巻き添 
えにして……? 
 どうしよう、どうしよう。 
 泣いてもしょうがないってわかってるのに、涙が止まらない。 
 そのまま顔を覆ったときだった。 
(……泣かないで……) 
 ……え? 
 きょろきょろとまわりを見回す。 
 ……誰もいない……よね? 真っ暗で、よく見えないけど……人の気配は無い、と思う。 
 ……気のせい……? 
(泣かないで。彼は、まだ死んでいない) 
 ……え!? 
 ばっ、と顔をあげる。 
 相変わらずの闇。……だけど、聞こえる。 
 何……? 
「誰か……いるんですか?」 
 声が震えるのがわかったけど、それでも、言わずにはいられなかった。 
 彼はまだ死んでいない。 
 彼って……トラップのことだよね? まだ死んでない……それってどういうこと!? 
 わたしがきっと周囲を見回すと。 
 ぼおっ、とした光。ポタカンよりもっと弱い光が、突然、目の前に浮かんだ。 
「きゃっ!?」 
(……驚かせて、ごめんなさい……) 
「え?」 
 声は、光の中から聞こえるみたいだった。 
 な、何だろ……? この声、誰の声? 
 聞き覚えの無い女の人の声だった。透き通るようなすごく綺麗な声だけど、でも、あんまり感情がこ 
もっていない声。 
「……あの、あなたは誰ですか?」 
 とりあえず聞いてみる。我ながらのん気かなあ、って思わなくもないけど…… 
 何でだろう? 何だか、この声を聞いていると、すごーく落ち着くっていうか……安心させられる声 
なんだよね。 
 わたしの質問に、光はちゃんと答えてくれた。 
(私は、このダンジョンのマスター……) 
「……え?」 
(このダンジョンを作ったのは……私です) 
 ……えええええ? 
 ど、どういうこと? 
 何だかすごく重要な話が聞けそうな予感がして、わたしは思わず座りなおした。 
「あの……このダンジョンを作った、って……?」 
(……私は……もう何百年も前に、死んでいるんです……) 
「え?」 
(詳しい事情は、今はお話できません……ですが、私は解放されたいんです……こんなところに縛り付 
けられているのは、もう嫌……) 
「あ、あの? ちょっと……?」 
 は、話が見えないんですけど…… 
 何百年も前に死んでる? ……って、幽霊!? 
 ひいいっ! と一瞬背筋に寒気が走ったけれど。 
 でも、目の前の光は……何て言うのかな? 雰囲気が暖かいっていうか……悪意が感じられないって 
いうか…… 
 幽霊と言えば、以前呪われた城でのクエストのとき、アンデッドといっぱい知り合いになったんだけど。 
 雰囲気が彼らに近い気がするんだよね。見た目はただの光だから、余計に親しみやすいっていうか。 
 とりあえず、危険は無いみたい……だよね。うん。ちゃんと話を聞いてみよう。 
「わ、わかったわ。あなたがこんなダンジョンを作ったのには、きっと何か理由があるんだよね?  
ドラゴンも、あなたが……?」 
(……ええ……驚かせて、申し訳ありませんでした……安心してください。あなたも、そしてあなたと 
一緒にいた彼にも、怪我はありませんから……) 
「トラップも? トラップは、どこにいるの?」 
(…………) 
 わたしが聞くと、光は何も言わず……ただ、ふらふらとわたしのまわりを回り始めた。 
「あの……?」 
(あなたに、お願いがあります) 
「は……? わ、わたしに?」 
(ええ。ずっと、待ってたんです。あなた達のような人が来るのを……) 
「え……?」 
 な、何だろう? わたしにお願い……? 
 あ、でも、このお願いを聞けば、この人はもしかして解放されるのかな? そうしたら、きっとこの 
ダンジョンは消えて……そうしたら、みんなと合流できるよね? 
 うん、悪意は無いみたいだし。聞いてみてもいいよね? 
「わたしにできることだったら、何でも言って。お願いって、何?」 
(……ありがとう……) 
 わたしの言葉を聞くと、声にちょっとだけ嬉しそうな響きが混じった。 
 そして…… 
 カッ!! 
「きゃあ!?」 
 突然、目を焼くような激しい光が弾けた。 
 視界が真っ白に塗りつぶされる。全然まわりが見えない。 
 何、何……? 
「何を……」 
(あなたの身体、貸してください) 
 ……え? 
 その瞬間。 
 わたしは、何かに弾き飛ばされた。 
 痛みも何も無いけど、確かに、そう感じた。 
 確かな感覚というものが消えて、すごくふわふわした、つかみどころのない感覚に覆われる。 
 何が……起きたの!? 
