こんなことなら、告白なんかするんじゃなかった。 
 たった今起こったことを思い出して、目の前の光景を理解して。 
 わたしは心からそう思わずにはいられなかった。 
 別に以前の関係に不満があったわけじゃない。ただ、わたしの気持ちを知ってもらいたい。 
 それで何かを望んだわけじゃないのに。 
 だったら、黙ってればよかった。 
 こんなことになるくらいなら、黙ってただ影から見守っていればよかった。 
 わたしの腕の中にいるのは、5〜6歳くらいの男の子。 
 さらさらの赤毛、茶色の瞳、ちょっとばかりぽっちゃり体型で、顔立ちは可愛らしい方だと思う。 
 その可愛い顔に小悪魔の笑みを浮かべて、彼は言った。 
「なあ、姉ちゃん。俺の顔に何かついてんのかあ? あんまりいい男だからってみとれてんじゃねえぞ」 
 ………… 
 こっ、子供のくせにっ…… 
 一瞬、後悔がとんで怒りがわきあがってきたけれど。 
 駄目駄目、子供にむきになってどうするの! 我慢よパステル。ここは我慢っ…… 
「なあ、姉ちゃん」 
 わたしの全身をじーっと見回した後、男の子はしみじみとつぶやいた。 
「あのさあ、もうちっといいもん食わせてもらったほうがいいんじゃねえ? 胸のあたり、栄養足りてねえみたいだけど」 
 …………………… 
 抱いている腕に力がこもる。男の子が苦しそうに身もだえしたけれど、構ってられない。 
「クレイー!! キットン、ノル、ルーミィ、シロちゃーん!!!」 
 怒りをごまかすために、大声で叫ぶ。 
 近くにはいるのは確かなんだから。きっと聞こえてるはず!! 
 とにかく、この事態はわたし一人じゃ絶対どうにもできない。 
「誰か、誰か来てー!! トラップがー!!」 
「……姉ちゃん。何で俺の名前、知ってんだ?」 
 腕の中で、男の子は、不思議そうな顔をして言った。 
  
 トラップのことをいつから好きだったのかはわからない。 
 好きなんだ、って自覚したのは、数ヶ月前。 
 それを伝えたい、と思ったのが数日前。 
 トラップもわたしのことを好き、なんてことはないと思ってた。 
 今のまま、パーティーの仲間として、バカなこと言ってじゃれあってる関係でもいいかな、って思ったときもあった。 
 でも、それでも……黙っているのが辛くなって。 
 話せば話すほど、どんどん好きになっていくのがわかったから。 
 だから、勇気を持って伝えたんだ。 
 たまたまクレイもキットンも出かけてて、部屋にはトラップ一人しかいなかった。 
 ノックするとき手が震えてたのを覚えてる。 
 「トラップのことが、好きなの」と伝えたとき、喉が強張ってなかなか声が出なかったのも覚えてる。 
 持てる勇気を全部ぜーんぶ振り絞って、必死に伝えた。そして、そのまま部屋を飛び出そうとしたとき、 
「待てよ。言うだけ言って逃げるなって」 
 ぐい、と腕をつかまれた。もうそれだけで、わたしの心臓は爆発しそうなくらいドキドキしてて。 
「だって……トラップ、わたしみたいな美人でもない色気もない女の子は、興味無いんでしょ?」 
 常々、「女は出るとこ出てひっこむところが〜」が口癖の彼のこと。 
 どうせわたしのことなんか眼中に無い、そう思ってたから伝えると。 
 彼は、はああ、と大きなため息をついて、ぽんぽんと肩を叩いて言った。 
「理想と現実なんてなあ、違うのが当たり前なんだよ。俺も好きだぜ? おめえのこと」 
 さらっ、と言われたことに、しばらく反応できなかった。 
 ようするに、わたしの思いは通じて……これはつまり、告白をOKしてもらえたんだ、と。 
 そこまで気づくのに、随分時間がかかった気がする。 
 そんなわけで、わたしとトラップは無事、両思いになれた……んだけど…… 
 わたしは甘かった。 
 付き合うとか恋人同士になるとか、それがつまりどういうことか……わたしは全然わかってなくて。 
「つまり、俺とおめえは、晴れて恋人同士になった……ってことだよなあ?」 
 わたしが理解したその瞬間。 
 トラップの目が、それはそれは嬉しそうに輝いた。 
 ……すごく、すっごく嫌な予感が走った。トラップがこんな目をするときって、大抵ろくでもないこと考えていて…… 
 一瞬身を引こうとした瞬間、ぐいっ、と肩をつかまれる。 
 あっと思ったときには、もう、唇を塞がれていた。 
 ……いやいや、キスの経験が無いわけじゃないよ? 以前キスキン王国のお家騒動に巻き込まれたとき、知り合ったギアっていうファイターとまあちょこっと…… 
 けど、あのときのキスと、今のキスは全然違ってて…… 
 痛いくらいに押し付けられる唇。無理やり口の中に押し入ってくる舌。 
 ぐいっ、とからみとられて、吸い上げられて、全身から力が抜けそうな……激しいキス。 
「んっ……!!」 
 がしっ 
 のけぞりそうになった身体を、トラップの腕が支えた。というより拘束された。逃げられないように。 
 そのまま、無理やりベッドに押し倒されて…… 
 何をされようとしているのかわかって、すごく怖かった。やめて、と言いたかった。けど、声が出せなかった。 
 ただ、幸いと言えば幸いなことに……トラップがのしかかってこようとしたとき、クレイ達が戻ってきて、それでさすがに中断せざるを得なかったんだよね。 
 部屋の外に響く足音と声に、トラップは不満そうに身体を起こした。 
 そして、すごーく意地悪そうな笑みを浮かべて、耳元で囁いた。 
「続きは、また今度な?」 
 ………… 
 顔が真っ赤になるのがわかった。 
 付き合うって……彼氏彼女の関係になるって…… 
 こういうこと、なの……? 
  
 悔しいのは、それだけ乱暴に扱われても、トラップのことを嫌いになれないところで…… 
 そりゃあ……そりゃあ、ね? 恋人同士になったら、いずれは、そういうことをするようになるもんだって……それくらい知ってはいたよ? 
 だけどっ……告白したその日のうちに最後までっていうのは、いくら何でも性急ってもんじゃない!? 
 そう文句を言いたいけれど、これは惚れた弱み、という奴なんだろうか……トラップの目を見ると、どうしても言えなくて。キスを迫られても、どうしても「嫌」とは言えなくて! 
 幸いだったのは、わたし達は大所帯なパーティーですから。二人っきりになれるチャンスなんか滅多に無いから、トラップもキス以上のことはなかなかできないとこなんだけど。 
 トラップは、そのことにあからさまに不満そうな顔をしていた。 
「なー。二人っきりでどっか行かねえ?」 
「……どこに?」 
「どっか。二人っきりになれるとこ」 
「…………」 
 行きたい、という気持ちはもちろんある。 
 だけど、行きたくない、という気持ちも同じくらいある。 
 怖い。何されるのか、トラップが何をしようとしているのかがよーくわかるだけに、すごく……怖い。 
 みんなやってることなんだから、怖がることなんか無いって自分に言い聞かせても……やっぱり、怖い。 
 はあ。わたしって、変なのかなあ? 
 トラップの方が、普通なのかな? 
「行きたいけど、難しいと思うな。どこかに行くって言ったら、絶対ルーミィが一緒に行くって言うと思うよ?」 
 結局、そうやってひきつった笑みで言い訳するのが精一杯だったんだけど。 
 ……お願い、トラップ。 
 嫌わないで。本当に好きだから。好きだけど、それとこれとはまた別だってことをわかって! 
 わたしの心の声が通じているのかどうか。 
 そうやって、何だかんだ言ってわたしが二人っきりになるのを避けていること、あの鋭いトラップがわからないはずはないわけで。 
 トラップの態度が、何となーくよそよそしいって言うか……ぎすぎすしいっていうか。 
 とにかく、関係がぎくしゃくし始めてる? って思うようになったのが、昨日のこと。 
 ちゃんと言わなきゃとは思ってるけど、どう言ったらいいのかわからない。 
 はあ……わたし、どうしたらいいんだろう……? 
  
