自分の誕生日が何かのイベントに近いっていうのは、嬉しいような悲しいような複雑な気分だ。 
「マリーナが?」 
 その日、幼馴染でパーティーの仲間でもあるトラップの報告に、俺は首をかしげた。 
 トラップいわく、バイトから帰ってきたら、マリーナから手紙が来ていた、ということだった。 
「おめえあてに」 
 そう言って放り出された手紙には、確かに俺の名前が書かれている。 
 何の用なんだろう? 
 そう聞いてみたが、トラップの返事は「俺が知るかよ」というもっともなものだった。 
 そして奴は、俺が手紙を開ける前に「おーいパステルー」と恋人の名前を呼びながら階段を上っていってしまった。 
 パステル。俺達の大切なパーティーの仲間。 
 妹のように思っていた彼女がトラップとくっついたときは、正直驚いた。 
 トラップがパステルを好きなことは、随分前から何となく察していたけれど。彼女の方は、何というか……そういう恋愛感情にはびっくりするくらい疎い子で。 
 俺は心の中で密かにトラップに同情していたりもしたんだけど。まあ、どういう経緯かはわからないが、二人は無事に恋人同士になれた。 
 別にそれでパーティー内に何か問題が起こるわけじゃない。俺も、キットンも、ノルも、素直に祝福することができた。 
 それ以来、トラップはやたらと機嫌がいいし、パステルは幸せそうだ。良くも悪くも、恋愛っていうのは人を変える、としみじみ思う。 
 そんなことを考えながら、手紙の封を切った。 
 マリーナは、俺とトラップの幼馴染だ。今はエベリンで貸衣装屋をやっていて、俺達もたびたび世話になっている。 
 そんな彼女からの手紙。何か困ったことでも起きたんだろうか? それなら、手伝ってやらないと。 
 手紙を広げる。中には、見慣れた可愛い文字がこうつづっていた。 
  
 こんにちわ、クレイ。久しぶりね。 
 突然なんだけど、エベリンに来れないかしら? 
 10月31日、ハロウィンっていうイベントがあるの、あなたは知ってる? 
 とても楽しいイベントなんだけど、それに合わせてパーティーを開きたいのよ。 
 もちろん無理に、とは言わないけれど。 
 よければ、トラップやパステル達も一緒にね。 
 ご馳走もたくさん用意しているから。 
 じゃあね 
                             マリーナ 
  
 ハロウィン? 
 手紙に書かれたイベントは、俺の知らない名前だった。 
 そんなイベントがあったのか。さすがはマリーナ、物知りだな。 
 さて、それはともかく…… 
 カレンダーに目を向ける。 
 明日、明後日あたりに出発すれば、31日までには十分につけるだろう。 
 けれど、みんなの予定はどうだろう? 
 思い出す。俺自身は特に予定は無い。けれど、トラップやパステルは、多分バイトがあったんじゃないだろうか。 
 キットンやノルは……わからないな。まあルーミィとシロは暇だろうけど、確実に。 
 とりあえず聞いてみよう。二人の間を邪魔するのは悪いけど。 
 ゆっくりと階段を上る。 
 きっと、ドアをノックしたら、パステルは真っ赤になって慌てていて、トラップはすごく不機嫌な顔でにらんでくるだろう。 
 あの二人は、わかりやすいから。 
 苦笑をこらえきれずに、パステルの部屋をノックした。 
  