 光が徐々に収まる。 
 焼けた視界が、どうにか戻ってくる。 
 何度も何度もまばたきをして、やっとまわりが見えるようになって、そして。 
 目の前に広がる光景に、わたしは絶句してしまった。 
  
 ……えと……これは、一体、どういうことでしょう……? 
 きょろきょろとまわりを見回す。 
 周囲は、ぼんやりとした光に包まれていて、一応視界には困らない。 
 じーっと「下」を見下ろす。 
 そう。何故か、わたしは……宙に、浮いていた。 
「……えと……?」 
 どう見ても、浮いてる……よね……? 
 このダンジョン、ノルが楽々通れるくらいの高さと広さを兼ね備えていたんだけど。 
 その天井付近に、わたしは浮いていた。 
 ええと、いやいや、ちょっと待って。 
 あのとき、言われたのは……「あなたの身体、貸してください」……? 
 ま、まさか。 
 すごく、すごーく嫌な予感が押し寄せるけど。 
 足下の光景は、わたしの予想を裏切らない光景で。 
 わたしの真下には…… 
 トラップが倒れていた。ぴくりとも動かないけど、でも怪我は無いみたいだった。胸が軽く上下して 
るから、死んでないって言葉は嘘じゃなかったみたい。 
 彼はいいとして(いや、よくはないんだけどね) 
 その傍らに……「わたし」が倒れていた。 
 いや、本当にわたし。着てる服も全く同じだし、それこそ、ちょっと前のダンジョンで現れたドッペ 
ルゲンネルでも無い限り…… 
 ……まさか本当にドッペルゲンネル? 
(……違うわ……) 
 ひえっ!? 
 突然耳元で響いた声に、わたしは思わずまわりを見回したけど。 
 相変わらず、まわりには誰もいない。 
 えと……? この声は、ダンジョンマスターの声、だよね…… 
(そう……本当に、突然でごめんなさい……わたしには、もう実体が無いから。だから、あなたの身体 
を、貸して) 
「えと……」 
 いえ、そんなこといきなり言われても…… 
 冷や汗が背中を伝う。 
 実体が無い。それって……もしかして、今のわたしの状態? 
 何ていうか、もう強制的に身体を追い出されてる? 
(……ごめんなさい……必ず、後でお返ししますから。だから……しばらく、黙って見ていてください……) 
 口調こそ丁寧だけど、それは、もう「強制」以外の何者でもなくて。 
 わたしがぽかんとしているうちに、わたしの身体に向かって、光が吸い込まれて行った。 
 あたりがまた真っ暗になるけど……実体じゃなくなったせいかな? わたしの目には、まわりの光景 
がはっきりと見えていて…… 
 そして、「わたし」が起き上がった。 
 まじまじと自分の身体を見下ろして、そして、すごく嬉しそうな笑みを浮かべている。 
 ………… 
 一体、何がしたいんだろう? 何か、心残りなことでもあったのかな? 
 いやいや、こんなに落ち着いてる場合じゃないのはよくわかってるんだけど。 
 その、心から幸せそうな笑みを見ると、とりあえず傷つけられる心配だけはなさそうだなあ、とわかって。 
 立ち直りが早いのがわたしの取り得だもんね。「後で返す」って言ってくれたことだし。 
 しばらく、様子を見てるしかないかな……? 
 ちょっと試してみて、自分の思うとおりに身体を動かせることがわかって、とりあえず落ち着くことにした。 
 焦っても、元に戻れるわけじゃないしね。ダンジョンマスターが、何をするつもりなのか興味があるし。 
 じーっと見下ろしていると、彼女は、わたしの方を見て、ちょっと微笑んだ。 
 見えてるのかな? ……手を振ってみようか。 
 軽く手を振ると、ダンジョンマスターはぺこり、とおじぎをして手を振りかえしてくれた。 
(すいません、しばらくお借りします) 
 ……会話もできるんだ。 
 意思の疎通もできるみたいだし……それなら、しばらく黙って見てるしかない、かな? 
 楽な姿勢をとって(実体が無いのに楽っていうのもどうかと思うけど)、わたしは彼女を見守ることにした。 
  
 彼女が最初にしたことは、トラップを揺り起こすことだった。 
 自分の身体を自分じゃない人が動かしてるのを見るって、何だか不思議な気分…… 
「トラップ、トラップ。起きて」 
「ん……んあ……?」 
 彼女が声をかけると、トラップはうめきながら目を開けた。 
 ぱっと身を起こす。その動きを見る限り、怪我は本当に全然無いみたい。 
 ……だったら、あの熱い空気……ドラゴンのブレスだよね? は、一体何だったのかなあ…… 
 いやいや、それより、あのドラゴンは一体何のために……? 