 そんなときだった。クレイが、新たなクエストの話を持ち込んできたのは。 
「魔法の館?」 
「そう。その館の女主人は魔法使いだったらしいんだけどね、どうやら魔法の道具を収集する趣味があったらしくて。今は無人のその館には、貴重な道具がたくさん眠ってるらしいんだ」 
 クレイの説明によると、場所はシルバーリーブから歩いて三日くらい。 
 クエストレベルは5。わたし達ではまあクリアギリギリ? っていう程度のレベル。 
 本当に魔法の道具が眠っているのなら、かなり好条件なクエストだけど…… 
「んないいクエスト、もうとっくに誰かがクリア済みなんじゃねえの?」 
 と口を挟んだのはトラップ。 
 それに、クレイは神妙な顔で言った。 
「それが、この館、まず入り口のところで魔法がかけられていてね。それを解除するためには、魔力のある奴が少なくとも三人以上は必要なんだそうだ」 
 ……あらら。そりゃあ、確かに厳しいかも。 
 魔力って、もともと持ってる人が少ないっていうか。ゼロな人は絶対ゼロのままっていう、貴重な能力なんだよね。 
 魔法使いや僧侶になるためには、この魔力が必須なんだけど。素養のある人が少ないからなり手がなかなかいないっていうのが現状。 
 普通、パーティーって多くてもせいぜい4人程度だもんね。魔力を持っている人三人以上っていうのは、確かにかなり厳しい条件と言える。 
 で。うちのパーティーはと言うと…… 
「ふーん。俺ら、ちょうど三人いるな、そう言えば。おお? もしかして掘り出しもんじゃねえ? それ」 
 途端に目が輝き出したのがトラップ。 
 そうなんだよね。うちのパーティー、六人と一匹のでこぼこパーティーなんだけど。 
 魔法使いのルーミィはもちろん、キットンとトラップ。この二人も、魔力があるんだよね。 
 まあトラップは、別に魔法が使えるわけじゃないしあるって言ってもほんのちょっぴりだけど…… 
「だろ? 挑戦してみる価値はあると思わないか?」 
「だな」 
 クレイとトラップの言葉に、反対する人はいなかった。 
 魔法の館かあ……うん。何だか、すっごく楽しみになってきた! 
 それに…… 
 ちらっ、と気づかれないように、トラップの方に目をやる。 
 わたしとトラップが付き合ってることは、誰にも言っていない。まあ、クレイやキットンは、もしかしたら薄々気づいてるかもしれないけど…… 
 今の、ちょっとぎくしゃくした関係のまま、みすず旅館でぐずぐず悩んでるのは辛いもんね。 
 よーし。がんばるぞ!! 
  
 そんなわけで、準備を整えてクエストに出発したのが、それから三日後のことだった。 
 この三日は、買い物とか装備のチェックとかに追われていて、悩む暇も無いくらい忙しかった。 
 トラップと二人っきりになる機会なんか、全然無かったしね。 
 だから、わたしもちょっとだけ、辛いもやもやを少しは忘れることができたんだけど…… 
 たまに視線を感じて振り向くと、トラップがすっごく真面目な目でわたしを見つめてるときがあって。 
 そんなとき、やっぱりすごくドキドキしてしまう。 
 ……ごめんね、トラップ。 
 中途半端な覚悟で、好きなんて言うんじゃなかったかな。 
 もっと、ちゃんと考えて……言うべきだったかな? 
 ふっとそんなことを思ってしまう。 
 そんな自分が、情けなかった。 
  
 三日ほど歩き続けて辿り付いた魔法の館。 
 それは、すっごく立派な建物だった。 
 みすず旅館の二倍くらい? 外観は三階建てくらい、屋根の上に搭みたいなものまであって、スケールの小さいお城、って言った方がしっくり来る。 
 そして、わたし達の前にどどーんと立ちふさがっているのが、凄くものものしい両開きの扉。 
「魔力のある奴でないと、反応しないみたいだな」 
 試しにクレイがひっぱってみたけど、扉はびくともしなかった。ノルと二人がかりでひっぱっても、きしむ音一つしない。 
「おし。やってみっか。キットン、ルーミィ、行くぞ」 
「わかりました」 
「わかったおう!」 
 トラップの掛け声に合わせて、キットンとルーミィが扉の前に立つ。 
 ところが! 
 三人で取っ手をひっぱってみたけど、何故か扉は開かなかった。 
「おいおい、話が違うじゃねーか。魔力のある奴が三人いれば、開くんじゃなかったのかあ?」 
 取ってや鍵穴をチェックしてみたトラップいわく、どうやら、普通に取っ手をひっぱっても駄目らしい。 
 何か魔法みたいなもので塞がれてる、っていうのはわかるんだけど、解除方法は、鍵とかそういう道具を使って開けるタイプのものではない、とか。 
 かと言って、鍵開けの魔法なんて使える人はいないしねえ…… 
 うーん、とみんなで頭を抱えたとき。 
「ぱーるぅ、これ、なんだあ?」 
「え?」 
 突然声をあげたのはルーミィ。 
 彼女の視線に合わせてしゃがみこむと、扉のすごーく下の方に、小さな丸い模様が三つ、並んでいた。 
 大きさは、ちょうど親指の爪くらいかな? 
「ねえ、もしかしたら、これ! 何か関係あるんじゃない!?」 
 わたしが声をかけると、トラップが隣にしゃがみこんできた。 
 ふっと腕と腕が触れる。 
 ……う。 
 何だか急に気恥ずかしくなって、ぱっと距離を取る。 
 うー、何やってんだろ。こんなの、付き合うようになる前は、日常茶飯事だったじゃない! 
 ……意識、しすぎだよな。はあ…… 
 こっそりため息をついたけど、トラップは、それに気づいているのかいないのか、無反応だった。 
 熱心にルーミィの見つけた模様を見詰めて、そして頷いた。 
「多分あれだな。ここに触れれば、魔力を感知して扉が開くんじゃねえ? キットン、ルーミィ、この丸い模様、指で押してみな」 
「あ、はい」 
「押すんかあ?」 
 トラップの言葉に、キットンとルーミィが人差し指を押し当てる。 
 最後に、トラップが残りの一つに触れたとき。 
 それまでぴくりともしなかった扉が、「ぎぎぎぎぎ〜〜っ」と重たい音を立てて、開いたのだった! 
「やった! やったやったあ!」 
「やったおう!!」 
 隣に立っていたクレイの手を取ってとびあがっていると、そのまわりをぴょんぴょんとルーミィが飛び跳ねる。 
 ううーっ、ついに! ついにクエスト開始だあ! 魔法の館、って言うくらいだから、多分魔法の罠とかモンスターが出てくるんだよね? 
 ちょっと怖いけど……でも、でも! 楽しみ〜〜!! 
「はは、パステル。嬉しいのはわかるけど、手、離してくれない? 痛いんだけど」 
「え? あ、ああ、ごめーん」 
 クレイの言葉に、慌てて握っていた手を離す。 
 いけないいけない、嬉しくってつい…… 
 その瞬間。 
 ぞくっ、と背筋が寒くなるような視線を感じた。 
 ふっと横を向くと、トラップが、すごく冷たい目でじーっとわたしの方を見ている。 
 ………… 
 み、見られた……よね。今の。 
 もしかして、誤解されてる……? 
「おーいパステル、トラップ。何ボーッとしてるんだ? 行くぞお」 
 何も気づいていないクレイが、扉をくぐりながらのん気に声をかけてくる。 
「……わり。今行く」 
 そう言って立ち上がると、トラップは、ぐいっ、とわたしの腕をつかんだ。 
 ……ええっと…… 
「ぼけっとしてるとまた迷子になんぞ」 
「なっ! し、しっつれいなあ! 大丈夫よ!」 
「どーだか」 
 交わしてる会話は、いつもの内容。 
 トラップに手をひっぱられるのなんて、珍しくも何とも無い。 
 ……けど…… 
 つかまれた腕が、何となく熱いのは……気のせい? 
  