「ああ? 明日あ?」 
 予想通り不機嫌な顔で、トラップは言った。 
 パステルは真っ赤になって椅子に座っている。 
 ……トラップが腰掛けているのはベッドで、それもやけにシーツが乱れてるのは……まあ深く考えるのはやめておこう。 
「そう、マリーナから。お前、ハロウィンって知ってるか?」 
「いや、知らねー。何だそりゃ?」 
「俺もよく知らないけど、10月31日に、そういうイベントがあるらしい」 
 パステルに視線を向けると、「わたしも知らない」と首を振られた。 
 ……一体どんなイベントなんだろう? 
「まあ、そんなわけで、エベリンに来れないかって手紙が来たんだけど……都合はどうだ?」 
「わりい。俺、バイト」 
 俺の質問に、トラップは即答した。 
 まあ……しょうがないな、急なことだし。 
「パステルは?」 
「ごめん、わたしも原稿の締め切りが近いから……キットンやノルに聞いてみたら、どう?」 
 パステルがそう言うと、何故か、トラップが枕を彼女に投げつけた。 
「ちょっと……何するのよトラップ!」 
「ばあか! 鈍い奴だなおめえは」 
「はあ? 何よそれ」 
 パステルの質問に、トラップは答えなかった。 
 ただ、やけに意地の悪い笑みを浮かべて、俺を見ている。 
「おめえが一人で行ってくりゃあいいだろ? もともと手紙はおめえに来たんだから」 
「いや……でも、パーティーだろ? みんなで行った方が、楽しいんじゃないか?」 
 ご馳走も用意してある、ということだし。ルーミィを連れていったら、きっと喜ぶだろう。 
 そう言うと、トラップは盛大なため息をついた。 
「何で気づかねえのかね、おめえって奴は……」 
「はあ?」 
「いんや、別に。マリーナがちっと気の毒になっただけだ。ありし日の俺を思い出すぜ」 
 そう言って、トラップはちらりとパステルに目をやったが……パステルにも、トラップが何を言いたいのかよくわかってないらしい。 
「ったく。まあとにかくよ、来いって言ってんだから行ってくりゃあいいだろ。それとも、おめえには何か用事があんのか?」 
「……いや、別に無いけど」 
「そーだろそーだろ。だあら、行ってこいって」 
「…………」 
 トラップが何を言いたいのかいまいちよくわからないけど。 
 まあ、いいか。俺に用事が無いのは確かだし、トラップ達が忙しいのは仕方の無いことだ。 
「そうだな。じゃあ、俺、明日からしばらくエベリンに行ってくるから、後のことは頼んだぞ」 
「ああ、まかせとけって」 
「……お前じゃなくてパステルに言ってるんだ」 
 トラップなんかにまかせておいたら、帰って来たときにはパーティーの財布が空になってるかもしれない。 
 そう念押しすると、トラップはふてくされてパステルは苦笑した。 
「わかった、安心していいよ。マリーナによろしくね」 
「ああ」 
 邪魔して悪かったな、と心の中で告げて、外に出る。 
 そこで気づいた。 
 ……10月31日? 
 翌日の11月1日って……俺の誕生日じゃないか。 
 思わず天井を仰ぐ。 
 あの調子じゃあ……トラップもパステルも忘れてるな。 
 31日にエベリンにいたら、1日にシルバーリーブに戻ってくるのはまず無理だろう…… 
 まあ、しょうがないか。よく考えたら、去年もこんな調子で忘れられたような気がする。 
 今更誕生日を祝うような年でもないし……しょうがないか。 
 諦めきってる自分がちょっと寂しい。 
 荷物をまとめるべく、俺は隣の部屋へと移動した。 
  
 エベリンについたのは、10月の30日だった。 
 乗合馬車のチケットがなかなか取れなくて、間に合うかどうかひやひやしたんだけど、何とか間に合ってよかった。 
 既に通いなれたマリーナの店に行く。ハロウィンがどんなイベントかはわからないけど、そんなに大掛かりなイベントではないのかもしれない。店は、普通に営業していた。 
「こんにちわ。マリーナ、いるかい?」 
「……クレイ?」 
 声をかけると、店の奥からマリーナが顔を出した。 
 前髪だけをピンクに染めた金髪がよく似合う、俺より少し年下の女の子。 
 もっとも、彼女は時々とても大人びたことを言うから、あまり年下って感じはしないんだけど。 
 マリーナが嬉しそうにこっちに駆けてくる。その手には、何故か大きなかぼちゃが抱えられていた。 
「本当に来てくれたのね。急なことだから、半分くらいは諦めてたのよ?」 
「はは。他ならぬマリーナの頼みだしね。と言っても、俺だけなんだ。トラップもパステルも、バイトがあるからって」 
「そう」 
 予想していたのか、もしかしたらパステルが事前に手紙でも送ったのかもしれない。 
 マリーナの表情には、特に残念そうな色は無かった。 
「まあ、しょうがないわね。とりあえずあがって。お茶でも入れるから」 
「ああ……なあ、ところで、ハロウィンってどんなイベントなんだ?」 
「あら、知らなかった?」 
 お茶を入れながら、マリーナが説明してくれたところによると。 
 ハロウィン。それは、ようするに仮装パーティーみたいなものらしい。 
 お化けや魔女などの奇抜な仮装をして、子供達は「お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ」と色々な家を巡ってはお菓子をもらい、そうして街中を練り歩く。 
 その日はかぼちゃをくりぬいて作った置物が飾られて、ご馳走を食べてお祝いするんだとか。 
 なるほど、それでかぼちゃか。 
 マリーナが持っていた大きなかぼちゃを見て、納得する。どう見ても、一人で食べるには無理がある大きさだ。 
「そんなイベントがあったなんて、知らなかったなあ」 
「あんまりメジャーなイベントじゃないからね。エベリンにだって、伝わってきたのはここ数年よ」 
 かちゃん、と紅茶が置かれる。いい匂いが、部屋いっぱいに広がった。 
「そうか。それなら、やっぱりみんなで来た方がよかったかな。ルーミィが一緒だったら、きっと喜んだと思うんだけど」 
「……そうね。何でクレイ一人なの? トラップやパステルは駄目でも、他の人達は?」 
「いや……何でかよくわからないけど。トラップに、『一人で行け』って言われたんだ」 
 そう言えば何でなんだろうな。ルーミィ達を連れていってやったら、パステルもきっと原稿がはかどったと思うんだけど。 
 そう言うと、マリーナは何だか複雑な目で俺を見てきた。 
「トラップにはわかってるんじゃない?」 
「? 何が?」 
「……何でも」 
 マリーナの言うことはよくわからなかったけれど。聞こうとしたときには、彼女はもう立ち上がっていた。 
「長旅で疲れたでしょう? ゆっくり休んでてね。わたしは準備があるから」 
「ああ。俺にも何か手伝えることはある?」 
「……そうね。じゃあ、店番をお願いできる?」 
「わかった」 
 マリーナはそのまま台所へと引っ込んだ。 
 さて、店番か。こういうのは、トラップの方が得意なんだろうけど。 
 レジの前に座ると、早速一人の客が、店内に入ってきた。 
  