「トラップってば」 
「……パステル? おめえ、無事なのか?」 
「ええ。あなたがかばってくれたから。トラップ、本当にありがとう」 
 そう言って、彼女はぺこり、と頭を下げた。 
 うーん……見事な演技……って感心してる場合じゃないんだけど。 
 そんな彼女の態度に、トラップは何だかぽかんとしてる。 
 違和感があるのかも? わたしだったら、滅多にあんな風に素直に謝れないもん。 
 何でかわからないけど。クレイとかと違って、トラップが相手だとむきになるっていうか…… 
何でなのかなあ。 
 ……まあ、今はそんなこと関係無いか。 
 わたしが悩んでいる間にも、「……別に。ありゃとっさにやっただけで」「ううん、あなたがいなか 
ったら、わたし死んでいたかもしれない。本当にありがとう」なーんて会話は進んでいて。 
 ……何でしょう、この空気? 
 彼女とトラップの間に、何て言うのかな……ほわんとしたあったかい空気が流れるのを見て、何だか 
気分がもやもやする。 
 うーん……わたしとトラップじゃ、あんな空気には滅多にならないもんね……でも、そこにいるのは 
まぎれもなく「わたしの身体」なわけで。それでかな? うん。きっとそう。 
 トラップは、目の前の「わたし」の中身が別人だなんて、気づいてもいないみたいだった。まあ、当 
たり前だろうけどね。 
 二人は、そのまましばらく何ていうことのない会話を繰り広げていたけれど、 
「うし、クレイ達と合流すっか。ったく、あいつら薄情だよなあ。俺達がついてきてないことに、気づ 
いてねえのかよ?」 
 しばらくしてから、トラップが立ち上がった。 
 そうだよね。何だかすっかり忘れてたけど、クレイ達のことも心配。わたし達が無事なんだから、滅 
多なことは無いと思うんだけど…… 
 二人の後をついていこうと、わたしがちょっと下の方へ下りて行ったときだった。 
 思わず目を見張る。 
 突然、「わたし」……いや、ダンジョンマスターが、ぴたっ、とトラップの腕にすがりついたのだ!! 
 ……はい? 
 思わず唖然とする。な、何を……してるの? 
「ぱ、パステル……? おめえ……」 
 唖然としたのは、わたしだけじゃないみたいで。 
 トラップも、突然のことに、あたふたしながらわたしを見ている。 
 あの、ちょっと……? ねえ、何してるの……? 
 彼女に声をかけてみたけれど、返事はなかった。そのかわり…… 
「トラップのバカ……女心がわからないの……?」 
 そう言って、彼女は、潤んだ瞳でトラップを見上げた。 
 ……ねえ、ちょっと。 
 わたしの身体で、何をするつもりー!!? 
 絶叫したけど、その声は彼女以外には届かないし、彼女はわたしの叫びを完全に無視して。 
 そのまま、きゅっ、とトラップに抱きついている。 
 ちょっと、ちょっとちょっとちょっとー!? 
「パステル!? お、おめえ、どうしたんだ、いきなり……?」 
「クレイ達と合流したら……こんなこと、できないじゃない。せっかく二人っきりになれたんだから、 
ね……?」 
「はあ? お、おめえなあ……今は、んなこと言ってる場合じゃ……」 
 すっ 
 トラップの言葉が、止まった。 
 そりゃ、止まるよね……唇、塞がれてるもん…… 
 って。 
 だ、ダンジョンマスター!!? な、何を……わたしの身体で何てことするのよー!!? 
  
 キスしてた。 
 「わたし」とトラップが……キスを、していた。 
 目の前の光景が信じられない。 
 だって……わたしと、トラップだよ? そんなこと、一生ありえないと思ってたのに…… 
 ダンジョンマスター……あ、あなた、何考えてるのよっ!? 
 どれだけ叫んでも、彼女からの返事は無かった。 
 トラップはトラップで、キスの真っ最中だと言うのに、目を見開いてて……その表情は、「信じられ 
ない」と雄弁に語っていたりして。 
 いや、気持ちはわかるよ……普段のわたしだったら、絶対、絶対そんなことしないもん。 
 驚くのはわかるけどっ……い、一体いつまで、そのままで…… 
 わたしがどれだけ騒いでも、トラップには全然届かなくて。 
 トラップの手が、ぎこちなく動いた。そのまま、「わたし」の背にまわって…… 
 ……トラップ!? 
「……おめえ、どういうつもりだ?」 
 唇を離してつぶやくトラップの声には、いつもの軽薄な調子は全然含まれていない。 
「どういうって?」 
 答える彼女は、顔はわたしのはずなのに、わたしには絶対できないような……何て言うのかな?  