 魔法の館と言うだけあって、中は、様々な魔法の仕掛けがほどこされていた。 
 そもそも、モンスターが魔法によって生み出されたものばっかりだったしね。 
 幸いだったのが、そのどれもがそんなに高レベルじゃないってこと。 
「……おっかしいなあ……」 
「何が?」 
 魔力を感知して炎を噴き出す、という、内容だけならすっごく危険な罠。 
 だけど、実際はたいまつにつけるのに便利かな? っていう炎がちょろちょろっと出るだけ、そんな罠を解除しながら、トラップが言った。 
「いやさ、仕掛けそのものは、すっげえ凝ってんだよ。魔法の生物を生み出すのだって、かなり高レベルの魔法使いでねえとできねえはずだしな」 
 予備校で習ったろ、と言われたけど。正直言って自信はなかった。 
 そ、そうだっけ? うーん。まあ、簡単なことじゃない、っていうのはわかるけど。 
 わたしが愛想笑いを浮かべると、トラップはため息をついて言った。 
「まあとにかくな、この館の主人は、すげえ高レベルの魔法使いだった。それは間違いねえと思うんだよな。けど、その割には、効果がしょぼいんだよ」 
「うんうん」 
 それはわかる。罠もモンスターも、どれもわたし達でどうとでもなるレベル。 
 自分で言ってて情けないけど、わたし達って冒険者としてはかなり低レベルだもんね。 
 そのわたし達でどうにかできるんだから、これはもう、効果がしょぼい、と言われても仕方が無いと思う。 
「確かに変ですねえ。これだけの仕掛けをほどこす力があるんです。もっともっと恐ろしい罠になっても不思議は無いはずなんですが」 
 横で、キットンも頷いている。 
 実は我がパーティーで、頭脳派は誰か、って聞かれたら、キットンとトラップなんだよね。 
 ああ見えて、二人ともすごく頭の回転が速いっていうか……わたしでは到底思いつかないようなアイディアを、次々と出してくるもんなあ。 
 いつぞやノルの妹さんを救い出す計画を立てたときの二人の活躍、すごかったもん。 
 わたしが一人で感心していると、後ろからはたかれた。 
 もーっ! 
「トラップ!」 
「こんくらいで感心してんじゃねえよ。見りゃわかるだろ?」 
「うっ……」 
 そ、そりゃあ、あんた達にとってはそうかもしれないけどさあ! 
 うう、どうせわたしは凡人ですよ…… 
「まあまあトラップ。それよりですねえ、わたしが気になるのは、この館の仕掛けの癖なんですけど……」 
「お、やっぱおめえも気づいてたか?」 
「はい、この館、どれも……」 
 トラップとキットンが、わたしそっちのけで何か話し始めたときだった。 
「うわあああああああああ!!?」 
 前の方で、魔法で擬似生命を与えられたと思しき金属のモンスターとやりあっていたクレイが、突然悲鳴をあげた。 
「クレイ! どうしたの!?」 
「に、逃げろみんな!」 
「え……?」 
 じりっ、とクレイが、後ずさりながら叫んだ。 
「早く……ちょっとまずいぞこれは!」 
「え?」 
 何が? と聞きかけて。わたしは目を見開いた。 
 クレイの前には、さっき彼が倒した金属のモンスターが転がっている。 
 剣で斬られた、というより、叩き潰された、に近い残骸。 
 それが、震えながら起き上がって…… 
 ぎろり、とこちらに向き直った。 
「ま、まさか……」 
「こいつら、多分魔法でないと倒せないんだ!! 早く!」 
「わわわ!!」 
 慌てて立ち上がる。横で、クレイと同じくモンスターと戦っていたノルが、ルーミィを抱き上げるのが見えた。 
「トラップ、キットン!」 
「こっちだ!!」 
 わたしが声をあげたときには、トラップはもう走り出していた。 
 キットンがその後をどたどたと追っている。 
 多分、彼は来た道を戻ろうとしたんだろう。ところが! 
「ちっ! 駄目だっ!!」 
 ちょっと進んだだけで、トラップは立ち止まった。 
 嘘ー!? あっちからもっ!!? 
 トラップの向こう側から迫ってくるモンスターを見て、わたしは絶叫してしまった。 
 は、挟みうち!? 
「き、キットン! 何か弱点は無いの!? 弱点!!」 
「は、はいっ。えーっとですねえっ……」 
 トラップとクレイが、こっちにじり、じりと後退してくる。 
 キットンは、モンスターポケットミニ図鑑をばらばらとめくりながら叫んだ。 
「ま、魔法で動いているんですから、とどめも魔法でないと駄目なんですがっ……き、金属ですから、雷系統の魔法でないと……」 
「無理な弱点言ってもしゃあねえだろー!? 使える弱点だ使える弱点!!」 
 そう叫んだのはトラップ。 
 魔法って言ったら、キットンのキットン魔法とルーミィのファイヤーとコールドだけど。 
 キットン魔法はねえ、あの…… 
「あ!」 
「どうしましたパステル?」 
「キットン! ほら、あれ! あの魔法!」 
「は? ……ああ!!」 
 わたしの言いたいことを即座に悟ったらしく、キットンはがばっ、と立ち直った。 
 そして気合一発! 
「きぇえええええぇえええ!!」 
「うお!?」 
「うわっ!!」 
 キットンが叫んだその瞬間!! 彼の向かいに立っていたモンスターが、突然、キノコに変化した!! 
 キットンが使える魔法の一つ、キノコ変化。レベル1の頃は、キットン自身しか変身できなかったんだけど。色々試してるうちにレベルがあがったみたいなんだよね。 
 ある程度知能の低いモンスターに有効、ってことなんだけど、うまくいったみたい! 
「す、すごいじゃないかキットン!」 
「おし、その調子でこっちもやれー!」 
 クレイとトラップの声に、キットンがもう一度気合を入れると、その場にいたモンスターがぜーんぶキノコになってしまったのだった! 
「うし、今のうち!」 
 ばたばたともがいているキノコの傍を、わたし達は悠々と走り抜けていった。 
 ふう、第一関門は突破、と。 
 だけど……魔法でないとモンスターにとどめを刺せない、なんて。 
 それって、結構痛いかも? キットンのキノコ変化だって、全部の敵に有効とは限らないわけだし…… 
 悩みながら走って走って、ようやく一息つけたのは、一階のとある部屋。 
 ここの館って、基本的にドアは全部魔力のある人が模様に指を当てないと開かないようになってるんだよね。 
 入り口と違って、こっちは一人で十分みたいなんだけど……わたしやクレイ、ノルでは開けられないから、ちょっと不便。 
「んー……よし、大丈夫だ。この部屋は別に罠もねえし、モンスターもいねえみたいだぞ」 
 先に部屋に入ったトラップの言葉に、やっと落ち着くことができた。 
 ふーっ、疲れたあ!! 
 部屋の中は、テーブルとソファ、暖炉に棚なんかもある、ごく普通の居間、って感じの部屋。 
 まあ、当たり前だけどね。もともとは普通の人が住んでいた家だから。 
「ねえクレイ。このまま進んで大丈夫かな?」 
 わたしが声をかけると、クレイも、うーん、と首をかしげた。 
「確かに……俺やノルではとどめが刺せない、っていうのは痛いな。まあ、そんなに怖いモンスターじゃないけどな。さっきはとっさのことでびっくりしたけど、挟みうちにされたり一度に大量に襲ってきたりしない限りは、逃げることは難しくないと思う」 
 うーん…… 
 それって、逆に言えば挟みうちにされたり、一度に大量に襲ってきたら危ないってことなんじゃ…… 
「けっ、あに怖気づいてんだ。ここまで来て帰ったら大損だろ? せめて道具の一個は見つけねえと」 
 どかっ、とわたしの隣に腰掛けてきたのはトラップ。 
「だけどねえ……」 
 わたしとトラップが言い争いになりかけたときだった。 
「ぱーるぅ」 
 突然響いたのは、ルーミィの可愛らしい声。 
「何? お腹空いた? チョコレート食べる?」 
「食べるー! あのね、ぱーるぅ。こえ……」 
 ルーミィは、テーブルの脇に立っていた。彼女が何か言いながらテーブルの脚に触れたとき…… 
 ガコン 
「……え?」 
「……あ?」 
 響いたのは、何というか……いかにも「何か仕掛けが発動します」というそんな音。 
 その瞬間。 
「きゃあああああああああああ!?」 
「うわあああああああああああ!!」 
 わたしとトラップが座っていたソファが、突然、ぐるんっ! とひっくり返った!! 
 背もたれから倒れこむ。床に叩きつけられる、一瞬その覚悟をしたけれど。 
 そのまま、ソファはぐるん、と一回転して…… 
『ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!?』 
 ソファの下。当然床がある、と思っていたそこには、暗い穴が開いていて…… 
 なす術もなく、わたしとトラップは、その穴に放り出された!! 
  