「今日は、やけに大繁盛ね」 
 夜。マリーナは感心したように言った。 
 本当に驚いた。俺が店番をしていたら、次々とお客さんが来たもんな。 
 やけに女性の客が多かったけれど、もしかしてみんな、ハロウィンの仮装のために来たのかな? 
 そう言うと、マリーナは「さあね。店番の差じゃない?」と意味ありげに笑っていたけれど。 
 実際、今日は黒いマントや着ぐるみのような、普段着として着るには無理があるような衣装がよく出た。 
 明日は、仮装をした人達が通りにあふれるんだろうな。 
「マリーナは、どんな仮装をするんだ?」 
「秘密。クレイも、何か着る?」 
「……着なくてもいいんなら、できれば遠慮したいんだけど」 
 あんまり目立つのは好きじゃない。そう言うと、マリーナはころころ笑って、 
「じゃあ、これを着てね」 
 と、黒いマントを始めとする衣装を一式渡してくれた。 
 ……まあ、逃げられるなんて思ってなかったけどな。 
 トラップがいなくてよかった。きっと、ここぞとばかりからかわれるに違いない。 
 心からそう思う。 
「明日が楽しみね」 
 夕食をとりながら、マリーナはぽつんとつぶやいた。 
「そうだな」 
 彼女の言葉には、色んな意味がこめられていたんだけど。 
 そのときの俺は、まだ、そのことに気づいてなかった。 
  