すっごく色っぽい微笑みなんか浮かべていて…… 
「トラップのことが、ずっと前から好き……気づいてた?」 
 どかーん 
 彼女が言い放った台詞に、わたしは頭が爆発しそうになった。 
 ななななーんてこと言い出すのよあなたはっ!! 
 そ、そりゃあなたはいいわよ!? いずれこの身体から出て行くんだもの! だ、だけど、その後戻 
るわたしのことを、ちょっとは…… 
(……返さないもの) 
 ……え? 
 突然耳元で響いた不吉な言葉に、一瞬身体が強張る。 
 ……え? な、何を……? 
(この人は、私がもらうわ……) 
 はいっ!? 
 わたしが唖然としている間にも、彼女は、じーっとトラップのことを熱っぽい視線で見つめていて。 
 トラップはトラップで、その視線をまともに受け止めていて…… 
 彼女の手が、動いた。 
 すっとトラップの腕をとって、そして。 
 そのまま、自分の胸に押し付ける。 
 ――――!! 
 ぼんっ、と頭に血が上るのがわかった。慌てて二人の近くまで飛んできたけど、実体が無いせいなの!? どれだけつかもうとしても、わたしの手は、二人の身体をすりぬけて…… 
「ね……ドキドキしてるのが、わかる?」 
「…………」 
「……抱いてよ、トラップ。わたしのこと、ちょっとでも好きなら……抱いて……」 
 ややややややーめーてー!! 何を言い出すのよー!! 
 ぽかぽかと「わたし」を殴りつけるけど、握り締めた拳はすかっ、と突き抜けてしまう。 
 そのとき、わたしは見てしまった。 
 彼女の目が……すごく色っぽい微笑みを浮かべてるんだけど、目が、すごく冷たく光ってるのを。 
 ……え……? 
(見てれば、わかるわ……) 
 耳に届く、彼女の声。 
(男なんて……愛なんて信じられないものだってことが……) 
 ……ダンジョンマスター……? 
 あなた、何を…… 
 ふっ、と彼女はトラップの手を離して、そして、かわりにアーマーを脱ぎ捨てた。 
 下に着てるのは、普通のブラウス。そのボタンに手をかけて…… 
 トラップはトラップで、そんな彼女を、じーっと見つめていて…… 
 や、やだやだやだやだー!! 見ないで、見ないでよー!! 
「あなたが欲しいの……」 
 ブラウスのボタンを全開にして、彼女は、ゆっくりと微笑んだ。 
 再びトラップの手をとり、そして、自分の胸に這わせる。 
 と、トラップ!? あ、あーたもねえ、ちょっとは抵抗しなさいよ、抵抗っ! 
 どれだけ叫んでも、トラップにわたしの声は届かない。 
 ダンジョンマスターの唇から、すごーく悩ましいというか……色っぽい声が漏れる。 
 するり、と彼女はそのままトラップの身体にしがみついて、その上着を脱がせてシャツの中に手をす 
べりこませた。 
 トラップの表情がゆがむ。ダンジョンマスターは、わたしの顔とは思えないほど妖艶な笑みを浮かべて…… 
 そして、その手が、次に伸びたのは……トラップの…… 
「大きくなってる?」 
 …………駄目っ………… 
 とてもじゃないけど、正視できないっ!! 
 ばっと目を閉じる。彼女の手が、トラップの……その、ズボンのとある部分に伸びて…… 
 その瞬間だった。 
「え!?」 
 驚いたような彼女の声。 
 思わず目を開ける。見えたのは……彼女の手首をがっしりつかんでいる、トラップの姿。 
「トラップ?」 
「……パステルじゃねえ」 
「え?」 
「おめえ、パステルじゃねえだろ。誰だよ、おめえ」 
 ……トラップ!? 
 気づいて……くれたの? 
 あ、ああ、そうだよね。そういえば、以前のクエストでも、彼はドッペルゲンネルとわたしを一発で 
見抜いてくれたもん。 
 トラップ…… 
 ……気づいてたのならもっと早くに止めてよー!! 
 そう文句を言いたかったけど、とりあえずそれは元に戻ってから言うことにする。 
 トラップの目はかなり怖かった。本気で怒ってるのかもしれない。 
 手首をつかまれた彼女の方は、何だか、茫然と彼を見つめていて…… 
「な、何言ってるの? トラップ。わたしよ、パステル……」 
「パステルのわけがねえ。パステルにこんな色っぽい表情ができるわけねえんだ。おめえ誰だ? 本物 
のパステルはどうしたんだよ?」 
 と、トラップ!? ああたねえ、もうちょっと言い方は無いの!? 