 投げ出されたのは、暗くて狭い部屋。 
 家具も何も無いけど、床には絨毯だけが敷いてある、そんな部屋。 
 そこに乱暴に叩きつけられて、わたしは思わず悲鳴をあげていた。 
 ううーっ……い、一体何が起こったの……? 
「……ってて……」 
 わたしの脇で立ち上がったのは、トラップ。 
 普段とても身軽な彼だけど、さすがに今回のは不意打ちだったらしく、腰を押さえている。 
「トラップ、大丈夫?」 
「何とかな……ったく。ルーミィの奴、やりやがったな……」 
「え?」 
 そういえば、ルーミィ、さっき何か言いかけてたよね…… 
 一体……? 
「ルーミィが?」 
「多分、テーブルの脚に何かボタンがあったんだろ? それで仕掛けが発動したの! ったく。余計なものに触るなって言っとくんだったぜ。今回のクエストはちっと厄介だからなあ……」 
「へ?」 
 厄介? だって、罠もモンスターも大したことないって…… 
 わたしがそう言うと、トラップは、かしかしと頭をかきながら言った。 
「そうなんだけどよ。見つけにくいんだよ、仕掛けが。何でか知らねえけど、この館、仕掛けがすげえ低いところにあるんだよな。俺達じゃ目線が違うから見つけられなくても、ルーミィなら簡単に見つけられるような場所にな。だあら、俺よりルーミィの方が先に気づいて、何も考えずに押しちまって、ややこしいことになったりすんだよなあ……」 
 こんな風にな、と彼が手を広げてみせる。 
 確かに……ややこしい状況になってるよね…… 
「だ、大丈夫だよね? すぐクレイ達が助けてくれるよね……?」 
 わたし達が落ちてきたのは、ちょっと角度が急な滑り台みたいな穴で。 
 その入り口は、今はもう塞がってしまってる。それに、全然足がかりが無いから、上るのは多分無理。 
「へっ、どーだかなあ。ここの仕掛け、一度発動させたら、ちゃんとした手順を踏まねえと、リセットが効かねえようになってるからな。クレイ達にそれができるかどうか……」 
 ところが! 返ってきたのは、何とも心細くなる返事で。 
 どどどどうすればいいの!? もしかして、わたし達、このまま……? 
「……あ、そうか」 
 その瞬間、くるり、とトラップが振り返った。 
 こんな状況だと言うのに、その顔は……何だか、やけに輝いていて…… 
「と、トラップ……?」 
「そっかそっか。いや、そう悲観したもんでもねえな、この状況」 
「……え?」 
 じりっ、とトラップが迫ってくる。 
 思わず後ずさったけど、何しろ狭い部屋だから。すぐに壁に当たってしまう。 
「トラップ……?」 
「前々から、聞きたかったんだよなあ……」 
 どん! 
 顔の真横に、腕が伸びてくる。 
 慌てて逆方向に逃げようとしたけど、どん! とそちら側もふさがれる。 
 真正面には、少し不機嫌そうなトラップの顔。 
 こ、この体勢は…… 
「あ、あの、トラップ、今はそんな場合じゃ……」 
「聞きたかったんだよなあ。おめえ……」 
 ぐっ、と顔が迫ってくる。 
 わたしの目を覗き込むようにして、トラップは言った。 
「おめえさ、本当に俺のこと好きなんか?」 
「…………」 
 直球ストレートすぎますトラップさん!! 
 い、いきなり何を……!? 
「す、好きだよ……」 
 声が震えたのは、怖かったから。 
 トラップが何を考えているのか、怒っているのか、冗談なのか。 
 それがわからなくて不安だったから。 
 好き。それは変わってない。 
 トラップのことは好き。だけど…… 
「んじゃさ……何で、おめえはいつも嫌そうな顔してんだよ」 
「え?」 
 言われた瞬間。 
 ぐいっ、と顎をつかまれる。 
 そのまま、強引に唇を塞がれた。触れるだけじゃない、深い、熱いキス。 
「んっ……」 
 交じり合った唾液が、唇の端から溢れた。 
 目が潤むのがわかる。あまりにも長いキス。段々息苦しくなってくる。 
「んんっ……」 
「……ほれ、今だって」 
 やっと解放されたとき、耳に届いたのは、不満そうな声。 
「何で、おめえはそんな嫌そうなんだよ。俺のこと好きなんじゃねえの? 俺さ、おめえとこうなるの、ずっと我慢してたんだぜ? なあ、俺達って恋人同士なんじゃねえの?」 
「…………」 
 ずっと前から? ……そうだったの? 
 いや、それはともかく……トラップの言ってることは、わかる。 
 わかるけど……だけど、嫌なんだもん。 
 そんな、身体が目当てみたいな付き合い方は、嫌なんだもん! 
「わたしは……トラップのことが好き。一緒にいたいって思ってるよ。だけど、それだけじゃ……駄目なの?」 
 じっと見つめ返すと、トラップの身体が強張った。 
 肩に置かれた手が、震えている。 
「好きだよ。その気持ちは嘘じゃないよ。だけど……そういうのは、何ていうかっ……もっと、後でもいいんじゃないかなって。わたしはっ……」 
「……っざけんなよ……」 
「きゃあああ!?」 
 がしっ!! 
 突然、荒っぽく胸をつかまれて、わたしは悲鳴をあげた。 
 いい、痛い! 痛いってばトラップ!! 
「俺な、すげえ我慢してたんだよ。おめえが無防備に身体触らせるたびに、こうするのを、すっげえ我慢してたの。おめえが告白してくれて、俺がどんだけ喜んだか、おめえわかってんのか……?」 
 言いながら、トラップの手が、胸から腰へとまわっていった。 
 ひっ!? す、スカート……スカートまくりあげてる!? 
「恋人同士になれて、これで我慢しなくてもいいって思えて、すっげえ嬉しかったんだぜ? それを、おめえ、まだ我慢しろってのか? おめえが、こんだけ……」 
「や、やだっ! やだやだやだ! だって、だって……!」 
 ぐいっ、と太ももを持ち上げられる。 
 抱き上げられて、足が完全に宙に浮いた。 
 やだやだっ! こんなのやだっ! 
 何で? 恋人同士だからって、絶対こんなことしなきゃならないの? 
 違う、わたしは、こんなことがしたかったわけじゃ…… 
「やだっ、こんなところでやだってば……」 
「…………」 
 トラップは返事をしてくれない。わたしの肩に、顔を埋めるようにして…… 
 首筋に湿った感触を感じて、背中にぞくり、と寒気が走る。 
 ……やだってば! 
「やめてっ!」 
「うおっ!?」 
 どん、と肩を突き飛ばす。 
 その瞬間、トラップがたたらを踏んで後ずさった。 
 トラップの腕が離れて、どすん、と床にしりもちをつく。 
 痛いっ…… 
 涙がにじんできた。痛いのと、ショックなのとで。 
「トラップ……」 
 顔をあげた、そのときだった。 
 がちん 
 トラップが、反対側の壁に背中をつけたとき。 
 彼の足元で、そんなような……何かが作動しますよ、というような音が、また、響いた。 
「…………」 
「…………」 
 一瞬にして青ざめる。 
 トラップの視線が、ゆっくりと床に向いた。そのときだった! 
「きゃああああああああああああ!!?」 
 カッ!! 
 突然、床からすごく眩しい光が吹き上げてきて、わたしは思わず目を閉じた。 
 な、何ー!? 何なのっ!!? 
「トラップ!!?」 
 どれくらいそれが続いたのかわからない。 
 十秒か二十秒、多分、そんなに長い時間じゃない。 
 でも、目を開けていられない強烈な光で……わたしは、両手で顔を覆って耐えるしかなかった。 
 そして。 
 やっと光が収まって顔を上げたとき…… 
「……え?」 
 そこには、誰もいなかった。 
 目の前に立っていたはずのトラップの姿が、消えていた。 
「……ええ!?」 
 き、消えた!? 何で!? 何が起きたのっ!? 
「とらっ……」 
「姉ちゃん、誰だ?」 
「……は?」 
 叫ぼうとしたそのとき、突然、足元から可愛い声が響いてきた。 
 おそるおそる、視線を下げる。 
 わたしの腰までも身長の無い、5〜6歳くらいの男の子。 
 ちょっとぽっちゃりした体型。鮮やかな赤毛。茶色の瞳。 
 そして…… 
 彼の足元には、トラップが身につけていた服が落ちていて、彼本人は、だぶだぶのシャツ一枚を被っていて…… 
 な、な、な…… 
「なあ、誰だよ姉ちゃん? 俺、何でこんなとこにいるんだ? ここ、ドーマ……じゃねえよなあ……?」 
 男の子は、不思議そうに首をかしげて言った。 
 何が……何がどうなったのー!!? 
  