 エベリンは物価の高い街だから、マリーナの家に泊めてもらうのはありがたい。 
 空いている部屋を一室提供してもらって、俺はぐっすりと眠ることができた。 
 何しろ、普段はみすず旅館の狭いベッドに、トラップ、キットンのどちらかと寝ることが多いから。 
 一つのベッドに一人で眠るのは、本当に久しぶりだ。 
 そんなわけで、俺は夢も見ないほど深い眠りにつくことができたんだけど。 
 その夜のことだった。 
 多分、時刻は二時をまわっていたんじゃないだろうか? 
 きぃっ、という微かな音に、俺は目を開けた。 
 ……誰だ……? 
 ひたひたという足音が、ベッドの脇で止まる。 
 完全に眠気の覚めきってない頭で、身を起こした。 
 真っ暗な部屋の中。闇に溶け込みそうな黒ローブをまとい、頭に三角の帽子を被った女性。 
 波打つような長い金髪と、とても大人っぽい化粧が、ひどく印象的だった。 
「……ま、マリーナ……?」 
 ぼんやりした目でつぶやくと、彼女は、とても色っぽい笑みを口元に浮かべて言った。 
「Trick or Treat」 
「……は?」 
 言われた意味がわからなくて首をかしげる。 
 徐々に眠気が引いていく中、マリーナは、すっ、と顔を近づけて、耳元で囁いた。 
「お菓子か、いたずらか……?」 
「……はあ?」 
 ええと、これは一体何なんだろう。 
 ちょっと考えて、思い当たる。 
 そうか、もう確かに、時間の上では31日になってるな。 
 もしかして、ハロウィンの予行練習か何かだろうか。 
 そう言われてみれば、マリーナの格好は、絵本か何かで見る魔女の格好とよく似ている。 
 「お菓子かいたずらか」……つまり、お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ、っていうことなんだろうな。 
 しかし、マリーナ。君は子供っていう年じゃないだろう。 
 思わず苦笑して、ベッドの上に座りなおす。 
 マリーナは、相変わらず魅惑的な笑みを浮かべたまま、俺の前にたたずんでいる。 
 ……マリーナって、こんなに綺麗だったか? 
 その顔をじっと見つめて、ふとそんなことを思う。 
 ずっと小さい頃から一緒に過ごしてきて、パステルとはまた別の意味で、妹のように可愛いと思っていたんだけど。 
 今の彼女は……何だろう? 俺よりずっと年上の、立派な女性に見えて…… 
「Trick or Treat? クレイ。あなたの答えは?」 
「悪い。何も持ってないよ」 
 マリーナの言葉に、俺が両手を広げると。 
 彼女の目が、すっと細まった。白い手が伸びてきて、俺の肩をつかむ。 
「マリーナ?」 
「あなたはいたずらを選んだのね」 
 マリーナの顔が、徐々に近づいてくる。 
「お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうから」 
 そうして、マリーナは。 
 笑みを浮かべたまま、俺の唇にくちづけてきた。 
  
 …………一体何が起きたんだ? 
 ぼんやりと、目の前のマリーナの顔を見つめる。 
 キス……だよな、これは。 
 マリーナが、俺に? 
 ぐっ 
 突然のことに、何をすればいいのかさっぱりわからなかったけれど。 
 マリーナは、そんなことには全然構わず、キスを続けていた。 
 唇の間から滑り込むようにして、柔らかいものが差し入れられる。 
 こ、これ、は…… 
 ぐいっ 
 マリーナが身を乗り出してきた。 
 そのまま、二人そろってベッドに倒れこむ。 
 俺の上にのしかかるような形になって、マリーナは、ようやく唇を離した。 
「いたずら」 
「……いたずらにしては、冗談が過ぎるんじゃないか?」 
 俺だって、男なんだぞ。こんな時間に、部屋に二人っきりで。 
 この格好は……ちょっとまずいだろう。 
「マリーナ」 
「冗談じゃなかったら、いいの?」 
「……は?」 
「あなたは、鈍い人だから」 
 そう言うと、マリーナは、俺のパジャマに手をかけた。 
 ……おい……? 
「マリーナ、ちょっと……」 
「トラップは気づいていたのに。あなたはちっとも気づいてくれなかったのね」 
 ぶちぶちぶちっ、と、あっという間にパジャマのボタンが全開にされた。 
 胸に手を滑らせるようにして、マリーナは言った。 
「ずっと、クレイのことだけを見てたのに」 
「……ま、マリーナ?」 
 それは……つまり……? 
「クレイは、わたしが嫌い?」 
「いや……」 
「でも、女としては、見てなかったでしょう?」 
「…………」 
 それは、その通りだったから。素直に頷く。 
 ずっと妹みたいな存在だと思っていた。可愛くて、守ってあげたいと。 
 ついさっきまでは。 
「それでもいいと思ってたのよ、わたし」 
「…………」 
「あなたとわたしでは……何もかもが違いすぎるから。この恋は実らないって、ずっと諦めていたんだけど」 
 でもね、と、マリーナは、今にも泣きそうな笑みを浮かべて言った。 
「トラップも、わたしと同じだった。叶うわけがないって、パステルへの思いを、ずっと隠してて……でも、あいつは勇気を出したのよ。それを言ったのはわたし。『言わなきゃ始まらないでしょう』って言って、トラップはその通りにして、そしてパステルの心を手に入れたのよ」 
「…………」 
 そうだったのか。 
 トラップとパステルが、どうやって恋人同士になったのか不思議だったんだけど…… 
 それは、マリーナが裏で手を回していたのか。 
「マリーナ」 
「だから、わたしも勇気を出すことにしたの」 
 首筋に、熱い感触。 
 長い髪が顔に触れて、どきんと、心臓がはねた。 
「一度でいいわ」 
 耳元に触れる甘い囁き。 
「一度だけでいい。Trick or Treat……わたしに甘いお菓子のかわりに、甘い思い出を……ちょうだい」 
「…………」 
 俺だって男なんだ、と実感する。それは随分久しぶりに感じた衝動だった。 
 気が付いたとき、俺はマリーナの肩をつかんで。 
 そして、体勢をひっくり返していた。 
 ぼすん、とマリーナの身体がベッドに沈む。 
 その身体にのしかかるようにして、俺は、彼女の唇を奪っていた。 
  