 いや、確かにわたしにあんな表情絶対できないと思うけど…… 
 何だかすごく色々不満はあるけど。 
 でも、嬉しい。トラップがちゃんとわかってくれて。 
 ダンジョンマスターが何を考えているのかわからないけど、わたしには何もできないから。 
 だから、あなたが頼りなのよトラップ! がんばって!! 
 わたしの声無き声援に気づかず、トラップと彼女のにらみあいは続く。 
 でも、もう彼女は、言い訳をしようとはしなかった。 
 どれくらいにらみあっていたのかはわからないけど……先に力を抜いたのは、彼女の方だった。 
「どうして、わかるの?」 
「…………」 
「『彼』はわからなかったのに、どうしてあなたはわかるの? トラップ」 
「……はあ?」 
「どうしてわかるのよ。わたしはわかってもらえなかったのに。どうして彼女はわかってもらえたの?  
何でよ……わたしの愛と、あなた達の愛と、どこが違うっていうのよ!!」 
 唖然とするトラップの前で、彼女は、ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。 
 わけがわからない。そういう表情で、トラップは困ったように彼女を見つめている。 
 ……わたしにも、わからない。どういうこと? ねえ、ダンジョンマスター……あなたは結局、何が 
したかったの……? 
 答えは返ってこなかったけど、必死に問いかける。 
 ダンジョンマスターが顔をあげた、そのときだった。 
「…………!!!」 
 トラップの顔が強張った。 
 ばっ、と彼女を背にかばって、後ろを振り向く。 
 その視線を追って……わたしは、その理由を悟った。 
 ちょっと遅れて聞こえる、どすん、という響き。 
 のっそりと現れる、大きな影。 
 見間違えるわけが……無い。 
 気絶する前に見た、最後の光景。 
 あれがどれくらい前のことなのか、もうよくわからなかったけれど…… 
 真っ赤な鱗が光る、ドラゴン。 
 そのドラゴンが……のっそりと、姿を現していた。 
  
 トラップは、逃げようとしたみたいだった。 
 それが正しい判断だよね。ただでさえ、盗賊のトラップは戦闘向きじゃないもん。 
 だけど、それはできなかった。 
 彼女が……ダンジョンマスターが、がっちりとトラップの腕をつかんでいたから。 
「おいっ……!!?」 
「…………」 
 すごく焦った様子でトラップが振り向いたけど、彼女は無言だった。 
 ただ、ひどく悲しそうな目で、ドラゴンを見ている。 
 そして……ドラゴンも。 
 あの恐ろしいブレスを吐くこともなく、襲いかかってくることもなく、ただじーっと彼女とトラップ 
を見つめていて…… 
 ……って、どうなってるの!? ねえ、何がどうなってるの!!? 
 どんどんと……いや、本当はすかすかとだけど……彼女の頭を叩く。 
 と、トラップを危険にさらしたら許さないからね!? 何がどうなってるのよ!! 
 わたしがそう叫ぶと、やっと彼女は、わたしの方に目を向けてくれた。 
「……どうして……」 
 すーっ、とその瞳から落ちるのは……涙。 
「どうして、あなたはわたしじゃないの!? どうして彼は……トーマじゃないのよ!!」 
 わあああああ、と声をあげて、彼女は……ダンジョンマスターは、泣き崩れた。 
 ……トーマ……? 
 トーマって……誰? 
 トラップもトラップで、わけがわからない、と言ったように、彼女と、そしてドラゴンを見比べている。 
 そして…… 
 信じられないことが、起きた。 
 ドラゴンとしては小柄だけど、それでもトラップを四人分まとめたくらいの大きさがあるドラゴン。 
 そのドラゴンの身体が、急に……縮み始めたのだ。 
「おいっ!?」 
 トラップの声が響くけど、それでその光景が変わるわけでもなく。 
 焦るトラップと、茫然とする彼女とそしてわたしの目の前で。 
 ドラゴンは、姿を変えた。……一人の、人間の、男の人の姿に。 
  
 ……どういう、こと? 
 どう見ても人間だった。さっきまではドラゴンだったのに……その人は、冒険者風の服をまとった、 
黒髪の男の人の姿になっていて。 
 そしてさらに驚いたことに……その人は、もう、生きていなかった。 
 わたしにだってわかる。だって、生きた人間なら……あんな、真っ青な肌、してるわけないもん…… 
 どういうこと? 何が……どうなったの? 