 で、やっと冒頭に繋がるというわけなんだけど。 
 わたしの叫び声に、天井に光が走ったかと思うと、床を剣で斬って穴を開けたクレイが、飛び込んできてくれた。 
 続いて、キットンも滑り降りてくる。 
 上を見上げると、ノルがルーミィを抱っこして、心配そうにこっちを見下ろしていた。 
 ああ、ノルがここに降りたら、引き上げてくれる人がいなくなるもんね……って感心してる場合じゃなくて。 
「パステル、何があった!?」 
「くくくクレイ!! 見て、この子!!」 
「お、おい、姉ちゃん……」 
 ぐいっ、とわたしが抱えていた男の子をつきつけると。 
 クレイも、キットンも、目をまん丸にしてわたしと男の子を見比べていた。 
 しばらく嫌な沈黙が流れる。それを破ったのは、キットン。 
「……こほん。パステル……」 
「え?」 
「あなた、いつの間にトラップの子供なんか生んだんですか?」 
 ゴンッ!! 
 思わず拳骨を落してしまう。 
 ななななーんてこと言うのよ!! 失礼なっ!! 
「わ、わたしが生んだんじゃないわよっ!! この子はっ……」 
「そーだぞ。俺の母ちゃんはなあ、もっとグラマーで美人だぜ? こんなガキっぽい姉ちゃんじゃねえよ」 
 っきー!! 子供にガキなんて言われたくないわよっ!! 
 可愛くないことをいう男の子を、ぎゅううううっ、と抱きしめる。「痛い痛い、苦しいって!!」と腕の中で悲鳴があがったけど。ふん! 知らないもんね!! 
「ぱ、パステル……まさか、とは思うけど……」 
「だからっ……この子がトラップなのよ!! 何かの罠にひっかかって……こうなっちゃったみたいなのよー!!」 
 わたしが半泣きで叫ぶと、クレイとキットンは、茫然と顔を見合わせた。 
「なあ……さっきから何言ってんだ? なあ、兄ちゃんクレイって言うのか?」 
 わたし達の会話の意味がわかってないのか、男の子は、不思議そうにまわりを見回して言った。 
 声をかけられたクレイが、何とも言えない表情で頷くと、男の子……いや、もういい。認めちゃう。トラップは、不審そうな眼差しを向けた。 
「ふーん。俺の幼馴染にもクレイって奴いるぜ? 言われてみれば、兄ちゃん、あいつの兄貴によく似てんなあ。親戚か何かか?」 
「…………」 
 幼馴染本人に向かってそう言われ、クレイは返す言葉が無いみたいだった。 
 まあね、そりゃそうだろうね。「俺がそのクレイだよ」って言っても…… 
 どう見ても、子供。多分5歳か6歳か……ってことは、いきなり12年くらい若返った……ってことだよね? 
 罠にかかった……ってことだよね? 
 わ、わたしのせい!? 
 思わず青ざめる。どどどどうしよう!? どうしたらいいの!? 
「キットン! 何か、何かいい方法は無いのー!?」 
「ぐえっ!! ぐぐぐぐるじいですパステル……」 
 思わずキットンの首を締め上げると、彼はじたばたと手を振り回して言った。 
「と、とにがく……ここにいてもじかたないですがら……上に……」 
「ぱ、パステル、落ち着け。落ち着けって!!」 
 慌ててクレイが間に入る。 
 けどっ……これが落ち着いていられますかって!! 
「おーい、大丈夫か?」 
 いまだに事情を知らないのん気なノルの声が、何だか腹立たしかった…… 
  
 トラップの持ち物から勝手にフック付きロープを拝借して、何とか上に上る。 
 ちなみに、トラップはクレイがおぶっていこうとしたんだけど。 
「馬鹿にすんなよなあ。これくらい一人で上れるって」 
 そう言うと、本当にするするとロープを上って行ってしまった。 
 うーむ! 昔は太ってた、との言葉通り、ちょっとぽっちゃりはしてるけど…… 
 どうしてどうして。将来立派な盗賊になるだろうってことが、十分に予想できる…… 
 って感心してる場合じゃなくて!! 
 トラップの何倍もの時間もかけて、わたしがひいひい言いながらロープを上りきると。 
 そこでは、既に驚愕の嵐が巻き起こっていた。 
「とりゃー?」 
「あんだよ、チビ」 
「チビじゃないもん! ルーミィだもん!!」 
「チビだからチビっつってんだ! 馴れ馴れしくすんじゃねえよ!!」 
 あああ……早速喧嘩してるよ、トラップとルーミィ…… 
 ノルはぽかんとしてるしクレイは頭を抱えてるし、キットンは何がおかしいのかげはげは笑ってるし…… 
 シロちゃんはシロちゃんで、「トラップあんちゃんデシか? 随分小さくなったデシね?」なんてにこにこしながら言ってるしっ…… 
「く、クレイ……どうしよう……?」 
「どうしようったって……」 
 わたしとクレイが頭を抱えていると。 
「なあ、姉ちゃん」 
 ぐいっ、とスカートをひっぱられる。 
 後ろでは、頭を叩かれたらしく、ルーミィが涙目になってトラップをにらんでいた。 
 ああもう! 子供に戻ったら容赦がなくなってるよトラップ…… 
「あのね、女の子は叩いちゃ駄目だよ?」 
「あんだよ。お説教なんかいらねえっつーの」 
 きーっ! か、か、可愛くなーい!! 
 思わず本気で怒りかけたけど、その前に、トラップが口を開いた。 
 それまでの小生意気な口調とは違う、ちょっと不安そうな声で。 
「なあ……結局、ここ、どこなんだよ? 何で、みんな俺の名前、知ってんだ?」 
 じいっ、とわたしを見上げてくる目は、さっきまでのいたずらっこみたいな目とは全然違ってて…… 
 思わず胸がきゅんとなる。そうだよね、不安になるよね…… 
 彼にとっては、どうやら今は6歳で、ドーマで盗賊としての修行をつんでいた、ってことになってるらしい。 
 クレイやマリーナ、幼馴染の名前は覚えてるけど、それも全部6歳時の記憶。 
 つまり、今の19歳のクレイを見ても、彼にとってはクレイじゃないわけで…… 
 わ、わたしのせい……だよね……うん。 
 ど、どうしようっ!? 
「あ、あのね、トラップ。実はね……」 
 ひそひそとクレイ、キットンとの相談の結果。 
 下手にごまかしても仕方が無い、ということで、一応事情は説明してみた。 
 今は本当は18歳で、立派な冒険者になっていて、それが罠にひっかかって……と一通り。 
 が、それを聞いた彼の答えは。 
「……姉ちゃん、頭おかしくなったんじゃねえの?」 
 だった。 
 っかー!! 小さくてもトラップはトラップだよね。 
 この口の悪さったらもう!! 
「……信じられないのはわかるけど、本当なんだって。ほら、俺がクレイ。お前の幼馴染の12年後の姿。似てるだろ?」 
「うーん……」 
 わたしに代わってクレイが説明に出たけど、やっぱり納得がいかないらしい。 
 まあね、その気持ちはわかるんだけど…… 
「あの、ですねえ……」 
 おそるおそる口を挟んできたのは、キットン。 
「この館で起きたことですし……多分、解く方法もこの館のどこかにあるんじゃないですかねえ? ひとまず調べてみたらどうでしょう?」 
「そ、そうだな。そうするか。いつまでもここにいても仕方ないしな!」 
 その言葉に、かなり疲れた顔のクレイが立ち上がった。 
 そりゃ、疲れるよねえ……はあ…… 
 お願い、トラップ。 
 元に……元に戻ってー!! 
  