 ローブってのは、一体どうやって脱がせればいいんだ? 
 首筋へと唇を移動させて、何だかそれだけで、身体の方はしっかり反応してしまって。 
 そこまできておきながら、俺は途方に暮れていた。 
 こういうとき、トラップの手先の器用さが羨ましくなる。あいつなら、多分あっという間に…… 
 いやいや、何考えてるんだ、俺は。 
 ぶんぶんと首を振っていると、くすり、と小さな笑い声が漏れた。 
「あ、ごめん……」 
「ううん……クレイらしいな、って思って」 
 マリーナは、ゆっくりと起き上がると、背中に手を回してあっという間にローブを脱ぎ捨てた。 
 ついで、下着も。一分とかからず、彼女は全裸になった。 
 ずっと小さい頃は、よく見ていたはずのマリーナの身体。 
 十年か……もうちょっとか? 
 長い間見ていないうちに、彼女の身体は、すっかり「女」の身体になっていて…… 
 服を着ているときには大して意識もしていなかった、豊かな胸。細い身体とはふつりあいなくらい……でも、決して不恰好ではない、女性としては完璧に近いプロポーション。 
 ……彼女は、何で俺を選んだんだろうな。 
 胸に手を触れると、マリーナの唇から、小さな声が漏れた。 
 すっと唇を寄せる。最初は柔らかかったのに、わずかにいじっただけで、先端部分は徐々に硬く、尖っていった。 
 美人で、スタイルも良くて、気立ても良くて……きっと、彼女なら、もっといい男はいくらでも見つけられただろうに。 
 ばさり、とパジャマを脱ぎ捨てる。 
 マリーナの手が、そっと俺の胸に触れた。 
 そのままわずかに上半身を起こして、唇を寄せてくる。 
 その頭を支えるように手をあてがって、もう片方の手で、背中を撫でる。 
 俺の身体とは違う、とても滑らかな手触りが返って来た。 
 肩のあたりに唇を寄せる。力をこめて吸い上げると、白い肌に赤い痣が残った。 
 もちろん、俺だってこんな行為に慣れてるわけじゃないんだけど。 
 何故だろう。これは、本能と言う奴だろうか。 
 マリーナの身体はとても魅力的で、頭で何も考えなくても、身体が自然に動いた。 
「クレイ……」 
 囁かれる言葉が、欲望を煽る。 
 以前、トラップがぼやいていたことがある。 
 恋人同士になった直後くらいだったか。クエスト中、雑魚寝を強いられるとき、本当はパステルだけは別の場所に寝かせたいんだ、と。 
 どうして? 今更じゃないか、と聞いたら、あいつは笑って言った。 
「そりゃ、我慢すんのが大変だからだよ。以前は、手え出したら嫌われると思ったら、まあ我慢のしようもあったんだけどな。今となっちゃあ……あんな色気のねえ奴、なんて思ってたんだけどな。惚れちまったら、んなの関係ねえんだよなあ」 
 正直、俺にはそのときよくわからなかった。「我慢する」という意味が。 
 ……そうか。こういうことか。 
 俺の愛撫に素直に身をまかせ、あえぎ声を漏らしているマリーナ。 
 それはとても愛しくて……同時に、そのまま何もかも自分のものにしてしまいたいという独占欲を煽る。 
 多分マリーナも初めてなんだと思う。痛がらせたり、恐がらせたり、不安にさせたりはしたくない。 
 そう頭ではわかっているんだけど、俺の身体は、もう限界に近いというか……ようするに、早く…… 
「クレイ」 
 マリーナの脚に手をかけたとき、彼女は、潤んだ瞳で俺を見上げて言った。 
「いいわよ……好きにして」 
「マリーナ……?」 
「あなたの、思い通りに……めちゃくちゃにしてくれちゃって、構わない」 
 ぐいっ、と細い腕が首にからめられた。 
「好きにして。あなたにこうして抱かれているというだけで、わたしは十分に満足だから」 
 そう言って、マリーナは目を閉じた。 
 ……いいのか。 
 俺だって、男なんだから。そんなことを言われたら……止まらなくなるぞ。 
 そう警告してやろうかと思ったけれど、身体がそれを許さなかった。 
 太ももを持ち上げる。手を伸ばすと、ぬるり、という感触が返って来た。 
 ぐいっ、と指をさしいれたとき、抵抗は、ほとんど返ってこなかった。 
 ……マリーナ。 
「痛かったら、ごめん」 
 そう言うと、マリーナは小さく笑った。 
「こんなときでも、優しいのね……クレイは」 
 彼女の言葉が、耳に届くか、届かないか。 
 その瞬間、俺は、彼女と一つになっていた。 
  
