気がついたら、あいつの姿は猪鹿亭から消えていた。  
「おい、リタ。パステルは?」  
「とっくにみすず旅館に戻っちゃったわよ」  
 返って来たリタの言葉は、この上なく冷たかった。  
 ……何なんだよ。  
 俺の周囲では、群がってきた女どもが好き勝手なことをしゃべりまくっている。  
 正直半分も聞いちゃいなかったが、俺の生返事に「きゃあ」だの「もう!」だのと声をあげては、ま 
た別の会話で盛り上がる。  
 ……ったく。勘弁してくれよなあ……  
 シルバーリーブにできた、俺の親衛隊。  
 そりゃ、最初は悪い気はしなかった。大体、この俺はこれだけのいい男だっつーのに、今まで世の女 
どもは、クレイクレイと、俺のことなんざ眼中にも入れやがらなかったしな。  
 やっと世間が俺の魅力に気づいた。それは、決して悪い気分じゃなかった。  
 何より、そうやって俺のまわりに女どもが群がってくるのを見て、パステルがあからさまに不機嫌な 
顔をするのは、俺に勇気をくれたから。  
 見込みがねえわけじゃねえ。パステルも、俺のことを少しは気にかけてくれてるんだという、希望。  
 いつからあいつのことしか目に入らなくなってたのかわからねえ。だけど、気がついたらもう自覚せ 
ずにはいられなかった。そのくらい、強い思い。  
 ゼンばあさんに「悩みがある」と見抜かれたときは、正直焦った。誰にも知られてねえと思っていた 
のに、キットンの奴はやけに意味ありげなことを言うしな。  
「たまには、冒険も必要だぞ」  
「がんばってください」  
 ゼンばあさんとキットン、二人の声が頭によみがえる。  
 俺とパステルを二人だけでここまで来させたのは……つまり、俺の悩みに決着をつけてこい、と。 
そういうことなんだろうな。  
 ……けどな……  
 ぐいっ、と水を飲み干す。  
「女の子達が待ってるから、早く行ってきたら?」  
 ある日を境に、パステルは俺が親衛隊に囲まれても、不機嫌そうな顔は見せなくなった。  
 むしろ、「さっさと行け」とばかりに追い出そうとする始末だ。  
 
 ……どういうこった、これは。  
 今だって、ちっとでも俺のことが気になるんなら、先に帰ったりはしねえだろう。俺が何をしようと、 
関係無い。パステルが示しているのは、そういう態度。  
 ……冒険したって、駄目なもんは駄目だろうよ。  
 わざわざ気を使ってもらって、悪いけどな。  
 俺の心を支配するのは、そんな思い。  
 何度か、諦めようとした。  
 例えば、ギアが現れたとき。  
 男の俺から見ても魅力的な男だと思った。何より、パステルを幸せにできる奴だとわかった。  
 プロポーズされた、と知ったとき。それでパステルが幸せになれるんなら、諦めるしかねえか、とも 
思った。  
 だけど、そのたびに、あいつは戻ってきた。  
 そして、結局諦め切れなくて、余計に思いは大きくなる。そんな悪循環。  
 ……どうすりゃいいんだ、俺は。  
 せめて、パステルが俺の思いに気づいてくれればな。  
 ふとそんな風に思う。  
 多分、パステルは、俺のことを「男」だなんて思ってねえんだろう。  
 だから、俺の思いに気づかねえ。だから、関係もちっとも進展しねえ。  
 ……せめて、気づいて、意識してくれれば。  
 そうすりゃあ……きっぱりふられることができりゃ、諦めもつくかもしんねえのに。  
 今の状態で告白したって、「はあ? 冗談はやめてよね」とか言われるのが関の山だ。そして、そう 
言われたら、俺のこった。「ばれたか?」なんて言っちまうに違いねえ。  
 ……情けねえ……  
「ねえートラップってばあ。聞いてるのお?」  
 果てしなく落ち込みそうな俺を引き戻したのは、甘ったるい女どもの声。  
 耳元で囁いてきたのは、名前も覚えてねえ女。  
 まあまあ美人だしスタイルもいい方なんだろうが、何の魅力も感じねえ女。  
「ああ、聞いてる聞いてる」  
「ねえねえ、トラップ。どうして、パステルと一緒なのお?」  
 ぴきーん  
 言われた言葉に凍りつく。  
 気が付けば、女どもは興味津々という顔で俺のことを見てやがる。  
 ……いつの間にか、話題はそこに移っていたらしい。  
 