 そんなわけで、わたし達は館の攻略に再チャレンジしたんだけど。 
 いやもう、大変だった……何しろ、罠解除のできるトラップが、今は子供になってるから。 
 簡単な鍵開けくらいはできるけど、さすがにそんな複雑な罠はお手上げだってことで。 
 ただ、罠を見つけるのは、今の彼にとってはかえって楽らしい。元のトラップが言ってたけど、この館、仕掛けがやけに下の位置にあるんだけど、それが今のトラップにとってはちょうど目線にあるみたいなんだよね。 
 ルーミィはノルが抱っこして、モンスターが出たらひたすら逃げて、トラップが発見した仕掛けをキットンが知恵を振り絞って解析して。 
 とにかく、みんなが一丸となって攻略に乗り出したのだ! 
 で、どうにかこうにか三階まで上ってきたときには、もうみんなへとへとになってたんだけど…… 
「あああー!! ここ! ここに多分全てが載ってますよ!!」 
 でも、苦労の甲斐はあって! わたし達は、三階のとある部屋で、どうやら館の女主人が書いたと思われる日記を見つけることができたのだ! 
 ぱらぱらと流し読みしたキットンいわく、館の間取りと、仕掛けた罠などが全部書き込んであるとか! 
「じゃあ、それをチェックすれば……」 
「はい。多分何とかなるんじゃないですかねえ?」 
 どうにかこうにか手がかりを見つけ出して、わたしは床にへたりこんだ。 
 よ、よかったあ! 解けなかったらどうしようかと思った…… 
「よかったねえトラップ! 元に、元に戻れるからね!!」 
 感極まってぎゅーっとトラップを抱きしめると、彼は何だか迷惑そうに顔をしかめていたけど。 
 ああもう。そんなことに構ってられないもんね! 本当に、本当に心配したんだからっ! 
「よし。じゃあ……もうこんな時間だし、今日はちょっと休むか。キットン、その日記、調べてくれるか?」 
「はいはい、任せてください。これによると、三階には特に仕掛けはしてないようですね。主に居住区にしていたみたいですよ? 部屋もいくつかありますし、ベッドも置いてあるみたいです」 
「そうか。よし。みんな、今日はもう休もう。ゆっくり休んで、全ては明日だ!」 
 クレイの言葉に、反対する人はいなかった。 
 本当に疲れたもんね。ずーっと走り回ってたし。 
 キットンの言葉によれば、ここはどうやら全室ツインらしく、部屋数は十分にあるとか。 
 三階には何の仕掛けもなくモンスターも出ないってことなので、いっそみんな個室にしようか? なーんて案も出たんだけど。 
 それには、重要な問題があったんだよね。つまり……魔力のある人でないと、ドアを開けられないっていう問題が…… 
「うーむ。まさかこの仕掛けだけが健在とは……どうやら、館の住人は全員魔力を保有していたみたいですね。彼らにとっては、これは仕掛けでも何でもないようですね……」 
 わたしやクレイがひっぱってもびくともしないドアを見て、何だか感慨深そうに頷くキットン。 
 まあ、ね。とにかく、開かないものは仕方ないから。 
 二人ずつ三組に別れて休むことにしたんだ。トラップも、子供に戻っても魔力はしっかり健在だったらしく、ちゃんとドアが開けられたしね。 
 で、最初は、わたしとルーミィとシロちゃん、クレイとトラップ、ノルとキットンっていう組み合わせにしようか、って思ったのよ。 
 ところが…… 
 そう組み合わせて、クレイが「じゃ、寝ようか」ってトラップに声をかけたとき。 
 彼は、何だかすごく不安そうな目で、クレイを見上げていた。 
 え、もしかして怖がってる? クレイって子供に好かれそうだと思うんだけどなあ。 
 クレイもクレイでとまどっているらしく、差し出した手を中途半端にさまよわせている。 
 でも、トラップはやっぱりその手を握ろうとはせず。 
 かわりに、ちらちらとわたしの方を見てきて…… 
 ……わたし? 
 思わず目線を合わせてしゃがみこむ。トラップは、そんなわたしを、じーっとすがるような目で見てきて…… 
 うう、何だかこう、胸がきゅんってなるというか……こ、これはもしや母性本能!? 
「トラップ……わたしと寝る?」 
 思わずそう聞くと、彼は一瞬、すごく嬉しそうに顔を輝かせて…… 
 まあ、もっとも本当に一瞬だったけどね。すぐにばっと表情を変えて、「ね、姉ちゃんがそうしたいんなら、それでもいいぜ」なーんて可愛くない口調に戻ったけど。 
 その顔が耳まで真っ赤になってるの、見逃さなかったもんね。 
 ふふ、照れてる照れてる。かーわいい。 
「すりこみ、ですかねえ」 
 その様子を見て、キットンがうんうんと頷いた。 
「生まれて最初に見たものを親だと思う現象ですが、トラップにとってはそれがパステルなのかも……」 
「てめえー!! 俺は動物じゃねえぞー!!」 
「あぎゃぎゃ! な、何するんですかーっ!!」 
 その言葉を聞きとがめたのか、トラップがどかっ、とキットンに蹴りを入れている。 
 今のトラップ、キットンと身長がそんなに変わらないからね。こうして見ると、ちょっと微笑ましいかも。 
「しょうがないな。じゃあ、ルーミィとシロは俺と一緒に寝ようか」 
「うん、ルーミィ、眠いおう……」 
 その様子を苦笑しながら見ていたクレイが、ルーミィを抱き上げる。 
 小さな手を握ってドアを開けると、「先に休むよ」と言って部屋に入っていった。 
「じゃあ、俺も。キットン」 
「あ、ノル、待ってくださいっ!」 
 トラップから逃げるようにしてノルに走りよると、キットンもドアを開けてさっさと中に入っていった。 
 廊下に残されたのは、わたしとトラップだけ。 
「……じゃあ、寝ようか?」 
「うん……」 
 そう声をかけると、トラップは、ぎゅっとわたしの足にしがみついた。 
 ……怖い、のかな? そうだよね。彼にとっては、住み慣れたドーマから突然見知らぬところにとばされた状態だもんね。 
「大丈夫だよ。明日になれば、何もかもうまくいくからね」 
 そう言ってぽんぽんと肩を叩いてあげると、彼はちらっとわたしを見上げて、黙ってドアを開けた。 
 部屋の中は、ベッドが二つと、小さなテーブルがあるだけ。 
 そんなに広くは無いけど、思ったよりも綺麗で、居心地は良さそうだった。 
「ほら、疲れたでしょ? 早く寝よう」 
「……うん……」 
 小さなトラップを寝かしつけると、わたしも隣のベッドにもぐりこむ。 
 うーん、子供を持つ親の気分、っていうのかなあ。 
 何だか、トラップはトラップだけど、どんなに可愛くないことを言われても、次の瞬間には許せちゃうというか……守ってあげたいっ! って気分になるんだよね。 
 わたしのせいでこうなったから、っていうのもあるかもしれないけど。 
 そんなことを考えているうちに、疲れてるせいかな? 眠気ががーっと襲ってきて…… 
 あっという間に、わたしは眠り込んでしまったのだった。 
  