「……トーマ……」 
 つぶやいたのは、溢れる涙を拭おうともしないダンジョンマスター。 
 その声を聞きとがめたのか……トラップが、彼女の手をつかんだ。 
「……説明、しろよ……」 
「…………」 
「こりゃ、一体どういうことなんだ?」 
「…………」 
 彼女は、ふっと目をそらして……そして、言った。 
「私の……恋人でした。トーマは……」 
「あ……?」 
「私が、彼を信じなかったから。彼が、私を信じなかったから。だから、私達は……こんなところに、 
縛り付けられているんです……」 
「……おめえは、結局誰なんだ。何で、パステルの姿をしてる?」 
 トラップの問いに、彼女は答えなかった。 
 ただ、柔らかに微笑んで……そして。 
 あたりが、再び白い光に包まれた。 
 視界を塗りつぶす、すごく強い光。 
 トラップが「おわっ!」とか悲鳴をあげているのが聞こえたけど、それに構ってる暇はなかった。 
 光が弾けると同時に、わたしは、何か物凄い力に引き寄せられるのを感じた。 
 何も言えなかった。多分言っても聞こえなかったと思う。 
 強引に引きずられて、衝撃が走って……そして。 
 目を開けたとき、わたしの目の前には……トラップがいた。 
「……トラップ……」 
「っあーっ!! 何だ今の光は!! おいおめえ、説明しろ説明!!」 
 痛いほどに捕まれる腕。……腕? 
 ………… 
 まわりを見回す。わたしは……立っていた。ちゃんと、自分の足で、地面を踏みしめて。 
「戻った……?」 
「あ?」 
「戻った? ダンジョンマスター、ねえ、どこに行ったの? お願い、説明して! これって、どうい 
うことなの!?」 
「ぱ、パステル……? おめえ、パステルか?」 
 トラップの声に、振り向く。 
 ……トラップのおかげ、だよね。多分。 
 トラップが、わたしをちゃんとわかってくれたから…… 
「ありがとう……」 
「あ?」 
「ありがとう。わたしを、ちゃんとわかってくれて……」 
「……本当にパステルか? おい……一体、何がどうなってんだよ!?」 
 いや、聞かれても、わたしにもよくわからないんだけど。 
 結局……何が、どうなって…… 
 そのときだった。 
 視線を、何気なくトーマさん……? だよね? ドラゴンだった人の方に向けると。 
 思わず目を見開いてしまう。そこに、白っぽい、ぼんやりした光が浮いていたから。 
「トラップ、あれ……」 
「あん?」 
 わたしが指差す方向を見て、トラップも身体を強張らせる。 
 光は、ぼんやりと漂っている。それは……わたしが初めて会ったときのダンジョンマスターと、同じ 
ような光で…… 
「……ダンジョンマスター?」 
 わたしが声をかけると、光は、微かに揺れた。それは、まるで頷いているみたいだった…… 
「ねえ、説明……してくれる?」 
(…………) 
「おい、まさかこんだけ人を巻き込んどいて、説明の一つもねえ……ってこたあ、ねえだろうなあ……?」 
「トラップはちょっと黙ってて!!」 
 わたしがにらみつけると、トラップはふてくされたようにそっぽを向いたけど。 
 ダンジョンマスターは、そんなわたし達を見ても、しばらく何も言わなかった。 
 痛い沈黙だけが流れる。 
 ……うー……トラップじゃないけど、まさかこのまま説明無しで終わる、なんてことは……ないよね? 
 わたしが不安に思ったときだった。 
 ようやく、声が……あの、ダンジョンマスターの声が、響いた。 
(……ごめんなさい……) 
「うお!? 何だ、この声!?」 
 初めて聞いたトラップが、驚いたようにあたりを見回している。 
 だけど、光は、そんな彼には全く構わず、言葉を続けた。 
(ごめんなさい……私は、ダンジョンマスター。このダンジョンを作ったもの……) 
「う、うん。それは聞いたけど……ねえ、結局、このダンジョンって何だったの?」 
 わけがわからん、説明しろ、みたいなことを騒ぎ立てるトラップを抑えて、わたしが話しかけると。 
 光は、それはそれは寂しそうな声で……話を続けた。 
(私とトーマは……愛し合っていました。そう思っていたんです。私達は冒険者で……あの日、あるダ 
ンジョンの探検に出かけて……そこで、呪いを受けたんです) 
「呪い?」 
(ダンジョンマスターが残した、呪いです。愛し合う者達を引き裂く呪い。そこで、わたしは身体を 
乗っ取られ……ダンジョンマスターが、トーマを誘惑するのを、見せ付けられたんです……) 
 ………… 
 それって、何だかさっきのわたしと……同じ? 