 指のときとは違った。びっくりするくらい狭くて、激しい抵抗。 
 そこに無理やり押し入ると、マリーナは小さくうめいて、腕に力をこめた。 
 一瞬首が絞まりそうになる。 
 ……痛いんだろうな…… 
 抜いてあげたほうが、いいのかもしれない。一瞬弱気な考えが浮かんだけれど。 
 でも、身体の方は……想像以上に快感を与えてくれるその場所が、いたく気に入ったようで。 
 意思とは無関係に、俺の身体は動いていた。 
 マリーナの小さな身体が、俺の動きに合わせて振り回されるように動く。 
 彼女の唇から漏れる声は、徐々に大きくなって……それはとても艶っぽくて、俺の欲望をますます高めてくれる。 
「……あ……」 
「いいのよ」 
 その気配を感じて、俺が動きを止めようとしたとき。 
 マリーナは、そっと首を振っていった。 
「今日は、大丈夫だから……中で……」 
「…………」 
 それがどんなに危険なことか、知らなかったわけじゃない。 
 それでも……我慢ができなかった自分が、情けない。 
 彼女がそう言った瞬間、俺は動きを再開して。 
 そして、呆気なく……彼女の中で、果てていた。 
  
 ことが終わると、マリーナは余韻に浸ることもなく、すぐに立ち上がった。 
 素早くローブを身につけて、相変わらずの悲しそうな笑みを浮かべて、言った。 
「甘い思い出を、ありがとう……安心して。すがる女には、ならないから」 
 バタン 
 ドアが閉まる。 
 ふっと身を起こして外を見ると、まだ真っ暗だった。夜明けには、まだ大分間がある。 
 だけど……もう今夜は、眠れそうにない。 
 ふうっとため息をついて、パジャマを拾い上げた。 
 ……俺は、どうすればいいんだろう? 
  
 翌朝。 
 予想通り眠れなかった俺が、腫れぼったい目をこすりながら下に降りると。 
 マリーナは、既に朝食の準備を整えていた。 
「あら、おはよう、クレイ」 
「……おはよう」 
「よく眠れた?」 
 一瞬皮肉か、と思う。 
 だけど、そう言うマリーナの目も真っ赤で……それは、きっと彼女のせいいっぱいの気遣いなんだと、さすがの俺でも気づいた。 
 すがる女にはならない。 
 昨夜の台詞を思い出す。 
 ふうっ、とため息をついて、食卓につく。 
 いつの間に……マリーナは、こんなにいい女に成長したんだろう? 
 どうして、俺は今までそれに気づかなかったんだろう。 
「パーティーは、いつ?」 
「夕方から、近所の店と合同で」 
「そうか……楽しそうだな」 
「ええ」 
 俺の言葉に、マリーナは頷いた。昨夜と同じ笑みを浮かべて。 
「きっと、楽しいと思うわよ」 
 
 パーティーは大盛況だった。 
 マリーナの店だけじゃなく、色んな店が色んな料理を提供して、そして様々な人が様々な仮装をして。 
 俺も随分と子供達にお菓子をねだられた。マリーナがクッキーをたくさん焼いて持たせてくれていたからよかったけど、そうじゃなかったら、どんな目に合わされたことやら。 
 ちなみに、俺の仮装は……吸血鬼、なのだろうか? 
 燕尾服の上から、漆黒のマント。唇の端から覗くのは、牙。 
「よく似合うわよ」 
 そう言って笑っているマリーナの格好は、昨夜見た魔女のもの。 
 結局その騒ぎは夜中まで続き、もちろんそんな時間に乗合馬車はなく……俺はもう一泊、マリーナの店に泊まることになった。 
 けれど、それはある意味……好都合だった。 
「女に恥かかせんのは、男として最低だかんな」 
 多分、トラップあたりならこう言うだろうな。 
 そう考えて苦笑する。 
 マリーナがあれほどまでに俺のことを考えてくれたのに。俺はそのことにちっとも気づかなくて。 
 そしてそんなになるまで自分の気持ちにも気づいていなくて。 
 全く、自分の鈍さが嫌になる。パステルのことを笑えない。 
 パーティーが終わり、後片付けは明日にする、とマリーナが自分の部屋に引っ込んだ後。 
 俺は、静かに時間が過ぎるのを待った。 
 深夜0時をまわるまで。 
  