 ……ひっく…… 
 …………? 
 うっ……ひっく…… 
 どれくらい寝たのかはわからないけれど、でも、絶対そんなに時間は経ってない、って頃。 
 わたしは、部屋に響く小さな声に、ふっと目を開けた。 
 ……この声は……? 
 くるっ、と寝返りを打つ。目に入るのは、隣のベッド。 
 そして、その上に膝を抱えて座り込んでいる、小さな人影。 
「……トラップ?」 
 声をかけると、びくり、とその肩が揺れた。 
 おそるおそる振り向いたその顔は、涙でべとべとになってる。 
 ……泣いてた? 
「トラップ、どうしたの?」 
「……姉ちゃん……」 
 震える声。すごく頼りなげな、弱々しい声。 
 元のトラップだったら絶対出さないだろう声に、わたしは思わず立ち上がった。 
 そのまま、隣のベッドに腰掛ける。 
「どうしたの? 何かあった?」 
「……俺……」 
 泣いていたのを見られたのが恥ずかしいのか、トラップは、ぎゅっと唇をかみしめてうつむいた。 
 ……どうしたんだろう? 不安? 寂しい? それとも…… 
「トラップ」 
 ぎゅっ、とその小さな身体を抱きしめる。 
 びくり、とトラップが震えるのがわかったけど、それに構わず、そっと頭を撫でてあげる。 
「どうしたの? 気にしなくてもいいよ。泣きたいときはうんと泣けばいいんだから。何かあった?」 
「……俺……」 
 そのまま、トラップはわたしの胸元にしがみついて、大声で泣き始めた。 
 その姿は、どう見ても、6歳の子供そのもので…… 
 あんなに可愛くないこと言ってたのに。あれは精一杯強がってただけだって、わかってしまう。 
 元のトラップは、何があったって、滅多なことで泣くような人じゃないけど。 
 子供の頃は、やっぱり普通に泣いたりしてたんだね…… 
 何となく感慨にふけっていると、トラップは、ぽつんとつぶやいた。 
「怖い……」 
「え?」 
「姉ちゃん、俺、怖い」 
「何が?」 
 優しく聞き返すと、トラップは、顔をあげずに言った。 
「怖い。俺、本当に元に戻れるのか? 元に戻ったら、俺、どうなるんだ?」 
「…………」 
「本当は18歳だなんて言われても、わかんねえよ。本当なら、俺は、ドーマにいて、じいちゃんと父ちゃんと母ちゃんと盗賊団のみんなと、一緒に暮らしてたはずなのに。クレイやマリーナと修行してたはずなのに。何でいきなりこんなことになってんだよ。俺、わかんねえ……」 
「トラップ……」 
「なあ、姉ちゃん。クレイの奴、あんなでかくなっちまって。俺もあんな風になんのか? 怖い。俺、元に戻るのが怖い……」 
「あの、あのね、トラップ」 
 ぎゅっ、と抱きしめる腕に力をこめる。 
 トラップは、多分漠然とした不安を抱えてるだけで、自分でも何がそんなに怖いのかよくわかってないみたいだけど。 
 わたしにはわかった。 
 わたしと同じだから。言葉に出せないけど、何となく怖いっていう思い。 
 それは、未知のことに対する不安。根拠なんか何も無いけれど、ただ漠然と「大丈夫だよ」ってまわりから言われて、でもその言葉を信じきれなくて、それが余計不安をあおる。そんな怖さ。 
 わかるよ。わたしもそうだった。トラップのこと好きなのに、どうしても先に進むのが怖かった。 
 失敗するかもしれない、見られたら嫌われるかもしれない、痛いかもしれない、そんな不安で、胸が押しつぶされそうになって。そのせいで、トラップを怒らせて。 
 そして、こんなことになって。今、トラップに同じ思いを味あわせてる。 
 ……駄目。こんなんじゃ、駄目だ。 
「トラップ。勇気、出そうよ」 
「……勇気?」 
「あのね、わたし達の仲間の……18歳のあなたはね、誰よりも口が悪くて、しょっちゅうトラブルばっかり起こしてたけど……でも、いざというとき、すごく頼りになるんだ」 
「…………」 
「いっつもいいかげんなこと言ってるみたいだったけど、誰よりも仲間のこと考えてくれて、仕事に関してはすっごく真面目で、絶対泣き言とか弱音は吐かない人だった。あなたの、将来の姿だよ、トラップ」 
「…………」 
「大丈夫だよ。あのね、わたし達がついてるから。怖がることなんか何も無いよ? いざとなったら、わたしも、クレイも、キットンもノルもルーミィも、みーんなあなたを守ってくれるから」 
「……じゃあ……」 
 わたしがそれだけ言うと、トラップは、ばっと顔をあげた。 
 すごく真剣な眼差しで、じーっとわたしを見つめて言った。 
「じゃあ、元に戻れなかったら?」 
「……え?」 
「もし、罠を解く方法がわかんなくて……俺が子供のまんまだったら? 俺、まだまだ修行しなくちゃなんないことがいっぱいあるから、姉ちゃん達の役に立てない。そうしたら、俺は邪魔?」 
「そんなこと!!」 
 ああ、そうか。彼が感じていた不安は、もう一つあったんだ。 
 子供のままじゃ、足手まといになるから。一人にされるんじゃないかっていう、不安…… 
「そんなわけない、そんなわけないよ。トラップはトラップだもん。わたし達の大切な仲間だもん。わたし達、ずっと一緒にいてあげるから。大きくなるまで待っててあげるから! 心配することなんか、無いんだからね!」 
 そう言うと。 
 トラップの顔が、ぱっと輝いた。さっき一瞬見せた、心から嬉しそうな表情で。 
「待っててくれんのか? 俺が、大きくなるまで」 
「もちろん。10年でも20年でも、ずっと待ってるよ」 
「……じゃあ、じゃあ……」 
 わたしの言葉に、トラップはちょっともじもじしていたけど。 
 やがて、がしっ、とわたしの手を握って言った。 
「聞いたからな、待っててくれんだろ?」 
「……う、うん?」 
「俺、元に戻れなかったら、また一生懸命修行する。立派な、一人前の盗賊になって、姉ちゃんのこともらいに行くからな!」 
「……え?」 
 えと。もらう? はい? 
 わたしがきょとんとしていると、トラップは。ぶうっ、と頬を膨らませて言った。 
「もうちっと喜べよなあ。プロポーズしてんだからさあ」 
「…………はい?」 
 ぷぷぷプロポーズ!? 
 言われたことを理解して、一瞬にして顔が真っ赤になるのがわかった。 
 な、な、な……ほ、本当に6歳なの!? 実は年齢を偽ってないでしょうね!? 
 わたしがぽかんとしていると、トラップは、すごく不満そうにうつむいた。 
「やっぱり、嘘だったのかよ……」 
「へ? い、いや……」 
「ふん、俺が子供だと思って、いいかげんなこと言ったんだろ。いいよ、もう」 
「ち、違うわよっ!!」 
 すねてばっとわたしの手を振り解いたトラップを、慌てて抱え込む。 
 子供だから、口先だけでごまかせる。そんな風に思ってる大人は多いかもしれない。 
 でも、わたしはそんな風に考えたくない。子供でも、ううん、子供だからこそ、真剣に話さなくちゃいけないときもある。 
「あのね、トラップ。聞いて」 
「…………」 
「わたしとトラップ……18歳のトラップはね、恋人同士だったんだよ?」 
 そう言うと。 
 トラップの身体が、強張った。目をまん丸に見開いて、じーっとわたしのことを見つめている。 
 その目をまっすぐに見つめて、わたしは言った。 
「わたし、トラップのことが本当に本当に大好き。でもね、わたしも、勇気が無いから。怖かったから。だから、後一歩のところが踏み出せなくて、それでトラップを怒らせちゃったんだ。それがすごく悲しくて、謝りたい。だから、待つよ、トラップ。あなたが迎えに来てくれるの、ずっと待ってる。大好き。プロポーズしてくれて、ありがとう」 
 6歳のトラップ。わたしでも簡単に抱え上げられる、小さな身体。 
 その身体をそっと持ち上げて、目線を合わせる。 
 ゆっくりと顔を近づけた。触れた唇は、元のトラップよりずっと小さくて……でも、同じように暖かかった。 
 そのときだった!! 
 ぼうんっ!! 
「きゃあっ!?」 
 そんな変な音とともに、突然、あたりが煙に包まれた。視界が真っ白に染まって、何も見えなくなる。 
 な、何っ!? 何なの一体!!? 
 ずしんっ 
 瞬間、急に、両腕にすごい重みがかかった。たまらず前に倒れこむ。 
 い、一体何がっ…… 
 ぼすんっ 
 倒れこもうとしたわたしを、がしっ、と誰かが支えてくれる。 
 すごく暖かくて、力強い手が。 
 ……え? 
 煙が、少しずつ薄くなっていく。 
 視界が戻ってくる。目の前には、わたしより一回りも二回りも大きな人影。 
 さらさらの長めの赤毛と茶色の瞳。 
 わたしを抱える腕も、胸も、しっかり筋肉がついて力強い……男の、人。 
「と、トラップ……?」 
「……よっ」 
 わたしの恋人、18歳のトラップは、いつもと全く変わらない軽薄な口調で言って、軽く手を上げた。 
  