「あんだよ、突然」  
「だってえーパステルって、とろくさいっていうか、鈍くさいっていうかー」  
「そうそー。どう見ても、足手まといにしか見えないっていうかー」  
「仲間にしてて、何か役立つことってあるのお?  
どうして、トラップはいつもパステルと一緒にいるわけえ?」  
 本人がいねえと思って、好き勝手なこと言ってやがる。  
 会話の内容が聞こえているのか、厨房から、リタがすげえ目つきでこっちをにらんでいた。  
 ……安心しろ、俺も同じ気持ちだから。  
 それを表に出さねえよう、今すげえ苦労してるから。  
 気持ちを落ち着けようと、水を飲み干す。  
 女どもの意見は、全くの的外れでもねえ。  
 確かにパステルの奴はとろくさいし鈍くさい。足手まといになることも多い。  
 けど、俺達が……俺があいつと一緒にいるのは、そんなのが理由じゃねえ。  
 そんなんじゃねえんだよ。あいつの凄いところってのは。いるだけでまわりがあったかくなるってい 
うかな……何なんだろうな。あいつがいなきゃ、今のパーティーは、こんなにまとまってなかった。 
あいつは、そういう奴なんだよ。  
 おめえらなんかにゃ、わかんねえだろうけどな。  
 説明してやる気にもなりゃしねえ。  
 俺が視線をそらすと、不機嫌になったことに気づいたのか、女どもは慌てて話題を変えた。  
 ちっとも耳になんか入っちゃいなかったけどな。  
「ちょっと、あんた達! そろそろ閉店時間なのよ、もう帰ってくれない?」  
 女どもが腰をあげたのは、リタの鋭い声がとんできたときだった。  
「あーん、もうこんな時間?」  
「ねえートラップ。よかったら、うちに来ない? いいお酒、あるんだけどお」  
「ああ、ずっるーい! それならあ……」  
 きゃあきゃあと俺を無視して盛り上がる女ども。  
 バン、とテーブルを叩く。思ったより大きな音が響いて、周囲が水を打ったように静まりかえった。  
「わりいな」  
 俺の声に凄みが加わってることに気づいたのか、返事はなかった。  
「俺な、明日朝一番でリーザに向かわなきゃなんねえんだわ。乗合馬車に乗るような余裕もねえしな。 
ここまでだってずっと歩いてきて、疲れてんだよ。早く休みてえんだけど」  
 