 0時過ぎ。11月1日。 
 そっと部屋を抜け出す。身につけているのは、ハロウィンの仮装。 
 マリーナの部屋は隣だ。ドアノブをつかむと、抵抗なく開いた。 
 ……助かった。鍵がかけられていたら、どうしようかと思った。 
 そのまま、ドアを開ける。 
 普段の俺なら、こんなことは絶対にできないんだけど。 
 今日は、許して欲しい。……誕生日だから。一年で唯一、わがままを許される日だから。 
 部屋の中に滑り込み、バタン、とドアを閉める。 
 その音に、寝巻き姿のマリーナが、起き上がった。 
「……クレイ?」 
「Trick or Treat」 
 すっ、とお辞儀をする。 
「今宵、あなたの血を貰い受けにきました、お嬢さん」 
「……どこでそんな台詞を覚えてきたの?」 
 マリーナの顔に苦笑が広がる。 
 ……自分でも、ちょっと言ってて恥ずかしかった。 
「お菓子か、いたずらか……マリーナの答えは?」 
「何言ってるの? ハロウィンは、もう終わりでしょう?」 
 マリーナの視線は、時計に注がれている。 
 確かにそうだ。0時はもうまわっている。 
 だけど…… 
「そうだな。もう31日じゃない。今日は……」 
「11月1日ね。ハッピーバースデイ、クレイ」 
 さらりと返って来た返事に、少なからず驚く。 
「覚えていてくれたのか」 
「忘れるわけないじゃないの」 
 ストン、とマリーナがベッドの下に足を下ろした。 
「本当は、ね……ハロウィンより、そっちがメインだったのよ?」 
「…………?」 
「どうせ、パステル達のことだから。きっと盛大なパーティを準備してるんだろう、って思ったんだけど」 
「いや、それは無い。忘れられてたよ」 
 出かけるとき、引き止めるどころかさっさと行けとばかりに追い出したトラップの顔を思い出す。 
 そう言うと、マリーナは小さく笑って続けた。 
「だけど、どうしても……一度でいいから、クレイの誕生日を二人だけで祝いたかったのよ。今まで、そんな機会なかったでしょう?」 
「ああ」 
 言われてみればそうだ。俺の誕生日は……いつだって、家族と、トラップと、マリーナと、あるいはパーティーのみんなと、大勢の人に祝ってもらった。 
 いや、去年は忘れられてたけど。 
「だから、ハロウィンの名目で呼び出したのよ。あなたを驚かせたかったから」 
「もしみんなで来たら、どうするつもりだったんだ?」 
「それは無いと思ったわ」 
 くすくす笑いながら、彼女は言った。 
「きっと、トラップが止めてくれると思ったから。あの無駄に鋭いあいつなら、きっとわたしの考えなんかお見通しだろうって思って」 
「……そうか」 
 トラップとマリーナは、よく似てる。 
 何となくそう思った。 
 二人とも、変に鋭くて、頭が切れて、そのせいで自分の感情より理性を優先することに慣れてしまって。 
 それはある意味、とても悲しいことなんじゃないかと思う。 
 たまには、感情を優先させたって、いいじゃないか。それが、思わぬ幸運をもたらすことだってあるんだから。 
「……で、クレイ。結局、あなたは何をしに?」 
「見てわからないか?」 
 すっ、とマントを翻す。 
「ハロウィンは終わった。これは、仮装じゃなくて……冗談じゃなくて、俺の本心」 
「……え?」 
「あなたを貰い受けに来ました、お嬢さん」 
 後になって考えると、よくこんなことが言えたな、と自分に感心する。 
 茫然とするマリーナの頬に手をかけて、俺は言った。 
「誕生日プレゼントとして……君をもらってもいいかい? マリーナ」 
 その言葉に、マリーナはしばらくぽかんとしていたけれど。 
 やがて、顔を真っ赤にして、小さく頷いた。 
  