「何で……急に……」 
「さあ? 何でだろうなあ……」 
 ベッドの上で、二人っきりで、わたしとトラップは向かい合っていた。 
 ちょっと前なら、怖くて逃げ出したくなった状況。でも……今は、そうでもない。 
 トラップの腕は、わたしをしっかり抱えている。緩めてくれそうな気配は、全く無い。 
「……覚えてるの?」 
「大体な。……おめえに、すげえ世話になったことは、覚えてる」 
 ぼんっ 
 トラップに言った色々なこと、最後にしたことを思い出して、顔が真っ赤に染まるのがわかった。 
 お、覚えてる……? 全部、覚えてる……? 
「あ、あの……」 
「怖かったんだな」 
 ぎゅっ 
 何を言えばいいのかわからない。とにかく、何か言おうとしたとき。 
 トラップは、わたしを抱きしめて、つぶやいた。 
「おめえの気持ちなんか、何も考えてなかった。ただ嬉しくて、つっぱしって、そんでおめえを怖がらせてたなんて、ちっともわからなかった。……悪かったな」 
「……ううん。わたしこそ、ごめんね。ちゃんと言えなくて」 
 きゅっ、と背中に手を回す。 
 勇気、出さなくちゃ。怖がってちゃ、何も進まない。 
 トラップの手が、わたしの背中を支えながら……ゆっくりと、ベッドに押し倒した。 
「プロポーズ、受けてくれんだって?」 
「……あれは、6歳のトラップとの約束だもん」 
「ほー。んじゃ、18歳の俺が、改めて言ってやるよ。……おめえをもらっても、いいか?」 
「駄目、って言っても強引にもらう気でしょ?」 
「あたりめえだろ? おめえ、俺を何だと思ってる?」 
「盗賊」 
「よくわかってんじゃねえか」 
 くっくっく、と面白そうに笑って、トラップは、ゆっくりとわたしの服に手をかけた。 
「で。勇気は出せそうか?」 
「うん……」 
 怖くないと言えば嘘になるけど。 
 でも、今は大丈夫。 
 トラップのこと、信じてるから…… 
 肌に触れる冷たい空気に、わたしは、ちょっと身震いした。 
  
「パステル! パステル、起きてますか!!」 
 どんどんどん 
 翌朝。わたしとトラップが一つベッドで幸せに眠っていると。 
 キットンの大声が、そこから無理やり引きずり起こしてくれた。 
「……朝っぱらから、うっせえなあ……」 
「ば、馬鹿馬鹿トラップ! 服! 服着て!!」 
「ったく。一体何なんだか……」 
 ぶつぶつ言いながら、トラップがシャツに腕を通す。 
 わたしも慌てて服に着替えて、ドアに走り寄る。 
「き、キットン? 何?」 
「ああ、パステル! あのですね、とんでもないことがわかりました。この館なんですけど!」 
 バン!! 
 ドアが開く。キットンは、昨日見つけた日記を振り回しながら部屋にとびこんできたけど。 
 ベッドに腰掛けているトラップを見て、ぽかん、とその場に立ちすくんだ。 
「トラップ? あの……」 
「あんだよ。俺の顔がそんなに珍しいか?」 
「も、元に戻った!? パステル、まさかあなた……」 
 キットンがわなわなと震えながら、わたしとトラップを交互に見つめている。 
 な、何? 一体何がわかったの? 
 この館のとんでもないことって……一体何? 
「何の騒ぎだ? キットン、うるさいんだけど」 
 その騒ぎに、隣の部屋で寝ていたクレイが、ぼーっとした顔を覗かせた。 
 けど、その顔も、不機嫌そうなトラップの顔を見て、一瞬で変わる。 
「トラップ!? お、お前……いつの間に戻った!!?」 
「けっ、どいつもこいつも。いいじゃねえか、戻ったんだからよ」 
 そう言ってトラップはぷいっとそっぽを向いた。 
 まあねえ。どうやって戻ったか、なんて、言えないよねえ。 
 というより、何であれで戻ったのか、よくわからないし…… 
 わたしが苦笑していたときだった。 
 キットンが、すたすたすた、とわたしとトラップの前に歩いてきて。 
 いぶかしげな顔をするわたし達の前で、ぺこり、と頭を下げた。 
「おめでとうございます」 
 ………… 
 ……はあ? 
「あの、キットン?」 
「いや、まさかパステルとトラップが……よかったですねえ、トラップ。思いが通じて」 
「はあ? キットン、おめえ、あに言って……」 
 身を乗り出すトラップの前に、キットンは、ぐいっ、と日記をつきつけた。 
「この館の秘密を知って、これはもう罠を解くのは無理か、と半ば諦めもしたんですが……本当によかった。パステルとトラップが愛し合っていたなんて。私はてっきりトラップの片思いだと思っていたものですから……」 
 ………… 
 今度こそ、場の空気が凍りついた。 
 な、何を言い出すのキットン――!? 
「お、お前ら……そういう関係だったのか……?」 
 唖然とした声を出すのは、クレイ。 
 いや、ちょっと、ちょっと待って。 
 た、確かにそうだよ。それは間違ってないよ。だけど……だけど…… 
 な、何でわかるの!? 
「あのですねえ、この館なんですけど……」 
 あたふたするわたし達に、キットンが説明してくれたところによると。 
 この館に住んでいたのは、魔法使いの女主人…… 
 だけじゃなく、女主人の旦那様や、子供達、つまり、一家が住んでたんですって。 
 女主人はすごくレベルの高い魔法使いで、子供達にもその素質は十分に受け継がれたんだけど。 
 でも、旦那様は、魔法使いではあったけれど、そんなに大したレベルではなかったみたい。 
 女主人としては、旦那様も子供達をもっと鍛えてあげたい。でも、危険な冒険には連れていきたくない。 
 それで考えたのが、家の中に罠をいっぱい仕掛けて、それで夫と子供達を鍛えよう、という。つまりは、この館の仕掛けは、全部旦那様と子供達の修行のために作られたものだとか。 
「なるほどな。それで、仕掛けが妙に低い位置にあったり、効果が妙にしょぼかったりしたんだな」 
 それを聞いて、トラップはうんうんと頷いていたけれど。 
 もちろん、大怪我をしないように十分に考えられていたし、魔法の罠も、危険なものでは決してなかった。 
 例えば、トラップがひっかかった罠。あれは、もし子供が引っかかった場合、逆にいきなり成長する罠……つまり、ある年齢を境に若返るか成長するか、どちらかを誘発する魔法だったらしい。 
 他にも、突然髪が伸びるとか、突然涙が止まらなくなるとか、そういう……何て言うのかな? 命の危険の無い罠ばかりで、解除も簡単にできるものだった。 
 そして、解除の方法が…… 
「で、ですね。罠に引っかかったときは、母親から息子へ、娘へ。あるいは、妻から夫への、愛情のこもったくちづけを与えれば解ける、だそうで……」 
 キットンの言葉に、わたしとトラップは、唖然として顔を見合わせた。 
 えと……つまり…… 
「おめでとう」 
 真っ先に声をかけてきたのは、入り口付近に立っていたノルだった。 
 その言葉に、クレイとキットンも、「よかったな」「おめでとうございます」と頭を下げる。 
 もう、何を言えばいいのやら。 
 まさかまさかの展開に、わたしもトラップも、何も言えなかった…… 
  
 ちなみに、後日談。 
 結局、館中捜しても、魔法の道具は何も見つからなかったんだよね。 
「魔法の道具がいっぱいの館じゃなくて、魔法の仕掛けがいっぱいの館でしたねえ。どこかで話が歪んだのでは?」 
 って、キットンは言ってたけど。 
 まあ、ね。見つからなかったものはしょうがないし。わたし達らしいっていうか。 
 で、その後わたしとトラップがどうなったのかというと? 
「んで? 結婚してくれんのか?」 
「んー、まあ、いずれね」 
「はああ?」 
 わたしの言葉に、トラップはすっごく不満そうな声をあげたけど。 
 だって、しょうがないじゃない。 
「だって、わたし、まだまだ冒険を続けたいんだもん。まだしばらくは、みんなと一緒にいたい……駄目?」 
 そう言うと、トラップはまじまじとわたしを見つめて。 
 そして、はーっと大きなため息をついた。 
「……ま、しゃーねえな。俺もまだしばらくは、冒険続けたいしな」 
「でしょ?」 
「ま、でも……」 
 ぐいっ、と肩を引き寄せられる。 
 みんなに関係がばれちゃってから、何かと気を使って、二人きりにしてもらえるようになったんだよね。 
 恥ずかしいから、いいって言ったんだけど…… 
「これくらいは、許してくれるよなあ?」 
「……いいけど」 
 でも、二人っきりのときだけね。 
 そう念を押すと、トラップの瞳が迫ってきて…… 
 唇を塞がれて、ベッドに押し倒されても、あまり怖い、と思わなくなったのは……わたしもちょっと成長した、ってことで、いいのかな? 
  

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