 そう言うと、女どもは視線を交わしあって、「じゃあ……」「また……」なんて言いながら、すごす 
ごと店を出て行った。  
 ……鬱陶しい。  
 こんな気分になったのは、初めてだ。  
 はあ、とため息をついて椅子に座ると、リタが茶を出してくれた。  
「わりいな」  
「びしっと言えたご褒美よ」  
「はあ?」  
 俺が怪訝な顔をすると、リタは、にっ、と微笑んだ。  
「パステルのこと、悪く言われて……怒ってたでしょ? あんた、機嫌が悪くなったの丸分かりだった 
から、あの子達相当焦ってたわよ?」  
「……そうか?」  
「そうよ。あそこで、もしあんたが『そうだな』なんて言ってたら、あたし、水をぶっかけてやろうっ 
て思ってたんだから」  
 おお怖。リタならやりかねねえところが特に。  
「そりゃあな……よく知りもしねえ奴らに仲間を悪く言われたら、誰だって不機嫌になるだろ?」  
「仲間、ねえ。果たして、それだけかしらね?」  
「…………」  
 何なんだよ、その含みのある口調は。  
 まさかおめえまで気づいてるってのか? 俺の気持ちに。  
 ……当の本人がさっぱり気づかねえのに。何で関係ねえ奴ばっかり気づくんだよ……  
 はああー、と俺が大きなため息をついたときだった。  
 カララン  
 小さなベルの音がして、誰かが店に入ってきた。  
「あ、すいませーん。もう閉店なんですけどー」  
 そう言うリタの声にも、耳を貸さねえで、店に入ってきたのは、一人の女。  
 黒髪を腰まで伸ばした、大人しそうな女。まあまあ可愛い顔だとは思うが、いまいちガキくせえ、 
そんな女。  
「あら? あなたは……」  
 女の顔を見て、リタが怪訝な顔をする。  
 同時に、俺も気づいた。  
 ……この女、そういやー、さっきから視界の端にいたよな……  
 親衛隊の女ども。いちいち名前も覚えてねえけど、シルバーリーブにいる間中つきまとわれてたから、 
顔くらいは覚えている。  
 この女……その中の一人だな。もっとも、いつも隅っこで黙って俺を見てるだけだったから、全く印 
象に残ってねえけど。  
 
「あのね、もう店はおしまいなんだけど」  
 リタがイライラしたように言うと、女は、黙って頭を下げた。  
「ごめんなさい。すぐに出て行くから」  
 その言葉は静かで、そして意外だった。  
 親衛隊に共通している、きゃんきゃんわめきたてる女の声とは全く違う。  
 すげえ落ち着いていて、すげえ丁寧な言葉。  
 リタも余程意外だったのか、それ以上何も言えねえようだった。  
 女は、黙って俺の前に腰かけた。  
「……あんだよ。何か用か?」  
「さっきは、ごめんなさい」  
「……あ?」  
 俺の言葉に、女はすいっ、と頭を下げた。  
「ごめんね、パステルのことを悪く言って。あの子達も、悪気があるわけじゃないから。ただ、トラッ 
プの傍にいるパステルのことが、羨ましいだけだから、許してあげてくれない? ごめんなさい」  
 もう一度謝って、目を伏せる。  
 ……何だ? この女。親衛隊にも、こんな奴がいたのか?  
「許すも、許さねえも……他の奴がパステルをどう言おうと、俺の知ったことじゃねえよ」  
「…………」  
 女のまっすぐな視線が痛い。目をそらして、ぐっと茶を飲み干す。  
「俺達は、俺は、あいつのことをちゃんとわかってやってる。あいつだってそれをわかってるはずだ。 
それで十分だからな」  
 俺がどれだけ反論したところで、それは女どもの嫉妬心を煽るだけで、何の解決にもなりゃしねえ。  
 言いたい奴には言わせとく。俺はあいつのことをわかってる。クレイだってそうだし他の奴らだってそうだ。  
 パーティーなんだからな。  
 そう言うと、女は黙って微笑んだ。  
 そして、俺の前に、チケットを差し出した。  
 明日の日付の、乗合馬車のチケット。行き先はリーザ。それが二枚。  
「……おい?」  
「これ、お詫び」  
「お詫びって、おめえ……」  
 乗合馬車のチケット。そう安いもんじゃねえ。  
 盗賊として鍛えられた勘が、警告している。  
 うまい話にゃ罠がある。タダで人に物をやろうなんて奇特な奴は、なかなかいねえ。  
 