 翌朝。 
 俺とマリーナが一つのベッドで目覚めたとき、マリーナはすがりつくようにして言った。 
「ねえ、本当にいいの?」 
「何が……?」 
 昨夜寝るのが遅かったせいもあって、俺がいまだ取れない眠気と戦っていると。 
 マリーナは、不安そうにつぶやいた。 
「だって、クレイ。あなたには、婚約者が……」 
「ああ……」 
 そういえば、サラのことがあった。……彼女は本当にいい人だと思うけど。 
 でも、それは…… 
「親同士が勝手に決めたことだからね」 
「クレイ……」 
「俺が何とかするよ。愛の無い結婚なんて、お互いが不幸になるだけだしね」 
 多分、おじいさまは怒り狂うだろうけど…… 
 まあ、別に俺じゃなくたって。兄さん達がいるし。何とかなるんじゃないだろうか。 
 そう言うと、「あなたは楽観的すぎるわよ」とマリーナに小突かれたけど。 
 しょうがない。こういう性格なんだから。くよくよ思い悩んだって、なるようにしかならないんだから。 
 もっと昔は、こんな風に思い切ることはできなかったんだけど。 
 冒険者になって、パステルに出会って、俺は少し変われたと思う。 
 彼女のそういうところは、本当にすごいと思うから。トラップが惚れこんだのもわかる。 
「自分の気持ちに嘘はつけないからね」 
 そう言うと、マリーナは嬉しそうに笑ってくれた。 
  
 名残惜しい気持ちはあるけれど、あんまり長居をしているわけにもいかない。 
 今日あたりシルバーリーブに帰ろうか、と俺が朝食を食べながら考えていると、一通の手紙が、店に届いた。 
 受け取ったマリーナは、不思議そうな顔をして、それを俺に差し出した。 
「何?」 
「あなたに」 
「俺に?」 
 何で、俺あての手紙がマリーナの店に届くんだ? 
 一瞬不思議に思ったけれど。差出人の名前を見て納得する。 
「トラップからだ……」 
 あいつが手紙なんて、ありえない。一体何が書いてあるんだ? 
 不安に思いながら、封を切る。 
 見慣れた癖のある字が、便箋を埋め尽くしていた。 
  
 よお。ちゃんとマリーナの気持ち受け取ったかあ? 
 ったくおめえは鈍すぎんぜ。ちっとは俺の苦労も考えろよなあ。 
 ま、おめえのこったから、家のこととかごちゃごちゃ考えてふんぎりつかねえかもしんねえけど。 
 自分の気持ちには、素直になったほうがいいぜ? 俺みてえにな。 
 っつーわけで、誕生日おめでとう、クレイ。 
 俺達からのプレゼント。おめえ、しばらく帰ってこなくていいからな。 
 クエストに出るような用事もねえし。みんなバイトを適当にこなしてるから。 
 何も心配することはねえぜ? 
 俺らからの祝いは、そうだな。まあ一週間後くれえにシルバーリーブでやるから。 
 それまではエベリンでのんびりしてろよ。 
 俺と違って、おめえの場合、そうそう気楽に会いに来れるわけじゃねえんだからな。 
 んじゃな。 
                                トラップ 
  
 ……全く、あいつは。 
 思わず苦笑すると、手紙を覗き込んで、マリーナもそっくり同じ笑みを浮かべた。 
「トラップらしいわね」 
「ああ。……まあ、まさか誕生日を覚えていてくれるとは思わなかったから。それは、嬉しいんだけど」 
 パーティーの日時がしっかり予告されているところが、本当にあいつらしい。パステルだったら隠そうとするだろうから。 
 そう思いながら何度も手紙を読み返していると、不意に、背中に重みがかかった。 
 振り返ると、マリーナが、俺の背中にすがりついている。 
「ってことは、クレイは、もう少しここにいてくれるのかしら?」 
「ああ。マリーナの迷惑じゃなければ」 
 そう答えると、マリーナはとても魅力的な笑顔で言った。 
「そんなわけ、ないじゃない? あなたが今日帰るって言い出したら、どうやって引きとめようか。さっきからそればっかり考えていたんだから」 
 トラップに感謝しなくちゃね、というマリーナの頬に手をかけて。 
 触れるようなキスをすると、彼女の顔が、真っ赤に染まった。

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