(トーマは……中身が私じゃないことに、気づいてくれなかった。誘惑に乗って、ダンジョンマスター 
を抱いて……その瞬間、呪いは成立しました。私は、私をわかってくれないトーマを信じることができ 
なかった。トーマは、中身が私じゃないことに気づかず誘惑に負けた。その瞬間、私は実体を失って新 
たなダンジョンマスターとなることを強制され……トーマは、ドラゴンの姿に変えられてしまって、そ 
うして、何百年も、こんな場所に縛り付けられていたんです……) 
「…………」 
 わたしもトラップも、何も言えなかった。 
 それは……何て、ひどい呪いなんだろう。 
 愛を試す。愛が本物じゃなかったら、この場所に縛り付けられる。 
 そんなダンジョンって…… 
(わたし達が解放されるためには、一つしか方法が無いんです。他人の愛を引き裂くこと。そうするこ 
とで、私も、トーマも、実体を取り戻すことが……できるはずでした。でも、でも……) 
 泣いていた。 
 光は、泣いてるみたいだった。もちろん、涙を流しているわけじゃないんだけど…… 
(でも、それができなかったら。もし本当に愛し合う者同士が、呪いに打ち勝てば……このダンジョンは 
……消えます。そうして、ダンジョンマスターも、共に消えるんです。やっと、呪いが完全に消える……) 
 ……え!? 
「消えるって……それって、それってあなたが……」 
(私が、今のダンジョンマスター。この呪いがかけられてから、何人目のマスターかはわからないけれ 
ど……私の代で、やっと終わることができる。気に、病まないで。やっと、楽になれるから……トーマ 
も、一足先に……私も……) 
「待って……」 
 引き止めてどうしようって思ったわけじゃない。 
 だけど、これじゃあんまりだと思った。ダンジョンマスターが可哀想だと思った。 
 身体を乗っ取られそうになったのに、我ながらおひとよしだって思う。 
 だけど……わかるから。愛する人のことが信じられなかったのが、すごく辛いことだって、わかるから! 
「ダンジョンマスター……」 
 わたしが一歩前に出たとき。 
 それを制して、トラップが、ずいっと前に出た。 
 今にも消えようとしている光の前に立つ。腕組みをした、じっとにらみつけるようにして。 
 そして言った。 
「ばあか!!」 
 ………… 
 その言葉に、わたしは目が点になり、ダンジョンマスターの方は、言葉が出ないみたいだった。 
「と、トラップ!? あなた、いきなり……」 
「バカだからバカだっつってんだ! あにうじうじ悩んでんだよ。好きな男が他の女抱いたら、嫉妬す 
んの当たり前だろうが!? おめえはトーマって野郎を愛してた。それは事実だろ。自分の気持ちまで 
否定してんじゃねえよ!」 
「トラップ……?」 
「後な、誘惑された立場だからわかるけど……」 
 わたしの言葉には答えず、トラップは……何だか、決まり悪そうにつぶやいた。 
「別に、トーマって野郎は、中身がおめえじゃねえことに気づかなかったわけじゃねえと思うぜ?」 
(……嘘よ……) 
 トラップの言葉に、ダンジョンマスターが弱々しい反論を返す。 
 だけど、トラップは大きく首を振って言い切った。 
「いんや、俺にはわかる。雰囲気が違うんだよ。中身が違うとな。けどな、男ってーのは……何つーか 
だな、その……」 
 がしがしっ、と頭をかきながら、トラップはちらり、とわたしに目をやった。 
 ……何よ、その視線。 
「あのな……許してやれよ。男ってのはな、例え心でどんだけ拒否しても、女の方から誘惑されたら…… 
その、反応しちまうもんなんだよ。特に、誘惑してきたのが……その身体が、好きな女の身体だったらな。 
無理やり拒絶すれば、傷つけちまうかもしれねえ。どうしようもできねえことって、あんだよ……あんた 
が、何百年経っても、トーマって野郎のために涙を流せるくらい、嫌いになれなかったのと同じように、な」 
 トラップの言葉に、ダンジョンマスターは答えなかった。 
 ただ、ふらふらと頼りなげに、わたし達のまわりをまわって…… 
「……あんま、慰めになってねえかもしんねえけど……愛情ってのは、そんな簡単に理解できるような 
もんじゃねえぜ? 自分の気持ちだってよくわかってねえのに、ましてや他人の気持ちなんてな、わか 
らなくて当然だって」 
(……ありがとう……) 
 トラップがそう言うと。 
 光は……完全に、消滅した。 
  
 ダンジョンマスターがいなくなった後。 
 突然、すごい音を立ててダンジョンが崩れ始めた。 
「……! まじいっ! 逃げるぞパステル!!」 
「う、うん」 
 ぐいっと手をつかまれる。もう感傷に浸ってる暇も無い! 
 走り出した。だけど、半日くらいかけてここまで来たんだよね。崩れる前に脱出なんてできるの!? 