「何で、俺にこんなもんくれるんだ?」  
「…………」  
「何か裏があんだろ? デートしてくれ、とか?」  
「違う」  
 俺の言葉に、女はふるふると首を振った。  
「わたし、教えて欲しいことがあるの。それを教えてくれたら、これはあげる。一枚は失礼なことを言 
ったお詫び、一枚は教えてくれたお礼。どう?」  
「どう、って言われてもな……」  
 教えて、って、何をだよ?  
 俺が顔をしかめると、女は微笑んだ。  
「簡単なこと。トラップの気持ちを教えてほしいの」  
「はあ?」  
「トラップは、パステルのことが好きなの?」  
 これは不意打ちだった。  
 さっきから会話に聞き耳を立てていたらしきリタが、派手に皿をひっくり返したらしく盛大な音が響 
いてきたが、それが全く気にならねえ。  
 ……何で。  
 何で、当の本人は気づかねえのに……関係ねえ奴は、簡単に気づくんだ……?  
「おめえ……」  
「教えてよ。わたし、それで踏ん切りをつけたいの」  
 女は、相変わらずの笑顔だったが。その目は寂しそうだった。  
「乗合馬車に乗れたら、トラップも、パステルも随分助かるんじゃない? だから、教えて。こんな卑 
怯なことをしなくちゃ、きっとトラップは教えてくれないと思ったから。本当に本当に大事な思いは、 
滅多に口にしない人だと思ったから。だから、許して」  
 ぐいっ、と身を乗り出してきて、女は言った。  
「わたし、知りたいの。もう、中途半端な状態には、耐えられない。……本当にトラップのことを好き 
になっちゃいそうだから。だから、その前に、諦めさせて」  
 まっすぐな視線。どこまでも真面目で、真摯な思いがこめられた視線が、俺を捕らえて離さなかった。  
「トラップは、パステルのことが好きなの?」  
 
 みすず旅館に戻ったときは、もう真夜中に近かった。  
 宿の主人はえらく歓迎してくれて、一晩だけならタダで泊まってくれていいと言ってくれた。  
 ありがてえ。  
 
 遠慮なく階段を上る。普段俺達が使っている部屋。女部屋と男部屋。  
 ふと気になって、女部屋の中を覗いてみた。鍵がかけられていたが、まあこんなちゃちな鍵、俺の敵 
じゃねえ。  
 そっと覗き込むと、ベッドの中で、パステルが熟睡していた。  
 どこまでも無防備な寝顔。思わず手が伸びそうになるのを必死で抑える。  
 ヒールニントを出てから数日。  
 おめえと二人っきりで野宿をして……俺がどんだけ思いを抑えるのに苦労してたか、おめえわかって 
るのか?  
 見張りをしてる俺の前で、無防備に身体を投げ出しているおめえが、俺の目にどんだけ魅力的にうつ 
ってたか……おめえ、わかってんのか?  
 溢れそうな欲望と、止められねえ思いのせいで、夜もなかなか寝付けなかったこと……おめえは、本 
当にかけらも気づいてねえのかよ?  
 窓から差し込む月明かりに、あいつの白い頬が照らされた。  
 長い金髪が、からみつくように頬にはりついている。  
 ふと思いなおして、その髪をはらってやった。  
 そして。  
 気が付いたとき、俺の唇は……あいつの頬に、触れていた。  
「……冒険、か」  
 確かに、これは冒険だ。俺が今まで経験した、どんな冒険よりも難しい。  
 判断を間違えれば、取り返しのつかねえことになる。何もかもがめちゃくちゃになるかもしれねえ、 
そんな冒険。  
「するしか、ねえんだろうな」  
 中途半端な状態は、嫌だから。  
 女の言葉は、俺の気持ちを代弁してるようなもんだった。  
 すいっ、とベッドに背を向ける。  
 バタン、とドアを閉めて、自分の部屋に戻って。  
 ベッドにもぐりこんでも、疲れているのに……当分眠れそうもなかった。  
 乗合馬車を使えば、リーザまではすぐだ。  
 ヒポの奴を使えば、そっからヒールニントまでは……一日だろう。  
 あんまり、時間はねえ。戻ってみんなと合流しちまったら、もう、二人っきりになる機会なんてそう 
はねえだろうから。  
 覚悟を決めるしか、ねえのか……?  
 眠りに落ちるまで。俺はそんなことを、もんもんと考え続けていた。  
 

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