 わたしはすごく不安だったんだけど。 
 走り始めて程なく、すごく懐かしい声が聞こえてきた。 
「おい、トラップ! パステル!!」 
『……クレイ!』 
 わたしとトラップの声がはもった。 
「お前ら、一体どこに……いや説明は後だ! 逃げるぞ!!」 
「クレイ、でも、でも間に合うの!? 入り口まで……」 
「大丈夫だ! ノルがやってくれたから!!」 
「ええ!?」 
 ばたばたばたと走り続けること五分くらい。 
 たどり着いたのは、ところどころにあった広場のような場所。 
 そして、そこの天井には、大きな穴が開いていて…… 
「ああ、トラップ!! 早くロープを!!」 
 その場で足踏みしながら待っていたキットンが、わたし達の姿を認めて叫ぶ。 
 それだけで事情を理解したのか、トラップが、素早くフックつきロープを取り出して、穴の外に投げた。 
 どうやら、ノルがその怪力で天井を突き破ってくれたみたい。彼の手には、泥まみれになった愛用の 
斧が握られていた。 
 ロープが固定される。その間にも、ダンジョンは容赦なく土崩れを起こし始めていて…… 
「は、早く、早く早くー!!」 
「バカ焦るなっ! ゆっくりと……」 
「うぎゃぎゃ!! つ、土が目に〜〜!!」 
「キットン、早く上れって!!」 
 ああ、もう何が何だかっ!! 
 とにかく、余韻なんかに浸ってる暇も無く。 
 わたし達は、ほうほうのていでダンジョンを脱出したのだった。 
  
 クレイ達の話しによると、あのドラゴンが現れたとき。 
 走っているうちにわたしとトラップがついてきてないことに気づいたけど、逆戻りしようとしたとこ 
ろで、突然すごい熱波に包まれて気を失ってしまったとか。 
「……それも、ダンジョンマスターの力……なのかな?」 
「そうじゃねえ? なるべく邪魔が入らねえように、目的の二人以外近づけねえようにしたんだろ。あ 
のドラゴン、そういう役目もやらされてたんじゃねえの?」 
 なるほど…… 
「……でね、トラップ。あのとき、本当にわかったのはあのときなの? 実はもっと前にわかってたけ 
ど、黙って見てた……なんてことは、無いよね?」 
「……あ、あたりめえだろうが! だ、誰がわざわざ好き好んでおめえみてえな幼児体型見なきゃなん 
ねえんだ!?」 
「な、何ですってええ!!?」 
 ダンジョン脱出の二日後。 
 わたしとトラップは、猪鹿亭で話しこんでいた。 
 他のメンバーは、疲れ果ててまだ寝てるんだよね。けど、わたしはどうしても確認したいことがあっ 
たから、無理やりここまで引きずってきたんだ。 
 ちなみに、途中でダンジョンが崩れたため、当然だけど「暗闇の花」を見つけることはできず。 
 というより、あのダンジョンにお宝があるとか、暗闇の花があるとか、それはもしかしたら全部、人 
を引き寄せるためのでっちあげだったんじゃないか、っていうのが、トラップの説だったりする。 
 よくよく聞いたら、盗賊団がアジトにしていたっていう話は、いつの話なのか随分曖昧で……少なく 
とも、最近の話じゃないってことだった。だから、ありうる、と、彼は随分悔しそうだったんだけど。 
 けど、わたしにとって、それはどうでもいいことだった。 
 いや、本当はよくないんだけどね。だけど、わたしが気になってることに比べたらそんなのは本当に 
ささいなことで…… 
「あのね、トラップ」 
「あんだよ?」 
「どうして、わたし達二人なのかなあ」 
 ぶはっ!! 
 わたしがそうつぶやいた瞬間、トラップは派手に水をふきだした。 
 もーっ、汚いなあ…… 
「げほっ、えほっ……あ、あのなあ。何だよ突然」 
「だって、あの呪いって、愛する二人を引き裂く呪いなんでしょ? それ以外の人達には関係無いから、 
以前ダンジョンに踏み込んだっていう冒険者達も、ドラゴンに会ったのに無事で済んだんだよね?」 
「……まあ、そうだろうな」 
「でね、何でわたし達が選ばれたのかなあって思って……」 
「……おめえ、それ本気で言ってんのか……?」 
「え?」 
 当たり前じゃない、とわたしが言うと、トラップは、深い、深いため息をついた。 
「あ、あんだけはっきり言い切られたのに、そう言うかよ……何で、おめえなんだろうなあ……」 
「え?」 
「何でもねえよっ!!」 
 トラップは、ドン、とテーブルを叩いて叫んだ。 
「気まぐれだろ気まぐれ!? ああそーだよ、ダンジョンマスターの気まぐれ。そうに決まってら!!」 
 ふてくされたように水を飲み干して、おかわりを頼む。 
 その姿は、どこまでも、不機嫌そうだった。 
  
 

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